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2020年10月21日

思い出のクルマをカタログで振り返る36(2代目ランサーフィオーレ)

思い出のクルマをカタログで振り返る36(2代目ランサーフィオーレ) 今年は暑さが続くなぁと思っていたら、それまでの分を取り返すかのようにいきなり寒くなり、戸惑っております。

季節の変わり目でもあり、体調を崩しやすい時期、くれぐれもご自愛くださいませ。このご時世だと、風邪をひいて発熱でもしようものなら、噂話に尾ひれがつく可能性もアリ。例年以上の体調管理が肝心ですね。

時節話は早々に切り上げて、思い出のクルマ話、第36回です。
今回は、2代目ランサーフィオーレを取り上げることにします。

同車は、ちょうど37年前となる1983年(昭和58年)10月21日に登場。
初代の登場は、1982年(昭和57年)1月22日でしたから、何と僅か1年9か月でのモデルチェンジでした。

もちろんこれには理由があって、ベースとなったミラージュは1978年3月に3ドアが登場。同年9月に5ドアを追加した後、ランサーフィオーレの登場と同時に4ドアを追加して、ミラージュIIに車名を変更するという、やや複雑な変遷を辿っています。
最初のミラージュ3ドアから数えると5年半強となりますから、初代ミラージュはむしろ長いくらいのモデルライフだったとも言えます。4年近く経ってから4ドアを追加するというのが異例ではありまして。日本の小型車のFF化が進行する中での過渡期的展開がここにもあったと言えるでしょう。

三菱的には、前年に登場したコルディア/トレディア、スタリオン等が期待の割に販売成績に反映せずの状況でした。直前にFF化を果たしたギャラン&エテルナシグマに続く、ミラージュ/ランサーフィオーレというこれら主力車種のモデルチェンジは、反転の機会として期するものがあったであろうことは、間違いありません。


さて、ここからはカタログの紹介に入っていきます。



最初の見開きでは、表紙に続いて、ラグジュアリー系のトップグレードとなるCXエクストラが、専用色グレーストーンで掲載されています。グレーストーンは、カイザーシルバーにベージュの組合せだったようです。

このCXエクストラは、ハッチバックを主力とする姉妹車ミラージュ4ドアには設定のない、ランサーフィオーレの専用グレードの一つであり、同車のイメージリーダーともなっています。

先代もプレスドアの採用を始め、全体的にクリーンな印象のスタイリングであり、モデルチェンジでそれをさらに洗練させた感があります。

今回取り上げるにあたり、スペック等を再確認したのですが、パッケージングとしては、Aピラーから後は先代の踏襲。フロントトレッドを拡大し、エンジンコンパートメントも横方向に拡げたようです。拡げた理由は、ライバル車への対抗もあるものの、その最大は恐らくディーゼルを搭載するためと推測します。

キャッチコピーは「若い大人の・・・」。中高年層を主購買層と想定しつつ、大人の雰囲気を求める若者、あるいはヤングファミリーにも支持を拡げたかったのでしょうね。





当時の最多量販価格帯に設定されていたCG-Fのリヤビューと共に、スタイリングに関する解説が書かれています。

先述の通り、リヤビューは先代の面影を残すもの。ハッチバックからは4年遅れたとはいえ、先代から2年足らずでのモデルチェンジですから、それも当然かと思います。

先代はハッチバックをベースにトランクを後付した感が、どうしても拭えないものでした。この代は当初からセダンの検討が含まれていたのでしょう。プロポーションとしては洗練されたように感じます。

先代のボディサイズは、全長4105mm、全幅1590mmということで、一回りのサイズアップが行われています。

デザインの基調は、当時としても先進的に映るフラッシュサーフェス。注目点は、サイドカットオープニングフード、ブーメラン型ランプ、シンプルなフロントグリルが集まるフロントマスクにあるというのは私感。当時としてもモダンなルックスに映りましたが、市場評価としては理解が進まず、年次改良で加飾を加えつつで一般的な方向に舵を切ることになります。





インパネの紹介頁です。

先代の空調吹き出し口は助手席以外、インパネの下寄りに配置されていましたので、モデルチェンジに伴い内部構造は一新。ギャラン風にメーター下段にスイッチ類を集めた作りも可能だった筈ですが、こちらは先代同様、ライトとワイパーのみに留めています。

デザインのテーマは「できるだけ広く。見渡せて、しかも全て自分でコントロールできるもの。」とあり、イメージするものとしては「放送局」あるいは「オーケストラの指揮者」という言語が、当時の設計陣から語られています。

CXエクストラは、最上級ということもあり、液晶式電子メーター、オートヒーター、AM/FM電子同調ラジオ、フロントパワーウィンドが標準ということで、当時の同クラスとしては、かなり豪華な装備設定でした。

