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2016年06月01日

思い出のクルマをカタログで振り返る32(初代ギャランシグマ)

思い出のクルマをカタログで振り返る32(初代ギャランシグマ) 思い出のクルマ、第32回です。

本当は40周年に合わせる形で、5月中に取り上げたかったのですが、他の話が先行したため、間に合わずとなってしまいました。

このクルマ、私が三菱について語る時には、絶対外したくないクルマです。初めてホンダ車を意識したのが3代目アコードというのは、以前に書いたことがありますが、こちらは、初めて三菱車を意識したクルマなのです。

歴代で見ても、E3系に続いて、いや両方一位に並べてもいいくらい好きなクルマでもあります。これ、私だけでなく、根っからのトヨタ・ダイハツ好きな父も魅かれたくらいでして。


そんなギャランシグマは、1976年(昭和51年)5月に登場しています。
それは、前代にあたるニューギャランから、何と2年11か月での登場という早さでありました。ニューギャランは、その前代からの引継ぎ部分が多かったとはいえ、それでも驚くべき早さではあります。

それに加えて時代は、本格的な排ガス規制が始まったばかりの頃。トヨタ・日産は、その車種数の多さが足枷となって、それまでの4年毎というモデルチェンジ周期が遅れつつありました。マツダはロータリーでもっと大変な目にあっていましたし、ホンダはシビックに加えて、ようやくアコードが登場した時点。

そんな状況下にこれを登場させたのですから、三菱の意気込みが解ろうかというものです。市場もこれを大歓迎しまして、安全コロナが連続ベストセラー、それをブルーバードが810で切り崩しに挑むという構図の小型車市場に、それこそあっという間に割って入ることに成功するのです。


前振りだけでも、まだまだ書けそうですが、このぐらいにして、カタログの紹介に入っていきます。
掲載は、1977年(昭和52年)11月のパンフレットからとなります。



最初の見開きは、トップグレードとなる2000スーパーサルーンです。
シグマが成功した要因は、やはりそのスタイリングが最大だと思います。

ボディサイズは、全長(mm)×全幅(mm)×全高(mm)の順で、4,330×1,655×1,360(1800SL)。このサイズは、
 安全コロナ:4,210×1,610×1,390(1800GL)、
 810ブルーバード:4,260×1,630×1,390(1800GL)
と比較すると、一回り大きいサイズでした。一クラス上と認識されていた、
 2代目マークII:4,380×1,625×1,400(2000GL)、
 ケンメリスカイライン:4,250×1,625×1,405(1800GL)
というサイズですから、これらとの比較でもメーカーの主張するLOW&WIDE・LOW&LONGが、そのデザイン構成の基礎であったことが解ります。

特に全高の1,360mmは、当時のセダンとしてはかなりの低さです。4ドアを低く作るという点では、カリーナEDやレパードではなく、シグマがその走りという見方もできると思います。
その分、(特にリヤの)ヘッドクリアランスやトランクスペースには影響があったのですが、そのスタイリングの前には、些細な話だったのでしょうね。





左は1600SL、右は2000GSLとなります。
フロントグリルは、スーパーサルーンのみ専用品で、その他は共通となります。

LOW&WIDE、LOW&LONGから構成されるスタイリングは、斜めに切ったトランクリッドやリヤテールから成るリヤビューこそ、同時代の6気筒を搭載したトヨタ&日産のセダンからの影響を感じさせます。
しかしながら、「前傾させたボンネットライン」「フロントカウルから一段下げたウィンドーライン」「明確なエアダム」「グリル脇にまとめられたターンシグナル&クリアランス」「キャラクターラインがあまり主張しないシンプルなサイドビュー」等、その他の部分ではいくつもシグマが開拓したデザイン要素が存在します。これらは。他車も後から追随することになるわけですから、1976年の時点でこれを出せたのは、高く評価されるべきものですね。

この時点のタイヤ&ホイールは、途中から改良されたスーパーサルーンのみ14インチで、他は13インチの設定でした。外径的には25mmぐらいの差ですが、足元の安定感には、随分貢献しているように見受けます。一方の13インチは、LOWの強調には効いているような。

