
しばらくぶりに特集を手掛けてみようと思います。
お題は、こうした取り上げ方からは、とても分析の難しそうな初代レパード。
何せ、相当な力を入れて開発し、それこそ鳴り物入りでの新登場。大きな期待を背負っていたはずが、ライバルとの巡り合わせが何とも悪く、結果は悲しいとしか言いようがない状況で終わったクルマです。
その経緯は、レパード単体だけに留まらず、同時期の日産の上級車全体に影響を及ぼしたのではないかと思えたりするわけなのです。
もっとも、モデル自体は決して悪いものではないという点では、見直してみるのに好都合という考え方もありますね。
そんなこんなで話を進めていってみます。
このレパード、ベースシャシーは910ブルーバードのロングノーズ版ということですから、その前代となるブルーバードの6気筒版に触れないわけにはいきません。
ブルーバードがブルーバードUだった時代に追加されたのが初となります。
この追加、「当時のライバルだったコロナやマークIIが2000を搭載していたため、2000の搭載を検討。当時は4気筒の2000がなかったため、やむを得ず6気筒となった」説や、「当時の大人気車だったスカイラインGT的存在をブルーバードにも求められた」説等があるようです。GTとGT-Xというグレード設定的にも、スカイラインを意識していたのは間違いないところでしょう。
ところが、思ったほどの成績とはならなかったため、次代となる810ではG6シリーズに名称変更。今度はどちらかというとローレルに近い存在となります。(登場の順番は逆ですが)メダリスト的な豪華内装のFシリーズや4気筒1800のG4を追加した後期は、その印象が強くなります。
ただ、こちらも成功作とは呼べない状態でした。
ここで日産は、ブルーバードは4気筒に絞った方が得策という判断をしたのでしょう。910は成功作だったことや、次代のU11では復活したことからすれば、輸出には設定のあった910の6気筒を3度目の挑戦で国内導入しても良かった気もするのですが、結局910の6気筒版は輸出のみとされました。
その910の6気筒版の代わりに国内専売で設定されたのが、このレパードとなるわけです。
・・・ということで、ここからカタログを紹介していきます。
実はこのカタログ、登場して1年ほど経過した1981年9月発行と書かれているのですが、1981年8月に登場したターボ追加時の一部改良が反映されていないのが謎だったりします。
初代レパードのコピー「自由に何を賭けるか。」が大きく描かれています。
その上の賭け人には、ブルーバード810のCMキャラクターから転じた、加山雄三氏。レパードがブルーバードの上級車種ということからすると、栄転という見方もできますね。ちょうど、この時点でコロナのCMキャラクターだった長嶋茂雄氏は、翌年マークIIのCMキャラクターに栄転。この辺り、よく似た関係となります。
ちなみに、この時点で氏は44歳でした。
半ば余談ですが、氏がCMキャラクターを務めていた同時期のドラマや映画には、合わせたかのように両車が登場していることが多かったりします。
右頁には、「自由な存在」を主張するレパードのフロントマスク。
スペシャルティーカーとハイオーナーサルーン、それらは明らかに異なる領域だったのですが、レパードはそのどちらにも属せる初の存在でした。その点では確かに自由な存在だったのです。
目を惹くフードルーバーは、ターボ追加以前では2800のみに設定されていました。
S110シルビア以降、430セドリック/グロリア、910ブルーバードと好評を続けていた日産車の最新作でしたから、そのスタイリングは、斬新さにあふれていました。
大きく傾斜したフロントマスク、ボディと一体型の大型カラードウレタンバンパー、キャビンを後方に伸ばしてショートデッキとしたプロポーション、そのキャビンをぐるっと取り巻くAピラー以外を隠したウィンドーの処理、サイドからリヤウィンドーにかけての絞り込み等、そのデザインは時代を超えています。ほぼ同時期に登場した60マークII、C31ローレルと並べてみると、新しさがさらに際立ちます。このデザインは、モデル末期まで古さを感じませんでした。
あえての指摘としては、シャシーを共用する関係で、ややトレッドが狭く見える点が惜しいくらいでしょうか。
こちらは、おそらく主力と想定されていたであろう、4ドアハードトップ。
このウィンドー処理前提のためか、この時代の日産の4ドアハードトップとしては例外的にセンターピラーを備えていました。
こちらはもう一つのボディタイプとなる、2ドアハードトップ。
このノーズの長さには、長いフロントドアが似合う感があります。
こちらもロングキャビン&ショートデッキで、2ドアの新しいプロポーションを提案しています。他車ではあまり見られない位置にカラードのBピラーを配して、その個性を謳っています。
順番を入れ替えて、そのスタイリングが解説されている頁を前出し。
「空力が母体」と書かれています。
この時期、各社が競っていた空気抵抗係数は0.37。当時としては、十分なアピール効果のある数値でした。
最上級となる280X・SF-Lのインパネです。
