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2019年01月09日

思い出のクルマをカタログで振り返る34(3代目ライトエースバン)

 思い出のクルマをカタログで振り返る34(3代目ライトエースバン)  今年もまた、松の内なる言葉に急かされつつの更新です。
今回は思い出のクルマ、第34回となります。

前回に続いてのバンとなりまして、個人的に思い入れ深いセダン以外にも意外と思い出に残るクルマはあるのだなと思いつつだったりします。ライフスタイル型の乗用車とは異なる形ながらも、身近に存在するのが商用車なのかもしれませんね。

またまた今回も早々にカタログ紹介に入っていくことにいたしましょう。
今回のカタログは、モデルチェンジ当初となる1985年9月版となります。

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1970年(昭和45年)に登場し、1979年(昭和54年)にモデルチェンジを受けた後、1985年(昭和60年)に3代目へと進化したのが、この世代でした。

ワンボックスという成り立ちながらも、乗用車を意識した成り立ちで3年程先行していた2代目タウンエース系のテーマをより一層進めたデザインと言えると思います。強く傾斜したフロントウィンドーが最大の特徴。

同時期のトヨタの乗用車のデザインは、直線から曲線への傾向を強めつつありましたが、こちらは直線基調となります。一般的にワンボックスは、マスの大きい上半身との相対比から下半身が貧弱に映りがちとなりますが、そこをフレア状に折り返すことでデザインの見所の一つとしています。

自分的には、ワンボックスのデザインの中で、比較的高く評価する一台です。


この世代の提案に、スーパーシングルジャストローがありました。
最初の見開きで登場させているのも、同じ理由。

リヤタイヤに小径ダブルタイヤを用いることで、フラットかつ低床の荷台をトラック界で提案したのは、フラットローと名付けたいすゞ。ワンボックスバンで取り入れたのは、マルチバンと名付けたマツダが先駆けでした。トヨタはジャストローと名付けて、先行社の後を追った形でしたが、扁平率50%のシングルタイヤを用いて、改良を行うというのが、このメーカーらしいところ。

当時、日本の乗用車におけるタイヤの扁平率は、60%までが認められていて、55%や50%は商品化はされていたものの、新車装着は認められていない状況にありました。その理由には、暴走族を助長することになるから、というのが掲げられていました。12.5インチという、従前には存在しなかった何とも中途半端なサイズの設定も、どうやら同じ背景のようで、族車に流用させないことを狙っていたようです。



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続いては、これまでの主流であるハイルーフタイプをリヤビュー中心に掲載。
フロントビュー同様、シンプルながらも要素がよく整理されている、好きに属するデザイン。

ハイルーフ専用のルーフトップまで大きく開くバックドア、乗用車に近いデザインのフロアシフトは、共にタウンエース系に続いての採用となります。

この世代のライトエースで、目新しいなと思ったのは、バックランプをバックゲートに設置することで、ボディ側は小ぶりに纏めたレンズ類のデザインでした。それまでは、縦に長いレンズのデザインが半ば決まり事でしたから、新鮮に映ったものです。



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ボディバリエーション紹介の最後には、標準ルーフとルートバンが掲載されています。

ワンボックスバンは、当初標準ルーフばかりだったものの、ハイルーフが登場すると、ワゴン・バン共に主流はそちらに移っています。そんな中での標準ルーフの選択は、後で紹介する思い出の一台も含めて、駐車場所や立ち寄り先に高さ制限があるから、という理由が大半でした。

屋根の高いクルマが人気というには、昨今の現象とは限らないなんて見方が出来るのかもしれませんね。


カーゴルームのサイドウィンドー部をパネル構成としたルートバンは、標準ルーフが1300と1800ディーゼルに、スーパーシングルジャストローが1500に設定されていました。今ほど、ウィンドーフィルムが普及していなかった当時は、こうしたパネルバンにも一定の需要がありました。



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メカニズムの紹介を主とした見開きです。

ガソリンエンジンは、初代カローラを祖とするK型の排気量アップ版となる1300の4Kと1500の5Kを用意。当時の同排気量の乗用車はA型やE型等の新世代に移行していましたが、縦置きということもあり、商用車にはこちらが長く使われました。

他方、ディーゼルエンジンには、乗用車とも共通する1800の1Cと2000の2Cで用意。走行距離が長く、経済性が重視される商用車ではディーゼル車も多く見かけました。

4リンク式リアサスペンション(今回のカタログでの意外な発見その1)、ラジアルタイヤ、フロント・ベンチレーテッドディスクブレーキの採用は、ワゴンの後追いとは云えども、それまでとは異なる商用車の進化と言えそうです。



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インテリアの紹介頁です。
同時代のスターレットとの共通部品が見出せるかと思います。

タウンエースはセンタークラスター部を縦配列して乗用車風に見せましたが、こちらは横配置を主としています。
ラジオはやや遠い配置となるものの、それ以外はこちらの配置の方が操作性では勝りそうです。

乗用車はATに主流が移りつつありましたが、MTが主でさらにグレードにより、コラムシフトとフロアシフトが選択可能でした。コラムが長く残った理由は、前席に3人という需要が多かったからなのでしょうね。



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カタログでは、インテリアの見開きに重なる形でシリーズの紹介頁があります。

3年車検の導入を契機に、バン用途を5ナンバーで対応ということで、このSWが先代末期に追加されています。
ワゴンの上級グレードは、バンとの差別化もあり、外観の意匠等、かなり変更されていましたが、こちらはナンバーが最大の識別点でした。

トラックは、翌年にモデルチェンジを受けているため、この時点では一世代前の2代目となります。
比べてみると、フロントの形状を中心に大きく変わっていることが、ご理解いただけると思います。空間の効率としては2代目、乗用車との近似性や安全性では3代目と言えそうです。何を優先するかで答えは異なってくるという事例の一つですね。



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主要装備一覧と主要諸元表を、本来の順序とは変えて掲載してみます。

機能重視の商用車といえども、一定の装備水準は要求される時代に突入していたため、この時点でSTDの設定はありませんでした。グレードのバリエーションがシンプルになる一方で、エンジンやボディ形状は需要の細分化に応える形で増える一方でした。この直後には、新たに4WDが追加されて、更にバリエーションは増えてもいます。


半ば余談で、今回のカタログでの意外な発見その2の話を少々。
このライトエース、1300と1500が選択可能だったのが長らくの不思議だったのですが、エンジン以外にも最大積載量という大きな違いがあったのですね。なるほどそれならと、私的には納得。両者間の識別点がリヤタイヤにあったというのも、意外な発見。(こうしてカルト以外の何物でもない、役には立ちそうもない知識だけが増えていくと(笑))



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カタログとは年月が異なります(こちらは1986年9月時点です)が、価格表が付属していましたので、ついでながらの掲載。

ガソリン車だと100万円以下が大半。エアコン付きでも、現在の軽商用車と同程度の価格というのは、今よりもクルマが安かった時代ならでは、と言えそうです。



といったところで、私的には意外な発見も多かったカタログでありました。

さて、ここからは思い出話へと続けます。

話はちょうど30年前に遡ります。
私が勤めを始めた最初の職場にあったのが、今回取り上げたライトエースとなります。
仕様としては、白の標準ルーフ 4ドア 3/6人乗りの1300DX。ずっと長い間、1300だったのか1500だったのか分からずでしたが、今回のカタログ入手により1300という判別が出来た次第(笑)

この職場、今もなのかは不明ながら、当時は日産車王国でありまして、特に多かったのが、910ブルーバードセダン1600DX、U11ブルーバードセダン1600L、430セドリックセダンカスタムデラックス。それらが縦2台の機械式駐車場にずらりと並ぶ光景は、それは壮観でありました。

所属に配備されていたのは、まだ1年少々を経過したばかりのライトエースでしたが、更新前に使っていたのは、ブルーバードバンと聞いた記憶がありますので、日産からトヨタへの代替は珍しかったのではないでしょうか。事務所の棚の片隅には、購入検討で取り寄せたことを推測させる、タウンエース、バネット、ボンゴといったワンボックスの競合車に加えて、カローラ、AD、ランサーといったボンネット型のライトバンの同年代のカタログも残っていましたので、これら広くの中から選んだということなのでしょう。ライトエースに決めた理由自体は、結局聞き逃してしまったのですが。

当時のお仕事は、事務所での電話番の他に、専属の方が運転するこのクルマに同乗して地域内の現場に行き、用事を済ませて戻るというのが主なものでした。外出は、午前と午後のどちらか、繁忙期は一日ずっとということもありました。現場は、広くに多くが点在していて、辿り着くためには路地裏や細街路まで入っていくんですね。用途的には、このボディサイズが上限とも感じていました。

事務所に戻ったら、地名の習得も兼ねて、どこを通ったのか地図で再確認したものです。おかげで、この地域内に限っては細街路に渡るまで、頭の中に入りました。その後の開発等により大きく変わった箇所も多いのですが、良く使っていた抜け道に関しては、今でも時折便利に使うことがあります。

先に書いたとおり、専属の運転手さんが一人付いていましたので、たまに出ない時というのは、その間ほぼクルマを磨かれていました。おかげで、雨風関係なく毎日のように使っている経年を経たバンとしては、例外的と断言できるほど綺麗な状態を保っていました。何せ内外装はもちろん、下回りやタイヤハウスの中まで洗っているくらいだったのです。「綺麗にしておかないと、使う方も汚すからな」というのは、よく聞いた話であります。


ワンボックスバンということに加えて、ほぼ空荷状態が常でしたから、同乗者からすると、乗り心地は決していいとは思えませんでした。ほぼ指定席だった後席は、当時のバンらしく、サイズやクッション等、折りたたみ状態を主とした補助的なものでしたから、尚更ですね。休日等に家のクルマで同じところを通った際には、乗り心地の違いを実感したものです。
もっとも、キャブバンでスペースが広かったのはありがたくもありました。たまたま乗った70カローラバンの後席だと、足元はもちろんミドルルーフでも頭上の空間は皆無で、身動きすらほぼ出来ずというくらいだったのです。

今回、カタログを取り寄せて、パワステやAT等も選択可能だったことを知りました。でも、使っていたのは、パワステなしのコラムMTという仕様でした。価格重視かなと推測しつつも、購入の際にこれらは不要という判断もあったのだろうと思います。運転されていたのは、自車では360時代のハイゼットバン(これまた年式を感じさせないくらい綺麗)をお持ちという方でしたし。


このクルマでは、初めての事故も経験しています。それまで、父のクルマに乗っているときには、バンパーの接触くらいで、事故らしい事故というのは全くの未経験だったのです。MX41マークIIの衝撃吸収バンパーは本当に頑丈だったというのは、そんな数少ない経験から得た知識(笑)

話を元に戻して、その事故は諸事情で専属の方が不在の時に、代理の方が運転され、ちょっとした不注意で起こりました。この時には私も同乗していまして、事故の発生は一瞬、そして心底怖いと思いました。当時の身の回りの記憶って、長い時間を経てだいぶ薄らぎましたが、事故の瞬間だけは今でも鮮明に思い出すことができます。

今でも運転していると、路地からの飛び出しがあるかもしれないという身構えがあるのは、この時の経験からですね。

乗員は負傷することもなく、クルマも自走はできる程度で済んだのは、本当に不幸中の幸い。ワンボックスというボディ形状に加えて、後席はシートベルトもありませんでしたから、当たり方次第では、怪我人がいても不思議ではありませんでした。クルマの方はフロントパネルを中心に、残念ながら修復歴有となってしまったのですが。

修理の終了と専属の方が戻られたのが、ほぼ同時だったと記憶するのですが、クルマを見て、悔しそうな表情をしつつも、パネル間の隙間の違いを一瞬で見抜いたのは、さすがではありました。


私はその職場を結局1年で離れ、その後の経緯等は知る由もないのですが、近くを通った際には、つい気になって寄り道をしたことが数回。確か10年前後の経過で、ワンボックス最終型のライトエースバンに代替となっていたように記憶しています。代替以降は、思い出の拠り所が失われたようで、急速に懐かしさも薄らいでしまい、その後はつい寄り道ということもなくなってしまいました。

一般的な見方では、極普通のそこらにあるバンでも、私にとっては色々な意味で思い出深いクルマだったということなんですよね。この1年間で、社会人1年生として学んだことも多々あるのですが、一番思い出すのはライトエースに乗っていた日々となりますし。


この型って、商用車という短命に加えて、NOx法の関係で比較的早期に首都圏からは消えてしまったこともあって、特にバンの方は、ずっと実車を見ていないように思います。

それだけに、今回の振り返りは、ちょっと感傷に浸りそうにもなったりもしまして。
以上、30年という時を経ても、中々セピア色とはならない思い出の一頁の話でありました。
ブログ一覧 | カタログ話(思い出のクルマ編) | クルマ
Posted at 2019/01/09 22:57:09

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この記事へのコメント

2019年1月10日 12:50
こんにちは。
このライトエースには、驚かされました。
商用車なのに、こんなにAピラーが寝ているなんて!

とかく容積命のライトバン。
おそらく寝かせたことで、容積に影響しているかと思います。
(運転席なので、荷室は関係なし?)
しかも、リアサスがリーフではないなんて、これも驚きです。
既存のバンとは、コンセプトが異なりますね。

ひょっとして、基本がワゴンでバンは派生なんでしょうか?
コメントへの返答
2019年1月10日 19:45
こんばんは
相対的にAピラーを寝かせる傾向はあったものの、ここまで一気にやったんだと驚かされたものです。

気になって荷室長を調べてしまいました(笑)
従前はAピラーと連なる形でヘッドライト上部のフロントパネルを傾斜させていたのに対して、こちらはフロントウィンドーの下端を前出ししたということのようで、先代比ではほぼ変わらずでした。
他方、ほぼ同時に一新されたバネットは、先代同士では同等だった荷室長を伸ばしていまして、比較すると短いという差はあったようです。

ワゴンが主だったに同感です。当時の強敵、バネット3兄弟にスタイル重視で挑むという考えだったかもしれませんね。
2019年1月10日 21:41
こんばんは。

私も、かつて勤めていた職場にあったクルマで、やはりナビもなく細い路地を走り回った経験は思い出深いです。特に、就職したての初任地での記憶は鮮明に残っています。

平成14年当時、8年落ちになるEP82スターレットの量販グレードに乗っていて、静粛性や操安性は褒められたものではありませんでしたが、平成10年以前の旧規格の軽自動車を始めて運転したときは、登録車との出来の差に驚かされたものでした。

しかし、小回りが利いて狭隘路では重宝しまして、その経験からクルマは適材適所だと思っています。

この型のライトエースは改良されながら長く作られ結構最近まで見ていた気がしましたがいつの間にか見かけなくなりましたね。通っていた高校にご紹介のモデルが一台あって、志賀高原での高原教室のキャンプファイヤー時に、ヘッドライトで足元を照らしていたのを思い出しました。

逆輸入車になった現行型は以前ほど売れていないのか、以前の型ほど見かけない気がしますが、ボンネットがついたひとつ前の型までK型エンジンが使われていました。最後は1800でEFIになった7K-Eでしたが、初代カローラのK型1100は、ボアピッチやストロークに今より余裕があったんでしょうね。
コメントへの返答
2019年1月10日 22:11
こんばんは

勘と経験から編み出された最速ルートは、ナビでは誘導しなかったりしますしね。土地勘のない地域の路地裏は、常に未知との遭遇で新鮮でした。

今は軽自動車も高性能化しましたが、当時は登録車との差が大きかったように思います。乗車人数が多いと、さらに差が顕著ともなりました。
それでも路地裏ツアラーだと、高速性能は全く不要ですし、操安性より切れ角、スペースよりボディサイズが重要となりますから、用途に応じての適材適所というのは、同感です。

