
今回の話に入る前に、多くの「イイね!」をいただいている前回の話を追加的に少々。
成人式ネタに絡めて1998年に登場したクルマでやったのですが、よくよく考えてみれば1997年4月~1998年3月の方が話的にはより正しいですよね。この期間だと、ラインナップが変わり、それに伴って解説部分も変わっていたかもなどと。もっとも、セダン豊作という点や結論は変わらない気がしますけれどね。
そんなこんなで、さて本題。
今回は久方ぶりの、古のモーターショーのパンフレットネタです。
棚から、第23回のモーターショーのGMのものが出てきましたので、これを取り上げてみます。リーフレットということで、内容としては軽くなりますが、いすゞ扱いということで比較的珍しいモノなのではないでしょうか。
先ずは、表表紙と裏表紙に当時の取扱車が主要諸元表と共に掲載されています。
取扱車を諸元表の順で並べてみると、
1.シボレー シベット
2.シボレー サイテーション
3.ビュイック スカイラーク
4.シボレー モンザ
5.シボレー カマロ
6.シボレー マリブ
7.シボレー モンテカルロ
8.シボレー カプリス
となります。
当時のGM車は、この他にヤナセ扱いでビュイックの中大型車やキャディラックが輸入されていた他、ポンティアック系も一部輸入されていたはずですが、いすゞ扱いということからか、比較的ベーシックに近いクルマ達に絞っていたようです。
当時のアメリカ車は、オイルクライシスの影響が大であり、生産中止の噂の中を生き延びたカマロ以外は、大きな変革を強いられたクルマ達でもありました。
後で紹介するシベットを除いて軽く(?)解説しておきましょう。
当時のアメリカ車は、サイズ別の分類として上からフルサイズ、インターミディエート、コンパクト、サブコンパクトの4種が存在していました。この内、サブコンパクトは急速に増え始めた輸入車への対抗を主目的に新たに設けられたクラスとなります。
オイルクライシスへの対応では、各サイズを一クラス下と同等まで下げるのが最初の策であり、続いてはFF化が行われることとなります。
一番最初にダウンサイジング行ったのが、フルサイズに相当するカプリスです。
ダウンサイジング後と言えども、今目線で見ても十分大き過ぎる数字が並んでいるくらいですから、これ以前の一番大きかった時代はどれほどかと(笑)。以前に近いスペースを確保するため、必然的にボクシーなスタイルとなったようですが、加飾を省いたシンプルなデザインは結構グッドルッキンだと思います。
マリブとモンテカルロは、インターミディエートサイズにあたり、ダウンサイジング第2弾。
カプリス級から縮小されたこのボディサイズは、現在のEセグメントのサイズに近いところですね。しかしながら、当時のメルセデスだとEクラスではなくSクラスが同等サイズとなりますから、これでも十分過ぎる大きさではあります。
この急激なダウンサイジングはスペースの確保に苦労したようで、ボクシーなスタイルに加えて、こちらのセダンではリヤドアガラスを固定式にして室内幅を稼ぐという、半ば荒業も行われています。さすがにやり過ぎだったようで、後年にはキャビンデザインを変える大改良を受けています。
モンテカルロは、マリブベースのパーソナルクーペとなります。
サイテーションとスカイラークは、コンパクト。
マリブでもスペースの確保に相当苦労したGMは、次のダウンサイジングでついにFF化という一大転換を行うこととなります。大きいクルマばかりを作り続けてきたわけですから、現在のアクセラ・インプレッサ級のこのサイズでも成立させるのには相当な苦労だったようです。
Xカーと呼ばれたこの兄弟達(この2台の他、ポンティアックフェニックス、オールズモビルオメガも存在)は、その第一弾ということで当時大きな話題となったモデルでした。デザイン等は従来の路線を引き継ぎつつも、メカニズム等は一新するという意欲的なモデルでしたが、初物故の習作的部分やそれに伴う苦労があり、販売もその意程とはならずとなってしまいました。この辺り、アメリカ版T11と言えるかもしれません。
モンザは、サブコンパクト。