縦・横共に十分な寸法で存在を主張するセンタークラスター部分は、同時代のC31ローレルやR30スカイラインとは異なるデザインであり、910との近似性を感じさせます。もっとも、メーターバイザーをコンパクトにまとめた上半分の造形はレパード独自のデザインです。上段のパッドは、本革風の意匠とする等、品質感も上々。ここでは、スペシャルティーカーの趣味性とハイオーナーカーの豪華さの両立と最大級に褒めてみます。
このメーターは、オールデジタルが認可されず、仕方なくサブメーターのみデジタル化したという噂がありました。噂の真偽は不明ですが、見方によっては現代のマルチファンクションメーターの考え方に近いと言えまして、このまま進化させるのもありだったように思います。
警告灯が増える中では、メーターバイザー内の限られたスペースに収めるのは難しくなる一方ということで、インパネ中央部に横一線に並べるというアイデアが生まれています。こうすれば、メーターバイザーがコンパクトにできるという構図です。このアイデアは好評だったようで、後のS12シルビア/ガゼール、U11ブルーバード等で同様のデザインが踏襲されています。
シートマテリアル3種。
最上級のSF-Lは、本革シートが標準装備。
これまで、オプション設定の形で本革を採用するクルマが増えつつあったものの、標準装備はおそらく初ということで結構な驚きでした。
高級車=モケットというのが標準的な認識だった時代に、ワインレッドやタンの本革という提案ができたのが当時の日産の凄さですね。登場当時こそ好き嫌いが分かれた感がありますが、徐々に本革=高級という認識が浸透していくこととなります。
SF-Lでは、後席3人分のシートベルト、さらに左右席は3点式を備えます。これは、当時の日本車の設定としては珍しいものであり、もしかして輸出の想定があったのかな、などとつい推測してしまったりします。
本革以外は、2ドアと4ドアでシート地が分けられていました。
SFとCFでは、2ドア:モール糸平織・4ドア:モケット、Fでは、2ドア:スーパーソフトビニール、4ドア:トリコットという具合です。
SFとCFでは、一部ボディカラーにおいて、レッド内装にグレーのシート地という、後にC32ローレルやR31スカイラインで見られたカラーコーディネートが取り入れられていました。
全体として、シート地を問わず、パーソナルカーとして説得力のある趣味のいい内装を備えているクルマだったと言えます。
次の画像共々、見辛い感がありますが、ご容赦ください。
本来は、綴じ込みとなっていますが、ここでは掲載の都合により順番を入れ替えています。
左頁はエンジンの紹介です。
搭載されていたのは、L28E・L20E・Z18の3種。この内、L28EとL20Eは、エンジン電子集中制御システムが取り入れられていました。
Z18の搭載を批判されることが多いのですが、スペシャルティーカーとしては疑問の存在でも、当時のハイオーナーサルーンであるマークII3兄弟やローレルにもラインナップされていたことからすれば、仕方なかったように思っています。これらでは、4気筒1800って結構な比率を占めていたことから中々外せないグレードであり、この少し前に登場したクレスタも、メインは6気筒2000ながら4気筒1800の設定もされていますね。
810ブルーバードにあったG4、あるいはこの市場に新規参入となるチェリー店のことを考慮すると尚更だったり。
また2800も、スペシャルティーカーとして設定が必要という判断は妥当ですし、マークII・ローレルに設定がありましたから、これも納得。もっとも特に上級グレードの価格が上方に伸びたレパードでは、間口の広さがイメージを不鮮明にし、結果的に2800がソアラと正面から競合することになってしまったのは、誤算だったかもしれません。
登場時に、商品力のあったターボのL20ETが外されたことが何よりの不思議です。ほぼ同時期に登場したC31ローレルがターボ付も出していたことからすれば、理解に苦しみます。
歴史にIFは禁句ですが、L28EではなくL20ETが設定されていたら、若干その後の流れは変わっていたのかもしれませんね。
右頁はメカニズムの紹介です。
オートレベラーは、積載が加わっても車高が変わらないということで、話題となった装備でした。リヤのコイルバネに空気バネを追加して車高を補正するという仕組みです。結構コスト高の装備だったようで、これが付いたローレルやレパードは価格への反映が見受けられました。
記憶では、SFも標準装備だったように思うのですが、ここではSF-Lのみ標準とされています。ターボ追加時に設定変更がされているのかもしれません。
このクラスでは比率が上昇していたATには、200Xのみ、3速ながらロックアップ付を採用。トヨタが先行していた4速への対抗として、期待されていたのですが、間もなくトヨタが4速+ロックアップを採用するに至っては苦しい戦いを強いられることになります。
このクラスのメインストリームである6気筒2000とATにおいて、トヨタが新開発1G-E&4速ATを出したの対して、日産が改良型L20E&3速ATで挑まざるを得なかったことは、このクラスで日産がシェアを失う大きな要因となりました。
タイヤには、ミシュランを採用。この時期、ミシュランの標準装備はアピールになるということで、上級車は挙ってXVSを採用していました。この流行が国産のタイヤの刺激となり、実力を上げさせたように思います。
