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2020年07月14日

1975年のカローラのカタログから(後編)

1975年のカローラのカタログから(後編) 1975年のカローラのカタログをお題にした雑談ですが、数えてみると、もう45年も前になることに気づきました。リアルタイムで体験されているのは、確実にアラフィフ以上の世代ですよね。その下の世代だと、年数を経てからの印象。
ここを見られている方は知識豊富な方が多いので、お若くても話についてゆけるとなるのでしょうけれど。

それにしても45年も前なのに、結構、私的には記憶鮮明だったりするのが不思議です。むしろ、21世紀以降の体験の方が年数等、曖昧だったり(笑)

それでは、急遽、前・後に分けることを決めた雑談の後編に入っていきます。



ここからはグレード別の紹介となります。
先ずはデラックスから。

登場当初は最上級だったデラックスも、このカタログでは1200が外されていることもあって、最もベーシックなグレードとなります。

1200だと12インチのタイヤとホイールが、1200でも13インチとなるハイデラックスとの外観上の何より判り易い識別点となるのですが、1400以上はデラックスも13インチとなるため、フェンダーのグレードエンブレムぐらいが識別点となります。

1600デラックスは、排ガス対策で低下した出力を補うためか、50年規制時に追加されたグレードとなります。同じデラックスでも1400はフロントドラムブレーキですが、1600だとフロントディスクブレーキに格上げ。1200はブースター無で1400はブースター付という違いもあって、動力性能&車重に応じた設定分けのようです。
ブレーキの違いは結構大きな差に思いますが、低級グレードにはフロントドラムが残るというのは、カローラに限らず同級他車にも見受けられる設定ではありました。

ファミリーカーなら既にハイデラックスが選ばれることが多かったですし、営業車なら1200という具合で、1400以上のデラックスって意外と少なかったように記憶しています。





続いてはSLです。

50年規制が始まるまでは、ツインキャブエンジンを搭載ということで、グレード名Sporty&Luxuryの内、前者の意味合いが強かったのですが、これ以降はシングルキャブで統一されるため、後者の意味合いが強くなります。

コロナでは、GLとSLはどちらかだけが標準の装備が多く、並行の設定を思わせるものでしたが、カローラは前回書いたとおり、通発レザーとなるシート地以外はSLの方がハイデラックスよりも上級の設定でした。

グレードエンブレムの他にタルボ型ミラー&キャップレスホイールが外観の特徴で、若いユーザーがまだまだ多かった時代、ハイデラックスよりは確実に少ないものの、意外と見かける仕様でもありました。





グレード別の最後は、GSL&SRとなります。

GSLは、この代に初めて追加されたラグジュアリー系の最上級グレードでした。カローラのユーザーが上級移行を望まれた時に他店への流失を防ぐ切り札的存在というのが主な役割。あるいは、カローラで一番高いのを持ってこいと言われた時用。

後で装備一覧をご確認いただけると解り易いかな、ですが、基本線はSLの延長ながら微妙に上級を意識した仕様となっています。後の中核となるグレード、SEの原点と言ってもいいでしょうね。

モデルチェンジ当初は2ドアセダンも選べたのですが、この時点では4ドアとハードトップのみに絞られています。

SLとはホイールリングが識別点。加えてハードトップではサイドストライプも、となります。この時代のホイールリングは、アルミホイールがまだまだ高かった時代にあって、その代用となるドレスアップアイテムでしたから、後付でつけられる方も多かったですけれどね。
父の友人の一人は、未対策のスプリンターセダン1200STを駆け込みで買われ、早々に社外品のホイールリングを装着していたことを記憶しています。


もう一つのSRは、当初からハードトップのみの設定。
GSLがスポーティでありながら豪華も役割とする一方で、豪華装備は省いて走りを重視したグレードとなります。もちろんSRもシングルキャブに変更されていますから、装い程は速くないとなるのですけれどね。コロナは50年規制でSRが落とされていますから、残っただけでも吉報ではあり。

細かい変更ですが、当初はレビンと共通の砲弾型ミラーがこの時点で、SL&GSLと共通のタルボ型ミラーに部品統合されていたりします。

1600は税金が高いこともあって、どちらもSLよりは少なかったように記憶するのです。GSLよりSRの方がむしろ多かったかもしれません。例外なく若い方だったなと。


有名な話だと思うのですが、念のため。
この時点でレビンは落とされています。中期以降は、SR共々、スプリンターとの共用となったクーペに移行。ハードトップのDOHCは、この代では前期のみでした。





左頁はセダンのグレード別一覧です。
内装でグレードが分けられていたのが一目瞭然かなと。

内装色の関係もありますが、デラックスはやはり簡素で、ハイデラックスに背伸びしたくなる、が当時の主な動向でした。
ここでマニア視点を一つ。シートパターンは、デラックス系が縦模様で、SL・GSLは横模様となっています。実はスプリンターでは、ST・GSを共通にする一方、DXとXLも横模様でシート地もカローラとは別とされています(スプリンターの画像は、下記リンク先のエクストラインテリアの回に掲載)。

セダンの外装色は、当初設定のあったフォーチュンターコイズMとフェイバリットブルーの2色が落とされ、その替わりにイエローブロッサムが追加されています。この変更は、新型車解説書では50年規制適合時とされているのですが、実は一足早い50年4月発行のカタログで入替がされていて、私的謎の一つとなっています。
クリスタルシルバーMもシルバーボーグMからの変更となりますが、これは125というカラーコードからすると、マークIIやコロナに設定されていたシルバーへの統合となるようです。さらに、コンパニオンブラウンとスプレンダーブラウンMは、名称は同じながらもカラーコードは変更有。何とも細かい変遷なのです。


右頁は装備類の紹介です。
ウォーニングランプには、新たな装備となる触媒の過熱を知らせる「排気温」が追加されています。ドアトリムも当初はSLとGSLのみ上部と下部で色を変えていましたが、ハイデラックス用の単色に仕様統合されたようです。

カーステレオは8トラックとカセットの両方が選択可能でした。既に主流はカセットに移行していた時期となります。
エアコンはインパネにビルトイン可能なタイプ。先代までの冷房はダッシュ下部にクーラー単体を吊り下げるタイプでしたから、見た目を筆頭に大きな進歩でした。子供心には豪華さの象徴の一つでもあり。この代だと、純正よりお安い社外品の吊り下げクーラーを装着する車も多く見かけましたけれどね。





左頁は主要装備一覧です。
おそらく表示価格の関係からか、グレード別だけでなく、排気量によっても差異が付けられていました。

右頁はハードトップのグレード別一覧となります。
シート地&ステアリングホイールのデザインで印象を変えることができる。そんな実例かと思います。今はエアバッグやステアリングスイッチという新たな要件が加わり、変更も難しくなっています。
ミッションは全てマニュアルで掲載。この時代、カローラだとATの比率は1割程度だった筈です。この代で初めて3速ATが1400以上に導入されていて、当初の1400は2速ATと3速ATが選択可能でした。仕様統合で1400以上は3速ATのみとされています。

ハードトップの外装色もセダン同様、フォーチュンターコイズMが落ちて、イエローブロッサムが増えています。





裏表紙は、主要諸元表です。
全長3,995mmは、今のコンパクトカー並み。全幅1,570mmは、軽自動車とコンパクトカーの中間くらいとなりますね。このサイズで3ボックスが成立していたのですから、今とは隔世の感があります。今のカローラは、全長+500mm、全幅だって+200mm近く大きくなっています。
その事で得たものと失われたもの、答えは皆さんで判断されるべきものでしょうね。

今ではモビリティ東京に統合されてしまった、かつてのトヨタ東京カローラの営業所一覧も掲載されています。統合に伴い、移転や閉鎖も相次ぎましたから、今でも残る営業所を探してみるのも一興かもしれません。


といったところでいかがだったでしょうか。

この代の概要や背景については、6・7代目の開発責任者である斎藤明彦氏が2・3代目の開発責任者である佐々木紫郎氏にインタビューしている内容が、とても参考になりますので、リンクを張ることで私からは略といたします。

次に、今回取り上げたカタログには、当時の主力だった1200が掲載されていないことの理由を書いてしまいます。1200だけ別カタログではありませんよ。

実は50年規制への適合の際にシリーズから落ちたのは、レビンだけではなかったのです。1200も50年規制への適合が行われず、一時的に販売リストから落ちていました。1200は、少し遅れた1976年2月に51年規制に適合する形で復活していたりします。その直前には、1600に触媒を用いないTTC-Lを採用して51年規制に適合したシリーズが追加。新たにTTC-C名が付けられた触媒付1600は、1年足らずで51年規制に適合と、期限の限られた規制適合に向けて、目まぐるしい動きとなっていきます。
こうした排ガス適合以外にも、リフトバックやエクストラインテリア(関連話はこちら)の追加がこの時期に行われていて。もちろんカタログも変更の都度、改訂が入っています。

