• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2016年01月21日

1986年のソアラのパンフレット

1986年のソアラのパンフレット 今回は2代目ソアラを取り上げることにします。

お気付きの方もいるかもしれませんが、登場したのは今からちょうど30年前となる、1986年(昭和61年)1月21日です。そういえば、2代目ソアラの登場って1月だったよなと少し前に思い出して、発表日を確認したら、当時のことまでいろいろ思い出した次第です。


今回は、カタログを紹介する前に、先ずは私的思い出話にお付き合いくださいませ。


ソアラは、やっぱり初代の登場がものすごく衝撃的だったんです。
2.8LのDOHCを積んだ2ドアクーペって、長い悪夢だった排ガス規制をようやく乗り越えようかという時代にはセンセーショナルな存在でした。
私も登場直後から憧れた一人なのですが、トヨタにしては珍しく、モデルイヤー的に毎年手が入って、それが効果的な改良でありましたから、その憧れは末期まで色褪せなかった感が強かったです。

そのクルマが、初のモデルチェンジを行う。
とても期待しましたし、その一方でどうなるのだろうという不安が少しあったりもして。

当時ですから、今みたいに即日で詳細情報を知ることはもちろんできず、翌22日の新聞に発表の情報が小さく掲載されたものの、詳細は26日発売の自動車雑誌を待つしかありませんでした。

当時のカレンダーを見返して思い出したのですが、26日は日曜日ですから、土曜日となる25日に自動車雑誌(CAR and DRIVER誌)を買っています。その翌日に同級生3人で、今はアムラックスを経てヴィクトリアになった場所にかつてあった、東京トヨペットの池袋営業所にカタログを貰いに出かけています。ディーラーの選定はもちろん私。今にして思えば、まぁ生意気なんですけれど、3人寄れば勇気も出ますね(笑)

日曜日午前中の営業所内は、他にお客さんもいなくて、割と自由だったことを覚えています。展示車は最上級の3.0GTリミテッドがあったのかな。もちろん本カタログは店頭に置いていなくて、代わりに貰ったのがこのパンフレットです。当時は、ソアラのカタログは容易に入手できないと思っていたものですから、これでも十分満足していました。


思い返すたびに、いろいろ思い出すのですが、さすがに思い出話だけで引っ張るのは難しいので、いつものように月刊自家用車誌の車種別総合研究から、当時の主査である岡田稔弘氏の発言部分を引用しつつでパンフレットの紹介に入っていきます。

岡田氏は、主査としては珍しいデザイナー出身の方で、初代と2代目をまとめられた後、3代目の開発途中までその任にありました。
現在もお元気なようで、各所での講演等もされているようですね。



もう最初の見開きだけで、感動的でした。
後の雑誌での紹介等からすると、登場前後は不明ながら、欧州に持ち込んで撮影をしたようです。国内の著名なジャーナリストは、現地でソアラの高性能を満喫し、記事にしていましたね。

ここで、岡田主査が語る2代目ソアラの狙いを引用してみます。

やっぱり彼らが得意とする分野で追い越そうというのが掲げた目標ですから、得意としてないところは旧型ソアラでも凌駕していたところはあると思うんですよね。だけど得意とするところっていうのは、非常に難しいあれですけれど、足回り、直進性、ハンドリング、操縦性、それからもう一つ大事なのは車両全体が持っているリジリティっていうかソリッド感ですね。ガチッとした感じ。こういうやつがやっぱり離されていたわけですね。そういう点を凌駕しようというのが目標だった(後略)

日本ですと100キロでは走れるわけですけど、100キロで走ってもストレスがあるクルマ、ないクルマ。ないにしても、程度、具合っていろいろありますけれど、そういう点の、まっすぐ走る上の安心感ですね。障害物が出たらブレーキを踏めばいい、レーンチェンジするときはハンドルを切ればいいという、そういう感じが欧州の高性能車は非常に優れているわけですね。そういうところをやはり追いつかないかんなあと。

初代ソアラは、それまでの国産車からすれば高性能車だったのですが、それでも欧州の高性能車には追いついていないという認識があったようです。今度は、それに追いつき・追い越すという目標が掲げられています。

初代・2代目のソアラは輸出されませんでしたから、国内の道路環境からすれば、それはオーバークオリティと言えないこともないのです。それでもその領域に挑むというのは、トヨタの技術的シンボルであったということも意味しています。





最上級の3.0GTリミテッドが見開きで掲載されています。
初見では、あまり変わっていない印象だったのです。その要因は、キャビン部がフラッシュサーフェス化こそされたものの、デザインを変えることをしなかったからですね。実際は、先代比で全体的に低くなっていますし、ウエストラインから下の部分は面構成を大幅に変えてもいます。

先代と並べてみると、違いはより明確になる構図です。

ユーザー調査では「変えてくれるな」という意見だけが集まってしまい、その一方でキープコンセプトでは必ず失敗するというジンクスに挟まれて、デザイナーは相当悩んだようです。

詳細は後述するとして、その答えがこのスタイリングだったのですが、結果は大成功となりました。このことから、130クラウン・81マークIIを代表とするこの時期のモデルチェンジでは、同様の変え方が度々踏襲されることとなります。

一点、気になったのは些細なことですが、GTリミテッド専用色の「クリスタルホワイトトーニング」の名称。お分かりのとおり、日産がトヨタのスーパーホワイトに対抗して作ったのが、クリスタルホワイトでしたね。





3.0GTリミテッドのインテリアです。
スタイリング以上に大きく変わったなと思ったのが、インテリアでした。

軽く取り上げるだけでも、虚像表示のスペースビジョンメーター、センターコンソールに移されたマルチビジョン、エアコン&ステレオ兼用のマルチコントロールパネル、グランベールインテリアetcと実に盛り沢山でした。

それらを包むインパネもデザインが洗練された感が強いですね。
インテリアカラーもマルーンからベージュとなって、先述のクラウン・マークIIで見られたインテリアカラーの変更を、一足先に行っています。





スタイリングやボディの解説です。

私見は先に書いたので、ここでは岡田主査の話を引用してみます。
デザイナー出身の方らしく、スタイリングの話は力が入っていますね。

(みんなが気になるのはスタイリングだと思うと問われて)そうですね。あれは初代よりもやはり難しかったですよ(笑)

