
前回のブログに対して、多くのイイね!とコメントを頂戴し、大変感謝しております。
当人的には、4半世紀前に生産中止になった、ましてや累計生産台数5万台強しか売れなかったクルマが、これほどの反響を呼ぶとは、いい方向で予想が外れました。
コメントを拝見した感じからすると、良くも悪くも印象に残ったクルマということなのかなぁと思います。たとえ、当時の印象が良くなかったとしても、郷愁の念から懐かしんでいただければ幸いです。
そんなこんなで、今回は後編です。
希少系の資料を持っている車種ではありませんので、順当に後期を紹介し、まとめとさせていただきます。
その前に、前期の途中で追加されたグレードを紹介しておきます。
○1985年5月22日 2000 Xi5 アウトバーン追加(即日発売)
それまでのトップグレードだったXi5に、以下の装備が追加された、新たなるトップグレードとなります。
・チルトアップ付電動スライディングルーフ
・フロントスポイラー
・スポーツシート
・6JJ-14アルミホイール + 195/60R15 コンチネンタルタイヤ
・ボッシュ角形フォグランプ
・ヘッドライト・ウォッシャー
ドイツ車としては、割安な価格設定ということもあって、上級グレードの販売比率が高かったことから、さらなる付加価値を求めたグレードですね。
記載の通り、専用装備も多くて、Xi5に+20万円という価格も、後からドレスアップすることを思えば、割安に映ったのではないでしょうか。
前段が長くなりましたが、以下、1987年1月に変更を受けた後期のカタログを紹介していきます。
マイナーチェンジと同時に新たなるトップグレードとして、2000 Xi5 アウトバーン DOHCが追加されましたので、筆頭で紹介されています。
その名の通り、アウトバーンをベースにエンジンをDOHC化したグレードとなります。ただし、SOHCのアウトバーンでは標準装備だったスライディングルーフは、オプション設定に変更されています。
新エンジンということで、大きく紹介されています。
もちろんバルブ数は、1気筒4バルブ。5気筒ですから20VALVEですね。
このバルブの挟角は25°と、ツインカムとしてはかなりスリムなヘッドでした。同時期に発表されたトヨタ初のハイメカツインカム2000、3S-FEのバルブ狭角が22.35°、従来型ツインカムの3S-GEのバルブ狭角が50°と書けば、そのスリムさがご理解いただけると思います。もちろん、こちらはシザースギヤ駆動ではありません。
スリムヘッドということでパワーが気になるところですが、DOHC化に伴い、最高出力はSOHC版の110ps/5600rpmから、140ps/6400rpmに向上しています。参考までに3S-FEは、120/5600rpmに留まっていました。
DOHC化に伴い、燃料供給システムもSOHCのKEジェトロニックからMPI集中電子制御システムに変更されています。
Xi5 アウトバーン DOHCのインパネです。
DOHCということで、変更されたのはタコメーターくらいです。
初期Xi5とは、ステアリングやオーディオが異なっていますが、前者はマイナーチェンジ時に全車に適用、後者はアウトバーン追加時に採用されたものが、マイナーチェンジに伴い全車に拡大採用されています。
このステアリングは、小径化されているため、ややステアリングが左にオフセットしているサンタナでは、違和感が強くなったというインプレも見受けられました。
Xi5 アウトバーン DOHCのインテリア。
こちらもアウトバーン系で共通となります。スポーツシートは形状こそ本国に存在したものの、布地はジャパンオリジナルと見た記憶がありますが、この点の正解は識者に委ねることにしましょう。
上から、Xi5 アウトバーン、Xi5、Giとなります。
マイナーチェンジでは、ライト類やフロントグリルの意匠変更、前後バンパーやサイドモールの大型化が行われています。
特に効果が大きく思えるのはバンパーの大型化で、従来やや腰高な印象があったスタイリングは、下半身の量感が増したことで、安定して見えるようになりました。もっとも、この変更に伴い、アウトバーン専用部品だったフロントスポイラーはオミット、フォグランプは全車標準装備になったことで、差別化が減ってしまっています。
DOHC以外のパワートレーンの紹介です。
一見同じかと思いきや、2000の方はKジェトロニックからKEジェトロニックに変更されています。この変更により、最高出力はグロス値からネット値に変更されたにも関わらず、110ps/5600rpmと同数値をキープ。(トルクは15.5kg・mから16.0kg・mに向上)
グロス値とネット値の差は15%前後と言われていましたから、その分がそのまま向上値となりますね。
さらに燃費も10モード審査値では、1800並みに向上しています。
1800の方は、グロス値からネット値に表記の変更は受けたものの、大きな変更はなかったようです。
操縦・走行安定性の紹介です。
SOHC系は大きな変更なしのようですが、DOHC車はパワーアップに合わせて、フロントはキャスター角の増大、スタビライザーの径やバネ定数のアップ、リヤはスタビライザーの新設とショックアブソーバーの減衰力の強化と結構手が入っています。さらにDOHC車はリヤもディスクブレーキとされています。
