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2015年12月07日

第26回東京モーターショー、ホンダパンフレットの話

第26回東京モーターショー、ホンダパンフレットの話 前回ブログから少し間が開きましたので、本題に入る前に諸事を先に記載。

先に掲載した通り、自車のバックランプをLED化しました。
これに関して、雑感を追記しておきます。
製品選択に際して、各社のHPをいろいろ確認したのですが、流行の商品らしく製品の改良が著しいことを感じました。今回選んだ商品もそうなのですが、単体での明るさよりもクルマ側のリフレクターを上手に使うことで明るさを確保するなんというのは、ユーザー側としてもありがたい改良です。
lm(光束)の数値の高いものは、W数もそれなりに高いというのにも、気付きまして、LEDに代われども、やはり数の力がものをいうのは変わらないようです(笑)


諸事もう一つ、先週、免許証の更新に行きまして、ようやくゴールドに回帰しました。
思い返せば、それまでの無事故無違反の継続(通算20年以上)を崩壊させたのが、5年程前になるわけで、元に戻すのは大変なんだなと改めて思います。もちろん、まだスタートラインに立てただけとも言えまして、今後も継続せねば、ですね。


諸事はこのくらいで、本題に入ります。
今回は30年前のモーターショー、ホンダ編です。

この回のホンダは、コンセプトカーの出品は見送るというのが特徴でした。メーカーからは、「最新技術は市販車に反映されているから、そちらで確認してくれ」というのが見解だったようです。
モーターショーをお祭りの一種と認識するなら、寂しい対応と言えるのですが、フルラインメーカーに急成長を遂げる中で、意欲的なモデルを連発していましたから、コンセプトカーの製作に回せる人手が無かったであろう事情を鑑みれば、仕方なしとも言えそうです。

この時期のホンダ車は、以前に2代目ビガーの他、ベルノ店のモデルはオプションカタログを中心に取り上げています。そちらと重なる部分もあるのですが、個人的に好きな車種が多いのでご容赦ください。
ホンダの長い歴史の中でも、特に好きな時期なのです。

それでは、以下紹介していきます。



この時期のホンダを語る上で、欠かせない言葉・・・という訳で最初に登場
するのは”F1”です。創業者である故本田宗一郎氏の「レースは走る実験室」という言葉を重ねられる方も多いと思います。

1983年にF1に復帰したホンダが頭角を現し始めたのがこの頃。この後、破竹の勢いで快進撃を続けることとなります。

右頁には、新世代ホンダテクノロジーということで、市販車のエンジンとサスペンションが紹介されています。

この時期のトヨタはDOHCを経て過給器の追加に、日産はSOHCターボを経てDOHC化にということで、共にツインカムターボに舵を切りつつありました。一方のホンダは、シティでターボに参戦したものの、それ以上は戦線を広げず、むしろNAの優位を強調していました。もう一つ、排ガス規制の初期から取り入れていたCVCCからの脱却もありましたね。

NAという共通項はあるものの、メカニズム自体は、DOHCとSOHC、4バルブと3バルブ、キャブとPGM-FIが車種やグレードに合わせて組み合わされていました。この辺りは、各々の長所が強調されるだけで、指針を定めずといった感がありましたね。

それは、アコードで4輪ダブルウィッシュボーンを構築して、今後はそれで行くのかと思いきや、レジェンドではリヤストラットをやってみたりしたサスペンションも同様でありました。(レジェンドは後期で4輪ダブルウィッシュボーンとなりますね)

その分、次は何で来るのか楽しみということでもあったのですが。





ショーの直前となる10月に登場したのが、ホンダの新たなるフラッグシップであるレジェンドです。

従来、クラウンとセドリック/グロリアがあらかた支配していた日本の高級車市場への挑戦、それはシビックから再スタートを切ったホンダが、上級市場に拡大を続けた象徴でもありました。

ボディサイズこそ5ナンバー枠が基準にありましたが、思想的には元祖「あの車とは違う」と言っていいと思います。クルマとしては初参入ということもあって荒削り感が強かったのですが、出たことだけでも評価できます。

