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2020年12月24日

日産ギャラリー ヘリテージの展示車(チェリー&パルサー)

自車が80,000kmに到達したのは、横浜へお買い物に出かけた時でありまして、買い物ついでに日産ギャラリーにも立ち寄ってみました。

館内は密とは程遠い状態でしたし、展示車も眺めるだけに留めることで、自分なりの自粛も込めつつ。

今の日産はセダンが減らされる一方ということもあって、新車よりはるかにヘリテージの展示の方が興味をそそられるというのが、私感です。そのヘリテージの展示には、ダットサン16型フェートンもあったのですが、さすがに自分の範疇を超えていまして、残り2台を取り上げることにします。

初代チェリーX-1 4ドアセダン(1970年)




1970年に小型車初の横置きFF車として誕生。
エンジン&ミッションの搭載方法は、その後の主流となるジアコーサ式ではなくミニ由来のイシゴニス式が採用されました。

日産初のFFであり、小型車のFFは他社に先例がありましたが、それでも初代シビックよりも1年強早くの登場は先進的かつ意欲的だったと言えます。当時のライバル車パブリカが、カローラの小型版になっていたことと比較するとより明確でもありますね。

ハッチバックでも成立しそうなボディ形状に感じますが、リヤゲート=バンと認識される時代においては、トランクとするのがむしろ自然だったのでしょう。
テールゲート付は同時に登場したバン、後日追加されたクーペで対応することになります。

サニーよりも下位を狙っていたこともあり、シリーズの主力は1000ccにありましたが、このX1は当時の俊足サニーGX譲りの1200ツインキャブを搭載。
レースにも出場し、活躍することになります。

このオレンジは、この初期型X1のイメージが重なります。(オレンジ色の車6選で選んでいたりもします)
GLやDX等では、ホワイトやシルバー、テールランプの大きくなった後期だとターコイズに近いブルー等でしょうか。

先進的かつ意欲的なシリーズでしたが、国内では充分な販売成績を残せたとは言えず、4年後に登場する次世代はサイズアップでより上級を求めたF-IIとなります。

F-IIは1200と1400の設定ということで、初代は1000の4ドアGL・DX、クーペDXのみ併売期間があったようです。(1974年発行の自動車ガイドブックにて確認)



初代パルサー1200TS(1978年)




上級移行したF-IIでしたが、やはり十分な販売成績は残せませんでした。
そこで心機一転。1978年5月にモデルチェンジではなく、パルサーという新たな名が与えられた後継車が誕生します。

販売系列の名称はチェリー店のままでしたし(CMではパルサー販売を名乗る矛盾も)、チェリーキャブ・チェリーバネットでその名も残りましたから、名称変更が必要だったのかは個人的に疑問を持っていたりします。

登場時点では4ドアのみ。同年9月に3ドアとクーペが追加。さらに11月にバン、翌年9月に5ドアが追加されて、シリーズが完成しています。

背景の画面には、偽装された先行開発車がテストコースを走る姿が映されていました。当時の比較車輛が、VWゴルフではなく、BMWの初代3シリーズだったのは意外でした。


成り立ちとしては、F-IIをベースに車幅を100mm広げた形。当時の日産は長さよりも幅を広げることに意義を見出していたようで、サニー・バイオレット兄弟でも同じような変更が行われています。これら車種を凌ぎ、さらに上級のブルーバードやスカイラインにも匹敵する車幅は、ワイドトレッドも効いて、当時、かなり幅広に映ったものです。デザインやアピールの仕方も相乗効果があったと言えましょう。

少し後に登場したトヨタのターセル/コルサは、車幅を同クラスの平均より狭めて逆に長さを強調しましたから、対照的でもありました。どちらが正しかったかは、一長一短があって判断が難しいところですね。

スタイリングは、従前以上に明確な2ボックス形状でしたが、4ドアでは再びハッチバックではなくトランクを採用しています。
一見いいとこどりのようで、実は理がないと言わざるを得ないこの選択は、結局長続きせず、上記のとおり5ドアハッチバックが追加された後、4ドアは廃止となっています。

