
うちの32GT-Rは本日、2019年8月31日で満30歳の誕生日を迎えました。
車検証入れを漁ると、懐かしい古(いにしえ)の整備手帳が入っていました。
せっかくなのでこちらの整備手帳で私のGT-Rの歴史を、「想像をまじえて」紐解いていこうと思います。
まだゴーン氏のいない日産です。
本社は銀座でした。
郵便番号も3ケタ(笑)。
個人情報保護法がまだ施行されていない時代ですから、このように前オーナーの名前も住所もフルで載っています。
保証発行日(登録年月日) 平成元年8月31日。
しかしいい番号ですね(^-^)
横浜33 に 3031
1989年は昭和から平成になった年です。
1989年の流行語は、
新語・流行語大賞の新語部門は「セクシャルハラスメント」
流行語部門は「オバタリアン」が金賞を受賞したそうです。(笑)
ジュリアナ東京も最盛期でしたね。
ジャパニーズビジネスマンが世界を席巻していました。
今から遡ることちょうど30年、1989年8月31日 木曜日、デビューしたての32GT-Rは、日産プリンス東京 池上営業所を横浜市緑区某所(現在は青葉区)へ向かって出発しました。
オーナーの名義は法人です。
この横浜のVIP客へ納車するためにハンドルを握った方も相当ワクワクしたことでしょう。(積車だったかも知れないですが)
1989.8.31の天気は、曇りのち晴れ。
まだ残暑の厳しい最高気温32.1℃。
新車だからR12のエアコンはキンキンに効いたことでしょう。
国道1号線から環八を世田谷方面へ、
環八の瀬田の交差点を左折して246へ。
この道を通っていたら、玉川高島屋を横目に100キロオーバーで走ったことは間違いないでしょう(^-^)。
ついでに高速コーナリングも。
鷺沼のマックが見えてきたら横浜市はすぐそこ。
このマックは30年前もあったはず。
そしてオーナーの元へ。
初代オーナーは今もここにいらっしゃるようです。
立派なお家です。
16年ぶりに復活した32GT-Rをいち早く手に入れて、さぞかし嬉しかったことでしょう。
1カ月点検。エンジンオイルを交換しています。
1040km走行。キッチリした方なのでしょう。
そして3年後の車検。
パッドとオイルを交換しています。
26000km走行。
5年後。2回目の車検。クラッチ交換しています。
走行距離38000km。
登録から6年後。名義が変わっています。ナンバーは同じなので、知り合いの方へ譲ったのでしょう。
業種的に、仕事仲間かと思います。
ここでFパッド、プラグ交換。
ダイレクトイグニッションを何かしてます。
51000km
2代目オーナーも健在のようです。
同じく横浜の建築設計会社。
堅実に大きくなっている様子です。
登録から6年数ヶ月後。川崎市の中古車屋さん「エースカーセールス」に売却されました。
こちらの会社も健在(^-^)。
この2代目オーナーはすぐ手放したようです。
たぶんいろいろ不具合が出てきて不安になったのでしょうか?
「そんなんじゃRに乗る資格なんてねーよ!」
なんて言いませんよ(^-^)。
人生イロイロ。
そして初代オーナーから6年5カ月後の1996年1月に私の元へ来ました。33GT-Rがデビューしてから1年後の頃です。
↓雑誌の左から3番目が私のGT-Rです。府中街道を走っていた時に目に留まりました。
シルバー、248万円。
20代の私には大枚でした。
そして紆余曲折。あちこち壊れました。整備、チューニングとも三歩進んで二歩下がるの繰り返し。
その後
サーキットデビュー、
↓
エンジンOH、N1タービン搭載400馬力
↓
エンジンブロー、
↓
ニュルエンジンに換装、
↓
ag-y で現車セッティング 530馬力
↓
オールペン(銀→白)とスポット増し、
↓
富士でメタルがダメに、
↓
ag-y でエンジンフルチューン GT2530kaiタービン 搭載 580馬力
↓
やや盆栽化
↓
Gマガの取材を受ける、
↓
Gマガ号が家に来訪。
(一部写真撮り忘れのため)
↓
メタルボンドでボディ補強、
↓
まだ少し盆栽化、
↓
電装系リフレッシュ、
↓
現在に至る。
走行距離 23万3000km。
自分で走った距離17万7000km。
所有歴 23年7カ月。
まだまだ乗ります(^-^)。
30年経ったから初代オーナーに見せに行こうかな?とも思います。全く面識ないですが(^ ^)。
Gマガ風の表現だと
「感動の再会/ 30年の時を経て、Rは初代オーナーの元へ」 (^-^)
Posted at 2019/08/31 00:50:20 | |
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