
議事録というには程遠いので、メモ。備忘録です。当方司会進行係だったため、そのときの記憶は曖昧につき。下記の内容は順不同で、全体を網羅しきれておりません。一部割愛しております。万が一誤り・追加がありましたら、フォローをお願いします。
【ゲスト】
ランティス主査:濱谷照夫氏
デザイン本部長:福田成徳氏 (いずれも当時)
司会:ダブルクラッチ
●「ランティス」の着想
開発主査:濱谷氏のスペイン縦断走行。終始不安な挙動に手に汗握る。
⇒安心して運転できる「しっかり感」とは何か、突き詰める。
・高密度パッケージング(小型車サイズに機能とデザインを詰め込む)
・ドライビングプレジャー(safty feelに裏打ちされたFun to Drive性)
●広告イメージ写真(上記画像)
「フェンダー、切れ長のライト、大径ホイール」
ランティスという存在を象徴する一枚。
●高密度パッケージング
当時異例の2605mmのロングホイールベース。当時の上位機種:クロノスに迫る寸法。
「車格」という既成概念にとらわれず、居住空間の確保と走行安定性を求めた結果、
オールニュー・シャシーを採用することとなった。
クーペの「キックアップルーフ」はデザインスケッチから一貫したモティーフ。機能とデザインの融合。
●「セダン」という存在
後発のセダンは、国内営業本部からの強い要求で設定されたもの
(ハッチバック→セダンという開発順序は当時としては、きわめて異例)。
トラディショナルなオーバーハングで開発は容易と考えていたが、
セダンのデザイン案は会議を重ねるごとに、ことごとく却下。
結局、当初から生き残ったデザインは「リアコンビランプ」のみ。
(編者追記:リアコンビランプは日本女性デザイナーによる案)。
そのリアコンビランプは、サプライヤーから苦言を呈されるほど、相当なコストの掛かった逸品。
●スポーツマインドをかき立てるインテリア
ドライバーオリエンテッド、バケットシート、独立風メーター。
リッド付ドアポケットは、マツダにおいても、ユーノス800とランティスにしかない
(編者追記:当初は、欧州の「電話帳」のような分厚い地図を収納する為に設けたとのこと)。
●高い直進安定性、高い危険回避テスト
欧州車、国産スポーツカーと比較しても、群を抜いた性能を実現。
当時は国内では馴染みのなかった「エルクテスト(ダブルレーンチェンジ)」を基準として開発した。
●軽量・高剛性ボディ
ここでは、ねじり・曲げ/車重を軸にしたグラフを提示。
欧州車、国産車と比較するも、ランティスはグラフの遥か外、遥か上。「突き抜けた」スペックを証明。
サスペンション、シャシー、ガラスの軽量化、ハイテンションスチール、
窒素ガス形成バンパー(世界初)を採用することで、大幅な軽量化を実現。
足回りは、ボディ性能に合わせた「ベストチューンドサスペンション」。
純正16インチアルミホイールは、6キロ強と、極めて軽量高剛性。
現在のエンジニアが目を見張るほどの完成度だという。
●ひと、地球、環境への配慮
特に、工場での組付工数の削減、疲労軽減にも注力。
●衝突安全ボディ
濱谷氏:これ、とてもきれいなつぶれ方でしょ!拍手が欲しいくらいです。(一同笑&拍手)
1996年国内衝突安全基準に合わせて開発するも、認証試験の測定方法が未定だったため、
当時ありったけの技術を以ってして「超える」ことを目指した結果、基準を遥かに超え、余裕のクリア。
●デザイナー
クーペのデザイナーは、福田氏曰く「鬼才」ローランド氏(通称:ローリー)によるもの。
立ち上げたばかりのMRE(ヨーロッパデザインスタジオ)の人員募集に、
メルセデス・ベンツからチームで移籍の応募があった。その中の一人。
デザインスケッチから一貫したイメージが、そのまま量産車でカタチになった、数少ない成功例。
(編者追記:ランティスのパワートレイン開発において、ポルシェとのかかわりは、ないとのこと)
●デザイン受賞
Japan Car Desing Award 93-94において、
ゴールデン・クレイ・トロフィー:ランティスクーぺが受賞
(編者追記:日本通産省グッドデザイン賞も受賞)。
●イメージカラー
マツダの「スポーツスピリット」を象徴するイメージカラーは、「緑」と「赤」。ランティスも類に漏れず。
ただし、国内仕様のクーペには4色しか採用でない事情から、
濱谷氏:ブリリアントブラック、福田氏:スパークルグリーンメタリックをねじ込むカタチで実現。
福田氏:日本では冠婚葬祭で赤のクルマは乗れないとか、緑は女性の肌が映えないとかで、
色のあるクルマがとにかく売れなかった。後にランティスも白が追加されたとのことですが、
日本の光の加減ではぬめっとして、単に薄暗い色調にしか見えない。
ロードスターのデザインコンペでもそうだったが、白いクルマは猫か何かの「置物」にしか見えず、
どうしてもクルマらしさが感じられない。(一同苦笑)
●ストラットタワーバーの採用
ニュルでラップタイム7秒短くなるから。濱谷氏も当初はタワーバー採用には懐疑的であったが、
走行実研担当者からの強い要望に折れ、取り外し式とすることで晴れて装着されることに。
●ベンチマーク活動
クルマを作るにあたって、競合他社の製品を目標に据えて進める場合が多い。が・・・
濱谷氏:具体的なクルマを上げるだけでは、それらはいずれモデルチェンジして陳腐化してしまう。
今ある姿を超えること、突き抜けることを目標に掲げた。
●豪華で機能的な装備品
ガーメントバックは「えびの尻尾」。
濱谷氏:天丼や天そばを食べるとき、天ぷらのえびには尻尾がついているだろ?