今回ご紹介したカタログは、そんな過渡期の少し珍しいものということで。
この時期だと、ビッグカリーナへの1800追加も急遽を確信させるに足るものですし、以前に取り上げたコロナやマークIIの1800もその内の一つとなるのですけれどね。


ご紹介はこのくらいにして、ここからは思い出話を書いていきます。

カローラはベストセラーを続けていた時期でしたから、この代もご近所・知り合い等、何かと見かける機会の多いクルマでありました。極普通に映りこむ当時の風景の一部ですよね。

そんな中でも思い出深いのは、2台の4ドア1200ハイデラックスなのです。

1台目は、お隣で買われた未対策のシルバー。
それまでは、初代の最初期型のデラックスに乗られていて。この初期型、赤いボディカラーはすっかり艶が失われた状態。錆びたところにはステッカーという具合で、所謂オンボロ。子供心には少々怖くすらありました。
逆算すると10年も経っていなかったはずですけれど、当時は塗装の耐久性が今とは段違いでしたからね。

30の4ドアは、父が2代目マークIIを買った伝手を使って、未対策車の新古車を探してきたと記憶しています。
草臥れ果てた状態の初代からすると、3代目って、これが同じカローラなの?って驚かされるクルマでした。先ず4ドアだし、スタイルも何となく寸詰まりだった感じはなくなって、クルマらしくなった。ラウンド形状のインパネ、フルになったドアトリム、シートだって立派に映り。それらは、向かいの家の20カローラ中期ハイデラックスと比べても明らかな違いだったのです。

ここは推測ですけれど、コロナとの車格差を感じるものはあっても、カリーナとなら然程見劣りはしなかった、そんな感じなのではないでしょうか。今視点からすると、些細な差であることも事実なんですけれどね。

「カローラがここまで立派になったのか」という印象は、歴代だとこの3代目、6代目、9代目に強く感じていて、私が高く評価する理由の一つでもあるのです。その裏には、高品質の追求とか多品種を細かく作り分ける采配が必ず存在していたりもしますし。
(誤解を招かないように補足すると、高品質の頂点は7代目であり恐らく空前絶後。ただ前代からの飛躍という点では、この3代を挙げるということなのです。)

お隣とは仲が良くて、この30カローラも何度か乗せて貰ったかな。お隣はその後、会社の車を持ち帰られることが多くなったため、カローラを手放され、父の友人の実家に移ることになります。

もう一台は、お隣が手放されたのと時期あまり変わらずで、関りをもつようになった51年対策のグリーン。
これも父の紹介が発端。マークIIグランデ(前期5速のカッパー)の中古車を買われた方の下取りでした。こちらは、父が乗り叔父が引き継いだ初代マークIIの後釜に収まりました。社外品のカセットが記憶に残るのですが、確か純正エアコンも付いていたような。

叔父は数年乗った後、大きな車に戻りたいということで、父の2代目マークIIを引き継ぐことになり。
当然、このカローラの買い手を探すことになるのですけれど、6年落ちの時点でトヨタの中古車店では下取りは厳しいとの宣告だったようです。実際、トヨタの看板を掲げた店頭に並ぶのは既に中期以降であり、前期は良くて業販、少しでも条件が悪いと容赦なく解体だったのでしょう。
結局、その頃、後期カローラの修理で年中お世話になっていた近所の中古車店(関連話はこちら)に引き取られるですけれど、ここでも「いつもお世話になっていますし、51年規制の1200ですから何とか」という状態。引取り価格も車検残のみ程度のほぼ底値。加修少々で展示早々に売れていましたけれどね。

ガソリンが高かった時期でもあり、燃費の期待できる1200以外は安いクルマを求める層にも難しいというのが、中古車業界の大方の判断でもありました。

その数年前の段階でも、50年規制適合車や一部の51年規制適合車は、未対策車よりも安くしないと売れないというのが、当時の定評でもありました。そもそも売る方からして、売った後のクレームが怖くて引き取りたがらない、それぐらいの代物であったわけです。業を煮やしたメーカーや販社は、対策金を投じて潰しを始めたという噂も、対象車を変えつつで少なからず存在してもいました。