また、ボディ同色&メッキモール or ブラックアウトというドアサッシュの処理の違いによる見え方の差も興味深いものがありますね。





2000GSLのインテリアです。
シグマは、外観同様にインパネデザインにも見どころがありました。
メーターを横一線にずらりと並べたのは、70年代様式的ではあるのですが、それを一体ガラスで実現したのはシグマが初でした。メータークラスター以外を一段下げて開放感を演出したデザインこそ、他車に先行事例がありましたが、その全体のデザインは新時代の到来を感じさせたのです。

この時点では、GSLのシート地はモケットとなります。
デビュー当初は、スポーティを意識したレザーだったのですが、途中から変更された形です。このころ全体的に見られたレザーから布への変更の反映という見方と、スポーティからラグジュアリーへというキャラクターの変更の反映という見方、両方ができると思います。
後者に関しては、シグマ全体のキャラクターにも言えることでありまして、時代の流れを読みつつ、上手く寄せていった感が強いですね。





シートも、フロントシートのフルアジャストとか、リヤリクライニングが当時話題となりました。こちらはフルアジャストこそ他車が追随しますが、リヤリクライニングの方は追随するクルマはなかなかなかったですね。

オーディオやオーバーヘッドコンソールによる豪華さの演出は、トヨタよりも日産からの影響が感じられます。ちょっと気の利いたアクセサリーは、シグマの商品力に利いていました。


エンジンは、MCA-JETと名付けられたジェットバルブによる希薄燃焼方式により、いち早く53年排出ガス規制をクリアしています。
登場時点では、サーマルリアクタ(排気再燃焼室)とEGR(排気再循環)による排ガス対策で、51年規制をクリアしていたのですが、53年規制の時点で大幅に変更されています。
この変更、燃費への貢献も極めて大きいものでした。1600MTを例にすると、10モード燃費:9.4km/L → 13.0km/L、同60キロ定地走行燃費:19.0km/L → 21.0km/L。同じくスーパーサルーンATでは、6.5km/L → 11.5km/L、14.5km/L → 17.0km/Lという具合です。
51年規制の時点ではやや大食いという評価も、53年規制の時点ではライバル車よりも低燃費となり、シグマの新たなセールスポイントとなりました。

サスペンションは、リヤサスに4リンクコイルを採用。ちょうど時代はリーフサスからコイルサスに切り替わる時代であり、これには先んじたモデルチェンジが利いていた感があります。構造自体は、スプリングとショックの別配置やラテラルロッドではなくアシストリンクの採用等に特徴がありますね。

ブレーキは、スーパーサルーンと直前に廃止されたGSRのみ、登場の翌年から4輪ディスクが採用されています。この変更に関しては、登場直後にGSRのフルテストを行ったCG誌がブレーキを酷評したことが、要因となっているのかもしれません。(故小林彰太郎氏の著書に、車種名こそ伏せられていますが、記事に関してメーカーとの間でやり取りがあったことが書かれていますね)



ここで、いつもなら、そのままグレード紹介に入っていくのですが、このシグマ、同年代の三菱車の例にもれず、一部改良が多くて、結構な変遷となっています。この辺りを自動車ガイドブックからの引用を主に、解っている範囲で補足しつつ、掲載していくことにします。




1976年5月14日 新登場



登場時点の全グレードです。
スーパーサルーンを頂点とするラグジュアリー系とGSRを頂点とするスポーティー系で構成されていました。この内、GSRとGSは、ツインキャブ仕様となります。同年代の他車と比較すると、スポーティ系のグレードが多くて、スポーティセダンも狙いだったことが推測できる構成です。



1977年2月15日 一部改良

 ・1600はサイレントシャフト付サターン80エンジンに換装。
 ・ボディ内外のカラーコーディネートを全車に普及。
 ・一部に4輪ディスクブレーキ、14インチ径スチールラジアルタイヤを採用



1977年5月27日 一部改良

 ・1600をMCA-JETシステムにより53年排出ガス規制適合化
 ・1600SLスーパーを新設定
 ・1600GSを廃止(?)