そりゃ、尻尾が無くても味は変わらないだろうけど、尻尾が付いているから、
それが「えび」だと初めて判るんだ。だから、あのバッグをつけて、
機能的な装備品があるから、初めてランティスだと判るんだ。
・・・と購買部門と折衝したとのこと。
濱谷氏が開発主査を担当したのは、開発スタートから市場導入まで。
つまり、1993年8月24日に発表された「ランティス」こそ、濱谷氏の想いを具現化した存在。
しかし、販売から年月を重ねるごとにカットされた装備品。
濱谷氏:バブルという、あの時代だったから、出来たことばかり。とにかく突き抜けようとした。
無茶をさせてもらいました。後継の主査を責めることはできないですよ。
●マツダスピードとの関係
1991年ルマン優勝が蜜月であったが、当時、マツダ(株)とマツダスピードはまったくの別会社。
よって、マツダスピード用品については、マツダとは無関係。
大型リアスポイラー(大鳥居)のデザインを見て・・・
福田氏:なんだこれは!せっかくの流麗なリヤエンドのデザインが台無しじゃないか!!(一同笑)
とはいえ、実際にレース活動をされている方には、機能的なのでしょうね。
●サイドスポイラーはなぜ砲丸(ヒレ)形?
福田氏:キックアップルーフに伴って、コークボトルデザインのイメージによる。
エアダム効果は期待するほどのものではない。
マツダの場合、デザイナーも風洞実験に参加して、
空力特性に見合ったデザインに仕上げるため、ディテールを詰める。
●ヘッドライト
デザイン部門の意向、オーバーハングの短さ、面積の小ささから、ガラスを採用
(購買部門から苦言を呈された)。
当時デザイン本部長である福田氏から
「ロードスターを見てみろ。あのヘッドライトと同じデザインでしょ」と丸め込まれ、
切れ長ライトの採用のため各方面と調整に尽力した。
・・・が、あれはヘッドライトではないことに後から気づく。(一同笑)
福田氏:ランティスは、グリルレス、切れ長のヘッドライト。これは、
RX-7、ロードスターと同じ流れを持つ、マツダ伝統のスポーツカーのデザインです。
現在、ベンツやポルシェがこぞって「4ドアクーぺ」なるものを発表しているが、
とうの昔にマツダは「ランティス」としてカタチにして、今の流行を先取りしていた。
ランティスを選んだ皆さんは、本当にデザインを見る目がある。
(編者追記:いやはや、登場が16年早かったのだろうか・・・)
つまり、
ランティスは、スポーツカーなんですよ。
(一同拍手)
以上、1時間45分(途中質問内容は一部割愛)。
【イベント集計データ】
参加人数:66名、ランティス:31台、その他:11台。
最南端:鹿児島、最東端:茨城(自走最遠方)、最北端;宮城。
参加最年少:3歳、最高齢:71歳。ちなみに福田氏は72歳。
最長オド記録をアンケートし忘れましたorz
濱谷照夫氏は、先月66歳を迎えたばかり。ちなみに濱谷氏は1966年の入社。
ランティス発売の年は、米国「Rute66」のアニバーサリーの年だったとか。
ランティスのワイパーアームには、「J66F」の文字が(爆!何処が極秘やねん)。
カタログの車内写真を見ると、オドメーターは66Kmを指している。
ある程度は謀っておりましたが、謀っていた以上に、図らずも「66」なイベントと相成りました。
濱谷照夫様、福田成徳様、ご参加頂いた皆様、
ランティスオーナーの皆様、本当に、ありがとうございました。