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2015年08月15日

初代フォード フェスティバのカタログ

初代フォード フェスティバのカタログ 一般世間的には、この週末までがお盆休みのところが多いようですが、そんな動きとは関係なしで、忙しく働いております。

今月もちょうど月の折り返し地点となりましたので、もう少しの辛抱なのですが。

そんな近況では、やりたいネタを抱えつつも、濃厚長大モノはなかなかブログとして公開するまでには辿りつかないわけでして、手持ちの中から軽くこんなネタで流してみることにします。

少し前にフォード レーザーを取り上げた時(リンクはこちら)に、一緒にやろうと思いつつも、そのままになっていたネタですね。


今回取り上げるフォード フェスティバは、1986年2月21日に新登場。同年10月23日に1300DOHCを搭載したGTとGT-Xが追加となっています。

今回紹介するカタログは、GTシリーズが追加された直後の1986年12月発行のものとなります。



「街はフェスティバ」
最初の見開きでは、上級グレードを中心にして、様々なシーンのフェスティバが掲載されています。一緒に映る人物像からすると、主なターゲット層は、レディ&ヤングカップル想定だったと思われますね。

このフェスティバ、こうして改めて眺めてみると、シーンを選ばずで、背景にスッと入り込むクルマだったように映ります。安っぽさや腰高感を見せないスタイリングは力作ながらも、決して強い主張をすることのない装いには、いい意味での無味無臭感と書いてみましょうか。

何となくこの少し前に日本導入されたフォードフィエスタを連想させる部分もあって、同時期の小洒落たホンダ車とは違う味わいを感じます。





内装等の画像です。
インパネはエクステリアとは一転して、ややビジネスライクなものとなります。シートのお洒落感も、外観と比較するともう一歩でしょうか。

リアシートは、スライド&リクライニング機構や、初代FFファミリアのXGを想起させるラウンジソファーシートの採用等、なかなか凝った作りとなっていました。





フェスティバといえば、日本初採用の電動スライド式キャンバストップを連想する方も多いと思います。電動ガラスサンルーフの設定もあったものの、フェスティバのオープンエア=キャンバストップのイメージでした。

その好評を受けて、前期ではキャンバストップが独立グレードでしたが、後期では各グレードに取り込まれることとなります。

キャンバストップは、他社にも飛び火して採用車種が増えた時期もありました。もっとも現在では見られなくなった装備ですね。


先に紹介した上級グレード以外に、ビジネスユースを想定した(?)下級グレードも設定されていました。実は4ナンバーのカーゴもあったのです。
このグレード構成は、後期で大幅に替わることになります。





裏表紙は、主要諸元表と主要装備一覧です。
全長3,500mm × 全幅1,600mmというサイズは、現在のAセグメントに該当しますが、軽自動車が強くなった日本ではあまり見受けられないサイズとなってしまいました。

女性ユーザーを想定しながらも、パワーステアリングの装着グレードが少ないのは意外に思われる方も多いかもしれません。当時のこのクラスでは、他車でも上級グレードのみの設定が多くて、絶対に必要なものという認識ではなかったですね。



そんなこんなで、ここからはいつもの諸考察。

このフェスティバ、おそらくコンセプトの土台は、一時期は大人気を誇った初代シティにあったと思っています。そのサイズやグレード構成等に、その影響を感じます。

そのシティは、フェスティバ登場の同年にフルモデルチェンジして、初代とは一転してワイド&ローとなったものですから、むしろこちらの方が2代目に相応ではと思ったものです(笑)


ちなみに、このサイズの2大巨頭だった、スターレットとマーチを除いた各車の年間販売台数を年を追って、記載していくと・・・

フォード フェスティバ
(1986年:15,809台、1987年:22,853台、1988年:25,745台、1989年:32,134台、1990年:39,436台、1991年:30,183台、1992年:22,069台)

ホンダ シティ
(1986年:26,579台、1987年:34,090台、1988年:30,937台、1989年:29,949台、1990年:21,975台、1991年:17,691台、1992年:11,484台)

ダイハツ シャレード
(1986年:48,153台、1987年:39,031台、1988年:44,205台、1989年:45,579台、1990年:38,105台、1991年:26,097台、1992年:17,043台)

スズキ カルタス
(1986年:20,016台、1987年:24,913台、1988年:25,743台、1989年:26,350台、1990年:25,908台、1991年:21,084台、1992年:26,190台)

となります。
今回主役のフェスティバは、ライバル車の中で比較的善戦したと言える数字ではないでしょうか。
(以上、各車の販売台数は、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の販売新車台数から引用)