イメージを意図的に残そうなんていうふうには思ってなかったんですよ。エンジンも足回りも全部違っちゃってまるっきり新しいクルマなんだから、無理してイメージを残す必要もない。初代は評判がいいからそれを残さないかんと思っていなかったんですけれど、ただ、ソアラのスタイルの中で大事なことは、走りのほうも同じですけれど、丸いとか四角い、好き嫌い以前に、質の高いデザインと質の悪いデザインがあるわけです。そういう観点でいくと、一番質感の高いデザインにしようということがあって、それで新しさがあるという、この二つが一番重要なポイントで、あとは丸くても四角てもいい。イメージが似てるとか似てないかというのも、第二義的に考えてました。

特にフロントビューなんか見ますと、絞りや何かがものすごく違うんですよね。旧ソアラもあの時代ではフロントの絞りは随分やったつもりなんですけれど、セダンみたいなピン角に見えるんですよね。

そういうあれでいきますと、ナウい感じは相当出ているから、何とかそういう点、新しいソアラを買っていただくお客さんには説得力ある形になっているんじゃないかなと思うと同時に、12万人強、13万人ぐらい旧型のソアラユーザーがいるわけです。そういう人たちにしたって、何か裏切ったようなことにならないんじゃないかなと思います。

もう一つは、例えば旧型のリヤクォーターだとかバンパー下の処理が、やっぱりやり残してるところがあるんですよね。サイドビューで決めた線とリヤビューで決めた線が、何となくつじつまを合わせるためにやったような処理がリヤクォーターやバンパーの下に残っていますけど、今度はそういう割り切れないというか、正数でスパッと割り切れないようなスタイルはもうやめようということを話していて、かなり末端に至るまで、そういう点では全体のフォルムの割り切りのよさというのを突っ込んだんです。



2代目ソアラのスタイリングを作りこむにあたっては、主査がエースだと思うデザイナーに任されたようです。この手のクルマは、経験を重ねて美的感覚が磨かれた手練れが手掛けてこそ、という思いがあったようですね。そのデザイナーと岡田主査がディスカッションを行う際は、デザイナーの共通言語が理解されやすかったなんてエピソードもあるようです。

製品化されたデザインは、年月を経た今でも、時代を超えて美しいと思います。十分なサイズの2ドアクーペですから、元からプロポーションは恵まれているのですが、そこにディテール部の磨き込みが加わることで、更なる美しさを作り上げていますね。
これは個人的主観に過ぎませんが、岡田主査が言われている「質の高い・質の悪い」の差は、年月の風化に耐えられるかで現れるのではないでしょうか。ソアラ的手法の多いこの年代は、長いトヨタ車の歴史の中でも、好きなスタイルの多い年代でもあります。

ちなみに、この見開きでは”ソリッド・パフォーマー”という言葉が何度か使われています。この言葉、岡田主査自らのお言葉だったりするのですが、その話は後ろに送ります。





ここでは、エンジンやシャーシ等メカニズムの紹介がされています。

パンフレットということもあって、ここでは新開発の7M-GTEUが主に紹介されています。7M-GTEUは、先代の6M-GEUをベースに4バルブ化してターボを装着したエンジンでした。

ここではトヨタ2000GTから連なる、M型の系譜が強調されていますが、実は岡田主査は違う構想をお持ちだったようです。以下、引用してみます。

M型というエンジン型式をやめようと本気に思ったんですよ。同じもの、もうないんですものね。ヘッドはもちろん違うし、ブロックだって、いろいろなところを補給をしたりやるにしても、ほとんどみんな手を入れて変わっておりますから、7Mじゃなくて違う何かがないかというのをほんとに探しました。あんまりないんですよ。うちの手持ちの、今まで付けてきたA型から始まりましてR型まであって、今はOとかIとかっていうのはゼロに見えちゃうから使えないんですけれども、あと残っているのがほんとに少なかったんです。Pも使っておりましてね、昔のP型ってありますね。
Q・・・・。Qだったらイメージがよくないでしょう? まあ7Mという名前にしましたけれど、新エンジンですね。


7MはターボとNAの2本立てで、80年代後半のトヨタ3000を支えますが、結局90年代初頭には、新開発2JZに道を譲ることとなります。


2代目ソアラの目玉の一つに、足回りの一新にありました。
この辺りも、主査のお話を引用してしまうことにします。

4輪のウィッシュボーンにしようというのは、まずは4駆じゃなくて後2輪駆動だというのを最初に決めたんです。その次に、今までストラット、セミトレというクルマでずーっとやってきまして、先行開発でも、いろいろな違うサスペンションの中でウィッシュボーンにしようというのはかなり早く決めました。決めてからいろいろなことをやりました。

ねらいのようなもの、例えば、今はやりのトーコントロールにしましても、キャンバー変化にしましても、付加的なものを付けないで全部やれるのは今のところダブルウィッシュボーンしかありませんからね。これは搭載上のスペースの問題だとか、現実にジオトメリーの設計みたいなものは、今、シャーシ設計のCADってものすごく持っておりまして、こういうねらい目なら理想的なジオトメリーはこうだっていうのが簡単に出てくるんですよ。(中略)ところが、それでつくって本当にねらい通りのクルマになるかっていうと、やっぱりならないんですね(笑)。そこがいいとこでしてね。

やっぱりウィッシュボーンで長所はいろいろありまして、ねらい目のアライメント変化が取れるというのがあるんですが、欠点は、要するに回転、摺動する部位がいっぱい増えるわけですよ。だから摩擦があるんですね。摩擦が強いと、せっかくの乗り心地や何かがかえって阻害されちゃう。それがボールなもんですから、そこらへんの動きを非常にスムーズにする。ですから、これ、目に見えないところにものすごくカネかかっているんです(笑)

この時代に導入されたCAD等が、設計において大きな貢献を果たしていたことは、同時期の他車でも語られている話です。CADの算出結果が、必ずしもねらい通りにならないというのは、興味深いですね。
さすがに解析技術の進化した現代では、当時とは様相が異なるのでしょうが。

