だれか、バシっと言ってやる人はいないの?
このままだと、次の縁談は難しくなるよ。
カウンセラーでもセラピストでも、こうなったら占い師でも自己啓発セミナーでもいい。
いっそのこと、凄腕のホスト、AV男優の出番かしら。
小室圭と眞子さんの結婚。
ダメに決まってるでしょ、あり得ない。
その一言で終わりのはずなのに、いったい、何をモタモタしているのかしら。
あのバカバカしい文書、「借金じゃないもーん」なんて幼稚で勝手な言い訳をわざわざ発表して、
何か進展すると思っていたなら、本当にバカね。
誰が納得する? それで問題がクリア―すると思った?
「眞子さまとの結婚の確率が上がるなら・・・」
そんな気持ちで世間に発表したんですって。
なにその「確率」って認識・・・?
宝くじが当選する確率が上がるとか、株価が上昇する確率とか、
出逢いの確率が上がるとか、妊娠の確率が上がるとか、
欲望まみれの、その感覚。
ほんとに大事に思っている人なら、その人が本当に幸せになることを考えられるはず。
金づる、としか思っていない。
付きまとって、なんとか金銭やコネを手に入れようとしか考えてない。
あなたが手を出した、あなたがオトシタと思っているその女性は、
ただのセレブではないのよ。
生まれながらにして天皇家に連なる皇族、将来の天皇陛下の娘であり、
未来の天皇陛下の姉。
生まれながらにちゃんと役割をもっている人。
汚してはいけない人。
高円宮絢子さんの結婚相手、 守谷慧さんの高感度の高さ、安心感とは比べモノにならない格差。
人柄、家柄、職業、皇族のお母様の紹介・・・。
女王との婚姻で、皇室との縁を利用しようだなんて卑しい魂胆は皆無。
経済的にも安定しており、いわゆる上流階級同士、親族や周囲の人たちと釣り合いのとれた落ち着いた生活を送るであろうと安易に想像できる安心感が、お二人の婚姻をふさわしいものだと思わせてくれる。
それなのに、天皇陛下の初孫である内親王が、あんな頓珍漢な結婚詐欺師のようなチンチクリンな相手と、家族や宮内庁、国民のほとんど全員が反対しているのに、結婚を止めようとしないなんて。
降嫁するときに国から貰う(税金ね)1億6千万円を当てにして、皇室のブランドを利用して生活していこうとする気マンマンな男なんて、本来なら近寄れもしなかったものを。
今朝は、こんなニュースも・・・orz
小室圭さんの母・佳代さんに脱税疑惑…税務調査の可能性も
女性自身
2/12(火)
* * *
こんなことになってしまった原因は、
・雅子さんが愛子さんの障害を受け入れられず、学習院を信頼せず伝統や校風をめちゃくちゃに破壊してしまい、さらに小和田氏の影響で学習院が支那朝鮮に汚染されてしまったことから、秋篠宮家のお子さんが学習院へ進学できなかったこと
・学生結婚された「幸運なご両親」が、ご自分たちの成功体験を元に甘い性善説で娘さんの自由を尊重し、ろくでもない男に付け込まれてしまったこと
・眞子さん自身に、本当の意味での皇族としての自覚、覚悟がなかったこと
・皇室全体がGHQの日本弱体化政策に沿い、神威、権威、本来のあるべき姿を見失いつつあること
ある意味、皇室の危機、日本の危機をはっきりと目前に晒してくれたことは、むしろ、有難いことなのかもしれない。
まだしつこく結婚を諦めようとしない「圭&眞子」と、非常識極まりない「圭の母」の動向は気になるけれど、国民から祝福される婚姻はもうあり得ないことは確定している。
だから、あとは眞子さんに対しての冒頭のコレラ。
だれか、バシっと言ってやる人はいないの?
このままだと、次の縁談は難しくなるよ。
カウンセラーでもセラピストでも、こうなったら占い師でも自己啓発セミナーでもいい。
いっそのこと、凄腕のホスト、AV男優の出番かしら。
まだお若いのだし、ほとぼりが冷めた頃いいご縁談があるかもしれないし、
なんだったら、結婚にこだわらず未婚のままでもいいわよね。
「斎宮(さいぐう)」という、歴代の伊勢神宮に奉仕する皇女また女王のお役目もあります。
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さて。
大鶴義丹 さん て、ご存知ですか?
