
📸:クワガタかと期待したのに犬だった🐕愛犬家の方には朗報ですね♪
皆様、この度の地震の被害は大丈夫でしょうか?
これ以上の被害が出ませんよう、また一人でも多くの方が救助されますように。
さて、前回の後編を1週間以内にアップすると書きましたが、大幅に遅れてしまい、楽しみにお待ちくださってる方には申し訳ありませんm(__)m
ミニクワが「やっぱりというか何と言うか1週間以内のアップは無理だったな」と呆れてるけど

何度見ても本当に小さいな☆
この過去記事
https://minkara.carview.co.jp/smart/userid/1033468/blog/48563138/
で少し触れた耳管開放症が再発し、またブログどころじゃなくなってました。
前回より酷く、耳に膜が張ったような気持ち悪さに自分の声が耳の内側に響く不快感があり、話す度にそんな状態なので静かにしていたら今度は呼吸音が響いて何しても集中出来ない。
水分を多めに取ったり時間経過で落ち着いたけど、主治医さんによると耳の内部にテープのような物を貼るという想像だけでもキツイ治療法があるみたい…
約1年間、何もなかったから油断してたけど、再発を繰り返すならこの手術も考えないといけないのかな。辛いものがあるなぁ
と嘆いていても仕方ないので後編の始まり始まり(*’ω’ノノ゙☆
2ヶ月以上前の遠征の内容ですが、式典関連は添える程度で、ほぼ常設展の紹介なので三笠艦レポートとしてご覧くださいませ(*-ω人)
何年かぶりにやってきました戦艦三笠\(^o^)/

日本海海戦121周年を記念し満艦飾されています。
戦艦三笠について
三笠は対ロシア軍のためイギリスで建造された敷島型戦艦の4番艦で、同型艦に1番艦「敷島」2番艦「朝日」3番艦「初瀬」があります(敷島と朝日については後述)
また、三笠はイギリス海軍「ヴィクトリー」アメリカ海軍「コンスティチューション」と共に世界の三大記念艦と呼ばれています。
1904年からの日露戦争で連合艦隊旗艦(指令を出す司令官の乗る艦)を務め、日本海海戦時の司令長官は東郷平八郎大将でした。
上の銅像を後ろから
戦闘では旅順口閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦などに参加しましたが、1905年5月27日~28日、ロシア海軍バルチック艦隊を相手に大勝利を収め、ドラマ「坂の上の雲」(放送時は来艦者も大幅に増えたよう( ノ^ω^)ノ)にもなった日本海海戦が1番有名でしょうか。
東郷大将の訓示「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」も有名ですね。全軍の士気を高めて勝利したことから、その後もZ旗の掲揚が慣例化したようです。
同年9月、三笠は佐世保港内で弾薬庫の爆発事故で沈没、翌年8月に引き揚げられ2年をかけて修理工事が行われます。
1908年4月に旗艦として復帰すると、同年9月には後の大正天皇となる皇太子嘉仁親王の御召艦を青森港~大湊間で務めました。
大正時代は北方警備に従事しました。
その後、ワシントン軍縮条約により廃艦が決定した三笠は1923年9月1日、関東大震災で岸壁に衝突し破損、応急修理中だった破損部位から浸水を起こして解体が決まります。
そんな時、保存運動が興り現役に復帰できない状態にする条件ならと認められ、1925年1月に記念艦としての保存が決定します。
廃艦時に撤去した砲塔等は復元されず、木製のダミーに交換されました。
1926年11月に三笠保存記念式が行われ、式典には皇族や東郷平八郎を始めとする当時の「三笠」乗組員も参列したとのことです。
時は流れて終戦後の1945年、日本から戦争関連の物を排除したいアメリカにより再び解体処分されそうになりました。
様々な尽力で解体は逃れましたが、敗戦から1年も経たず、金属部品や甲板の材料が盗まれ急速に荒廃が進みます。
保管していた日露戦争時の軍艦旗28枚もアメリカ軍に盗まれ、更には横須賀港を接収したアメリカ軍に娯楽施設や水族館を設置され、見る影もなくなっていきました…
荒廃に心を痛める国内外の人々の間で復元保存運動が広がり、復元が決まると民間からの寄付を募り1959年、工事が始まります。
その際、アメリカ軍に撤去された艦内の備品は殆どが完全な形で返還されましたが、外部で現役当時のままなのは錨、鎖、アンカークレーンと東郷平八郎元帥が歩いたとされる通信室付近の甲板の一部くらいです。
以前、来たときは足跡マークと「ここで指揮をしていた」という案内があったような。
その他大部分、砲塔や煙突などは復元修復されたものです。船首の菊花紋章も復元品に交換され、実物は内部の資料室に公開されています。
1961年に完了し同年5月27日に皇族方や大臣が参列し復元記念の式典が行われました。
そして現在、資料艦として様々な資料を公開、当時を伝える記念艦となりました。
自衛隊の横須賀教育隊の学生は訓練や見学をされる他、隊員の方には清掃や補修をしていただいています。
式典の様子