4輪ダブルウィッシュボーンは、この後90年代のトヨタFR車の主流となります。





デジタルメーターの特性を生かした虚像表示は、今でも存在する技術ですが、当時はソアラが世界初で採用した装備でした。

初物だけにインタビューも興味深いやり取りとなっていますので、同じく引用します。

(メーターを見てて、ウィンカーをつけた瞬間見落としてしまうと言われて)ウィンカーは虚像じゃないんですよ。あれは実像を見ておりまして、あれは透過照明なんですね。タコメーターとスピードメーターが虚像を見てるんです。鏡に映っている像を見ているんですから。だからああいう、ちょっと奥行きの差があるんです。これを採用するときに、実際、いろいろなパネルを使いまして、見やすさの評価をいろいろな角度からやりましたけれど、表面に付けた旧型ソアラとの比較で、データはこちらのほうが必ず有利に出ました。いろいろな女性、それから中高年とやりましてね。

この後、デュアルビジョン等の技術の展開もありましたが、源流はこことなります。慣れてしまえば、視点移動が少なくて済む、有益な装備でした。


マルチビジョンは、データ読込ができるようになりましたが、その方式はカセットが採用されています。既にフロッピーやCDが登場していましたので、カセットの採用はデータ量や読込時間の観点から各誌の指摘がありました。主査的にも、問題は認識していて、精一杯速くした、実用上はこれで十分と回答されています。おそらくコストと信頼性を取ったというのが推測です。翌年の130クラウンでは、CD-ROMに進化することとなります。





左頁では、各グレードが紹介されています。

ここでは個別紹介はせずに、当時の東京地区の車両本体価格を掲載します。
 ・3.0GTリミテッド (エアサス仕様): 4,835千円(ATのみ)
 ・3.0GTリミテッド : 4,479千円(ATのみ)
 ・3.0GT : 3,711千円(ATのみ)
 ・2.0GTツインターボ : 3,206千円 / 3,320千円
 ・2.0GT : 2,922千円 / 3,036千円
 ・2.0VX : 2,611千円 / 2,705千円
 ・2.0VZ : 2,325千円 / 2,419千円

ちなみに先代の価格は、
 ・3.0GTリミテッド (EMV装着車): 3,984千円(ATのみ)
 ・3.0GTリミテッド : 3,669千円 / 3,784千円
 ・3.0GT : 2,967千円 / 3,082千円
 ・2.0GT : 2,735千円 / 2,849千円
 ・2.0ターボ : 2,508千円(ATのみ)
 ・2.0VX : 2,403千円 / 2,497千円
 ・2.0VR : 2,094千円 / 2,188千円
 ・2.0VII : 1,960千円 / 2,009千円

以上、月刊自家用車誌より引用

最上級のGTリミテッドは仕様の大幅充実もあって800千円強の値上げ、中間の2.0GTでも200千円近い値上げでした。明確に一クラス上がった価格でしたね。

でも、それは、いいクルマを作ろうという意気込みがあったからこそと言えます。

岡田主査の締めのお言葉は、以下の通りです。

全体のクルマの質感みたいなのは、いろいろな宣伝をするときにカタログをつくったり何とかあれするんですけど、私はソリッド・パフォーマーだよというのを言ったんですけど、なかなか使ってもらえなかったんです。こんなところまで、これまでやったかという、他社さんが付き合いきれないクルマにしたいという。

(中略)そういうクルマが欧州車や何かにいろいろあるんですね。もう付き合いきれんなというところが現実にいろいろな面であって、その付き合いきれないというのはどういう部分かというと、やはり販価に転嫁できないような、もしくは地味で目立たないような、そういうところに凝ったりおカネを投資をするというところですね。ものがガシャガシャいっぱい付いてっていうようなことじゃなくて。

普通は開発コストもかけられないようなところにおカネをかけることが付き合いきれないという、そういうクルマにしたいと思っていましてね。


ソアラは登場時点から、従来のクラスをちょっと超えたところにありました。そのクルマが成功したことで、いいクルマなら少々高くても買ってもらえる自信がついたのでしょうね。
このクルマは高級車ですから、価格を裏付けるものがあるのであれば、こうした戦略も大いにアリだと思います。それがまた、憧れの源でもありましたし。





最後は頁を入れ替えて、主要装備一覧と諸元表を少し大きめで掲載します。

おまけ話的に、主査が語る面白いエピソードを引用してみます。

ぼくは9年間、ソアラのことばっかり考えていて、ソアラのことは日本で一番・・・。そら、考えてはいますけれど、じゃ、一番知っているかというと、必ずしもそうじゃないんですね。

3年ぐらい前に埼玉トヨタに行ったときに聞いた話なんですけれど、そこの車両部長の人が、「この間、ソアラを1台売ったんだけれど、なぜソアラを買ったのかと聞いたら、こんなことを言ってましたよ」ということで話してもらったんです。そのお客さんは、国産車の中でソアラのドアの膨らみが一番ぜいたくにふくらんでいて、たたいても底突きしない、それが気に入ったから買ったと。ソアラの購買動機なんです。

この話、実際に主査が通勤の時にリズムを取りながら叩いてみたら、ソアラが一番いい音がした。そこで、内装の設計屋さんに、断面の膨らみを旧型より落としちゃいかん、底突きするようなパッドの入れ方はいかん、という指定をしたという締めとなります。
狙った結果ではないのですが、理解あるユーザーさんが育てていたというエピソードですね。


ということで、最後にまとめです。
2代目ソアラが出た時、先述の通り、まだ免許も持たない子供ながらもディーラーさんを訪ねてしまうぐらい憧れはしたものの、現実感は全くありませんでした。自分が免許を取れる年齢になったころには、4ドアに目移りしていたこともあって、結局憧れのまま、縁がつながらずで終わっています。

もう一つ、これだけ進化したソアラも、初代セルシオ等、末期にはプレステージの面で凌駕する存在が現れるようになったのは、時代の進化が速かったことを意味していると理解しています。初代・2代目共に約5年のモデルライフでしたが、周辺車種の進化は明らかに後者の5年間の方が大きかったですね。

もっとも、だからこそ、今振り返ると、国内専売の5ナンバーサイズで最高級パーソナルクーペを目指した2代目までのソアラがとても貴重な存在に思えます。新時代のパーソナルクーペとして輸出との両立を目指した3代目や4代目の存在も尊重しているのですが、やはりソアラは初代と2代目に票を投じたくなるのです。

