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モモのすけのブログ一覧

2011年11月24日 イイね!

娯楽の殿堂~機種編~

娯楽の殿堂~機種編~先日、休みを利用して和歌山はぶらくり丁というコアな商店街へ遠征し
絶滅危惧種であるスマートボールを堪能してきた訳でありますが
どうも遊戯ホールに設置されてる筐体と夜店にあるのとでは乖離が激しいようなので
ひとつ、私の撮影してきたものと、それ以外のものとを検証してみようと思います。

まずその前に、由来などをご説明しようかと。

スマートボールの原型となったものに、コリントゲームと呼ばれる
ヨーロッパ発祥の室内ゲーム器具が存在します。

こんな感じの簡素な造りです。

小さな鉄球をバットっぽい棒の先端で弾き飛ばし
いくつか設けられた穴へ入れ、その得点を競うというゲームらしいです。
このコリントゲームが現在のパチンコの元祖だと言われているようです。
さしづめスマートボールはコリントゲームを親に持つ、パチンコの兄弟みたいな感じですかね。

そしてスマートボール。
縁日の屋台等で子供の頃遊んだスマートボールの画像を探してみました。


恐らく、皆さんが出店の屋台で遊ばれたスマートボールは
このような形のものだったのではないでしょうか。
これはスマートボールでも相当初期のものみたいです。
規則正しく開けられた穴に玉を入れてゆき、その玉の並びによって払い出しがあるという
言わばアレンジボールのようなシステムのようですね。

かたや、私の紹介したスマートボールは
かなりパチンコに近い要素を持つものに進化した感じがします。
スマートボールが子供の遊びからギャンブルへと生まれ変わろうとした過渡期かも知れません。
(しかし実際に18歳以上指定になったのは、もっと後の話です)


私が今回、ぶらくり丁で遊んだものは
昭和50年代のものみたいです。
単調にならないよう、役物という出玉にスリルと躍動感を持たせるギミックを装備した
パチンコの要素を持つスマートボールですね。

私が訪れたニューホープさんで扱っていた台を見てみましょう。

これは比較的初期のもので、私も結局打たなかったので詳しくは分かりませんが
恐らく、中央上側の2つの穴か、下側の2つの穴に玉を乗せると
丈夫にある蝶の絵のアタッカーが開くというものではないでしょうか。


これは一度、新世界の店で打った事があるのですが、確か蝶の形の役物の下にある
2つの穴のそれぞれに玉を入れると、右穴→右側の翼、左穴→左側の翼が
独立して開く構造だったと思います。
一気に大量出玉という仕様ではないようですね。


これも初めて見る台でした。
打ってませんが、恐らくポケットの色と鍵盤状の役物が連動していると思われます。
個人的にこのデザインは好きですね。


これも新世界、ぶらくり、両方にある台です。
やはり打った事はないのですが、どこかのポケットに入ると
将棋の駒っぽいギミックが開くという、そんな簡素な仕掛けだったと記憶しています。


言わずもがな、私が今回挑戦した台です。
上に紹介したものとは明らかに違い、大量出玉の期待できる仕様です。
その代わり、他のと比べると釘は渋めです。
世の中それほど甘くはないといったところですかねw

今回紹介したぶらくり丁や新世界という関西の店舗以外にも
関東では浅草にある三松館というお店や江ノ島と熱海にも設置店が残ってるようです。
もしどちらかの地域へ行かれる事があるなら、一度覗いてみてはいかがでしょう?
Posted at 2011/11/24 20:46:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅記録 | 日記
2011年11月22日 イイね!

娯楽の殿堂~和歌山編~

娯楽の殿堂~和歌山編~今日は久しぶりのお休みだったので、和歌山までバイクで遠征しました。
小旅行の風情であります(*´∀`)ゞ
小旅行と言っても、バイクで自宅から30~40分圏内ですので
それほど旅行チックなものではありませんが…。


和歌山へ行ったのには、ちゃんとした理由があるのです。
某サイトにて、和歌山のぶらくり丁という商店街に
絶滅寸前のスマートボール場があるという情報を入手したからです。
早速、寒空の下を頑張ってバイクでひた走りました。

ぶらくり丁という言葉の由来には、商品を店先などにぶら下げるという意味の
和歌山の方言“ぶらくる”から来ているという説があります。


実は和歌山市のこのぶらくり丁は、私の自宅から結構近いながらも、今回初でした。
少しだけ道に迷いましたが、どうにか無事到着。
ぶらくり丁には、ぶらくり丁大通り・東ぶらくり丁・中ぶらくり丁・北ぶらくり丁・南ぶらくり丁等
いくつかの呼称に分かれているようですが
今回の目当ては東ぶらくり丁になります。


少し閑散とした感じが、またよろし。

この東ぶらくり丁のアーケードをくぐったすぐ先に、目当てのスマートボール場があります。

見よ!この昭和の風情豊かな文化遺産!

