
1975年のカローラのカタログをお題にした雑談ですが、数えてみると、もう45年も前になることに気づきました。リアルタイムで体験されているのは、確実にアラフィフ以上の世代ですよね。その下の世代だと、年数を経てからの印象。
ここを見られている方は知識豊富な方が多いので、お若くても話についてゆけるとなるのでしょうけれど。
それにしても45年も前なのに、結構、私的には記憶鮮明だったりするのが不思議です。むしろ、21世紀以降の体験の方が年数等、曖昧だったり(笑)
それでは、急遽、前・後に分けることを決めた雑談の後編に入っていきます。
ここからはグレード別の紹介となります。
先ずはデラックスから。
登場当初は最上級だったデラックスも、このカタログでは1200が外されていることもあって、最もベーシックなグレードとなります。
1200だと12インチのタイヤとホイールが、1200でも13インチとなるハイデラックスとの外観上の何より判り易い識別点となるのですが、1400以上はデラックスも13インチとなるため、フェンダーのグレードエンブレムぐらいが識別点となります。
1600デラックスは、排ガス対策で低下した出力を補うためか、50年規制時に追加されたグレードとなります。同じデラックスでも1400はフロントドラムブレーキですが、1600だとフロントディスクブレーキに格上げ。1200はブースター無で1400はブースター付という違いもあって、動力性能&車重に応じた設定分けのようです。
ブレーキの違いは結構大きな差に思いますが、低級グレードにはフロントドラムが残るというのは、カローラに限らず同級他車にも見受けられる設定ではありました。
ファミリーカーなら既にハイデラックスが選ばれることが多かったですし、営業車なら1200という具合で、1400以上のデラックスって意外と少なかったように記憶しています。
続いてはSLです。
50年規制が始まるまでは、ツインキャブエンジンを搭載ということで、グレード名Sporty&Luxuryの内、前者の意味合いが強かったのですが、これ以降はシングルキャブで統一されるため、後者の意味合いが強くなります。
コロナでは、GLとSLはどちらかだけが標準の装備が多く、並行の設定を思わせるものでしたが、カローラは前回書いたとおり、通発レザーとなるシート地以外はSLの方がハイデラックスよりも上級の設定でした。
グレードエンブレムの他にタルボ型ミラー&キャップレスホイールが外観の特徴で、若いユーザーがまだまだ多かった時代、ハイデラックスよりは確実に少ないものの、意外と見かける仕様でもありました。
グレード別の最後は、GSL&SRとなります。
GSLは、この代に初めて追加されたラグジュアリー系の最上級グレードでした。カローラのユーザーが上級移行を望まれた時に他店への流失を防ぐ切り札的存在というのが主な役割。あるいは、カローラで一番高いのを持ってこいと言われた時用。
後で装備一覧をご確認いただけると解り易いかな、ですが、基本線はSLの延長ながら微妙に上級を意識した仕様となっています。後の中核となるグレード、SEの原点と言ってもいいでしょうね。
モデルチェンジ当初は2ドアセダンも選べたのですが、この時点では4ドアとハードトップのみに絞られています。
SLとはホイールリングが識別点。加えてハードトップではサイドストライプも、となります。この時代のホイールリングは、アルミホイールがまだまだ高かった時代にあって、その代用となるドレスアップアイテムでしたから、後付でつけられる方も多かったですけれどね。
父の友人の一人は、未対策のスプリンターセダン1200STを駆け込みで買われ、早々に社外品のホイールリングを装着していたことを記憶しています。
もう一つのSRは、当初からハードトップのみの設定。
GSLがスポーティでありながら豪華も役割とする一方で、豪華装備は省いて走りを重視したグレードとなります。もちろんSRもシングルキャブに変更されていますから、装い程は速くないとなるのですけれどね。コロナは50年規制でSRが落とされていますから、残っただけでも吉報ではあり。
細かい変更ですが、当初はレビンと共通の砲弾型ミラーがこの時点で、SL&GSLと共通のタルボ型ミラーに部品統合されていたりします。
1600は税金が高いこともあって、どちらもSLよりは少なかったように記憶するのです。GSLよりSRの方がむしろ多かったかもしれません。例外なく若い方だったなと。
有名な話だと思うのですが、念のため。
この時点でレビンは落とされています。中期以降は、SR共々、スプリンターとの共用となったクーペに移行。ハードトップのDOHCは、この代では前期のみでした。
左頁はセダンのグレード別一覧です。
内装でグレードが分けられていたのが一目瞭然かなと。
内装色の関係もありますが、デラックスはやはり簡素で、ハイデラックスに背伸びしたくなる、が当時の主な動向でした。
ここでマニア視点を一つ。シートパターンは、デラックス系が縦模様で、SL・GSLは横模様となっています。実はスプリンターでは、ST・GSを共通にする一方、DXとXLも横模様でシート地もカローラとは別とされています(スプリンターの画像は、下記リンク先のエクストラインテリアの回に掲載)。
セダンの外装色は、当初設定のあったフォーチュンターコイズMとフェイバリットブルーの2色が落とされ、その替わりにイエローブロッサムが追加されています。この変更は、新型車解説書では50年規制適合時とされているのですが、実は一足早い50年4月発行のカタログで入替がされていて、私的謎の一つとなっています。
クリスタルシルバーMもシルバーボーグMからの変更となりますが、これは125というカラーコードからすると、マークIIやコロナに設定されていたシルバーへの統合となるようです。さらに、コンパニオンブラウンとスプレンダーブラウンMは、名称は同じながらもカラーコードは変更有。何とも細かい変遷なのです。
右頁は装備類の紹介です。
ウォーニングランプには、新たな装備となる触媒の過熱を知らせる「排気温」が追加されています。ドアトリムも当初はSLとGSLのみ上部と下部で色を変えていましたが、ハイデラックス用の単色に仕様統合されたようです。
カーステレオは8トラックとカセットの両方が選択可能でした。既に主流はカセットに移行していた時期となります。
エアコンはインパネにビルトイン可能なタイプ。先代までの冷房はダッシュ下部にクーラー単体を吊り下げるタイプでしたから、見た目を筆頭に大きな進歩でした。子供心には豪華さの象徴の一つでもあり。この代だと、純正よりお安い社外品の吊り下げクーラーを装着する車も多く見かけましたけれどね。
左頁は主要装備一覧です。
おそらく表示価格の関係からか、グレード別だけでなく、排気量によっても差異が付けられていました。
右頁はハードトップのグレード別一覧となります。
シート地&ステアリングホイールのデザインで印象を変えることができる。そんな実例かと思います。今はエアバッグやステアリングスイッチという新たな要件が加わり、変更も難しくなっています。
ミッションは全てマニュアルで掲載。この時代、カローラだとATの比率は1割程度だった筈です。この代で初めて3速ATが1400以上に導入されていて、当初の1400は2速ATと3速ATが選択可能でした。仕様統合で1400以上は3速ATのみとされています。
ハードトップの外装色もセダン同様、フォーチュンターコイズMが落ちて、イエローブロッサムが増えています。
裏表紙は、主要諸元表です。
全長3,995mmは、今のコンパクトカー並み。全幅1,570mmは、軽自動車とコンパクトカーの中間くらいとなりますね。このサイズで3ボックスが成立していたのですから、今とは隔世の感があります。今のカローラは、全長+500mm、全幅だって+200mm近く大きくなっています。
その事で得たものと失われたもの、答えは皆さんで判断されるべきものでしょうね。
今ではモビリティ東京に統合されてしまった、かつてのトヨタ東京カローラの営業所一覧も掲載されています。統合に伴い、移転や閉鎖も相次ぎましたから、今でも残る営業所を探してみるのも一興かもしれません。
といったところでいかがだったでしょうか。
この代の概要や背景については、
6・7代目の開発責任者である斎藤明彦氏が2・3代目の開発責任者である佐々木紫郎氏にインタビューしている内容が、とても参考になりますので、リンクを張ることで私からは略といたします。
次に、今回取り上げたカタログには、当時の主力だった1200が掲載されていないことの理由を書いてしまいます。1200だけ別カタログではありませんよ。
実は50年規制への適合の際にシリーズから落ちたのは、レビンだけではなかったのです。1200も50年規制への適合が行われず、一時的に販売リストから落ちていました。1200は、少し遅れた1976年2月に51年規制に適合する形で復活していたりします。その直前には、1600に触媒を用いないTTC-Lを採用して51年規制に適合したシリーズが追加。新たにTTC-C名が付けられた触媒付1600は、1年足らずで51年規制に適合と、期限の限られた規制適合に向けて、目まぐるしい動きとなっていきます。
こうした排ガス適合以外にも、リフトバックやエクストラインテリア(関連話は
こちら)の追加がこの時期に行われていて。もちろんカタログも変更の都度、改訂が入っています。
今回ご紹介したカタログは、そんな過渡期の少し珍しいものということで。
この時期だと、ビッグカリーナへの1800追加も急遽を確信させるに足るものですし、以前に取り上げた
コロナやマークIIの1800もその内の一つとなるのですけれどね。
ご紹介はこのくらいにして、ここからは思い出話を書いていきます。
カローラはベストセラーを続けていた時期でしたから、この代もご近所・知り合い等、何かと見かける機会の多いクルマでありました。極普通に映りこむ当時の風景の一部ですよね。
そんな中でも思い出深いのは、2台の4ドア1200ハイデラックスなのです。
1台目は、お隣で買われた未対策のシルバー。
それまでは、初代の最初期型のデラックスに乗られていて。この初期型、赤いボディカラーはすっかり艶が失われた状態。錆びたところにはステッカーという具合で、所謂オンボロ。子供心には少々怖くすらありました。
逆算すると10年も経っていなかったはずですけれど、当時は塗装の耐久性が今とは段違いでしたからね。
30の4ドアは、父が2代目マークIIを買った伝手を使って、未対策車の新古車を探してきたと記憶しています。
草臥れ果てた状態の初代からすると、3代目って、これが同じカローラなの?って驚かされるクルマでした。先ず4ドアだし、スタイルも何となく寸詰まりだった感じはなくなって、クルマらしくなった。ラウンド形状のインパネ、フルになったドアトリム、シートだって立派に映り。それらは、向かいの家の20カローラ中期ハイデラックスと比べても明らかな違いだったのです。
ここは推測ですけれど、コロナとの車格差を感じるものはあっても、カリーナとなら然程見劣りはしなかった、そんな感じなのではないでしょうか。今視点からすると、些細な差であることも事実なんですけれどね。
「カローラがここまで立派になったのか」という印象は、歴代だとこの3代目、6代目、9代目に強く感じていて、私が高く評価する理由の一つでもあるのです。その裏には、高品質の追求とか多品種を細かく作り分ける采配が必ず存在していたりもしますし。
(誤解を招かないように補足すると、高品質の頂点は7代目であり恐らく空前絶後。ただ前代からの飛躍という点では、この3代を挙げるということなのです。)
お隣とは仲が良くて、この30カローラも何度か乗せて貰ったかな。お隣はその後、会社の車を持ち帰られることが多くなったため、カローラを手放され、父の友人の実家に移ることになります。
もう一台は、お隣が手放されたのと時期あまり変わらずで、関りをもつようになった51年対策のグリーン。
これも父の紹介が発端。マークIIグランデ(前期5速のカッパー)の中古車を買われた方の下取りでした。こちらは、父が乗り叔父が引き継いだ初代マークIIの後釜に収まりました。社外品のカセットが記憶に残るのですが、確か純正エアコンも付いていたような。
叔父は数年乗った後、大きな車に戻りたいということで、父の2代目マークIIを引き継ぐことになり。
当然、このカローラの買い手を探すことになるのですけれど、6年落ちの時点でトヨタの中古車店では下取りは厳しいとの宣告だったようです。実際、トヨタの看板を掲げた店頭に並ぶのは既に中期以降であり、前期は良くて業販、少しでも条件が悪いと容赦なく解体だったのでしょう。
結局、その頃、後期カローラの修理で年中お世話になっていた近所の中古車店(関連話は
こちら)に引き取られるですけれど、ここでも「いつもお世話になっていますし、51年規制の1200ですから何とか」という状態。引取り価格も車検残のみ程度のほぼ底値。加修少々で展示早々に売れていましたけれどね。
ガソリンが高かった時期でもあり、燃費の期待できる1200以外は安いクルマを求める層にも難しいというのが、中古車業界の大方の判断でもありました。
その数年前の段階でも、50年規制適合車や一部の51年規制適合車は、未対策車よりも安くしないと売れないというのが、当時の定評でもありました。そもそも売る方からして、売った後のクレームが怖くて引き取りたがらない、それぐらいの代物であったわけです。業を煮やしたメーカーや販社は、対策金を投じて潰しを始めたという噂も、対象車を変えつつで少なからず存在してもいました。
今回、ご紹介したのは、評判の最悪だった50年規制の適合車ですから、潰しの対象車とされていたであろうことは想像に難しくありません。80年代初頭の時点で、解体屋さんで見かけることは容易でしたし、「この型は(後期で大型化された)バンパーの中古はまだ無理だけれど、(前期と共用の)Fフェンダー等なら中古パーツも容易に見つかる」というのは、同じ頃後期を何度目かの修理する際に、先の中古車屋さんで聞けた話でもありました。
6代目が登場した時点では、後期を含めて大半が街中から消えていたように記憶しています。そういう意味では大量に売れて大量に消費されたクルマとなるのでしょう。長い時間を経た今となっては、歴代の中でも発掘が難しい世代のようにも思います。
それでも、私の中では安全コロナと同じくらい、好きな一台であることは揺らぎません。物心ついた時の体験は何より強烈ということなのでしょう。
以前に書いた言葉を最後に繰り返してみます。
好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。