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2018年07月23日

歴代クラウンのセダンとハードトップを対比してみる

売り手と書き手の思惑が混ざり合ってか、新型クラウンの記事を多く見かけます。

その中に、「今回の一新はタクシー、パトカー、法人車といったイメージからの脱却を狙った」といった趣旨のものがありました。これ、はるか以前にも見かけたような既視感がありまして。

今回はそんな話で書いてみることにします。
思い返すと、クラウンの長い歴史というのは、フォーマルとパーソナルを両立させることで積み重なってきたと言えそうな。21世紀のクラウンは、一つのボディでこの両方を成立させていますが、それ以前は4ドアという枠組みの中で別ボディを成立させ、フォーマルとパーソナルを両立させる手法を取っていました。


その話に入っていく前に軽く前史を書いておきます。

そもそもクラウンは、初代から2代目の初期くらいまでは、フォーマル用途が主という成り立ちでした。ライバル関係にあったオースチン→セドリック、スカイライン→グロリアとの関係においても、その傾向は顕著だったわけです。

その傾向が変わってきたのは、2代目の中期以降。豊かになったことでオーナー層の需要が増え、ついにはフォーマル層の需要と逆転していきます。続く3代目、4代目というのは、そうした需要に応える形でフォーマルからパーソナルに振れていった時期と理解しています。3代目のオーナーデラックスやハードトップ、4代目のスピンドルシェイプ、そのどれもがパーソナルに向けたものでした。

結果、3代目は商業的にも成功したものの、4代目は成功とは言い難い状況となってしまいます。4代目とほぼ時を同じくして登場した3代目セドリック/4代目グロリアが、フォーマル層の需要を奪取。翌年にはクラウンに先んじる形で4ドアハードトップが追加され、オーナー層にも好評をもって受け入れられることとなります。

クラウンも、マイナーチェンジで対抗するものの、ここに至って、2ドアと4ドアという分けのみではなく、4ドアの中でフォーマルとパーソナルを分けることが必要になったのです。

ここまでが前史ということで、ここからは画像を入れつつでセダンとハードトップが併存していた時代を紹介していくことにします。


〇5代目(1974年登場)

altalt

この代で初めて4ドアハードトップが登場。
ハードトップ=ピラーレスという認識だった時代において、安全性や剛性を理由とすれども、ハードトップを前面に立てることには躊躇いがあったようで、4ドア・ピラードハードトップと謳われていました。初期のカタログには、パーソナルセダンという併記も見受けられます。

デザイン手法としては、フロントからBピラーまでをセダンと共用、Bピラー以降は2ドアと共用ということで、セドリックに近い(の後を追った)成り立ち。センターピラーを残した4ドアと、センターピラーを省略しつつオペラウィンドーを仕立てた2ドアという分けはクラウン独自とも言えますが。

従来の4ドアセダン・2ドアハードトップの需要の一部は、4ドアハードトップに移行。その数は想定以上だったようで、クラウンの代名詞的存在に成長してゆくこととなります。

セダンは、ハードトップの登場を受けて、先代比で室内高やリヤドアを拡大。スタイルを気にせずに後席重視に振ることが可能になりました。比べてみると、Cピラーの傾斜角、それに伴うキャビンの大きさでセグメントしていると判ります。



〇6代目(1979年登場)

altalt

5代目は明確にセダンベースを感じさせる成り立ちでしたが、この代では一部部品を除いて、基本的にはパネル類を別部品としたボディとして登場しています。
一方、フロアシフトでは別デザインを採用していたインパネは、タクシー用インパネを作った影響なのか、メーターを除いて共用とされています。

これ以降、トヨタにおける4ドアセダンと4ドアハードトップの関係は、同様に外板のパネル類を別とするのが、不文律となっています。

ハードトップのCピラーの傾斜角をセダンより強めたのは、5代目と同様ですが、新たにラップラウンド・リヤウィンドーを採用することで、視覚的にもよりキャビンの小ささを感じさせることができるようになりました。



〇7代目(1983年登場)

altalt

先代で別ボディとなったセダンとハードトップは、この代でさらにイメージを分ける形となります。一旦共用となったインパネも、ハードトップのフロアシフトは再び別デザインとなりました。