これらのダウンサイジングが行われる前の登場で、かなりのヒットとなっていた初代セリカを迎撃する役割があったよう。逆に後から登場した2代目セリカは、こちらのデザインとイメージが重なるのが興味深い所。2代目セリカは、トヨタがアメリカに設立したデザインスタジオ「CALTY」のデザインということで、この種が当時のあちらの流行だったのでしょう。
付け加えると、モンテカルロのデザインにも、3代目マークII・初代チェイサーのHTが重なりますので、ヨーロッパを向き始めていた日本車もアメリカ車からの影響は少なからず残っていたという見方も出来ますね。
最後はカマロ。
元々はコンパクトをベースとしたスペシャルティでしたが、そのコンパクトが大きく変わってしまったことで独自の立ち位置を形成することとなります。日本におけるアメリカ車の人気が落ちる中で、ファイアバードと並んで高人気を保ったモデルですから、あまり細かく触れずとしておきます。
2代目カマロと赤の組合せは、ドラマ「俺たちは天使だ!」の印象が強くなるというのは私感ですが、同世代だと共感される方も多いはず。よくよく考えてみると、ちょうどオンタイムで放送中の時期と重なります。実際にドラマの中で使われたのは中古車ということで、年式や仕様はこの画像とは異なっています。
これらモデルに加えて、新たに導入しようとしていたのが、このシベット(現地名はシェヴェットとなるようですが、ここでは表記沿うことにします)でした。
2ボックスの成り立ちは、一見FFっぽく映るのですが、フロント&リヤのオーバーハングの関係からも判るように実際はFR。GMが70年代初頭に作ったワールドカー構想の下、アメリカにもその一角を担わせてようと1976年に登場したのが、このシベットでした。当初は2ドアのみでお手軽にというコンセプトでしたが、オイルクライシスの中で想定以上に売れたことによりホイールベースを伸ばした5ドアが追加という形となっています。
ここでお気付きの方も多いと思うのですが、GMのワールドカー構想の日本版にはジェミニが存在しているわけで、ボディ形状の違いやアメリカ車っぽいディテール部から一見では判りにくいのですが、実は兄弟車の関係にありました。よく見るとフロントドアにはその面影を見出すことが可能ですね。
ジェミニが存在する中であえてシベットを輸入しようとした目的ですが、この頃大きな問題となっていたクルマにおける貿易不均衡(貿易摩擦という言い方もされていましたね)を多少なりとも解消しようということだったようです。アメリカ車は大きいから売れないというなら、小さいクルマなら買うだろうという訳ですね。
目的とか動機の部分はよしとしながらも、問題は手段でありまして、ジェミニの兄弟車を左ハンドルのまま、お値段約2倍の200万円級で売ろうというのはさすがに無理筋ではありました。当時の日本車のお値段だと、マークIIやローレルの一番お高い3ナンバー級に相当ですからね。同じ輸入車でもVWゴルフのお値段は、もっと下にありましたし。
肝心のクルマ自体も、このサイズは新型車を中心に既にFF化に向けて動き出していた中にあっては、設計年次の古いFR車の入り込む余地はほぼないに等しいものだったのです。ジェミニですら、その点を指摘され始めていて、DOHCやディーゼルに新たな活路を見出している状況にありました。
そんな中でのターゲットとなると、おそらくリーフレット内のアメリカ車を買っているお宅のセカンドカーにいかが?という辺りだろうなと予想はできるのですが、その数がどれほどだったかというと、やはり無理筋の感強し。
案の定とも言うべきか、この翌年に僅かながら輸入されはしたものの、程無く導入中止という結果に至っています。
このシベットからすれば、サンタナはもちろんキャバリエですら、よく考えての導入に思える不可思議と。
日本とアメリカにおけるクルマの台数の問題というのは、この当時から問題視され続けていて、特に大きな課題として取り上げられた際にはこうした策が講じられるのですが、解決には至らないという結果も変わらずで現在に至っています。
その努力の仕方は見解が分かれそうに思うのですが、いくつかの方法が試されているのは間違いがなく、それらを踏まえて向こうのメーカーが諦めに近い境地となるのも仕方ないのかなと思ったりもします。
結果的に台数は少数に留まり、皆の記憶にも恐らく残っていない存在ながらも、そんな歴史の中の一頁を刻むに値する貴重な一台がこのシベットですね。