そこには、理知的な主査の多いトヨタには珍しい、どちらかというと情熱型の岡田主査の存在があって、それを支える老若男女のユーザーがあって、国内専売で採算が成立した時代があってという、ある種とても幸運な巡りあわせがあったからこそ独自の輝きを放っていたという更なる思いがあります。
そして、個人的にはその輝きを一番多感的な年代で受け取ってもいます。私のクルマ好きの構成要素の一部にソアラは間違いなく存在しているのです。


いつものようにダラダラと取り留めもなく書いてみましたが、珍しく登場日に合わせた思いを汲んでいただけると、幸甚に存じます。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2016/01/21 05:22:15

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

高橋真梨子さんのDVD いいですね ...
kuta55さん

パワースポット巡り
コンセプトさん

【モクゲキ!】酷い!マークXからボ ...
narukipapaさん

曇 雨 晴
ふじっこパパさん

注意喚起として
コーコダディさん

楽しく藁人形^_^
b_bshuichiさん

この記事へのコメント

2016年1月21日 5:58
自分がクルマ好きになった原点がソアラにあります。

他のクルマよりも進んでいて華があって高額で、そしてスタイリングに魅力されたのでした。
ソアラは、岡田氏の意見が比較的通ってカタチになったと言っても過言ではないクルマなんでしょうね。個人的には、スカイラインの桜井さんと比較するわけにはいきませんが、同じくらいクルマを通じて開発責任者の顔が見えるクルマだと思います。

父親がツテで上得意様向け専用カタログを入手し、それを今でも大切に保管しています。

しかし、免許取得後に中古で購入出来るってチャンスはいくらでもあったのに、何故かご縁がなく購入には至らなかったのが不思議です(笑)

追伸
以前にも書いたかも知れませんが、初期の広報車(品川33ひ38-85)はつい数年前まで横浜市内にナンバーそのままで実在していました。
コメントへの返答
2016年1月21日 6:21
おはようございます
同年代だと、tteeさん同様にソアラが原点という方が多いんじゃないかなと思います。80年代を語る上で欠かすことのできない一台ですね。

魅力の点は本当に同感です。従来の日本車とは離れたところにありました。各種文献を見ると、岡田氏は構想段階から携わっていたようで、思い入れも一際だったようですね。そして、トヨタの主査にしては珍しく表に出られる方でもありました。ソアラというクルマの成り立ちは、岡田氏の考える高級クーペ像の具現化と言っていいのかもしれません。

専用カタログを保管されているとのこと、羨ましく思います。本当に憧れましたから、年改含めて本カタログを集めた数少ないクルマでした。
そして、同じように憧れのままとなってしまうと(笑)

初期広報車の実在はとても希少ですね。参考までに、月刊自家用車誌は38-83と65-62、CD誌は38-84の広報車が掲載されています。3.0は、共にクリスタルホワイトトーニングのリミテッドとなります。
2016年1月21日 8:56
 もう30年なのかと考えると感慨深いですね。

 この当時のクルマを今の視点で見れば、5ナンバー枠がある故に仕方ないのですが細長いプロポーションになっています。ソアラも5ナンバーがある故仕方ないのですが、縦横に関しては巧みにバランスさせていると感じます。他方、インテリアは一部のレイアウトを除いてさほど古さを感じさせません。現代に通じる装備がほとんど網羅されている故でしょうか。

 輸出こそされませんでしたが、当時の国際水準以上のクルマだったと思います。その点を徳大寺氏はF31レパーを「レパードの敗因は、ソアラは国際水準を狙ったが、レパードは初代ソアラの後追いをしたことだ」と評していました。穿った見方かもしれませんが、このソアラの成功がのちの国際マーケットを狙った30ソアラに繋がったのかもしれません。
コメントへの返答
2016年1月21日 19:32
こんばんは

ブログに記したとおり、登場時の記憶は今でも鮮明なのですが、30年もの時間が経過してしまいました。

ソアラの直前に登場したカリーナEDやセリカと比べると、横方向の制約は明らかですね。もう後50mm程あるのがスタイル上の理想なのでしょうが、デザインの妙でだいぶ補正している感はあります。
インテリアは、初代がこなれていない印象ということもあって、一気にモダンになったように思いました。確かにパーソナルクーペとして、今でも通用するデザインですよね。

ソアラは、ここまで作ったのだから輸出で問うてみてはという声もありましたね。結局2代目までは、輸出されることはありませんでしたが。
徳大寺氏は、レパードをコメントされている通りに評した一方で、ツートンカラーを大人のカラーと褒め、ソアラの多さを敬遠するならレパードと記していたと補足することにします(笑)
2016年1月21日 9:54
1980年生まれの自分は幼少期から車好きでこの20ソアラと61クレスタで育ちました。もちろん当時は7Mやウィッシュボーンだとかマルチとかわかりませんでしたが、今思えばスゴい技術だったんだと大人になってますます惚れ込んでしまいますね。
自分の中ではこんな素晴らしい車、もうでてこないだろうと言うくらい名車でワクワクして投稿を読みました!また楽しみにしています。
コメントへの返答
2016年1月21日 19:40
こんばんは

ソアラとクレスタが一世を風靡したハイソカーの定義付となったと思っています。当時を語る上で、欠かせない2台ですね。
お金をかけてスゴい技術をやっているのですが、それを前面に出さず、手を伸ばせば何とか届く憧れを売っていたのが、特徴と言えるかもしれませんね。

私も当時を懐かしみつつ、楽しく書けましたので、ワクワクしたというお言葉をとても嬉しく思います。
2016年1月21日 10:20
81マークⅡを購入する90年、20系ソアラも検討しましたが、あまりにも高くて断念しました。
当時20ソアラは後期型になっていましたね。

ダンディーブラックトーニングの色名称は今でも記憶に残っています。

当時の価格表示は車体価格のみで、購入時には消費税が6%課税されていたはずです。
コメントへの返答
2016年1月21日 19:49
こんばんは

私の知り合いも、20ソアラと比較の上で81マークIIを購入しています。同じトヨペット店扱いですから、比較対象となる2台ですよね。

ダンディブラックは、ホワイト最盛期の時代もあって設定を不思議に思ったのですが、後年は人気色になりましたね。

89年の消費税導入では、クルマのみ6%の暫定税率が適用されたものの、物品税の廃止により車両本体価格は大幅に下がりました。ちょうどクルマを購入した時期で、この制度改正により販売の最前線が混乱していたのを懐かしく思い出しました。
2016年1月21日 10:55
おはようございます。

