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2020年10月02日

LS100 クラウン ディーゼルの話

LS100 クラウン ディーゼルの話 クラウンターボに続いて、クラウンディーゼルのお話です。世代のご指定はなかったのですけれど、さすがに半ば実験車の扱いだった初代ということはないだろうと推測をしまして、L型を積んだ100と110に照点をあててのご紹介としてみます。

この期のクラウンディーゼルの話をするにあたっては、セドリックの存在抜きでは片手落ちと思いますので、先行したライバル車の話を先に。

セドリックは、初代からSD20を積んだディーゼル仕様を途切れることなく続けていました。SD20は商業車とも共用するユニット。セドリックへの搭載については、いすゞがベレルでディーゼルを前面に出した影響と考えていいと思います。

このクラスでは主要顧客層の一つだったタクシー用途に経済性をアピールして拡販に繋げる戦略です。しかしながら、ディーゼルの登場から少ししてLPG仕様の開発が進み、タクシーは都市部を中心にガソリンからLPGへと移行していきます。

商業車と共用する初期のディーゼルの音や振動が、乗務員から敬遠されたというのがその理由のようです。

ベレルは最大の想定顧客を失ったことで、一代限りで絶版車に名を連ねることとなりますが、セドリックは細々ながらも諦めることはありませんでした。といっても、グレードはスタンダードのみ、LPGと同様、営業車の扱いということで、乗用車のカタログからも外されていました。さらに1977年(昭和52年)までは、兄弟車となったグロリアへの設定はなくセドリックのみ。主にガススタンドのない地方のタクシー向けで残っていたのだろうと推測するところです。

この風向きが変わった契機は、やはり1973年(昭和48年)の年末に起こったオイルショック。燃料代が急激に高価格化したことで、すみっこ扱いだったセドリックディーゼルが急に脚光を浴びることになります。

1975年(昭和50年)6月に行われたモデルチェンジ(330型)でも、ディーゼルは当初、セドリックスタンダードのみでした。しかしながら、同年10月にデラックスを追加。それまでの営業用に加えて、自家用向けにもディーゼルの経済性がアピールされていくこととなります。



当初は、このスタンダードのみでした。(掲載はガソリン仕様)





追加されたデラックス。左は1975年10月の追加時。右は1976年6月の一部改良時。
コラムシフトは同じながら、1976年版ではセパレートシートで自家用向けを訴求。
当初は、スタンダードベースで急遽作ったのか、スタンダードと共通の丸形ミラー、熱線リヤウィンドゥやガラスアンテナの略等、デラックスと名付けられながらも、ガソリンとは仕様が異なる箇所が見受けられます。1976年の方では、この辺りが変更されていますね。

このディーゼルデラックス、小学校時代に通ったそろばん塾、ここは奥様が講師だったのですが、その旦那様が色も同じ仕様で乗られていました。ベンチorセパレートは失念。子供心にもちょっと変わったのに乗っているなの感はあり。記憶朧気ですが、430のハードトップVL-6へ代替されていたような。


さらに翌1977年6月のマイナーチェンジでは、排気量アップしたSD22へ主流を移し(SD20はスタンダードのみに縮小)、さらにGL、フロアシフト、グロリアと一気にバリエーションを拡大しています。

もちろん、他社もこの商機は無視できず、1977年10月にいすゞはフローリアンで、トヨタはクラウンでディーゼル乗用車市場に参入することとなるのです。

クラウンディーゼルを作るにあたり、トヨタはL型と名付けられたディーゼルエンジンを新開発しています。少し上の2500には、商業車で歴史を重ねた2J型もあったのですが、乗用車用への展開は困難という判断だったようです。



3代目トヨエースのカタログから。
右上が2J。L型はクラウン搭載後、商業車にも展開されていきます。乗用車との共用ということで、逆に商業車が求める耐久性に欠けるという評はあったようです。



ここまででも結構な長さですが、ここからは主役のクラウンディーゼルについて、グレード等を中心に時系列でご紹介していきます。

〇1977年10月25日 クラウンディーゼル新設定




初登場ということで、エンジンの紹介も載せてみます。
国産初のOHCでハイパワーを求める一方、ディーゼルが敬遠される最大の理由が音振ということで、タイミングベルトやオートカップリングの採用等、かなり配慮された作りになっています。
また、従前はグロープラグの予熱にキーを別に捻る操作を強いられることが多かったのですが、クラウンではワンキー操作でエンジンの始動が可能になっています。

