
Y先輩から葉書が来た。
実に久し振りの連絡だが、ご無沙汰は
当方も同様である。
在職時には、公私共に大変お世話になった。
小生が退職した後、女性の管理職として活躍されているという
風の便りを耳にした。
家庭にあっては一家の主婦であり、母親でもあり、同時に、職場にあっては組織のマネージメントも抜かりなく行わねばならない。
まさに、一人で何役もこなす尊敬に値する先輩である。
葉書には本人と家族の
近況が記されていた。
定年まであと1年ということもあり、昔のことがとても懐かしく感じられると書かれてあった。
一方、ひと際目を引いたのが、三人兄弟の末の息子
さんがお笑い芸人を目指し奮闘中との内容である。
下宿のオバサンと連れ立って、Y先輩のご自宅にお邪魔したのは、確か19年前の5月の大雨の日だったと記憶している。
末の息子さんはまだ4~5歳で、ソファーの後ろ側に隠れたりしてとても恥かしがり屋だった。
時の経つのは早いものだ。幼稚園児がもう23~4歳の立派な青年に成長した訳である。
ところで、もしもお笑い芸人を目指して努力しているこの青年に再会することがあれば、小生は躊躇することなくこう言うだろう・・・。
「君は由利徹を知っているか?」
そして、間を置かずにこう指摘する。
「彼のビデオを1000回観るといい」
由利徹・・・1921年、宮城県石巻生まれの昭和の喜劇王である。

彼の芸風は、ひと言で言えばバーレスク。即ち、
程良く際どい下品さにあると思う。
小生が中1の時、伝説のお色気ドラマ
「プレイガール」が東京12チャンネルで始まったのだが、その中で由利がスケベな巡査役に扮し、これがシリーズ化された。

それを楽しみに観ていた小生は、
大人の男になるということはこういうことなのか・・・と、子ども心に随分と考えさせられたものである。
したがって、血縁関係こそないものの、小生のDNAには由利徹のそれが
刷り込まれているような気がするのだ。
しかし、彼の芸は単なる艶笑ではない。
抜群の
運動神経の良さ。絶妙の
間合い。他の追随を許さない
引出しの多さ。
中国本土における戦争での殺戮を目の当たりにし、終戦後もムーランルージュやストリップ劇場でコメディアンとしての技を磨く。
そのような数々の経験が、日本を代表する喜劇人の土台を作り上げたのかもしれない。
由利徹に関する
エピソードで好きな話
がいくつかある。
①ある日、左とん平が楽屋で新聞を読んでいると、今は亡き
バスター・キートンの記事が掲載されていた。キートンの遺族がカリフォルニアの豪邸を十数億円で売却し、そのままホテルとして使われることになったという記事である。とん平が感心していると、
残り物の弁当を2つ、上着の懐あたりに隠してとん平の横をそっと帰ろうとする由利の姿を見てしまう。左とん平曰く、
「日米の喜劇王の差は大きい!」
②新東宝の映画を撮るため、地方の旅館に泊まっていた由利。今日は女優のNがロケで来るというので、ワル仲間と三人で風呂場を
覗きに行こうと相談がまとまる。風呂場は高いところにあるので、すぐ下の鳥居にはしごを掛け、風呂場の窓近くの塀によじ登った。季節は冬のしかも真夜中。毛布持参でジッと待つ由利たち。すると風呂場の薄暗いランプに明かりが灯った。目を凝らすと、何やら股間の辺りを洗っている後ろ姿が見える。ハァハァと興奮の極致の由利たち。が、正面を向いたら男だった。仕方ないので帰ろうとしたら、
はしごがない。見回りの旅館の番頭さんが持っていったらしく降りられない。「おーい、おーい」と叫ぶと旅館の従業員が全員起きてきて、「何でそんなとこに上がってるの?」
③高倉健主演の網走番外地で、よく長万部にロケに行った。長万部は人情味のある町だし、美味しいものもたくさんある。お世話になっているので、ちょっとは宣伝しなくちゃということになり、オシャマンベ、オシャマンベとコマーシャルしていた。そのうちに、
マンべを強調することにより卑猥に聞こえることに気付き、これはギャグとして使えると確信した。試しに
「夜の大作戦」(藤田まことがMC、小生当時中3だったが贅沢なお色気バラエティであった・・・)で
オシャ・マンベをやったらバカ受け。以来オシャ・マンベを定番ギャグにしたが、長万部の住民から
猛抗議を受けるようになる。暫くしてNHKから由利に声が掛かる。で、リハーサルでオシャ・マンベをやってみたらNHKの偉い人が、「やはり地名は
勘弁して下さい」
そこで仕方なく、いつものように股間を広げて
「ホッカイド~」
とやってみたが、NHKのスタジオはシラケ切っていたとのこと。
きりがないので、この辺で由利徹ネタはお開きとしたい。
ちなみに、オシャ・マンベ以前の定番ギャグは、
チンチロリンのカックンである。
中日ドラゴンズの応援団が、相手チームの凡退した打者に対し
からかい半分に贈るあの音程あのリズムだ。
そんなこんなで、
カックンブレーキ解消とダスト軽減という課題を解決するため、いつもの
主治医のところに行く。
9時ちょうどに自宅を出発。
月の晦日の金曜日ということもあり、幹線道路も裏道もどこもかしこも大混雑である。
10時25分に目的地に
トウチャコ。ピットインする。
ブレーキパッドは
財前教授推奨のI-SWEEP/IS1500である
エンジンオイルの交換と
株の損切りは早めの方がいい・・・というのが父の遺言
前回同様Moty's/M111 5w40である
帰り道を25キロ程転がしたが、カックンはほぼ解消された感じである。
制動も踏んだだけ止まる印象で、全く不満はない。
純正の場合、最後に車を止めようとする際、ブレーキペダルを緩めないと必ずカックンとなったものだが、今後はその気遣いも無用である。
なお、ダストの件については後日折をみてご報告したい。
さて、話は最初に戻るが、Y先輩の末の息子さんも随分と思い切った決断をしたものである。
残念ながら、現在のお笑い業界に関して小生は全く無知なため、コメントすることができない。
ただ言えることは、由利徹のコントや古今亭志ん朝の落語を観たことも聴いたこともないお笑い芸人志望の若者達が恐らく増えているのだろうな・・・という程度である。
そして、こういう若者達は、マッチ売りの少女と同じ位
気の毒だと思うのである。
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Posted at
2014/03/01 13:04:57