ウェッジシェイプの採用とベルトラインを一段下げてキャビンの明るさを強調するのは共通の手法ですが、ハードトップではキャラクターラインの位置をあえて下に置くことで、ノーズの低さをさらに感じさせるデザインとしています。この手法は、ノーズの低さ=車格の低さが危惧されたことで、役員審査の回数を通常より増やしたという記事が当時ありました。

結果、ハードトップは従来にない若さが幅広い年齢層に受け入れられて大成功。ハイソカーブームにも乗って、販売台数にも大いに貢献することとなります。

一方のセダンは、フォーマル層を意識過ぎと判断されたようで、オーナー向けには売り難いという評価だったようです。6代目までは、ハードトップの比率が増え続けつつも、ほぼセダンと同率といった状況でしたが、この代に至って、完全にハードトップが主流となります。



〇8代目(1987年登場)

altalt

同じ主査が担当したことで、好評だった7代目のイメージを受け継ぎつつ、長所を伸ばしまた短所を潰して生まれたのが、この8代目です。

7代目のハードトップは好評だったものの、伝統的な格調と重厚さが重視されたことでフロントマスクは量感を増す形となりました。手法が6代目以前に戻ったという評もありつつ。

またセダンの復調も課題だったようで、セダンもまたややキャビンを小さくし、レンズ類のデザイン共々ハードトップのイメージに近づけることとなりました。7代目を色濃く残す中でも、セダンはハードトップに近づいたというのが、比べるとご理解いただけると思います。

この代でワイドボディが加わったハードトップは、先代以上に比率を伸ばし、結果セダンはフォーマル用途に特化するという方針となっていくこととなります。


〇9代目(1991年登場)

altalt

当初予定のなかったセルシオの国内導入や主査の交代は、クラウンの形を大きく変える契機となりました。

9代目・10代目を担当された主査は、クラウンはハードトップという強い意志をお持ちだったようで、ハードトップをマジェスタとロイヤルに分化する一方、セダンやワゴンは8代目を一部改良のみで継続するという選択をします。

セダンは、フロントドアとリヤドアの下半分を残して、その他のパネル類を一新することで、全面改良となったハードトップとの共通性を感じさせるデザインとされています。この変更は、8代目でややスリム(特に後席頭上空間)になったセダンのキャビンを再び後席重視に戻す効果もありました。

ハードトップ、特にロイヤルはパーソナル向きに振ったものの、伝統から離れたデザインは評価が今一つとなり、1993年のマイナーチェンジでは、好評だった8代目を連想させるデザインに戻されています。



〇10代目(1995年登場)

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景気の後退は、マジェスタへの移行を果たせず再びロイヤルが中心という形で再定義されることになります。その分、マジェスタは提案型になれたという見方も出来そうです。

今回はセダンもハードトップ系に僅かに遅れる形で、フルモデルチェンジを受けました。バンとワゴンは8代目のまま継続。
セダンのロワーグレードは、クラウンコンフォートに分かれたのもこの時です。

マジェスタに続いて、ロイヤルとセダンも長年続いたペリメータフレームを外しモノコックボディとなりました。ロイヤルとセダンのシャシーは、先に登場していた90マークII系を延長したものを採用。このシャシーは、元々3ナンバーサイズの設計ということから、5ナンバーの幅に収めるのは苦しく、セダンではタイヤとホイールサイズをロイヤルとは分けることで、何とか成立させています。

この時期には、クラウンのデザイン様式が確立された感があって、幅の違いはあれどもハードトップとセダンでデザインを明確に分けたと感じる部分は少なくなっています。セドリック/グロリアもほぼ同時期に変遷を重ねていますが、歴代間の振れ幅はもっと大きいと感じそうです。なお、セダンとハードトップをこうして並べると、ナローボディとワイドボディの対比の感もあったりします。


この5代目から10代目の間が、フォーマル=セダンとパーソナル=ハードトップという形で、両立に苦心しつつも成立できていた時期となります。


この後の11代目では長年続いたハードトップからセダンへの一大変革に加えて、当初こそ、9代目の時と同様、10代目のセダンを併売する形となりましたが、2年後には11代目のみに統合されることとなります。

11代目以降、従前のロイヤルシリーズに加えて、新たにアスリートシリーズが登場したことも影響しているのでしょう。以降、先に書いたとおり、14代目まではフォーマルもパーソナルも同一ボディの中での対応を続けてきました。