L型の最高出力は72ps/4200rpm、最大トルクは14.5kg-m/2000rpm。ライバルとなる日産のSD22は同65ps/4000rpm、14.5kg-m/2000rpm、いすゞのC190(ただし2000)は同62ps/4400rpm、12.5kg-m/2200rpmという数値でしたから、スペックとしてはライバルより頭一つ前に出た性能ではあったのです。





当初は、セダンデラックス、デラックスA、スタンダードの3グレードで展開。いずれも4速マニュアルのコラムシフトのみでした。
この設定ではオーナー向けとは言い難く。ちょうど、営業車(LPG)のグレード設定と重なるところであり、耐久試験も兼ねつつでタクシー向けに先行して売りたかったのだろうなと推測します。







主要装備一覧と諸元表です。
クラウンですから、デラックスAでも、同時期のカローラハイDXと同等の装備だったりはするのですけれどね。

4速マニュアルのギヤ比は、ガソリンのコラムシフトのギヤ比(3速+OD)とは異なり、フロアシフトのギヤ比(直結4速)と共通。ファイナルレシオはガソリンの4.556から3.909へ高速化されています。限られた出力とディーゼル特有のパワーバンドの狭さに対応するため、ギヤ比の設定に苦心した形跡がありますね。



〇1978年2月24日 マイナーチェンジ

ガソリン車と足並みを合わせる形でマイナーチェンジが行われています。ガソリン車も1年少々での変更だったのですが、ディーゼルに至っては僅か4ヶ月での変更となります。マイナーチェンジが既に進行していた筈の中でのディーゼルの追加は、先行するセドリックに早く追い付きたかった、あるいはモーターショーでのアピールを狙ったのかなと推測。
当時の記録では、一部は12月上旬から発売開始ともありますので、初期型(中期型)のディーゼルは本当に台数が少なかっただろうと思います。



本カタログの中にディーゼルも編入されました。
デラックス以下の3グレードの構成は従前同様ですが、新たにデラックス系には5速フロアシフト、スタンダードには4速フロアシフトが選択可能となっています。

5速のギヤ比は、ガソリンとも共通する従前の4速にODを加えたもの。ファイナルレシオを3.909から4.300にしていますから、燃費重視ではなくクロスレシオで狭いパワーバンドをさらに有効に使おうという考えですね。



〇1978年9月8日 スーパーデラックスを追加






ディーゼルの新たな最上級グレード、スーパーデラックスが追加されています。
セドリックは先にGLまで設定されていましたので、同等の装備水準を求める声が強かったのでしょう。
この後の展開含めて、ガソリン車のグレード拡充と重なるものがありますね。

パワステ、パワーウィンドウが標準ですから、高級車の雰囲気がだいぶ出てきます。もう一つ大きかったのは、スーパーデラックスでは5速フロアシフトに加えて、4速オートマチックも選択可能となったこと。セドリック、フローリアンはMTのみだったため、日本初のディーゼルオートマチックでもありました。
この時はまだ、4速オートマはトヨタの専売でもあり、クラウンの新たなセールスポイントとして寄与することになります。





スーパーデラックスが加わったグレード一覧。
スタンダードはタクシー仕様での掲載ということで、営業用としても多く買われていたことを想像させます。タコグラフの装着を想定したメーターの配置、日報灯の設置等が主な相違点となります。





主要装備一覧と諸元表です。
この時に、従前は選べなかったパワステが、デラックス系で選択可能となりました。

当時の「間違いだらけ~」では、「軽い4気筒でパワステは不要」という旨の書かれ方をしています。L型のエンジン重量は、6気筒M型とほぼ同じでしたから、パワステの必要性は高かったが実際でしょうね。

当時のスーパーデラックスの広報車は、操縦性に関するテスト結果を有利にするためか、オプションだった185SR14サイズのラジアルタイヤを装着していましたから、パワステ無だったら、ハンドルが重いという評価は確実だったと思われます。