大鶴 義丹 (
おおつる ぎたん、1968年4月24日 - )は、日本の俳優、小説家、映画監督。本名、大靏 義丹(読み同じ)。 ケイダッシュ所属。
父は劇作家であり、芥川賞作家の唐十郎。母は在日朝鮮人俳優の草分け的存在である舞台女優李麗仙。先妻である歌手・女優のマルシアとの間に長女がいる。
大鶴義丹 - Wikipedia より
この方のコメント、コラムが、キレキレですごい!
歌手のマルシアさんとの離婚騒動で「残念な男」だと思って以来、全く気にしていなかったし、小説も読まないし、テレビやドラマなどで見かけることもなかった人だけど。
今回、小室圭騒動に関するコラムを読んで、皇室の本質に迫った着眼点なのに、感心しました。
そのコラムをご紹介する前に、不倫に関するコメントも秀逸なので読んでみてくださいd(^-^*)
あえて大鶴義丹に聞く!「どうしたら不倫はなくなりますか?」
女性自身
2016年5月5日
今年に入ってから、不倫、不倫と世の中は“道ならぬ恋”一色感が……。’04年、元妻マルシアさんとの別居中に自宅で女性と妻が遭遇する「元祖・鉢合わせ」をして離婚。涙ながらに会見を行い謝罪した俳優の大鶴義丹さん。’12年に再婚し、「もう浮気はしません」と宣言するほどの幸せをつかんだ。でも、あえて本誌はお聞きします。“義丹さん、どうしたら不倫はなくなりますか?”。
「そんなこと僕に聞かないでよ~(苦笑)。でもね、この取材の話が来てから、僕は1週間ずっと考え続けたんです。
不倫がなくなるにはどうしたらいいか?僕も昔、去勢をして宦官になったほうがいいかと思ったこともあるよ(笑)。エネルギーを性欲に使わずに知能にだけ使えるしね。
それでもね、女性に伝えたいのは、30代の男って、ほんとしんどいし辛いんです。20代ほど若くないし、かといって40代以上の大人の説得力もない。仕事の面でもそうだし、家庭を持っていてもちょうど子供が生まれてセックスレスになる時期。妻は子育てで忙しく産後クライシスを迎えるのもこの30代なんだよね。
それで、考えに考えぬいて僕は1つのキーワードを見つけたんです。
それは『ギブアップする!』ってこと。仕事で追い詰められてダメになる前に、夫婦関係が壊れてしまう前に、ギブアップしましょうって言いたいんだよ。
僕ら日本人男性って、『もう無理』と助けを求められない。性生活だけじゃなくて、生活全般において妻に弱音を吐けないことが、よけいに夫婦関係をこじらせ、夫が不倫に走ってしまう原因になる。男って、元気で勢いがあるときにあまり不倫はしない。弱っているときに、ついつい恋愛対象のハバが広くなって、悪縁ができちゃうんだよ~。
今振り返ると、前妻のマルシアには申し訳なかったなという思いと、感謝の気持ちがある。離婚後も僕はずっと娘にも会わせてもらえていたし。当時幼稚園だった娘が今では大学生。僕の家にも泊まりにくるし、今の妻とも友達として接してくれている。そんなことも含めて、感謝なんです。
今の奥さんともフツーに問題はあるよ。でも、奥さんにギブアップできる男になっちゃったんです、オレ(笑)。
楽ですよ。ダメなところを認めて、無理なことは無理と、男も女もみんなギブアップすれば、すべてうまくいくはずですよ」
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私の大鶴義丹さんへの印象は、マルシアさんとの泥沼離婚で止まっていたけど、
その間にいろんなことを乗り越えて再婚したり、娘さんとうまく付き合ったりしていたのですね。
「婚姻関係」とか「倫理観」とか上っ面のきれいごととはちょっと違う、男と女、人間の本能と理性のせめぎ合いから、「自分なりの心の持ち様」を見つけていたことに、ちょっと感動しました。
さすが小説家、映画監督さんです。
次のコラムでも、正論が炸裂しています。
大鶴義丹 それってOUTだぜ!