ソアラ、初代から割とご縁のあるクルマで、初代は、小学校の同級生のお父さんが、デビューしてすぐ購入してましたね。その家、その前は安全コロナの1600GLのシルバーって、ごくごく普通のセダンに乗っていたのですが、このクルマ、割と遅くに免許取られたお父さんの練習用で買われたクルマで、
そんなころから、クルマ好きで有名だった私に、「慣れてきたから、次はどんなクルマにしようかな」と、遊びに行ってた時に尋ねられて、当時の雑誌に出ていたEX-8、そう、初代ソアラのショーモデルの写真を見せて、「おじさんカッコイイから、こんなクルマどう?」って。お父さん、いや、その家庭、子どもの私から見てもオシャレな家庭で、お父さんのご職業は売れっ子のイラストレーター。そりゃいつまでも地味なセダンってのは納得いかなかったのでしょう。
その後正式発表され、ソアラの名前が付き、「スゴイクルマが出た!!」と大騒ぎしてたら、その子から、「うち、ソアラ買ったよ」と、渡されたのが本カタログと予約者向けに配布された写真集。「前に家遊びに来た時、このクルマの話してたじゃん、すごく気に入って、あの後すぐ予約に行って、これもらったから、あげなさいって」いまでも書棚に鎮座しています。
二代目もそんないきさつから、「こんな写真集又出ないかな」と、ちょろちょろディーラー回りしていたのですが、意外にも近所の東京トヨタで、何事もなく入手。それも書棚に入っています。
三代目から、こんな豪勢な販促グッズなくなったわけですが、こんなところも、初代~二代目と続いたプレミアム感が薄まった一つの要因じゃないかと、勝手に思っています。
と、ガキの頃から何とかなりそうな憧れだったソアラ、国内でその系譜が途絶えて久しいですが、先日、LC500登場しました。その登場は素直に喜びたいですが、なんとなく、う~ん…エロさが足りないと思うのはわたしだけ?!いいクルマなんだろうけど、なんか華が無いっていうか、オーナーともかく、横に乗せたおネ~ちゃんがすごくいいオンナに見えるのがこの手のクルマのキモなのに、なんかそれを感じないんですよね・・・
このクルマ見て、白洲次郎さん生きてたら、なんて言いますかね?
コメントへの返答
2016年1月21日 20:24
こんばんは

ソアラが登場した時は、あまりに高嶺の花過ぎて縁がない、と思っていたものですから、素敵な思い出をお持ちの営業部長さんをとても羨ましく思います。

一般に出回らない写真集が存在していたということ自体が初耳です。上のtteeさんも専用カタログがあったと書かれてもいますから、なるほど高級車らしいプレミアムな販促品だなぁと納得したりです。それが3代目ではなくなったというのが、トヨタ内の扱いの変遷を表しているようでもありますね。
それにしても、その手の希少品を入手されているのが、さすがであります。

LC500は、コメントをいただいて、慌てて検索してしまいました(笑)
自分的には、ソアラの子孫というよりスープラの子孫の方が近い印象でしょうか。プレミアム級のクーペはもう少しラグジュアリー寄りが相応と思うのですが、今の主流はこの辺りということなのかもしれませんね。これ、オープンも手掛けたら、もう少し印象が変わるかも、などと。
ソアラと白洲次郎さんの関係は、後年有名になりましたね。白洲さんは、スポーツタイプを好まれていたようですから、意外と喜んでいた・・・のかな?

おネ~ちゃん云々は、ソアラ登場時のCM「ソアリング感覚」が一番分かり易いですよね。あのCM、おネ~ちゃんを横に乗っけてテストコースのバンクを目指した、おニ~ちゃんの心境だけは、私の理解を超えたところにありますが(笑)
2016年1月21日 14:49
こんにちは

2代目懐かしいですね。
早速、倉庫から後期カタログを出し眺めてます。
私の時代(平成元年)はソアラといえば断然2代目でした。
お金持ちの同級生も買って貰ってましたし・・・
よく車校の駐車場で見せびらかしてましたよ。(笑)
あの一新されたデジパネ。マルチビジョンが最先端だなって当時思いました。
反対に初代モデルは430同様に、もう「族仕様」にされてイメージも悪くなってました。
確か最後に280馬力の2.5ツインターボが出た思い出が・・・・スープラだったかな?


コメントへの返答
2016年1月21日 20:37
こんばんは

2代目は結構残存率が高いものの、やはり懐かしいの類ですよね。あの時代、クルマはステイタスでしたから、お金持ちは学生にも関わらず、イイクルマに乗っていましたね(笑)。
デジパネは、スケール部分も表示されるようになっただけで、随分高級に感じたものです。マルチは、おもちゃと感じつつも、羨ましい装備でした(笑)

初代ソアラは、異例に長く再販されたものの、平成に変わったあたりから、ポツポツと解体で見かけるようになった気がします。安くなると、どうしてもそちらの世界に寄っていってしまいますね。

ソアラは末期だったこともあって、2.5は3代目まで待ちとなりました。需要はあったはずですし、延命できたのではと思うと惜しい感もありますね。
2016年1月21日 19:52
こんばんは。初代・2代目のソアラはとても思い入れのある車です。
買うなら2代目後期のGTツインターボL、白・ベージュ系のツートーン、エアロパーツなし、ラグジュアリーシートと決めていましたが結局ご縁がありませんでした。
国内専用のラグジュアリークーペが成立していた時代をまぶしく感じます。
白洲次郎さんも没後30年になるのですね。
コメントへの返答
2016年1月21日 20:43
こんばんは

こうしてコメントが集まりますと、人気車だったことを改めて実感します(笑)
書かれているGTツインターボLの仕様、私もとても共感します。ソアラの中では、大人向けの仕様ですよね。