15代目に至って、再びこの2つの分けが課題として浮上したのでしょうね。
これまでと異なるのは、両方を追うのではなく、パーソナルに特化する方針としたこと。この選択の背景には、冒頭に掲げたようなフォーマルに類される需要が段々減ってきていて、さらにその一部はアルファード等へ移行したという分析があるからなのだと推測します。

私的には、マークXやレクサスISが存続する以上、先代の一部を残すという形がこれまでの慎重な選択とも重なって理想だったように思いますけれども。その方が新型である15代目をより割り切って作れた気もするのです。おそらく、その過程では幾多の審議があって、その結果イメージの変化をより優先した結果ということだと思うのですが。

この選択の是非は販売台数が決めることになるはずですし、その結果は次の代の姿を決定することにもなりそうです。

あまり自分のクルマというイメージに繋がらないものの、何かとそれでも推移を気にせずにいられないのがクラウンというクルマではあります。


【画像の引用元】
FavCars.com
ブログ一覧 | 新型車雑感 | クルマ
Posted at 2018/07/23 22:01:04

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この記事へのコメント

2018年7月24日 13:42
5~6代目は、「いつかギラギラする日」という92年の映画で、限界走行している車を何台も見ることが出来ました。
前期・後期全て出てくるので、資料として貴重です。

8代目のV8・4000も大ホームランでしたが、7代目は、小学生の頃に憧れた車です。2800→3000ccに進化したのが当時は驚愕でした。
ツインカムの音は、うちの車では当分は聴くことが出来ませんでした。

9代目の後期型になり、クラウンはようやく所有出来ましたね。最後のフレーム式ボディーでした。
コメントへの返答
2018年7月24日 21:12
「いつかギラギラする日」は、年代広くで出ていましたね。5代目、特に前期ともなると、大方減って、あまり見かけなくなっていた時期なのですけれども。

8代目の4000は、シーマを上回る260馬力もインパクトがありましたが、やはりV8という記号性ですよね。4000は、中々手が届かない印象も強かったです。
7代目でユーザー層が広がったのですけれど、それでも3ナンバーは別格でした。自動車税・任意保険等、維持費が段違いでしたし。

9代目のロイヤルは最後のフレーム式でした。マジェスタが出た時点で、フレームを外す準備は始まっていたのでしょうね。
2018年7月24日 19:54
30代後半の私の記憶にあるのは5代目以降ですが、クラウンと言われて思い浮かべるのは8代目ですね。この型は近所でも見かけましたし、多く走っていました。

当時小学生でしたが、グレードによって細かく違いがあるのを興味深く、一番いいのがツートンカラーのボディーにRoyal Saloonのエンブレム、さらにはTWINCAM24 SUPERCHARGERと2段書きで前後に書かれたクラウンでした。
前期の頃は地方では3ナンバーはまだ珍しく、5ナンバーナローの最上級グレードですが、今のクラウンよりも高級車然としていたような気がします。後期型はTWINCAM24の表記が無かったかもしれません。

このグレード、結構見かけましたが、実はお値段も結構なクルマで、自分の田舎にもバブルの影響があったんだなぁと感慨深いです。
当時家にあった1800のマークⅡGRサルーンも外寸は大差なかったですが、お値段は2台分以上だったと思います。

当時のクラウンは1G仕様も含め、加速時の音も「高級車」でした。6気筒サウンドもそうですが、ファンがベルト駆動でエンジンをかけたとき、吹かしたときに勇ましい音がしたんですよね…。加えて、走り去った後には何とも言えない排気臭。
もっとも、1GのマークⅡ兄弟も同じかもしれませんが。家のは1Sだったので、小学生ながら憧れでした。
コメントへの返答
2018年7月24日 21:29
30代後半だと、5代目はだいぶ減っていた時期と推測します。初期の排ガス規制車は早期の潰しもされていますし。
私も、ザ・クラウンは8代目を挙げます。一番売れた世代でもありますね。

前期の3ナンバーはワイドボディの採用で売れたものの、なかなか手が届くとは思えないクルマでした。スーチャーでも高級車だと思いましたね。
後期は、ワイドボディの設定が広がって、ナローは影に隠れた感がありますが、前期の時点で税制等ここまで変わるというのは予想もできませんでした。
エンブレムの変遷は書かれているとおりです。1G-Fが登場したこともあり、TWINCAM24を敢えて書かなくてもという判断だったのでしょう。時期を前後して、各車エンブレムやステッカーでスペックを主張することが減っていっていますね。

