
今年もまた、松の内なる言葉に急かされつつの更新です。
今回は思い出のクルマ、第34回となります。
前回に続いてのバンとなりまして、個人的に思い入れ深いセダン以外にも意外と思い出に残るクルマはあるのだなと思いつつだったりします。ライフスタイル型の乗用車とは異なる形ながらも、身近に存在するのが商用車なのかもしれませんね。
またまた今回も早々にカタログ紹介に入っていくことにいたしましょう。
今回のカタログは、モデルチェンジ当初となる1985年9月版となります。
1970年(昭和45年)に登場し、1979年(昭和54年)にモデルチェンジを受けた後、1985年(昭和60年)に3代目へと進化したのが、この世代でした。
ワンボックスという成り立ちながらも、乗用車を意識した成り立ちで3年程先行していた2代目タウンエース系のテーマをより一層進めたデザインと言えると思います。強く傾斜したフロントウィンドーが最大の特徴。
同時期のトヨタの乗用車のデザインは、直線から曲線への傾向を強めつつありましたが、こちらは直線基調となります。一般的にワンボックスは、マスの大きい上半身との相対比から下半身が貧弱に映りがちとなりますが、そこをフレア状に折り返すことでデザインの見所の一つとしています。
自分的には、ワンボックスのデザインの中で、比較的高く評価する一台です。
この世代の提案に、スーパーシングルジャストローがありました。
最初の見開きで登場させているのも、同じ理由。
リヤタイヤに小径ダブルタイヤを用いることで、フラットかつ低床の荷台をトラック界で提案したのは、フラットローと名付けたいすゞ。ワンボックスバンで取り入れたのは、マルチバンと名付けたマツダが先駆けでした。トヨタはジャストローと名付けて、先行社の後を追った形でしたが、扁平率50%のシングルタイヤを用いて、改良を行うというのが、このメーカーらしいところ。
当時、日本の乗用車におけるタイヤの扁平率は、60%までが認められていて、55%や50%は商品化はされていたものの、新車装着は認められていない状況にありました。その理由には、暴走族を助長することになるから、というのが掲げられていました。12.5インチという、従前には存在しなかった何とも中途半端なサイズの設定も、どうやら同じ背景のようで、族車に流用させないことを狙っていたようです。
続いては、これまでの主流であるハイルーフタイプをリヤビュー中心に掲載。
フロントビュー同様、シンプルながらも要素がよく整理されている、好きに属するデザイン。
ハイルーフ専用のルーフトップまで大きく開くバックドア、乗用車に近いデザインのフロアシフトは、共にタウンエース系に続いての採用となります。
この世代のライトエースで、目新しいなと思ったのは、バックランプをバックゲートに設置することで、ボディ側は小ぶりに纏めたレンズ類のデザインでした。それまでは、縦に長いレンズのデザインが半ば決まり事でしたから、新鮮に映ったものです。
ボディバリエーション紹介の最後には、標準ルーフとルートバンが掲載されています。
ワンボックスバンは、当初標準ルーフばかりだったものの、ハイルーフが登場すると、ワゴン・バン共に主流はそちらに移っています。そんな中での標準ルーフの選択は、後で紹介する思い出の一台も含めて、駐車場所や立ち寄り先に高さ制限があるから、という理由が大半でした。
屋根の高いクルマが人気というには、昨今の現象とは限らないなんて見方が出来るのかもしれませんね。
カーゴルームのサイドウィンドー部をパネル構成としたルートバンは、標準ルーフが1300と1800ディーゼルに、スーパーシングルジャストローが1500に設定されていました。今ほど、ウィンドーフィルムが普及していなかった当時は、こうしたパネルバンにも一定の需要がありました。
メカニズムの紹介を主とした見開きです。
ガソリンエンジンは、初代カローラを祖とするK型の排気量アップ版となる1300の4Kと1500の5Kを用意。当時の同排気量の乗用車はA型やE型等の新世代に移行していましたが、縦置きということもあり、商用車にはこちらが長く使われました。
他方、ディーゼルエンジンには、乗用車とも共通する1800の1Cと2000の2Cで用意。走行距離が長く、経済性が重視される商用車ではディーゼル車も多く見かけました。
