
三連休の中日です。
気温が低いと言っても日中はそれほど寒く感じません。
予定通りにスコップと鍬を使って、庭の雑草を根から取り除きました。
表面だけでなく根は結構深く、横に繋がっているから大変。
すっかり汗だくになりつつ、2m四方のガーデングスペースを耕しました(汗)。
その場所にとりあえずパンジーを植えました。
庭に色味が無かったので、ちょっと春らしくなった気がします。
春になったら家庭菜園に早変わりします。
肉体労働後は夕食の買い出しついでにプチツーに。
やっぱり海が見える道を走るのは気持ちがいいです。
近くの富津公園に寄りました。
ここは自宅からも仕事場からも近く、よく行く場所です。
かつては東京湾要塞の一部として民間人は立ち入れない場所でした。
富津元洲堡塁砲台の跡地には中之島展望台があります。
公園の広範囲に要塞だった戦争遺構が残っています。
結構な高さがあって、そこを上がると公園全景から東京湾を眺められます。
そして富士山も目の前に
実はこの展望台の上で嫁に告白して交際を始めた場所です。
当時と全く変わらない姿で公園も展望台もそこにありました。
過去に嫁を何度か連れて行こうと誘ったのですが、展望台に上るのが面倒なようで来ることもなく、今日久しぶりにここにやって来ました。
富津の展望台と言えば明治百年記念展望台がありますが、あっちの方がロマンチックですが、当時は暴走族のたまり場でもあったし、もし断られても他人に見られないからこっちにしました。
私の恋愛時代は見栄の時代と言われ、ホットドックプレスやポパイを教科書に、イカス(これも死語だな)恋愛をするのが流行でした。
「私をスキーに連れてって」(1987年)
「彼女が水着にきがえたら」(1989年)
「波の数だけ抱きしめて」(1991年)
こんな映画をマネするような恋愛が理想と思われていた時代です。
金もない、地位もない、あるのはバイクだけ。
でも、バイクで走り回っていたから、感動する景色を見せるだけの金のかからないデートは上手でした。
この展望台から見える夕焼けに染まる赤富士のシルエットは最高でした。
それと、太田山の山頂から見る木更津市街の夜景、または鹿野山にあるマザー牧場富津側から見る東京湾の夜景。
実はその景色は消えることもなく今も変わらずに見ることができます。
バブル後に多くの観光施設、レジャー施設が消えた中、思い出の場所が今も残っていると、つい行ってしまいたくなるという事実。
41年後の自分が41年前の自分を考えて訪れるなんて思いもしないだろうな。
でも、今度は嫁と一緒に来ようと思う。
そして、なんで41年前に即答で交際OKの返事をくれたのか聞いてみたい。
さて、明日はいよいよDIYだ。
大工道具を探しておくとしましょう。
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Posted at
2025/02/23 15:49:54