スタイリングでもう一つ。
同時期のスカイラインジャパンのイメージと重なるというのは、水平ゼロ指針のメーター共々、登場時点で受けた印象でした。同じ荻窪系列の開発ですから、それも道理なのですけれど。
ここにスカイラインGTのマスクを嵌めて、プリンス店扱いの姉妹車ラングレーを登場させた展開には、さすがに驚かされました。

次世代は3ボックスタイプの4ドアセダンを追加していますので、この時点でやれていれば、ラングレー共々、歴史は少し違っていたかなと思ったりします。

シルバーのボディカラーは、当時も少なかったように記憶していて、ラングレー共々赤が多かったように思います。
F-IIから引き継がれた12インチのホイールは1200の特徴でした。1200も全くとまでは言えないものの、1400の方がよく見かけたと記憶します。


この2台、ご近所、父の友人関係、乗られている方はいたのですが、確実にサニーよりも少なかった印象があります。

一つにはチェリー店って、元がコニー店の転籍が多く、販売系列が強くなかったことが挙げられます。指名買い以外は競合で勝てることは少なかったはずで。
歴史のIFでいけば、荻窪系列でもありますし、プリンス店でも併売していれば、もっと台数は売れていたようにも思えます。

そんなことを空想させるのは、少なくとも、車自体の出来は悪くなかったと思えるからです。同時期のライバル車、初代シビックやFFファミリアがブームを形成したことからすると、この2台ももっと評価されて然るべきだった、と感じます。

勘ぐった書き方かもしれませんけれど、サニー、ブルーバードといった日産本流とは異なる存在であったことが、本腰が入らなかった(ように映ります)、結果として十分な販売成績を残せなかった理由に思えて仕方ありません。

新型ノートの登場に際して、サニーではなくそんな2台を取り上げたのは、だからこそ興味深いところではあります。





新型ノートについても少し。
今回のモデルチェンジでは、車自体の商品力・競争力は認めるものの、e-POWERのみとした売り方に加えて、装備の設定等、どうしてこうなったという点が、個人的にという注釈を添えつつで少なからず持っています。

キックスは一応新規車種というエビデンスはあるものの、ノートはモデルチェンジですからね。替わりの受け皿となる車種も思いつきませんし。イメージ構築には仕様を絞った方が有利という判断のようですが、従来型のユーザーの一部を切り捨ててまで行うべきだったのかは疑問を持たざるを得ません。充実していた車種体系の統廃合を繰り返し、既存ユーザーを篩にかけ続けた結果が、今の状況に繋がっていると思うので、尚更です。

捉え方次第では、マツダ以上に、早急かつ大きなイメージ転換を図っている感もあります。この選択の是非は販売成績に反映となるのでしょうが、想定と異なる結果となった場合、それこそ深刻な事態とならないか危惧しています。

誤解を招かないように書きますが、ここ数年、トヨタ1強の弊害は各所に感じていまして、対峙する日産の復活をずっと待ち続けています。ノートがその歩みの一歩となるか、成り行きを見守ろうと思います。
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Posted at 2020/12/24 21:50:26

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この記事へのコメント

2020年12月24日 23:33
こんばんは。
初代パルサーは私が物心ついた頃、父がシルバーの初期1400TSに乗っていて、私のクルマ興味の原点となる車でした。
当時盛岡に住んでおりましたので、雪道に強いFF車とヨーロッパイメージの強かったパルサーを選んだようです。

私も猛烈に欲しくて20年以上某方面にお願いしておりますが、出物は限りなくゼロに近く…座間に収蔵されたと聞いてびっくりした次第です。
このコロナ禍でなければ激しく見に行きたいところなのですが…
コメントへの返答
2020年12月25日 17:49
こんばんは
初代パルサーが特別な一台とお聞きした記憶はあるのですが、理由までは初めてかと思います。幼少時代の原体験は大きな影響となりますよね。
FFはFRより雪道に強いは実感としてもありますし、コピーも「パルサー・ヨーロッパ」でしたね。

