茨城県の阿見町をスカイラインクーペで走っていたところ、霞ヶ浦の近くで、白く輝く零戦らしきものを見つけました。
近づいてみると、予科練平和記念館という場所に鎮座していた零戦でした。
この塗装は初期型だそうです。
翼の下に見えるのが、うちのファミリーカーのスカイラインクーペです。
零戦とスカイラインは深い繋がりがあります。
実はこの零戦はレプリカで、完成してまだ一年以内らしいです。
是非また本物の栄エンジンを積んで飛んで欲しいものです。
零戦、栄エンジン
零戦の機体は三菱製でしたが、エンジンはスカイラインを生み出したプリンス自動車の前身である中島飛行機製、また中島飛行機では零戦をライセンス生産し、三菱よりかなり多く生産していたという話は有名ですね。
零戦に積んでいた栄エンジンの改良と、誉エンジンを設計し、終戦後はプリンス自動車に入った中川良一氏。
プリンス自動車
零戦は「無敵」を期待されて作られた戦闘機で、デビュー当時からしばらく無敵を誇りました。
その流れは終戦後もプリンス自動車に受け継がれ、プリンスR380やスカイラインも、無敵を期待して作られました。
1964年の日本グランプリで、当時世界最速のポルシェ904をスカイラインが抜き去り伝説を作りました。(そのあと抜き返されましたが。)
翌々年、雪辱に燃えたプリンス陣営は、数ヶ月後にプリンス自動車が日産に吸収されるのがわかっていながら、櫻井眞一郎を筆頭に全力を尽くし、(エンジンは航空機エンジンの天才、中川良一氏の知識をふんだんに取り入れました。)プリンスR380でついにポルシェ(906)を撃破しました。
櫻井眞一郎氏
日産に吸収された後もスカイラインは生き続け、スカイラインGT-R(KPGC10)で前人未到の50勝を飾りました。
そこから長い沈黙を経て、
平成1年にBNR32GT-Rが誕生。
全日本ツーリングカー選手権(グループA)で無敵を期待されていました。
生産車の段階から、エンジンの排気量やら、ダウンフォース、タイヤ幅など、全てグループAだけに照準を絞って作り込んでありました。
狙い通り、グループAクラスで無敗の29連勝、他の国内レースは勿論、スパフランコルシャンなどの海外レースでもポルシェ、BMW、メルセデス相手にそれらを子供扱いしてしまい、翌年からGT-Rいじめのレギュレーションに変更されてしまったことは周知の通りです。
共に戦場において無敵を期待され、そして期待に応えた零戦とスカイラインGT-R。
零戦の血はスカイラインGT-Rに確実に受け継がれたのは間違いない、と感じた秋の夕暮れでした。
Posted at 2016/09/26 00:57:59 | |
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