
初代アリストを4回に渡って特集しまして、次に何をやろうかと考えて思い浮かんだのは、このクルマでした。
後述する販売台数からしても、少なくても国内では決して成功したとは言い難いクルマですが、志は高くて内容も濃い、そういう意味ではここで取り上げるに相応しいクルマだと思います。
もちろん、ブログに起こす以上は、自分が好きなクルマという大前提もクリアしています(笑)
前期型と後期型どちらを取り上げるかは悩みました。思想的にピュアなのは前期だと思うのですが、取り上げられる機会が少ないかなという点を優先して、今回は後期型としてみました。
そんな訳で、カタログは1991年8月発行となります。
今回はカタログ解説を基本としつつも、もう少し話を膨らませたいという思惑もあって、月刊自家用車誌1989年6月号の車種別総合研究、マキシマの回から設計者インタビューの一部を引用する(以下、
太字部分)ことで補足してみます。
インタビューに応えられているのは、当時、第一商品本部主管上級主幹の役にあった白鳥浩之氏です。
このマキシマというクルマは・・・
○「一番の目的は、世界的に通用するハイオーナーセダンを作ろうということだった。今までは、やはり4気筒のクルマに6気筒を乗せたクルマですから中途半端なんです。一応、ハイオーナーセダン=アッパーミドルに入っていたんですが、異端児にあった。それをちゃんとしたアッパーミドルにしたいということだったんです。」
・・・という目的で開発されたのですが
○「実際にそれをやっていくと、円高やいろいろな話が入ってきて、アメリカでは位置づけ相当変わってきちゃっている。トーラス、セーブルがアッパーミドル。それよりもちょっと上へいっちゃって、ファンクショナル・ラグジュアリーという主にヨーロッパのクルマとの中間に入ってきている。」
・・・という環境の変化が起こっています。
○「ですから、日本車がそのゾーンに出てきまして、クレシーダ(マークII)、レジェンドなんかというのが、やっぱりファンクショナル・ラグジュアリーに近い中間車種。」
・・・実は(特にアメリカでは)私が今でも愛するクレシーダのライバル車でありました。81と同じ89年モデルで新型に切り替わったため、当時は現地誌で比較されることも多かったですね。
そもそもこのクラスは、国内市場最優先で開発されてきましたが、このマキシマは、世界市場の標準を初めて意識して開発されたクルマだったのです。その結果、様々な点で
「今までなかったクルマ」という形で国内投入されることとなりました。
そこから3年を経た時点のマイナーチェンジとなります。
この変更では「ゆとりの深化」が掲げられています。
<走りのゆとり>、<広さのゆとり>、<安全のゆとり>、これらの深化が目的だったのです。進化ではなく、あえて深化という文言を使ったのもポイントですね。
右頁は、ベージュの内外装ということもあって、如何にも国際車風の佇まいを見せるタイプC。
以降ずっと続く背景からは、同じところを狙った(というより後追いが相応?)歴代ウィンダムにも通じるモノがありまして、やはり国際車なのです(笑)
全幅1,760mmというサイズは、今でこそ標準的になりましたが、小型車(5ナンバー)枠のクルマを見続けていた身には、三菱のマグナやこのマキシマはえらく幅広く映ったものです。
同じくベージュのタイプC。
この変更では、パネル類の変更こそなかったものの、フロントグリル、テールランプ、リヤガーニッシュ等のディテール部分が変更されています。グリーンガラスやシルバーポリッシュアルミという輸出仕様には欠かせないアイテムの採用もこの時から。
新車当時こそ、この佇まいはあまり目立ちませんでしたが、21世紀初頭からのUSDMの盛り上がりの中では注目されることとなります。
ブラウングラファイトパールという、他車を含めても国内ではあまり見られないカラーを纏うタイプCのリヤビュー
同時期に登場した初代セフィーロ同様、デザインコンセプトは
ARC-Xが源流となるようですが、ディテール部分にも新しさを求めたセフィーロとは異なり、こちらはシンプルなディテールを採用。その分、フォルムの美しさは強調されたと言えそうです。
追って登場してきた初代プリメーラともキャビン部分の造形に共通性を見出せます。プリメーラはそのスタイリングが高評価されましたが、こちらはあまり高く評価されなかったのが不思議です。
この時期の日産のスタイリングは、シンプルでありながらも面の美しさを素直に表現したモデルが多くて、今見てもレベルが高いと思います。
タイプCのインパネ
メルセデス190E(W201)が始祖と思われるメータークラスターを空調吹き出し口まで引っ張ったインパネデザインは、同時期のU12ブルーバードを連想させるもので、質感の点では不利だったかもしれません。
マイナーチェンジでは、新造形のステアリング、本革巻シフトノブ&サイドブレーキ、木目調センターパネル等の採用により質感の向上が図られています。