『小室家金銭トラブル報道』への違和感 醜聞が出ること自体「バチ当たり」
zakzak 夕刊フジ
2019.2.5
秋篠宮家の長女、眞子さまと婚約が内定している小室圭さんの家族金銭トラブルについて、一部メディアが解決に向かっていると報じている。
先月、こうした金銭トラブルについて、小室家側が「ほぼ解決済み」と主張したことに対し、小室家に金銭的支援をしたとされる男性は「トラブルは解決していない」と反論していた。それが何とか好転しそうな雲行きのようだ。
しかし、
一連の「醜聞報道」に、心底うんざりしている方も多いのではないだろうか。
最初に定義しておくが、この一連の報道は
芸能人や政治家のスキャンダルとは、根幹的に問題の次元が違う。だから
ワイドショーなどで中途半端に軽々しく扱われてしまうことに、とても違和感を覚えてしまう。
小室家側は、皇室というものの意味を、本当に理解しているのであろうか。世俗的セレブか何かと誤解しているのではないかと心配になる。
英国王室のロマンスなどが華々しく話題になるが、それと日本の皇室とはシステムや成り立ちそのものが違う。
まず「最初の最初」の話として、
皇室とは何なのであろうか ということを、ほとんどの方が意図してか、または無意識なのか、一切を忘れたかのように話を進めていることが大問題だ。
そもそも、
天皇の血統と始まり自体、日本神話の時代にまで遡(さかのぼ)り、「古事記」や「日本書紀」などに登場する神武天皇とは、神様である天照大神の子孫であるという話からすべては始まる。
それを信じる信じないにかかわらず、神武天皇が天皇に即位して以来、現在まで天皇家が断絶せずに、万世一系として続いてきたことが、皇室の由来なのである。
その聖なる血統を守り、脈々と受け継いできた天皇家の人々は、故に人として生まれながらも、日本民族の永世を象徴する特別な存在なのである。
もちろん
神武天皇の存在自体が神話的なものであるという歴史的見解や
戦後にGHQが行った天皇陛下の人間宣言なども踏まえて、そういう社会的システムそのものを否定する方や、急進的な制度改革を提唱する方もいる。
しかし多少リベラルな素養もある私でさえ、
皇室とは、神様の末裔(まつえい)であり、一般国民とは違う高次の存在であるという「世界観」の上で話を進めないと、皇室に関する話そのものが成立しないと理解している。
開かれた皇室という流れもあるが、私は皇室とは、逆にもっと「神々しい」ものであって、閉じられていてよいと思う。逆にそうでなければ、そもそも論に話が戻ってしまう。
多くの方が神社などに行くと感じる、神秘的な気持ちや、人知を超えた荘厳さ。そういう「世界観」を皇室は強く持ってよいと思うし、それが大事な社会的機能であると思っている。
そういう聖なる領域において、中古ベンツの売値程度の金銭トラブルなどの「醜聞」がウロウロするということ自体、
タブーを通り越し、「バチ当たり」なのである。
世の中というのは、ほとんどが、くだらなくて、卑猥(ひわい)で、下世話なことに満たされている。そういう世俗的な事象を超越した存在としての皇室だからこそ、その存在を多くの国民が求め、精神的な支柱となっているはずだ。
いよいよ平成も終わるが、
平成という時代の軽薄さを、どこか象徴するかのような話である。
■
大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画「首都高速トライアル」で俳優デビュー。90年には「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。
主な出演番組は「アウト×デラックス」(フジテレビ系)など。2月21~24日に脚本と演出を担当する舞台「小鳥の水浴」を新宿シアター・ミラクルで上演。
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今まで週刊誌や新聞の記事などで読んできた文章の中で、いちばん的を射ていて、まっとうな論だと思いました。
皇室とはなにか。
国民の皇室への思い、距離感。
最後に、平成皇室の軽さにまで触れていて、「やるな~」と思わず声をあげてしまいました。
* * *
大鶴さんは、若い頃から、ずっとバイクに乗っているのだそうですね。
わたしはスクーターとスーパーカブにしか乗ったことがないのだけど、バイクにも興味がわいてきました。
50代に突入した文学者、大鶴義丹
ahead
2018年 5月号
aheadのコラムで振り返る彼との12年
大鶴義丹がaheadに連載を始めたのは2006年9月(vol.41)のことだ。
当時、38歳。「いい大人が『遊び』でバイクに乗り続けることは道楽ではなく決意だと思う。そんな自分であり続けようとする洒落心とも言える。
だが、それがそこらのファッションとは絶対的に違う部分は、とても『危ない』ということだろう。だから本当に『危ない』ことにならないように才能と努力が必要とされる」 第1回目のコラム(当時のタイトルは「フルバンクで候」)でこう記し、すでにバイクに乗るということの本質を表現している。本当のバイク乗りなら、誰もが痛感していることであろう。
