• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

スター★マンのブログ一覧

2012年04月08日 イイね!

安土城址

安土城址 今回の京都1泊旅行は、当初の予定では初日に先に紹介した福知山城を見るのが最大の目標で、その後温泉宿で泊まり温泉を満喫して、次の日は周辺の道の駅を散策して終わりの予定でしたが、何故か勢い余って帰り道だと言う事もあり滋賀県近江八幡にある安土城へ寄ってしまいました。

 僕の中で織田信長は、頂点に君臨するものであり、かつ最大の目標であるだけに今の城巡りの一番最後に安土城をもってくるか、御膝もとの現在御殿を再現している名古屋城かと言うくらいだったのですが、ついつい行ってしまいました。



 ■大手道(幅6m、両脇の側溝を含めると約8m)

 こんな戦国期の城で現在で言えば車が通れるほどの広い道を有する城は他には無いですよね。 信長は従来にない発想はこんなところにもある。



 ■秀吉邸の復元図(一家臣の邸宅ですが、普通の城で言えば御殿)

 大手道を登って行くと両脇に次々に家臣団の邸宅址が、前田利家、羽柴秀吉、徳川家康、武井夕庵、織田信忠、織田信澄、等々・・・



 ■天守台の石垣(時代的に積み方は粗いですが石サイズがでかい!)

 天守台の上部は崩れており実際はもう少し高いそうです。 全体的に本丸の石垣郡は一つ一つの石が大きかったです。



 ■天守台内の礎石(礎石のサイズからかなりの柱でしょうね)



 ■安土城の天守(5・6階部分の1/1復元されたもの)

 近くにある信長の館で見ることが出来る1/1に忠実?に復元された安土城天守5階6階部。 内部も復元されており実際10万枚の金箔を使用した外壁、鯱、等々・・・


 今回は安土城へ登った壮観としては、それはもう今まで見てきた沢山のお城と比べても比べ物にならないほど壮大さが実感出来ました。
 これだけ何も建物などの遺構が残っていないにも関わらずそれを想像出来るのは珍しいものです。 逆に言えばそれだけ他に類を見ないものだと言う事に他ならないです。

 ん~やはりここへ訪れるのは城巡りの最後にするべきとこだったかもしれません。


2012年02月11日 イイね!

小里城址

小里城址

今日は岐阜県瑞浪市にある小里城址へドライブしてきました。  以前この付近へは日本一の木製水車がある道の駅 おばあちゃんの市・山岡 へ行った際に通ったのでしたが、その時は少し雨模様だったこともあり次回にしようと~  その結果、今日になったのでありました。  登城口は、県道20号と33号の交わる交差点付近に標識があって、駐車場はその道を挟んで向かいにあります。





alt
■画像❶(登城口を入るとすぐ見えてくるこの石垣がイイ~ ですね!)


alt
■画像❷(こちらはその案内板にもあるように大手門跡だそうです)


alt
■画像❸(一気に天守台石垣入り口ですが実際ここまでの登りは大変でした)


alt
■画像❹(別の角度からの天守台石垣で安土城の様多角形7角形


alt
■画像❺(矢穴の跡の分割途中の石でこれが疑惑でこの時代には・・・??)




■小里城の歴史

小里記によると、土岐氏の流れの小里出羽守光忠が天文3年(1534)に築城したと云うもので、光忠は元亀元年(1572)武田勢の美濃侵入に際し、遠山景行と共に織田方となり上村合戦で戦死し家督は光明が継ぎました。
その翌年の天正元年には武田方の秋山晴近によって岩村城は侵略され武田勢の美濃侵入の拠点となり、このことから織田信長は岩村城を奪回しようとして、小里、神篦(鶴ケ城)両城を固めました。 しかし工事途中に信忠を大将とする織田軍が岩村城を落城させたため、改築の途中で中止されました。

(※案内板より引用)





2012年01月08日 イイね!

大給城址

大給城址

2012年の一発目の登城したお城は?