4リンク式リアサスペンション(今回のカタログでの意外な発見その1)、ラジアルタイヤ、フロント・ベンチレーテッドディスクブレーキの採用は、ワゴンの後追いとは云えども、それまでとは異なる商用車の進化と言えそうです。
インテリアの紹介頁です。
同時代のスターレットとの共通部品が見出せるかと思います。
タウンエースはセンタークラスター部を縦配列して乗用車風に見せましたが、こちらは横配置を主としています。
ラジオはやや遠い配置となるものの、それ以外はこちらの配置の方が操作性では勝りそうです。
乗用車はATに主流が移りつつありましたが、MTが主でさらにグレードにより、コラムシフトとフロアシフトが選択可能でした。コラムが長く残った理由は、前席に3人という需要が多かったからなのでしょうね。
カタログでは、インテリアの見開きに重なる形でシリーズの紹介頁があります。
3年車検の導入を契機に、バン用途を5ナンバーで対応ということで、このSWが先代末期に追加されています。
ワゴンの上級グレードは、バンとの差別化もあり、外観の意匠等、かなり変更されていましたが、こちらはナンバーが最大の識別点でした。
トラックは、翌年にモデルチェンジを受けているため、この時点では一世代前の2代目となります。
比べてみると、フロントの形状を中心に大きく変わっていることが、ご理解いただけると思います。空間の効率としては2代目、乗用車との近似性や安全性では3代目と言えそうです。何を優先するかで答えは異なってくるという事例の一つですね。

主要装備一覧と主要諸元表を、本来の順序とは変えて掲載してみます。
機能重視の商用車といえども、一定の装備水準は要求される時代に突入していたため、この時点でSTDの設定はありませんでした。グレードのバリエーションがシンプルになる一方で、エンジンやボディ形状は需要の細分化に応える形で増える一方でした。この直後には、新たに4WDが追加されて、更にバリエーションは増えてもいます。
半ば余談で、今回のカタログでの意外な発見その2の話を少々。
このライトエース、1300と1500が選択可能だったのが長らくの不思議だったのですが、エンジン以外にも最大積載量という大きな違いがあったのですね。なるほどそれならと、私的には納得。両者間の識別点がリヤタイヤにあったというのも、意外な発見。(こうしてカルト以外の何物でもない、役には立ちそうもない知識だけが増えていくと(笑))
カタログとは年月が異なります(こちらは1986年9月時点です)が、価格表が付属していましたので、ついでながらの掲載。
ガソリン車だと100万円以下が大半。エアコン付きでも、現在の軽商用車と同程度の価格というのは、今よりもクルマが安かった時代ならでは、と言えそうです。
といったところで、私的には意外な発見も多かったカタログでありました。
さて、ここからは思い出話へと続けます。
話はちょうど30年前に遡ります。
私が勤めを始めた最初の職場にあったのが、今回取り上げたライトエースとなります。
仕様としては、白の標準ルーフ 4ドア 3/6人乗りの1300DX。ずっと長い間、1300だったのか1500だったのか分からずでしたが、今回のカタログ入手により1300という判別が出来た次第(笑)
この職場、今もなのかは不明ながら、当時は日産車王国でありまして、特に多かったのが、910ブルーバードセダン1600DX、U11ブルーバードセダン1600L、430セドリックセダンカスタムデラックス。それらが縦2台の機械式駐車場にずらりと並ぶ光景は、それは壮観でありました。
所属に配備されていたのは、まだ1年少々を経過したばかりのライトエースでしたが、更新前に使っていたのは、ブルーバードバンと聞いた記憶がありますので、日産からトヨタへの代替は珍しかったのではないでしょうか。事務所の棚の片隅には、購入検討で取り寄せたことを推測させる、タウンエース、バネット、ボンゴといったワンボックスの競合車に加えて、カローラ、AD、ランサーといったボンネット型のライトバンの同年代のカタログも残っていましたので、これら広くの中から選んだということなのでしょう。ライトエースに決めた理由自体は、結局聞き逃してしまったのですが。
当時のお仕事は、事務所での電話番の他に、専属の方が運転するこのクルマに同乗して地域内の現場に行き、用事を済ませて戻るというのが主なものでした。外出は、午前と午後のどちらか、繁忙期は一日ずっとということもありました。現場は、広くに多くが点在していて、辿り着くためには路地裏や細街路まで入っていくんですね。用途的には、このボディサイズが上限とも感じていました。