国内専用のラグジュアリークーペは、今は根絶やしとなったことが残念ですし、だからこそ当時を振り返りたくなります。あまり遠くに感じないながらも、気が付けば30年です。いいクルマを楽しめた時代ですね。
2016年1月21日 20:41
こんばんは。
ホントに時の過ぎるのは早いものですね~
でも、この2代目ソアラは今でも色褪せていないですよね。それは、当時の岡田さんをはじめとした開発に携わった方々の情熱が本物だったからなのでしょうか。
(主に)デザインのキープコンセプトは上手くいかない、という我が国のジンクスを破ったという点を見てもそれが感じられます。

30年前の今頃、自分の母が入院して見舞いに行く際にCAR&DRIVER誌、買いました(笑)
幸い重病ではなかったので、ベッドの脇で呑気にソアラの解説記事を読みふけったことを思い出します・・・
当時は自分も、免許はありませんでしたので、実質的な良さは知る由もありませんでしたが、旧型モデルも国産車としてはかなり、先進的なイメージがありましたがその数倍は進歩したような感じを受けたものです。
外装は、テールレンズのデザインこそ「イマイチ」と思いましたが、それ以外は旧型のイメージを上手く留めたうえで細部がかなり進化しましたよね。
あのウインドゥの処理は当時、空力スタイルで人気を博していたアウディ100のアイディアだったのでしょうが、それでも窓枠の処理の繊細さなどで日本車らしさを出していたと思います。

内装はある意味外装以上にインパクトありましたよね。
マルチビジョンを組み込まれることを前提としたデザイン、グランベールのインパネ、実際にはそれほどではないものの、低く座っているように感じさせる細部から大物までのトータルなデザイン、どれも新鮮でした。
またミラーに反射した虚像を視るという凝ったデジタルメーターも感動モノで・・・

残念ながら免許を取得した時点では、自分の好みが変わってしまったので愛車や、検討をするという候補にはなりませんでしたが、今新車で売られていて、尚且つ高収入であったらw
検討に値するクルマであることは間違いないと言えます!
コメントへの返答
2016年1月21日 21:11
こんばんは

思い返すとだいぶ違う時代ですが、30年という時の経過の実感はあまりなかったりします(笑)

私も2代目ソアラが色褪せたとは思えない一人です。年齢問わずで乗れる5ナンバーサイズのラグジュアリークーペは、今では存在せず、先々の再現も怪しいことからすると、むしろ価値が上がったんじゃないかとも。
今回のブログを書くにあたり、手元の文献を読み返したのですが、人気車の2代目を開発するに際して注ぎ込んだ情熱は、やはりすごいものがあると改めて実感しました。本文でも触れたとおり、80年代後半のトヨタ車の方向性を決定付けたクルマだと思います。

slcinquecentoさんも、同じCAR&DRIVER誌を購入されたのですね。あの頃のCD誌は、執筆陣含めて好きで、毎号買っていましたから、発売日を待ちわびたものです(笑)

ソアラのスタイルで一番馴染めなかったのが、ちょっと凝り過ぎた感のあったテールレンズかもしれません。あれ、同意見が多かったのか、マイナーチェンジで修正されましたね。で、他は書かれている通り、イメージを伝承しつつで、作り込んだ細部の造詣が圧巻でした。随所に繊細さを感じるデザインは、国内専売だからこそかもしれませんね。

そう、内装の作り込みは外観以上だと思いました。初代ではこなれていない感がありましたが、2代目はスイッチ類を一新しつつでデザインが一気に洗練されましたね。グランベールは、展示車を触った時に、電車のシートみたいと思ったものです(笑)
スペースビジョンやマルチビジョンに至っては、ショーのコンセプトカー的に、もはや理解を超えた領域にありました。

コメントを下さった皆さん、憧れはしたものの、私含めて購入された方がいないというのは、時代が大きく動いたことが大きいかもしれませんね。
それでも、当時という時代を絡めつつで語った時、一段と輝きを増すのが当時のソアラという名の稀代の名車ですね。
2016年1月21日 22:07
こんばんは。
今見ても、初代・2代目は格好良いですよね。それに比べると3代目はあまり…、と思うのはデザインのテイストががらりと変わったからでしょうか。アメリカでは評判悪くなかったと聞いたことあります。

今、スカパーで太陽にほえろ!を見てますが、初代の初期型ツートーンの覆面車出てて、画面に登場するたびにしっかりと見ちゃいます。話が脱線しますが、2代目セリカXXも出ていて、若い神田正輝さんが見事なスピンターンきめていたりします。神田さんかなり運転上手いですね。
コメントへの返答
2016年1月21日 22:30
こんばんは
書かれている通り、初代と2代目のデザインは、今でもラグジュアリークーペのお手本的デザインだと思っています。サイズの制約はありながらも、プロポーションが整っていますよね。
2代目までは国内専売らしい繊細さを感じていましたが、3代目でその感が薄れたあたりが、輸出も考慮ということなのかなと思ったりします。

ソアラは他の覆面車と並べると、4肢がしっかりしていて、見栄えがするように思います。この後も、仕様を変えながらソアラの出演は続きますね。
神田さんは、何ならスタントもこなしちゃうんじゃないかと思うくらい、お上手ですよね。この先「マグナム44」の回では、140コロナを使って吹替えなしでドリフトされていたりします。
2016年1月21日 22:35
こんばんは。
お邪魔 致します。

ソアラは前の職場に初代2.0GTツインカム24、二代目2.0GT ツインターボL、そして当時 出たばっかりの三代目2.5GT ツインターボと居ました(かなり以前の話です)が、私は断然二代目が好きでした。

デビュー時が自動車雑誌を買い始めた時期と重なるので印象深い1台です。
7M-GTEの当時最強230馬力にも興奮した覚えがあります。

今でもたまに好きな方が乗っておられるのを見かけますが、洗練されたデザインのおかげで全く旧い感じはしないですね。

なんと言うか 緻密な高級感がこの車にはあると思います。

コメントへの返答
2016年1月21日 23:59
こんばんは
コメントをありがとうございます

3世代の歴代が揃うというのも珍しいですが、並べてみるとテイストの違いが明らかになりますよね。

私もCD誌を購入し始めたのは、71マークII3兄弟のデビューがきっかけでしたから、買い始めた時期と重なるというのは分かる気がします。特に買い始めた時期というのは、印象も深くなりますね。