豊田市の大給城址でした。
三河武士・徳川家康・松平氏~ 特に僕自身興味があるわけではないのですが、やはり戦国時代を生き抜いた武将やお城には・・・





alt
■画像❶(大給松平氏の初代にあたる松平乗元の陵墓だそうです)


alt
■画像❷(堀切だそうですが自然の巨石もゴロゴロしていています)


alt
■画像❸(櫓台の案内板が虎口の両端にある櫓のものなのか?)


alt
■画像❹(主郭の隅石垣でなかなか高さのあるものでした)



大給城は、この地の土豪長坂新左衛門が築いたのが始まりで、これを松平宗家三代信光が攻略し、その嫡男(親忠)の次男(乗元)が初代城主となった。 大給松平氏はこの乗元から始まり、2代目(乗正)の時に城の大改修を行った。 以後、子孫5代がここを居城とし天正18年(1590)6代(家乗)の時、徳川家康の関東への国替えに伴って、上野国(群馬県)に移り大給城は廃城となった。(※案内板より引用






この正月はいろいろと大変でした。

年末は僕自身が扁桃腺を腫らして寝込み、元旦から大阪へ帰り3日に僕だけ名古屋へ戻り4日から仕事始めで、7日に家族を迎えに再度、大阪へ行きこの3連休は名古屋の実家へ帰りと~



その合間に今日はドライブをしてきました。


2011年12月10日 イイね!

金山城址(兼山城)

金山城址(兼山城)

本日2回目のブログでありまする~
今日は車弄りと自宅前の落葉の清掃で終わりのはずも予定より早く終わりまた天候も良かったのでドライブへ出掛けました。  それは近隣の美濃攻めをしまして、今日攻めたお城は、織田信長の側近でもあった森氏(可成、可隆、長可、成利、蘭丸)の居城 金山城(兼山城)でありました。




alt
■画像❶(出丸の櫓台石垣だそうでここの石垣が一番よく残っています)


alt
■画像❷(大手門跡で犬山市の瑞泉寺に山門として残っているそうです)


alt
■画像❸(天守台石垣で天守の建物は犬山城へ移築されたと言う伝も)





ここの天守が、かの国宝犬山城へ移築されたと言う伝承が最近の調査で否定されておりますが、移築の伝承はなんらかの形であったようです。

この金山城の天守台の寸法は犬山城のそれと寸法が一致するそうで、現に先の大手門は一度犬山城の内田門として移築されその後、瑞泉寺の山門として再移築されていますし・・・。


明日は、再度伊勢攻めをしようかな・・・





2011年11月26日 イイね!

神戸城址

神戸城址

今日は家族でドライブをしてきました。  それは三重県鈴鹿市の 神戸城址(かんべ)でした。

神戸城は、その名もこの地を治める神戸氏が築城したのが最初だそうで、次にこの地へ侵攻してきたのがかの我が尾張の織田信長でありその後、その三男信孝が養子に入り和睦することになりました。  ここからが興味が行く部分で、この神戸(織田)信孝が砦程度の城郭を大改修して金箔瓦を用いた豪勢な5層6階大天守を築いたそうです。 





alt
■画像❶(もうこの野面積みの石垣の天守台ひとつ見ても萌えますね)


alt
■画像❷(北東の張り出した石垣部ここは小天守があり複合連結か?)


alt
■画像❸(周辺は公園として整備されており水堀の一部もみられます)







今日はここ以外にも津市の津城址(安濃津城)やもうひとつ同じく津市にある専修寺(真宗高田派本山)へも行く予定でしたが、行きに下道(国道23号)がひどく混んだ為に時間の都合で行けませんでした。








さて、次はいずこへ~






プロフィール

「おはようです!  曇空の火曜の朝~  今日もぼちぼちいきます~」
何シテル?   08/26 09:00
■H23.9.17. アクシオ1.8 LUXEL 納車(初FF&CVT) 大昔トヨタのCMなんかで 『いつかはクラウン』 と言うというキャ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

2019年 元旦ミーティング開催 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/01/20 13:45:25
[トヨタ オーリス]LEXON / QUESTPOWER クァンタムソレノイド 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/09/13 17:53:49
[トヨタ オーリス]LEXON / QUESTPOWER クァンタムソレノイド 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/10/17 21:52:14

愛車一覧

トヨタ カローラアクシオ Star Man (トヨタ カローラアクシオ)
――――――――――――――――――――――――――――― 前車アルテッツァに引き続き ...
トヨタ カローラアクシオハイブリッド HV (トヨタ カローラアクシオハイブリッド)
 最初16系もHVも全くと言っていいほど興味はなかったのですが、キッカケはともかくとして ...
トヨタ チェイサー トヨタ チェイサー
 ターボ車と2ドアクーペのスタイルは卒業して4ドアハードトップのチェイサー100系に乗り ...
トヨタ アルテッツァ アル (トヨタ アルテッツァ)
 アルテッツァは、過去に乗った車の中で一番気に入っている車です。  それもそのはず新車か ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation