
メイン会場は茨木市役所のすぐ横のグラウンド。下が土なので土ぼこりが酷く、皆さんに申し訳ない事をした。春の狭山池ミーティングも下が土なので同じ目にあう。昨年の北グラウンドだけでなく、南グラウンドまで広がっていた。
みなさんに挨拶した後、とにかく参加車を見て回る。昨年は41台だったそうだが、今年は81台!木曜日の時点で77台と聞いていたのに、まだ増えている...パレードは38台だったので、あと半分を見ないと。
両方のグラウンドで皆さんとお話しながら写真をパチパチ。kotaro さんに言われて気付き、久しぶりに銀塩カメラも登場させたのだが、まだ現像していない(笑)
(1)お友達のクルマ
北グラウンドのお隣はstelvioさんのピアッツァ。

その横にはTerminator3さんの124スパイダー。

なんだかどっちもいつもよりずっと奇麗だ。
「stelvio さん、何だか超きれいなんですけど!」
「丁度車検から上がって来るんで、『ショーに出すから奇麗に磨いて、土曜に間に合わせてね』ってお願いしたんですよ。」
そりゃ奇麗な訳だ。
しかしTerminator3さん号も奇麗だ。磨いていただいたのだろうか。すみません。その時気付いたのだが、神戸53ナンバーだ。十数年乗って来られた証拠だ。
子供試乗会で子供3人乗せていたので、
「四人乗りなんですか?」
「いや、五人乗り可能ですよ」
恐るべし(笑)
子供たちの笑顔が印象的だった。
あ、ムルティプラの狼さんのDAPさんだ!
「ムル狼さん、ありがとうございます!オープンで来たんですか?」
「ちゃんと開けて来ましたよ。」
ありがとうございます。
午後に行われた子供試乗会でも、乗った人たちがにこにこしていた。
あ、これはMiちゃんのアルファ・ジュリエッタのバルケッタだな。

ぼーっと見ていたら、Miちゃんさんが声をかけて下さった。
「こんにちは。」
「あ、Miちゃんさんって、あなただったんですね!ポンテペルレやヴァリオストラーダでもお会いしていましたよね?」
「そうですよ。いつもP6と奥さんと娘さんが一緒なので、私もよく覚えてました。今日はご一緒に?」
「いえ、友達に人形劇に誘われてるのと、『寒いからイヤ』って二人に言われちゃいました。(笑)寒い上にホコリが多くってすみません。」
「いや、寒いのは対策して来たから、そんなでも無いですよ。でもバルケッタは注目度抜群で気持ちいいなあ。クルマとしては356の方がずっと上だけど。」
「息子さんから借りておいて、それは言っちゃいけないんじゃ。」
二人で大笑い。
話をしているとroadkingさん登場。
「あれ、車は?」
「南グラウンドなんだけど、誰もいないからこっちに来ました。」
そう言えばそうだ。南グラウンドに見に行こう。
珍しく後ろ姿にしてみました。

この横は、パパンダさんの赤ナマズ号だ!ということは、横に立っているあの大きい人がパパンダさんに違いない。

「あのー、このクルマのオーナーさんですか?」
「そうです。」
「パパンダさん、初めまして。紺の豚です。よく来ていただきました!」
「初めまして!」
会えて良かった。初対面とは思えないのはみんカラのおかげだ。
アメリカでジェフが苦労して付けてくれたコンプレッサーや、移設してくれたオルタネーター、増設ファン等を見せてもらい、アメリカの話に花が咲いた。
このでっかいピックアップは..レッドホットパンプキン号だな!フォードF-100はフルサイズのピックアップだ。1956年式。

名前通りに赤唐辛子色。こういうチューニングカーを「パンプキン」とスラングで言うのも知っていた。しかし、現物を見ると...アメリカって大きい(笑)Hot Wheelsのミニカーをそのまま大きくした感じだ。横にはチューニングメニューが書いてある。

460ci(立方インチ)=7200ccか。でっかい。
お会い出来るか心配だったが、あとでP6の横のテーブルに来て下さった。
「来ていただき、ありがとうございました。」
「実は紺の豚さんのおうちの近くで仕事をしていまして。ガレージに見覚えが有るなと思ってました。」
「え?!そうなんですか?」
縁は異なもの味な物だ。
(2)アメリカ車
P6の左横には見た事も無いクルマが。

横から見ると"Chevolet Freetline"とある。1948年式だとのこと。でかい。
その横のコレは知ってる。オレゴン留学中によく見たGMCサバーバン(1990)だ。

アメリカでもでっかいと思ったが、日本では巨人だ。古着などのお店を開いておられた。オーナーさんに
「いやー懐かしいです。92−94年にオレゴンに居たので。でも大きいですね。」というと
「私も80年代アメリカに居たんですよ。やっぱこれでしょ。沢山荷物入るし(笑)これでもタイヤを小径に替えてあるので、本来はこれより10センチ以上高いですよ。」
とのこと。
今回のショーはアメリカ車が多い。父がアメ車党だったこともあり、嫌いじゃないので、気がついたら沢山写真を撮っている。
まずGMから行こう。シボレー・カマロとポンティアック・トランザムはアメリカ留学中にもアシにしたいなと一時考えた車だ。Consumer Reportで見た、車としての信頼度が良くなかったので、結局スズキ・サイドキック(エスクード・ノマド)とボルボ240GLワゴンになったのだが。