7M-GTEは、ネットで230馬力というのが当時図抜けて映りました。各誌のテストでは0→400mをATでも15秒台前半で駆け抜けている俊足でしたね。

書かれている、緻密な高級感というのが、この2代目ソアラを解りやすく表していますね。もしかすると欧米から見た時には、理解しにくい領域なのかもしれませんが、どことなく日本的というか和的な高級感のテイストで表現されているように思います。

本文で記したとおり、質感に高さに苦心したデザインであるが故に、時代の波にも風化しないということなのかもしれませんね。
2016年1月22日 5:41
おはようございます。
お邪魔します。

二代目ソアラ、乗っていました。
斬新なデザインと機能性に惹かれ、二十代前半で購入しました。
購入して3か月後に駐車中に大規模な損傷を受けましたが、また同じ車種を購入しました。(笑) 懐かしいです・・・・・。
コメントへの返答
2016年1月22日 6:38
おはようございます
コメントをありがとうございます

憧れはしたものの・・・という方が多いようでしたので、実際に乗られていた方のデザインに惹かれてという購入動機になるほどと思いました。
本当に気に入ったクルマは大事に乗りたいですから、同じ車種への代替は大いにアリですよね。

いつも書いているのですが、「懐かしい」が最大の褒め言葉のブログとなっています(笑)
2016年1月22日 11:42
こんにちは。



先日、丁度地元の方々と話題になったのですが、2代目ソアラはデビューしてから30年経つんですよね。 長い年月が経過したのに、70スープラ同様デザインは全く色褪せない感じがしますね。


当時私は小学生で、実車の登場は新聞の広告で知りましたが、この頃の情報源は広告やCM、その後雑誌等で知る事になりましたから、今の様にネットで直ぐにとは行かず、新型車の全貌は雑誌を見るまで期待と不安が半分だったのをちょっと思い出してしまいました(笑)


今から20年程前になりますが、私が免許を取った頃、周りで2代目ソアラに乗っている知人が多く居ました。 当時は10年落ちで学生のバイト代で購入出来る位の価格帯にまでなっていましたので、さすがに「VX」は居ませんでしたが、前期スーパーホワイトの「ツインターボ」は良く見掛ける存在でした。 確か今まで不人気だったMT車が逆転現象を迎えた頃で、「パールⅡの後期ツインターボ、純正5速、フルエアロ」の仕様を、相場よりかなりの金額で購入した同級生が居ました(笑)



私自身、初代2代目と魅力を感じていたものの、元々4ドアの車が好みだった事もあり、結局この歳まで縁はありませんでしたが、今でもソアラの様な「憧れ」の車をまた望んでいる一人でもあります。


コメントへの返答
2016年1月22日 20:12
こんばんは

1986年当時の30年前だと1956年となって、初代クラウン等それこそ大昔の感があったんです。そこからすると、2016年から思い返す1986年は大した昔じゃない気がします(笑)

位置付けが上級ラグジュアリークーペですから、スープラ共々細部までの作り込みがスゴイですよね。その後は、このサイズでここまでの磨き込みはしないし、できないしということで、比較対象となるクルマが存在しないことも大きいかなと思ったりします。

そう、当時は外観こそ新聞等で知ることが出来ましたが、内装やメカニズムは雑誌の発売を待つか、カタログを貰うしか知る術がありませんでした。そう考えると、今よりもはるかに出版界が活気づいていたのも分かる気がします。カタログを入手して見開くまでのドキドキ感も今とはまるで違っていましたね(笑)

中古車市場におけるATとMTの逆転は、90年代半ばぐらいでしょうか。自分で81を買った時(92年)だと、MTはマイナス査定でしたし、大抵、業販経由で地方に送られてしまう扱いでしたから、不思議な現象だと思ったものです(笑)。90年代半ばは、解体に足しげく通った頃ですが、2代目ソアラは同年代のクルマの中でも見かける頻度は少なかったように記憶しています。

私もかろっとさんと同じで、自分で乗るようになると、なかなか2ドアには踏み切れませんでした。それでも、時代の申し子であり、手を伸ばせば何とか手に届く憧れだった2代目ソアラ的な存在の再現を待ち望んでしまいますね。
2016年1月22日 23:55
こんばんは

あらゆる意味で時代を象徴する車の1つでしたね。
今では4ドア好きですが、ソアラが出た時は2ドアの良さを再認識しました。
幼い頃に観た、無駄の塊の様な2ドアのアメ車を彷彿とさせて・・・・
国産車でもこれほど流麗なクルマが実現可能なんだと!

バリバリスポーツよりも、スペシャリティクーペの方が好きなもので♫
コメントへの返答
2016年1月23日 9:05
おはようございます

80年代を代表する一台と言われたら、迷わずソアラをあげます。当時の世相と絡めつつで語れるクルマでもありますね。

2ドアは若者が乗るクルマであって、大人は4ドアという認識を変えてくれましたね。若者が憧れる大人の世界的な感じがありました。それまで売れていたハッチバックではなく、あえてノッチバックでやったのが効いていますね。

ソアラには輸入車の2ドアを買っていた層も一定数移行したみたいですね。日本車でもここまでやれるんだと認識させたのも功績の一つだと思っています。
2016年1月23日 16:10
こんにちは。
いつも興味深く読ませてもらっています。

この2代目ソアラ、もちろんカッコいいのですが、私も?2ドアよりも4ドアが好きでして、見てるだけで十分でした(^-^) 当時、免許もてる年齢でもなかったですし…(^_^;)
ただ、何となくおんなじようなメッシュのホイールを履いていたV20系のビスタのハードトップに心を奪われてしまったんです(笑) 贔屓目で見ると、スタイルもどことなく、似てなくもないような…(~。~;)? VXという共通グレードも。ただ、VXはソアラでは廉価グレードですが、ビスタだとGTを除けば最上位グレードでしたけど(^_^;)
80系のマーク2とかにも3リッターか特別仕様車かにもメッシュホイールを履いたものがいた気がしましたが、V20系ビスタのほうがデザイン的にあっていたと思います。
少し話がそれましたが、長コメ失礼しましたm(_ _)m
コメントへの返答
2016年1月23日 20:43
こんばんは
いつもイイねをありがとうございます

ソアラは「いつかは・・・」の憧れというよりも、その生活感のあまり感じない世界観とかも含めての憧れかもしれませんね。
ソアラのメッシュは、ドイツのイントラ製でしたね。たしかイントラとは初代のターボ追加時に急遽調達した時の縁が続いたということだったはずですが、このメッシュは他車でも似たデザインを採用するくらい好評でしたね。