90年代にはほぼ見かけなくなっていたように思い返します。どこに残っていたのだろうと気になるくらい、希少かつ久方ぶりの実車でもありました。
HPには、来年1月12日までの展示とありますね。
2020年12月25日 6:21
おはようございます。

新型ノートが全車ePowerとしてきたのは、意外でした。ハイブリッド専用車のアクアが以前売れていたこともあって、ePower押しをより明確にしたかったのでしょう。

長らく販売しているマーチに、最近になって衝突防止ブレーキが追加になったときは、なぜ今頃と思いましたが、ノートにガソリン車が廃止されて納得しました。

しかし、現行マーチも外観を少し手直し、具体的には海外仕様のキリっとしたマスクに替えれば、もう少しは売れると思うのですが、そこまでする気もないんですね。
コメントへの返答
2020年12月25日 18:02
こんばんは

先行したヤリスとフィットはガソリン仕様との2本立てでしたから、ノートは意外な選択に思いました。e-POWER押しは理解できる面もあるのですが、台数的にはどうかなと。

従来ノートのガソリン車を買われていた方は、現行マーチやデイズと比較しての選択と推測しています。廃止だと、日産内の移行に留まらず、他社に移るんじゃないかなと心配もしまして。

今の日産だと、ミラージュとの統合の可能性も少なからずあるように思います。
現況に至る以前に、もっと早く対策を打てていれば…、先に消えていったクルマ達にも共通して感じる部分ですね。
2020年12月25日 6:54
おはようございます。
パルサー系はEXAが登場したあたりから車に興味を持ったので、今回の代のはよくわかりませんが、初代ラングレーとスカGジャパンの角目が当時はまだごっちゃになってたのを思い出しました。
実は最終型ラングレー、スタンザ、オースターが好物だったりします(笑)。

昨年、横浜の日産本社に行って歴代スカイラインを見てきましたが、近くに400Rを筆頭に現行スカイラインが何台か展示してあり、なかなかカッコ良かった記憶です。
そんな感じの車をミドルクラス以下でも出してくれるといいなと思っちゃいます。
コメントへの返答
2020年12月25日 18:14
こんばんは
パルサーEXAは、このクラスにリトラクタブルを持ち込んで、当時話題となっていますね。キープコンセプトだったハッチバックは、その陰に隠れた感もあるくらいでした。
ルームミラー越しとかだと、ラングレーとスカGは、区別がつかなかっただろうと思います(笑)
兄弟車は、当時混迷の一つとされていましたが、今見ると味わい深くもありまして。リベルタビラも仲間に入れてあげてください(笑)

私が行った時も、現行スカイラインは3台並びでした。マークXが消え、クラウンが今や混迷状態ですから、スカイラインを見直し始めています。400万円台で3LのV6ターボが選べますし。
輸出には良さ気なミドルセダンもあるのですが、国内導入には消極的ですね。
2020年12月25日 13:31
こんにちは。
初代チェリーはセダンよりもクーペが周りにありました。叔父が黄緑でグレードは不明、小さい頃通っていた書道の先生が水色のクーペでした。丸型テールを撫でていた記憶があります(笑)
初代パルサーも黄色のクーペを近所のお兄さんが乗っていたのでチェリー、パルサーともクーペのイメージが強いです。独特のデザインもあるでしょうが。
最近ペーパークラフトの資料として初代パルサーの初期のカタログを入手しましたが、装備一覧で全てのグレードにパワーウィンドウがオプション設定されていた事に驚きました。当時はまだコンパクトクラスにほとんど装備されていないものなはずですから、オプションとはいえどれだけの方が選んだのか気になります。
コメントへの返答
2020年12月25日 18:25
こんばんは
初代チェリーのスタイリングは、クーペの方が印象に残り易いかもしれませんね。懐かし記事もクーペが多いような。あの丸型テールは、他車流用も含めて、一世を風靡した部品と思っています(笑)
初代パルサーのクーペは、F-IIクーペの発展形ですよね。3ドアとの併存が理解に苦しむところで、3ドアはクーペ単独でよかったんじゃないかと今でも思います。
当時のパワーウィンドゥだと、ドアトリムにモーター毎取り付けるタイプでしょうか。社外用品としても売られていましたが、このクラスでの装着率は低かったように思います。80年代中盤以降に一気に普及する装備ですね。
2020年12月26日 20:41
こんばんは。
リヤがテールゲートになる前は、ファストバックのセダンや、2ボックスの独立トランク車がありましたね。私は大きなものを積んで過ごす趣味がないので、トランク開口部は大きくなくても良く、むしろ補強材が入る非テールゲートタイプの車体の方が好きです。