今回、ご紹介したのは、評判の最悪だった50年規制の適合車ですから、潰しの対象車とされていたであろうことは想像に難しくありません。80年代初頭の時点で、解体屋さんで見かけることは容易でしたし、「この型は(後期で大型化された)バンパーの中古はまだ無理だけれど、(前期と共用の)Fフェンダー等なら中古パーツも容易に見つかる」というのは、同じ頃後期を何度目かの修理する際に、先の中古車屋さんで聞けた話でもありました。

6代目が登場した時点では、後期を含めて大半が街中から消えていたように記憶しています。そういう意味では大量に売れて大量に消費されたクルマとなるのでしょう。長い時間を経た今となっては、歴代の中でも発掘が難しい世代のようにも思います。


それでも、私の中では安全コロナと同じくらい、好きな一台であることは揺らぎません。物心ついた時の体験は何より強烈ということなのでしょう。

以前に書いた言葉を最後に繰り返してみます。
好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2020/07/14 19:19:13

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この記事へのコメント

2020年7月14日 21:13
こんばんは。

とても楽しく読ませていただきました。

小学校高学年の頃のお話です。
1983年に兵庫県から千葉県に引っ越ししました。
同じ時期に、沖縄県から引っ越ししてきた同級生がいました。
その家は、前期カローラ30ハードトップを乗ってました。

茶色でスポーティーな印象があったので、おそらくSLあたりだと思います。

なぜかアイドリングが不安定で、その同級生も「沖縄にいた時から調子が悪かった」と言ってました。

これをだましだまし乗っていて、いつ買い換えるのかと思ってました。

それから、1988年にU11ブルーバードに買い換えてました。

たまたま父が乗っていた70カローラに乗せたことがありました。
第一声が「調子いいね」でした。

我が家のカローラは前期の1981年式ですが、同級生のカローラの年式を1975年と仮定したところで、わずか数年でこうも違うのかと驚いてしまいました。

排ガス規制で1200が一時中止になったのは、それだけ対策車を出すのが難しかった表れですね。








コメントへの返答
2020年7月14日 22:01
こんばんは

次々書きたいことが浮かんで、長文となってしまいました。お楽しみいただけたのであれば、幸いです。

書かれている前期カローラ30ハードトップのSL?ですが、推測の前提で書いてしまうと、未対策時代のツインキャブがアイドリング不安定の原因だったのかもしれませんね。点火系にポイントを使っていた時代、ツインキャブのアイドリング調整はシビアな作業だったように記憶しています。

50年規制のT-Uは、職場の大先輩から当時乗っていたという話を聞いた際、「あれは酷くて」と遠い目で語られたことを思い出します。

70の時代には、厳しい53年規制も適合の目途が立っていて、排ガスデバイスは簡素化に進んでいます。点火系もセミトラを経てフルトラへと進化していますね。

僅か数年で大きな違いが表れていた時代であることは疑いようもありません。

1200が一時中止となった真相は、今となっては中の人も含めて謎となるのでしょう。多くの車種を適合させるのに精一杯で、順序を考える余裕もなかった、当時の混乱ぶりはそんなことを推測させますね。
2020年7月14日 21:25
齋藤主査は80〜90年代に、モーターファン別冊の「すべて」シリーズでよくお見かけしたので、興味を持って拝見・・・
しようとしたら、すごいボリュームだったので、これからじっくり読ませていただきます(^◇^;)
3代目は自分、小学生の頃ですけど、
「あの頃はこれで充分以上だったんだけどなあ」
と思うことしきりですm(_ _)m
コメントへの返答
2020年7月14日 22:09
齋藤主査は、6代目と7代目を纏められたということで、雑誌等へ掲載されることも多かったですね。
確かに、リンク先はすごいボリュームなのですが、歴史に詳しい方なら興味深く読める内容になっているかと思います。
あれだけ売れたということは、惹きつけられる何かを持っていたということなのでしょう。それと、一度買うとリピーターになる、そんな車だったのかもしれませんね。
2020年7月14日 22:03
こんばんは。