このクルマや翌年のHCルーチェが登場していなかったら、Y31セドリック/グロリアが果たしてあの形で登場できたか怪しいと思っているのです。

また、ローバーとの提携で生まれたクルマとも言えます。この提携は、結局21世紀を迎えることもなく霧散してしまうのですが。





この年の6月に登場したのが、この3代目アコードでした。

それまでのアコードは1.6L&1.8Lを搭載するミドルセダンの中でも小さい方でしたが、主な輸出先である北米への対応もあって、1.8L&2.0Lを搭載するミドルセダンの中でも大きい方に成長しています。
もっとも、ボディサイズの拡大より何より、リトラクタブルライトを採用した低全高セダンという成り立ちが新鮮でした。

エアロデッキは、それまでのハッチバックが国内需要が低下しつつあったことを要因とする新たな市場喚起策でしたが、大きな成果は得られずで終わっています。国内専売という成り立ちからして、個人的には5ドアで問うていたらまた違った結果だったように思うのですが、これは仮定話に過ぎませんね。

ビガー含めて、数あるホンダ車の中でも屈指の好きなクルマです。
そんな思いは、以前にこちらで語っています。





ベルノ店の上級車2台です。

上は、当時流行の最先端にあったプレリュード。
登場以来、尻上がりに人気が加速したことで、中古車が殆ど値落ちしないクルマでもありました。
1.8系は、前年10月にマイナーチェンジ。マイナーチェンジ前はテールのセンターガーニシュが黒で、輸出用のリヤフォグ付き赤への換装がお約束でしたが、チェンジにより、リヤフォグレスながら赤に変更されています。

また、この年の6月には新たなるトップグレードとなる2.0Siを追加。
更にプレリュードの人気に拍車がかかります。セリカがFF化されて、この市場に挑むも、トップの座は揺るぎませんでした。
○プレリュードのオプションカタログはこちら


下は、アコードの兄弟車となるビガー。
先代はハッチバックも設定されていましたが、この世代ではセダンのみとなりました。
先代は、異形2灯のアコードに対して、SAE規格の角目4灯という違いがありましたが、より近い状態となっています。その分、差別化に苦労した印象もありまして、後にCAで追加される固定ライトをこの時点でどちらかに与えても良かったのではと思います。
○ビガーのオプションカタログはこちら




ベルノ店の取扱車種が続きます。

上は、まだクイント名が付いていた時代のインテグラ。
この年の2月に3ドアが登場して、10月に5ドアが追加されています。
シビックをベースとしながらも、強く傾斜したハッチゲートを備えたクーペライクな装いは好評で、ミドルクラスと所謂大衆車クラスの中間クラスとしては珍しく成功したクルマとなりました。

北米で新たな高級車ブランド、ACURAを展開した際のエントリーモデルにもなっていますね。
○クイント インテグラのオプションカタログはこちら


下は、CR-Xとセダンから成るバラードシリーズです。
CR-Xは1983年6月の登場で、セダンは同年9月の登場。共にこの年の9月にマイナーチェンジを受けて、それまでのセミリトラクタブルライトが固定式ライトに変更されています。

CR-Xは、元々ミニプレリュード的デートカーとしての性格が強かった(登場時のCMコピーは”デュエット・クルーザー”でした)のですが、Si追加以降は、シビック3ドア共々その身軽さを生かした、ライトウエイトスポーツの色彩を強めていきます。
○CR-Xのオプションカタログはこちら

セダンは、シビックをベースとしながら、BLとの提携で生まれた4ドアセダンでしたが、直後に本家のシビックにもセダンが登場したことから、この世代ではシビックセダンとの関係がより近くなります。
シビックに追加されたSiも最後まで追加されることはなく、大人しさが身上のセダンでした。結局この1年後には、インテグラに4ドアセダンが追加されることで、取って代わられることとなります。
○バラードセダンのオプションカタログはこちら





アコードと並ぶホンダの中心車種、シビックです。
この時点ではワンダーの名称で有名な3代目。
登場は1983年9月で、この年の9月にマイナーチェンジを受けています。

セダンはこのクラスらしいベーシックな成り立ち、シャトルは背高のワゴンボディを居住性に生かした意欲作でしたが、やはり3ドアの印象が強いですね。
それまではバンに見えるということで敬遠されていたロングルーフを採用したデザインは、それまでの同クラスの3ドア車を一気に置き去る魅力にあふれていました。さらにその勢いを加速させたのがSiで、その速さが人気の要因に加わります。人気を博したことで、この後のシビックは、しばらくの間このSiで見せた方向性を邁進することとなります。

