台風19号の災害から二月あまり。
住宅地の多くは災害ボランティアの方々の助けもあり片付けが進む一方、広大な農地でも堆積した泥や漂流物の撤去が急務となっており、それは住宅地に比べ途方もない規模。
自分もサラリーマンの傍ら農業に関わる身であるため農業に携わる方々を助けたいのと、農業従事者の年齢層は高いから必然的に高齢の方の助けにもなるのでは無いかと考え参加してきた。
そしてネイチャー系の写真を撮っていて被写体になる日本の元風景で、切っても切れないのが農業の存在するだと思うからそんな農業を助けたい気持ちも。
自分の家は幸い軽トラがあるから持ち込みで現場の災害漂着物の収集。
こちらが中々足りずに緊急性があるようだったので結構な日数通った。
そう言えば、連日作業を共にすることがあった皆勤賞みたいに参加しているおじさんの軽トラがついに悲鳴をあげた。
駆動系のトラブル。
泥で道路の状況が極めて悪い中を走るが故に悲鳴をあげたのかもしれない。
もう少し参加者が増えて個人の負担が分散できていたらと思うと…悔しいし、現場にいると地元勢も少なく感じる。
そんななか、友人逹から参加したいと連絡があり、自分の予定が合ったのが奇しくも前述のパティシエ…
仕事柄衛生面のシビアさ、また自身の街やお店も被災しているのだからお仕事で地域のために頑張りなさい。と、僕自身が参加に制止をかけていたが軽トラの横のりに名乗りをあげてくれました。
制止をかけられている歯がゆさ、でも一人では踏み出す切っ掛けや勇気が持てないまま見て見ぬふりをしてしまいそう…と言う素直な気持ちを伺い、同じ位の頃に大震災を経験して踏み出す勇気が持ちきれずにやり過ごしてしまった自分にはその気持ちがよく分かったから了承して一緒に参加することに。
そしていざ作業となると幹線道路からは見えない悲惨な現場に踏み込まねばならず、その景色に動揺や不安を滲ませながらも、復旧に携わる人達とふれ合いながら懸命に作業するうちに自分自身のやり甲斐を見つけられたように見えた。
人のためと言うのも勿論大切ではあるけど、自身が現場に身を置き現実を知る事やそこで得られる経験、そもそものスタート地点である踏み出す勇気や踏み込んだ勇気はきっとこれからの彼女自身の大きな糧になるはず。
話していればこの日の経験を自分なりにアウトプット出来る子なんだろうなって感じた。
朝、現場の凄惨さに強ばった表情が作業が終わる頃にはすこし清々しい、いい顔をしていたのもボランティアの方々の優しさに触れたり作業の充実感からかな。
活動中ランチに何度も訪れたのが被災地、長野市長沼地区に店を構える飲食店。
お店自体かなり水に浸かりながらも早い段階からボランティアのためにトイレや水道を解放したり食事を提供してきた。
また、ボランティアに必要な手袋やマスク、カイロなどの消耗品は支給するというありがたさ。
そんなお店が提供してくれるラーメンは優しいスープに生姜が効いていて真冬の気温での作業や汗冷えなんかを温めてくれる。
付け合わせは近所の方々が寄付してくれた食材で作っていてサービス。
そしてお店の方々の気遣いや、送り出してくれるときに、「ありがとう、午後も頑張って!」の声が本当にしみる。
美味しいラーメンは数あれど、こんなに心まで温められるラーメンは今までに知らない。
復興に携わる皆をあたため励ますその味は忘れないだろう。
どんな食材より、「優しい心」が何よりの出汁なのかもしれない。
明くる日もまたひたすら。
そして、農業ボランティア受入最終日を自分の年内のボランティア活動の区切りにすることに。
最後の現場は奇しくも農業ボランティア初日に泥に押し流されその泥の中から必死に掘り出したハウスの解体部品で、その後が気になっていたから良かった。
数日、小さな荷台にがれきを満載にして何往復も被災地を走り回った。
がれきだけでなく、被災地の方々の悲しみや不安も少しは一緒に積んでこれただろうか…
そして空っぽに見える空車で被災地へ向かうときは自分達の善意の気持ちなんかを満載して向かったつもり。
人のためになろうと思えるほど力はないけれど、少しは力を添えられただろうか…
そんな事は全然解らないけれど、自分自身は少し変われたんじゃないかと思います。
そこが一番かな。
それにボランティアに参加すると、人々の温かな優しさや強い正義感に触れ、ドライな現代社会での生活でかさついた心を温めてならしてくれているように感じました。
そんな方々に僕も少しは近づけたかな…
何れにせよここでの経験はずっと胸の中で大切にしていけたらと思う。
携わられた方や現場で関わった方々にこの場を借りて感謝をお伝えして僕のボランティアは一区切り。
Posted at 2019/12/29 22:35:37 | |
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