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2021年09月17日

日産グローバル本社ギャラリーの展示車【令和3年9月編】

日産グローバル本社ギャラリーの展示車【令和3年9月編】 ここのところ、話題にすることの多い日産グローバル本社ギャラリーから、最新展示車情報となります。

緊急事態宣言期間中とは理解しつつも、横浜はお買い物目的等で出かけることが多いというのは、所謂一つの言い訳。

時折話題にしていた、もう一つのメーカー系大規模展示施設、お台場のMEGA WEBは、7/12以降当面休館のままですし、年末で閉館も確定。さらに代替施設の発表もなしということからすると、今後もこちらを取り上げることが多くなりそうな予感です。

そんなグローバル本社ギャラリーの最新版を、早速ご紹介していきます。

●フェアレディZ-T 2シーター(1977年:S31)



私が物心ついた時のZがこの初代の末期型でした。

Z432と240Zが名高い初代Zですが、当時は既に過去の名車の扱い。両車の中古車価格は台数の少なさも相まって、既にプレミアムが付いていたような。
一方、NAPS導入以降のは、カッコの割に走らないというのが定評。別にZに限ったことではなく、セリカ・スカイラインの両2000GTも大同小異でした。当時の排ガス規制は適合させるだけでも大変で、仕方なかったと言えます。

むしろ生産が続いただけでも御の字と言えそうで。排ガス規制のために、消えたスポーティーカーが多数。オイルショックと排ガス規制のダブルパンチは、暴走族も絡めてスポーツカー=悪の風潮すらありましたから。
当時は、セリカやサバンナと同じカテゴリで認識していたのですが、唯一の専用シャシーの意味を全く理解していなかったと懺悔することしきりです。

ボディサイズは、全長:4,115mm、全幅:1,630mm、全高:1,295mmに過ぎませんから、今視点だとかなりコンパクトに感じます。重量はサイズの割に意外と重くて1,135kgとなりますが、排ガス規制の影響か初期型より100kg以上重くなっていたようです。ここに大排気量の6気筒を積めば、高性能になるのも道理。国内は240こそ導入されたものの、260以降はオイルショックの影響で輸出のみに留まっています。

末期型は、大追跡、大都会PART3、西部警察等、2by2の印象が強いのですが、展示車は2シーターのZ-Tでした。初代の2by2は、リヤオーバーハングを伸ばさず、ホイールベースだけで300mm伸ばしていますので、スタイリング・成り立ち等はやはり2シーターの方が理に適っている感はあります。

Z-Tは、1976年7月の51年規制適合時に新たに追加されたグレードです。カセットステレオ、195/70R14サイズのワイドラジアルタイヤ、アルミホイール等の豪華装備を特徴としていました。
当時としてはワイドな5.5Jサイズのアルミホイールは好評だったようで、次世代にも引き継がれることになります。他車に流用されてもよかったのではと思いますが、Zの専用品だったと記憶しています。

半ば余談ですが、説明ボードを作成された時は、Z-Lと認識されていた模様。グローバル本社ギャラリーのWEBページでは社外アルミで掲載されていることも影響ありかもしれません。Z-Lの説明文で展示後、恐らく指摘が入ったのでしょう。Z-Lという日本語表記部分だけをZ-Tに訂正したことで、今度は英文や説明文との辻褄が合わないことに。
この辺り、作り手側の校正は意外と細部まで至らないことも多く、マニアの方が正確な情報を把握していたりします。本当は両者間に協力関係があるのが理想だと思うのですけれどね。



●ニッサン300ZXターボ Tバールーフ 50th アニバーサリー(カナダ仕様車)(1983年:Z31)



輸出のブランド名をダットサンからニッサンに変更した時期と重なります。ブランド名変更のいきさつについては、結構有名な話かと思いますので、ここでは触れないことで。

それまでの直6・L型に替わり、新たにV6・VG型を搭載した世代です。
日本車は、初代ソアラ以降、パワーウォーズに突入していきますが、ターボの認可でも暴走族への助長云々が言われた時代にあって、スポーツカーとなるZへの搭載は2代目末期まで遅れることになります。輸出仕様には280のターボが追加されたものの、国内のターボは200のみで145馬力。途中改良された280でも155馬力でしたから、このZの3Lターボが誇る230馬力は、かなりのインパクトがありました。
当時、最大のライバルとされていたセリカXXは2.8Lで175馬力。Zが出るまでのトップだったスカイラインRSターボが190馬力だったことからしても、Z31のキャッチコピー「比べることの無意味さを教えてあげよう」は決して誇大とは思えなかったのです。