商用車は、一気に風景の一部に溶け込み、そして一気に見かけなくなるように感じます。中には物置として残るものもありますが、それでも極一部の例外を除いてやがては消えゆく運命にありますね。

K型エンジンは、末期は商用車で延命しました。このクラスの乗用車は、横置きばかりとなったことで共用も出来ず、さりとて商用車だけの新開発も出来ずだったのでしょうね。R型エンジンも該当と思いますが、古の基本設計には排気量アップの余地が見出せたのは間違いない所だと思います。
2019年1月10日 22:53
こんばんは

このモデルはバンタイプには縁が無かったのですが、乗用モデルは会社の人が乗っており数回乗せてもらっています。
Aピラーの角度が寝ており、室内の天地も意外と低かったのである意味乗用車的だった記憶があります。
このトラックタイプの一方開きはリアのサイド部までデザインいたり、ウインドウ面積もかなり広く、小型トラックの中でもかなりデザインに拘っていたと思います。
今見てもカッコよいと思います。

社用車を徹底的に磨き上げるのには激しく同意します(笑)
個人所有車は至福の喜びをもたらしてくれますが、社用車(商用車)は現実的にお金を稼いでくれますから大切にされるべきと思っております。

実は私も先日、昔乗っていた商用車のカタログを手に入れました。
アップしたいとは思っていますが出来るかどうかは自信ありません(笑)
コメントへの返答
2019年1月11日 21:30
こんばんは

そう、Aピラーやステアリングの角度が乗用車に近いんですよね。意図的に前席の空間を構築したと思っています。後席からの眺めはワンボックスそのものでしたので、ある意味対照的でもあり(笑)

遅れて登場したトラックもスタイリッシュでしたね。それまでは、ワンボックスをBピラーでぶった切って、リヤに規格品のような荷台を組み合わせたのばかりでしたから、特に一方開きのデザインには驚かされました。レジャーユースで売れるかもと思ったのですが、トラックは今に至るまで中々ブームとはなりませんね。

社用車は専属で使われないと、中々磨くとはならないのかもしれません。社の看板を兼ねているはずでもあるのですが。

最近入手するカタログって、何かしら思い出が絡んでいる気がします。このシリーズは、解説に加えて思い出話もということで、作る時は先ず気合を入れてからが常だったりします(笑)
2019年1月12日 10:52
個人的にライトエースは2代目が印象深いですが、僅か6年の製造期間だったのですね。
3代目は私の好きなディーゼルグレードこそ充実しましたが、目新しいのは2ndシート横向き位で、2代目のフロアシフトや上位グレードのGXL設定に始まり、7人乗りの最上位グレードFXV設定まで、矢継ぎ早のアップデートが印象深いです。
デザイン的にも80年前後のモノがシックリくるタチで、これは日産ラルゴも初代が一番しっくり来ます。
時代的にもワンボックスをRVに使おうとした始まりの時期で、各社伸び代も高かったのも影響してるでしょう。
3代目ライトエースの時代になると、所謂ミニバンへの模索も始まっていた時期で、2代目の様な「ワンボックスの明るい未来」も霞がちだったと言うのは穿ち過ぎでしょうか。

そこへ行くと米欄にあるトラックこそ、この3代目での新しい挑戦でした。
もっとも成功したかは(?)ですが(笑)

興味深いのはディーゼルの1Cと2Cの併売ですね。
ガソリン車ではよくある排気量違いの併売もディーゼルではNA/ターボの差別化はあっても排気量違いの併売はあまり例がありません。
90カローラ後期にFFは1C,4WDは2Cと言う時期があった記憶はありますが、こちらはMTとATで。
更に謎なのはトラックでの1C/2Cの搭載基準ですね。
コメントへの返答
2019年1月12日 16:42
ワンボックス系は、乗用車のモデルチェンジが4年周期の時代に6年前後の周期で変わっていますね。2代目のタウンエース系は例外的に長命でしたが、同じくらいの周期でボディパネルが大きく変わっていますし。