ところでFWD車登場初期の頃は、
「危ないから初心者はFWD車に乗ることはやめた方が良い」
という自称ベテランドライバーがいたそうです。強いアンダーステアやタックインのことを注意したのかもしれませんが、根拠なく新しいものを避ける傾向だったのかもしれません。
コメントへの返答
2020年12月26日 21:20
こんばんは
フランス車では早くからハッチバックがあったものの、イギリス車やイタリア車ではトランク付が根強かったように記憶します。
書かれている内容は私がセダンを好む理由の一つでもあります。

N360が欠陥車騒動に発展したこと、次の1300もFWD車の癖を強く残していた辺りが起因のようで、70年代にはわりと聞く話でした。トヨタが最初のFWDに縦置きを選択したことやFWDのハイパワー車がやや遅れて登場した理由に繋がる部分とも思います。
技術の進化で等長ドライブシャフトやパラレルリンク式ストラット等が採用されるようになると、聞かなくなりました。
2020年12月28日 21:17
こんばんは。

ずいぶん渋い車をチョイスしたと思いました。
パルサーがプリンス直系という歴史がありますね。
この当時、サニーとパルサーはカローラとスプリンターの関係と思ってました。
徳大寺さんの派閥による展開とまで書かれてしまったパルサーですが、合併する前から研究していたことを思えば、プリンスチェリーにならなかったのが残念でしょう。
チェリーやパルサーのデザインを見ると、はっきりとした3ボックスが欲しくなりますね。


チェリーバンとパルサーバンがありました。 
パルサーが2代目に変わった頃に、ADバンが登場しました。
ADバンのモデルチェンジが無く、プロボックス一強になる可能性があります。
ノートの新型は、日産の命運がかかってます。
全車ハロゲンに、プロパイロットは最上級のみオプションという事で、首を傾げてしまう内容ですが、デザインは悪くないのでヒットして欲しい車です。
コメントへの返答
2020年12月28日 22:10
こんばんは

恐らく新型ノートに合わせての選定なのでしょう。
N10パルサーが先にあったにも関わらず、B11サニーを別のシャシーで仕立てて、N12をN10の改良で併存させていますからね。派閥的反目が存在していただろうことが想像できてしまいます。開発体制が厚木に統合された、B12・N13以降は統合が進んでいますね。
パルサーは、3ドア・5ドアとの共用前提での4ドアと推測します。ここもサニーの存在が影響している感がありますね。

チェリー・パルサーとバンも結構力が入っていたのですが、ADバンへの統合で一足先にサニー系列に取り込まれています。80・90年代にカローラバンと激戦を繰り広げたのも既に過去ですね。今はプロボックスの一強状態と化してしまいました。
新型ノートに社の命運がかかっているのは、経営陣も認識するところと推測するのですが、その割にグレードやオプションの設定の仕方が淡泊に感じます。既納ユーザーは相当数ありますので、一定の販売成績は残せるかと思います。ただ、他車との競合になった時に勝ち残れるのか、その辺りが厳しそうなんですよね。
2020年12月30日 23:52
氷川丸が思い出の場所なのでヨコハマにも足を伸ばしてみたいのですが、それも憚られるので素敵なヨコハマブログ有難うございます。