当時はV6の搭載に合わせてシャシーを一新という記事を多く見かけましたが、実際は先代のシャシーを改良して継続としていますね。ほぼ専用のシャシーを5年で一新するのは、当時でも難しかったろうなとは。

初代と並べると大きくなった感は否めませんが、短い2シーターということもあり、それでも今視点では充分コンパクトに映ります。

当時は北米での規制もあり、車高の低い車はリトラクタブルヘッドランプを備えることが多かったのですが、Zは収納時も一部が見え、ライズアップ時に平行移動する機構とされていました。「それまでのZのイメージをなくさずにやりたい」「ライトを上げた時に夜の見栄えを良くするため」というのが、当時の設計者が語る採用理由となります。

展示車は輸出仕様の左ハンドルで、50周年を記念した特別仕様。
デジタルメーターや光通信ステアリング等、当時の国内仕様には設定のなかったアイテムが装備されています。

その他、国内仕様と異なる点として、ヘッドランプの内側に内蔵したドライビングランプ、オーバーフェンダー等も挙げられます。この辺りは、輸出仕様の部品として国内で販売するショップが存在し、実際に装着したクルマもあったように記憶しています。

今回展示された特別仕様は、3代目Zのキャラクターをうまく表現できているのかなというのは私感。

国内では、この種の表現は中々理解されないと判断されたのか、初期型は2シーターも含めてラグジュアリーに振る一方、1985年に追加された200ZR以降、スポーツへと大きく振れてしまいました。70スープラも同じような変遷を歩んでいたりもしますが、何となく惜しい感はありますね。



●フェアレディZ 2by2 300ZX ツインターボ(1989年:GCZ32)



私的には、一番好きな世代です。
国内デビューは1989年7月となりますが、レクサス、インフィニティとほぼ同時期に先行して発表されていたと記憶しています。

この世代もまた登場した時のインパクトはとても強い物でした。
国内初の280馬力ももちろんですが、長い間初代からの伝統に縛られ続けているように映っていた身には、柵から抜け出したかのようなパッケージングやデザインが何よりの驚きでした。
先代との対比でも僅か5年強で、この変わりようですからね。

3代目は、中盤以降スープラやRX-7の後塵を拝していた感が拭えませんでしたが、この代替わりで完全復活。時期を前後して登場したスカイラインGT-R共々、日産黄金期を代表する2大スポーツカーと断言していいでしょうね。

80年代後半になって、急速に復活した日産。デザインも急速に垢抜けて、脂が一番乗っていた時期だけに、スタイリングは今でも本当に力作だと思います。この少し前に登場したS13シルビアとの相似を意識させるディテールも多いのですが、北米では240SXと並べて売ったという背景も考えれば、なるほどと。

かなりグラマラスになったことから、この世代では2by2もデザイン的に上手く成立させたことを感じます。それまではどうしても2シーターの方がスタイリッシュと言えましたが、この世代では充分迷える範疇に。

当時かなりワイドに思えたタイヤですが、調べたところ、実は225/50R16だったというのが意外な驚きでした。

Zのオマージュというとどうしても初代まで遡ることが多いのですが、私的にはこの世代にもう少し着目があっていい気がしています。

多くの台数を売った北米は、スポーツカーを取り巻く環境が急速に悪化して、残念ながら1996年で撤退。同じ頃経営危機も本格化したため、結果的に長期に渡って売り続ける世代となりました。環境がモデルチェンジを許さなかったというのは、初代にも通ずる部分ですね。



今回の展示は、新型Zが発表されたことに伴う企画ですね。
新型Z、Z35型ではなくZ34型のマイナーチェンジ扱いというのが意外でしたが、この辺りは何かしらの理由が存在するのでしょう。

