
一般世間的には、この週末までがお盆休みのところが多いようですが、そんな動きとは関係なしで、忙しく働いております。
今月もちょうど月の折り返し地点となりましたので、もう少しの辛抱なのですが。
そんな近況では、やりたいネタを抱えつつも、濃厚長大モノはなかなかブログとして公開するまでには辿りつかないわけでして、手持ちの中から軽くこんなネタで流してみることにします。
少し前にフォード レーザーを取り上げた時(リンクは
こちら)に、一緒にやろうと思いつつも、そのままになっていたネタですね。
今回取り上げるフォード フェスティバは、1986年2月21日に新登場。同年10月23日に1300DOHCを搭載したGTとGT-Xが追加となっています。
今回紹介するカタログは、GTシリーズが追加された直後の1986年12月発行のものとなります。
「街はフェスティバ」
最初の見開きでは、上級グレードを中心にして、様々なシーンのフェスティバが掲載されています。一緒に映る人物像からすると、主なターゲット層は、レディ&ヤングカップル想定だったと思われますね。
このフェスティバ、こうして改めて眺めてみると、シーンを選ばずで、背景にスッと入り込むクルマだったように映ります。安っぽさや腰高感を見せないスタイリングは力作ながらも、決して強い主張をすることのない装いには、いい意味での無味無臭感と書いてみましょうか。
何となくこの少し前に日本導入されたフォードフィエスタを連想させる部分もあって、同時期の小洒落たホンダ車とは違う味わいを感じます。
内装等の画像です。
インパネはエクステリアとは一転して、ややビジネスライクなものとなります。シートのお洒落感も、外観と比較するともう一歩でしょうか。
リアシートは、スライド&リクライニング機構や、初代FFファミリアのXGを想起させるラウンジソファーシートの採用等、なかなか凝った作りとなっていました。
フェスティバといえば、日本初採用の電動スライド式キャンバストップを連想する方も多いと思います。電動ガラスサンルーフの設定もあったものの、フェスティバのオープンエア=キャンバストップのイメージでした。
その好評を受けて、前期ではキャンバストップが独立グレードでしたが、後期では各グレードに取り込まれることとなります。
キャンバストップは、他社にも飛び火して採用車種が増えた時期もありました。もっとも現在では見られなくなった装備ですね。
先に紹介した上級グレード以外に、ビジネスユースを想定した(?)下級グレードも設定されていました。実は4ナンバーのカーゴもあったのです。
このグレード構成は、後期で大幅に替わることになります。
裏表紙は、主要諸元表と主要装備一覧です。
全長3,500mm × 全幅1,600mmというサイズは、現在のAセグメントに該当しますが、軽自動車が強くなった日本ではあまり見受けられないサイズとなってしまいました。
女性ユーザーを想定しながらも、パワーステアリングの装着グレードが少ないのは意外に思われる方も多いかもしれません。当時のこのクラスでは、他車でも上級グレードのみの設定が多くて、絶対に必要なものという認識ではなかったですね。
そんなこんなで、ここからはいつもの諸考察。
このフェスティバ、おそらくコンセプトの土台は、一時期は大人気を誇った初代シティにあったと思っています。そのサイズやグレード構成等に、その影響を感じます。
そのシティは、フェスティバ登場の同年にフルモデルチェンジして、初代とは一転してワイド&ローとなったものですから、むしろこちらの方が2代目に相応ではと思ったものです(笑)
ちなみに、このサイズの2大巨頭だった、スターレットとマーチを除いた各車の年間販売台数を年を追って、記載していくと・・・
フォード フェスティバ
(1986年:15,809台、1987年:22,853台、1988年:25,745台、1989年:32,134台、1990年:39,436台、1991年:30,183台、1992年:22,069台)
ホンダ シティ
(1986年:26,579台、1987年:34,090台、1988年:30,937台、1989年:29,949台、1990年:21,975台、1991年:17,691台、1992年:11,484台)
ダイハツ シャレード
(1986年:48,153台、1987年:39,031台、1988年:44,205台、1989年:45,579台、1990年:38,105台、1991年:26,097台、1992年:17,043台)
スズキ カルタス
(1986年:20,016台、1987年:24,913台、1988年:25,743台、1989年:26,350台、1990年:25,908台、1991年:21,084台、1992年:26,190台)
となります。
今回主役のフェスティバは、ライバル車の中で比較的善戦したと言える数字ではないでしょうか。
(以上、各車の販売台数は、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の販売新車台数から引用)
販売拠点が決して強いとは言えないオートラマであること(フォード レーザーの回をご参照ください)を考慮すれば、大成功とすら言えそうです。これを、マツダ側の販売店でも売っていたら、もっと台数が出ていたと思うのですが、それをやっていたら、オートラマは窮地に追いやられたかもしれません。オートラマの屋台骨は、このフェスティバで支えられているといっても過言ではありませんでした。それが解っていたのか、あるいはフォードとの関係があったのか、コンポーネンツを共用するオートザム レビューを登場させたぐらいでしたね。
もう一つ、6年近い長いモデルライフを通してコンスタントに売っているのも、稀有な事例でありまして、それはコンセプトの正しさが評価されていたのが理由であるように思えます。何せ、後から登場のレビューは末期のフェスティバよりも少ない台数でしたし、当のフェスティバも、1993年1月に2代目にモデルチェンジした後の年間販売台数は、13,285台に留まっていますし。
さらにその後の初代デミオのベースシャシーにも用いられて、結果的にマツダ本体をも救うことになったのですから、ここでの投資は別の見地でも大きな意味あるものだったのです。