〇1979年3月2日 4速オートマチックの設定拡大

日本初のディーゼルオートマチックは好評だったようで、スーパーデラックスに加えて、デラックス系でもオートマチック(4速フロア)が選択可能となりました。


以上、駆け足気味でのご紹介となります。

かくして、後追いとなったクラウンディーゼルですが、エンジンの設計年次の差は大きく、セドリックディーゼルを性能で圧倒することとなります。

1979年6月にモデルチェンジされたセドリック/グロリア(430型)では、引き続きSD22を搭載したディーゼルを設定。

430のディーゼルGL(5速)と、クラウンディーゼル スーパーデラックス(AT)の比較が当時の自動車雑誌で行われていまして、一世代新しいセドリックは内外装のモダンさでクラウンを大きくリード。しかしながら、走りだせばATながらもMTのセドリックを置き去りにする俊足がレポートされています。
テスト車を持ち込んだ先の日光いろは坂では、先行するセドリックはクラウンに煽られ、追い越させると追随できないという内容だったと記憶しています。



実はこの年代のクラウンディーゼルは、個人的琴線の一台でもあります。
1982年の夏に引っ越したというのは、少し前に書いたところですが、その引っ越し先のタクシーは、このLS100や次のLS110が殆どでした。ハイヤー用途も兼ねていたのでしょう、タクシーにしては珍しく、フロアシフトのデラックスばかり。色も地方のタクシーでありがちな、ミズリナグリーンやウッドミストグレーではなくブラウンやダークブルー等。正しく後期のカタログ仕様をそのまま注文したかのようなタクシーばかりでした。
引っ越し前は、クラウンにしろセドリックにしろ、プロパンのスタンダードばかりでしたから、その豪華さや乗り心地というのは、私をとても喜ばせるものだったのです。

何度かお客として乗る機会もあって、初めの一歩こそ決して速くはないものの、走り出してしまえば、フロアシフトを駆使してディーゼルサウンドと共にトルクで引っ張る加速は、中々のものでありました。さすがに高速道路の速度域では速いとは言えなくなるのでしょうが、信号の少ない田舎道では、その経済性と合わせて最適な選択でもあったのです。

やがて110後期以降は、同じディーゼルながらもコラムのスタンダードに替わっていってしまうのですが、私としては古い型のこちらの方が好きでした。

この中でも白眉は、一台だけあったスーパーデラックスで、デラックスは6年ぐらいで順次廃車になる中、130の登場時くらいまで、長く使われていたことを記憶しています。日々の洗車で車番は薄れ、右のテールランプは煤で汚れといった状態でしたが、いぶし銀的な雰囲気を醸し出す最古参の姿は、駅のタクシープールの中でも一際目を引く存在だったのです。

・・・あんまり書いてしまうと、当時を知る方ならどの地域か推測出来てしまいそうですが、判っても決して触れることなく、読み流してくださいませ。


ここまでだけでも、すっかり長くなってしまいました。
110系は次の回に送ることに致します。
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Posted at 2020/10/02 17:30:03

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この記事へのコメント

2020年10月2日 22:57
こんばんは。

近年こそマツダが復活させたものの、国産の乗用車からディーゼルが消えて久しいですが、2000年ごろまでは各クラスにディーゼルエンジンが設定されていましたね。トヨタで言えば、スターレットからクラウンまで揃っていて、ミニバンですが子エスティマ辺りは結構の頻度でディーゼル搭載車を見た気がします。

その始まりが、このクラウンだったんですね。小学生の頃、父の70マークⅡの取扱説明書をよく見ていたのですが、グランデ”以外”の説明書だったことからディーゼル独自の説明があって、グローの説明や、水抜きの仕方、このクラウンのカタログにもあるアイドルアジャスターなど、ガソリン車と異なる内容が多く、興味深く見ていたものです。

その一つに、タコメーターのスケールがあって、ガソリン車は「8」まであるのに、なんでディーゼルは「6」までなんだろうと、小学生の私は不思議だったのですが、この辺りがトヨタがATを早く出せた理由なんでしょうね。

常用回転域がガソリンより狭いディーゼルでは、ミッションの多段化は必須であり、3ATでは高速道路で飛ばすとレッドゾーン入りしてしまう。よって、日産はディーゼルにATの設定ができなかったんだんでしょうね。

カローラのバンですら、4WDとならび、ディーゼルは4ATでしたので。実は自分が唯一運転したことがあるディーゼル車が、代車で借りた100系カローラバンのディーゼル車なのですが、乗ってみて4速が必要な理由がわかりました。

