拙宅町家の歴史は今となっては誰にも分からない。
でも、類推して見よう。
……
登記簿登録は125年前の明治25年(1892年)。
明治19年に登記法が制定されて、存在していた土地建物の調査が順次行われて、拙宅は6年目に登録された。
この頃くらい〜大正期に、復元したベンガラ格子の外観に改修されたのではないだろうか?
ベンガラ塗りの建物は周辺には無く拙宅だけなのだ。しかも、ベンガラだったことを近隣の年配の方が知らないから、前所有者のお父様が購入した昭和17年にはベンガラはすっかり色が抜けていた。ベンガラは茶屋街の茶屋建築から影響を受けたのかも?
地下蔵の上部、出格子下の土台には赤煉瓦が使われていたし、一般住宅に使われるようになったのは明治半ばくらい〜と推測。
建具は戦後に作り直したのかもしれない。
……
町家を調査した県建築士会は、建築様式から「江戸後期」と鑑定。明治に変わる慶応3年(1867年)がちょうど150年前。
復元したベンガラ格子の以前の外観はこれ(東山ひがし・旧涌波家住宅/江戸後期)にかなり近い。
間口規模も同じだし、中も左右の違いはあれど基本構造がクリソツ。拙宅の柱に蔀戸の痕跡が残っている。
拙宅の外壁は土壁じゃなく漆喰で窓周りも黒漆喰が使われて凝ってるけど、ベンガラ格子に改修した時にそうなったのかも?
ベンガラ格子とガレージに改修されていなければ、江戸後期の状態まで遡っての復元を要求されたはず…救われたw
奥行きが2分割された時期は未定だが、解体途中に外部から延焼した形跡があった。
もしかすると、奥の居住部が火災で燃えて前半分だけが残って、居住部の建て替え時に分割されたのかもしれない。
類推するのが楽しいのだ。
Posted at 2017/09/26 23:17:12 | |
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