2代目ソアラと2代目ビスタのデザインが似ているというのはごもっともで、当時のトヨタ車について金太郎飴と揶揄されることもありました。当時一世を風靡したアウディ100(C3)からの影響は否定できませんが、今でも上品ないいデザインが揃っていると思います。

VXはソアラが先行して、ビスタやターセルが後追いしましたね。VZとVXは、2代目ソアラと4代目ターセルで上下関係が逆転しているという視点も面白いかもしれません。
2016年1月23日 23:31
こんばんは~。

このソアラが登場したとき、私は高校2年生でした。愛読書だった「○○のすべて」シリーズでこのソアラも買いましたが、多分ホンダ車以外で初めて買ったシリーズがこのソアラだった気がします。

ソアラは初代、2代目のデザインが一番いいですね。AピラーとCピラーの角度、位置など、クーペとしてとても端正で安心感のあるデザインだった気がします。2代目は少し丸っこく感じましたが、フラッシュサーフェスの進んだボディですから余計にそう見えたのでしょうね。

今まで沢山のクーペが登場してきましたが、ディテールは別にして全体のバランスという意味では、このソアラとS13シルビアは今でも通用するデザインじゃないかなぁと個人的には思っています。
コメントへの返答
2016年1月24日 9:07
おはようございます

発売当時「新型ソアラのすべて」は店頭で読みはしたものの、購入することはできませんでした。近年になって、電子版が発売されたため、初代や同期のスープラ&レパード等とまとめて入手しています。今読み返しても、勉強になるシリーズですね。

セダン発ではない2ドアラグジュアリーのスタイルはソアラで定義づけられたと思います。やはり最大の出色はキャビン部のデザインで、ボディカラーに塗られたA・B・Cピラーの角度はソアラ以外の何者でもないですね。練り込みは2代目ですが、デザインの冴えとか表現の素直さでは初代も捨てがたい感があります。

最後のくだりは私も同感です。設計要件がまだまだ緩かった時代ということもあって、今でもいいデザイン&プロポーションだと思います。ちょっと繊細な和風クーペの代表2台ですね。
2016年1月26日 8:21
おはようございます。
ソアラには、思い出がたくさんあります、70年生まれです。近所のソアラ2.8を毎日ランドセルを背負いながら眺めていました。
平成元年。18歳にもなると、同級生は、初代10をヤンチャな形で乗るようになりました。
当時、20中古が、出始めたあたりに、イエローパールのトーニングなしカラーのLTDを試乗した思い出があります。
あのカラーを現在20乗りの方々に聞いても知らないとの、こと。薄い黄色のパールであのカラーは、63年の前期で、LTD専用でカタログ掲載にないカラーだったのか??イエローイッシュパール?
もし、ご存じでしたらぜひに、お教え願いたいです。

いつもながら、うれしくたまらないカタログ、ヒストリーを載せていただきまして、楽しませていただいております。( ^_^)/~~~


コメントへの返答
2016年1月26日 20:35
こんばんは
ソアラは、70世代には、いろいろな思い出があるクルマですよね。私の方は身近になかったものですから、近所にあったというのが羨ましく思います。

コメントされている、トーニングなしのLTDですが、25A(044/566)の上半分(044)が下まで塗られていたということですよね?残念ながら、資料として該当が見つからずのため、オリジナルで塗られたのではないかと推測するところです。
やや横ズレ話ではありますが、東京トヨペットでは、特注で前期ツインターボを25Aで塗った事例を聞いていまして、同じようなケースになるのかと。

嬉しい感想をありがとうございます。お言葉を励みに、まだまだ続けていこうと思っています。よろしくお付き合いくださいませ。
2018年4月25日 7:10
おはようございます。
2代目ではなく初代の話で申し訳ありません(笑)。
昭和56年、私が小学3年生の時に埼玉県吉見にある母の実家に遊びに行った際、近所の親戚が納車されたばかりの2.8GTエクストラをお披露目しに乗ってきました。
金色ツートンのホリゾンタルトーニングでした。
この辺りは畑や田んぼを持っていてお金持ちさんばかりなんですね(笑)。
私の叔父、母の弟ですね、埼玉県にある某自動車メーカーの事業所に勤めていたので、興味津々で触っていたのを思い出します。
この叔父は、翌年に我が家で購入した伊武雅人カローラ1.3エクストラで遊びに行った際も興味津々で見てました。
ライトが白熱球だからハロゲンにするといいよとか、鉄チンのリムカバーをくれたりしましたね(笑)。
今思うと、お披露目と言っても母を含め親戚の女性達はカッコいいね〜ぐらいしか反応せずに、叔父たちだけが食い付いていたのが面白いですね。
まぁ、自慢したかったんでしょうね(笑)。
コメントへの返答
2018年4月25日 21:55
こんばんは
クルマの歴史を俯瞰的に見ると、登場時のインパクトの大きさは初代の方が勝っていたという認識です。ただ、自分の年齢を重ねると小学生となってしまい、リアリティの観点で語れるのは2代目に軍配です。さすがに小学生だと、いくら憧れの存在でも単独でショールームに向かうとはなりませんでしたし(笑)
初代の2.8GTエクストラを新車で購入するとなると、それなりの余裕が必須となりますから、購買層としては書かれているような方々となりますよね。
ウチも親戚で集まる際には、クルマの話題となることが度々ありましたが、そこに喰いつくのはやはり旦那衆であって、それを生暖かい視線で見守る女性陣という構図ですね。

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

1989年式マークII3.0グランデG感想文 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/08/05 19:34:14

愛車一覧

メルセデス・ベンツ Cクラス セダン メルセデス・ベンツ Cクラス セダン
2013年9月14日納車 アドバンストライトパッケージ ボディカラー:988 ダイヤモン ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1995年12月登録(同型最終年月) 2001年6月購入 2013年9月譲渡 ボディカ ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1992年6月購入 2009年3月一時抹消 2009年6月永久抹消 ボディカラー:18 ...
トヨタ クレスタ トヨタ クレスタ
1991年7月登録 2000年11月購入 2001年6月譲渡 ボディカラー:27N パ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation