
残念でした。
準備期間が短かったのかもしれません。
メディアの取り上げ方に、偏りがあったのかもしれません。
私の応援や、支持を広げる力が足りなかったのは事実です。
変化を恐れ保身を図る人々、お金で幸せを量ろうとする人々、「平和」「反原発」を唱えれば自分の身は守れると盲信している人々、南無妙法(ryを唱えれば幸せになれると思っている人々、テレビや新聞の報道は正しいと信じている人々。
残念ながら、日本の首都東京にも、まだまだこのような人々がたくさんいたようですね。
しかし。
悲観しているだけでいいのでしょうか。
日本を愛している人々に、光が射し始めている予兆を感じているのは、私だけではないと思いますす。
種は蒔かれました。あとは、土壌を豊かにしつつ、水を掛けて芽を出させ、深く根を張り、大きく葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶ。そして、その種がまた芽吹き・・・。
与えられた情報だけでなく、取捨選択する環境と能力を持つ若い人たちが、これからの日本のあるべき姿を模索しつつ、前を向いて歩いていく。
そのために、私たちにできることがあるはずです。
私は、小学校の教員でした。
十数年間勤めて、結婚退職・県外移転して、早八年が経とうとしています。
新採の時「社会党を応援したくないから」と、日教組への加入を拒みましたが、「もっと給料をアップさせるため」「組合員の生活を守るため」「教え子を二度と戦場へ送らないため」「先輩方が築いてきた権利を守るため」と説得され、(給料は十分に高いんじゃないの?)(自衛隊の皆さんに失礼な)(だけど、組合費を払わずに権利だけを享受するのは卑怯だな)と、一味になってしまったことは反省していますw
でも、「君が代」は誰よりも声高らかに歌い、式典では指揮者や伴奏者もよく務めました。
数年前、教え子の成人式に呼ばれ、久しぶりに帰った故郷で思いもかけない嬉しい言葉を聞きました。
「先生、おれ、また靖国神社へ行ってきたよ」と。
時は、小泉首相の靖国神社参拝が大騒ぎとなっていた頃。
修学旅行のグループ学習で、子供たちを靖国神社へ引率しました。
もちろん、子供たちが「どうしてそんなに大騒ぎをしているのか、行ってみたい」と希望したからです。隣のクラスの学年主任(赤旗新聞読者。いい人です)に相談すると、絶句していました。学年全員でいくコースには、主任お奨めの水爆実験の被ばく船第五福竜丸がしっかり入っていましたが。
事前に、靖国神社のことや先の大戦(大東亜戦争)について学習しました。
学校採用の教科書だけでなく、「新しい教科書」や資料でも学びました。
「先生が子供の頃は、日本は戦争を始めた悪い国で、迷惑をかけた周りの国に謝らなければならないんだって教わったんだよ」
「でも、みんなのご先祖様は、本当に悪い人たちなのかな。本当に、戦争をしたかったのかな」
そよ風に大樹が揺れ、木漏れ日が優しく差し込む中、靖国神社は穏やかに静かに迎えてくれました。
年配の方が数名、参拝されていました。
子供たちも、弐礼弐拍手で、ご英霊に訪問の挨拶をしました。
まるで、マスコミからは悪の要塞のように報道されている靖国神社を自分たちの目で見て、「静かでいいところじゃん」と微笑む子供たちを、愛おしく思いました。
謝っても謝っても許す気配もない隣国や、自国のことを悪く言う政治家やマスコミに不信感を持つことに、時間はかかりませんでした。
日本には日本にしかない佳さがたくさんある。世界で唯一、どこの国にも占領されず一王朝を守ってきた日本。その中で培われた美徳と高い精神性。素晴らしい伝統や技術。
この国に生まれ育ったことを誇らしく思い、歴史や文化、伝統を継いできた先人に敬意を持つことは、生きていくうえでの大切な土壌になるに違いありません。
「○○先生さ、よく授業脱線して、いろんな話をしてたね」
「そうそう、プロジェクトxのビデオとか、よく見せられた」
「でも、そんなことばっかり、覚えてるんだよな」「先生、感動して、しょっちゅう泣いてたしな」
「おれら、飲んで集まる時、6年生の時の話ばっかりするぜ。楽しかったって。他のクラスの奴まで」
「あの時、よく靖国神社なんて連れていったな。普通、教育委員会に叱られるっしょ」
子供たちの明るい瞳が、私にとっての誇りです。
今は仕事として子供たちに関わることはできないけれど、何かの形で役に立ちたいと思っています。
長々と自分語りをして、お目汚し失礼いたしました。
おわりに、今回の田母神俊雄氏を応援するサイトを開設した管理人様に、敬意と感謝の気持ちを込めて、転載させていただきたいと思います。
心臓を捧げよ田母神俊雄、東京そして日本の未来のために。tamogami2014.com
第24話 願いと鎮魂
1月18日から細々と続けてきたこのサイトも、もうじきお役目を終えようとしている。
せめて投票箱が閉まるまでと思いつつも、果たしてどれだけの声援になっているのかはわからない。
間もなく運命の瞬間を迎えようとしている訳だが、せめて最後くらいは自分の事も少しだけ書かせて頂こうと思う。
田母神さん(初めて敬称で記すが、普段は私自身「田母神さん」もしくは「幕長」と呼んでいる)ほどではないかも知れないが、私たちも靖國には個別に共にと、毎月の如く訪れている。
社頭掲示の「英霊の御遺書」や、天皇/皇后両陛下の御製や御歌を目にしたり、昇殿参拝せずとも通りすがった際に僅かばかりのお賽銭を投じて手を合わせる。
私たちは都外の人間なので、自らの一票を投じる事もできない。
せめて何か出来ないものかと綴ってきたのがこの「tamogami2014.com」だった。
都知事選投票日の昼下がり、天候が穏やかになってきたこともあり
今日こそ行かねばとふと思い立った。
