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2016年01月07日

1983年のカローラGLサルーンのカタログほか

1983年のカローラGLサルーンのカタログほか 前回の初代プリメーラは、予想していたよりもはるかに反響が大きくて、ちょっと驚きました。当時の日産らしい意欲作で、妙に媚びた部分がなくて、ある種理想主義的という成り立ちは、確かにクルマ好きの琴線に触れるものがありますよね。

コメントを寄せられた方の多くは、乗っていましたというものだったというのがその裏付けになるのでしょうね。


今回は一転して、1983年にフルモデルチェンジしたカローラの特別仕様車、GLサルーンを取り上げてみます。このカローラは、父が乗っていたということから、本カタログは既に紹介済(リンクはこちら)ですので、よろしければご参照くださいませ。

今回、前置きは短くして、1983年10月に追加された時のカタログからのご紹介です。





(特別装備)
1.専用フルファブリックシート
2.大型フロントヘッドレスト(ファブリック巻)
3.フルコンソールボックス
4.マルチユーストレイ
5.大型ドアポケット
6.大型アームレスト
7.「GL saloon」マーク
8.マッドガード
9.ラジエターグリルステンレスモール
10.ドアアウトサイドステンレスハンドル
11.ロッカーブラックアウト
12.ドアベルトモール(1300のみ)
13.新色ボディカラー(グレー・シルクグリーン)(1300を除く)

ベースとなったGLよりも豪華に見せつつ、一つ上のSEに近づき過ぎない設定は、実に絶妙でありました。
今の目線ではかなり質素に映りますが、追加以降、最多量販グレードとなり、間もなくの一時変更の際にカタログモデルに組み込まれていますから、当時のファミリーカーの標準はこのぐらいだったと言っていいでしょう。ライバル車のサニーも、最多量販はほぼ同等のGLとかGL-Lでしたね。

このGLサルーン、モデルチェンジ前の特別仕様車(リンクはこちら)と比べても、さほど見劣りしない仕様となっています。





こちらは、4ドアの他グレードの紹介です。
GLサルーンのベースグレードとなるGLは外されていますね。
この時、1600SRも追加されています。若向きを想定した5ドアのフォローと思われる、4ドア唯一の若向きの仕様でした。





裏表紙は装備一覧表です。
GLサルーンで唯一不可解だったのは、GLで選択可能だったパワーステアリングが外されたことでした。もっとも、当時はパワーステ無が主流だったことの裏付けとも取れますね。ちなみに後期のマイナーチェンジの時にGLサルーンもパワーステが選択可能になります。



最初は、ここまでにしようと思ったのですが、つい凝り性の性分がムクムクと(笑)

上で紹介したGLサルーンは、この世代のカローラが初動販売台数でひどく伸び悩んだ(詳細は後程記載)ことから、急遽追加されたグレードでした。やはりトヨタを代表するベストセラーカーですから、売れなかったら諦めるというわけにはいかないのです。当時は、サニー・ファミリアと死闘に近い激戦状態にもありましたから、なおさらと言えます。

実は、この2世代後の100系の時にも同じような話があります。こちらも初動が売れず(それでも80系よりははるかに好成績でしたが)急遽LXリミテッドが前倒し投入され、それが主力グレードとなり、さらにカタログモデルとなる推移には、既視感を感じずにはいられませんでした(笑)



このカローラが売れなかったのは、スタイルに理由を求めることが多いようです。そこで、登場時(1983年5月)のBカタログを紹介しつつ、ニューモデル速報第23弾「新型カローラ&スプリンターのすべて」から、デザインインタビューの部分を引用することで、あまり理解されなかったデザインについて解説してみることにします。



カローラの4ドアセダンは、中心車種かつ世界的規模で輸出するということで、「先進性の中にも、やはり落ち着きのあるものをめざした」そうです。

「チームを大きく3つ(カローラセダン、スプリンター5ドア、クーペ系)に分けて、3つのオリジナルボディをつくるつもりで始めた」とありますから、基幹デザインの一つでもあったようです。ちなみに、「この他に3グループがあって、計6チームの競合の中からデザインが決定された」と書かれています。「内1チームはCALTYで、他はトヨタの社内チーム」とのこと。特に4ドアにはイタルデザインの関与を感じるのですが、関与したとは書かれていません。