シャシーは先述のとおり、ブルーバード910のフロント部分を延長したもの。従って、ラック&ピニオン式ステアリングや、ゼロスクラブ&ハイキャスター・フロントサスペンションという910の特徴をそのまま備えています。
このことは、ほぼ同クラスのC31ローレルやR30スカイラインとは異なる仕様ということも意味しています。同サイズに別シャシーですから、今では考えられない贅沢さというべきか、効率の悪さというべきか・・・。ブルーバードが次世代にFF化されたことで、結果的にF31レパードでは統合ということになるのですけれどね。
6気筒系はセミトレの独立ながら、4気筒はリンク式のリジッドという設定は同級のハイオーナーサルーンと同様でした。
デンソー(当時は日本電装ですね)の尽力で先行していたトヨタの空調に追いつくべく、レパードは空調にも力を入れていました。サイドデフロスターはドア内臓式ですし、オートエアコンにはレバー全盛時代にいち早くプッシュ式を採用という具合です。
オーディオもかなり凝った仕様です。
スピーカーは、フロント・リヤ共にセパレート式を採用することで計8つ。サイズも各ウーハー:16cm、各ツィーター:8cmですから、当時としてはかなり大きいものでした。それらスピーカーを駆動するアンプは、20w+20wのハイパワー仕様。これも当時としては社外上級品並みのハイパワーでした。
さらに、最上級の280X・SF-Lでは、それに加えてTVチューナー、オートボリューム&アンビエンスコントロールまで採用。
読み進んでいくほどに、驚かされる贅沢さが、そこにはあります。
豪華装備がまだまだ続きます。
SF-Lでは、有名なワイパー付フェンダーミラーに加えて、照明付きバニティミラーにドライブコンピューターも標準装備。
ワイパー付ミラーは、今回調べていて知ったのですが、非装着車も設定されていたようです。
インパネセンターの一等地に、ズラリと入力ボタンを揃えたドライブコンピューターは、子供心に憧れたぐらいですから、アピール力が強かったと言えます。操作性という言葉は、この場合無用なのです(笑)
トランクスルーは2ドアのみ備えていました。
ということは、シート地の異なる布のみならず本革まで2ドアと4ドアでシートを分けていた形ですから、何とも贅沢です。スペースこそほぼ同じリヤシートですが、人に使うのか、荷物に使うのか明確にイメージを分ける効果はありますね。その2ドアもSF-Lでは、後席のシートベルトは3点式ですし、トランクリッドはその短さを補うかのように、バンパーレベルから開口します。一見ではスタイル優先ながら、この辺りに真面目な設計が反映されています。
グレードの一覧です。
本来は、ターボ追加時に200X・Fと280X・CFは設定廃止とされていたはずです。
この中で売れ筋は、200XのCFかSFぐらいだったように思います。SFだとマークIIグランデやローレルメダリストよりも価格帯はやや上であり、このスタイルに価値を見出すかが判断の分かれ目でしたね。

主要装備一覧と主要諸元表です。
Fだと、1800級のコロナやブルーバードの標準グレードと比較しても、同等かやや劣る装備水準ですから、価格吸引あるいはスタイル最優先のための設定です。標準的な入口はCF以上ですね。最上級のSF-Lになると、セドリック/グロリアの最上級であるブロアム以上の装備が散見されます。
4ドアでも1,355mmに過ぎない全高が、その流麗さの根源にあります。マークIIやローレルのハードトップと比較しても30mm前後は低かったのです。
2ドアはさらに10mm低い設定です。前後ガラスは両ボディで共通のようなので、ルーフで高さが補正されていたようです。一見では同じ高さに映るんですけれどね。
といったところで、いかがだったでしょうか。
当時の開発話を見てみると、スペシャルティーカー派生のサルーンという文言が見受けられます。(余談ですが、2代目レパードは逆にサルーン派生のスペシャルティーカーとされていたりしますね)
そうしたコンセプトというのは、従来の日本ではないものでしたから、このクルマの登場というのは、実に新鮮に映りました。
同時期のデビューということで、どうしてもマークII系やローレルと比較してしまうのですが、それらとの比較でも一番目立っていたのはこのレパードでした。スカイラインやローレル的なものをブルーバードベースで作ったようにしか映らなかった、ブルーバードの6気筒系からすれば、それは大きな変革だったと言っても過言ではありません。
当時、ハイオーナーサルーンのハードトップが2ドアから4ドアに移行する中で、それらの受け皿となり得る2ドア&4ドアを作るという点でも、巧みでありました。
特に4ドアに関しては、この後マークIIやローレルのハードトップがこのレパード的な方向に進んだことや、初登場して一世を風靡した初代シーマとの共通性を見出せることからすれば、このコンセプトは高く評価したいところです。
その一方で、仕様の選択や装備の設定に関しては、やや不可解な点が見受けられます。そうした不可解さは、実はこの後も続いていって、少なからず販売台数に影響していたりするはずなのですが、それは続きで書いていくこととします。
しばらくは、この初代レパードにお付き合いくださいませ。