自車が80,000kmに到達したのは、横浜へお買い物に出かけた時でありまして、買い物ついでに日産ギャラリーにも立ち寄ってみました。
館内は密とは程遠い状態でしたし、展示車も眺めるだけに留めることで、自分なりの自粛も込めつつ。
今の日産はセダンが減らされる一方ということもあって、新車よりはるかにヘリテージの展示の方が興味をそそられるというのが、私感です。そのヘリテージの展示には、ダットサン16型フェートンもあったのですが、さすがに自分の範疇を超えていまして、残り2台を取り上げることにします。
初代チェリーX-1 4ドアセダン(1970年)
1970年に小型車初の横置きFF車として誕生。
エンジン&ミッションの搭載方法は、その後の主流となるジアコーサ式ではなくミニ由来のイシゴニス式が採用されました。
日産初のFFであり、小型車のFFは他社に先例がありましたが、それでも初代シビックよりも1年強早くの登場は先進的かつ意欲的だったと言えます。当時のライバル車パブリカが、カローラの小型版になっていたことと比較するとより明確でもありますね。
ハッチバックでも成立しそうなボディ形状に感じますが、リヤゲート=バンと認識される時代においては、トランクとするのがむしろ自然だったのでしょう。
テールゲート付は同時に登場したバン、後日追加されたクーペで対応することになります。
サニーよりも下位を狙っていたこともあり、シリーズの主力は1000ccにありましたが、このX1は当時の俊足サニーGX譲りの1200ツインキャブを搭載。
レースにも出場し、活躍することになります。
このオレンジは、この初期型X1のイメージが重なります。(
オレンジ色の車6選で選んでいたりもします)
GLやDX等では、ホワイトやシルバー、テールランプの大きくなった後期だとターコイズに近いブルー等でしょうか。
先進的かつ意欲的なシリーズでしたが、国内では充分な販売成績を残せたとは言えず、4年後に登場する次世代はサイズアップでより上級を求めたF-IIとなります。
F-IIは1200と1400の設定ということで、初代は1000の4ドアGL・DX、クーペDXのみ併売期間があったようです。(1974年発行の自動車ガイドブックにて確認)
初代パルサー1200TS(1978年)
上級移行したF-IIでしたが、やはり十分な販売成績は残せませんでした。
そこで心機一転。1978年5月にモデルチェンジではなく、パルサーという新たな名が与えられた後継車が誕生します。
販売系列の名称はチェリー店のままでしたし(CMではパルサー販売を名乗る矛盾も)、チェリーキャブ・チェリーバネットでその名も残りましたから、名称変更が必要だったのかは個人的に疑問を持っていたりします。
登場時点では4ドアのみ。同年9月に3ドアとクーペが追加。さらに11月にバン、翌年9月に5ドアが追加されて、シリーズが完成しています。
背景の画面には、偽装された先行開発車がテストコースを走る姿が映されていました。当時の比較車輛が、VWゴルフではなく、BMWの初代3シリーズだったのは意外でした。
成り立ちとしては、F-IIをベースに車幅を100mm広げた形。当時の日産は長さよりも幅を広げることに意義を見出していたようで、サニー・バイオレット兄弟でも同じような変更が行われています。これら車種を凌ぎ、さらに上級のブルーバードやスカイラインにも匹敵する車幅は、ワイドトレッドも効いて、当時、かなり幅広に映ったものです。デザインやアピールの仕方も相乗効果があったと言えましょう。
少し後に登場したトヨタのターセル/コルサは、車幅を同クラスの平均より狭めて逆に長さを強調しましたから、対照的でもありました。どちらが正しかったかは、一長一短があって判断が難しいところですね。
スタイリングは、従前以上に明確な2ボックス形状でしたが、4ドアでは再びハッチバックではなくトランクを採用しています。
一見いいとこどりのようで、実は理がないと言わざるを得ないこの選択は、結局長続きせず、上記のとおり5ドアハッチバックが追加された後、4ドアは廃止となっています。
スタイリングでもう一つ。
同時期のスカイラインジャパンのイメージと重なるというのは、水平ゼロ指針のメーター共々、登場時点で受けた印象でした。同じ荻窪系列の開発ですから、それも道理なのですけれど。
ここにスカイラインGTのマスクを嵌めて、プリンス店扱いの姉妹車ラングレーを登場させた展開には、さすがに驚かされました。
次世代は3ボックスタイプの4ドアセダンを追加していますので、この時点でやれていれば、ラングレー共々、歴史は少し違っていたかなと思ったりします。
シルバーのボディカラーは、当時も少なかったように記憶していて、ラングレー共々赤が多かったように思います。
F-IIから引き継がれた12インチのホイールは1200の特徴でした。1200も全くとまでは言えないものの、1400の方がよく見かけたと記憶します。
この2台、ご近所、父の友人関係、乗られている方はいたのですが、確実にサニーよりも少なかった印象があります。
一つにはチェリー店って、元がコニー店の転籍が多く、販売系列が強くなかったことが挙げられます。指名買い以外は競合で勝てることは少なかったはずで。
歴史のIFでいけば、荻窪系列でもありますし、プリンス店でも併売していれば、もっと台数は売れていたようにも思えます。
そんなことを空想させるのは、少なくとも、車自体の出来は悪くなかったと思えるからです。同時期のライバル車、初代シビックやFFファミリアがブームを形成したことからすると、この2台ももっと評価されて然るべきだった、と感じます。
勘ぐった書き方かもしれませんけれど、サニー、ブルーバードといった日産本流とは異なる存在であったことが、本腰が入らなかった(ように映ります)、結果として十分な販売成績を残せなかった理由に思えて仕方ありません。
新型ノートの登場に際して、サニーではなくそんな2台を取り上げたのは、だからこそ興味深いところではあります。
新型ノートについても少し。
今回のモデルチェンジでは、車自体の商品力・競争力は認めるものの、e-POWERのみとした売り方に加えて、装備の設定等、どうしてこうなったという点が、個人的にという注釈を添えつつで少なからず持っています。
キックスは一応新規車種というエビデンスはあるものの、ノートはモデルチェンジですからね。替わりの受け皿となる車種も思いつきませんし。イメージ構築には仕様を絞った方が有利という判断のようですが、従来型のユーザーの一部を切り捨ててまで行うべきだったのかは疑問を持たざるを得ません。充実していた車種体系の統廃合を繰り返し、既存ユーザーを篩にかけ続けた結果が、今の状況に繋がっていると思うので、尚更です。
捉え方次第では、マツダ以上に、早急かつ大きなイメージ転換を図っている感もあります。この選択の是非は販売成績に反映となるのでしょうが、想定と異なる結果となった場合、それこそ深刻な事態とならないか危惧しています。
誤解を招かないように書きますが、ここ数年、トヨタ1強の弊害は各所に感じていまして、対峙する日産の復活をずっと待ち続けています。ノートがその歩みの一歩となるか、成り行きを見守ろうと思います。