設定の狙いとしては「まだ贅沢ですが、客の需要をみてみたい。将来はこういう方向にいくと思う」「お客様の、ユーザー志向が多様化の方向になっている。豪華なもの、より上級グレードのものをほしがってきている」「大衆車クラスにサイズダウンする人たちも、装備は上級車にあったものを、そのままほしいという人が増えてきている」ということが語られています。

その後の動向も含めて正しい読みだったと思いますし、最後の部分はうちが正しくその一人でもありました。





インテリアの紹介頁です。

CXエクストラのフロントシートは、実はスポーティ系と共通の形状となります。
インテリアカラーをブラウンに、シート生地を高級ニットにすることで、高級感を演出しています。インテリアカラーやシート生地は、同時期のカローラ/スプリンターSEサルーン、サニーSGLエクストラ等と同じ印象を受ける部分です。

先代由来のパッケージングの不利を意識したのか、フロントのシートレールやドアガラスレギュレーターによるスペース創出の工夫が書かれています。今とレベルの違いこそあれ、室内の広さが重要視された時代ですね。

分割可倒とセンターアームレストを備えたリヤシート、トランクの内張等は、カローラ/スプリンター以上のきめ細かさだったりします。後の改良で追い付くあたりがトヨタの抜け目のない所でもあり。





メカニズムの紹介頁です。

実はエンジンは全て変更されていたりします。
先ず、1.3と1.5は先代の1.2と1.4からの拡大。同クラスは偶数排気量から奇数排気量に主流を移していましたので、ようやく追いついた感もありました。販売サイドの意向が語られていて、他車比-100ccと思われがちだったと。
1.6もあったことから、1.2を落として1.4と1.6にする案も質問されていますが、「間・間といくよりは…」「今までの1.4を1.6に上げるのは難しい」と返されています。1.5に税制の境界があり、1.2と1.4はオリオン、1.6はサターンと系列も異なっていましたから、主力を1.4と1.6の二本立てにする選択は考えられなかったでしょうね。

1.3は1244cc→1298ccで、1.5は1410cc→1468ccで対応しています。どちらもボアアップですから、1.5はこの辺りが限界だったのだろうと推測。同時期の1.5としては、トヨタ3Aの1452ccに次ぐ排気量の小ささとなります。

ターボは1.4のオリオンから1.6のサターンベースに変更。コルディア/トレディアが先に搭載したキャブターボを、両車が1.8ターボに移行したことに伴い、ECI化して流用したという見方もできます。同クラスのターボは1.5が多数派だった時期であり、100ccのアドバンテージがありました。

ディーゼルはこの代で初登場。このディーゼルは、後にターボが追加され、シグマに搭載されることにもなります。このシリーズだけに積むなら、一回り小さいサターンベースの方がベターだったように思いますが、小排気量ディーゼルの難しさと他車との共用を考慮しての選択でしょう。ちなみに、先に存在していた2.3のFR用ディーゼルは大き過ぎて搭載は無理だったとのこと。


ミッションは従来からの4速MT、4×2のスーパーシフト、3速ATに加えて、新たに5速MTとELCオートマチックが設定されています。

元々ミラージュは、当時の多数派が採用する、右ハンドルの運転席側にエンジン、助手席側にミッションという配置とは逆の置き方を採用して登場しました。シビックの後を追ったかなと推測させる配置ですが、エンジンを逆回転させた本田に対して、FRとの共用もある三菱は逆転も出来ず、ミッションで逆回転させることにします。逆回転ギヤに副変速機能を持たせ、アピールポイントとしたのがスーパーシフトの出自となります。

5速MTはターボとディーゼルのみの設定。従来はスーパーシフトだったターボのミッション設定をどうするか、議論はあったようです。5速にするか、スーパーシフトも加えて燃費とパワーを両立させるか。「走りを重視し、性能一本でいったらいいんではないか」が選択の理由とのこと。

実は市場模索も兼ねていたようで、翌年の年次改良では継続扱いのスーパーシフトは廃され、5速に変更されることになります。

ELCオートマチックは、ミラージュへの設定はなく、ランサーフィオーレのCXエクストラのみが選択可能でした。電子制御と2速・3速のロックアップを備えた効果は、燃費データへの反映が読み取れますが、通常のオートマ+2万円が設定拡大を躊躇わせたかなと。





バリエーション一覧です。

この内、GSR・CXエクストラ・CG-MDは、ミラージュだと5ドアへの設定(ただしCXエクストラではなくCXスーパー)となり、4ドアではランサーフィオーレのみで選択可能でした。

最近知ったのですが、GSRは翌年の年次改良でカタログから落とされています。ミラージュ5ドアは継続していたので、4ドアの廃止は意外でした。4ドアのターボならランサーEXを買われたのかなと。この改良では、CXエクストラがミラージュ4ドアにも追加されている点も含めて、三菱らしい設定の目まぐるしさがありますね。

大人向けという狙いからか、ボディカラーは地味目が多く。グリーンやブルー等の設定が無いのは珍しく感じます。反面、グレードにもよりますが、内装色はブラック・ブラウン・グレー・ダークレッドと豊富な設定。

サイドカットオープニングフードは、当時はまだ多かったフェンダーミラーの設定が難しかった筈ですが、フード側に設置する形で対応しています。






装備の紹介と主要装備一覧、そして主要諸元表と続きます。

装備の違いだけかと思ったら、実はメカ部分もきめ細かく違うのが、三菱の特徴。先に紹介したELC-ATに加えて、燃費向上を狙った1.3のエレクトロキャブ及び1500のMD等、既にこの時期から、なんでこんなに作り分けるんだろうの片鱗は見受けられますね。


といったところでいかがだったでしょうか。

FRでスタートしたランサーと、後からFFで加わったミラージュ。小型車のFF化が決定的となる中で、やや異なりつつもクラスの重なる両車をどうするのか、三菱はとても悩ましかっただろうと推測します。

選択は、当時のランサーEXと同クラスにミラージュをベースとしたトレディア/コルディアを投入。さらにミラージュには4ドアを加え、その姉妹車にフィオーレのサブネームを付けつつもランサー名を語らせる方法でした。

後発のFF2BOXは、伝統的なカローラ・サニーに対してややクラス下に見受けられてもいましたから、この選択は上下から包囲できるという目論見もあっただろうと推測します。

結果は、買い手を困惑させることとなり、その皺寄せは、新型車で一番ネームバリューの乏しかったトレディアが受けることとなります。取扱チャンネルを変えつつも、ランサーEXからの移行を想定していたトレディアが早々に失速した理由の一つですね。

トレディアの失速により、このフィオーレはランサーの代替需要も急遽担うこととなりました。三菱は、他社とはクラスを微妙にずらすことで、売り上げを伸ばせるという考えは、その戦略が外れたことで、新たな対応を迫られることになるのです。


この代の4ドアには、先代4ドアとの関係、トレディアとの関係が影を落としていることを感じます。前年に登場したこの2台が、サイズやシャシーの選択に影響しているように見受けられるからです。

エンジンこそ他社と揃えられたものの、先代のシャシーの多くを踏襲したことで、ライバル車よりもやや小さなサイズというハンデを背負うこととなりました。4ドアだけでもトレディアのリヤセクターを共用していれば、そのハンデは払拭できたように思います。でも、その選択はできなかった。改めて見直すと、全体計画の策定とその采配の難しさが伝わってくるかのようです。



ここからは思い出話を。

このランサーフィオーレは、カローラに代替する際に彗星のごとく、浮上したクルマとなります。

父は私が物心つく前から、とある自動車整備工場、所謂モータース屋さんと親しくしていて、車検はもちろん整備や装備品の後付け等も含めて、ほぼお任せしていました。
そのモータース屋さんは、全社の取り次ぎを可能にしつつも、一番の取次先は三菱(カープラザではない方)だったのです。

マークII、ましてや中古車となると、三菱に相当する車はなかったのですが、対象がカローラとなると、三菱の新型車も検討されては?というのが話の発端。
希望はハッチバックではなくセダンということもあり、お勧めされたのがランサーフィオーレ。グレードは中間のCG-F。この部分は朧気ながらですが、奥様も運転されるのなら、ということでATの見積もりをもらっていたように記憶します。これからはATの時代ですよ、という話もあったような。

話を聞いてきた父は、どう思う?と私に見解を求めまして。
私としては、最上級のCXエクストラの豪華装備に魅力は感じたものの、父がデジタルメーターがダメということで、これはボツ。それでも内装色や装備の設定等、女性向け仕様のCG-Fではなく、CXを候補にすべきだろうと。
ATについても、当時の父はMTに拘っていたため、ボツ。
結果、カローラSEサルーンとランサーフィーレCXの比較となったのです。両車とも試乗する機会はなく、殆どカタログスペックだけでの比較ではあったのですが。

お互い、同クラスに新型車として登場したばかりでしたから、比較してもほぼ拮抗していました。
最終的にカローラに軍配を上げたのは、ホイールベースとリヤトレッドの違いから生じる室内スペースとスーパーシフトよりは5速の方が使い易いだろうということ。CXの同等はSEでしたので、装備もSEサルーンがやや勝っていました。

ATなら縁故を優先してランサーフィーレの選択もありかなと思いつつも、カローラをATで購入するなら、当時3速だったSEサルーンではなく、4速のECT-Sを選べたカローラSRが候補に替わり、やはりカローラだなと。


当時の同クラスの状況を思い出しつつで、書いてみると。

私的には、むしろ同時期に一新されたシビック35Gの方が強力なライバルに映ったのですが、こちらは地元にも関わらず、父が全く乗り気にならず。
その他のサニー、パルサー、ファミリア等は、登場後の年数も経っていて、比較の俎上に上がることはありませんでした。

