2012年12月25日
今年の初めからThe Daily Drucker(邦題365日ドラッカー)、この本は366日分が一ページづつのテーマでドラッカーの著書からの抜粋になっているのですが、毎朝一ページずつ読んでいます。クリスマスシーズンに入ってSpiritualな内容になっていて、昨日から2日間はキリケゴール(Kierkegaard)の登場。最初は読めなくて、誰のことかと辞書引き。
社会と組織への関心が99%のドラッカーが、四十代前に唯一個人への興味として、キルケゴールに心酔?した時期があったそうなのです。
今日12月25日のページサブタイトルは、
Faith enables man to die; but it also enables him to live.
(信仰はあるときは人に死ぬ決心をさせることもできるし、しかしあるときは人を生きる決心をさせることもできる)
アクションポイントには、
Salvation by society has always failed in the end. Find a purpose that sustains you both in society and as a human being.
(社会による救済は最後には必ず失敗する。あなたを社会において、そして個人として支える生きる目的を見出してください。)
こういう言い方を聞くのはなんか初めてじゃないよね、と思ったら儒教(四書)の中にも似た表現、正確には言わんとするところは同じ、があったように思います。神の存在を前提とする信仰と、中国には普通の意味の神は存在しないので天の道と称するところの相違はあるものの。
信仰などの無い自分自身でも、ちょっとは自省すべき言葉でしょうか。
Posted at 2012/12/25 20:58:38 | |
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