4ドアの人気が確立するのも、”フェリオ”というサブネームを与えられてパーソナル性を強めたこの2世代後というのも、そのことの裏付けだと思うのです。

シャトルはその方向性とは親和性が低くて、意欲作ながらも、徐々にフェードアウトしていってしまいます。もう少し上手く育てられていれば、後に誕生するクリエイティブムーバーの一角を占めていた気もしますけれどね。





ベーシックモデル2台です。

左は、シティ。
1981年10月に登場。その出で立ちは一世を風靡しましたが、その後、1982年9月のターボ、1983年10月のターボII、1984年7月のカブリオレと次々に刺激的なモデルを追加していきます。その反面、ベースモデルの影が薄くなってしまった印象は拭えません。
この年はそれに対応するかのように、3月に経済性を重視したEIII、4月にハイパーシフトをそれぞれ追加といった具合で、ベースモデルへのテコ入れが行われました。

プレリュード以降、シャトル以外は低全高に進路を定めたホンダの中では異端児になりつつあったのも事実で、翌年に登場する2代目は低全高に180度の方向転換が行われることになります。


右は、ライフの生産中止以降、ボンバンで久方ぶりに軽自動車界への復帰が話題となったトゥデイ。
シティに影響されるかのように、車高が高くなりつつあった軽自動車界でしたが、当のホンダはそれに反旗を翻すかのように低全高での参戦となりました。
3気筒に主流を移しつつあった中、アクティ譲りの2気筒は時代に外れつつありましたが、それを問題にしないくらい、低全高から成るそのスタイリングはとても魅力的で、今昔含めた国産車全体の中でもグッドルッキンの一台だと思います。その中でもこの丸目初期モデルが一番、というのが個人的印象です。





商業車シリーズです。

左の小型商業車の方では、プロというネーミングがされていました。
シャトル転じた、シビック・プロとシティ・プロ、こうして並べると兄弟車のように映るのが不思議です。プロだけでも、初代シティを並存できたのではと思ったりします。軽商業車と違って、小型商業車は1年車検となるのが敬遠されていましたので、スターレットバン共々、4ナンバーの3ドアは販売が難しかったのも事実ですが。


右はアクティ。
フロントマスクこそ一新されていますが、唯一この6年前から世代交代がなかったモデルです。
新規格の中では登場が早かったモデルのため、ライバル車の更新が続く中では競争力の維持が難しく、この3年後にモデルチェンジを受けることとなります。





裏表紙は、販売チャンネル別の取扱車種が並べられています。
このショーとほぼ時を同じくして、従来のホンダ店をプリモ店とクリオ店に分けることで、先行したベルノ店との3系列体制になることが発表されました。
拡大に次ぐ拡大で進んできたホンダですが、3系列体制の構築は容易ではなく、プリモ店とクリオ店の扱い車種はアコードとシビックがクロスする形で、上方と下方に伸ばされています。
徐々に兄弟車を揃えていくことで、3系列体制を何とか維持していきますが、結局この約20年後には、系列統合を選ぶこととなります。
今になって振り返ると、レジェンドをベルノ店に送って2系列で進むのが正解だったのではと思ったりします。全車種を扱うというメリットがある一方で、高級車と軽自動車の並立に苦心している状況を見るに、何かと一長一短があるのが、系列問題ですね。


ということでいかがだったでしょうか。
最後の系列問題は、やや蛇足気味でしたが、こうして各車種を並べてみると、兄弟車以外は車種間競合もなく、キャラクターの立ったクルマが揃っていたと改めて思います。

キャラクター確立期の初期モデルらしく、長所と短所が明確なモデル達でしたが、だからこそその成り立ちが魅力的に感じられます。クルマとしての実力としてなら、プレリュード、アコード、シビック、その他を含めて、この次の世代の方が高いであろうことは間違いないのですが、やはり時代の寵児はこの世代のクルマたちだと思うのです。