毎年、横須賀の第7艦隊から米軍人さんが来賓として祝辞を述べられます。過去には日本語で話す人もいたけど、今年は同時通訳がスクリーンに表示されました。
帰ってから気付いたけど121周年が電灯の光で隠れてた〰️折角の周年が( ̄▽ ̄;)
式典後は三笠保存100周年を記念し、海自OBで靖国神社宮司の大塚海男さんによる神道についての講演会が行われました。

講演を聴いていると、神道は他の宗教と何処か違うと改めて感じました。
キリスト教など他の宗教のイメージは、神とは崇める存在で遠くに在るもの。自然や動物は人間が支配し管理するもの。
神道の神は人間に近い存在(お祭りも元々は神様と共に楽しむものですし)で、自然も敬い共に生きるものというイメージですね。
資料にあるように、初詣や七五三など意識しない程に日常に神が溶け込んでいるというのでしょうか。
それぞれの考え方があるので、どちらが良い悪いとは言えないけど、個人的には神道の考えの方が好きですね(*´∇`*)
講演会の後はリニューアルした艦内を見て回りました。
廃材で作られた三笠

細かいところまで作り込まれており、パッと見では市販の木製モデルに見えました。廃材には見えない程の完成度です(; ゚ ロ゚)
此方も廃材で作った置物です。

複製ですが東郷さん直筆の訓示が載せられてます。玄関のオブジェに欲しい~
新商品もお披露目されていました✨

第一艦隊第一戦隊の完成品モデルです。4隻セットでこの価格ならお買い得ですね♪
買おうと思ったのに売店になかったし、撮影した5月27日当日も発売予定となってるから延期された?
まぁ、流石に8月の現在は販売されてると思いますが(((^^;)
艦内の説明も紙の資料からタッチパネルに変わっていました。

これもまた時代の流れかな。
隣にはVR(ゴーグルを着けて仮想現実を体験できる装置)コーナーがあります。人混みで撮影出来ませんでしたが、以前体験したときは三笠の乗員という設定で日本海海戦に参加します。
揺れている映像と臨場感のある音声で本当に三笠に乗っているみたい。並んででも体験する価値ありですよ👍
あと、東郷さんたちがリアルです(笑)
日本海海戦シミュレータ

新しく出来たコーナーですが、子ども向けなのか親子連れが多かったです。面白そうだったけど、此方もVRと同じく待ち時間が長かったのでまたの機会にf(^_^)
バルチック艦隊の艦影図

艦影が見えたらこの図と比べて識別するための物だそうです。
当時は艦の資料もそんなになかっただろうし、一人で描きあげてるように見えるから、作者はこの艦全てに遭遇したのかな?で、僅かな時間で描いた??
と気になりましたσ(^_^;)?
ハンカチにプリントしたら良いお土産になりそう(^w^)
ロジェストヴェンスキー長官を見舞う絵

ロジェストヴェンスキーはバルチック艦隊の司令長官です。
スオロフに乗艦しており、日本海海戦で連合艦隊と交戦中に砲撃を受け、意識不明に陥る程の重傷を負います。
味方の駆逐艦が救助、移乗しているところを連合艦隊に発見されて降伏し捕虜になりました。
佐世保の海軍病院に入院中、東郷大将一行が見舞いに訪れた一場面を描いたもので、ロジェストヴェンスキー長官は東郷大将の丁重な振る舞いに生涯、恩義を感じていたと言われています。
部下の優しそうな表情や、東郷大将と握手する姿に戦闘が終われば敵も味方もないのだと思わされました(*^-^*)
伏見宮博恭王殿下の銅像

伏見宮博恭王殿下は三笠の分隊長として海戦に参加したり、艦長や艦隊司令長官も務めた皇族軍人です。
実戦経験も多く自ら最前線で指揮をとっていたなど、皇族というより軍人のイメージが強いお方です。
詳細は後ろの解説パネルをご覧ください。簡潔に分かりやすく書かれてますので、自分が説明書くより絶対良い(^^;)
1つ言えるのはこの銅像、欲しい(о´∀`о)
通路には日本海軍とロシア海軍の艦艇プラモが展示されていました。お気に入りの艦を幾つか紹介します☆
戦艦「敷島」と「朝日」