以前に2代目のワゴンについて書いていますが、登場一年でのアップデートは直前に買ったユーザーが気の毒になるくらいの規模に映りました。
あの時期は、ワンボックスワゴンのブームが訪れ、バンベースのワゴンは利幅が大きいということもあり、各社が参入して熾烈な競争と大幅な進化が繰り広げられました。その結果、重量の増大に伴う燃費の低下や高価格化がブームを鎮静化させる一因となってしまうのですが。
3代目の時代だと、作り手がセミキャブ等、新時代への仕込みを進める中、買い手はセダンやハッチに(一時的に)回帰していますね。その分、伸び代が減ったには同感です。4WDやパノラマ系のルーフが新たな提案かとは思います。

トラックは、バンがRVになるならこちらも…という提案型ですよね。法規の制約はありそうなものの、ダブルキャブだったらまた違っていたのかもしれません。

この時代の商用車は、積載量やボディ長の違いも絡んで、排気量違いが細かく設定分けされていますね。
この価格表のトラックは、2代目の末期となりますが、4Kと1Cはショートの750kg積、1Yと2Cはロングの850kg積となるようです。ディーゼル追加時は共に1Cだったものの、最後の1年でロングのみ2Cに変更という経緯のようですね。
2019年1月12日 23:56
スーっと街から消えた車ですね。
私が小学生のころは既に改良後の丸っこい型ばかりみかけましたが、まさか上級グレードにコイルサス仕様があるとは思いも拠りませんでした。当時のワンボックス系は乗用でもリーフリジッド仕様があるくらいでしたので「ソフトバン」とは攻めたコンセプトですね。働く人も3K(1200ccではない方の)職場が敬遠され運転の快適性や積む荷物の性格の変化(高級化?)にも対応しようとしたのでしょうか。乗るとぜんぜん違ったことでしょうね。
コメントへの返答
2019年1月13日 7:16
商用車は償却が早いですしね。今はモデルチェンジの間隔が長くなっていますので、尚更気付いた時には・・・の感があります。
コイルサス仕様は、私も未知でした。調べてみたところ、この型はSWもこちらのようで、攻めているなぁと。積載量もリーフサス仕様と同一なんですよね。
推測ですが、ワゴンとの統一も可能な移行を軽量級から模索していたのかもしれませんね。その後、タウンエースとの統合時にリーフサスに戻ってしまうのですが。
2019年1月15日 18:56
はじめまして(ですよね?もしかしたら昔にお会いしたことがあるかもですが)。
珍しいKMバン系の話題にコメントです。
懐かしく同意できる事項多数です。
当時は普及車としてはDX。GLは殆ど見かけませんでした。
装備品はエアコンとパワステ位で。
5KのエンジンをコラムMTで操って街中を流していたのは懐かしい思い出です。
今ほど排気ガス関係の装置が付いていませんでしたので、吹け上がりや追随性も良いものでした。
後年はシールが悪いのかフロントとリヤの窓枠下から流れる錆が定番でした。
安全性はともかく、四角い薄い車体で積載性は良く安価で、と津々浦々で見かけました。
排気ガス規制の関係で一気に無くなりましたね。
そんな昔の思い出が忘れられず、今も縁あってワゴンXL-7グレードを温存しています。8人乗りワゴンなのにリヤ全てのシートを畳んでバン代わりに使えるという貨客兼用車。
取り留めのない話と、書かれて日が経ったブログにコメントで失礼致しました。
コメントへの返答
2019年1月15日 21:00
愛車紹介を拝見しましたところ、こちらでははじめまして、となるようです。
コメントをありがとうございます。時の話題と無縁な内容が殆どですので、タイミングは気になさらずということで。