そして、音と振動のすごいこと。4Eエンジンも決して静かではないですが、その4Eが静粛に感じるほど、ディーゼルは賑やかだったので、静粛性には配慮されたクラウンといえども、結構にぎやかだったのではないかと予想しています。
コメントへの返答
2020年10月3日 8:22
おはようございます

NOx規制とPM規制が重なり、ディーゼル乗用車には空白の期間が生じてしまいました。トヨタのハイブリッドは、かつてのディーゼルの役目を担っているという見方もできますね。ご指摘の通り、子エスティマは多くがディーゼルで売れた車種ですが、今のミニバン系はむしろハイブリッド率が低いくらいで。この辺りは興味深い事象だと思っています。

当時のディーゼルは、小型化が課題の一つでもありましたから、クラウンからでしたね。
そう、70マークIIの時代はグレードで取扱説明書が分かれていました。バリエーションの拡充に伴い、仕様が増えたことが要因ですが、頁数を増やすことの抑止になっていたように思います。今の説明書はとても頁数が増えていて、これを全部読む人がいるのか、と思ったりします。

次の回で触れる予定でしたが、トヨタの初期のディーゼルは、タコメーター自体が非装着でした。ガソリンとは別仕様が必須であえて起こす必要性を感じなかったのだろうと推測しています。

ATの比率も低かった時代、さらにディーゼルは経済性重視の選択でもありましたから、ATの優先度は低かったがあるでしょうね。あと、セドリックにSD20の組合せだと動力性能的に成立しなかった可能性もあります。MTでもカタログ記載の最高時速が110km/hですからね。そんなSD20も、ローレルでは3速ATが後に設定されていたりします。
なお、コメントをヒントに、ギヤ比視点を追加してみました。

カローラバンのディーゼルは、90系で経験ありです。確かに音振はガソリンよりはるかににぎやかで、黒煙も目視可能なレベルでした。FF横置きだと、FR縦置きより振動が顕著に現れたりしますね。

ディーゼルが増えた80年代初頭にディーゼル乗用車を集めて、深夜の住宅街で音が気になるかをテストするという記事を思い出します。L型のクラウンは、車内は静かでも、車外は賑やかという評価で、クラウンの静粛性能を改めて感心したりしたものです。
2020年10月3日 0:34
ディーゼルユーザーの端くれとしては目が放せません。
スペックもディーゼルターボになる前の世代なので相当控えめで本当に走れるのかと不安になってしまいそうな数値ですが、タクシーで元気に走っていたと言う本文に拠れば市街地では十分な動力性能を確保していたのでしょうね。

L型ディーゼルは3.0LのL型(だったかな)のハイラックスSSRに伯父が乗っておりよく乗せて貰っていました。高速道路では結構うなっていましたが、しっかり追越し車線を走れた記憶があります。

乗用用途も狙ったクラウンディーゼルゆえ、NV対策に対する説明が充実していますね。やカタログ本文に部品を曲面化して面剛性を上げて発音を抑制するという内容がありました。平面的に構成すると面剛性が弱く面が振動して音を出します。下手っぴな対策なら板厚を上げたりしますが、曲面化は薄肉のまま剛性が上がる素晴らしい構造だと思います。(スバル360のボディや卵の殻のようです)
当時のクラウンならフレーム構造と言うのもモノコックの競合に対して振動対策には有利だったと思います。
コメントへの返答
2020年10月3日 8:38
ディーゼルの歴史を振り返るという記事は、近年あまり見かけた記憶もありませんから、歴史の一端を感じていただければ幸いです。
動力性能的には、用途限定で何とか走れたというのが、一番近い所だと思います。市街地でも信号グランプリは不得意の一つで、郊外を流すが一番合っていたように思い返します。

ハイラックスSSRだと、L型の拡大版となる3Lでしょうか。年代が進んだこともあって、だいぶパワフルになっていただろうと想像します。商業車用途では、排気量拡大に伴うブロックの弱さが指摘されていたは、あったような。