消費税導入前のロイヤルスーチャーが約350万円、GRサルーンは71だとエアコンなしで約180万円でした。マークII系のツインカム24のお値段だと、クラウンはスーパーセレクトにエアコンを付けた時点でその価格を上回る状況でしたから、一段高い車だったのは事実ですね。
2018年7月24日 22:05
早速ありがとうございます。正確な価格を教えていただき勉強になります。グレードによってはクラウンもエアコンがオプションだったんですから、隔世の感がありますね。

当時SX70マークⅡに乗っていた父が、「いつかはクラウンだが、見栄じゃ買えないクルマだな。」と言っていたのを思い出しました。

TWINCAM24エンブレムの有無も、子供のころの記憶が確認できうれしかったです。
これまた、家のマークⅡの話で恐縮ですが、前後にグランデエンブレムの”バッチチューン”をしていたのですが、前の方は80系の後期からグランデエンブレムが無くなってしまい、子供ながらになんで着かなくなったんだろうと思ったものでした。今考えると変な子供ですね…。

今や、フロントにグレードエンブレムが入った車はまず見かけなくなりました。
トヨタですと、AT210カリーナの”GT”あたりが最後でしょうか。
コメントへの返答
2018年7月24日 22:40
おそらく当時は電装屋さんへの配慮があったようで、トヨタがエアコンを標準装着へ動くのは他社よりも遅れていますね。エアコン付きの特別仕様車を出しても、エアコンのみ販売店装着という時代が比較的長く続いてもいます。

当時のクラウンって、色々別格でした。販売員が購入するのは禁じられていたという話もありましたし。

他の回でも書きましたが、エンブレムチューンしているクルマって良く見かけました。グランデへの交換はその中でも多かった事例だと記憶しています。80後期でのグリルエンブレム廃止は私も納得できず、前期のエンブレムを購入して後付けしていました。前期用の流用ですので、ピタリの位置とはならなかったりしましたが。

当時はグレードエンブレムで高性能を誇示なんてありましたが、今ではそういう時代ではないのでしょう。2代目ヴィッツのRSは思い付いたものの、それ以降が思い浮かばなかったりです。
2018年7月26日 7:20
御無沙汰いたしております。
更新をすっかり見逃しておりました(笑)

さて4ドアハードトップの元は60年代のアメ車にあるんですよね。
この頃は日本の事情と幾分違うようですが、この話を始めるとそもそも『ハードトップの定義は?』となるんですよね。
サッシュレスドアだ、とするとレオーネやセリカもハードトップか?となるわけで(笑)

230セド/グロに始まる4ドアのハードトップ/セダンの2本立て、その後、その後四半世紀は続くわけですが、80年代に入ると4DHTはメーカーも付加価値UPで利益も出やすいからなのか、セダン/4DHT併売車種ではセダンの搭載エンジンを下位化したり、スタイリングを野暮ったく(?)するなど意図的にセダンをマイナーな存在に追いやり、4DHTに誘導してましたよね。

うちでも当時7代目クラウン4DHT→最終ルーチェ4DHTとの車歴なのですが、狭苦しい車内も『スタイリング重視だからこんなもの』といった妙に納得した部分があったのですが、目から鱗だったのはうちにベンツEクラスW124の300Eがきた時。
『なんだ、居住性とステータス性は両立できるんだ』と。
当時Eクラスの新車価格は国産の倍近くしましたから『思い込み』と『希少価値』故のステータス性もあったのでしょうが、相次ぐ国産セダンの値上げに伴う両車の価格差も大幅に減少した今、新型クラウンを見ても全く興味をそそられないというのが正直なところですね。
コメントへの返答
2018年7月26日 22:34
コメントをありがとうございます。合間を見定めつつの不定期更新ということで(笑)

ハードトップの定義ですが、センターピラーレスが要件でしょうね。サッシュレスドアだけだと、セダンあるいはクーペとの区別が曖昧になってしまいます。トヨタも2ドアでは、初代セリカを除いて明確に分けていると思います。クラウンも当初はピラード・ハードトップかパーソナルセダンのどちらかで定着させようとしたが、結局ハードトップで定着したという経緯ですね。