「(セダン系は)でかいキャビンがテーマ」ということで、「キャビンは必要なサイズだけ大きくして、それをわれわれ(デザイン部門)が意匠としてまとめあげる、そう約束をした」とのこと。このため、「セダンではフロントフロアを45mm下げたが、車高もヒップポイントも旧型のまま(=乗車姿勢がアップライト化)としている」そうです。アップライト化することで前席が前に出る分、後席のレッグルームが稼げるというロジックですね。

イメージスケッチにある、低いノーズ、低いベルトライン、短く高いリヤデッキは機能的には正しいこともあって、そのまま製品化に至っています。

なお、低いノーズを実現するため、「ラジエターは、シングルフローという新しいタイプを開発して、冷却性能を満足させながら背を低くした」そうです。また、低めのキャラクターラインは、「ボディ・シェルを2段構造に見せる手法」、高い位置に配置されたリヤテールは、「これまでは低く低くでやってきたが、ベルトラインを思い切って下げてあるため、低さにこだわる必要はない」という理由とのこと。

リヤテールを高い位置に配置するのは、この後、2代目VWジェッタやアルファ155、トヨタ内でも4代目ターセル&コルサ等で似たテイストが見受けられました。その先駆けと言えます。(特にアルファ155には、他にも似ている点が見つかりますね)





上に書いた通り、スプリンターの5ドアが先行して、後からカローラの4ドアと組み合わせた5ドアを作ったようです。

具体的には、「(カローラとスプリンターで)オリジナルは最初からドア断面の違うデザイン。4/5ドアはそのまま2種のドア断面で生産化が決定。」したとのこと。

先代の3ドアリフトバックは、特に国内では成功したとは言えませんでしたので、「5ドアのほうで苦心した。これはスポーティセダン、あるいはニューセダンという位置づけをもって開発」したそうです。
どうやら、当時売れていた2ボックス車のオーナーに向けて、今のステーションワゴン的位置付けで売りたかったようですね。

もっとも「日本ではやはり4ドアが主流。しかしヨーロッパでは、4ドアと5ドアを半々で売りたい。」という欧州ありきの構想だったようです。

ちなみに5ドアは特徴的なリヤテールで登場しましたが、クレイモデル段階では、4ドアと同じ高さに同時期のFFコロナ5ドア的な縦型リヤテールが配されています。その後、何かしらの理由によって市販車の位置に変更されたようですが、そのままの方が一般受けした気はします。





レビン3ドアは、先行してデザインされたレビン2ドアとトレノ3ドアの組合せで成立したデザインのようです。

従ってデザインインタビューでは、カローラ5ドアと共にイメージスケッチ・クレイモデル共に掲載されていません。

3ドアは、ドアを2ドアと共用する前提で成立しています。そのスタイリングは、2ドアがミニソアラなら、3ドアはミニセリカXXといった雰囲気がありました。共にスタイリングは好評でしたから、納得できる成り立ちです。

レビンは、GTアペックスのみに採用されたエアロダイナミックグリルを特徴としていました。クレイモデル段階では、その特徴を生かしてヘッドライトライト的なクリスタル調(ゲインズのビームIII的とも言えますw)の処理でしたが、生産型ではブラック仕上げに変更されました。





イメージスケッチ群からすると、このレビン2ドアがクーペ系デザインの基幹だったようです。

3代目と4代目では、ハードトップが投入されていましたが、エアコンの普及が進んでフルオープンにする機会が減ったという判断からか、初期イメージ段階からノッチバッククーペとしてデザインされています。

2ドアのキャビン部を当時好評だったソアラ風とするのは初期段階からの構想でした。4ドアとデザインテイストやディテール部の処理は似ているのですが、キャビンを大きくする必要がないことと、前周りは旧型からの部品を多く利用することもあってノーズが大きく下げられなかったこと、この2点から4ドアのように思い切った先鋭的な造形とはなりませんでした。

もっとも、だからこそセダンよりも好き嫌いが分かれなかったと言えそうですが。





セダン系のバリエーションです。
4ドアの上級グレードはユーザー層を想定してかメッキモールが増えるのですが、むしろ中級グレードの方がスッキリ感では勝る印象があります。

