
1978年1月に起きた伊豆大島近海の地震の痕跡を辿って、今回は河津七滝ループ橋に行ってきました。
正確に言うと河津七滝ループ橋が出来たことによって、廃道になった県道13号修善寺下田線の旧道区間、です。
伊豆縦貫道経由で今回は真っ直ぐに河津町へ向かったので、昼前ぐらいには到着。
車の置き場所に悩みましたが、結果的にループ橋真下の観光駐車場に置いてアプローチすることに。

お約束ですがやってみましたw
駐車場から歩いて5,6分程で旧道の下田側に出ます。
手前右側が七滝方面、奥のT字は右がループ橋経由で修善寺方面、左が下田方面です。
ループ橋が出来る前はこんな感じだったようです。
(1978年1月。下田側から修善寺方面を望む)
この位置にバス停が存在するのは40年変わっていないようです。
右側の段差が少し不思議な感じがしますが、道路幅は現在でも十分にあるように思います。
丁度歩いてきた道ですが、七滝方面の道はループ橋の下方に伸びています。
通り沿いに民家が何軒かあります。少しずつ道幅が狭くなっているようです。
奥まで行くと、左に曲がる形になりますが、
急に道が無くなります。
アスファルトが途切れる部分、コンクリートの擁壁近くにお地蔵さんがあります。
ループ橋の作成を決定付けさせることになった、大規模な崩落に巻き込まれて亡くなられた方の慰霊碑です。
旧道区間では2個所で、崩落が起こり下田側の崩落は丁度通過していたバスを巻き込む形になりました。
当時、1976年の豪雨の影響で発生した土砂崩れの復旧工事が行われていましたが、丁度お昼という事もあり、別の場所に移動していた作業員の方は難を逃れる結果に。
(中央のH鋼は復旧工事で立てられた物ではなく、従前からあったものなので根元部分に土砂が掛かっています)
圧倒的な量の土砂に押しつぶされた結果、まるでプレスされたように・・・
こちらは同日、天城湯ヶ島の余市坂で起きた落石事故にあったバスですが、
前述の被害にあったバスと同系の可能性があります。
もしそうだと仮定した場合、この形があそこまで変形させたとすれば本当に自然の力は恐ろしい。
という訳で、実際に踏み込んでみました。
入ってすぐの所にあったこれ、多分しいたけの原木栽培の跡だと思われます。
近所の人!?
アスファルトは全く見えませんが、見通しは良好です。
この時点で旧135号トモロ岬のような危険性は無いと思えました。
不思議なのがこういう形で「道路だった部分」に木が生えていることですが、
植えた、というのは考えにくいので自然にこうなったのでしょうね。
スタート側を振り返って。
少し進んで、この辺りがバスが巻き込まれた場所だと思われます。
ガードレールが崩落しています。
国道と旧道の接続部分が望めました。
遠くで縦貫道の工事が行われています。
少し見通しが悪くなりましたが
許容範囲でした。
真ん中はクレバスのようになっているので、左右のどちらかのルートを選びます。
落ちてました。当時ものだと思われます。
若干、枝が多くなってますが
越えるとまた歩きやすくなってます。
この区間で路肩との境目?が現れました。
この辺りで右手側のH鋼が無くなりました。
コンクリートの擁壁が良く見えるになり、道幅が広がりました。
少し進むと
木が積み上げられていました。何らかの形で手が入っているのでしょうか。
丸太積みを過ぎると少し開けた場所に出ました。
ループ橋が見えます。
下って行けるようですが、とりあえず後回しにして進みます。
この区間唯一の建物です。
当時ここにバスの停留所があったことに関連して、東海バス七滝口乗車券販売所があったようです。
なんでこんなところに?下側の七滝に近い所にすれば利便性良かろうにと思いましたが、後に調べた限りでは「ここしかなかった」というのが実情のようです。
(これはまた別の話題で・・・)
ガラスも割れており、もちろん廃墟状態です。
表には当時ものであろう、ベンチがあったのですが気になったことが・・・
これはまあ経年通りだと思うのですが、
もうひとつのこっち、状態良すぎませんかね!?
40年雨ざらしには見えません。何処かから持ってきたものなのか・・・
元販売所から再び右手にH鋼が現れます。
崖側のガードレールが健在であり、廃道後も大きな土砂崩れには見舞われてない事が伺えます。
ふとH鋼を見ると「53災」の記載がありました。
昭和53年の53かなと。
崖側の木々の間からループ橋が覗けます。
またH鋼が無くなりました。
崖側に一部崩落ありです。
標識がありました。
現在は廃止された、高速車&中速車の標識です。
この辺りで正面に現道が見え始めてきます。
盛り土です。恐らく誤って進入させないためのものだと思われますが・・・
はっきりと現道(R414)が視認できます。
修善寺側の現道との分岐点に到達しました。
擁壁の階段があったので登ってみました。
壁、スレスレとまではいきませんが土のせき止めが擁壁によって行われていることが確認出来ます。
斜面側にもH鋼が埋められてました。が、大分土砂に浸食されてます。
擁壁の上を少し歩いてみました。
擁壁自体はこの区間ずっと設置されておりましたので、上を歩いていく事も可能かもしれません。(枝が大分邪魔になると思いますが)
上から現道側を望む。
ループ橋側はそれなりな交通量です。
昭和56年3月の完成です。
で、この通ってきた道はバスの乗車券販売所あたりまでは、歩行者に対するループ橋の迂回路のようです。
その証拠がこれ。2012年のストリートビューから。
看板のアップ。
今回行ってみて探しましたがこの看板は見つかりませんでした。
(朽ちて地面に転がってると思いましたが無かったです)
目的は果たしたので車の所まで戻ります。
行きは気が付きませんでしたが、もう一つ標識を見つけました。上側が折れ曲がってしまっております。
これは地震による崩落からループ橋完成までの間(詳しい期間は不明)は、この先から暫定的なトンネルによる通行が行われた名残です。(バスの高さ制限3.8mに準拠)
先ほど見た分岐路を下ります。
元乗車券販売所ですが、こちら側からみると大分崩壊が激しいです。
ループ橋の下をくぐる形になります。
懐かしい当時物です。
砂糖、香料、酸味料。
凄いシンプルです。今のキリンレモンってもう少しいろいろ入ってますよね。
ループ橋の写真っていろいろあると思いますが、この角度はあまり見ないと思います。
「ループ橋を降りてくる車」を撮るにはベストな位置かもしれません。
ループ橋の保守車両用でしょうか、ある程度のスペースがあります。
つづら折りで、下って行きます。
下り勾配結構あります。
国道から七滝方面を結ぶ町道との分岐に出ました。
天城荘のはす向かいあたりです。
ループ橋の真下の駐車場に取りに戻って、車で七滝観光駐車場に向かいました。
七滝見学に行っていた家族と合流するための待ちでしたが、せっかく来たのでわさびでも買って行くかと、駐車場からすぐの場所で、民宿を経営されている方が露店を開いていました。
わさびの購入がてら、自分が伊豆大島近海地震を調べていること、今日もループ橋で置き換わった廃道を歩いてきたことを話した上で当時のお話をお伺いさせて頂きました。
ご自身の体験も含め資料では出てこない貴重なお話を聞かせて頂いたのですが、その中で驚愕だった一言が
「廃道になった道は確かに旧道だが、その旧道で置き換えられた古い道は見つけられたかな?」
えー、そんなのあったのか!
という訳で旧道たる静岡県道13号修善寺下田線の旧旧道の話に続きます・・・