お隣の初代の話がありましたが、まだカローラが誕生して10年足らずだったんですよね。私は3代目がデビューした時を知りませんが、9代目がディーゼルエンジンを除きすべてを新しくして出てきた時と同じようだったんでしょうか。そのNCVカローラも登場から早くも20年になりますね。

クルマの好き好きは出来の良さに比例しないのは、まったく同感です。私は初の愛車が母のお下がりの3ATのEP82スターレットで、自分が運転席に座ると後席は前席シートに膝がめり込むほどの狭さで、信号待ちの振動がひどくガタガタ音が出ていましたが、当時はクルマがあるだけでうれしかったし、同乗者(大学の同級生たち)も誰も文句を言わなかったです。

かつて祖父がRRの360CCのフロンテから、1200CCの2代目サニーに乗り換えたときに、その広さに感動したようなことを言っていたのを思い出します。クルマはその人の基準(比較対象)によって評価が随分変わるんですよね。
コメントへの返答
2020年7月14日 22:29
こんばんは

今から約10年前に登場したベストセラーのクルマとなるとN-BOXが重なるのかもです。
NCVは、パッケージングやコンポーネンツの一新が大きいので、より近いのは6代目かもしれません。人世代前から大きく進歩したは共通する感覚ですけれど。NCVなんて、つい最近の出来事だとばかり。

イイクルマだから、人気車だから、それで必ず好きになるわけじゃないですからね。実力よりはるかに相性の方が大事だし、思い出になるクルマはそのもの自体だけではなく、背景や出来事も含めてとなる気もします。初めての愛車は、さらに格別だったりもしますね。

360ccの軽自動車でマイカー入門をされ、次に小型車に乗り換えるは、多くの方が同じ道を選ばれています。そこには同じような感動が必ずあった筈です。
今は車も良くなったのですけれど、その反面代替による感動は減ってしまったのかもしれません。所有が長期化する理由でしょうね。
2020年7月15日 1:33
こんばんわ。

後編も非常に興味深く拝読させていただきました!

先にも申しましたが、4ドア1200ハイデラックス、まさに父が乗っていましたクルマであります!
もう少し申しますと、茶色(←コンパニオンブラウン、と言うのですね!)、4MT、エアコン無し!、AMラジオのみ。唯一、後付けの丸い白色フォグランプ(?)が付いていました。

ボディーカラーの話が出ていましたが、我が家の30も生産されてから7年程しか経っていないのに、ボンネットの一部が剥げかけてまして、頻りにワックスを塗っていた記憶が蘇りました!

いやぁ~、懐かしいですねぇ~30!
30ネタはホントに尽きませんので、いつかオフラインミーティングをしたいものであります!!
コメントへの返答
2020年7月15日 17:06
こんにちは

マニア的視点だよなと自覚しながらで書いているだけに、興味深くのお言葉をうれしく思います。

本文に記した通り、私の一番の思い出も1200ハイデラックスです。当時の最多量販グレードですね。
ハイデラックスだと、メタリックとなるもう一色の方かなと。
このクラスだと4MTが当時の標準、エアコンとステレオも装着率は決して高くはなかった筈で。フォグは丸と角が併存していた時期ですね。

当時のメタリックは弱くて。ボンネットは熱影響もあり最初に劣化もしました。家にあった2代目マークIIも、ボディカバーを使用していたのに10年持たなかったです。

業界人も含めて、この年代を語れる方は少なくなっていることを感じます。そして、ディープな話は始めると夜通しとなったりしますね。
2020年7月15日 12:12
昭和56、7年頃、父がサンマルの中古に乗っていました。MTの非冷房の前期1200Dxです。
当時、自分の好みで車を選ぶと言う状況ではなかったのでまあ「仕方なく」乗ってた様なモノですが、6〜7年落ちで今なら下手すりゃ「現行型」の場合もありますが子供心にもボロいクルマの印象でしたね。
その後ブル910のSSSにアップグレードするので尚更そう言う思い出です。
でも新車当時はオーナードライバーが新車の非冷房DXのMTを買うの例も、ごく普通にあったと記憶しています。