シリーズの内、1600のみが先行して53年規制に適合となりました。同時に、1600の豪華版であるSLスーパーが新設定されました。この時にラムダに1600GSが新設定となっていますので、こちらのGSの廃止もおそらく同時だと思われますが、確証がないため?を付けておきます。



1977年8月26日 一部改良

 ・1850/2000のシングルキャブ型をMCA-JETシステムにより53年排出ガス規制適合化
 ・内外装に新色追加
 ・2000スーパーサルーンにパワーステアリング仕様新設定
 ・1850GL/SLにもリアリクライニングシート採用
 ・カーステレオのデッキ化、静粛性向上
 ・1600も一部内装の変更









この時点のグレード構成等です。
ツインキャブで継続されたGSRのみ51年規制のままとなります。当初は2系統あったグレード構成ですが、SLスーパーの追加やGSL・SLの仕様変更等により、全体的にラグジュアリー寄りになったことがご理解いただけると思います。GSLの仕様変更により、GLXとの差が解りにくくなった感はありますね。



1977年11月
 ・1850GL、2000GSRを廃止

唯一の51年規制だったGSRですが、ラムダは継続となる一方でシグマからは落とされています。同時にSLスーパーや1850SLとの関係が微妙となった1850GLもラインナップから落とされます。



1978年3月22日 エテルナシグマを追加

新型車ミラージュの発売に合わせて設立したカープラザ店向けとして、新たな兄弟車、エテルナが追加となります。これもカタログはあるのですが、長くなりますので、今回は省略します。



1978年5月25日 一部改良

 ・ペダルフリー・オートチョーク、ICレギュレーターを全車に採用
 ・フルトランジスタ・イグナイターを2000車に採用
 ・2000GSLスーパーを新設定
 ・2000GLを新設定、1850SLを廃止(?)









この時点のグレード構成等です。
先に登場したエテルナシグマに合わせるように、2000GSLスーパーが追加となりました。前年に装着車設定の形でスーパーサルーンに追加されたパワーステアリングは好評だったようで、GSLスーパーの最大の売り、その他いくつかの装備がGSLから追加されています。その際、スーパーサルーンはパワーステアリングが標準となったようです。

また、2000の廉価版としてGLが追加されています。グレードの意味合いからしても、おそらく1850SLの替わりだと思われます。
これにて、1600と2000という構成になったわけですが、最大のライバルだったコロナとブルーバードが1800中心だったことからすると、実に対照的な構成となりました。きっと1850という表示が半端と受け止められたためと推測していますが、1855ccという排気量からして、1800という表示には出来ずですから、仮に1900にしたとしても、難しかったと思うのですけれども。
もっとも、この辺りは、アストロンエンジンが次世代となるシリウスエンジンに更新される際に、整理されていますね。

ちなみに前年のカタログと比較すると、GSLとGLXの仕様が変更されていて、両グレードはほぼ同等とされています。ミッションの差が最も大きいくらいの状態は、デビュー当初からすると歩みを象徴しているようでもあり。これも、マイナーチェンジの時点でGSLに統一されています。

あとは、1600カスタムがLに変更され、一部仕様も変わっているぐらいでしょうか。



1978年11月10日 マイナーチェンジ

好評だったスタイリングに手を入れず、一部改良を続けたシグマもついにマイナーチェンジ。当時流行していた角目4灯となります。
評価の分かれるマイナーチェンジのようですが、自分的には後期も結構好きだったりします。次世代までの過渡期の感は拭えませんが、スタイリングそのものは悪くないと思ったりです。前期と同じくらい後期も近くで乗っている人が多かったクルマで見慣れていたというのも大きいと思うのですけれどね。こちらのカタログは、痛みが激しいので略にて。