タイプCのインテリア
タイプCには、それまでオプション設定だった本革シートが標準設定となりました。
従来、本革シートは高級車のみに限られていましたが、マキシマは決して贅沢品ではないと見せることで、普及に一役担ったと思っています。
オフブラックというカラーリングの関係もあって、当時のポンティアック等のスポーティセダンと共通するイメージを感じます。
こちらは、最廉価のタイプA
最廉価とはいっても、装備は十分以上の設定でした。
アルミホイール、他車では上級設定だったアクティブサウンド、同時期の他車では装着比率の低かったABS等をレスにした、もっと廉価なグレードを設定する余地があったように思えますが、
「ヨーロッパ、一般輸出は完全に一種類。車型、エンジンは全世界一緒。ミッションはMTとATと両方ありますけれども。」ということで、国内のみに廉価グレードを設定するのに抵抗があったようです。
さらにグレード設定に関しては、
「安くしたいからというのは、価格を中心にして売っていくクルマだったらそういう選択というのは重要だろうと思うけれども、ある程度以上のクルマになったら、それよりも一番適したものを搭載するというのが本来の姿だろうという気がしている。」とも言われていまから、作り手側の意向の反映でもありますね。
こちらは、スポーティグレードのSE。
元々は
「アメリカ(のみ)は台数を多く狙いたいというのもあって、エンジン、車型は同じだが、内外装の変更で、スポーティ仕様とラグジュアリー仕様と二種類持っている。」そのスポーティ仕様が1年遅れの1989年8月に国内でも追加された形でした。
この時のマイナーチェンジでは、従来共通だったアルミホイールや形状は同一(ただしメッキとカラードの区別有)だったフロントグリルがタイプシリーズと別形状とされて、差別化が進みました。
個人的にこのマイナーチェンジの目玉の一つだと思うのが、この<ライトベージュセレクション>の追加です。
明るいベージュカラーは、それまで地味な印象だったインテリアを一気に華やかにさせる効果を感じました。
販売台数が決して多かったクルマではないにも関わらず、全車への設定ということで、シート形状やマテリアル別に3パターンを用意。ここでは収支への影響という負の観点は無視して、設定の英断に賛同したいと思います。
後の3代目セフィーロにも同系の内装色設定がありましたね。
メカニズムの紹介です。
このマイナーチェンジで賛否が最も分かれそうなのが、3.0L・SOHCのVG30Eから、新開発の3.0L・DOHCのVE30DEに搭載エンジンが変更されたことだと思います。
この変更によって、最高出力:160ps/5200rpm、最大トルク:25.3kg・m/3200rpmというスペックは、それぞれ、195ps/5600rpm、26.6kg・m/4000rpmに向上したものの、燃料もプレミアムに変更、重量もカタログ比で40kg程度重くなってしまいました。
この件に関しては、インタビュー記事と絡めて見ると実に興味深かったりします。
「必要十分なら2.5Lぐらいだと思う。必要十二分にするにはやっぱり3.0Lが欲しい。」
「(3.0L自然吸気は)2Lのターボより実用燃費がいい。ですから最初から選んでいた。」
「DOHCというのは、高速側なんですよね。性能上からいったらまず要らない。ただ、今、日本の中ではDOHCにするかというのは多少迷いはあった。ただ、DOHCにしてそれなりの悪さもある。重くなるとか、大きくなるとか・・・高くなる、そういう面がありますね。」
マキシマ登場以降もDOHC搭載車は増える一方でしたから、DOHC化は商売上無視できなかったという部分は否定できません。
ただ、アメリカはVG30EとVE30DEとの並売だったようで、全車DOHC化が必要だったかは疑問符が生じそうです。
さらにこのDOHC化、VG30にもDOHC仕様があったもののFR専用ということであえての新開発。さらにその裏でVQエンジンの開発も進んでいたため、結局VEは短命で終わってしまうという背景や結果が否定感を優勢にしてしまったりしますね。
また当時の日産は、国内における2.5Lの市場を懐疑的に見ていたため、RB25の投入も遅れを取っていたり。VG以降の6気筒戦略がトヨタと日産の情勢分析力の差の象徴かも・・・という思いはありますが、この話は長くなるので今回は省略。
ちなみに2.5L級だと、日産は4気筒のKA24を持っていまして、こちらについては、
「マキシマは4気筒を積むつもりはない。ヨーロッパなんかでは4気筒を積んでくれとか、途中でだいぶあったが。」
「(4気筒を積むと)クルマのコンセプトがいい加減になるし、無駄も出てくるというんで、全部断って、6気筒専用にした。」
ということを、答えられていたりします。
先の仕様の部分と共通する考えが根底にあったようです。
サスとか乗り心地については、
