2018年04月21日
想い出話・・・・、人生で一番痛かった思い出。
クルマもバイクも大好きだけど・・・、痛いのは嫌い・・・・。
痛いのが好きなどと言う人は、生粋のドМの方なので・・・・、尊敬いたします。
縛り上げられて鞭で打たれ、熱い蝋燭の蝋を垂らされ・・・・。
そんな酷い目に合っても悦べる人達・・・・、真似が出来ないので素敵な事だと思います。
第3次世界大戦が勃発し、日本が北斗の拳の舞台の様な世界になっても、日々、楽しく暮らしていける人達です。
いや・・・、しかし、随分前に、ひょんな事で知り合った、SMの女王様。
SМのお店で女王様のお仕事に従事して居られると言う、現役女王様であるSさんから聞いたお話し・・・・。
たぶん彼女は源泉徴収もせずに、生活している・・・・少しケシカラン女王様である・・・。
「本物のМはそんな程度ではありませんよ。」とっ、顎をクイッと、持ち上げて女王様の風格を漂わせ、私を見下すような仕草と喋り方で仰る・・・・・、納税していない癖にやっぱり生意気なのだ。
「一番、困ったお客様は、自分の男性器のスプリットを真剣に頼んできた。」と言う。
この場合のスプリットとは男性器を縦に半分に割る事である。
もちろん、通常は医療機関に準ずるトコロで行う、手術に類する行為である。
ホントの医療機関では受け付けてくれないので・・・、あくまで準ずるである。
数度の話し合いの上、念書を取り交わし、総額110万円で仕事として請け負ったと言っていた。
たぶん、申告はしていない模様(笑)
6回に渡り、呼び出され、カミソリで少しづつ縦にカットしていったらしい。
「キャ~~~ッ! やめてぇ~~!」である・・・。
話しを聞いているだけで、キ〇玉の裏側の筋の辺りがこそばくなる(笑)
・・・、いや、こんな話では無く、私が今まで生きて来て、一番痛かった思い出である(笑)
なんで私が税金の申告もしない、SMの女王様の思い出話しをしなければ成らないのだ。
私の悪い癖で、スグに話が脱線する・・・・。
改めて、今までで一番痛かった思い出・・・・、でっ、ある。
ウチの夫人と結婚する、2年ほど前の話しなので・・・・、30年近く前の話しである。
その当時、家業の自転車店で仕事していた私、因幡屋。
元々、スポーツなどに何の興味も無く、もちろん自転車にもまったく関心がなかった。
ただ、自転車を販売するのは仕事である。
高額なスポーツバイクの販売もしてみたかった。
しかし、私にはロードレーサーなどの知識も経験も無く、販売の比重を高める事が難しい。
仕方ないので「これも仕事。」とっ、割り切りスポーツバイクに乗り始めた・・・・。
最初に自分用のロードレーサーを組み上げ、間近に開催される「100キロ・サイクルマラソン」にエントリーした。
ロードレーサーなど乗った事も無い人間が、3週間前からトレーニングしてどうなるモノでも無い。
完走は果たしたが、タイムは散々であった(笑)
・・・・でも、それで火が付いた。
楽しくなってきたのだ(笑)
それからはお店で「チーム」を作り、各種大会にエントリーを始めた。
その当時、世界一のサイクル部品メーカーである「シマノ」が年に一度、日本最大のサイクルイベント「シマノ・グリーンピアロードレース」を開催していた。
兵庫県は三木市にあった厚生年金保養施設「グリーンピア三木」を貸し切り、1周6km程のクローズドコースを設け開催されていた。
ビギナーはサンデーライダーから、上はプロクラスのレーサー迄、カテゴリーごとに分けられ出走する。
毎年、ツールドフランスで優勝したチームもやって来て、一緒に走る事も出来た。
これって・・・、今考えると凄い事だ。
バブル時代の為せる業である(笑)
3度目に大会に出場した時、「痛い」事になった(笑)
出走選手の多いこの大会、いくらカテゴリー、クラス、グループ分けをしても、一つのグループで200~300台程度の大人数で走る事となる。
私の参加するレースも300人近い人が同時スタートする・・・・。
スタート直後は団子状態・・・・。スタート後、スピードが乗り始めた、最初の下りの右回りのカーブ。
既にスピードは乗ってはいる。
直前を走る一台がこけた。
私の右には他のレーサー、前の人はこけている・・・。
避けようがない・・・、左側はガードレールだが分厚いスポンジでカバーしてある。
迷わず自分からスポンジの壁に突っ込んだ。
当然、私もこける・・・(笑)
急いで、倒れたロードバイクを引き起こし、追走しようとする。
・・・、何故か、バイクのハンドルから手が離れ、バイクが倒れる。
もう一度ハンドルを握り、バイクを引き起こそうとする・・・・、アレ?
なんか、おかしい?
左手に力が入らない・・・・。
その時、初めて自分の左手を見てみた。
腕がアラレモナイ方向を向いていた(笑)
前腕と言われる部分が、真ん中から関節でも出来たかの様に、外側に折れていた。
壁にスポンジはあったのだが、丸パイプのガードレールに載せてあっただけであった。
私は自分の体重ごと、時速40キロ近くでガードレールに飛び込み、その衝撃を左前腕部のみで受け止めていた。
・・・・・、でも、不思議と痛みは感じない。
たぶん、興奮状態でアドレナリンやら、なんやら、色々出ていたのだろう(笑)
その時、馬鹿な私は考えた・・・・「腕を真っ直ぐにしたら、走れるんじゃね。」
馬鹿なので、地面に左手を付き、右手で折れた骨を真っ直ぐに戻そうと引っ張った。
ようやく、ズキンと言う痛みが伝わり・・・、「こりゃ、無理だ。」とっ、悟った(笑)
当然、レースはリタイア。
三木市の病院でギブスを巻いて貰い、会場に戻ってその日は過ごした。
翌日、鳥取に戻ってから地元の病院に入院・・・。
・・・・、そう、まだね・・・、人生で一番痛かった思い出話しは始まってもいない(笑)
この後、始まるのだ・・・(笑)
流石に長文になり過ぎたので、続きは次回。
・・・・、文章を短く纏める事も出来ず、スグに次に持ち越してしまう。
これも、私の悪い癖なのだ・・・・・(笑)
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Posted at
2018/04/21 13:47:56
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