今回は、諸考察は省略して、思い出話をつらつらと。
さすがは人気車、登場直後に父の恩人が初代ギャランからの代替でカタログ仕様そのもののGSLを購入したのを皮切りに、ご近所でも何台か買われたのが、この初代シグマでした。ご近所の代替は、いずれも他メーカーからだったはずですから、三菱のシェアアップに貢献していたのだと思います。


登場からしばらくした頃、父は病により入退院の後、しばらくの間自宅療養していた時期があります。その頃は、今と違って、訪問販売も結構重要視されていた時代で、そんなとある平日の昼間にふらりとやって来たのが、三菱の営業マンでした。おそらくご近所に売ったのもこの人だったのでしょう、同じくクルマ好きだった父とは話も合い、ずいぶん長居をしていたのを覚えています。営業マン的には忙中の息抜き的部分もあったのかと思いますが、まだのんびりとした時代だったとは言えますね。その時に置いていかれたのが、最初に掲載したカタログです。

サイレントシャフトで6気筒並みに静か、さらに燃費もイイというセールスポイントは父も気に入ったようで、魅かれている気配は子供心に感じましたね。


話戻して、父の恩人のGSLは、あまりの燃費の対策として、アミ55を追加購入し併用の後、後期スーパーサルーンのATにアミ共々まとめられることになります。コルト以来の三菱党とはいえ、シグマはとても気に入っていたようで、結局このスーパーサルーンがこの方の最後のクルマとなりました。90年代の中頃と記憶しているのですが、ついに乗らなくなったということで手放されたこのクルマは、倉庫保管の走行距離極小ということで、処分を頼まれた方がしばらく楽しまれたという話を聞いたのが最後となりました。
ご本人もそこから間もなくして亡くなられたというのが、悲しい思い出です。


自分的に強く思い出に残るエピソードを持つのが、このシグマです。他にも思い出しそうな気がするクルマでありまして、やはり時代の先端にあった一台だということなのだと思います。

当時は、三菱が現在みたいな状況になるとは夢にも思わずでした。様々な記憶は今でも鮮明ですが、やはり多くの時間が流れていることは否めません。
思い出は、私の中で美しい姿のまま残っていくのですけれどね。
ブログ一覧 | カタログ話(思い出のクルマ編) | クルマ
Posted at 2016/06/01 21:55:32

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この記事へのコメント

2016年6月1日 22:20
こんばんは

思い出のクルマに対してコメントがくだらなくて申し訳ないのですが このギャラン 子供心にスカイラインジャパンのTIと雰囲気が似ているように見えておりました(汗)意識はしていなかったのですが今思うと年式もだいたい同じくらいでしょうか ワゴンモデルは同じカタログにはならないのですね 尾灯が独特だったように覚えております ちょっと記憶がおぼろなのですけれど(;^ ^)
コメントへの返答
2016年6月1日 22:35
こんばんは

思い出話は取り上げる際のおまけ的ですので、全然大丈夫です。
スカイラインのTIは、1977年8月の登場ですから、仰せの通り、年式はほぼ重なります。
もう一つのワゴンモデルですが、2000を搭載しスーパーエステートと名付けられながらも実はバンだったりします。バンにしておくのは惜しいぐらいのスタイルで、確かにテールのデザインなんかもちょっとお洒落でしたね。
2016年6月2日 8:24
このギャランは、タクシーの印象がそこそこあります。トヨタのお膝元でありながら三菱の影響力も小さく
はなかった名古屋では結構な台数が走っていました。京都でもそれなりの台数があったのですが、セミ
ファストバックスタイルを生かして、ダックテールスポイラー形状の広告が装着されていて強く印象に残
っています。
コメントへの返答
2016年6月2日 20:46
こんばんは

埼玉だと教習車の印象はあっても、タクシーの印象がない世代だったりします。この辺り、中型と小型の比率も絡む地域性の違いなのでしょうね。

ファストバックスタイルを生かしたスポイラー形状の広告はナイスアイデアだと思います。乗務員からしても、リッドの後端が把握できますから歓迎されたのではなどと、想像したりします。
2016年6月2日 14:17
名車でしたね。