看板も躍っています。



早速入店します。
先客は常連とおぼしき年配の男性一人のみ。

ほぼ貸切状態でした。


スマートボール場はここの他には、大阪の新世界という歓楽街にもう1軒だけ存在します。
そこも観光客相手に盛況のようですが、正直あまり好きな場所ではありません。
以前、甘釘の台をゲットして出しまくってたところ
店番のオバハンが積み上げていた玉箱を勝手に景品に交換した挙句
舌打ちしながら、「もうええやろ!帰って!」と半強制的に追い出されたからです。
意味が分かりません。
それ以外の台は釘調整もクソで、全然出る気配もありませんでした。

このぶらくり丁のお店はどんな感じでしょうか。
早速一台を選び、打ち始めました。
私はこういう感じの、一発入れば大量出玉が期待できるタイプが好きなので
迷う事なくこの台にしました。

なかなかの甘釘調整のようで、最初の100円を投じて以来
追加投資なしでグングン増えていきます。
そしてスイートスポットに何度か命中!
こんな感じで全開しました。

スイートスポットは、ピアノの鍵盤状に並んでいる赤と緑の役物の下にある
シーソー状の赤緑の役物のすぐ下にある15と書かれたポケットで
そこに入ると、上の写真のように鍵盤状の役物が全て開くのです。
そこへ一気に玉をブチ込めば、ご覧のように玉は一気に増えるのであります。
もちろん、シーソー状の役物に入っても
赤緑どちらかの鍵盤状役物が開きます。


説明が前後しますが、スマートボールもパチンコと同じく
18歳未満ご法度の遊戯なのであります。

貸玉も4円パチンコ同様、100円で25玉のレートです。
そしてある程度の出玉があれば、それを計量箱に入れ
店員さんに渡して景品と交換してもらうシステムとなっております。

ただ、見た感じでは景品がチョコレート(古そう)しかなく
換金も可能なのかどうか微妙な感じです。
ひょっとしたら、和歌山では換金不可なのかも知れません。
(大阪は換金可でした)
聞こうかとも思いましたが、写真撮影の許可を取るだけで精一杯のヘタレですので
それ以上の質問はせず、黙々と遊戯にいそしんでおりました。

1時間半ぐらい打ち続けたでしょうか。
さすがに昼どきをとっくに過ぎており、腹が減って仕方がありません。
集中力も途切れ、出玉はぐんぐん減り、ジリ貧です。
結局、全ての出玉を飲まれてゲームセットとなりました。
いいんです。
たった100円でこれだけ遊べて、昭和の雰囲気を満喫できたのですから♪
店員さんにお礼を言って、紳士淑女の社交場を後にしました。

このスマートボール場のすぐ並びには、美味しそうな老舗っぽいカレー専門店がありました。

入り口が非常に小さく、店内がまるで見えない構造の為
ヘタレの私は入るのに躊躇しておりました。
すると、一人の店員さんがドアを開け、私を招き入れてくれました。

お持ち帰りもある、このカレー専門店。
店内はカウンター席のみの簡素な造りとなっておりました。


メニューも豊富です。


カツカレー(600円)を注文し、ほどなく出てきたのですが
カツ2切れのうち1切れがどうも良い出来ではなかったらしく
「後で揚げ直して出します」との事で、とりあえず食べ始めました。
(腹が減り過ぎてて、写真取り忘れましたw)

すると、揚げ直したカツは通常より多く盛ってあり、なおかつ
「お待たせしましたので、ルーも増量しましょう」と大サービスして下さいました。
女性二人で切り盛りされていますが、どちらの方も親切です♪
ついでなので、ぶらくり丁について聞いてみました。

二人のお姉さんの話によれば
・普段から割と閑散としている
・今日は火曜日なので閉まってる店が多いが、シャッター横丁ではない

・うちのカレー目当てに遠方から来訪されるお客さんも多い
なるほどなるほど…勉強になりました。

肝心のカレーは、美味しかったです。
辛さも三段階選べ(甘口・中辛・辛口)、その中から中辛を選択しましたが
なかなかにコクもあり、カツもサクサクで美味しかったです。
難があるとすれば、ご飯が少し水を多く炊いてるようで
モチモチしてました…そういうのが好きな人には良いですね。