超えてる車(でしたっけ?)初代チェリーは私にとって10ベスト日産車にノミネートされるだろう一台です。何といっても可愛らしいデザインが(意外と)可愛い車好きの私の感情を刺激してくれます。当時としてはセダンらしくも無く変り種に見えていたかもしれません。元テストドライバーの方が書かれた本ではFFの癖が酷く苦労して仕上げた。商品として売って良いレベルにはなったが・・・・と苦い記憶としてこのクルマを取り上げられていました。

初代パルサーですが、これは子供時代めちゃくちゃ走っていて懐かしい車です。当時澄んでたマンションに初代と2代目が1台ずつ止まっていました。後年カタログを入手し欧州ライバルと並ぶ構図に凄いなぁと関心しました。このクルマはバックドアがない仕様がオリジナルだったんですね。てっきりハッチバックなのかと思っていました。

NOTEはですね、マーチがもう少し商品力があればe-POWER専用で割り切って良いと思ったんですが、ガソリン車を残すべきだったなぁと心配しています。キックス同様に実用性は高そうなので車として不便で困るということは無さそうですが、他社との競合を考えないロイヤルカスタマーの代替需要を満たすだけではなく、フィットやヤリスに勝負をかける事から逃げたような気がしてなりません。来年、是非実際に乗ってみたいと考えています。
コメントへの返答
2020年12月31日 9:01
趣味のために足を伸ばすとなると、躊躇いが入る情勢ですよね。空気感が多少なりとも伝わっていれば幸いです。

初代チェリー、カッコイイで作ったものがサイズの制約で可愛いになったことを感じます。改めて見るとケンメリのデザインテイストが先行して入っていますね。
FFの技術はまだ発展途上でしたから、手本もなくて相当な苦労だったと推測します。カローラとサニーが既に基準を構築してもいましたから、別作を作る・売るは尚更難しくて、意欲作の割に販売台数が伸びなかった理由でしょうね。

パルサーはチェリーの苦労が実って、技術面も安定しましたし、何より商品力が向上したことを感じました。日本車の目標がアメリカ車から欧州車に移っていた時期ですから、欧州車と並ぶ存在というのは効果大だったのでしょう。
リヤクオーターは共通ですから、ハッチでデザイン検討が進んで、トランクは販売サイドからの後追いの企画の気もしますね。

NOTEのガソリン車の顧客が皆e-POWERを希望するとも思えないんですよね。
e-POWER専用で出すなら、マーチの商品力向上とセットで進めないと片手落ちの感は否めません。
ガソリン車では他社との違いを薄くなり、2車の他、マツダ2やスイフトも含めた価格競争に巻き込まれるでしょうから、避けるの選択もなるほどとは思うのですが。
乗ってみての印象、楽しみに待っています。
2021年1月5日 21:49
懐かしいですね~
チェリーは独特の個性があって好きだったのかトミカを初代とF-Ⅱと長いこと持ってました^^
F-Ⅱのセダンやバンをよく見かけて、魅惑のノイズと言われるあの独特の加速時のヘリカルギアの音が忘れられません。
初期のパルサーが友人宅にありハッチバックかと思ったらトランク形状で面白いクルマでした。うちにB310サニーSGXがあったのですがパルサーの方が足元が広かった記憶があります。
地味ながら当時は結構見かけましたね。。
コメントへの返答
2021年1月6日 22:22
決して平凡ではない、むしろ個性的な存在だっただけに、改めて見ると懐かしいとなりますね。
昔は独特のノイズを出すクルマが多く、音だけで識別できることもあったように思います。この2車もその一つですね。
パルサー登場時点で既にハッチバックに注目が集まっていただけにトランクの選択が不思議でした。3ドアの追加でその感はさらに強くなって。B310との比較だとパルサーの方が広いとなるでしょうね。この時代のFRは、サニーに限らず後席、特に足元が厳しかったです。
個性的だけに印象に残り易いはあるかもしれませんね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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