さてSLと言うのは従来stdとDx、カスタム、あと有ってもせいぜいS(スポーツ)くらいだった従来の国産車において、その後も続く「アルファベット略字によるグレード」と言う概念を初めて植え付けた存在と認識しています。
カローラとクラウン、どちらが先でしたでしょうかね?
またDxに続く「普及型メイングレード」は当時スーパーDxが一般的で、日産ならGLで売り出しましたが(230セドでスーパーDx→GLの順でヒエラルキーを作った例外もありますが)、カローラは「ハイDx」。
こちらのグレード名はあまり普及せずでしたね。
SLはサニーで言うとGX、GSLはGL-L辺りが相当になるのでしょうか。
でも内装に於けるエポックはエクストラ話で取り上げてもらったGSLエクストラですね。
前席の分離ヘッドレスト、タイヤハウスを覆うリヤシート、フルトリムの車内。
もっとも数年後、これらは次期70の普及グレードのGLでも装備される事になるのですが。
父の30中古もGSLエクストラのエアコン付のオートマなら私の印象も違ったモノになっていた事でしょう(笑)
コメントへの返答
2020年7月15日 19:13
80年代初頭には、タマ数多くて、経済的に乗れるお買い得な車だったかと思います。
前期の1200DXは、本文で書いた中古車屋さんが一年以上の長期在庫を抱えていて、直ぐに売れる車がある一方で、何だか可哀想な車として強く印象に残っていたりします。
当時の平均使用年数は、約8.5年だったようですから、6~7年落ちとなると、それなりかなとは思います。今の年数換算だと11~12年落ちくらいの感覚でしょうか。それでも2008~2009年だと、あまり古くは感じない数字ですけれど。
STDだとさすがに営業車が主ですけれど、ご指摘の通りDXをオーナードライバーが買うのは、然程珍しくなかった筈です。当時の新車価格が80万円弱で、ハイDXとは4万円程度の違いだったようです。

SLですが、”Luxury”を持ち込んだ最初のグレードかもしれません。略字だけならSSやSSSが先行していますけれど、Luxuryで括るとGLより先となるのかなと。
ちなみに気になって調べたところ、クラウンハードトップよりスプリンター追加時のカローラの方が先となるようです。

GLについては、トヨタは後追いですね。その中でもトヨペット店の扱車が早くて、他店の扱車は遅れていたりもします。
最初は基準となるDXの少し上に位置するハイDXは、背伸びしてもらい易い身近な存在であったのでしょうね。時代が進むと、DXの地位が低下してしまい、XLやGLに進まざるを得なかった。そんな歴史に思えます。

SLのサニー版はGX、GSLだとエクセレントGX・Lかなと。未対策時代はスポーティだったGSLも、規制の適合以降はラグジュアリーを担うようになりますね。サニーも310でSGXが登場しますから、お互い、相手をかなり意識していたのは間違いないところです。

GSLエクストラは、SEの端緒ですよね。小さな高級車が狙いだったのだろうなと。その分、お値段も良かったですけれど。
あの時代でGSLエクストラのオートマ&エアコン付って相当レアです。カローラ店との強い縁故、あるいは車庫の事情とか(笑)
安全コロナは、末期に1600GLエクストラのお買い得車を投入して、大衆車クラスからの吸引を狙っていたりもします。
2020年7月15日 13:14
こんにちは。

大好きなクルマだけに前編含めとても楽しく読ませていただきました。

カローラ30系は本当によく売れたので日本の風景の一部と言っても言い過ぎではないかと思いますね。
少し前までは古い一軒家を見ると何となくカローラ30が佇んでいるような錯覚をしたものでした。流石に今は時代が変わり過ぎてそんな事もなくなりましたが。

今だからこそ思うのですが、ライバル車であった私の愛車B210サニーは先代の20カローラをかなり意識したモデルで見た目以外はあまり進化したかったのに対して、カローラ30は前年モデルチェンジした安全コロナの向上させた点をフィードバックして(ワイドトレッド化やマルチユースレバー採用など)走行安定性や使い勝手を向上させた点が販売台数の差が開いた理由のひとつなのではないかと思っています。

210の操作レイアウトはやや前時代的で今目線で見るとそこがまた旧車らしくて良いのですが、サニーがカローラ30並みになったのは310になってからだと思います。

因みに私自身はカローラ30にはあまり縁がなく、唯一小学5年の時の担任が中期KE55ハードトップに乗っており乗せて貰った事があったのですが、エンジン停止中の時のアナログ時計の秒針の音がやたらと大きかった事だけは鮮明に覚えています☺️
コメントへの返答
2020年7月15日 19:32
こんばんは

