桜井市の巻向の東側を散策しました。
巻向といえば、纒向遺跡。
卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳があり、
邪馬台国跡とも言われています。
ちなみに、邪馬台国は畿内説(奈良)派と北九州説派とが激論を交わしてるとよく言われますが、実は学界ではとうの昔に畿内説で決着が着いているとか。
たかじんのそこまで言って委員会に、畿内派と九州派の学者が呼ばれて討論をしてたんですが、
もう邪馬台国論争なんて話題にもならないそうです。
そして九州派を唱えてる学者は数パーセントいるかどうか・・・・。
ちなみに、番組に来てた九州派の学者さんが九州派になった経緯も凄い。
奈良の研究所に勤務してた時、当時の上司に
「畿内派だけだと盛り上がらないから、九州出身のアナタは九州派でいきなさい。」と言われたからだそうです。
唖然としますね。
ま、邪馬台国論争なんて、歴史にロマンを感じる読者向けに文壇とマスコミが煽り立ててるだけだったってことなんでしょう。
一気に冷めてしまいました。
てことで、この日も邪馬台国巡りをしたわけではなく、
穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)に行ってきました。
その名の通り、穴師という集落にある、兵主神社という意味ですが、
控えめな名前の割にはビッグな神社のようでして、
ココが全国の兵主神社の総本山です。
そして、謎を秘めた神社だそうで、見に行ってみたくなりました。
参道はJR巻向駅を東側に出て、少し歩いたところから始まります。

この参道の起点から神社まで、なんと1.6kmもあります。
さすがは、名神大社だっただけありますね。
参道沿いは、昔ながらの家々と、のどかな田園風景が広がります。
しかし、神社に近づくにつれて、この参道沿いには数々の歴史的に重要なスポットが存在していることが分かります。
垂仁天皇 纏向珠城宮址

史跡とブルドーザーね・・・・。
景行天皇陵
珠城山古墳群

和洋折衷な入口。
更に進むと、
景行天皇纏向日代宮址
この看板は見逃せない。

景行天皇といえば、ヤマトタケルの父というくらいの印象しかないところですが、
なんとホツマツタエ(漢字が入ってくる前に作られたという歴史書)の編纂を命じた人だったとのこと。
江戸時代に作られた偽史書とみなされてる文献ですが、それを兵主神社が景行天皇宮跡に記しているといのが驚きです。どういった神社なんでしょう。
更に更に進むと、いよいよ境内の鳥居が見えてきます。
そして、いよいよ兵主神社の境内に入ろうかというその時、右手にもう一つ鳥居があるのに気付く。
なんと、相撲発祥の地だといいます。
相撲広場、カタヤケシ。入ってみました。
結構広い!!
この草の無い盛り上がったところが土俵かな?
ところで、僕もつい数年前に知ったのですが、
相撲って単なるスポーツじゃないそうです。
一種の宗教上の儀式。しかも、戦争の前の。
んで、取り組みは力士の格付けのためにやってるだけで、
メインは四股だそうです。
昔、朝廷にまつろわぬ敵を討ちに行く時、
合戦前に敵地の悪神(敵方の祖神か?)が土の中から出てこないように
ズドーン!!と四股を踏んで押さえ付けるといった意味があったようです。
なので、未だに四股踏んでるんですね。
九州場所では九州で反乱が起きないように、ズドーン!!
大阪でもズドーン!!
ロンドン公演でも四股踏んだら、領土的野心があると判断して良いのかな??
「かくかくしかじかの理由で、海外公演では四股踏みません。」とか言えば、
大相撲のプレミアム度が上がってイイかもしれない。
外野からスポーツマン精神がどうのとか、うるさく言われなくなるかも。
そんなわけで、横綱ともなれば悪神を押さえつける力を持ってるわけで、
もう人間の域を超越してるわけです。現人神です。
そんな存在だからこそ、両横綱が外国人だとどうのこうのという声もありますが、
今の両横綱同士の取り組みを見ていると、別に外国人でもイイじゃないって思えてくる。
気迫と気迫のぶつかり合い。
あんなのが何の編集も無く生放送で伝わってくるというのは凄いことです。
ホントに悪神を押さえつけられそうな気がします。
だいぶ話がそれちゃいましたが、何を言いたかったかといいますと、
このような大和朝廷の日本統一戦線に関連する場所が、
兵主神社の境内脇にあるのは、なんででしょう??ということです。
(?_?)
話と道を元に戻して、
いよいよ兵主神社の境内に入ります。
さっそく見つけてしまいましたよ、謎めいたモノを。