「(チューニングは)国別に変えています。国内仕様はアメリカのラグジュアリー仕様というか、それにしています。」
とのこと。
安全関係が先に来た、各種装備類の紹介です。
国外では、国内のセドリック/グロリアが担っていたフラグシップサルーンとしての役割が求められるクルマでしたから、装備水準は極めて高いものでした。主に国内市場を刺激する目的のギミック的な装備が無いのも、もう一つの特徴です。
オーディオのみは、他車では上級設定のアクティブサウンドがタイプAに標準。タイプA以外は、さらに上級のBOSEサウンドが選べたということで、拘りがあった部分かもしれません。
全グレードの紹介です。
ボディカラーによっては、タイプBで掲載されているレッド内装が組み合わされていました。
マイナーチェンジ前は、タイプI、タイプII、SEの3グレード構成でしたが、タイプシリーズがA、B、Cの3グレードに再構成されています。
主要諸元表と主要装備一覧です。
独立グレードのSEを別にすれば、タイプシリーズ間は装備差が少ない設定でした。さらにオプションを駆使すれば、小さな差異に拘った仕様が選ぶことも可能でした。
最後は価格表です。
マイナーチェンジ前の価格は、タイプI:2,612千円、タイプII:2,861千円、SE:2,850千円というものでしたから、DOHC化に伴う価格上昇は、廉価グレードではそれほどではないものの、上級グレードでは明確に反映されてしまったと言えそうです。
当時の標準的な2.5Lサルーンである、マークII2500グランデやディアマンテ25Vの価格は250~260万円程度でしたから、3.0L車の自動車税&任意保険料の高さも含めて考えると、価格競争力の面では厳しい面がありました。
もう一つ、先に紹介した
初代ウィンダムが290~330万円という価格設定だったことも、価格競争力の厳しさを裏付けます。内容的には然程見劣りしないとは言うものの、新鮮さとレクサスという高級車ブランドは敵が一枚上手。この点は、トヨタらしい商売上手と言い換えてもイイかもしれません。
ということでいかがだったでしょうか。
アメリカ市場では、ライバル車のクレシーダを寄り切って成功(そのため、トヨタはクレシーダを引っ込める一方、カムリのワイド化とアバロン・レクサスESという包囲網をひくこととなります)したものの、国内市場では正反対の結果に終わります。
モデルライフ中の国内販売台数は、以下の通りだったのです。
1989年:9,891台、1990年:6,871台、1991年:4,884台、1992年:2,402台、1993年:1,203台。
以上、月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の新車販売台数から引用。
発売当初における国内市場への意気込みは、
「ユーザーの方は海外経験の多い方は素直に飛びついてくれている。これから小型上級ユーザーの方が移っていくんじゃないかと思っている。」
「日本では(新3ナンバー車の)先駆け。(小型上級から)もう少し上のクルマに移りたいんだけれど移れない。そういう潜在需要を先取りしようと。兆しを先取りしようというのがこのクルマです。」
と言ってはいるものの、その「もう少し上」がちょっと離れすぎていた感がありますかね・・・
その辺りを上手くやったのが、ディアマンテやウィンダムでありまして、これらは新モデルながら一定台数を売って、国内市場の確保に成功しています。
同時期の日産車では、国内向けのシルビア/180SXと輸出向けの240SXが上手く作り分けられて、共に大成功に近い結果に終わっています。また、このマキシマの次世代から分岐した2代目セフィーロが、2.0Lを中心として国内でも成功したというもう一つの事実もあります。
それらからすれば、仕様一つに拘らずで作り分けていればもっと売れたんじゃないかという思いを抱きますが、ローレル/セフィーロ、セドリック/グロリアという国内を主力としたセダンも存在する中では、そこまで力を入れるという選択には至らなかったということなのでしょうね。
しかしながら、仕様一つへの拘りが、車全体のイメージを集約してキャラクターの散逸を防いだとも言えます。
今目線でも見ても、デザインといい、装備といい、妙に媚びた部分は感じられず、全体的に大人向けの印象が統一されているように映ります。その大人向けが、演歌調と揶揄されたものとは全く異なるというのもポイントですね。
こと国内に限って言えば、こういう大人向けのクルマは残念ながら大多数とはなり難いのですが、主流派に馴染めない層の拠り所として少数ながらも粘り強く存在してほしいクルマでもあります。
現在だと、北米に今年導入された
マキシマは、さすがに大き過ぎますし、国内導入の可能性は低そうですから、ティアナ/アルティマが近い存在と言えるかもしれません。もっとも、このティアナ/アルティマ、何より当時のマキシマ的だったりするのが、商売の仕方・・・以下規制(笑)