やっぱりカマロ(1990)はこのブルーでしょ。IROC Zなんてのがあったなあ。

そしてトランザムはこの「ファイアーバード」デカールじゃないと(笑)
昨年見たカマロのエンジンがこちら。

すごく奇麗だけど、多分現代車のとスワップしてあるのだろう。
そしてアメリカン・ピュアスポーツと言えばコルベット。

これって、雨の日はどうするんだろう(笑)

まるでフェラーリ12気筒のように、8つ突き出たファンネルが美しかった。ただ、キャブじゃなくて燃料噴射のようだが、どういうシステムだろう?吸気音が聞いてみたいものだ。
そして昨年も見た、キャディラック・エルドラド。
世界最大の前輪駆動車だろう。アバンギャルドな格好をしている。
GMの次はフォード。
初代マスタングファストバックのGT350(1965)。マッハ1さんによると「本物かどうか?」らしいが、やっぱりカッコイイ。父が乗っていたのはクーペの銀色で内装が赤革だった。今思い出してもしゃれていた。それに家族五人乗ってびわ湖とか箱根とか(まだ東名が全通していなかった)に行ったなあ。
そしてやっぱり、1973マッハ1さんの1973年式マッハ1。父も乗りたがっていたが、当時のディーラーである近鉄モータースさんから
「ハイチューン過ぎて壊れやすいから、止めた方がいいですよ。」
と止められたらしい。

シフトノブのクロームと、独立のスピードメーター・タコメーターが懐かしい。

「せっかくだからエンジンルーム、見せて下さいよ。」
「どうぞどうぞ。」
ボンネットにある二つのダイヤルを操作して開けるようになっている。車室中からは開かない。

「これって、351ci(キュービックインチ)=5500ccですよね。多分父のクーガーXR-7もその排気量だったと思うんですけど。」と聞くと、
「ええ、これは最大パワーだった71年の427ciからはかなりダウンなんですよ。でも、このエアクリーナーの所にボンネットから直接ラムエアーで入るようになってるでしょ?」
「本当だ。なんだか嬉しいですよね。でも2Vと書いてあるという事は、普通の2バレルキャブであって、ハイパワーの4バレルキャブじゃないんですね。」
「ええ。このクルマはディーラー車で、かつ48年規制がかかってますから。」
「なるほど。でもチューニングが高くない分、余裕があるし、こうやって10年以上乗ってこられるには良かったのかも知れませんね。」
ディーラー車をいじらずちゃんと維持するのも、矜持だなあと思う。
ビッグ3の最後はクライスラー。
ダッジ440という初めて見るモデルのステーションワゴンワゴン(1964)だ。ラップラウンドしたリアの窓が60年代っぽい。内外装とも同じような青で、内装はモケット。日本には無い色使いだ。

そして、クライスラーと言えばモパーといわれるハイパワー車でしょう。ダッジ・チャレンジャー(1971)

オーナーさんとお友達がヘミヘッドで盛り上がっているところに乱入。
「これ、ヘミヘッドなんですよね?」
「ええ。」
「やっぱりクライスラーと言えばヘミですよね!急に申し訳ないんですけど、ぜひエンジンが見たいんですけど。」
「いいですよ!」快く開けてくれる。

初めて見た。真ん中のラムエアー吸入口、思わずプラ?って思ってしまったが、ちゃんと鉄板で分厚い。これではヘミヘッドはよく見えないが、普通のアメリカンV8よりずっとヘッドが幅広く、ロッカーアームの取り回しなどがかなり異なるのだろう。
「いやー良いもの見せていただきました!ありがとうございます。」
(3)イギリス車
MGクラブから沢山のエントリーがされていた。
ジャンクヤードのS社長が神戸MGクラブの会長さんと個人的にお知り合いらしい。1952年MG-TDミジェット。和歌山のエッセレバンビーノでご一緒したことがある個体だ。

こちらは1949年型MG Y。も朝は幌を上げておられたが、薄い一枚布だった。ダッシュボードのウッドといい、戦前車の雰囲気がした。

そして会長さんのMG J2 special。一から外装をアルミ板で自作されたようだ。前に付いているのはスーパーチャージャーかな(後から聞くと、NAのクラスに出ていたクルマで、キャブレターだとのこと)戦前は全然判らないけど、小さくてでも速そうだ。
なんでもないジャガーMK2(2.4)。
でも、そこには大阪3ナンバーというシングルナンバーが付いている。それだけで、このクルマがずっとこの地域で走って来たということが判る。ファーストオーナーはどんな人だったんだろう...
長くなりそうなので、後半と分ける事にした。
つづく。