実は、隠れたライバルは、FFコロナEXサルーンで、ボディサイズの点から検討外としたものの、価格差もそれほど大きくなく、ここは検討の余地があったなとは、今更ながら。当時の商戦では、カローラとコロナの1500はガチのライバルで、コロナはカローラのお客を吸引して台数を伸ばす一方、カローラが苦戦する要因となっています。カリーナは、まだFRの末期。

こうして書いてみると、当時からトヨタの設定あるいはスペック上のアピールが上手かったという見方もできますね。


ランサーフィオーレは、先に書いた通り、翌年の年次改良でスーパーシフトに替えて5速を設定しますが、うち的には既に後の祭り。

比較対象だった2車は、その後、カローラは歴代比で苦戦しつつも大量の販売台数を計上する一方、ランサーフィオーレは不人気と判断される販売台数に留まることになります。
比較をした私からすれば、少しだけカローラが良く映ったのは事実ですが、その台数差ほどの違いがあったかというと、決してそんなことはなく。少しの違いが大きな台数差となって反映する、既に何度か書いていますがクルマという商品の持つ恐ろしさだとつくづく思います。


当時の三菱は、販売不振の原因を豪華さの不足と認識していたのか、クリーンに映ったスタイリングは、手が加えられていって、末期にはかなり異なる装いとなりました。私的見解で恐縮ですが、同時期のシグマ共々、一番のグッドルッキンは最初期型と確信しています。内容的には最終型が一番完成度が高いというのも、もう一方の事実ですけれど。

ギャランのポジションの再定義とミラージュ&ランサーの統合を果たした次世代以降は、買い手視線でも理解し易くなって、このクラスの選択肢の一つとして存在感を発揮していくこととなります。

40年近く前の大衆車。ましてやランサーフィオーレともなれば、今となっては希少車に類されるものと思います。再注目されるハチマルの中でも、かなり地味な存在。今回の取り上げが、極僅かでも再認識のきっかけとなれば幸いです。


登場年月日の出展:自動車ガイドブックより
作り手の言葉の引用:月刊自家用車誌車種別総合研究より
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Posted at 2020/10/21 08:27:44

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この記事へのコメント

2020年10月21日 19:44
こんばんは。

このころFF化したコロナやブルーバードがライトの下にウインカーを置いていましたが、三菱にもあったかと膝をたたいた次第です。

3代目マークⅡを80カローラに代替された時のエピソードは、25年前に私の父が70マークⅡから110スプリンターに代替した時に重なり、懐かしく思いました。

8年経ってオートマなのに時々エンストするようになっていたマークⅡが、ラジエーターからの水漏れでオーバーヒートし急遽代替を検討することになり、当時高校生だったクルマ好きの私に父が同じように考えを聞いてきました。

マークⅡ3兄弟は3ナンバーに大型化していたので、5ナンバーで探していたのですが、95年夏の時点ではちょうどカローラ・スプリンターがフルモデルチェンジしたところでした。

急遽の代替だったこともあり、トヨタのセダンに絞って考えていたのですが、40カムリ・ビスタはコストダウンが目立ち、コロナはモデル末期。カリーナは父がリアの形が気に入らず。

自動車雑誌は今も昔も新型を称賛していて、新型なら長く乗れるだろうと母がスターレットで前年お世話になっていた市内のオート店(懐かしい)でスプリンターに。

今だったら絶対に190コロナを推しているところですが、当時は雑誌の「モデルチェンジ近し、新型待ち」を鵜呑みにしてしまったのが悔やまれます。190コロナは後期でコストダウンも見られましたが、110スプリンターの初期型と比べたら…

しかし、4年のモデルチェンジ周期が過去のものになって久しいですが、登場して3年半、マイナーチェンジから2年も経っていなければ、今じゃ全然末期じゃないですよね。時代の流れとともに、価値観も変わるものだと痛感しました。
コメントへの返答
2020年10月21日 20:19
こんばんは

FFコロナ、ミラージュとヘッドライトの下にサイドまで大きく回り込んだウィンカーを配するデザインが続き、このまま増えるのかなと思ったんですけれどね。ミラージュはマイナーチェンジで止めてしまいました。

今と違って、ダウンサイジングよりはグレードアップがはるかに一般的な時代ですからね。新車の喜びはあるものの複雑な心境だったように思い返します。

95年夏だと、トヨタのセダンは書かれている通りの状況で、モデルチェンジでアムラックスを訪れては失望していたものです。

一方で自動車雑誌は確かに新型を称賛していましたね。ニューモデル速報誌だけは、長年使い勝手コーナーを担当していた福野礼一郎氏が110カローラとスプリンターを率直に批評していましたが、率直過ぎて氏が同誌を離れる要因ともなってしまいました。