めっちゃ違和感ある!
普通、ご祭神ってのは、その神社に祀られてる神様の名前を書いてるもの。
例えば、伊勢神宮なら、天照大神。
なのに、神社のご祭神が神社って変でしょ??
実は、祭神名が不明らしい。
名神大社なのに、そんなバカな!!
これが、拝殿。立派ですよね、祭神名が不明なのに。
しかも、まだ謎があるそうです。
通常、古くて由緒ある神社というのは、天皇の命で建てられた神社であっても、たいてい有力氏族が祀っていました。
例えば、大神神社は三輪氏、石上神宮は物部氏、春日大社は藤原氏、といった具合に。
ところが、この兵主神社、名神大社でありながら、祀ってた氏族が不明。
祭神名が不明なら、祀ってた氏族も不明。なのに、名神大社。謎だらけ。
神社の貼紙によれば、天皇の食事等をお守りする神様とのこと。ココがミソ。
そんなこんなで
、この前の高天原散策のブログで言ってた本、「神々と天皇の間」の最後の方では、
この神社に祀られている謎の神様こそが、天皇家(崇神天皇以降)の祖神ではないかと書いてました。
そして、この穴師こそが、天皇家の出身地・故郷なのだと。

神武~開化天皇までは、宮跡や后・妃の勢力圏から言っても、
葛城山麓に本拠地があり(後半は諸事情でちょっと違いますが)、
祖神も高天彦神社に祀られる高御産巣日神(タカミムスビノカミ)。
それが崇神天皇から急に本拠地が大和平野を挟んだ向こう側の穴師に変わり、兵主神社が出現し、祖神っぽい扱いになっていると。
これが、王朝交替説の動かぬ証拠ではないか!と言うようなことが書いてありました。
たしかにたしかに、天皇家の祖神なら、祀ってた氏族が不明っての頷けます。
だって、天皇家は名字がないですからね。
氏族名が不明というよりは、もともとありません。
しかも、天照大神を祖神、最高神としていますから、穴師の神様は日子思想による権威付けにはそぐわなくなってしまい、祭神名が伏せられてしまったのかもしれません。
名字を付ける必要のないほどに万世一系だったはずが、実は古墳時代までは名字を持った一部族だった、なんてことになると具合が悪いですから。
万世一系だったか、王朝が交替していたかは置いといて、
この兵主神社の参道沿いに、崇神朝の重要拠点が多いことは確かです。
この神社を”奥”とした都造りがなされていたんでしょう。

参道沿いにあった、当時の復元図。
そして、その穴師の都を見守るようにいまします、兵主神社の神様。

やはり、皇祖神の一人かも??
一般的には偽書扱いされてるホツマツタエに言及しているのも気になります。
兵主神社について、何か書かれてるのかな?
ホツマツタエは滋賀の高島の旧家から写本が見つかったことから
その存在が知れ渡ったものです。
そんな経緯から、滋賀県立図書館にてホツマツタエの存在を知り、
6年ほど前に解説本を買ったにも関わらず、
1/3も読まないうちに、どこかに眠らせたままになってます。
(^^;
また何か面白いネタに出会えるかもしれないので、
引っ張り出して読んでみようかと思います。