事務所に戻ったら、地名の習得も兼ねて、どこを通ったのか地図で再確認したものです。おかげで、この地域内に限っては細街路に渡るまで、頭の中に入りました。その後の開発等により大きく変わった箇所も多いのですが、良く使っていた抜け道に関しては、今でも時折便利に使うことがあります。
先に書いたとおり、専属の運転手さんが一人付いていましたので、たまに出ない時というのは、その間ほぼクルマを磨かれていました。おかげで、雨風関係なく毎日のように使っている経年を経たバンとしては、例外的と断言できるほど綺麗な状態を保っていました。何せ内外装はもちろん、下回りやタイヤハウスの中まで洗っているくらいだったのです。「綺麗にしておかないと、使う方も汚すからな」というのは、よく聞いた話であります。
ワンボックスバンということに加えて、ほぼ空荷状態が常でしたから、同乗者からすると、乗り心地は決していいとは思えませんでした。ほぼ指定席だった後席は、当時のバンらしく、サイズやクッション等、折りたたみ状態を主とした補助的なものでしたから、尚更ですね。休日等に家のクルマで同じところを通った際には、乗り心地の違いを実感したものです。
もっとも、キャブバンでスペースが広かったのはありがたくもありました。たまたま乗った70カローラバンの後席だと、足元はもちろんミドルルーフでも頭上の空間は皆無で、身動きすらほぼ出来ずというくらいだったのです。
今回、カタログを取り寄せて、パワステやAT等も選択可能だったことを知りました。でも、使っていたのは、パワステなしのコラムMTという仕様でした。価格重視かなと推測しつつも、購入の際にこれらは不要という判断もあったのだろうと思います。運転されていたのは、自車では360時代のハイゼットバン(これまた年式を感じさせないくらい綺麗)をお持ちという方でしたし。
このクルマでは、初めての事故も経験しています。それまで、父のクルマに乗っているときには、バンパーの接触くらいで、事故らしい事故というのは全くの未経験だったのです。MX41マークIIの衝撃吸収バンパーは本当に頑丈だったというのは、そんな数少ない経験から得た知識(笑)
話を元に戻して、その事故は諸事情で専属の方が不在の時に、代理の方が運転され、ちょっとした不注意で起こりました。この時には私も同乗していまして、事故の発生は一瞬、そして心底怖いと思いました。当時の身の回りの記憶って、長い時間を経てだいぶ薄らぎましたが、事故の瞬間だけは今でも鮮明に思い出すことができます。
今でも運転していると、路地からの飛び出しがあるかもしれないという身構えがあるのは、この時の経験からですね。
乗員は負傷することもなく、クルマも自走はできる程度で済んだのは、本当に不幸中の幸い。ワンボックスというボディ形状に加えて、後席はシートベルトもありませんでしたから、当たり方次第では、怪我人がいても不思議ではありませんでした。クルマの方はフロントパネルを中心に、残念ながら修復歴有となってしまったのですが。
修理の終了と専属の方が戻られたのが、ほぼ同時だったと記憶するのですが、クルマを見て、悔しそうな表情をしつつも、パネル間の隙間の違いを一瞬で見抜いたのは、さすがではありました。
私はその職場を結局1年で離れ、その後の経緯等は知る由もないのですが、近くを通った際には、つい気になって寄り道をしたことが数回。確か10年前後の経過で、ワンボックス最終型のライトエースバンに代替となっていたように記憶しています。代替以降は、思い出の拠り所が失われたようで、急速に懐かしさも薄らいでしまい、その後はつい寄り道ということもなくなってしまいました。
一般的な見方では、極普通のそこらにあるバンでも、私にとっては色々な意味で思い出深いクルマだったということなんですよね。この1年間で、社会人1年生として学んだことも多々あるのですが、一番思い出すのはライトエースに乗っていた日々となりますし。
この型って、商用車という短命に加えて、NOx法の関係で比較的早期に首都圏からは消えてしまったこともあって、特にバンの方は、ずっと実車を見ていないように思います。
それだけに、今回の振り返りは、ちょっと感傷に浸りそうにもなったりもしまして。
以上、30年という時を経ても、中々セピア色とはならない思い出の一頁の話でありました。