セダンと4ドアハードトップの推移は、書かれているとおりですね。ワゴンが長い間定着しなかったのと同じように、営業用とは別のスタイルが望まれ、その回答がハードトップだったということで。今はクラウンの黒って人気色の一つですが、80年代半ばまでは減点色であり、その理由が自家用に見えないということでした。

機能だけでいくと、ハードトップがセダンに勝る点はないはずなのですが、当時は不便でさえなければ良かったのだと思います。小型車・大衆車クラスより狭くさえなければイイくらいの感覚でしょうね。両クラスはFF化で一時期は広くなったものの、間もなく低全高ハードトップの流行が始まりますし(笑)

私も自分で買うまでは、マークIIのセダンって少々躊躇いがありました(笑)。タクシーや教習車と同じですからね。でも、乗り始めてしまうと、室内空間をあえて狭くする必要はないと思うようになりましたね。その点、170クラウンや110マークIIは、ようやくセダンの時代が来たと思ったものです。

クラウンは幼少時代から和の高級を追求したクルマであり、その世界観に憧れていた一人としては、今の姿はドイツ車を意識し過ぎに映ります。四半世紀前と比較すると、価格も表現する世界観もクラウンが近付いたという構図なんですよね。
2018年7月26日 23:23
クラウンはフォーマルとパーソナルのどちらも無視できないため、
敢えて作り分けを行ってきた歴史だと言うことなんですね。

pari-siroさんが書かれている様に、先代を残した上で新型で跳ぶと言うのが好ましかったように思います。本流を残した上でならどれだかでも跳んで頂いて結構だったのに・・・。

ラジグリのエンブレムの件、17系クラウンのアスリートや2代目ヴィッツにI'LLマークが有りましたね。自分の車のTWINCAM16エンブレムはいつ見ても誇らしげで良いものです。
コメントへの返答
2018年7月27日 19:43
上等な移動空間を求めるとして、前席と後席の比重を微妙に作り分けていたという言い方でもいいと思います。共に大事な顧客だったはずなのですが。

新型が2つ作れないなら、140の時のような併売という選択がアリだったように思います。カローラとは市場投入の仕方を変えているのが興味深いところです。

ラジグリのエンブレム、今回はRSを付けていることを思い出しました。位置的に、グレードではなく高性能エンジンを誇示するのが正解かもしれませんね。
2018年7月28日 18:25
こんにちは。

うちの会社では元社長(現会長)と元副社長(現相談役)の二役員が8代目クラウン以降ずっとクラウンを乗り続けていて、現在は相談役が14台目S210系のアスリートに乗っています。唯一9代目だけ買われることがなく、私も同行出張等で9代目クラウンのみ運転したことがありません。因みに買われたクラウンは全てHTです。

思うに、セダンというのはやはり主に公用車や法人向けという印象が強く、S120以降は車好きでなくてもクラウン=HTという流れになっていたと思います。世の車全体で見た時、フォーマルかパーソナルかという二択である開発側の発想とは無関係に、クラウンHT=高級車、それはパーソナルでありながらも充分にフォーマルな部類でもあったと。

新しいクラウンは確かによりパーソナルな印象が強くなりましたが、私的にはアウディのそれとは随分と違う印象を持ちます。昔のクラウンを思い浮かべて買う客層も減ってきていると思うので恐らく結構売れるのではと思いますが、クラウンにはもっとフォーマルに振ったパーソナルを感じる車の方が良かったとは思いますけどね。

とはいえ、80歳になろうかという相談役がS210アスリートを選ぶのですから、もはやそういう垣根など無いも同然な気がします。直感的に好きか嫌いか、開発陣の狙い通りにならないのはトヨタ以外を見ればよく分かりますし・・・。
コメントへの返答
2018年7月28日 19:45
こんばんは

クラウンは一度買われると、他車に浮気することなく歴代乗り継がれるという方が多いですね。9代目を飛ばされたというのも理解できるところで、9代目後期でも納得できず、10代目でようやくという感じだったのだろうと思います。販売台数もそんな結果が残っていますし。