そのことの是非は問うことなく、今は日産が苦しい状況の中でもZを諦めることなく進化させるを選んだことに賛同し、応援したいと思います。

日本の各メーカー、精神的支柱というかアイデンティティの源というか、適当な言葉が浮かばずですけれど、そんな車種が必ず存在すると思っています。
独断で選抜してしまうと、トヨタはクラウン、三菱はパジェロ、ホンダはシビック、マツダはロードスター。トヨタは最近だとランクル、ホンダもNBOXなんて見解も頂戴しそうですが、何となく言いたいことは理解してもらえそうかなと。

これが日産はZとなるのだと感じます。同様の存在だとスカイラインも浮かぶのですけれど、どうしてもプリンス由来の点が完全には払拭できないような。今回の展示は、そんなことを改めて再認識する機会となりました。

私自身はずっと長い間セダンを見続けてきたこともあって、Zの真価を正しく理解できずできました。スポーツカーというのは、利便性が重視されるマーケットとは相性があまり良くないことも感じます。それでも、スポーツカーは不要とは全く思いません。

そんな冷淡なマーケットにも、途中多少の中断期間こそありましたが、諦めることなく日産流スポーツカーを作り続けた功績は、きちんと評価しなければいけません。恐らくZに魅了されたファンは、ブランドロイヤリティが極めて高いのではないか、そんなことを感じずにはいられないのです。
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Posted at 2021/09/17 20:56:26

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この記事へのコメント

2021年9月17日 21:58
こんばんは。

隣県にいながら、コロナ禍で日産グローバル本社ギャラリーを含む横浜にしばらく訪れていません。ギャラリーは近隣に移転したアンパンマンミュージアムに子どもを連れて行ったときに寄ったのが最後で、もう2年以上経ちますね。

私もZというと、Z32型が真っ先に浮かびます。この型は3000CCの高級スポーツカーでしたので身近な存在ではなかったですが、書かれているように90年代初頭の元気な日産を象徴する1台で生産期間も長かったので、学生時代に購入した雑誌でも数多く飾られていました。

80年代終わりから90年代初頭は、マーチからシーマまで各クラスで日産車がヒットし、2000年代初頭のリバイバルプランでV字回復のした頃以上の勢いでした。

リバイバルプランでゴーン氏が、ZやGT-Rを日産の象徴として残したのは英断であり、晩節の逃亡劇はそれらを汚す惜しいことでした。思えばあの頃の日産は、5ナンバーでティーダを出すなど、今より日本市場に寄り添っていましたね。
コメントへの返答
2021年9月17日 22:25
こんばんは

昨年来のコロナ禍以降、インバウンド需要がほぼ消失したこともあり、横浜の人流もかなり減ったことを感じます。とは言っても週末には行き辛いのも事実で、平日を狙って出かけていたりします。

80年代後半は、改めて日産が怒涛の勢いで快進撃を続けていたことを感じます。Z32型もその流れの中の一台ですね。90年代も進んでいくと、やがては何となく混迷を感じさせるモデルが出始めることからすると、Zが変わらなかったのはむしろ幸いだったのかなと思ったりもします。人気のあったモデルを特集することで雑誌の部数も伸びる相関関係にあったのでしょうね。

在任中の出来事はその後の顛末も含めて、問答無用の言語道断としか言いようがありませんが、ゴーン氏が日産の象徴をよく解っていたことは理解できます。台数だけを追っていたら、ZやGT-Rを残すとはならなかった筈で。外野的視点に過ぎませんが、やはり長く居過ぎたのでしょうね。

Zを再び象徴の座に置こうとしている日産がこれからどう動いていくのか、期待も込めて見守りたいところです。
2021年9月17日 22:46
フェアレディZ、子供の頃にブリキのS130があったような・・・
Z31のトミカも持ってました。それでもやはりZ32が私にとってのフェアレディZです。父に連れて行ってもらったイベントでZ32のポストカードを貰ったことがあり、今も実家に大切に保管されているはずです。

モデルライフが長かったですが、今考えれば必死に残していたと言うことだったのでしょう。中途半端なFMCをするくらいならしない方がましです。

だからVQを積んだZ33が出たときはある程度納得感がありました。価格も確か割安な設定にしてくれていたはずです。

Z34の時は試乗させていただきました。3700ccという私には途方もない排気量でトルクフル。ドアミラーから見える風景はふくよかなRrホイールハウスで殆どを占めて後方視界なんてあったものではない。