お腹もいっぱいに満たされ、お姉さん方から笑顔でお見送りを受け
いざ帰還です。


チープな小旅行でしたが、内容はかなり充実しておりました。
ガソリン代も燃費のいいバイクなので
メーターの1/2しかガソリンは入ってませんでしたが、無給油で往復出来ました。
実際に使ったのは
・スマートボール…100円
・そこで飲んだ缶コーヒー…120円
・カツカレー…600円
締めて820円のみでした。

給料前なので、非常に安上がりで内容も濃く
楽しい休日を過ごせて良かったです(´∀`人)
また近いうちに同じパターンで攻めてみたいと思います。

※帰宅してから某サイトを見て愕然としたのですが
このカレー専門店のすぐ横の道を進んでいくと、ソープランド街が存在するようです。
確かに、カレー屋さんのすぐ近くに“女子寮”という、いかがわしそうな店はありましたが
どうやらそれもソープだったようです。
無論、お金持ってても行きませんけどねw
Posted at 2011/11/22 17:44:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅記録 | 日記
2011年11月17日 イイね!

プログレを妬む同僚

プログレを妬む同僚※内容が愚痴っぽいので、スルーして頂いて構いません

うちの会社に一人、バカなオッサンがいます。(以下、Kと呼びます)
すぐイライラぶち切れてみたり、他人の悪口ばかり言って
さも自分は仕事出来ると言いたげな、そんな人。
職場の皆さんは大人な人が多いので、あえて突っ込みません。

そのKは、私が前のムーヴを事故で廃車にした時も
他の同僚に対し「いつもスピード出しまくってるから自業自得」とか
「金ないと言ってるから、どうせボロボロの車しか買えない」と
好き勝手に吹聴しまわってたそうです。
後で聞いて、このKの人間性の低さにため息が出ました。

確かにお金には苦労してます。
でも、車に関してはこだわりを持ってます。
他への出費を抑えれば、車が買えない訳でもありません。
前々から欲しかったプログレを選択するのは、当然の結果だったと思います。

で、プログレを晴れて納車し、初めて通勤で乗って行った日の翌日
私が休みで不在なのをいい事に、Kはまたいつもの調子で吹聴するのでした。

「あいつ、金ないないって言ってるくせに、あんなイイ車買いやがって!」
「あいつ、絶対金貯め込んでるに違いない!」
だそうです。
あ~あ、もう…('A`)

プログレを“イイ車”と評価してくれた事には、むしろ感謝してますw
仰る通り、Kのなけなしの小遣いで買った10数年落ちのボロワ○ンRよりか
はるかに高級車であり、ステータスも備えてる車ですからねw
Kは単に、毎日晩酌と称して飲みまくったり
中国へ嫁あさりしに行く渡航費用などで散財してるだけですし
私が何買って乗ろうと、それは私の自由であります。
Kがパチンコで散財して貯金すらままならないのも自己責任ですし、私には関係ありません。
何も言われる筋合いなどないと思うのですが、皆さんいかがでしょ?


そしてKは私に対し、対抗意識をメラメラと燃やす毎日を送る事となります。
スマートホンに買い換えて、意気揚々と自慢してみたり。
(別にスマホに興味ないので、シラ~っと聞き流してますw)
それに56歳にもなって、10歳も下の人間と張り合うとか、もうね…。
同じ張り合うなら、仕事で張り合って頂きたいものです。
自慢ではありませんが、私はKの2倍以上仕事出来ますし
自己努力も怠りなく努めてます。
かたやKはサボる事しか頭になく、口を開けば上司や同僚の悪口ばかり。
パソコンすら満足に使えず、字も誤字脱字のオンパレード。
こんなのにライバル視されるのも、正直迷惑です('A`)

また今日の夜勤でも張り合って来るのかと思うと、反吐が出そうです。
Posted at 2011/11/17 13:11:44 | コメント(10) | トラックバック(0) | バカな人 | 日記
2011年11月12日 イイね!

