今年は古事記編纂1300年目に当たるとかで、
各地で行事が行われたり、書店とかに行けば古事記に関する本が山積になっていたりします。
その古事記の中に登場する瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が天孫降臨(てんそんこうりん)をした地、古事記や日本書紀には以下のような表現で書かれています。
「筑紫の日向(ひむか)の高千穂のくじふるたけに天降り…」 古事記より
「日向の襲(そ)の高千穂の峰」 日本書紀より
これらの神話から天孫降臨した場所にはいくつかの候補がありまして、そのうちの一つがこの鹿児島県にある霧島神宮のそばにそびえ立つ高千穂峰だと言われています。
その天孫降臨の候補地のひとつである霧島・えびの高原などに、今年2012年のゴールデンウィーク中に、所用も兼ねて初めて九州の南の果てまで行ってまいりました。
そしてその時の旅行記を、2009年の秋に行った青森ツーリングの時と同様に、自分自身が後々まで忘れないように6連投にて、はるばる行った記念としてここにアップしていきたいと思います。
《プロローグ》
まず6連投の一番最初にご案内しますのが鹿児島県霧島市にあります霧島神宮で、このあたりは日没がかなり遅いとはいえ、ここを訪れたのが2012.5.3の18:00も過ぎた日没の前でした。
実は夜中から自宅を出発したものの、睡眠不足と疲労でSA内で幾度も睡眠休憩をたくさん取ったのと、九州道下り線の鳥栖付近で発生した大渋滞に巻き込まれまして、ここを抜けるのに3時間以上もかかってしまった関係上、宮崎道の小林インターを降りたのが16:30を過ぎていまして、そこからえびの高原を半周してから霧島神宮にも立ち寄りました。
よって、これからご紹介いたします15枚の写真のうち、
いくつかは後日の5/5に再訪問した際に撮ったのを使っていますが、この日はこどもの日だったため子連れの参拝客も多くて神社内も相当混雑していまして、人人人ばかりが写っているので、人がほとんどいなかった3日の夕方に撮影した写真をメインに、日没の夕日を撮影した写真以外は露出を大幅に修正したうえでの掲載です。
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まず最初に霧島神宮に到着いたしますと、
下写真のような壮大な鳥居がお出迎えしてくださいます。
(霧島神宮の大鳥居)
車をロータリーのところの駐車場において小さな橋を渡りますと、「霧島神宮」と書かれた大理石の大きな碑があり、何段あるかは残念ながら数えなかったけれど、長~い長~い階段を一段ずつ上っていきます。
そして階段を登り切りますと
今度は長~い長~い参道が続きます。
何百mあったかは定かではありませんが、すれ違う人もほとんどいないなか、玉砂利を踏みしめながら両脇を並木に囲まれた参道をゆっくりと歩くうちに、この世の雑多な念は吹き飛んでゆき、古事記のお話ではありませんが神仙な世界へと引きずり込まれていきます。
長い参道を抜けますと、広っぱのある展望台へと出ますが、
まず最初に目に飛び込んできたのが、下の写真です。
これは1866(慶応2)年、寺田屋事件で手傷を負ったが九死に一生を得た土佐藩出身の坂本龍馬が、療養を兼ねて妻おりょう(お龍)と日本初?となる新婚旅行の際ここに立ち寄ったらしく、その記念を兼ねて1996年当時の霧島町が立てた看板のようです。
あの激動の時代、よく新婚旅行へ行けたものだと関心もしましたが、激動だからこそ行ったのかもしれません。もちろん薩摩藩との政治的な交渉もあったのでしょうが、けっこう粋な人だったんですね、坂本龍馬さんとおりょうさん。
そしてこの坂本龍馬とおりょうさんの看板の奥を見上げるときれいな夕日が。
うまくは撮れなかったが思わずカメラを夕日に向けパシャと撮影です。
(2012.5.3 霧島神宮の境内展望所から見た夕日)
しばし美しい夕日に見とれた後、
右へ90度へ曲がると、本殿へ行く参道があります(下写真2枚)。
ここを潜り抜けてようやく霧島神宮の本殿にたどり着きましたが、伊勢神宮の内宮ほど広大ではなくても、宇佐八幡宮といい、この霧島神宮といい、九州の神社はけっこう参道が長く神社の敷地も広いですね。
上の写真3枚が霧島神宮の本殿の写真ですが、
一番上の写真が入口にあるご由緒板を撮影したものです。そして次のが霧島神宮の朱塗りの本殿正面で、最後が本殿の奥まで撮影してみました。
ここの2枚の写真は、日本晴れだった2012.5.5の端午の節句(たんごのせっく)の日に撮影したのですが、
この日はこどもの日ということで、とにかく子供連れの参拝客が境内中にひしめいていて写真も撮ったのだけど、あまりにも人ばかりが写りこんでいるので (下の写真の本殿前に参拝客が長蛇の列を作っているのが少し写っています)、このブログには極力掲載するのは控えました。
そして神宮境内にはご神木として坂本龍馬も眺めたという、樹齢800年、高さ37m、幹周り7.3mもある、超巨大なご神木の杉の木が祭られておりました。
樹齢800年といえば、このご神木が芽生えたのが鎌倉初期の頃ですね。
その頃といえば、ちょうど源氏と北条氏が日本初の武家政権である鎌倉幕府を開いた頃から、
今までずっと倒れることもなく、枯れることもなく、雷が落ちて焼けることもなく、
噴火によってつぶされることもなく、今日のこんにちまで暑い日も寒い日も、
このご神木はずっと生き延びて参拝者を見つめてきたんですね。
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最初に投稿した場所から、鹿児島旅行のブログを連続してアップいるこの位置へと、このブログの場所を変更しました。最初に投稿した時にイイねを付けてくださった4人の皆様、マークは消えちゃいましたがどうもありがとうございました。
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Posted at
2012/08/01 10:14:03