誤解を招くかもしれませんが、記念碑的に印象に残るクルマというのは、多少の実力差よりもキャラクターの強さの方が勝ることが多いですね。


もう一つ、79年のモーターショー編(リンクはこちら)で触れたとおり、僅か6年でここまで車種展開が広がったことも特筆すべきでしょう。
6年前の乗用車は、アコード・シビック・プレリュードの3車種に過ぎなかったのですが、この時点ではフルラインナップですからね。
会社の規模からしたら、これは正しく急成長だったと言えます。この年の各モデルの手の入れ方からしても、コンセプトカーまで手が回らなかったのだろうという、最初の推定に至ることとなるのです。
ブログ一覧 | 古のモーターショーのパンフレット | クルマ
Posted at 2015/12/07 21:59:22

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この記事へのコメント

2015年12月8日 1:49
こんばんは。
自分はこの年のモーターショーには行っていないのですが、かなりの盛況であったであろうことは、他社も含めた市販車の怒涛の新型車攻勢があったことでも想像はできましたね。
中でも、この年のホンダの躍進は凄かった、と記憶しています。

小さい方ではトゥデイが、最上級車にレジェンドが追加され、屋台骨を支えるアコード/ビガーのフルチェンジに、それまでパッとしなかったクイントのフルチェンジなど等、まさに大躍進の転機となった年のように感じます。

自分もこの年代のホンダ車に、1番輝きを感じています。
今から見たら、(当時でも)とにかくボディが華奢であるし、取るに足らない部分がすぐ劣化したりと決して品質面は褒められたものではなかったですし、熟成よりもとにかく新技術、新機軸に重心が置かれるため改良される前にフェードアウトしてしまったりとユーザーにとっては、「何で?」という面も多々あったとも思います。
でも、そんなところがまさに本田宗一郎のDNA、とも言えたんですよね。

思えば大企業として着実な成長を遂げながらも、まだまだ中小企業のような「まだまだ!さらなる頂点を目指すんだ!」といった社風が色濃く残った、最後の時代とも言えるかもしれません。

自分もCA系のアコード/ビガーは、もっともホンダらしくそれでいてトヨタや日産といった「大手」にも対抗できる個性を持っていて、とても好ましいクルマだと思っています。
率直に言って、新たな最高級車であるレジェンドよりもCAの方が、「上手」に造られていていたとは思います(後に乗った感想ですが)。
レジェンド自体は、日本ではパッとしなかったもののおっしゃられているように、Y31へのモデルチェンジに影響を与えた、といった間接的な貢献が大きかった、と自分も思います。
しかし、アメリカではこのレジェンドのおかげでホンダの名声が確定的になったのですから、日本とアメリカの文化、受け取り方の違いにも驚きがありますね(笑)
モーターショーの話から外れてしまいましたが、コンセプトカーを持たない(持てない?)この時代のホンダは、とても明快で却って好ましかったように思います。
あるいは、コンセプトカーの代わりにF-1を展示するなど良い方向で自信が表れていた時期だったんですね。

最近のホンダにはいろいろ言いたいこともありますが、軽自動車はともかく、登録車の「迷走」はかなり深刻に受け取れます。
この時代に戻れ、とは言いませんが、もう少し独自性や個性を発揮してくれたら・・・と願わずにはおれません!
コメントへの返答
2015年12月8日 19:22
こんばんは
この時のショーは、だいぶ記憶が薄れているものの、かなりの混雑だったというのは強く憶えています。記録を確認すると、今回のショーの1/2の面積に1.5倍の来場者数、同等の展示小間面積に2倍以上の展示車両といった具合ですから、数字からも混雑具合が想像できますね。それでも、自分含めて自分の目で確認したかった方が大勢いたということなのでしょう。

書かれている通り、ホンダは大小それぞれのマーケットに参入するわ、その合間に既存車種の新型を発表するわで、目が離せないメーカーでした。ファンも増える一方でそれらを支えていましたね。

そう、クルマをロングライフの耐久財として見てしまうと疑問点はありましたし、エンジンやサスペンションに見られるとおり、方向性の基軸が振れていました。基軸の点については、躍動期らしいとも言えますし、ファンはそれを楽しんでいる部分もあったのかな、なんて思いますが(笑)