それでもちゃんと継続した日産は偉大です。

次期モデルはZ35を名乗っても良かったと思うのですが、Z34後期という扱いになるのでしょう。デザインは賛否両論ですが個人的にはまぁ良いんじゃないか、という若干肯定寄りです。ヘリテージデザインは常に前を見てきたZらしくないというかもしれませんが、今の日本ブランドでヘリテージ商法が使える数少ないモデルと言えますし。

レクサスのISもそうですが、いま各社が合理的思考では残せないモデルを必死で残そうと試行錯誤しているようにも見えます。あの暗い排ガス規制で牙を抜かれたスポーツモデルをそれでも買って支えた人たちがいるからスポーツモデルの火は消えなかったわけで、今回のZ34後期?も真の日産ファンが黙って支えていくのかもしれません。日産ブランドの生命線かもしれないので是非長く作ってモデルライフを通じて熟成させていただきたいです。
コメントへの返答
2021年9月18日 8:44
ノイマイヤーさんの世代だと、物心ついた時がZ31で、大きく変わったZ32に魅了されたとなるのだろうと思います。私の世代では、S31とS130の関係となるんですよね。それだけにZ32がザ・フェアレディZというのはよく解ります。Z32、私の世代にとってもインパクトのあるモデルチェンジでしたし。

90年代半ば以降、VQへ換装という噂は絶えずありました。他方、Z32でやるにも大幅変更が必至ということで、噂が否定されてもいました。当時の日産本体は火の車で、それどころではないが実情だったのだろうとは。

一度ラインナップから落ちた後だけに、Z33は出ただけでも評価しないといけないと当時受け止めていました。2by2が追加されるかもとか思ったのですけれどね。

Z34、シートは極低、ドアは長く横に張り出してもいるという具合で展示車に乗ろうとするだけでも結構大変で。どれも非日常への誘いと理解すべきなのでしょう。

次期モデル、正しく書かれているのと同じ理由で、賛否が悩ましいところです。本文で書いた通り、初代に限らずZ32からの継承があってもいいと思いますし。

ヘリテージ商法が使える日本車は、Zの他にはランクルとロードスターくらいかもしれませんね。クラウンも可能な筈が、現状は真逆の動きで…。

Zワールドに魅せられると、他の選択肢はありませんからね。恐らく長い伝統といった付随部分も込みで買われていくのだろうと思います。
スポーツカーは、元々細く長くで行う商いと認識しています。売れないから止めるだと絶対に定着しません。故徳大寺氏は「Zを止めるのは日産がクルマ作りを止めると同義」と生前語っていますが、時を超えてその意味に感じ入るものがあったりします。
2021年9月18日 7:56
改めて歴代を並べると、デザインに一連の流れが感じ取れる上に懐古趣味に非ずと、云う意味では稀有な日本車でしょう。そして、ダットサンスポーツDC-3からの流れでずっとスポーツカーをやっていることも称賛に価し、日産が未だに止めないのもその重要性を理解していると思います。日産がその考えで他のクルマを作ってほしいものです。
コメントへの返答
2021年9月18日 9:29
歴代を並べると、一代くらいは異端が混ざるか、最初は似ても似つかないとなることが多いのですが、正しく稀有な事例ですね。
DC-3の時代だと、車はまだ乗るより乗せて貰うという認識が大半でした。そんな時分から絶やさずで長く続けてきたことを称賛は私も同意です。
台数を必要とする車は、売れ線を探して右往左往となりがちですが、大切に長く育てるという視点も忘れずでいて欲しいですよね。
2021年9月18日 9:40
私も、2日前にこちらに訪問しておりました。
いつもなら大好きな初代Zを眺めたり匂いを嗅いだり、味わいつくすところですが、個人的にS31には少し不純を感じてまして、どうせならバタくささの極みのようなZ31がいいなぁと眺めてました。
さらに隣のZ32をみればparl-siroさんのご指摘の通り、僅か1世代5年の差とは思えない変貌ぶり。改めて、Z32発表時の衝撃を思い出しました。
私は初期型の、まさにこの布張り内装が思い出深く、昔むかし7年落ちのノーマルルーフをやっとの思いで購入した若年のころ、その高品質で上品な室内に何故か充満するガソリンの匂いを嗅ぎながら、「ここで死ねたら俺は本望」と本気で思ったことを懐かしく思いだしました。後日、ブレーキがプア過ぎて本当に死にそうになったとき、やっぱりここでは死にたくないと思い直しましたが。
とまれ、日産自動車がブランドを大事に守ってくれていることに改めて感謝したひとときでした。
コメントへの返答
2021年9月18日 10:38
訪問されたばかりとのことで、体験からの感想と比べていただくのも一興かもしれません。
S31、特にZ-TだとS130への過渡期要素が加わってくるように感じます。長いモデルライフの分、初期とは相違が生じている部分であり、恐らく不純を感じられる理由だろうと推測するところです。
北米が販売の主力ですので、どうしてもバタくさくなりますね。50thは、さらにその点が強調されてもいて。
Z32、実際にお乗りだったのですね。ノーマルルーフは2シーターのみで、割と希少のような。この内装もZの伝統から離れて、S13と共通するものを感じたりします。
実体験ならではのあるある話には、PCの前で頷きつつ笑わせていただきました。ガソリンの匂いとブレーキがプアは自虐要素込みで時折見受ける話です。最後に「それでも大好き」と付くはずで。
消したクルマ多数の日産とは言うものの、このブランドは逆風の中でも守り抜いていますからね。説得力も強いし感慨深くもなる、そんな企画展示だったと思います。
2021年9月19日 14:44
こんにちは。