5ドアは、仕様的にも明らかに4ドアよりも若向きを意識したことを感じさせます。この時点でもユーザー層の平均年齢が上がっていたことは憂慮されていたようで、4ドアを若返らせつつ、さらに5ドアで他車からの乗り換えを吸収するという戦略だったようです。





レビンシリーズも、前代のクーペとハードトップのバリエーション構成を基本的に引き継いだ関係もあって、ハッチバックがヤング向き、ノッチバックがアダルト向きの設定となっていました。

唯一の共通グレードとなる最上級GTアペックスも、デジタルメーターは3ドアのみ標準(2ドアはオプション)、逆にパワーステアリングは2ドアのみ標準(3ドアはオプション)という違いがありました。さらにこの初期型では60タイヤの選択が可能なのは3ドアのみとなっていました。

先代では、1500シリーズも結構な販売比率だったため、この代でも想定比率は意外と高かったようです。しかしながら、新開発の4A-Gの魅力がシリーズ全体の印象をも決定付けてしまったと言えます。







主要装備一覧や主要諸元表の解説は省略しちゃいます。




当時の揚妻主査は、先代に続いてこのモデルを担当されています。
「旧型の時もそうだが、前のモデルのイメージを残す必要はまったくないというのが考え」だそうで、実際に先代の時にも大きく変えて、成功を収めています。

そのため、先代の時よりもやりたかったことをやっちゃった(やれちゃった)部分があるのかもしれません。ご当人的には「カローラを手掛けて、あしかけ15年、主査になってから8年になるが、今度のクルマが一番うまくいったと思っている」なんて話をされていますし。


その結果は、意欲作ではあったものの、ユーザーが付いてきたとは言えず、先代とは一転した初動販売台数となったわけです。

月刊自家用車誌に掲載された自販連調査の販売台数から、登場初期で分かっている分を記載してみると、

1983年と1982年の販売台数(その後ろの数字は販売台数の順位) 
(カローラセダン)
 ・7月: 21,505台 ・ 19,455台  1
 ・8月: 8,988台 ・ 9,398台  2 
 ・9月: 12,371台 ・ 15,794台  2
 ・11月: 14,022台 ・ 17,357台  1
 ・12月: 13,840台 ・ 18,291台  1

(カローラクーペ・ハードトップ)
 ・7月: 7,790台 ・ 3,741台
 ・8月: 3,153台 ・ 1,668台
 ・9月: 3,728台 ・ 2,448台
 ・11月: 3,081台 ・ 2,241台
 ・12月: 2,985台 ・ 2,084台

セダンは、先代モデル末期だった前年よりも、さらに少ない台数で推移しています。改めて数字を拾ってみると、売れなかったと聞いてはいたものの、想像以上の落ち込みぶりでした。

レビンの方はセダンの低調ぶりを補っている風に見えますが、実はトレノの方が売れていたりします。当時はリトラクタブルライトの方が好評だったんですよね。


ここでおまけ話。
今回調べてみて、ちょっと興味深かった数字を拾ってみます。

(カローラII)
 ・7月: 12,054台 ・ 8,007台  10
 ・8月: 5,289台 ・ 4,677台  10
 ・9月: 8,120台 ・ 6,569台  11
 ・11月: 7,561台 ・ 6,849台  13
 ・12月: 7,034台 ・ 6,884台  14

登場から2年目に突入していたカローラIIは、前年をも上回る台数で推移しています。兄弟車のターセルやコルサは、これほどの対前年比ではないことも事実でありまして、カローラのユーザー予備軍がこちらを買ってしまったということは間違いなかろうと思います。

この後、カローラIIは、翌年に登場するカローラFXとの関係の整理もあって、1300を中心にした形に下級移行することとなりますね。


だらだらと書いてきましたが、最後に誤解のないように記載。
私、この80カローラのスタイルはとても高く評価しています。特に初期型はカローラのユーザー層に受け入れられたとは言えませんが、このスタイリングのままで、もしもイタ・フラ系のエンブレムが付いていたりしたら、その理想主義的スタイリングがもっと受け入れられたのでは、などと思ったりするのです。
ブログ一覧 | カタログ話(特別仕様車編) | クルマ
Posted at 2016/01/07 22:38:52

