
メインは会津ですが、結局タイトル通りの3箇所で宿泊、今は同じ県ではありますが、元々いわきとかは茨城だった時代もあるようだし、例えれば長野県の松本と長野ぐらい違うだろうと思う
郡山は新幹線組のピックアップのために、待ち合わせ時間だと朝早く出ないといけなくて余裕ないから前泊にした、埼玉群馬あたりの酷暑(せいぜい37℃が車の温度計)を抜けて郡山は多少はマシ、人口では福島県最大の市だから結構市街地も広め、やはり白河の関抜けると東北を感じます
二日目は、ピックアップ後に会津若松で待ち合わせてして観光コース、塔のへつり、大内宿、宿のルート
塔のへつり、百万年ぐらいかけて石灰石を侵食してできた地形、距離的には200mぐらいだからほんの一部分、日本全国他にも似た景色はあるけども
大内塾を望む小高い場所から、やたらインバウンドが多いよ
宿の外の景色、紅葉の時期は混みそうだ
宿の夕食、間違いなく多すぎです
三日目、早朝散歩で宿の遠景、
鶴ヶ城は年に一度のフェスタが九月二十日にあるので、普段は出ない葵の御紋(先頭の画像)が下がっています、今回のメンバーが地元でボランティア観光ガイドをやっているというので、一部歌唱付きのガイドをしてもらいました、歴史というのは偶然が支配してるよね、松平家が会津をおさめてなかったら戊辰戦争の構図もまるで変わっていたのだろうから
その後蕎麦食べて、郡山駅まで送って、その後はいわきに移動、この程度の距離ならどちらも高速は不要だからずっと49号利用、いわきは福島県第二の都市規模の都市だから街もそこそこの賑わい
四日目、まず小名浜港、道の駅で桃買って、アクアマリンには寄らず、
石炭化石館ほるるへ、ほるるは石炭掘るとかの意味なのかな、常磐炭鉱の歴史と恐竜展示館ですね、炭鉱は日本にこんなにあったの図
坑内の労働は過酷の一言(3Kどころじゃないレベル)、男も女も高温と高湿度で半裸での作業、それでも体温上昇するので水風呂が用意されていたようです
また、ガスや粉塵の爆発事故で過去数百人単位で亡くなった事故もあるから、救護隊員は酸素ボンベ背負ってます
また空洞ができるとそこが圧力で崩落するからメンテナンスも必須、
昭和天皇は昭和二十二年に常磐炭鉱の坑内に入って、作業員を激励した歴史があると、その時に詠んだ詩が石碑になってます
昭和三十年ごろの洗濯風景、わずか七十年前の日常の景色はこんなもんだった、
結局、ここが工程中で一番興味深かったな、
いつものトリップメモ
次のロングトリップは来月末の九州行き、
Posted at 2025/09/20 17:39:38 | |
トラックバック(0) | 日記