販売拠点が決して強いとは言えないオートラマであること(フォード レーザーの回をご参照ください)を考慮すれば、大成功とすら言えそうです。これを、マツダ側の販売店でも売っていたら、もっと台数が出ていたと思うのですが、それをやっていたら、オートラマは窮地に追いやられたかもしれません。オートラマの屋台骨は、このフェスティバで支えられているといっても過言ではありませんでした。それが解っていたのか、あるいはフォードとの関係があったのか、コンポーネンツを共用するオートザム レビューを登場させたぐらいでしたね。

もう一つ、6年近い長いモデルライフを通してコンスタントに売っているのも、稀有な事例でありまして、それはコンセプトの正しさが評価されていたのが理由であるように思えます。何せ、後から登場のレビューは末期のフェスティバよりも少ない台数でしたし、当のフェスティバも、1993年1月に2代目にモデルチェンジした後の年間販売台数は、13,285台に留まっていますし。


さらにその後の初代デミオのベースシャシーにも用いられて、結果的にマツダ本体をも救うことになったのですから、ここでの投資は別の見地でも大きな意味あるものだったのです。
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Posted at 2015/08/15 22:04:21

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この記事へのコメント

2015年8月16日 2:22
こんばんは 

じっくり見たのは初めてですよ!カラフルで売り手も愉しんでいる雰囲気がとてもいいですね
オートラマは宇都宮は近場になくて結構謎の販売店だったのです 仰せのようにレビューへ、そしてデミオへとの変遷をしみじみ感じる楽しそうなコンパクトカー でもこれがβやファイブになるとガクリと不振なのだから面白いものですね 


・・・・・・・現行デミオが物凄く大袈裟なクルマに見えてきます(汗)
コメントへの返答
2015年8月16日 6:46
おはようございます

このデザインにはポップなカラーが似合いますね。設定もGT専用色の紺以外は、白・黒に3原色と実に分かり易い(笑)。ここでの発想がオートザムに繋がったのかもしれませんね。
βやファイブは、コメントされているとおりの結果でして、売り方の影響も大いにありますが、何よりカジュアル&パーソナルな印象が強かったフェスティバには、親和性が良くなかったのだろうと思います。

マツダは体力がある時期は、つい本格的に作ってしまう傾向にありますよね(笑)。方向性こそ違いますが、サラリと作った感はむしろベリーサの方が近いかもしれません。
2015年8月16日 9:57
フェスティバ!
子供の頃にチョロQを買ってもらったことがありまして
キャンバストップも再現されていました。懐かしい。

改めて写真を見ると、瑞々しい2BOXで
シティ「じゃない方」の選択肢として魅力的ですね。
ブリスターフェンダーも意外と似合っていて
80年代的魅力あふれる1台に映ります。

グレード体系も意外と細かくて自分ならDOHC-GTか
イメージリーダーのキャンバストップなのでしょうか・・・・。

せっかくだから右ハンドルの5ドアも出せばよかったのに
・・・・と思ってしまうのですが、ファミリアとの競合を恐れたのでしょうか。
デミオが出たときにフェスティバのコンセプトが復活した、
と書かれていたような気がしますがまさしくですね。
オートラマ店ではフェスティバ・ミニワゴンでしたしね。
コメントへの返答
2015年8月16日 17:43
こんばんは

これのチョロQがあったのですね。フェスティバの記号と化していましたから、キャンバストップ付というのが納得できます。

下手に車高を低く見せようとせずに背の高さを素直に表現していますよね。ブリスターフェンダーは下半身の安定感の表現に効いています。この時期になると、FF2ボックスのデザインも垢抜けたものが多くなりましたね。

キャンバストップが独立しているグレード構成の前期は、選択が難しいです(笑)。後期は、キャンバストップが各グレードに配されて選び易くなりましたね。

右ハンドルの5ドアは最後まで出ませんでしたが、マツダの意向よりもフォードの意向かもしれませんね。次世代のこともありますし、パーソナルカーとして売りたかったのかなぁと推測しています。
その次世代の失敗が、デミオを作らせたとも言えるんですよね。初代のコンセプトはこのサイズを作る上で真っ当なものでしたから、アップデートしつつで再現を狙ったというのは、正しい選択だったと思います。
2015年8月16日 17:57
こんばんは

フェスティバは大学生の頃、友人数人でドライブに行った際にまだマイカーを持っていない友人がレンタカーとして借りてきました。
男同士で行ったのですが、何故かそいつが借りてきたのは真っ赤なキャンバストップ仕様のフェスティバ?! まさにブログTOPに掲載されている写真そのままです(笑)
女の子もいないのに、なんでこんな車借りてるんだよ~ 恥ずかしいな~ と思いましたが・・・

自分の車を駐車場に停めて少しフェスティバに乗りましたが、たしかにキャンバストップ車は爽快感抜群でしたね。なぜチョイスしたのか少しわかった気がしました(^-^)
コメントへの返答
2015年8月16日 18:28
こんばんは

