2011.9.17の早朝、長野市の奥の聖地ともいえる旧戸隠村の戸隠へと行ってきました。
旧戸隠(とがくし)村は、おとなりの鬼無里(きなさ)村とともに2004.12.31までは存在していましたが、2005年の元旦より両村とも長野市へと編入されて戸隠村と鬼無里村は消滅しました。
よって現在は「長野市戸隠……」となっています。
戸隠と聞けば 「戸隠そば」 を連想される方も多そうですが、“戸を隠す”という地名から私はなにか横溝正史の推理小説にでも出てきそうなイメージが浮かんできます。なんか山奥深い摩訶不可思議なところのような感じです。
そして戸隠といえば、あの独特なギザギザの山が連なる戸隠連峰がまたなんともいえないたたずまいを作り出しておりますね。

(独特なギザギザ山が特徴の戸隠山周辺 : 2012.10.17筆者撮影)
もちろん“戸隠”の地名の由来は、古事記(日本書紀も)に出てくる天照大御神が、スサノオの乱暴狼藉に耐えかねて岩戸の中にお隠れになった「天の岩戸」の場面で、ここ奥社のご祭神である天手力雄命(あめの たぢからお の みこと)が、天照大御神が
お隠れになった大きな岩を怪力で動かし投げ飛ばしたことに由来します。
そしてその投げ飛ばされた岩が、あの独特なギザギザな格好をした戸隠山だというのです。

(戸隠の案内看板)
ちなみに戸隠中社には、古事記の天の岩戸の場面でお隠れになった天照大御神を、どのようにして岩からお出しするか知恵を練った天八意思兼命(あめの やごころ おもいかね の みこと)が祭られており、火之御子社には、岩戸の前で裸で踊ったとされる天鈿女命=天宇受売命(あまの うずめの みこと)が祭られています。
------------------------------------
《プロローグ》
私が初めて戸隠の土地の名を知ったのは2009年の初夏のころで、当時乗っていた燃費最悪のアトレーワゴンで、たまたま北陸の富山側から長野市へ所用で行くのに近道をと、北陸自動車道を糸魚川インターで降りて国道148号線 千国街道を南へ向かって白馬村まで来たときのことでした。
長野県の北部の白馬村入ったときには夜7時も過ぎてとっくに日は暮れており、しかも土地勘もなくてここから長野市へと出るのに当時はもちろんナビもなく、道路地図帳を見ると国道406号線がいちばん長野市への近道のように見えたので、なにも考えずにここを通ることにしました。

(国道406号線 鬼無里街道 白馬村にて : 2011.8 撮影 ウィキペディア)
ところがこれが失敗の元で、だいたい400番台の国道は未改良の県道が国道に昇格したところが多く劣悪な道が多いのですが、鬼無里街道(きなさかいどう)と呼ばれているこの道、
山間部というのか峠越えの部分に入るとなんと車1台がやっと通れるほどの道幅の狭さ、そして急坂と急カーブも抱き合わせで、しかも20km近くもえんえんとそのような道が続く!とんでもない道=醜道でした。
それでも夜なのに対向車が2台も来たのでビックリでしたよ。