機能性・居住性の紹介です。
こちらも、前期と変更なしかと思いきや、燃費計は燃料消費率表示に、ターンシグナルパイロットランプは左右一体から別体にと、細かく手が入っていますね。
オーディオは、先述のとおり、1DINからカセット別体となりました。サイズは異なるように見えるものの、意匠は当時の日産車様式ですね。
バリエーションの紹介です。
DOHCが追加される一方で、ターボディーゼル2グレードと、ガソリンのGi5とLiが落とされたため、計4グレードに減っています。
参考までに東京地区の標準価格を記載してみます。(MT/AT順、各千円)
・Xi5 アウトバーン DOHC : 2,812 / 2,883
・Xi5 アウトバーン : 2,639 / 2,710
・Xi5 : 2,439 / 2,510
・Gi : 2,136 / 2,207
埼玉と東京という違いから、前期と価格が異なっていますが、マイナーチェンジに伴う価格変更はありませんでした。
ゴルフのCLiが2,550千円、GTi 16バルブが3,640千円していたことからすれば、相変わらずのバーゲンぶりがご理解いただけると思います。
日本車も総体的に価格上昇し始めていた頃ですから、そちらとの価格競争力も上がっていたのですが、如何せん初期評価が定着してしまっていたのが、商売的には厳しかったですね。
主要諸元表や主要装備一覧等の紹介です。
グレードが整理されたことで、装備の差異は少なくなっています。
最廉価のGiでもフル装備状態ですから、あとはお好みで、という選び方が可能でした。
右頁はオプションの一部が紹介されています。
サンタナなのトランクロックは、室内のロックと連動する仕組みでしたが、日本車と仕組みが違うのが嫌われたのか、オープナーの後付が可能だったようです。
裏表紙は内外装色の一覧です。
販売台数は決して多くないにも関わらず、全車、外装色は7色、内装色も外装色に合わせて3色から選択可能でした。
こうした取り組みは、きちんと評価してあげなければいけなかったんですよね。
結局、最終の特別限定車マイスターベルクを別枠とすれば、この改良がサンタナとして最後の改良となりました。当初の開発から携わってきた津田さんも、DOHCが追加された1987年1月を以って、やがてプリメーラの名で登場する新型車の開発に移ることとなったのです。
以上、いかがだったでしょうか。
サンタナを語る上では、先ずタイミングの悪さは欠かせません。
1981年9月の登場から1984年2月の国内発売開始まで、僅か2年余りですが、その間、日本車の小型車クラスは大きな変貌を遂げていました。
サンタナが登場した同年、アメリカではGMがJカーを発表。これは日本車キラーを想定して開発された車種であり、日本メーカーは必然的に、かつてない規模の資金と開発力を投入して、小型車の刷新に取り掛かります。それまでのFRがFFとなったのはその一端ですね。
1984年の時点では、その成果を反映した各社の力作小型車が連なっていました。その結果、1981年では弱点をカバーできたであろうほどのサンタナの長所だったものが、相対的にアドバンテージが減ることで弱点が浮き彫りになる構図へと変化を遂げていました。
そのことはブルーバードやコロナ等とサンタナの差異が見え辛くなったという言い方でもいいと思います。
もう一つ、取り上げるなら、そんな状況やサンタナの弱点を理解して、成長させようという気運は、双方の特に経営層には見受けられませんでした。販売台数に反比例する形で、日産は「事前の噂ほど大したクルマじゃない。売れないのはクルマが悪い」となり、VWは「クルマはいいのに売れないのは、売り方に問題があるからだ」ということで相互不信を募らせていきました。
結局、その相互不信はサンタナの店仕舞い後、一転して高価格を掲げたパサートで更なる惨敗を喫し、ついには両社の関係は完全に決裂。VWは新たなるパートナーとしてトヨタに接近することとなります。
さらにVWは、日産との関係を構築する、はるか以前から国内展開していたヤナセとも、関係を悪化させて、日本の店舗展開を自力で行う道を選択することになります。
20170204追記-----------------------------------------------------------
サンタナがヤナセにどういう影響を与えたのか、同社の社史に記されていましたので、
リンクを貼っておきます。大半が日産で販売され、従前からVWを扱っていたヤナセでの販売台数の少なさの理由が推測できる内容となっています。
----------------------------------------------------------------追記ここまで
このサンタナ、こうして書いただけでも、当時を知る関係者にとっては、いろいろ苦味に近い教訓を残したクルマに違いないと思います。
けれども、クルマ趣味人は、そんな経緯を気にせずに当時を懐かしみ、本当に希少となった実車を見つけたら、それに感嘆すればいいと思うのです。
例えば、これが旧車系のミーティングに登場してきたとしたら、私だって、驚愕と共に惜しみない称賛を送るに違いないのですから。