オート三輪(軽三輪)の世界

オート三輪(軽三輪)の世界昨日投稿した日記に登場した
所謂“オート三輪”に触れるうちに
オート三輪や軽三輪についてもっと知りたくなり
自分なりに調べてみました。


くろがねオート三輪(上:くろがね号、下:ニュー・エラ号)


くろがねという会社は、日本内燃機株式会社という社名でスタートした
言わばオート三輪の草分け的な企業です。
(学習机のくろがねとは別物です)
その後、社名を日本内燃機製造株式会社→日本自動車工業株式会社と改称し
最終的には自社ブランドのくろがねを用いた、東急くろがね工業株式会社としたそうです。
しかし、戦後の放漫経営のツケにより1964年(昭和39年)倒産したようです。

ダイハツ



言わずと知れた、現在のダイハツの源流である発動機製造メーカーです。
東京のトーハツと双璧を成す、大阪発動機(初期のマークは大阪城をモチーフ)ですね。
戦前から戦後にかけては、くろがね同様、バイクの後ろにリヤカーをくっつけたような
非常に割り切った構造の簡素なものが主流でした。
その後、ミゼットに代表されるキャノピー付のものに代替わりし
そして4輪の一流メーカーへとステップアップを果たしました。
戦時中は、後部荷台部分に機銃を取り付け、軍用としても重用されていたようです。

マツダ


創業者・松田重次郎氏の姓から取ったものを社名とした
言わずと知れたロータリーエンジンの草分け的存在です。
画像2枚目のオート三輪はかなり売れたモデルのT-2000型で
年配の方にはかなり懐かしい画像ではないでしょうか。
私が幼稚園~小学生の頃は、これがまだまだ現役で走行してました。
ダイハツ、くろがねと共に日本のオート三輪の三大企業として頑張っていたようです。

番外編
フジ・キャビン



フジ・キャビンは、富士自動車(現在のコマツユーティリティ/富士重工とは別物)が1955年に発表
1956年~1957年の二年間に85台のみ製造した、前2輪・後ろ1輪の小型軽三輪です。
ボディをフルFRPとした車両重量もたったの130kgしかなく(250ccバイク並)
女性でも軽々と持ち上げて方向転換させている映像を見た記憶があります。

女性でも楽々運転可能で、低価格のフジ・キャビンでしたが
商業的には大失敗に終わり、僅かな台数を生産するだけに終わってしまった背景を
Wikipediaには以下のように記されています。
(以下、Wikipediaより抜粋)
価格は23万5,000円で、2人乗りの自動車としては廉価ではあったが、操縦性や乗り心地が悪いうえ、ベンチレーションが悪く、夏はひどく暑くなり、冬になってもヒーターがないという実態は、まったくの「屋根付きスクーター」に過ぎなかった。新素材であったFRPでのボディ生産技術が未熟で、乾燥工程を要するため量産性も悪いという根本的課題を抱えており、悪路の多かった当時は、ショックを自ら受け止めるモノコックのFRP車体にクラックも多発、メーカーはこれによるクレーム対策にも追われた。
生産性や商品性に問題が多かったことは否めず、結局フジキャビンは、十分な量産体制を確立できないまま、翌1957年12月までに85台を生産して製造中止された。半成品のFRPボディが数十台分残り、用途もないため大部分が破砕されたとされる。鋼製サブフレーム上にFRPボディを乗せ、エンジンも強力な物へ変更する、より堅実な構造への改良も検討されていたが、試作には至らなかった。


当時の日本(昭和30年代前期)は、まだ高度経済成長とは程遠い時代であり
一般家庭が1台ずつマイカーを所有できる時代ではありませんでした。
そんな時代だったからこそ、軽便で安価なモデルを各社がこぞって開発していたのであり
現在の一人1台というのが珍しくない時代からすれば、まだまだ立ち遅れた感は否めません。
その後、政府を挙げての国民車構想という考え方が本格化を始め
スバル360やトヨタパブリカといった低予算で買える車が出現していったのでありました。

日本ならではの小型車構想やオート三輪から派生した様々なモデルはその後
日本に大きなモータリゼーションを巻き起こす事となり
日本は世界に冠たる一大自動車産業王国となったのでありました。
そこまでに至った背景には、オート三輪に始まった自動車製造の技術の底力や
試行錯誤、紆余曲折を経て進化する系譜が布石として大きな役割を果たした事は
言うに及びません。
これからも日本の自動車産業は、世界を牽引する頼もしいリーダー的存在で居続ける事でしょう。



Posted at 2011/11/12 09:01:02 | コメント(3) | トラックバック(0) | 過去の愛車たち | クルマ
2011年11月11日 イイね!