廉価グレードではなくキャンバストップのフェスティバがレンタカーとして借りれたというのに、先ず驚きました。さすが当時の人気車ですね。

実は、書かれているのと同じ赤のフェスティバ キャンバストップを、知人が東京から秋田まで回送したことがありまして、それが男二人だったものですから、後日「似合わなかった」としみじみ話していたことを思い出します(笑)

この頃のマツダは、ファミリアやRX-7でカブリオレを出してもいましたから、爽快感の演出にキャンバストップを設定するのは迷わなかったのでしょう。やがてそれが、ロードスターに繋がったということなのかもしれませんね。
2015年8月16日 21:45
こんばんは。
 
 高い全高にもかかわらず、初代シティと違って安定感があるのはブリスターフェンダーの効果なのですね。
 現在でも通用するエクステリアデザインと優れたパッケージングだと思います。
 年間販売台数が尻上がりに上昇(ピークが4年目、'90年)しているのが印象的です。評判が評判を呼びヒットに繋がったのでしょうね。
 
コメントへの返答
2015年8月17日 6:06
こんばんは

初代シティもターボIIとカブリオレでブリスターフェンダーをやっていて、ナロー版と比べると、下半身の安定感が違います。登場時期的に、おそらくスタイリングを練る過程で両方を参考にしていると思います。
コメントされているとおり、現在のAセグメントでも通用しそうなエクステリアデザインとパッケージングは、先見の明がありましたね。

通常はだんだん尻すぼみになるシティ的な売れ方をするのに、珍しいですよね。オートラマの拠点整備や安売りの効果もあったと思いますが、それだけではこの結果は出ないはずで、きちんと評価されたからこそヒットに繋がったに同感です。
2015年8月18日 20:15
こんばんは。

学生時代に同じゼミの女の子が青色のキャンバストップに乗ってました。
4人乗っても居住性に問題はなく、ライバルのスターレットやマーチに比べてなんとなくお洒落感があったので、意外な気もしますが結構街に溢れていたように思います。
一方でその走りはエンジンとオートマがダメなのかかなりかったるかったです。
この点はスターレットの方が軽快に感じました。

ちなみに今でも地元の旅館の二代目が、黄色のキャンバストップに乗ってたりします。
でも特に大事にもされてなくて屋外放置気味ですが、雪国でキャンバストップって大丈夫なのかと…(^▽^;)
コメントへの返答
2015年8月18日 22:42
こんばんは

やはり若い女の子に似合うクルマですよね。キャンバストップなら尚更かと。
ご近所の同級生のお姉さんが、紺色のフルエアロ+キャンバストップを新車購入しまして、オシャレだなぁと思ったものです。確かに、走りはあまり高評価がなかったように思いますが、その点を重視するなら他車をどうぞと思わされるクルマでありました。

今でも黄色のキャンバストップに乗られている方がいるのですね。初代フェスティバ自体を見かけなくなって久しい感がありまして、貴重な存在なのではないでしょうか。新車当時には、キャンバストップは耐候性を十分考慮したという記事を見かけましたが、30年近い時の経過を経ると気になる点ではあります。
2015年8月18日 23:52
こんばんは~。

このフェスティバは私が確か高校生の頃にデビューしたような・・・。2ドアスポーツが大好きだった年齢ですが、このフェスティバはお洒落で、仰るシティ、それもカラフルなカブリオレと少しイメージがダブって好きな1台でした。

内装はこのカタログで初めてじっくり見させてもらいましたが、確かに洒落た外観からすると寂しいですね。まぁこの時期のマツダはまだまだ内装の質感では他社に後れをとっていましたから、さほど違和感はありませんが、今のマツダに再び作らせたら面白いものを作ってくれそうにも思えますね。あの「緩さ」が今のマツダに再現できるかが微妙ですけど・・・
コメントへの返答
2015年8月19日 6:55
おはようございます

1986年のデビューですから、もう少しで30年という時が経過しようとしています。フェスティバは、ライバル車のシティやカルタスがジムカーナで競ったり、あるいはスターレット、マーチ、シャレードがハイパワーモデルを揃えた中で、そこには参戦しないモデルでしたね。やはり”お洒落”というのが一番表す言葉だと思います。

当時のマツダの内装は、質感向上に取り組み始めたばかりで、デザインは後追いの印象がありましたね。フェスティバも外観とは合っていない感を感じました。
今はデミオの特別仕様車でちょっとオシャレな内装デザインを提案するまでになりましたが、モデル全体を通してのサラッと作りました感は、社内全体にもう少し余裕が出来る必要があるかもしれませんね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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