8年後のコラム(2014年2月号 vol.135「Rolling 40’s」)では「バイクは気持ちが良いから乗っているのではない。バイクに乗らない自分が許せないから乗っているのだ。または反対に、バイクに乗っている自分に安心できるから乗るとも言えるだろう」と書いている。
そして50歳になった今も、彼は相変わらずバイクに乗っている。
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大鶴義丹はバイク乗りとして筋金入りである。16歳でバイクに出会い中古のヤマハDT200Rを手に入れ、オフロードにハマり、多摩川の土手や丹沢の林道を走り回る。クルマに寄り道もするが、ホンダCB750Fでバイクにカムバック。その後、スズキ隼(GSX1300R)を衝動買いし、改造にのめり込む。その没頭のしかたは半端ではない。ノーマルでも最高速が時速300㎞を誇る世界最速のバイクの、なんとクランクにまで手を入れていたのだ。
「20代、30代、男の行動原理は分かり易い。そこにあるのは覇権のみである。出来る出来ないに関わらず全てのモノを手に入れよう。すべてのモノを飲み込んでしまおうと悪戦苦闘する。そのためには仲間も利用するし、犠牲だって恐れない(2014年5月号 vol.138「特集・45歳からの原点回帰」)」 彼自身がかつてこう語るように、マシンの性能を極限まで突き詰めることにのめり込んだ。

ところがそんな彼が次に買ったのはスズキのバンディット1200。油冷とはいえ、ネイキッドだったのだ。それが2006年のこと。大鶴はこの頃に、当時はまだコンプリートバイクの企画制作の仕事をしていた弊誌前編集長の神尾と知り合う。「必要性が感じられないなら改造はしない方が良い。改造によって失うものも多い。それより、大事なのは整備を怠らないこととセッティング(アジャスティング)だ」 それが昔から神尾の一貫した考え方で、神尾のこういう考え方に多少なりとも影響を受けたという。彼はこのバンディットでサーキット走行に勤しむようになる。
本人の見解はいざ知らず、この辺りが彼にとって一つのターニングポイントで、大鶴の思考は外ではなく、もっと自分の内側に向かって行った。そんなふうに思える。
そしてさらに大きな意味を持つこととなったのが彼の監督作品、映画「キリン」だ。原作者の東本昌平と言えば、バイク乗りにとってはカリスマ的存在である。その彼の作品を映画化するのは相当に大きな挑戦であり、リスクであったはずだ。批判は覚悟の上、であったろう。
しかし結果として、この作品は世のバイク乗りに受け入れられ、この作品によって、彼はバイク乗りの中に一つの確固たるポジションを築いた。映画のサブタイトル、「POINT OF NO RETURN」はそのまま彼の覚悟を示すもののように思われた。
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そして今、大鶴はまたオフロードバイクで遊んでいる。本人曰く「理由などない。ある日目が覚めたら、居ても立ってもいられなくなったのである」 これこそ彼の原点回帰であろう。オフロードとは「冒険」ということと無縁ではない。
先日、編集部を訪れた大鶴はこう言った。「オフロードはね、はったりが効かないんですよ。どんなにバイクがよくったって、その人の技量が一発で出る。そういう仲間と遊んでるのが楽しいんです」
相変わらず、筋金入りのバイク乗りであることは変わらないが、50歳になり、彼も少しずつ変化していることを感じる。これまでのようにどこかに向かって突き進むというよりは、今のこの状態を維持しようとしている、といえばよいだろうか。本当にバイクを楽しもう、そんなマインドになっているように思える。
インカムを使ってツーリングに行くなど以前の彼なら考えられなかったが、前々号(2018年3月号 vol.184)のコラムでは「バイクは己との対峙であり、それをペチャクチャ話しながらなどとは、笑止千万というような孤高の精神を持っている方もいるかもしれない。(でも)もうそういうのは面倒になってしまい、とにかく楽しいことだけを貪欲に追求していきたいと思っている」と記している。

12年に渡る彼との付き合いの中で思うのは、彼はやはり文学者である、ということだ。若さで突っ走る時には極限まで突っ走り、反発すべき時には反発し、受け入れるべきことを受け入れて、常に自分の人生の物語を描いている。
50代。これが数十年前ならそろそろ現役を引退、そんな年齢であったろう。しかし今は、そう簡単には引退などさせてはもらえない。生涯現役を強いられる時代なのである。
「50代、どうしますか?」 そう問いかけると、「いやぁ、難しい時代ですからね。いかに生き残るか、ですよ」 彼はちょっと笑って、冗談めかしてそう言った。
大鶴義丹の50代。彼がどんなストーリーを描いていくかはまだ分からないが、これからもバイクが大きな位置を占めることは間違いないだろう。
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「本当のバイク乗り」、な方なのだそうですね。
今回のコラムを発見してから、大鶴さんの文章とバイクに、興味津々です(^-^*)
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Posted at
2019/02/12 08:14:43