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2021年10月07日

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(前編)

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(前編)  忘れた頃に時折取り上げるものの一つが、当時ものの新車価格表を検証してみる話。今回はそんな回となります。

取り上げた理由としては、これまで取り上げた年の隙間ということもあるのですが、実は見れば見るほどに貴重な資料なのかも、と気が付きまして。カタログの付属物と見做して、あまり気にしていなかったのは不徳の至り。


参考までに、このシリーズで過去に取り上げた年のリンクを貼っておきます。
 1992年1985年(前編)1985年(後編)1978年1972年1968年

続いては、これまで通り、国家公務員の初任給から補正数値を算出してみます。

 ○平成31年 総合職(大卒):186,700円、昭和50年 上級(甲):80,500円(2.32倍)
 ○平成31年 一般職(大卒):182,200円、昭和50年 上級(乙):77,300円(2.36倍)
 ○平成31年 一般職(高卒):150,600円、昭和50年 初級:66,000円(2.28倍)

となります。2.3倍くらいを補正指数にして計算すると、現在の価値に換算できることになりますね。


1980年前後から、各販売系列はそれまでの半ば専売から、兄弟車を増やす形でフルラインナップ体制に移行していくことになるのですが、まだこの時期はその前夜でした。

今回取り上げるのは、これまでの東京トヨペットではなく、トヨタ新東京カローラの1975年(昭和50年)7月時点版。近年、トヨタの東京地区のディーラー網は、多くがトヨタモビリティ東京に統合となっていますが、それ以前にもあまり聞き馴染みのなかった社名です。

軽く調べてみたところ、カローラ店の前身となるパブリカ店は、設立の際にオープンテリトリー制を掲げたため、販売店が乱立。その後、東京地区はトヨタ東京カローラが今も残るトヨタ西東京カローラ以外のカローラ販売店を吸収合併し続けたという経緯のようです。今回のトヨタ新東京カローラは、吸収合併の最後となった社で1987年(昭和62年)まで存続していたようです。

当時の店舗所在地等は不明ですが、そんな歴史からすると、今のトヨタモビリティ東京には、トヨタ新東京カローラ由来の店舗があっても不思議ではないような。これまでの調べでも、系列が変わっても店舗の場所は同じという事例が多数確認できていますし。

調べたついでで判ったことも、備忘録的に記載してみます。
【パブリカ店からカローラ店への店名変更の経緯】
 1.パブリカ発売に際して新系列となるパブリカ店を設置
 2.パブリカ店に、新型車カローラを追加
 3.カローラ販売開始後、パブリカ店の販売規模が急激に増大
 4.カローラの増販計画は、パブリカ店の増強を超える恐れが出てきたため、新型車カローラスプリンターの発売に合わせて新系列オート店の設立を決定
 5.オート店は当初、カローラセダンとパブリカセダンを併売
 6.2代目パブリカはオート店の専売に移行。同時に既存のパブリカ店はカローラ店に店名を変更。

 ※この部分、参考とした資料はこちらこちら

スプリンターは1971年(昭和46年)のマイナーチェンジまで2ドアクーペのみで販売されていましたし、4代目コロナのハードトップ(RT90)は当初従前からのトヨペット店に加えてオート店も取り扱っていたという経緯があったりします。取扱車種からすると、カローラ店とオート店で取り扱うクラスこそ重複するものの、前者はファミリーユースを重視、後者はヤングユーザーを重視という大まかな分けがあったことを想像させられます。間もなくモデルチェンジが行われる予定のノアとヴォクシーにはその片鱗が残っていたりしますね。

軽い前段のつもりが長くなってしまいました。
ここからは本題の価格表についての話に入っていきます。
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先ずは当時の代表的取扱車種となるカローラセダン。
当時のモデルはこちら(ただしカローラ20は輸出仕様)
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この時点では、現行モデルに加えて、廉価グレードのみ先代モデルが併売されていました。形式名から、前者が「カローラ30(さんまる)」、後者が「カローラ20(にーまる)」 という呼び名の分けが便宜的に行われてもいて。