190はオーナーの方数人と親しかったこともあって、様々な情報を詳しく知ることができました。コストダウンもその一つで、こんなところを落とすんだと思ったものです。それでも他車より少なめだったりするんですけれどね。

あの頃はモデルチェンジを機に代替する方も多くて、それで成立していた部分はありますね。今だと法規対応の限界まで続けた方がいいと判断されている節があって。買い手も近所や知り合いの車と比べることが減り、古さを意識することも少なくなりました。車に対する価値観の大きな変化の一つですよね。
2020年10月21日 20:42
おばんです。

この時期のコンパクトクラスのセダンは、FF駆動に移行をしていた時期ですが、だからこそ「先進性」を各メーカーでアピールをしていたのでしょうね。同時期のギャランΣでもかなり先進性をアピールしていましたし。

それにしてもパワーウインドーが標準になっているグレードでも、リア席が手動式なのが興味深いですね。思わず現行のアクアでの営業車グレードを彷彿とさせますね。

パワーステアリングも廉価版ではメーカーオプションでも非設定なのも時代ですね。次の代で標準化がされますしね。
コメントへの返答
2020年10月22日 18:48
こんばんは

FF駆動への移行が明らかになる一方で、伝統的なFRも根強い人気がありましたから、「先進性」でアピールする戦略となったのでしょうね。メーカーとしても未来に向けて多大な投資をしているという自負もあったのかなとは。

このクラスだとパワーウィンドーの設定は、オプションを含めても極僅かでしたから、フロントだけで先ずは様子見だったのでしょうね。

FF初期は、各社パワステ無での操舵力軽減に苦心していたりします。車両重量が増える一方だったこともあって、パワステでの解決となっていきますね。
2020年10月21日 21:19
こんばんはっ
この型のランサーフィオーレを見ると、署の刑事課のクルマって
イメージで・・・(^^ゞ
低グレードの白塗色で、トランクにラジオアンテナ風の無線アンテナ・・・
懐かしいクルマですね
この当時はΣも人気で三菱車って良いイメージだったんですけどね・・・
コメントへの返答
2020年10月22日 19:00
こんばんは
刑事課のクルマは、地味目の低グレードセダンばかりでしたね。このクラスとしては初期の導入だったように思います。
同時期のΣは、6気筒という条件を超えて4気筒で警らパトカーとして採用されていたりもしますし、導入される台数も多かったですよね。
2020年10月21日 21:42
こんばんは。
この頃の三菱車のスタイルは、クリーンというかさっぱりしすぎているというか宇宙船感覚というか、親しみがわかないままに来てしまいました。内装も、特にインストルメントパネルは未来感覚あふれています。この辺は、’80年代初めならではの「コンピューター時代感覚」デザインとでもいうものに思います。これを見てしまいますと、この頃に「コックピット感覚」の内装で、「コークボトルラインのスタイルの車」、すなわちニューギャランや初代ランサーなどの車に乗っていたとすると、きっと自分の車が時代遅れに見えてしまったことでしょう。

スーパーシフトは、近頃のインターネットニュースでは「8速M/Tとして使用できた。」というものが目立ちますが、初代ミラージュでCG誌がテストした結果では、LOWでもHIGHでも0-100km加速はほとんど同じ結果だったというものを見て、ちょっと残念でした。
コメントへの返答
2020年10月22日 19:13
こんばんは
宇宙やコンピューターに夢を見ていた時代背景の中でも、三菱が一番未来感覚があったように思います。さっぱりなのは、恐らくデザイナーの案がそのまま市販に至っていたからと推測していて、後に加飾の方向に向いてしまいますね。ふそうも含めて、この時期のオリジナルデザインは、個人的に高く評価していたりします。
ニューギャランだと全数、ランサーもGSRと53規制適合車を除けば、ほぼ市場淘汰されていた時代ではありますね。

LOWとHIGHの固定だと、ステップ比自体は変わりませんから、大きく変わることはないかなとは。かといってMTだと、変速の度にタイムロスとなるでしょうし。同時期のΣでは、スーパーシフト部をスイッチにして、変速時に切り替えるという機構があって、こちらなら効果は見られたかもしれませんね。
2020年10月21日 22:13
こんばんは。丁度バブルの時に学生でした。友人がランサーフィオーレに乗ってました。その時は年齢的にも、流行からもデザインが理解出来ませんでした。今見るとサッパリしていてオシャレな感じが良いですね。
コメントへの返答
2020年10月22日 19:17
こんばんは
バブルの時だと、先代か先々代となる世代ですね。時代は濃厚長大一直線でしたから、このデザインが理解できなかったというのも、解る気がします。
清涼飲料水的なサッパリ感というか、こういった雰囲気のクルマは今も中々見つからなかったりしますね。
2020年10月21日 22:22
こんばんは。
何だか今は変な天気で、片や暑さも続く、
かと思えばコロッと変わって
ぐずついた天気も続く、その差が有り過ぎ中々付いていけません。