(国道406号線 鬼無里街道 白馬村の白沢洞門 : 2011.8 撮影 ウィキペディア)
さらに私は糸魚川市内でガソリンを入れなかったミスも犯していて、白馬村内では夜にはすでにガソリンスタンドは一軒も開いておらず、ガス欠に不安に覚えながら長野市街に向け山越えをしていました。
峠の最高点は標高1000mほどもあり、後で調べると昼間なら立山連峰が見えて絶景らしいのですが、とにかくここでガス欠を起こせばもちろん携帯も通じず民家も一切なく、路頭に迷うことは必定なので必死の形相で運転していました。
そしてなんとか峠を無事越えて、まだガス欠することなく真っ黒ななか長野市街へ向かっていると、「戸隠」という地名が道路看板に表示されていました。そしてこのとき初めて私は“戸隠”という地名を知りました。周囲は真っ暗で静寂なこともあったのでしょうか、なんとも言えない神秘的な感じをそのとき受けました。
そしてガソリンもなんとか長野市街地まで持ちこたえ、夜10:00が近かったけどまだ開いていたガソリンスタンドを見つけると速攻で給油しました。
後で調べれば、白馬方面から長野市街へ出るにはどうやら長野県道の33号+31号線 大町街道を使うのが普通だと知りました。
そして、そのときは所用のため戸隠への寄り道はしませんでしたが、2011年9月17日に長野県塩尻にてオフ会があるのも兼ねて、15日から休暇を取り3日間で初めて甲信越地方に旅行することにしました。
------------------------------------
その当時(2011.9)のフォトギャラリーにもアップしていますが、初日の9/15日は自宅から山梨への移動と裏富士の撮影スポットの散策、次の日の早朝に
山中湖で赤富士を撮影後に富士五湖を散策してから中央道に入り、山梨県内の須玉ICで降りてから国道141号をひたすら北上し清里へ行きました。
たまたま寄ったJR清里駅で静態保存されている
蒸気機関車のC56を見学・撮影してから (前ブログのDP1xのページとフォトギャラリーに関連写真あり)、また元に戻って北上しますとJR最高標高地点の看板が目に入ってここも見学 (これも
フォトギャラリーに写真掲載)。
そしてさらに国道141号線を佐久・小諸へと走って野辺山あたりまで来ると、遠方に八ヶ岳が見えました。しかし残念ながらもう日没寸前でしたのでここでの写真は撮れなかったです。
その後長野市内まで出てから、夜のうちに昔走った記憶を頼りに国道406号線の鬼無里(きなさ)街道から、長野県道76号線 長野戸隠線に入って戸隠へと移動しました。周囲は真っ暗なうえすれ違う車も全くなく、しかも道中もすごく狭い道が多くて本当にこの道でいけるのか不安になりました。
ところで後日知りましたが、ここ戸隠神社奥社参道の杉並木の続くところで、
女優の吉永小百合さんがJR東日本のCMを撮影されたとか。
詳しくは
こちらのサイトで。
なお下の紹介動画には吉永小百合さんは出てきませんのであしからず。
JR東日本 大人の休日倶楽部 「戸隠編」 拡大版
(戸隠の参道の様子が紹介されています 長い3分58秒)
信州観光 長野県パワースポット戸隠神社奥社杉並木の古道
それでは長いプロローグはここで終わりにして、
ここからは戸隠の美しい風景などを順にご紹介していきたいと思います。
なお一部の写真につきましては、
後日再訪問の2012.10.16と17日に撮影した写真を追加掲載しています。
------------------------------------
2011.9.16の夜、戸隠に到着し車中泊をして夜明けを待ち、
夜が明け早朝になるとさっそく戸隠神社の中社へとまず参拝です。

(戸隠神社正面大鳥居 : 2013.9.17筆者撮影)
我がコンテ号を神社駐車場に回し駐車場入口から撮影です。
お手水舎を撮影。以下3枚の写真は2012.10.16の再訪問の際に撮影。

ここのお手水は飲める、ということでしたのでゴクゴクと飲み干しました。
確かに戸隠の湧き水はおいしかったですね。
次にこちらの写真は戸隠中社の本殿ですが、
2011.9.17の朝6:30頃の撮影です。
中社のご由緒板。こちらの写真は後日の2012.10.16の撮影。
初めて訪ねた2011.9の訪問時には色あせてボロボロでしたが、
その後どうやら新品に作り直されたようです。

(戸隠中社境内にあるご神木 : 2011.9.17早朝撮影)
------------------------------------
ところでここ戸隠を初めて訪問した2011年 9月17日を含む、9/17・18・19日の三連休は
この近辺、大勢の観光客が押し寄せるためなのか、
どうやら朝8:30から夕方ぐらいまで交通規制が行われる、との看板が掲示されていました。
よって交通規制のかかる前の早朝に、まず戸隠神社の奥社へと行くことにしました。
戸隠神社奥社へと続く参道の入り口の駐車場に6:40頃に来ると、
すでにポチポチと人がいてどうやら登山客ばかりのようでしたが、
なんと奥社までは杉並木が続く参道が片道2kmも続くようで、
早速参拝の準備にかかり6:50頃出発です。
参道の入口を入ってすぐに奥社の鳥居があります。

