
前回の初代プリメーラは、予想していたよりもはるかに反響が大きくて、ちょっと驚きました。当時の日産らしい意欲作で、妙に媚びた部分がなくて、ある種理想主義的という成り立ちは、確かにクルマ好きの琴線に触れるものがありますよね。
コメントを寄せられた方の多くは、乗っていましたというものだったというのがその裏付けになるのでしょうね。
今回は一転して、1983年にフルモデルチェンジしたカローラの特別仕様車、GLサルーンを取り上げてみます。このカローラは、父が乗っていたということから、本カタログは既に紹介済(リンクは
こちら)ですので、よろしければご参照くださいませ。
今回、前置きは短くして、1983年10月に追加された時のカタログからのご紹介です。
(特別装備)
1.専用フルファブリックシート
2.大型フロントヘッドレスト(ファブリック巻)
3.フルコンソールボックス
4.マルチユーストレイ
5.大型ドアポケット
6.大型アームレスト
7.「GL saloon」マーク
8.マッドガード
9.ラジエターグリルステンレスモール
10.ドアアウトサイドステンレスハンドル
11.ロッカーブラックアウト
12.ドアベルトモール(1300のみ)
13.新色ボディカラー(グレー・シルクグリーン)(1300を除く)
ベースとなったGLよりも豪華に見せつつ、一つ上のSEに近づき過ぎない設定は、実に絶妙でありました。
今の目線ではかなり質素に映りますが、追加以降、最多量販グレードとなり、間もなくの一時変更の際にカタログモデルに組み込まれていますから、当時のファミリーカーの標準はこのぐらいだったと言っていいでしょう。ライバル車のサニーも、最多量販はほぼ同等のGLとかGL-Lでしたね。
このGLサルーン、モデルチェンジ前の特別仕様車(リンクは
こちら)と比べても、さほど見劣りしない仕様となっています。
こちらは、4ドアの他グレードの紹介です。
GLサルーンのベースグレードとなるGLは外されていますね。
この時、1600SRも追加されています。若向きを想定した5ドアのフォローと思われる、4ドア唯一の若向きの仕様でした。
裏表紙は装備一覧表です。
GLサルーンで唯一不可解だったのは、GLで選択可能だったパワーステアリングが外されたことでした。もっとも、当時はパワーステ無が主流だったことの裏付けとも取れますね。ちなみに後期のマイナーチェンジの時にGLサルーンもパワーステが選択可能になります。
最初は、ここまでにしようと思ったのですが、つい凝り性の性分がムクムクと(笑)
上で紹介したGLサルーンは、この世代のカローラが初動販売台数でひどく伸び悩んだ(詳細は後程記載)ことから、急遽追加されたグレードでした。やはりトヨタを代表するベストセラーカーですから、売れなかったら諦めるというわけにはいかないのです。当時は、サニー・ファミリアと死闘に近い激戦状態にもありましたから、なおさらと言えます。
実は、この2世代後の100系の時にも同じような話があります。こちらも初動が売れず(それでも80系よりははるかに好成績でしたが)急遽LXリミテッドが前倒し投入され、それが主力グレードとなり、さらにカタログモデルとなる推移には、既視感を感じずにはいられませんでした(笑)
このカローラが売れなかったのは、スタイルに理由を求めることが多いようです。そこで、登場時(1983年5月)のBカタログを紹介しつつ、ニューモデル速報第23弾「新型カローラ&スプリンターのすべて」から、デザインインタビューの部分を
引用することで、あまり理解されなかったデザインについて解説してみることにします。
カローラの4ドアセダンは、中心車種かつ世界的規模で輸出するということで、
「先進性の中にも、やはり落ち着きのあるものをめざした」そうです。
「チームを大きく3つ(カローラセダン、スプリンター5ドア、クーペ系)に分けて、3つのオリジナルボディをつくるつもりで始めた」とありますから、基幹デザインの一つでもあったようです。ちなみに、
「この他に3グループがあって、計6チームの競合の中からデザインが決定された」と書かれています。
「内1チームはCALTYで、他はトヨタの社内チーム」とのこと。特に4ドアにはイタルデザインの関与を感じるのですが、関与したとは書かれていません。