以前に書いたのですが、CAアコード/ビガーは、初めていいなと思ったホンダ車でした。このクラスのベストセダンと思わせるぐらい、鮮烈な存在でしたね。
出来のいいアコードと比べると初代レジェンドは、保守的なクラスへの参入とBLとの提携の関係もあったのか、思い切りが足りなく映りました。それでも、レジェンドが起爆剤になった部分はあったと思うのです。Y31を例にしましたが、その他にマキシマやディアマンテもレジェンドが無ければ、もっと和風セダンだったのではないかと想像しています。北米のアキュラはレクサスやインフィニティより一足早い高級車ディーラーだったという点も挙げられますね。

書かれている、とても明快だったというのは正しく同感です。ホンダ自身もファン層を解っていたというか、メーカーとファンの距離感が今よりももっと近かった気がしますね。

製品がどうこうじゃなくて、思い返してほしいのは根柢にある主義や主張の部分ですよね。少なくてもこの時代のホンダ車は、他社とは明確に違う存在だったのですから。
2015年12月8日 9:22
初めて買ったクルマが初代レジェンドの兄弟車なわけですが…

明らかに低速トルクが不足したショートストロークC25Aエンジンと、あの佇まいはなんとも似つかわしくないものでした。タコメーターが3000rpmを超えると明らかにカムに乗った音とフィーリングなのですから。

あと、狭山工場製にも関わらず壊れまくりでした。

しかしながら、このローバーとの提携が、演歌調一色の日本の高級車を変えるきっかけになったことは間違いないと思います。
コメントへの返答
2015年12月8日 19:30
こんばんは
コメントをいただけるものと密かな期待がありました(笑)

提携はしたものの、クルマ作りの方向性が違いますから、両者のすり合わせは大変だっただろうと想像します。

それでも、英国車の風格が日本車の信頼性を得られるということで期待はされていたんですよね。実際は、クオリティコントロールが上手くいかなかったというのが実情のようですが。

私も、日本の高級車を変えるきっかけになったに同感です。この2台以降、革と本木目が高級感の新たな演出に加わっていきますね。
2015年12月8日 19:17
追伸
レジェンドのリアサスですが、ローバーの意向によりストラットになったそうです。

レジェンドと乗り比べたら、エンジンはさておき脚はレジェンドはソフトな印象で、ローバーは骨太な印象でした。同じコンポーネントでも、作り手による味付けの差異はありましたね。
コメントへの返答
2015年12月8日 19:36
レジェンドのリアサスの件、追伸をありがとうございます。
あえてのストラットですから、何かしらの意向が働いているのだろうなという推測が確信となりました。

そもそも両者を乗り比べられた方って、かなり少ないのではと想像します(笑)。なるほど、機構は同じでも味付けの違いはあったのですね。書かれている印象が、何となくその佇まいに通ずるところがあるというのが面白いところです。
2015年12月8日 21:15
こんばんは。

1985年といえば、ホンダの躍進が始まったばかりかと。
ここから90年前半あたりまでは、シェア2位も取れちゃったくらいですから、相当なものです。

でも、この時期の方がおもしろい車が多いです。
2位が見えてきた頃から、車創りがトヨタ的になってしまって。
いつもトヨタ車と比較しながら、自社の方向を決めていた印象です。
現に、北米でのシェア争いに熱を上げていた5代目は、トヨタの主査さんから高評価だった様な。
そりゃそうですね、研究してましたから。

話は戻って。
80年代は、方向性を海外に向けていた様に思えます。
日本でヨーロッパ車を創っている印象です。
レジェンドなんかは、既存の概念でいったら「でっかいアコード」くらいにか思われないはず。
それでも出してしまったところに、勢いを感じます。
コメントへの返答
2015年12月8日 22:02
こんばんは

それまでは、ちょっとしたクルマ好き以外にはあまり気にされていなかった感があったのですが、この辺りから一般層にも浸透し始めるんですよね。ちょうどこの時期が端境期と言えそうです。

本文でも触れたとおり、次世代以降の方がクルマとしては洗練されているのですが、訴求力とか新鮮さの点ではこの時期が勝るかなと思ったりします。個人的に、トヨタは逆にホンダ車的な知的を求めるようになった印象がありまして、それはそれで興味深く見ていました。