クラウンだけでなく、ハイオーナーカーに類されていた全車が、書かれているようなセダンとハードトップの関係にありました。あえてではないと、セダンって新車では選び辛かったです。値落ちが大きいのを逆手に取って、セダンの中古車を選ぶという一部趣味人もいたりしましたが。
ハイオーナーカーのジャンルの時点で、2ドアのパーソナルとは異なり、フォーマルとパーソナルを両立させつつ、比重を変えるとなりますね。

新しいクラウンはパーソナル領域に振りましたが、確かにドイツ車の4ドアクーペ(?)達とはまた異なります。これらはリヤも乗れるが通常は使わないというコンセプトですね。
アリストがGSに転じて、そのGSも現行は初期よりはるかにフォーマルに近づきましたから、既存クラウンユーザーには新鮮に映るかもしれませんし、あるいは待望の表現なのかもしれません。

昔はスポーティを好まなかった父が、迷わず煌を選んだそうですから、ロイヤルからアスリートに移行するのもあまり抵抗はないということとなるのでしょう。その点ではシリーズの垣根を無くした、今回の選択は正しかったように思います(もっともマジェスタまでというのは強引の感アリ)。

初期受注は好調な結果が出ていますが、開発の狙いにある他車からの代替がその内どれぐらいの割合を占めるのかは気になるところです。
2018年8月7日 20:14
おばんです。

そういえば、S120型セダンのワインレッドを見てふと思い出したのですが、1985年にNHKが漫画家・手塚治虫先生の密着取材をした時に
手塚プロ所有の車両もこれでして、手塚先生も後席に乗って仕事をしながら移動をしておりました。
コメントへの返答
2018年8月7日 20:41
こんばんは

1985年にS120型だと、当時の最新ですね。ワインレッドは、前期セダンのイメージカラーでもあり、比較的見かけるカーラーでもありました。
セダンは後席重視でカンパニーカーが主、ハードトップは前席重視でオーナーカーが主という当時の売られ方に沿って、手塚プロも選ばれたのでしょうね。
2018年8月7日 21:50
こんばんは。

ブログに気がつくことが出来なくてごめんなさい。

クラウンの法人イメージは、信頼性と耐久性の高さを証明していると思うので、むしろ誇りにしてほしいです。

7代目のセダンですが、ヘッドライトが先代を引きづっている感じで、後期型になるとハードトップに近いヘッドライトに変更したのを記憶してます。

9代目はハードトップとセダンが極端に違っているので、同じクラウンという見方ができなかったです。
余談ですが、9代目セダンのテールライトですが、6代目セダンに似ていると思いました。

セドリックやクラウンにはじまった4ドアセダンとハードトップのラインアップは、下のクラスに波及して、カローラセダンとセレスが誕生した時は、とうとうここまで来たのかと思いました。
セレスのフォグ一体ヘッドライトはなかなかよかったです。

セレスが出た翌年にワゴンRが誕生します。
頭上空間が大きくなった軽自動車を知ってしまうと、高いお金を払って4ドアハードトップにバカバカしさを感じた人が表れてます。
現行の軽自動車規格で横空間が増えたおかげで、4ドアハードトップが売れなくなったと思います。

自分の中では、いつかはクラウンという気持ちが今も残ってます。
コメントへの返答
2018年8月8日 19:16
こんばんは

こちらこそ、気の向くままの不定期更新で恐れ入ります。

クラウンにおける法人イメージについては同感です。とかくマイナスで語られがちなのですが、プロユースを考慮した設計だからこその長所を謳うべきだと思います。

7代目後期の時点で、セダンはハードトップに近づいていますね。私自身は、シンプルな前期を好ましく思いますが、市場の評価は後期の方が高いようです。

9代目のハードトップは大きな変わり方をしていますから、8代目ベースのセダンには近づけるにも限界が散見できますね。上級グレードのテールは、6代目以来となる縦分割でした。

セダンベースではなくクーペベースで4ドアハードトップを作ったという点で、カリーナEDはやはりエポックな存在だと思います。EDが成功したことで、リヤの居住性の閾値が下がったとも言えます。

最初はスペシャルな存在だったハードトップも、我も我もと押し寄せては、需要を満たした末に飽きられてしまいます。ムーブメントを大事に育てず、短期の商売に走って結局根絶やしにしてしまうのは、今でも変わらない悪しき風習だと思っています。

私も「いつかはクラウン」と思った時代が長く続きましたが、昨今ではクラウン自身がその立ち位置を変えてしまったように受け取っています。

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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