お題のライトエースバンですが、確かにハイエースのようなバンの上級グレード需要は少なく、大半がDXだったように記憶します。乗用車が先行した排ガス規制や安全対策も、商用車はまだまだ緩かった時代で、素の良さが味わえた末期だと思っています。この後は触媒やインジェクションが付くようになりますね。
ライトエースワゴンは、2代目の後半以降、中間グレード以下で乗貨兼用の提案をしていて、XL-7はその中の一つでしたね。このシートアレンジは、初代ステップワゴンのポップアップシートの由来だと思っています。この型では、他にもスペースカジュアルという提案もありました。
バン・ワゴン共に、気付いた時には見かけなくなっていたクルマの一台であり、今では懐かしいと当時を思い出すのに十分な存在となったと思います。
2019年1月15日 23:24
こんばんはー。

渋い路線でいかれるなぁと思ったら、思い出深い車だったのですね。確かに私の入社時も社用車の多くがパワステなしでした。そして後輪がダブルタイヤでしたね。今じゃ0.75~1トンクラスのトラックだとダブルタイヤがみんな大きな径のシングルタイヤに切り替わり、荷台の高さが高いので年配の営業マンなんかには凄く不評です。

私はこのライトエースではなくタウンエースとマスターエースが好きだったのを覚えています。セリカXXと同じアルミを履いていたグレードがあって、中学校の先生が乗っていてちょっと羨ましかったです。カタログも持っていましたが、ライトエースにもあのアルミを履いたグレードがあったような・・・。
コメントへの返答
2019年1月16日 20:07
こんばんは

ちょうど30年という事で取り上げてみました。
商用車はパワステの普及が遅かったですから、自家用車と比べる方は一様に重いという感想でした。当時は、タイヤハウスのない荷台の要望も多かったのでしょうね。一時期はバリエーションが増えたのですが、今ではかなり集約されてしまいました。

2代目タウンエースとマスターエースって、初見の時にワンボックスでもここまでカッコ良くなるんだと驚いたクルマです。セリカXXと同じ14インチのアルミは、上級グレードのみ設定されていました。中級以下は、ライトエースと共に同時期の13インチの方になります。あのアルミも、スタイルの引き立てに一役担っていましたね。
2020年4月14日 12:36
こんにちは。

今さらながら、懐かしいのでコメントさせていただきます。
ライトエースは、どちらかといえばトラックを多く運転しました。
コラムマニュアルですが、ラフな操作をしてもエンストしない扱い安い車です。

運転席を外す時は、外のホイールハウスにボルトがあるので、そこを緩めてシートを外しました。

1300があったのを思い出しました。
ポイント点火で、パワステ無しでした。

パワステは1300除いたオプション設定ですが、ほとんどが装置してました。

いろいろな車を運転した経験で、ライバルのバネットと比べると、パワステ無しの話ですが、ステアリングの戻りがきついです。エンジンの音が大きいです。
ドングリの背比べですが、パワー感もトヨタの方が良かったのかもしれません。

幸いな事に、ハイゼット360を運転した経験があるので、ライトエースのパワステ無しでも快適だったと思います。
コメントへの返答
2020年4月14日 21:05
こんばんは

30年経過ですから、懐かしいの類となりますよね。
今はこのサイズのトラックを見かける機会も減りましたが、当時は個人商店的な所を主に結構見かける頻度は高かったように記憶しています。

キャブオーバーのエンジンご対面は、クルマによっても手順が違い、知恵の輪的な感がありますね。外のボルトとなると、取扱書がなければ初見では中々辿り着けないですよね。

話を書いた当時はパワステが普及する過渡期で、装備しないクルマも廉価グレード中心にまだ出回っていました。自家用車等でパワステに慣れている人がノンパワーに乗ると、決まっての第一声は「ハンドルが重い」だったことを思い出します。用途からして路地裏に入り込むことが多かったから尚更ですね。

私自身はトヨタ・ニッサンの両車共に運転する機会を持たずですので、詳細な印象としては語れません。アシスト機能を持たないダイレクトな運転感覚を経験しておけばよかったなと今更ながらに思います。この先はもっと難しいのは間違いないですから。

専属の運転手さん、職場のクルマながら本当に大事にされていました。きっと自分のクルマと同じ思いで乗っていたのでしょうね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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