日本の異名である敷島、帝国海軍をイメージさせる朝日、名前も合わせて好きな艦です(*´∇`*)
敷島は日露戦争の主力艦で旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦と主な作戦、海戦に参加しました。1900年に神戸港で開催された観艦式では明治天皇も乗艦された艦です。
日露戦争後、朝日と共に武装を除去されると新兵の実習訓練用の練習特務艦という艦として佐世保港で第二の艦生を過ごし、1947年に佐世保海軍工廠で解体されました。
同型2番艦の朝日も敷島と同じく日露戦争の主力艦です。
敷島と共に上記の戦闘に参戦、日露開戦時の水雷長は後の軍神となる広瀬武夫少佐(死後、中佐に昇進)でした。
1904年3月27日、広瀬少佐は閉塞船福井丸に乗艦し第二次旅順閉塞作戦に参加中に戦死されました。
その時のエピソードは唱歌にもなっており、沈み行く艦から乗員たちが撤退する中、一人の部下が見当たりませんでした。
部下を探しに艦に戻り3度捜索したが見つからず、やむを得ず救命ボートに乗ろうとした直後、敵弾を受け戦死というものでした。
遺体は発見したロシア軍に丁重な葬儀の後墓地に埋葬されたそうです。これを知ったときは、あのロシアが戦争中に、しかも敵国の軍人を…と感動しましたね。
1935年、出身地の大分県竹田市に広瀬神社が建立、軍神として祀られています。
朝日に話を戻すと、日露戦争を生き延び、第一次世界大戦、支那事変、太平洋戦争の南方作戦に参加しました。
1942年3月、シンガポールの軍港で港湾施設の復旧や艦の修理を行っていた朝日ですが同年5月、自艦の修理のため日本へ向かう途中、南シナ海で米潜水艦に攻撃され沈没しました。
戦艦「鎮遠」

定遠級の2番艦。元々は清国の戦艦で1番艦「定遠」と共にドイツで建造され1885年に清国海軍に就役しました。
大和やビスマルクのような威厳のある大型戦艦はカッコイイけど、100mもない小さめの戦艦も好きO(≧∇≦)
1895年、日清戦争の威海衛の戦いで日本海軍に捕獲され、戦利艦として日本海軍に編入されました。鎮遠を連れ帰るときに広瀬武夫少佐が乗艦していたそうです。
日露戦争では黄海海戦、旅順封鎖作戦、日本海海戦などに参加しました。1911年に除籍された後は装甲巡洋艦「鞍馬」の実験艦になり沈没しました。
余談ですが、定遠は1894年の日清戦争の黄海海戦で損傷、同戦争の威海衛の戦いで自沈したものの、艦体の一部は引き上げられ、その部材で太宰府天満宮の境内に「定遠館」という館が建てられました。
更に余談
威海衛の戦いを描いた軍歌「水雷艇の夜襲」は戦いの流れが分かるので、軍歌好きな方にオススメの1曲ですd(`・∀・)
自分も仲間内での集まりでよく歌うくらい好きです♪
日清戦争の黄海海戦が題材の歌はもう1つ、以下の場面を描いたものがあります。
日本艦隊の旗艦「松島」は「鎮遠」の弾を受け、重傷を負った三浦虎次郎水兵は副長の向山慎吉少佐に「定遠は沈みましたか」と問いかけました。
「沈めるまでは出来なかった(装甲の厚い定遠級を沈められる艦は日本軍になかった)が、戦闘不能には出来た」という答えを聞いて微笑み「何とか仇を討ってほしい」と伝えると息絶えます。
この一場面から作られた軍歌が「勇敢なる水兵」です。
更にどうでもいい余談
と、上記のように「勇敢なる水兵」の黄海海戦は日清戦争の方だけど、当時は日露戦争の方しか知らなくて「え、定遠って威海衛で沈んだんじゃ?同名の艦が造られたの」と暫く勘違いしてたε≡≡ヘ( ´∀`)ノ
戦艦「クニャージ・スヴォーロフ」