いつもスカイラインのカレンダーにする私が、
このΣとΛにしたんですから ・・・

というのに、今のていたらく ・・・

残念でなりません(大泣きだよ)。
コメントへの返答
2016年6月2日 20:54
こんばんは

名車に同感です。三菱の躍進を担ったクルマでした。この兄弟が始めて、他車が後を追った装備も多数ですね。

本文でも書きましたが、あの頃は、今のようになるとは、全く予想もできませんでした。ここから生まれた多くのファンの気持ちを思うと、私も残念でなりません。
2016年6月2日 18:00
こん○○はm(__)m

このクルマ、小学生時代に近くの空き地にかなり綺麗な状態で捨てられておりました。

施錠もされておらず、運転席は私にとって最高の空間でしたが、しばらくして居なくなってしまいました。

このクルマが事件ものだったのか、『空き地』ではなく『人んち』で、ギャランも地主の私物だったのか(汗)

今では区画整理されてしまい、知る術もありません(^_^;)
コメントへの返答
2016年6月2日 21:01
こんばんは

私の幼少時代も、近所にモータース屋さんが解体待ちのクルマを並べていた空き地があって、同じように子供の遊び場になっていました。子供にとって自由にできる自動車というのは、興味を掻き立てられるものですよね。

近年では、危険だということで問題にでもなりそうですが、あの頃は大らかでした。

少し前に、思い出したこともあって、その周辺を散策しましたが、今では宅地に化けていました。自リ法の施行もあって、街中の廃車自体、見かける機会が減ってしまいましたね。
2016年6月4日 20:54
こんばんは

初期型の表紙は東山魁夷の絵からインスピレーションされたのでしょうか。
森と川、白い馬OR車…
絵画のセンスもかなりのものと思います。
コメントへの返答
2016年6月4日 22:02
こんばんは

ご指摘の表紙ですが、本カタログだと最初の見開きとして、「自然も優しく迎えてくれるだろう。静かなるセダン。」というコピーと共に掲載されているようです。
東山魁夷で軽く検索してみましたが、向きこそ逆であるものの、白を選んでいる辺りといい、明らかに「緑響く」から影響されていることを感じます。
2016年6月6日 21:47
こんばんは。初めまして。
このカタログに登場している1600SLスーパに乗っているものです。Σの丁寧な記事を拝見させていただいてうれしく思いました。遅ればせながら書き込ませていただきました。

このΣは現代で走らせると走らない曲がらない止まらないでなかなか手強いです。(私が免許取り立てに90年代でもすでにそうでしたが・・・・)またご指摘の通りトランクが狭いです。うちのが新車の頃、たくさん売れていましたが、10年後、インディビデュアル4ドアギャランの登場とともに消えていきました。普段あまり使いませんが、1600DSLスーパや2000以上のモデルに付いているリアシートのリクライニングはいい感じです。結構倒れます。

丁寧な記事でとてもうれしかったです。読ませていただき、ありがとうございました。
コメントへの返答
2016年6月6日 22:54
はじめまして
オーナーさんからのコメントをとても嬉しく思います。

お乗りのシグマは前期型ですから、40年近く乗られていることになりますでしょうか。何よりそれだけの期間、愛着を持って乗り続けられていることに、感服いたします。シグマは、その愛情を受けるに値するクルマということでもありますね。

現在基準では、走る曲がる止まるは、厳しいとの評ですが、これはシグマが劣るということではなく、80年代における日本車の進化が早かったことの反映だと思っています。その影で70年代のクルマは消えて行ってしまいました。
SLスーパーは、上級グレードのみだったリクライニングシートを1600にも採用したことを売りにした追加グレードでしたね。

オーナーさんからの共感が得られることを目標としていますので、「とてもうれしかった」とのお言葉は、とても光栄です。これからもシグマと共に歩む生活を、応援しております。
2016年6月13日 21:32
こんばんは。