このランサーフィオーレ、中学校で乗っていた先生がいました。
確かCXエクストラのこのツートンで、ミッションは忘れましたが、
バンパーが大型になっていたので、年次改良したモデルかと思います。
三菱の車を乗っていた先生がほとんどいなかったので印象に残っています。
デザインは同級他車に比べても、ちょっと違ったテイストでしたね。
直線基調というか、直線というイメージしか出ません(汗)
他の先生が乗っていた80スプリンターや150コロナとはまた違った印象があります。
それでも空力に力を入れたドアまわりやフラットなホイールキャップ、特徴的なリヤのホイールハウスの造形は、この当時の三菱車の特徴ですね。
液晶のデジパネも驚きました。ここまでやるのか、と。
オートヒーターというのも驚いたものの一つですね。

個人的にはこのような味付けの車って好みなのですが、
メーカーとかブランドのものなのでしょうか、
世間的には今一つ、という感じでしたね。
コメントへの返答
2020年10月22日 19:32
こんばんは
つい先日まで、暑いとだけ言っていた気がするんですけれどね。気温が下がる一方ならともかく、上下があると体調は崩しやすいように感じます。

ランサーフィオーレを中学校で乗っていた先生がいたと。私の中学校では、同世代のミラージュ3ドア(最初期型のCX-S)と5ドア(年次改良後のターボ)が一台ずつありました。やはり同級他車と並んでいると、デザインテイストは異なっているように感じたものです。ご当人的には、共に拘りの選択というのも特徴で。
当時はアウディ100やフォードシェラを先頭に、フラッシュサーフェスで空気抵抗係数を減らす方向に向かっていましたから、今回取り上げたランサーフィオーレも影響を受けている感がありますね。

系列繋がりもあってか、エレキ関係は先進的です。同時期のΣロイヤルだと、ここまで電気仕掛けをやるのかと驚かされますが、こちらだとやや抑えは効いていますね。
アピールはしているものの、中々理解されずというか。上手く回り始めるのは、この後のE3#ギャランや初代ディアマンテ辺りですね。
2020年10月21日 22:29
こんばんは。

水島製作所があることもあり、こちらでもそこそこ走っていましたが 流石に最近は見かけなくなりました。
知っている限りではランサーワゴンが現役と廃車体が1台ずつで、フィオーレは皆無です・・・。

この世代のミラージュ、ランサーフィオーレは同クラスライバルに比べてかなり近未来感が高かった印象です。
外観もそうですが、メーターパネル辺りのデザインはかなり私好み(笑)。

仰るとおり初期型の方がよい感じで、だんだんとアクが抜けてしまった気がします。

この時代のライバル達も個性的かつそれぞれの主張も納得出来、今見ても良い時代だったんだな と思ってしまいます。
コメントへの返答
2020年10月22日 19:43
こんばんは

三菱に限らず、地元だと買って応援となりますね。40年近く前ということもありますが、このクラスはAE86以外、本当に残っていないように感じます。

同世代のΣ共々、外装の背景や内装の窓越しに宇宙のイラストがピタリと嵌る感があります(笑)

初期型がデザイナーの素案に一番近いと推測しています。売れ線を求めることで、当初の狙いがぼやけたかもしれませんね。

80年代を今見返すと、豊作だったと改めて再認識します。当時は皆が一番イイクルマを求めていましたが、各車の個性や主張をもう少し尊重してあげてもよかったかもしれませんね。
2020年10月21日 23:07
当時三菱としてはランサーEX≒カローラ、フィオーレ≒タコⅡ、トレディア≒カリーナくらいの想定だったんでしょうかね。
複数車種の存置はまさかカリーナ/コロナの様にFR→FFへの激変緩和措置でも無いでしょうに、三菱としての真意は何だったのでしょう?

さて初代フィオーレと言えば、驚いたのは当時まだまだ贅沢品のパワーウインドですが、2代目でも上位車種に遠慮してフロントのみだったのは何とも残念な気がしたのを覚えています。
しかも初代は、カローラで言うSE相当のXLで装備されたのが驚きだった訳で、2代目ではSE相当のCXでは装備されずSEサルーン相当のCXエクストラのみでの装備は、むしろ後退と映りました。

ディーゼルは当時カローラも1Cの1800、サニーのCD17の1700などでしたから、4D65の1800としたのは違和感無しでしたが、その後ふたクラス上のΣにICターボとは言え同じエンジンでお茶を濁そうとは自分で予想しておらず、クラス随一のパワーと排気量を誇ったΣ4D55が僅か4年足らずでのセダンからの引退は何とも残念でした。
ΣのFF化は既に規定路線だったはずで、なぜFF化で搭載不能なアストロンをディーゼル化したのかは疑問です。
NAディーゼルではMTのみの三菱ルールは、フィオーレでもしっかり生きては居ましたが。
追加されるワゴンでは、ガソリンにCXエクストラが無くCXのみだった故、ディーゼルを設定するも、セダンにあったディーゼルCXをきっちり落としてきたのもこれまたセオリー通りでした。
この辺はセドグロワゴン、サニーカルフォルニアやスカイライン5ドアと同じですね(笑)