この時間はまだ早朝なので、写真を見れば分かりますように参道はガラガラで、
参道の先にはわずかに二人ほど人がいるのが見えるだけですね。
鳥居の手前には奥社の道中案内板がありました。

戸隠神社の奥社にたどり着くには、たっぷり2kmは歩かなければならないようです
そしてこの日は台風が接近している影響か晴天ではなくてどんよりと曇っていて、
しかも高地でもあるせいか気温も20℃を下回っていたのでとても涼しく、
整備された参道を気持ちよく登っていきます。
このときにも参道の随神門とか杉並木などの写真も撮影したものの、私にとって初めての本格的なデジカメを買ってまだ1週間ぐらいしか経っていなかったせいで、カメラの使い方を十分マスターしておらず、
特に暗い場面の写真はうまく撮れていなくて、ここへの掲載ははばかれたので残念ながら道中写真は今回はなしです (後日 2012.1.28と2012.10.17に再訪問してブログにもしています)。
後日2012.10.17にここを再々訪問したので、
参道写真はそちらのブログに詳しく掲載しました→
こちらです。
そして40分ほど歩いたでしょうか、ようやく奥社手前まで登ってきました。
お手水舎のところまで180段ぐらいはあったようです。

ようやく奥社へとたどり着きましたがきれいに整地され滑らかだった参道はどこへやら、
最後の200~300mぐらいになるとガタガタの階段道ばかりで、
涼しかったとはいえさすがに息切れする有様です
------------------------------------
残念ながら2011.9.17の訪問時には早朝すぎたせいか、
はたまた台風が近づきつつあったせいか、
奥社の背後にそびえる戸隠山が残念ながら完全にもやに覆われていて、
あの独特なギサギサ山の戸隠山を見ることはかないませんでした。
ちなみに前日に訪れた富士山も、早朝の赤富士だけは何とか見れたものの、
あとは一日中雲隠れしていて富士のお姿は見れなかったですね。
それからなんとか奥社へたどり着き最後の30段ほどの階段を登りきると、
下の写真ような質素な本殿の建物がお出迎えしてくださいます。

そして、あのなんともいえない不思議な岩の中に本殿がある
群馬県の榛名神社ほどではないですが、どうやら岩の中に拝殿があるようで、
私が訪れた7:30頃は神職の方が朝のお勤めをされていました。

(戸隠神社奥社のご由緒板)
ここに30分ほどいたでのでしょうか、
神主さんの朝のお勤めも終わり私も帰路につきました。
帰路の途中で8:00をとうに過ぎ8:20頃になると、
先ほどとはうってかわって何百人もの方がこの長い参道を登ってくるではありませんか。
これには本当にビックリです。
なにせここは長野市の西の果ての果て、長野の街中から20km以上も離れている高地の山の中、早朝からこんなに人が来るとは全く想像すらしていませんでしたが、行き交う人から 「お早いですね」 とお声をかけられたりもしました。
そして8:30頃に参道入り口の鳥居まで戻ってきました(下の写真)。

この写真を見てくだされば分かりますように、
参道は切れ目なく多くの方々が登っていくのがぼんやりとですが分かりますね。
この後、私は愛馬ムーヴコンテカスタムRSでもう一度戸隠神社中社へと戻り、せっかく来たのでおみくじを引かさせていただきましたが、
ここのおみくじはご自分の年齢を告げてから、それにあったものを神職さんが祝詞(のりと)を奏上したうえでお引きになって頂くものです。しかも本文は漢文となっています。でもちゃんと現代文による日本語の解説がついていますので、ご安心を。
仏閣のおみくじは、浅草の浅草寺とか奈良の東大寺とかのように全文が漢文となっているのは幾度か見かけましたが、神社のおみくじはたいがい和歌が多いのでちょうと意外で驚きでした。ちなみに私は52番でしたよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それから涼しく神秘的だった戸隠を後にして長野市の街中まで出て、須坂長野東ICから上信越道に入って長野道経由でコンテオフ会のある塩尻市 小坂田公園へと向かいましたが、長野道内の坂きつい山岳地帯で依身コンテ号さんのコンテカスタムをぶっちぎりで追い越してしまい、しかもそれをしっかりと見られていたようです。