この車の前期型は、ファミリーカーなのにどことなくギャランGTOのような猛々しいイメージがあり、シャープな印象でしたね。ブルーバード810とともに、1976年の車らしいスタイルとして記憶されています。当時の評論では屋根が低すぎるというものがありましたが、それをガマンしても良いからこそ売れたのでしょうね。その点では、後年のカリーナEDを思い出します。

後期型は、1978年が車のスタイルの上で過渡期であったことを表しているように感じます。ブルーバードの811やT130コロナ、A40セリカ/カリーナともども、同じような印象です。

 スタイルの上では目立っていたこの車ですが、DOHCのようなハイパワーエンジンがなく、サターンやらアストロンやらというエンジンネームが記憶されています。それを分類なさっていて、非常に勉強になりました。ありがとうございます。

追伸
 同時期のカペラについても、スタイル以外まったくわからないのが現状です。
コメントへの返答
2016年6月13日 22:23
こんばんは

初期型では、スーパーサルーンと並んでGSRもイメージリーダーだったんですよね。アメリカで撮影された大判ポスターはGSRでしたし。ホワイトのボディカラーにブラックのストライプテープを走らせた外観は、明らかにGTOのイメージを反映していたように思います。
それがラグジュアリー色を強める転機となったのは、やはり53年規制でしょうね。排ガス対策をMCA-JETに転換したことで、エンジンの特性も大きく変わることとなってしまったようです。以降は、次世代となるまで、角目化を途中で挟みつつラグジュアリー路線を進む一方でした。

自分でも役立つようにで、変遷をまとめてみたのですが、この時期の三菱車は途中の変更(特にグレードの改廃)が多いため、これでも網羅しきれていない可能性はあります。

同時期のカペラだと、78年以降、もしくはその前でしょうか。前者であればおおよそは押さえていますが、後者は資料不足で私的難易度が高いです。排ガス規制とマツダの経営危機が時期的に重なっているため、これを調べていくと深海域に嵌る予感もします。
2016年6月24日 21:04
お久しぶりです。

居てもたっても居られなくなり書き込みました 笑
1989年ごろ母方の親戚が乗っていました。
子供の頃、我が家がミニカエコノで親戚がギャランΣでよく並べました。

更に当時、その伯母の家を訪ねてきていた伯母の友人は
ランサーフィオーレに乗っていましたので
三菱車がかなり周囲にあふれていた子供時代でしたね。

マイナーチェンジ後の写真そのものの
スーパーサルーンだったと記憶しています。
幼心にかっこよく、MCA-JETのバッヂがうらやましかったです。

その後、ルーチェREに買い換えてしまいましたが、
家主である伯父さんはクルマに全く興味がなく、中古住宅に住み、
中古車に乗り、中古ゴルフクラブでゴルフに行くのが趣味の人でした。

前期方の方が逆スラントノーズやワイドアンドローな
ディメンジョンが引き立つスタイリングでコンセプト的には純度が高いですね。
コメントへの返答
2016年6月24日 21:38
こんばんは
記憶の片隅を擽れたのであれば、嬉しく思います(笑)

さすが当時の人気車、自分以外にも近くで乗っていたという方が大勢いて、さらにそれが強い印象として残るクルマということですよね。

父の恩人は、ずっと三菱車でしたし、車検等をお願いしていた整備工場は、三菱との関係が一番近かったので、私も比較的身近に感じられるメーカーではありました。

後期のスーパーサルーンは、本文で書いた以外にも、当時のお隣さんがこれに乗られていました。ラグジュアリー志向を強めたシグマを象徴する豪華なクルマでしたね。
そんなこともあって、自分的には後期って結構記憶に残る一台なんです。

ご指摘のとおり、スタイリングとしては、前期の方がスタイル重視のコンセプトが明確ですし、こちらの方が人気も高いと思います。後期は2代目のデザインへの橋渡し的印象が強いですね。
2016年11月5日 17:01
前略
 大変、懐かしく読ませて頂きました。
 私は2000GLを昭和53年12月から平成元年12月まで11年間乗っていました。マイナーチェンジ後の角目4灯の5速車です。初めて買った新車でした。新卒の23歳だったので義兄からは社長の車だと言われましたが。当時の車はFRが多く、特に三菱車、シグマはハンドリングが良かった印象があります。現在、還暦を超えましたが、車はV36スカイラインに乗っています(買う車が逆ですね。)。久々にハンドリングの良い車で、シグマに乗っていた頃の運転感覚を思い出しました。
 