ベレルディーゼルが成功しなかった最大の理由はNV対策で、ディーゼルの印象は当時のままという方が多かった時代ですから、説明の充実は必須でもあったのだろうと思います。近年におけるディーゼルスモークも同様ですが、一度浸透した負の印象というのは、払拭するのに多大な労力を必要としたりしますね。
確認したところ、L型でもこれ以上重量は増やせない状態ですから、板厚を上げずでの工夫を強いられていたのだと推測します。
ご指摘の通り、フレーム構造はNV対策に有利ですね。作動音が懸念されたスーパーチャージャー共々、クラウンから導入された理由の一つだと思います。
2020年10月3日 8:28
リクエスト希望に応えてくださり、ありがとうございます。
媒体に登場する機会も少ない分、ディーゼルフェチの小生も初耳の事がいくつか。
自分で当時カタログを収集でもしない限り、このブログ以外では得難い情報だった事でしょう。
実生活で役立つのかは疑問ですが(笑)。

さてセドリックですが、物心ついた頃には自分の周りのタクシーは既にLPGだった事もあり、130/230のディーゼルの実物を見た事はありませんでした。
広告などで一般にアピールしたSD22登場時からしかディーゼルの存在を知らない、と言う人も多いのではと思います。

さて2l級のディーゼルはエルフなど2tが最初の主流でしたが、パワー不足から程なく2.2/2.5lなどオーバー2lにシフトしていきます。例のディーゼルに限りオーバー2lでも小型枠の特例に沿ったものでしょうけど、行政も同排気量でガソリンと同じ規制は合理的でないと認めたからですが、当時は排気量=クルマの序列というヒエラルキーがありましたので、僅か0.2lでも2lを超えたと言う印象は車に詳しくない人ほど大きかったものと思います。
クラウン/セドグロも数年後には実情に合わせ2.4〜2.8lと排気量アップしていく訳ですが、2.2lと言う排気量はガソリン3ナンバーに配慮もあったのでしょうか?

さてウチに2.8lの3L搭載商用100系ハイエースがあったのですが、代車でよく来たのがライバルTD27搭載のキャラバン。
TDはSDの進化系ですから、20年の時を経てL対SDの対決が(笑)。
重積載や長期耐久性などでの比較がこのクラスの真価でしょうけれど、空車での評価はトヨタ3Lの方が音振動スムーズさなどで遥かに乗用車的でした。
いまの乗用車ユーザーからしたら目糞鼻糞だとは思いますが。(笑)

いつもにも増して長文になり、ご迷惑になりそうなので最後に一点。
クラウンDX -Aのリヤシートにセンターアームレストの切込みが見え、ハッとしたのですが装備表では未装備。どちらかが誤植でしょうか?

コメントへの返答
2020年10月3日 20:17
リクエストが取り上げやすいもので助かりました。
書いている内に、あれもこれもと書きたいことが浮かんでいまして、初耳のものがあれば幸いです。昔持っていたモーターファンのロードテストがこのスーパーデラックスATで、処分してしまったことを今更ながらに後悔しています。
趣味の知識は、大抵実益をもたらさないものです(笑)

私も幼少時代のタクシーはLPGでして、同じく130/230のディーゼルは未見です。330のディーゼルは今回取り上げたカタログで知っていたのですが、改めて調べてみると登場経緯や一部改良等、意外と奥が深かったりしますね。

2Jも元は2.3Lですね。2t積みの記載なら、当時は3t近くの過積載はあったでしょうから、2Lディーゼルでは不足というのも理解できます。60年代末から70年代初頭にかけて、主要な高速道路の開通も相次いでいますから、尚更かなと。
ご指摘の排気量のヒエラルキーですが、ディーゼルはガソリンよりも大排気量なのが当然という認識が主流だったのではないでしょうか。この後、コロナ/ブルーバード、カローラ/サニーとディーゼルが設定されていきますが、何れもガソリンの最多量販グレードよりも大排気量だったりします。この認識を崩したのは、シャレードやタコIIのディーゼルのように思います。

3LvsTD27の対決、時を経たというか排気量を拡大しながら長らく戦い続けたの構図ですね。商業車の使われ方は乗用車よりはるかに過酷なだけに、評価軸はいろいろありそうです。日産からすると、音振を求めるならRD28のお求めを、と言われそうでありまして(笑)
今のディーゼルしか知らないと、当時の黒煙はエンジンブローに映るかもしれませんね(笑)

