みんカラ運営事務局様
この度は、お手数をおかけして、申し訳ございませんでした。
でも、今度は大丈夫ですよね。
「安心してください。履いてますから」
・・・ダメ?
今朝アップしたブログに「イイね!」を付けてくださった、早起き&お茶目な皆さま。
残念ながら、先ほどのブログは、即効で削除されてしまいました。゚(。ノωヽ。)゚。
吹石さんのCM画像も、
「安心してください。履いてますから」。
あっ。
もしかして、安村さんの画像も削除対象要項に抵触しているのかしら。
「履いていても・・・?」
簡単に消えない!とにかく明るい安村にあって8.6秒バズーカーにないものとは?
アサ芸プラス 2015年9月30日
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150930/Asagei_44132.html
「安心してください、履いていますよ」のネタで人気の芸人、とにかく明るい安村が9月25日、東京のソフトバンク銀座で「iPhone 6s」を購入。さらに発売記念セレモニーにも参加し、「子どもの写真を撮ったりしたい」と嬉しそうな笑顔を見せた。
このように大企業の発表会にも起用されるなど、もはや一発屋のレッテルも剥がせそうな売れっ子ぶり。そんな安村がウケている理由を、お笑いに詳しいライターはこう語る。
「彼の芸には一発ネタやリズムネタの要素もありますが、実は話芸としての要素も備えています。リズムネタ芸人の多くはトークが苦手で、ネタを披露し終えると手持ち無沙汰になりがち。ところが安村はトークもこなせるので、発表会のゲストにもピッタリなんです」
発売記念セレモニーでも、新色のローズゴールドを見て、「ボクのパンツと一緒の色。奇跡ですよね!」といったリアクションを見せるなど、話を膨らませる話芸を披露していた。そんな話芸の源泉は安村が打ち込んでいたものにあると、前出のライターは説明する。
「安村はベンチ要員ながら甲子園にも出場した
元高校球児。実は
野球部出身の芸人には、トーク上手が多いのです。チームスポーツの野球では、
部員同士の密なコミュニケーションが大事。試合中もお互いに声を掛け合ったり、細かいサインのやり取りが必要です。なにより打席では相手バッテリーとの駆け引きが重要。
こういった要素が軽妙なやり取りを生む土壌になっているんでしょうね」
たしかに野球部出身の芸人は少なくない。
千鳥の大悟や
ピースの綾部祐二、そして
バカリズムや
スギちゃんも元高校球児だ。そんな野球部出身者にはもう一つの長所があるという。
「それは
忍耐強さです。野球に限らず、
体育会出身者はキツい練習に耐える体力と精神力が鍛えられており、少々のことではへこたれません。またスポーツには負けがつきもの。
笑いがウケずに滑っても、それを負けとして潔く受け止める覚悟ができているでしょう」
もちろん、野球部出身の芸人が全員成功するわけではないが、野球経験がお笑い芸人にとってプラス要素になっていることは十分にありえそうだ。
(金田麻有)
TIM、ジャンポケ・斉藤、千鳥・大悟…「元高校球児」芸人たちの栄光と挫折
アサ芸プラス 2015年7月29日
http://www.asagei.com/excerpt/40354
甲子園出場を目指し、全国で地方予選が開催中のこの夏。お笑いの世界でも、その青春を高校野球に打ち込んだ者たちが活躍を見せている。
人気急上昇中の「
とにかく明るい安村」は、1999年に北北海道・旭川実業高校の控え投手として甲子園に出場。試合には出場できずにベンチを温めていたものの、伝令としてマウンドまで駆け寄ったという経験を持つ。
その安村は左投手で、現役当時より25キロ太った現在でも低めに制球された球を投げることができるようだ。今では「安心してください、履いています!」のネタでおなじみだが、ほかにも高校野球講座という持ちネタもある。ただ、元球児らしいディテールへのこだわりが災いし、細かすぎて伝わらないのが難点のようだ。
同じく控え投手だったのは
TIMのレッド吉田。京都・東山高校で1983年に夏の甲子園に出場している。吉田の場合、コンビ結成のきっかけが甲子園だったのが興味深いところ。というのも相方となった
ゴルゴ松本も三塁手の控えとして、1995年のセンバツに埼玉・熊谷商で出場していたのである。
吉田と松本の2人はそれぞれ芸人を目指して上京し、偶然にも同じアパートに住むことになった。後から入居した吉田が隣室に挨拶に行ったところ、松本が室内でトレーニングしているのを目撃し、お互いが高校野球出身と知って意気投合したという。まさに野球が繋いだ縁だと言えよう。
後のプロ野球選手と一緒にプレーしていたのは、千葉・八千代松陰高出身の
ジャングルポケット・斉藤慎二。1年生だった1998年に控えの外野手として夏の甲子園に出場しており、この時のエースが多田野数人(日ハム)だった。また、一回戦敗退の相手はPL学園で、当時のエースが上重聡(日本テレビアナウンサー)だったのも注目ポイントのひとつだ。
最後に紹介するのは、甲子園に届かなかった球児のエピソードだ。千鳥の大悟は、岡山県・笠岡商に野球特待生として入学し、正遊撃手を務めていたが、最後の挑戦となった1997年の岡山県大会では6-7の僅差で予選敗退。この試合で大悟は極度の緊張に襲われ、自分のグローブが他人のものに感じるほどの混乱状態に陥っていたという。
そのため簡単なゴロさえ上手く捕球できず、しまいにはゴロに体を当てていって止めたのだとか。最後は4エラーという屈辱的な結果に終わり、野球生活に終止符を打つことになった。今でもこの経験を人生で最も熱くなった瞬間として記憶しており、その悔しさが芸事の精進に活かされていることは間違いなさそうだ。
(金田麻有)
※元コンビ「アームストロング」の相方、栗山直人さんは少年野球からのチームメイト
※アメトーーク「高校野球大大大大好き栄冠は君に輝くSP」で、監督は「安村、行ってこい」と指示、時間を置くのが目的で、何を伝えるかは言われていなかったことも告白。安村は「だから、『きょう、夜メシなんだろうなあ』『ハンバーグらしいぞ』とか(関係ない会話してた)」と伝令の内容、「伝令として3回ぐらいグラウンドに行きました」と甲子園出場記録だったと話した。当時の映像も公開された。
とにかく明るい安村/全裸に見えるポーズ@アブナイ夜会
米ばっかり食べると、痩せない ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ ナカーマ
乳首ガマン・・・ ヽ(≧∀≦)ノ キャハ
笑点 とにかく明るい安村 2015年9月6日 - YouTube
このブログも削除されちゃうのかなあ・・・・ドキドキ・・・・(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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Posted at
2015/10/01 09:10:00