コメントへの返答
2016年11月5日 18:13
元オーナーからのコメントを大変嬉しく思います。
53年12月だとマイナーチェンジ直後ですね。排ガス規制も一段落して、再びニューモデルラッシュとなり始めていたた時代でした。23歳でこの車を新車購入となると、確かに大人っぽい選択ですが、シグマは数あるセダンの中でも、あまり年齢層を問わない雰囲気があったように思います。
今お乗りになられているV36は、一度借りたことがあります。パワフルかつハンドリングも良くて、楽しいクルマだった記憶が残っています。
伝道師的ブログを続けていまして、”懐かしい”が最上の褒め言葉と思っております。
2017年7月9日 21:02
 記事を楽しく読ませていただきました。
 私は初代ギャランシグマのデビュー時は小学6年生で、初代および2代目ギャラン、そしてギャランGTOのファンでした。父親がもらってきたカタログを穴が開くくらい熟読し、装備一覧表などほとんど暗記していたほどでした。ギャランシグマ登場時に思ったことは、ギャランも随分立派になってしまったなあと少しさびしい気がしたのと、細かいことなのですがスーパーサルーンのステアリングが低グレードとほぼ同じであることに違和感がありました。今思うには開発陣のこだわりが感じられる部分なのですが、数ヶ月後の部分改良時にスポーツタイプに変わったのを見て、社内の偉い人に命令されたのかな、それともお客様アンケートでの指摘がたくさんあったのかな、などと思ったものです。ちなみに我が家では昭和53年の秋にギャランシグマエテルナ1600SLスーパーを父親が購入しました。納車時に最初に思ったのは、これまた細かいことなのですがアイドリング時に聞こえるサイレントシャフトのシャーという音の独特さでした。当時の三菱御自慢であるバランスシャフト付きエンジンで、確かにスムーズではありましたが3千回転も回すとボーボーうるさいだけでパワーのないエンジンでした。しかしハンドリングなど乗り味は決して悪くなく、後に自動車教習所で乗ったマツダカペラ(最後のFR)に似た素直な操縦性だったと記憶しております。

 貴殿の記事は私の趣味にピッタリはまる内容でした。。私も当時のモデル変遷など詳しいつもりでいましたが、知らなかったことが結構ありました。これからも更新を楽しみにしています。
コメントへの返答
2017年7月9日 21:49
コメントをありがとうございます。
2代目ギャランのサイズアップも、コロナ・ブルーバードのサイズアップに追随した形に映るのですが、シグマは両車のさらに上までを範囲に広げた印象がありました。その背景には、ランサーの追加もあるのだろうとは思います。初代ギャランのキャラクターはランサーが受け継ぐ形でしたね。
初期型スーパーサルーンのステアリングは鋭いご指摘だと思います。そのデザインも含めて、三菱としては木目はスポーティと訴えたかったのかもしれませんね。ラグジュアリーの方向にも使い始めたのは、同級他車の影響も感じられます。この変更は、ブレーキと共に対応が早かった点が当時の三菱らしいところでしょうか。
エテルナだと、同年春に発足したカープラザ店からの購入ですね。SLスーパーは、量販グレードの一つだったと記憶しています。
三菱は、53年規制の適合以降、低燃費を売りとした低中回転重視のエンジン特性というのが当時の評価でした。同クラスでもやや大柄なボディには、1600だとやや力不足ということもあったのでしょうね。

当時の人気車だけに、近くにあったという方が多いクルマですね。そんな方々からの共感をとても嬉しく思います。
最近は多忙ということで、更新が滞っていますが、先々には再開したいなと思うところです。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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