「(セダン系は)でかいキャビンがテーマ」ということで、
「キャビンは必要なサイズだけ大きくして、それをわれわれ(デザイン部門)が意匠としてまとめあげる、そう約束をした」とのこと。このため、
「セダンではフロントフロアを45mm下げたが、車高もヒップポイントも旧型のまま(=乗車姿勢がアップライト化)としている」そうです。アップライト化することで前席が前に出る分、後席のレッグルームが稼げるというロジックですね。
イメージスケッチにある、低いノーズ、低いベルトライン、短く高いリヤデッキは機能的には正しいこともあって、そのまま製品化に至っています。
なお、低いノーズを実現するため、
「ラジエターは、シングルフローという新しいタイプを開発して、冷却性能を満足させながら背を低くした」そうです。また、低めのキャラクターラインは、
「ボディ・シェルを2段構造に見せる手法」、高い位置に配置されたリヤテールは、
「これまでは低く低くでやってきたが、ベルトラインを思い切って下げてあるため、低さにこだわる必要はない」という理由とのこと。
リヤテールを高い位置に配置するのは、この後、2代目VWジェッタやアルファ155、トヨタ内でも4代目ターセル&コルサ等で似たテイストが見受けられました。その先駆けと言えます。(特にアルファ155には、他にも似ている点が見つかりますね)
上に書いた通り、スプリンターの5ドアが先行して、後からカローラの4ドアと組み合わせた5ドアを作ったようです。
具体的には、
「(カローラとスプリンターで)オリジナルは最初からドア断面の違うデザイン。4/5ドアはそのまま2種のドア断面で生産化が決定。」したとのこと。
先代の3ドアリフトバックは、特に国内では成功したとは言えませんでしたので、
「5ドアのほうで苦心した。これはスポーティセダン、あるいはニューセダンという位置づけをもって開発」したそうです。
どうやら、当時売れていた2ボックス車のオーナーに向けて、今のステーションワゴン的位置付けで売りたかったようですね。
もっとも
「日本ではやはり4ドアが主流。しかしヨーロッパでは、4ドアと5ドアを半々で売りたい。」という欧州ありきの構想だったようです。
ちなみに5ドアは特徴的なリヤテールで登場しましたが、クレイモデル段階では、4ドアと同じ高さに同時期のFFコロナ5ドア的な縦型リヤテールが配されています。その後、何かしらの理由によって市販車の位置に変更されたようですが、そのままの方が一般受けした気はします。
レビン3ドアは、先行してデザインされたレビン2ドアとトレノ3ドアの組合せで成立したデザインのようです。
従ってデザインインタビューでは、カローラ5ドアと共にイメージスケッチ・クレイモデル共に掲載されていません。
3ドアは、ドアを2ドアと共用する前提で成立しています。そのスタイリングは、2ドアがミニソアラなら、3ドアはミニセリカXXといった雰囲気がありました。共にスタイリングは好評でしたから、納得できる成り立ちです。
レビンは、GTアペックスのみに採用されたエアロダイナミックグリルを特徴としていました。クレイモデル段階では、その特徴を生かしてヘッドライトライト的なクリスタル調(ゲインズのビームIII的とも言えますw)の処理でしたが、生産型ではブラック仕上げに変更されました。
イメージスケッチ群からすると、このレビン2ドアがクーペ系デザインの基幹だったようです。
3代目と4代目では、ハードトップが投入されていましたが、エアコンの普及が進んでフルオープンにする機会が減ったという判断からか、初期イメージ段階からノッチバッククーペとしてデザインされています。
2ドアのキャビン部を当時好評だったソアラ風とするのは初期段階からの構想でした。4ドアとデザインテイストやディテール部の処理は似ているのですが、キャビンを大きくする必要がないことと、前周りは旧型からの部品を多く利用することもあってノーズが大きく下げられなかったこと、この2点から4ドアのように思い切った先鋭的な造形とはなりませんでした。
もっとも、だからこそセダンよりも好き嫌いが分かれなかったと言えそうですが。
セダン系のバリエーションです。
4ドアの上級グレードはユーザー層を想定してかメッキモールが増えるのですが、むしろ中級グレードの方がスッキリ感では勝る印象があります。