福山自動車時計博物館探訪記

福山自動車時計博物館探訪記阪神淡路大震災のあった1995年(平成7年)1月17日を少し遡る
1月14日、日本でも珍しい“乗って、見て、触れて、写真も撮れる、体験博物館”である
福山自動車時計博物館へ行った時の写真が、物置を整理していたら出て来たので
スキャンで取り込み、アップしてみようと思います。

この博物館が開館したのが、私が訪問した日より6年早い1989年(平成元年)。
地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし 1943年-)らにより
1989年に開館、財団法人「能宗文化財団」によって運営されている。だそうです。
(Wikipediaより抜粋)
私が訪問した頃は、まだ黎明期に近い状況でしたので
博物館というよりもむしろ、個人蒐集の個展のような状態でした。
その日は平日で、私の他に1組かそこらしか観客はおりませんでしたので
館長さん(能宗さんだったのかも知れません)がほぼ付きっきりで説明して下さいました。

無論、写真撮影や運転席その他へ乗り込む事
そしてボンネットやトランク等も開け放題の自由度の非常に高い博物館でありましたので
夢中で乗りまくって、シャッターを切りまくっておりました。
思えば、もう少し冷静にメモなど取りながら撮影しておくべきだったと反省です。
(後で写真を編集する際、車の名称等が分からなくなってしまいました)


では、早速戦利品の写真を基に、ご紹介していきましょう(*´∀`)ゞ

私の至上目的でもあった、マツダのR360クーペです。




細かい内容は、過去にアップした日記をご参照下さい。

続いて、ご当地マツダのキャロルです。


前出のR360クーペより、ほんの数年後に発売されただけなのに
驚くほど質感や居住性、そして広さが進歩している事に驚かされました。
車内がメッチャ広いんです!

お次はホンダT360トラックです。


別名、“スポーツトラック”の愛称で知られる、スパルタンなものです。
本来、S360というスポーツカーを開発・販売する予定があったらしいですが
その企画がボツになり、せっかく開発したエンジンの嫁ぎ先を思案するうちに
この軽トラに載せよう!って事になったという逸話があります。
当時の性能で360ccでありながら30馬力をひねり出す高回転型エンジンは
他社の追随を許さないほど強烈なものだったそうです。
(1970年代には40馬力に迫るほどの仕様のものも登場していたそうです!)

お次は軽三輪の登場です。



左の黄色いのが三菱のペットレオというもので、左は名称を失念しました…恐らくマツダのものかと。
(どなたかご存じの方、教えて下さい)
※後で調べたところ、右のものは後期のダイハツミゼットのようです。

軽三輪といえば、この車を忘れてはいけませんね。


言わずと知れた、初代ダイハツミゼット号です。
私もこの車を直接見るまで知らなかった事なのですが
当時の軽三輪や三輪トラックは、バーハンドルや跨って乗るバイクスタイルのものが
割と当たり前だったようです。新鮮ですね(´∀`人)

この博物館には他にも、自動車関連のグッズや
博物館の名称の通り、アンティークな時計なども展示されてました。

マニア垂涎の逸品の数々。これは欲しい!
(時計も写したのですが、ピンボケまみれでしたので割愛します)

館内に収まりきらない車たちは、建物の外に展示されています。


ダットサン1号車やその他、往年の名車の数々が所狭しと並べられ
マニアならずとも視線は釘付けになる事間違いなしの圧巻です。

それ以外にも、まだ復元の済んでいない車たちは
博物館に隣接する空き地に、ご覧のように野積みされてたりもしました。
(現在はどのようになってるか知りません)



他にもいっぱい撮影したのですが、これ以上長くなると読みづらいかと思いますので
またの機会にでもアップしようかと思います(期日未定)。

昭和40年代から車に興味を持って以来、もうかれこれ40年以上になりますが
未だに往年の名車を見ると、子供の頃に帰ったようにはしゃぐ自分がいます。
日本の自動車開発・製造技術は日進月歩で進化し続けておりますが
時には過去を振り返り、未来への夢がいっぱい詰まったこれらの名車たちを
子供のような純粋かつ穢れ無きマナコで見るのも、新鮮であります(´∀`人)
Posted at 2011/11/11 15:12:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 懐かしの名車 | クルマ

プロフィール

「亀田製菓のいんてりすなっくのCM。真ん中の俳優さんはビーバップハイスクール三作に出演、演技指導された伝説の殺陣師さんですhttps://www.youtube.com/watch?v=qI_f8Mjsk70
何シテル?   09/29 18:39
軽フリークからプログレオーナーへ。 そしてまた軽へと原点回帰。 お金に余裕のない生活してますので、内装弄ったりステッカー貼る程度です。 それでいいんです。...
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