
今日は特別な日です。
我が家の家族にとっては次男の誕生日は特別な思いがあります。
生後一歳の誕生日を前にして助からないと言われた命。
長い入院生活の間、多くの医師、看護師のおかげで助かった命。
今年も18回目の誕生日を迎えることが出来た喜び。
親として、家族としてこの日は特別な日なのです。
次男の病気から我が家は大きく変わりました。
高校受験に入った長男、小学校高学年の長女。
妻が次男の病院に泊まり込むことになり私との父子生活。
しかし、私も仕事人間で帰宅は遅く、次第に子供たちと溝が生まれ家庭は荒れていきます。
長男は受験も失敗。
娘も反抗期になり、私とは口を聞かない日々。
病院では次男は命は助かったものの、会話も困難な植物状態の可能性も伝えられ、人生なんでこんなことが起きるのか理不尽に飲み暮れることもしばしば。
ICUで人工蘇生装置に紙おむつ一枚の状態で寝かされている息子。
留守の家族さえもまともに育てられない自分の弱さを恨んだものです。
そんな状態では仕事も上手くいかず、しばらく会社を休むことに。
障害を持った子供を抱えるという噂で、仕事でも出世から遠ざかりいろんな意味で自分を恨んだこともありました。
そんな中、次男は奇跡的に意識を回復。
左半身麻痺という障害を持ったものの、すくすくと今までの苦労を覆すように成長を始めました。
そんな姿を見ていて自分がなんて弱く愚かな人間だと思い知らされました。
歩くことが出来なくても、右足だけで床を蹴り上げ背這いで室内を移動する息子。
いつも笑顔で、仕事から帰宅すれば転がりながら玄関に迎えに来てくれる。
この子の為に、そとて壊れ掛かっている家族を元に戻すことが私の大事な仕事じゃないか。
気が付けば育児にのめりこみ、仕事人間から家庭人間に変身。
前例が無いからと断られてばかりいた幼稚園探し。
小学校にバリアフリーを訴えてバリアフリー工事を実施。
いつの間にかPTA役員にも推薦され副会長に。
次男の為に、家族の為に突っ走って来た15年。
今では長男、長女もあの頃は淋しかったと言いつつも、家族全員で次男の誕生日を祝ってくれる。
もしもという世界はないのだが、次男があの時に助からなかったら・・・確実に家族は崩壊しただろう。
実は18歳になったことで、次男はようやく我が家では一人前の扱い。
私が18歳の頃にやったことはバイクで日本一周でした。
そして息子は鉄道でとりあえず四国、近畿地方に出掛けるのだとか。
高校の友人と4人で3月に旅に出る。
親離れ、子離れの時期に入り、親として少しだけ今の気持ちを書いてみました。
いろいろな経験をくれた次男には感謝、感謝です。
「育児」をすることで自分も成長することを「育自」と呼びます。
「育自」をすると自然と仕事にも良い影響が現れます。
出世から遠ざかっていた私も現在はそれなりの役職になりました。
幸せは待つものではなく切り開くものだと感じています。
Posted at 2015/01/24 23:07:39 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記