コメントへの返答
2020年10月22日 20:01
認識というか推測の域となりますが、ランサーEX≒カローラとカリーナの中間、ミラージュ&フィオーレ≒シビック、トレディア≒ポストランサーEXだったのではないでしょうか。
省エネが時代背景にあり、FFならワンサイズダウンでもFRと同等の性能が求められるという認識は各社持っていたようですから、激変緩和は結構イイ線を突いているように思うのです。

初代フィオーレのパワーウィンド、実はこれもシビックを意識していたに繋がっていて、パワステの標準共々、EX・(バラード)FXEへの対抗だったのではないかと推測しています。当のシビック&バラードは、ワンダーで一時的にパワーウィンドが落ち、マイナーで復活していたりしますけれど。
カローラSE、サニーSGLは共に選択すらできませんでしたから、販売店主導の設定変更かもしれませんね。

なるほど、カローラの1C、サニーのCD17と並べると4D65の選択は妥当に映りますね。カムリ・ビスタも当初は1C-Tですから、ターボがあれば大排気量は不要という認識があったかもしれません。
4D55は、乗用車用ディーゼルの持ち駒を揃えるのが最優先だったための選択ではないでしょうか。Σへの搭載は短期に終わっても、開発が進んでいたパジェロへの搭載は想定されていたでしょうし。シリウスベースの開発が待てなかったのだろうなどと。
当時のワゴンは市場が限られていましたから、バン用途との兼用を意識して、ディーゼルは中級グレードに留めることが多かったですね。この壁を壊したのは、120クラウンワゴンではないでしょうか。
2020年10月21日 23:08
こんばんは。

この2代目ランサーフィオーレ、当時のルノー25にも通じるようなプレーンなスタイルが割りと好きなんですよね。

間違いだらけのクルマ選びでは徳大寺氏に乗り心地の面でハーシュネスが強すぎるとずっと指摘されていたのを思い出します。

日産もよく同じような過ちを犯すんですが、三菱はバリエーションの設定の詰めが甘いんですよね。

CXエクストラのデジタルメーターがせめてオプションだったら、5速マニュアルや4ATを中間グレードまで設定していたらとか、いい物を持っているだけに残念に思います。

後期型は確かにサイクロンエンジンに換装され完成度は高まったと思いますが、やはり初期型の内外装のシンプルさは魅力を感じます。私も初期型に一票を投じたいですね(笑

CXエクストラのツートンのイメージが強いですが、グレード紹介するページのCXエクストラの白も実にいいですね。

今人気のハチマル車もハイソカーやスポーツ系はよく残っている反面こうした大衆車は本当に残ってなくて大変貴重だと思います。
もう何年も実車は見てないので、また見て見たいですね。






コメントへの返答
2020年10月22日 20:22
こんばんは

同じ世代だとルノー9とも通じるものを感じたりしますね。ミラージュの初代は、ルノー14に近い感じもあって、フランス風味が持ち味だったのかもしれません。

徳大寺氏は、ライバル車との比較で乗った最初期の3ドアの乗り心地にかなり失望されたようで、ハーシュネスへの指摘は長く続くこととなりました。

バリエーションの設定の詰めが甘いは同感です。多彩に揃えているようでいて、実際に検討すると不足か過剰となってしまいがちでした。この辺りは、年次改良で補われたりもするのですが、折角の内外装にも手が入ってしまったりもして。

個人的主観に過ぎませんが、Σが最後期で搭載したサイクロンマルチやV6が、初期型のデザインのままだったら、どんなに魅力的だったろうと時に空想してしまいます(笑)

この世代は、ずっとツートンをイメージカラーとして前面に出していますよね。その分、ホワイトが新鮮で。3ドアはフルカラーホワイトとか出していますが、セダンでやってもよかったかもしれません。

この時代の大衆車は、バブルの時期に多くが潰されていたりしますからね。
当時の風景の一部だったことは揺るがない事実で、長く見ていないからこそ、見てみたい、そんな思いは私も共有するところです。
2020年10月21日 23:28
とてもマニアックなカタログを有難うございます。
ランサーフィオーレ・・・・伯母の家に来ていた客人が初代に乗っていて車好き少年の私に室内を見せてくださった・・・・なんて記憶がありますが2代目だとミラージュの方に乗っていた近所の方が居られたくらいでしょうか。2020年の感覚だとタマゴをイメージしたと言われても信じ難いフォルムですがハチマル的で懐かしいです。

プロポーションとして正しくセダンなのですがクオーターピラーとルーフのつなぎが前にある(QTRピラーが傾斜している)ので後席の頭上空間はちょっと心配になる印象です。