参内前の手水もいつもより冷たい、それでも束の間、身が引き締まる。
いつもは誓いを立てるために訪れる靖国神社で初めてのお願い事をしてきた。
休日の参拝時には帰りにいつもの境内脇の茶屋を訪れ、ここの焼き鳥をつまみにワンカップを頂くのが密かな楽しみだったりする。
崇高な精神だけではない、靖國にはそういう世俗を受け容れてくれる懐の深さもある。
通いはじめたばかりの頃には怪訝そうな顔をしていた屋台のお父さんとも、今ではすっかり顔なじみになった。
「また来ましたよ」
「今年は初めてかい」
「ううん、今年はここ2度目」
「俺が木瓜ちまったのかな」
「そんなことないって」
茶屋に勤めて今年で40年になるお父ちゃん、聞けば私の父親と同い年だという。
今日はそれだけでなく、昨年に初めて耳にしたハーモニカ吹きのお父さんとも談笑する機会があった。
これまではなんとなく見聞きしているだけだったのだが、演奏後にラーメンを注文してストーブ脇で暖を取りながら頂こうとするお父さんに
私たちが座っていたストーブ真横のテーブルを空けてお招きしたのがきっかけになった。
聞けばかれこれ15年、潜水艦乗りだった伯父さんとの約束という事で吹き続けているらしい。
職人をしながら暇の折に、靖国の片隅で時には英霊に捧げるべく、また時には自らの意志が30年後、50年後にも繋がっていけばいいと思いながら吹いているのだという。
色々な話を聞かせて頂いたが、片言隻句のひとつひとつが印象に残った。
上手くまとめられない己の文章力に悪態をつきながら、聞かせて頂いた言葉をいくつか紹介したいと思う。
「今回の選挙はね、出てくれた事が何より嬉しいよ」
「誰に入れたかって?聞くまでもないよ」
「ここ数年は、靖国の参拝者も寂しかったよ。
特に民主党の頃はひどかった。
けど、(総理が)安倍さんになってから変わった。特に、若い子が増えた」
「あの小説、そう、『永遠0』。あれの影響なんかもあるんだろうね」
「吹くのは英霊の鎮魂になればと思ってね、『月の砂漠』なんかの抒情歌や『ふるさと』なんかの童謡も吹くんだけどね。
軍歌もたまには演るけど、戦地で気持ちを高揚させるよりも、故郷を離れて戦地に赴いた時の気持ちを思うと、そういう選曲になっちゃう」
「最近は母子連れの参拝客も多いんだけど、童謡なんかはわからないみたいだよね。
それでも、なんで僕がこうして吹き続けているのか。
今は分からなくてもいい、けど、20年か30年、もしかしたら50年かかるかも知れないけど、いつか分かってくれればいいなと思ってね。
それで最近は、今どきの子向けに譜面を買って練習なんかもしてるんだ」
「ミッキーマウスとか、あと、あれだ。アンパンマン。それと、ディズニーの有名なやつ。
エレクトリカル・パレード?そうそう」
私がお父さんのハーモニカに立ち止ったのは、今から一年前の事だった。
靖國の庭で『アメイジング・グレイス』が流れて来たのが印象的だった。
当時の映像は今でも私の宝物だ。
なぜ、靖國でアメイジング・グレイスなのか。
以前から抱えていた質問を、お父さんに尋ねてみた。
そしたら、お父さん曰く「亡くなった魂には要の東西は関係ないんだ」という。
いつか戦争がなくなってほしい、そう思いながら吹いている。
だから僕は「君が代」だって「アリラン」だって吹く。
あなた(=私)が気に入ってくれた「アメイジング・グレイス」だって一緒なんだ。
そういうことだった。
ハーモニカを吹くときは無心で奏でているとのことで、御自身の演奏は
ほとんど聴いたことがないんだという。
たまたま一年前の映像をご覧にいれたら、お父さんは少し照れくさそうにしながらも
「一生懸命、吹いてるよねえ」と一言。
私も思わず、深くうんと頷いた。
毎回お目にかかれる訳ではないが、意気投合をこの場限りにするのも忍びなく
お互いの電話番号を交換し合って茶屋を後にした、
今度はワンカップの仲間を誘って、また訪れようと思う。
さて、その一年前の「アメイジング・グレイス」だが以下の動画になる。
この数週間、縁あって本サイトを訪れて下さった皆様への、私からの御礼も兼ねて
アップすることにする。
鎮魂には、洋の東西など存在しない。
逝きし者を悼む、ただ、それだけだ。
それが解るのが今回の東京都知事選においては
田母神さんしかいないし、だからこそ私はこれからも
田母神さんを応援したいと思っている。
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Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか
Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった
The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.
主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り
Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.
そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.
やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ
When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.
何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう
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