こちらも楽しみつつで返信していますので、長文はご遠慮なく。
ご指摘のDX-Aのシートですが、スプリットとセパレートは、通発レザー生地をスタンダードと共用していたようで、画像が誤植だと思われます。本カタのDXの画像を流用したのかなと一瞬思ったのですが、外観やインパネ等は、DXとの差異が反映されたDX-Aに違いないため、リヤシートだけ何故という疑問は生じますね。
2020年10月3日 8:30
クラウン 
セドリック/グロリア
タクシー
ディーゼル

私に向けられたようなお話ですが…

地方のタクシーでディーゼル車があったのは下記の理由からです。
 ・ミキサー式のLPG車は冬季の始動性に難があります。私が駆け出しのころは、冬場で掛かりが悪いとミキサーにお湯を掛けてくれたりしました。都内でもそんなわけですが、北海道などは…
 ・地方のタクシーは燃料屋と兼業が結構多く設備に金が掛かり数量も出ないLPGよりは軽油と云う選択。
 ・上記に関連して台数が少ないと単独でLPGスタンドの維持が困難。この問題はまた再燃して地方でプリウスの中古が売れるわけです。私のところのようにある程度保有のある会社は簡易LPGスタンドを使っています。ちなみに私のところのハイエースはLPG並燃車です。

100系クラウンの世代だと家にはまだディーゼル車はありませんでした。430のLD28搭載のワゴンを経て、120系でクラウンを購入するわけですが正直L系ディーゼルにはあまりいい印象はありません。130系になって自分でハンドルを握ることはあり、2L-THEなのでパワーはある程度満足はできましたが耐久性がよろしくなく、120も130もパワステプーリーのシャフトが10万キロで破断などがありました。

クラウンとセドリックのお話は次回でしょうか。
コメントへの返答
2020年10月3日 20:36
詳しい説明をありがとうございます。

タクシーに関する話は奥が深く、また一般的に広まることも少ないため、本職の方のお話というのは、とても参考になります。

冬季の始動性に関連して、寒冷地はガスの成分が異なっていて、混合するとベーパライザーを詰まらせてしまうという話を思い出しました。
もう一つ、当時の地方は小型タクシーが主だった筈で、中型になるセドリックのディーゼルを使っていた地域って、実は極限られていたのかなと思った次第です。
今、地方のタクシーはプリウスの中古が増えているのですね。先々はノア/ヴォクのHVの中古が求められるようになるかなと推測しています。

ワゴンディーゼルは、この次の世代からですしね。
ディーゼルはガソリン以上に、長時間長距離で使われることもあってか、L型は耐久性云々の話が散見できます。LDやRDでは、あまり耐久性の話は聞きませんね。

次回は110というだけで、まだこれからですが、どこまでセドリックを混ぜるか悩みそうな予感です。
2020年10月3日 9:52
おはようございます。

ディーゼル車ATですが、クラッチをラフに操作してもエンストしないのとトルクが数値以上に強いので耐久性に対する懸念で後回しされたのでしょう。

タクシー事情は、他の方が詳しく解説されていたので、大いに勉強になりました。

ハイエース100のお話ですが、ノンターボのL型は良しとして、ターボ付きはトラブルが多かったそうです。
特にオイル漏れが激しいので、3リッターの次型エンジンがトラブルを克服しているそうです。
確かに、パワーと静粛性はガソリン車よりも良かったです。

多走行のディーゼルエンジンですが、10万キロのタイミングベルト交換で、ただでさえしんどい作業なのにスピードメーターにあるタイミングベルト交換警告灯のリセットするのにメーターを外して作業になるので、良い印象がありません。

愚痴になりましたが、デミオディーゼルでトラブった人がいますが、壊さないための知識が必要です。
コメントへの返答
2020年10月3日 21:00
こんばんは

クラウンでもAT比率が50%前後だった時代ですから、経済性重視のディーゼルでは優先度が高くなかったのでしょうね。オーバードライブ付きの4速をディーゼルと組み合わせるのは世界初でもあったようです。

タクシー事情、私も参考になりました。広く出回っていない話ばかりで貴重ですよね。

排気量アップに過給となるとそれなりの負荷。当初から想定があったのかも疑問の所で、皺寄せが耐久性に行ったかなと思わされます。
次世代のKZは、ハイエースやハイラックスサーフの販売台数を伸ばす要因ともなりましたね。

