
行きたいリストの一つの毛利興隆の地を訪ねる。毛利氏は備北の一豪族から、中国地方+αを支配した有力戦国大名で、毛利元就の時代に大きく勢力拡張したことはよく知られています。
中国地方統一を果たしたのちは広島に本拠を移して、関ヶ原の戦いでは西軍総大将。その責任を取らされて、戦後は防長に移封。しかし明治維新では長州藩は新政府の主力であり、関ヶ原の恨みを明治維新で晴らしたわけですから、リベンジ達成までの期間270年近くということ。
最初は、昼前に出発してしまったのでまずは昼食。食べログで検索のピットインエトワール。建物はお世辞にも綺麗ではないが、店内にはサンフレッチェのサインがたくさん。ハンバーグ定食頼みましたが、ハンバーグはノーマルの倍以上で分厚い。カローリー二食分ぐらいありそうで、ラーメン二郎の定食屋版といったところ。道理でサンフレッチェご用達?
まずは情報収集で安芸高田市歴史民俗博物館へ。入場料300円は非常にお得です。大河ドラマ放映前後は大変ににぎわったのでしょうね。そんな期間には、間違っても訪問しませんが。
日本百名城マップ。東北、北海道にはほとんど無いのだね。いつかは全制覇!
百名城の認定証。百名城は平成18年に制定されています。
元就着用の具足。右はドラマ用のセットです。
民俗資料展示もあったので、そちらにも。昭和20年頃のラジオ。SUPERと書いてあって短波も受信できるマルチバンド品。おそらくスーパーヘテロダインの初期の製品で、輸入品でしょうか。非常に高価だったはずです。
いよいよ城攻めです。まずは元就公の像にあいさつ。
郡山城の解説。なんといっても尼子氏との戦争が中国地方支配権の分水嶺。信長の桶狭間に類似しているかと思います。
尼子氏は高田盆地の反対側の山に布陣。5か月程度の戦いだったようですが、尼子は冬になって補給が途絶えてしまったのでしょうか。尼子は有力家臣を失って、以降は衰退するのみで、最後は本拠地の月山富田城を攻められて落城
毛利家の略家系図。
毛利家の集団墓地。
これ、割と有名な百万一心。一日、一力、一心と読ませ、皆が日々力を合わせていけば達成できないことはないという意味。
天守への登山道の途中から見る市街の景色。標高差は約200mぐらいなので、備中松山城よりはのぼりは楽かもしれません。
のぼりきると二の丸跡の看板。江戸時代に入ってから郡山城は堀も建物も完全に破壊されてしまっています。
郡山城の解説。400年前には、こんなに木は生い茂っていなかったと思う。天守からの見通し悪すぎて使えない。
郡山城の本丸跡。ほとんど何も残っていません。訪れる人も途中に家族連れ一組に会っただけの静かな遺跡です。
山から下りて市街で見かけたお寺の看板。なぜに毛利の家紋と思って調べると、法専というのは元就の庶子が出家して創立した寺院だから。
本日は、走るのが目的ではなかったので屋根のある車で出動。エリーゼはこの季節になると風巻き込みで寒くていけません。来年春先まで冬眠かもしれない。
Posted at 2014/11/16 17:51:40 | |
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