S30Zのラジエーターグリルが大きく開いたフロントは、小さい頃は苦手でした。
ロングノーズの240ZGは、とてもかっこいいと思いました。
その流れに乗って発売されたのがS130Zという印象です。
小さい頃、52年式と書いてあるのに、本当はサバをよんでいる思ったほど、古い車に見えました。
サバンナRX-7とリトラクタブルのセリカXXが、かっこいいスポーツカーと思ってました。

S130Zの市販車でも、西部警察のスーパーZはかっこいいのに、街中のZは地味に見えました。
Z31になると、高級な印象だった前期型が、テールランプとフロントを変えただけで、こんなに印象が違って見えたのを覚えています。
Z32は、免許をとっても高くて手が出ない車でした。
燃費の悪さで手放した話が、自分の耳に入ったほどです。

90年代後半になると、安全と低燃費がクローズアップされて、Z32が揺れてました。
1999年のマイナーチェンジは、まだまだいけるぞと言う開発者の意地を感じました。

Z33が登場した時の300万円のエントリー価格が印象に残ってます。
Z34が登場してZ35とおもったら、Z34のままだったのが驚きでした。
Z32のマイナーチェンジや悪名高いSW20初期型MR2がいい例ですが、いたずらにモデルチェンジを追うのではなく、じっくりと弱点を補強して熟成させるのが良い車が作れる事を、メーカーやユーザーが気が付いたのが、一番の前進だと思います。

コメントへの返答
2021年9月19日 20:50
こんばんは

Gノーズは人気がありZG以外への後付も多かったアイテムです。S130が登場する前のスクープ記事では、Gノーズ風のデザインになるという書かれ方をしていたように記憶します。

S130が登場した1978年は、ようやく排ガス規制が一段落した時期で、RX-7とセリカXXの登場も同年でした。スポーツカー寄りのRX-7、ラグジュアリー寄りのセリカXX、その中間のZという形で、上手く住み分けが出来ていました。2by2の方はスポーツカーというよりはスペシャルティーカー的買われ方をしていたように思います。

Z31は、日産が直線から曲線にデザインを変えてきた時期と重なっていて、大きな変更となりました。この変更はグレード構成も変えられていて、前期派と後期派で意見が分かれる気がします。

Z32、NAならGT-Rより安いとは言え、簡単には手の届かない車でした。末期はVQへの換装が出来ない点も含めて、いつ終わるかという見方をされていたような。

Z34のままだったのは、少々驚かされましたが、見方を変えると、それができるなら、スカイラインもV37のままでの熟成が可能かもという期待もでてきました。

この種は、登場初期に受注が集中して、しばらくすると少量だけが売れ続けるということを繰り返してきました。どうしても細く長くで続けなければならない一方で、熟成を怠ると次第にファンから見放されてしまうことにもなってしまいます。長期的視点が必要な所以で、そんな難しい商売を何とか続けてきたメーカーというのは、やはりきちんと評価してあげなければいけないと思いますね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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