そう、タイミングベルト交換警告灯のリセットはメーターを外しての作業でした。81の整備解説書にこの作業の記載があって、こんなことをやるんだと思ったことも懐かしく。他の作業で実際にメーターを外し、ばらしたこともあるのですが、確かに面倒な作業ではありました。

近年のディーゼルは、黒煙対策装置関連のトラブルを聞くようになりました。乗り方起因もあるようで、選択の際は要注意ですね。
2020年10月10日 21:16
こんばんは。
このクラウン中期型のテールランプの写真が、ありそうでなかなかないのです。初期型のテールランプを天地方向に広げ、視認性を改善したと考えられます。当時のトヨタ・日産車のマイナーチェンジがこの手法をとっていて、保安基準の改正でもあったかな、と調べたのですが、出てきませんでした。

私の家の方でも、タクシーは当時ディーゼルエンジンを採用していました。子供心に勇ましいエンジン音を立てるディーゼルエンジンでしたが、後年パワーはむしろ低いことを知り、気持ちが冷めてしまいました。

また、親戚が332型のセドリックディーゼルに2003年まで乗っておりました。グローに難があり、寒冷時にはエンジンを始動できるまでかなり時間を要していました。
コメントへの返答
2020年10月10日 21:42
こんばんは
排ガス規制の一段落もあって、マイナーチェンジが相次いだ時期でもあり、テールランプの意匠変更が同じ方向を向いていたかもしれませんね。この時期で保安基準の改正対応を推測しているのは、330セドグロのバンで末期にテールランプの配置が変えられていたりします。

当時の販売比率からすると、タクシーでディーゼルを初体験される方が多かったのではないでしょうか。音振を始め、ガソリンとは明らかに違うフィーリングでもありました。

初期のディーゼルはグローに時間がかかるのが難の一つでした。操作性に係る部分ということで、早々から改善が図られる部分でしたね。
2021年10月8日 18:26
330セドリックのディーゼルGLでこげ茶の車を所有されている方がおられます。
 この方は、元自衛官、元警察官の方で他にバイクやパジェロイオも所有されております。
 セドリックのディーゼルは新車から乗られております。
 車体は錆びは少なく割と綺麗です。アイドリングの時の音はかなり大きいですね。
 私が小学校の頃全く同じタイプの車に乗っている音楽の先生がおられました。色もこげ茶でした。その後Y30HTのディーゼルの白に乗り換えました。グレードはGL?だったと思いますが、はっきりは覚えていません。
 当時はセドリックやクラウンは大きく感じました。
 空気抵抗とかはあまり考慮されていないのかもしれませんが、5ナンバーでも十分貫禄や風格があったと思います。

 5代目クラウンのディーゼルはスーパーデラックスのディーゼルAT車で緑色を数年前イベントでみました。オーナーさんは車より若い方で女性でした。イベントから帰るときには旦那さんと思われる方が運転して帰られました。
 この頃のクラウンはトランクの容量は大きいですが、後部座席の足元はそれほど広くなかったですね。
コメントへの返答
2021年10月8日 19:49
当時のこのクラスだと、ブラウンやマルーンは、定番色の一つですね。
1960年代発祥の4気筒ディーゼルですから、音や振動はかなり大きいとなるのも仕方ないかなとは。後期のSD22は、前期のSD20より静かになったというアピールがされていたりしますけれど。セドリックやクラウンから下のクラスに展開されていった理由の一つが、音や振動対策がし易いというものでした。

時折、当時の車を見かけると、今の車より明らかに小さいと感じます。車の大きさは相対比で判断しているということなのでしょう。
5ナンバー枠で貫録や風格を出すためのデザイン上のノウハウが当時は存在していました。80年代半ば以降、車幅1690mmの車がだいぶ増えた時にセドリックやクラウンを上級に位置付けるのに相当苦心していたりもしますね。

クラウンは3代目でペリメーターフレームを確立後、6代目までキャリーオーバーしていますから、高さ以外の室内スペースの拡大は難しかったようです。小型車枠にホイールベース長が含まれていたのも理由の一つです。7代目の時にホイールベースの制約がなくなると、セドリック共々延長がされていて、後席足元の拡大に充てられていたりしますね。

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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