日本でヨーロッパ車を創っていたというのは、鋭いと思いました。プレミアムじゃなくてベーシックの方が近いかもしれません。でも、それが当時の日本では新鮮だったのも事実で、売れる理由の一つだったと思います。レジェンドは、ホンダでなければ出来なかったですよね。クラウンとセドリック/グロリアでほぼ支配されていた市場への参入ですから、国外への販路の見込みありという前提あってこそでしょうね。
2015年12月13日 22:21
国産車でありながらどこかエキゾチックなホンダ
コンセプトカーでなく市販車で勝負する現実主義なホンダ

に当時、あこがれていました。
81年のシティ、83年のワンダーシビック、85年のアコードから、ビート、NSX,、初代オデッセイくらいまで、上記のような、「新しい風」を感じていました。

Y31の背景にレジェンドがあった、というのは新鮮な仮説ですね。これまでクラウンの対抗としてしか見てこなかったので、目から鱗という感じです。趣味の良い高級車を作ろう、というのは2代目セドリック、2代目プリンスグロリアあたりへの回帰とも思えます。
コメントへの返答
2015年12月14日 19:26
こんばんは

当時のホンダは日本車の中で一番エキゾチックというのが相応しい会社でしたね。自分的には、コンセプトカーを出せる余力がなかったという仮説を立てているのですが、その分現実主義に映りますね。

私も起爆剤は、81年のシティだと思います。2代目シティやグランドシビック以降は、手慣れた面が出てくるのですが、書かれているビート、NSX、オデッセイ辺りは、確かに他社にはない「新しい風」を感じさせる存在でした。

それまで、クラウンとセドリック/グロリアで寡占状態にあった市場でしたから、レジェンドが刺激になったのは確かだと思います。おそらく2代目風のオーナーカーがやりたくても、クラウンにやられた歴史がある以上、簡単に問うことは出来なかったのではないでしょうか。レジェンドがその足枷を外した、なんて認識しているんですよね。
2015年12月13日 23:11
こんばんは~。

私もこの時期のホンダが一番好きでした。売れた売れなかったは別にして、出てくる車がどれも自信に満ちてましたし、強い訴えかけ、ここが凄いんだというものがストレートに伝わった時代だったと思います。

そしてこの時代は特にMM思想がスタイルに強く表れた時代で、それはスマートでスタイリッシュなスタイルから少し遠ざかる危険性も持つわけですが、リトラクタブルヘッドライトと低いスラントノーズとワイドフォルムで上手く処理できていたと思います。

ワンダーシビック3ドアのスタイルは、特にリヤが正直これが売れるのかと思うほど大胆でいきすぎたものでしたが、実車を見ると実にかっこよく、また知性を感じるスタイルだったようにも思えます。こういうホンダ車はその後現れていませんね。

レジェンドのリヤストラットサスですが、あれはローバー側の要望だったという話を聞きました。ホンダの変わり型リヤダブルウィッシュボーンは今で言うマルチリンクに近く、ローバーには疑問に映ったとも・・・。ローバーとの提携を解消した直後の後期型から仰っているダブルウィッシュボーンになりましたね。

それにしてもこの時期は魅力的な車が揃ってますね~。中抜けしたラインナップの今のホンダとは大違いです(~-~;)
コメントへの返答
2015年12月14日 20:19
こんばんは

この時期までのホンダは、既に存在した市場に後から参入した形でしたから、どれも提案型の商品ですね。しかも、先行者を意識した感はなくて、これならどうだという自信に満ちています。ファンはそれに共感していたんですよね。

MM思想はワンダーが最初でしょうか。スペシャルティーカーのプレリュードだけでなく、ベーシックカーまでスカットル高を低くしたスタイルは新鮮でした。それに連なる形で、車高やノーズの高さを低くしていったスタイルは、カッコ良く映ったものです。スタイルのために、新技術を投入するなんていうのは、当時のホンダだからこそですね。

ワンダーの3ドアは、私も最初は跳び過ぎている様に感じたものの、後から時代が追い付きましたね。屋台骨となる量産車でこういうスタイルを問えた勇気は称えられるべきだと思います。ワンダーの成功で社の方向性が決まったような気もします。

レジェンドのリヤサスの経緯話をありがとうございます。保守的な印象の強いローバーですから、なるほどと思いました。実際、ローバー800の方は、最後までリヤストラットのままだったようですね。

今のホンダは、CセグとDセグの国内販売は無ですね。本流というべきクラスですから、不戦敗ではなく挑戦してほしいと思うのですけれどね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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