5ドアは、仕様的にも明らかに4ドアよりも若向きを意識したことを感じさせます。この時点でもユーザー層の平均年齢が上がっていたことは憂慮されていたようで、4ドアを若返らせつつ、さらに5ドアで他車からの乗り換えを吸収するという戦略だったようです。
レビンシリーズも、前代のクーペとハードトップのバリエーション構成を基本的に引き継いだ関係もあって、ハッチバックがヤング向き、ノッチバックがアダルト向きの設定となっていました。
唯一の共通グレードとなる最上級GTアペックスも、デジタルメーターは3ドアのみ標準(2ドアはオプション)、逆にパワーステアリングは2ドアのみ標準(3ドアはオプション)という違いがありました。さらにこの初期型では60タイヤの選択が可能なのは3ドアのみとなっていました。
先代では、1500シリーズも結構な販売比率だったため、この代でも想定比率は意外と高かったようです。しかしながら、新開発の4A-Gの魅力がシリーズ全体の印象をも決定付けてしまったと言えます。

主要装備一覧や主要諸元表の解説は省略しちゃいます。
当時の揚妻主査は、先代に続いてこのモデルを担当されています。
「旧型の時もそうだが、前のモデルのイメージを残す必要はまったくないというのが考え」だそうで、実際に先代の時にも大きく変えて、成功を収めています。
そのため、先代の時よりもやりたかったことをやっちゃった(やれちゃった)部分があるのかもしれません。ご当人的には
「カローラを手掛けて、あしかけ15年、主査になってから8年になるが、今度のクルマが一番うまくいったと思っている」なんて話をされていますし。
その結果は、意欲作ではあったものの、ユーザーが付いてきたとは言えず、先代とは一転した初動販売台数となったわけです。
月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の販売台数から、登場初期で分かっている分を記載してみると、
1983年と1982年の販売台数(その後ろの数字は販売台数の順位)
(カローラセダン)
・7月: 21,505台 ・ 19,455台 1
・8月: 8,988台 ・ 9,398台 2
・9月: 12,371台 ・ 15,794台 2
・11月: 14,022台 ・ 17,357台 1
・12月: 13,840台 ・ 18,291台 1
(カローラクーペ・ハードトップ)
・7月: 7,790台 ・ 3,741台
・8月: 3,153台 ・ 1,668台
・9月: 3,728台 ・ 2,448台
・11月: 3,081台 ・ 2,241台
・12月: 2,985台 ・ 2,084台
セダンは、先代モデル末期だった前年よりも、さらに少ない台数で推移しています。改めて数字を拾ってみると、売れなかったと聞いてはいたものの、想像以上の落ち込みぶりでした。
レビンの方はセダンの低調ぶりを補っている風に見えますが、実はトレノの方が売れていたりします。当時はリトラクタブルライトの方が好評だったんですよね。
ここでおまけ話。
今回調べてみて、ちょっと興味深かった数字を拾ってみます。
(カローラII)
・7月: 12,054台 ・ 8,007台 10
・8月: 5,289台 ・ 4,677台 10
・9月: 8,120台 ・ 6,569台 11
・11月: 7,561台 ・ 6,849台 13
・12月: 7,034台 ・ 6,884台 14
登場から2年目に突入していたカローラIIは、前年をも上回る台数で推移しています。兄弟車のターセルやコルサは、これほどの対前年比ではないことも事実でありまして、カローラのユーザー予備軍がこちらを買ってしまったということは間違いなかろうと思います。
この後、カローラIIは、翌年に登場するカローラFXとの関係の整理もあって、1300を中心にした形に下級移行することとなりますね。
だらだらと書いてきましたが、最後に誤解のないように記載。
私、この80カローラのスタイルはとても高く評価しています。特に初期型はカローラのユーザー層に受け入れられたとは言えませんが、このスタイリングのままで、もしもイタ・フラ系のエンブレムが付いていたりしたら、その理想主義的スタイリングがもっと受け入れられたのでは、などと思ったりするのです。