フランス車のようなオーラをまといながら、比較的シンプルですよね。インテリアも現行フィットの「バイザーレスメーター」ばりの開放感を写真から感じました。

メカニズム面の複雑さは三菱らしいですね。もう4速とスーパーシフトと5速に分ける必要はもはや凡人の私には理解不能です。Rrサスが独立式を謳っていますが車軸式の様にも感じられます。左右を繋ぐビームが大きく捩れるから反対側に影響を及ぼさないから独立懸架だという事なんでしょうか・・・・。

三菱に限らず、今の自動車はエンジンバリエーションも少なく(ガソリンE/GとHV)、変速機も一種類、グレードも松竹梅くらいしかありませんので、ランサーフィオーレのグレード展開の多様さに圧倒され、どうやって選べば良いのか分からないほどですが、カタログウォッチャーとしてはこのワイドバリエーション写真はそそられてます。(私はスポーティな味が良いのでGSR一択)
コメントへの返答
2020年10月22日 20:40
マイナー車に類される故、マニアックとなってしまうのでしょうね。

書いた通り、初代は短期間で2代目となっていますから、結構少ないように思います。
当時は丸みを帯びたフラッシュサーフェスは大抵タマゴに例えられていたりします。同世代には「マヨネーズ」と呼ばれた車があり、後年には「天才タマゴ」と自ら名乗った車もあったりしますけれど。

ご指摘の後席の頭上空間は、5ドアとリヤドアを共用しているための制約ですね。ハッチバックでリヤゲートを起こすとバンと思われる危惧を抱えていた時代です。同世代のセダンは、居住空間を重視した車が多かったですから、比較された時のビハインドの一つだったかもしれません。

室内長を稼ぐ意図もあって、インパネを薄くするのも当時の流行でした。操作性との両立で操作面のスラントがセットでもあって。

複雑さの背景には、一度出すと中々止められないもある気がします。新しい物を作っても、従来の物も残すとか。ターボでも、並行設定の検討がされていたようですし。
独立懸架が求められた時代ですから、車軸式とは言い辛かったのだろうとは思います。

現代は、排ガスや燃費の計測がガチガチで多種を設定する余地はないとも聞きます。ベストだけが選べるとも言えるのですが、カタログを眺めて楽しんでいた一人としては、ワイドバリエーションを比べていた頃に郷愁の念を感じるところです。(私は思い出加算もあって、CX-EXTRAのELC-ATかな。メカへの興味ならMD一択)
2020年10月25日 22:35
こんばんは。

この代のランサーフィオーレ&ミラージュ、現在の目で見てもプレーンで良いスタイルをしてますね。それだけに、当時でも若干ボディサイズが小さかったのが惜しまれます。この辺り、メーカーの考えるワイドバリエーションと、コストを考えつつシャシーをどの様にして最大限に使うかで様々な葛藤があったのかもしれないですね。

ちなみに、この時期の三菱車はフロント合わせガラスを採用している事を静かにアピールしていたと思いますが、当時の同クラスでは80カローラ・スプリンター前期の一部改良でようやく選択可能になっていたのでコスト高を承知で採用していたのは時代を先取りしていましたね。これも、仕向け地(ジャッキーチェンの映画で知りました:笑)やマレーシア製プロトンの初期モデルでは設定が細かく変えられていた様です。

この世代のクルマは現役当時、不人気で下取りが殆ど付かない→すぐ解体送りになるケースが大変多かったですね。既にバブル崩壊ごろには廃車にされた個体を数多く見掛けた記憶が有るので、もし元気に走っているクルマに出会ったら思わずテンションが上がりそうです。

コメントへの返答
2020年10月25日 23:35
こんばんは

初期のFFセダンはパッケージング重視でキャビンが相対的に大きな車が多く、その中ではややスタイル寄りと言えるかもしれませんね。
本文で記した通り、他車比で数値が小さい部分がいくつかあって、不利は否めなかったように思います。
葛藤があったは同感です。後はライバル車への読み違いもあっただろうなとは。

フロント合わせガラスですが、排ガス規制前はマツダが採用していたものの経営危機で縮小。三菱が代わって採用を拡げた形と記憶しています。確かにコストに反映する装備で、早くからの採用は良識的と言って良さそうです。これも安全性への指摘から採用が広がったものの一つですね。そう、フロントガラスは仕向け地で品番違いが存在します。81もARL向け独自があって謎だったことを思い出します。

この世代の代替期とバブル景気が重なる部分があって、確かに短命なものも多かったです。中古車輸出も少なかった時代で、廃車処理が問題となってもいます。リサイクルが認識され始めた理由もこの時代の出来事からですね。
補修部品等から今も生き残るのは相当な試練を括り抜けた強者。しばらく見かけていない一台で、私もテンションが上がることが確実です。

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