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この記事へのコメント

2016年1月7日 23:22
こんばんは♪
まだこのクルマが珍しくなかった事 近所の魚屋さんが配達に5ドアを使っていたのを思い出します
今にして思えば特異な使い方していたような気がしますね

セダンの1・5は運転した事がありましたが同じ1・5のカリーナに比べて軽快に走る印象でした
でも肝心の86は座った事さえないと言う・・・・(汗)
コメントへの返答
2016年1月8日 5:49
おはようございます
開発側としては、あまりビジネスユースの使い方を想定していなかったようですが、使い勝手がいいとその種の使い方もされますよね。ワゴンはまだ豪華版のバンと見られていた時代でした。

カローラとカリーナで100kg弱の違いがありましたから、走りか見栄えかで判断が分かれたようです。売れ行きからすると、カリーナに軍配という判断も多かったですね。86は見下ろし型のセダンからすると座面がえらく低かった印象があります。
2016年1月7日 23:33
本年も宜しくお願い致します。

ウチに有ったのが、前期の中期?の
スプリンターXLでした。
我が家で初めてのエアコン付きでしたが、
オーダー時にパワステ付けていなかったので、
初心者には乗りづらいクルマでしたねえ(^^;

そういえば、関東自動車製で大きなプレートが
ボンネット裏に貼ってあったのを思い出します。
ボクもデザインは好きな方ですが、世間ウケ?
良くなかったのですね(^^;
コメントへの返答
2016年1月8日 6:04
こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。

そう、前期は59年に小改良が入っているんですよね。
当時の価格表からすると、SEではパワステを標準在庫にするディーラーが多かったようですが、XLはほぼノンパワーだったようです。パワステでも決して軽くはなかったですから、ノンパワーの厳しかった印象も分かる気がします(笑)

カローラ系は高岡工場の印象が強いのですが、関東自工の製造分もあったようですね。
スプリンターのデザインは、アウディ80(B3)に近いものがあって、先進的だったと思うのですが、当時の販売からすると、進み過ぎていた感がありますね。
2016年1月7日 23:40
こんばんは。

この型のカローラセダン、自分もアルファのヌォ―ヴァジュリエッタに似てるな、と思っていたんですよ(笑)
デザイン意欲の高さが、保守的な日本人、中でもカローラを選ぶようなオーソドックスな層にウケなかったのは、当然だったとはいえ少し残念な気も致します。

トヨタは時折、先取性や高い意欲を発揮するも、そういう力作に限って販売面では低迷してしまうので、段々と冒険をできなくなってしまうという面は否定できませんね~

でも自分はそういった、「トヨタ的には失敗作」なクルマに魅力を感じるヒネクレ者です(爆)

このGLサルーンは、自分がH社のディ―ラーの営業で初めて売ったCB-5インスパイアの下取り車だったので、とても印象に残っています。
レビンよりもトレノの「リトラクタブル・ヘッドライト」の方が支持された、というのも今では懐かしく、まだまだ一般的なクルマが「趣味」でない人々もクルマに夢を持っていたと思われるお話ですね!
確かに当時、トレノの方をよく見た記憶があります。

ウチの隣のお宅でも、お子さんが2人お見えになりながらも、AE85でしたがトレノに乗られていたりで、当時中学生だった自分も乗せてもらって喜んだものでした。
そのお宅は、次に2代目ED、その次がイプサムとトヨタというメーカーは不動ながら当時の一般的な流行が手に取るようにわかるお買い替えをされていたのが、いかにもトヨタの典型的な顧客層らしい、と半ば驚き感心したものでした(笑)

話はずれましたが、この型のカローラシリーズはAE86だけでなくもっと見直されても良いクルマの1台と感じます。
コメントへの返答
2016年1月8日 6:29
おはようございます

お互い、典型的な日本セダンと思われているカローラにアルファの面影を見出す辺りに共通項を感じたりします(笑)
この先代、共々イタルデザインっぽいですよね。先代はそのスタイルが受けたのですが、この代は先行し過ぎちゃった感が強いですね。

この次からは、キャビンの大きさよりもデザイン重視となっていきますから、若返りも含めてここが分かれ目だったように思います。失敗作という定評でも、再分析してみようというのが、ここの趣旨の一つですから、失敗作に魅力を感じる方は、大変にありがたい存在です(爆)

そう、90年代中頃までに代替されて、一気に消えたように思います。それ以前は見かける機会の多いクルマでしたが。
今回のために販売台数を見返して、そういえば当初はトレノの方が売れたんだよな、と。まだまだリトラクタブルライトに商品力があった時代ですね。86は時代によって、人気が分かれる印象もあります。イニD以降は、トレノ3ドアで定着した感が強いですが、それ以前はレビンや2ドアが尊重される時期もありました。

トレノ→ED→イプサムという代替は、いかにもというか、流行の先端というか(笑)。もっとも全て販売店が違うというのは珍しいかもしれません。1台買うと系列繋がりで代替して、優良顧客に成長するのが多数かな、と思ったりします(笑)

この世代は、カローラシリーズ、しかも売れなかったということで、FF系は埋もれている感が強いですね。クジラクラウンと同じ属性だと思うのですが、トヨタ自身の再評価もまだまだですし。
こうして特徴を見出す極一部が存在しますから、いずれは・・・ということがあったりするかもしれませんね(笑)
2016年1月8日 8:20
おはようございます。

前期の初期型、上部のみカラードバンパーになっているSEサルーンで品川3桁ナンバーの車を東名川崎インター付近で2-3回遭遇したことがあります。最後の遭遇から半年も経っていないと思いますが、ドライバーは30歳代後半くらいの方だったように思います。

自分はカローラ=この型から鮮明な記憶があるのですが、実際に運転したことはありません。しかしながらその遭遇したSEサルーンを見るととてもコンパクトで、理想主義的なパッケージに近いんだなぁと感じました。



コメントへの返答
2016年1月8日 19:22
こんばんは

前期の初期型SEサルーンだと、父が乗っていた仕様とピタリですから、思い入れも格別です(笑)
SE系は、1年足らずで下部もカラードバンパーになっていますから、初期型は意外と少なかったように思います。ウチが手放してからでも、20年以上の時間が流れていますから、今でも残っているのは本当に貴重ですね。

現行型と比較すると、長さが30cm、幅も8cmぐらいは小さかった計算ですが、それでも当時は親子4人で乗って不自由はありませんでした。コンパクトながらも、優秀なパッケージングが寄与していたと今でも思います。
2016年1月8日 8:24
このGLサルーンが出た当時、小学校の社会科見学でトヨタの工場に行きました。その際に、担任がこのGLサルーンを注文したのを思い出しました。

カローラ、サニーは初代からこの世代くらいまでは、米国資本の欧州メーカーの車を参考にしていた感があります。ベルトラインをキャビン部分で一段下げてルーミーに見せる手法は、当時のカデットEなども用いていました。ただ、ユーザーの思いより少し先のデザインではありました。
コメントへの返答
2016年1月8日 19:37
こんばんは

小学校の社会科見学で、工場を見られたというのが羨ましく思います。自分が工場を初めて見たのは、90年代半ば過ぎ、150クラウンがマイナーチェンジをした直後でした。そこからでも20年近くの時間が経過してしまいました。

確かに、初期のカローラやサニーは、米国資本の欧州車、特にオペルカデットの影響を受けているように感じます。VWは、まだビートルの時代でしたから、そこに手本を求めざるを得なかった感もありますね。

ノーズの下げと両立させるためにも、ウエストラインをキャビン部で下げる手法が流行していた時代でした。この後は、ピラーを絞るという手法を取り入れつつも、ウエストラインはフロントからリヤまで線でつながる方向に回帰していきますね。
2016年1月8日 10:04
おはようございます☆

後で知ったんですが、80系初期の販売台数は芳しくなかったのが意外でした。
当時小3だった頃、FF化よりもスタイリングが近代的になり若返ったインパクトが強く好感を持ってたので余計に驚きました。

特に、5ドアのイエロー。グレードはZXでテールゲートにささやかなリアスポイラー(当時は
役所を刺激しないよう別の名称だったような)が付いてるのがお気に入りでした。

従来カローラユーザーの方から見るとずんぐりしたスタイリングで、70系の方が豪華に見えたんでしょか。
昭和60年のマイナーチェンジでは光り物が増えて豪華に見えるようになり、前期の若々しい印象が消えオジサンぽい雰囲気になりました。

でも、どこから見ても「カローラ」に見えるのはさすがだと思います。

コメントへの返答
2016年1月8日 20:01
こんばんは

目標台数に至らないということで、80系初期の不調は、自動車雑誌でも書かれていたかなというのがおぼろげな記憶です。
雑誌のスクープでイメージスケッチが載った時には、ボンネットを強く傾斜させてトランクを高く見せた佇まいが、従来にはない格好で驚きました。さらに、市販車がイメージスケッチのままで登場したのが、再びの驚きでもありました(笑)

5ドアは先行したビスタとかコロナ的佇まいを想像していましたので、こちらも想像を超えた存在でした。

70系はFRということもあって、上級車の縮小版的佇まいが好評でしたね。FFで先行したサニーやファミリアと互角以上に争えたのは、スタイルに負う面が強いと思います。そこからすると80系(特にセダン)は、理解し難かったのでしょうね。実際、父も躊躇する部分があるようでした。

初期型が気に入っていたものですから、60年のマイナーチェンジには失望したというのが正直なところです(笑)
もっとも、一般的には豪華になったということでウケは良かったようです。

この代の前期と後期によって、その後のカローラの方向性が決定付けられたような気がしますね。
2016年1月8日 23:23
こんばんは!

流石にこの型のレビン・トレノ以外は殆ど見かけず絶滅状態になりましたね。
歴代のカローラで失速したのは、ひょっとしてこの5代目が最初ですかね?
メーカーの意地と焦りが特別仕様車の投入や手を入れたマイナーチェンジから感じられました。

失速したモデルは手の込んだマイナーチェンジをした後、次はかなり気合を入れたモデルチェンジをするというやり方が特にカローラでは色濃く感じます。
正しく今がその時期に相当すると思っているので、次のモデルにはかなり期待しているところです。
コメントへの返答
2016年1月9日 10:22
おはようございます

最終でも間もなく30年になろうというクルマですから、レビン・トレノの残り方が例外なんでしょうね(笑)

モデルチェンジからの経過に伴う減速はありましたが、予測を下回ったのは最初ですね。シャルマンとの関係がもっと近いものだったら、3代目登場時のように先代との併売という選択もアリだったのかもしれません。

結果的には、FXに救われているのですが、度重なる特別仕様車の投入やマイナーチェンジも下支えに貢献していましたね。

現行には、80とか110を重ねてしまいますよね。社内のプライオリティが下がったのと国内特化仕様というマイナス要因が気がかりですが、このクラスのセダン&ワゴンの砦として、捲土重来を期待したいですね。
2016年1月9日 9:16
いつもながら、おぼろげに覚えていることを客観的かつ詳細にまとめていただき、感心しつつ感謝致しております。

さて『GL』『サルーン』。
80年代ドンピシャのネーミングですね。

69年に『グランドラグジャリー』として、トップグレードとして初代サニークーペに登場した『GL』。(大都会さんのブログに詳しい)
しかしその後のSGLだのGXだの相次ぐ上位グレードのインフレ?(笑)に、僅か数年で実質的エントリーグレードになってしまったGL。
80年代になると70年代ぽい響きが嫌われてか、83年頃にはブルーバード、Σ等からもGLは無くなります。
今では商用車のグレード名ですね。

そこに『サルーン』(笑)。
古くはスペシャル、スーパー、昭和50年代にエクストラ、サルーン、さらにはリミテッドとなっていく、(自動車では)『特別な』を意味する呼称。
『GLサルーン』は商標登録もなく、他にも多そうですが、記憶では80カローラの他にはFR最終Σ、スタンザ位しか無かったんじゃないかし
ら?

昭和のグレード『GL』(この次の90ではTX/XEになっちゃいましたしね)と、リミテッドとともに最近でも使用例のある『サルーン』。
両者の組合せは、まさにこの時期でのアダ花のようで、記憶に残ります(笑)
コメントへの返答
2016年1月9日 11:02
おはようございます

こちらこそ、ついワクワクしてしまうコメントをありがとうございます。こういう話、大好きです(笑)

そう、GLは日産が一気に仕掛けたネーミングですよね。その分、トヨタは採用に慎重でマークII、やや遅れてコロナで使いましたが、他車ではハイデラックスやスーパーデラックスで代用していましたね。カローラでは、4代目の時にハイデラックスの代わりに遅ればせながらの採用となりました。
書かれているとおり、80年代には商品力を失いつつあったグレード名で、急速に使われなくなりますね。

一方のサルーンは、4代目クラウンのスーパーサルーンが最初。続いてシグマも用いますが、当時のトヨタはエクストラを多くの車種で使っていたため広がりませんでしたね。6代目コロナのCXサルーンや特別仕様車エクストラサルーンあたりから広く使われ始めて、4代目カローラで特別仕様車SEサルーンが登場するという流れかな。以上、記憶の中の蜘蛛の巣を払いながら書いています(笑)

GLサルーンは、そんな両者の組合せという、過渡期らしいグレード名だと私も思います。書かれている2車以外にもなかったかなと思って一生懸命に考えたのですが、他には思いつきませんでした。
2016年1月10日 23:25
こんばんは。

このモデルのセダンが苦しんでいたとは知りませんでした。100系はあまりの質感の低さで不人気となりMCでかなり変わったことは有名でしたが(確か140クラウンも前期が不人気でしたよね)、80系もそうだったとは・・・。

このモデルってセダンに限らず確かにどれもスラントノーズが極端で、それが車を少し安っぽく(ミニカーっぽく)見せていましたね。特にバンパーが樹脂のタイプだと余計にそうみえました。この点、3ドアトレノだけは同じスラントでもリトラとLBデザインとのバランスが良かったのかロングノーズに見え、レビンよりも人気だったのも納得です。

因みにスプリンターはどうだったのでしょうか・・・。カローラよりも曲面ボディでフロントはなかなか色気があったように思いますが、リヤは逆に個性的でこの時代の日本人には厳しい気がしましたが・・・
コメントへの返答
2016年1月11日 12:07
こんにちは

今回改めて見返してみて、80初期の躓きは思っていた以上でした。当時、販売の最大の話題は3年車検の導入で、直前の買い控えと絡んだことで、目立たなかったのだと推測しています。この年の年末にかけては、話題になりつつあったようです。

スラントノーズは空力的にも正義だということで頑張ったのですが、やり過ぎだったのでしょうね。この時期にはカローラの歴代ユーザー層が積み上がりつつありましたから、そこを説得するには難しいデザインですよね。
レビンは2ドア、トレノは3ドアに分かれたかもしれませんね。私は、レビン派だったのですが、主要購買層にはトレノの方が解り易かったのだと思います。

スプリンターも調べてみたところ、オート店は、当時の乗用車の取扱がチェイサーとスターレットということもあって、カローラ程の不調ではなく前年並みを維持していました。もっとも、比率は不明ながらも、大多数は4ドアで、5ドアは想定以下だったであろうことは間違いなかったと推測します。その結果、次世代開発時には、販売店から5ドアは国内にいらないという声も上がっていたなんて話もあったようです。
2016年1月11日 18:55
再び遅いコメント失礼します。
80系カローラが販売的には思った程ではなかったというのが、先代との販売台数比較でよく分かりました。トヨタにしてみれば事件だったでしょうね。
友達の家が、80系初期の5ドアに乗っていて、国産車ドアミラー解禁直後の車だから、手動でもミラーを倒す事が出来なかったようです。
また、会社の知り合いのおばちゃんが、郷ひろみさんのファンで、カタログだけディーラーにもらいに行ったと言ってました。
カローラは郷さんで、スプリンターは古谷一行さんがイメージキャラクターでしたが、後者の方はカローラより高い年齢層を意識してたのですかね?
コメントへの返答
2016年1月11日 19:24
こんばんは
コメントをありがとうございます

人気の有無は数字が如実に物語りますね(笑)
ベストセラーカーが失速となると社内でも問題になったであろうことが想像できます。早期の部分改良なんかは、その反映なのでしょうね。
家のも初期型でしたが、コメントの通り、ドアミラーは衝撃吸収機能こそあるものの、格納状態の保持は不可能でした。ドアミラー解禁後、あまり時間を置かずにFFコロナが手動格納式にして、他車に広がっていきますね。
イメージキャラクターの件ですが、当初は萩原健一さんで決まっていたものの直前の逮捕により、急遽古谷一行さんに交代したという経緯があるそうです。郷さんと萩原さんでも郷さんの方がお若かったりしますが、意識していたんでしょうね?
2016年1月15日 23:09
 叔父がE70前期型セダンに、父が910ブルーバードに乗っておりました。昭和58年、ともにFWD化されたことで、「駆動方式」という概念が私の中に生まれました。当時の勝手な考えですが、FWD化とはボンネット後部が高くなることだと思っておりました。そんなことから、レビン・トレノ系も、E90型登場前夜までFWDだとばかり思っておりました。

このE80前期型や、V10カムリ・ビスタ、T150コロナ、S120クラウンなどの前期型などと同様、直線が多用されすぎていることが不人気の要因かな、と思っております。いずれも後期型でやや派手になり、バランスが良くなったように思います。

E80については、FFジェミニともデザインが共通していますね。同じソースながら、ジェミニの方が好ましく思っております。

デザインは、シンプル偏重の理想主義時代と、装飾型の時代が繰り返されております。2000年代前期もシンプル偏重期でしたが、意外に早く手放されているのは、その冷たさ故かな、と感じています。
コメントへの返答
2016年1月16日 0:46
E70型カローラ、910ブルーバード共に、FRの良さを持ったセダンだと思っています。力作かつ成功作であったが故に、次世代をどうするかは悩ましかっただろうと想像するところです。
そこから、カローラは大きく変えて、ブルーバードはイメージを残したという選択肢の違いには興味深いものがあります。

挙げられている数車種について、個別の言及は避けますが、私的に前期型の表現を評価している車種が含まれているのは事実でありまして、好みの異なる部分があるのだろうなと思うところです。
ことはデザインについてですから、どれが正しいかではなく、どれが好きかが主眼となるわけで、それで全然問題はないのですが。
自分が持つ意見以外に、他者の持つ意見にも耳を傾けてみる価値はあり、さらにそこから審美眼が深みを増す場合がある、それがデザイン話なのだと思っています。
2019年9月10日 21:02
こんばんは。
またも「いまさら」のコメントで申し訳ありません…

このカローラも、懐かしいくるまですね。
そういえば、本家の姉ちゃんの旦那さんがGLサルーンのディーゼルに、叔父(ぼくのお袋の弟)が5ドアの1500SX(!)に乗っていました。
GLサルーンの方は、長距離通勤のためにディーゼルにしたと聞きましたが、実際、燃費もそこそこ良く、壊れもしなかったそうです。
2年くらい乗って、海外勤務になったのを機に手放そうとしていたら、御兄弟が譲り受けて平成頭まで乗っていたと記憶しています。
叔父の5ドアも、平成元年頃まで元気に動いていました。
ぼくはこの5ドアがけっこう好きで、免許を取ったら譲ってもらおうかなと考えていたのですが、結局それは叶わずでした…
今見ても、スタイルはかっこいいですね。

免許取得当時(平成3年頃)、中古車が欲しくて、いろいろ探して、この型のカローラGT(白、MT)と、10カムリXS(白、MT)を見つけたのですが、どちらも予算オーバーで購入には至らず…
結局、学生のうちは車の購入は諦めました。

この頃の車はグレードが多かったので、要らない装備まで買わされることが少なかったのが良かったのですがね…
コメントへの返答
2019年9月11日 21:23
こんばんは
返信が遅くなり、すみません

当時のベストセラーも30年以上の時を経ると懐かしい存在となりますね。この世代に関しては、クーペモデルが別格の存在となっていたりはしますが。

セダンの方は家にあったクルマという事で色々思い出に残る存在だったりします。
ボディは錆に弱くて、メカニズムでいくつかの耐久上の弱点も見受けられましたが、基本は丈夫なクルマでしたね。
書かれているとおり、90や100への代替等で、平成の初頭に多くが消え去っていた印象があります。輸出に回ったのは、まだ少量だったような。

スタイルについては、5ドアのリヤこそ、やや奇を衒った感が強いですが、それ以外はパッケージングもよくて今でもグッドデザインの一つと思っています。拘ると前期限定と言いたくなりますけれど。
当時、FFジェミニが好評だったのに、こちらは今一つの人気というのに憤慨していました(笑)

時はまだバブル前夜で、贅沢装備は少ないですね。フリートからファミリーユースまで、需要は幅広かったものの、装備が厳選されて買われていた時代です。

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