日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊旗艦を務めた、ボロジノ級の4番艦で日本ではスオロフやスワロフとも呼ばれています。自分も1番発音しやすいスオロフ呼びです(^w^)
艦名の由来は指揮官アレクサンドル・スヴォーロフでクニャージとは公爵。
1904年9月の就役から1年経たずに沈んだ悲劇の艦でもあり、その最期は1905年5月27日の日本海海戦です。
約40隻の艦と対馬海峡に差し掛かった時に日本海軍と遭遇し海戦が起こります。
戦闘では「三笠」などを砲撃したものの日本艦からの砲撃で損傷、艦隊を離脱したところを駆逐艦や水雷艇の魚雷攻撃を受け炎上の後に沈没しました。
スオロフの名誉の為にも補足しますと、スオロフが弱い訳じゃありません。
大量の補給物質の重さで機動力が、気象の影響で砲撃の命中率が低下していた上に十分な整備もされないままアジア入りし、既に満身創痍だった訳です。
そんな状態で対等に戦えたことを考えると寧ろ強いような?
このスオロフ、日本軍には「国親父、座ろ」と聞き間違えられていたらしいけどロシア艦名は聞き取りが難しいの分かる(*-ω-)(*-ω-)
自分も耳が悪いのもあるけど、ボロジノ級の次級、エフスターフィ級戦艦の「イオアン・ズラトウーストィ」は何回聞いても聞き取れず資料から名前を知りました。
しかし、未だに発音は出来ない(笑)
因みに、3番艦「アリョール」は日本軍に捕獲されました。
戦艦「石見」と改名し修理や改装の後に艦隊へ配属。1924年に標的艦として沈められるまで第一次世界大戦への参戦や沿岸警備等で活躍しました。
番外編:大東亜戦争時の艦だけど、駆逐艦「雪風」と「吹雪」

雪風は説明不要な程、有名な艦なので解説も簡単に。
陽炎型駆逐艦の8番艦で、ミッドウェー、ソロモン、レイテ沖海戦といった激戦地の他に戦艦大和の沖縄特攻にも参加し、終戦を迎えました。
主力の陽炎型や夕雲型といった甲型駆逐艦38隻の中で唯一、生き残ったことから兵士たちには幸運艦や奇跡の駆逐艦と呼ばれました。
終戦後は復員輸送艦となり水木しげるさんも雪風で帰還されたそうです。
その後は台湾に賠償艦として引き渡され「丹陽」と改名。1966年の退役まで海軍の主力艦として活躍しました。
退役後、雪風は最後の日本海軍艦ということもあり、雪風の乗員たちが返還を希望しましたが実現は叶いませんでした。
台湾側の説明だと1969年の台風で損傷し、解体したとのことでしたが、返還希望の後に解体したというタイミングや港に繋がれている姿を見たという住民の証言などから“雪風生存説”が囁かれました。
1971年12月8日に舵輪と錨が返還され、舵輪は江田島の旧海軍兵学校の教育参考館に、錨はその庭に展示されています。
雪風のスクリューも台湾の海軍軍官学校に展示されているようです。
自分も雪風生存説を信じています(*-ω人)
艦齢29年の貴重な艦を簡単に解体するかな?きっと、人知れず何処かの海域に浮かんでるんだろうな…と。
吹雪は吹雪型駆逐艦の一番艦で何と24隻もの同型艦がいます。
他の型に比べて同型艦が多いのは、1921年のワシントン海軍軍縮条約により主力艦の保有数を制限されたために制限のない補助艦艇の建造を増やしたためです。
舞鶴で1927年11月に進水し、1937年の杭州湾上陸作戦を始めとする中国方面で活躍しました。
1940年の紀元二千六百年特別観艦式にも参加し、大東亜戦争開戦後はマレー半島に上陸する船団の護衛任務やボルネオ島攻略戦などの南方作戦で活躍した他、バタビア沖海戦、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦いといった有名な戦闘に参加。
最期はサボ島沖海戦で同海戦で米艦隊から砲撃を受け爆発、沈没しました。
終戦時には「潮」と「響」のみが生き残りましたが、潮は解体、響は賠償艦としてソ連海軍に引き渡されました。
艦橋から一望した後、お土産を買って帰路につきました。今回の遠征の戦利品です✨🎁

箸置きは衝動買いしてしまいました_(^^;)ゞ
新幹線や飛行機がゴロゴロしてるのに、また増やしてしまった💦
護衛艦カレー

艦の数だけレシピがあるらしく、味付けも艦ごとに違うようですΣ(・ω・ノ)ノ
炎のマークで辛さレベルを示してますが、中辛~辛口が殆どでした。自衛官は辛い物が好きなのかな?
自分は辛さが苦手なので唯一の甘口「てるづき」カレーにしたけど、市販の中辛くらいの辛さだったので蜂蜜足しました。
甘口でこれなら辛口はどれだけ辛いのかちょっと気になる|д゚)チラ
思った以上に長くなってしまったので、この辺で('ー')/~~
療養してて昆虫イベント全く行けてないけど、夏の間に一つでも行けたら良いな(о´∀`о)
オマケ:ミニクワと同じく出番がなかったので1コマだけ出てきたシロカブトの白モフ

「補水されて黒くなったシロカブトです。シロカブトを買った人の中にはシロカブトなのに黒くなった詐欺だとかとんでもないクレーム出す人がいるそうです。
うちの飼い主も相当バカだが、湿度計代わりにされるくらいなのはマシということか。
因みに、俺がこの色の時は湿度60%らしい」