私も思い入れの強いクルマです。それだけに楽しんでいただけたのであれば幸いです。

当時のご近所でも一番多かった車かもしれません。都市・地方問わずで売れて、本当に風景の一部と化していましたね。
古い一軒家とカローラ30、大きさギリギリの車庫がセットかもしれませんね。こんなところにあったんだ、的な。

登場時期は、大抵1年ほどサニーが早いんですよね。カローラは必ず後出しで。リンクを貼った設計者のインタビューにもあるのですが、カローラが先攻となるサニーを研究し尽くしていたのは間違いないところだと思います。

サニーも、B210ではハッチバッククーペ、B310ではリンク式リヤサス、カリフォルニアと意欲的な取り組みがあったりしますね。
カローラ30以降は、ワイドバリエーションで圧倒したのも販売台数の差となった気もします。

書かれている、KE55のアナログ式時計ですが、おそらく電子式の筈で大きな作動音が特徴でもありました。その後は音叉式や水晶式に進化することで、精度が上がり、また作動音も小さくなっていきますね。
2020年7月18日 21:11
こんばんは。
この代のカローラ/スプリンターは、乗ったことはないのに色々な思い出があります。

1.校長先生のスプリンターセダン
 この代のモデルは、大きく分けて3期に分かれていたと思います。校長先生が乗っていたスプリンターは末期型でした。初期型や中期型と比較すると、内外装の品質が高く見え、次のカローラ/スプリンターにもつながる仕上げの良さを感じました。ホイールキャップを廃止し、見せるスチールホイールとしていたのも、その要因の一つかもしれません。上の写真の黄色いカローラが装着していたホイールキャップは、この代のカローラを代表するものでしたが、それが初期らしさを感じさせていたように思います。また、以前紹介されていたエクストラインテリアシリーズ以降、トヨタ車の内装は大幅に向上したのではないでしょうか?

2.20型との比較
 昭和50年代末の私の車の知識はまだまだ稚拙でした。この代のカローラと20型の後期型は、デザインテーマに共通するところがありながら、形状はこちらの方が新しく見えました。当時すでに稀少車になっていた20型ですが、明らかに古さを感じさせたものでした。初代バイオレットのマイナーチェンジ前後のこともあり、20型と30型は、マイナーチェンジなのかフルモデルチェンジなのか、資料がない中で、色々考えたものでした。

3.ホイールキャップ
 上で書いたホイールキャップですが、旧型フィットのホイールカバーのデザインを見るたびに、この車のホイールキャップのことを思い出しました。比較的ラグジュアリーなグレードが、このホイールキャップを装着していたのでしょうか?記憶では、末期のスチールホイール車以外はほとんどホイールキャップを装着しており、黒いスチールホイールのグレードは記憶に残っていません。
コメントへの返答
2020年7月18日 21:58
こんばんは
私と同じで幼少時代に多く見かけられたのだろうと想像します。

末期型は310サニーへの対抗もあって、見た目品質の向上がテーマの一つになっています。大型バンパー、ドアサッシュやロッカー部のブラックアウト、キャップレスホイールの採用等ですね。70のGL/XLでは外されたものもあるぐらいですから、仕上げの良さは相当力が入っていたものと推測します。
70年代末から80年初頭を意識させるのが、キャップレスホイールだと思います。それ以前はメッキのホイールキャップ、以降は樹脂キャップですね。
中期でインテリアのカラーコーディネート化やファブリックシートの設定拡大が行われていて、この点も内装の見た目品質には効果があったように思います。エクストラインテリアは、もう一つ上級で豪華な内装の先駆けともなりました。商品性もあったようで、他車も様々なグレード名で追随していますね。

20も初期・中期・末期に分かれていて、30と同じような年代差が感じられます。20の末期は、やはり30への過渡期要素がデザインに入り込んでもいますね。20と30は併売していた期間もありますし、初代シャルマンは20ベース。そう考えるとやや複雑な系譜を持つシリーズとも言えます。

ご指摘の旧型フィットのホイールカバーですが、ハイブリッド専用デザインのものかなと推測します。
掲載したカタログのホイールキャップは13インチ用となるため、採用グレードはハイDX全車と1200を除いたDXとなります。(クーペとリフトバックは、両グレードでも一部キャップレスがありますが略)
このデザイン、20末期のSLにも似たものが採用されていたりします。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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