阪神淡路大震災の時、
長田区に祖母が住んでいた義兄はすぐに飛んで行ったが、
崩壊した家屋と祖母のご遺体に涙するだけだったそうだ。
中越沖地震の時、
私がかつて住んでいた柏崎市、
よく行った「えんま通り商店街」が崩壊していて呆然とした。
東日本大震災の時、
福島に住んでいる、親友(親子二代でそれぞれ親友)と
しばらく連絡が取れず、もやもやした日々を過ごす。
私とかかわりがあった部分だけ、あえて箇条書きで書いています。
TVや報道で悲惨な状況を見聞きする度に、誰しもが心を痛め、
被災された方々の苦しみ悲しみに思いを寄せています。
ある人はボランティアに参加し、あるいは支援物資を送り、募金などもしたり、もちろん黙祷も。
しかし、それでも被災された方々の苦しみ悲しみを、 全て理解することは不可能です。
自分自身が被災者でもない限り、それは想像の範囲を超えません。
もし自分の親しい人、愛する人を失ったらどうなるだろうか?
住んでいた家も場所も仕事も全て奪われて生きているのだろうか?
自分に置き換えようと考えても、やはりそれは想像でしかありません。
鈍感で矮小な私には、両手の届く範囲、目に見える限りしか理解できないのかもしれません。
でも、そんな私にも分かることがひとつあります。
ただ、自分がそう思うだけのことかもしれませんが・・・
もし、私の身にそんなことが起きて、その後も生きていけなければならないとしたら。
いつまでも何年も「可哀想」と言われ続けたくない。
一日でも早く「普通」の生活に戻りたいと思う。
「実際に体験していないから、そんなことを言えるんだ」
そんな風に思われるかもしれないですけどね。
失った大事な人は、もう帰ってこない。
奪われた物も場所も、取り戻せないかもしれない。
苦しみも悲しみも、癒えないかもしれない。
それでも、もう一度立ち上がって歩くしかない。
きっと昔みたいに、笑っていれる日々を過ごせる。
私は、そう信じたい。
合掌
Posted at 2018/03/11 23:41:54 | |
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がんばれ東日本 | 日記