併売の理由に価格上昇を挙げられることが多いのですが、当時の価格で2.5~3.0万円弱、今の価格に換算しても5~6万円ですから、これだけを理由とするのは苦しい感が否めず。
カローラ店の入門車かつ屋台骨でもあったカローラですから、モデルチェンジに伴うサイズアップへの懸念も理由に添えてあげるのが妥当なように思います。この時のサイズアップは、全長こそ3,965mm → 3,995mmの30mmプラスに留まるものの、全幅は1,505mm → 1,570mmへと65mmという結構なプラス。ホイールベースとトレッドの拡大に伴い、最小回転半径も4.5m → 4.7mに増えたりもしていますし。
パブリカとスターレットを扱っていたオート店では、その辺りの懸念は無用と言え、事実スプリンターは併売という選択はされていません。

販売の最前線では、サイズアップに伴う重量増(1200デラックスで755kg →795kg)を逆手に取って「にーまるの方が走りも燃費もいい」というセールスも行われていたようです。オイルショックの影響から、ガソリン価格の急騰や休日の休業等が生じていましたから、意外と効果のあるアピールだったであろうと推測。

併売の理由をさらに書き添えると、モデルチェンジ直前に勃発したオイルショックに起因するモデルチェンジ不要論もその一つに入れたくなります。余談の感もありつつで記してしまうと、モデルチェンジは4年毎、マイナーチェンジは中間にあたる2年というのは、21世紀初頭まで長く続いた風習ですが、そのサイクルが決まったのは、この時が切っ掛けとなります。オイルショックの前までは、アメリカに倣ったモデルイヤー制が行われていて、ほぼ毎年のように変更が行われてもいました。

本題のカローラ30は、そんな世論に反してのモデルチェンジと受け取られたことから、駆け込みの認可申請&許可ではないのかと、国会で取り上げられた経緯もあったような。20の併売は、単なるモデルチェンジではないと位置付けるためという理由も含まれていたという話を読んだような、おぼろげながらの記憶があります。

世論に反しての強行にも映るこの時のモデルチェンジは、商売的には大正解で、オイルショック直後の販売不振からの立ち直りに新型車効果が相乗。排ガス規制前の駆け込みも加わって、カローラ30は絶好調の販売を続けることになります。カローラの販売台数の最高記録は1990年となりますが、この年もそれに匹敵する販売台数を計上していたり。(というか、1990年の販売においては、それまでの最高台数だった1975年を超えろというお達しがあったことを想像させられるような)

車幅の拡大は、厳しくなることが予想された排ガス規制への適合に際して、特にエンジンルームへの補機類の追加を見込んだというのが主な理由だったようです。実際、カローラ20は、生産が継続されたバンを除いて50年規制の導入時に生産中止となっています。もっとも20のコンポーネンツを流用したダイハツ シャルマンは、その後53年規制まで適合して長らく生産されてもいますから、先の見通しが立たない中で厳しめに見込んだのだろうという推測も立ちますけれど。販売面からは、特にセダンの方はほぼ30への移行が受容され、20は当初の役目を終えていたため、50年規制への対象から外されたが大きいように思います。

大型化を主とする上級移行は、それまでカリーナやコロナ等、上級車種を扱う他系列へ流出していた顧客層を一時的に繋ぎ止める効果がありました。ユーザーが日増しに豊かになる中では、それでも上級車種への要望を完全に抑止したとは言い難く、後年オート店にはチェイサーが、カローラ店にはセリカカムリが投入されることになります。

実質的なファミリーユースのエントリーグレードとなる30の4ドア1200DXが70万円、最上級の4ドア1600GSLが90万円ですから、今の価格だと160万円~210万円相当となります。価格からすると、現行カローラというよりはルーミーの方が売れ方も含めてポジションとしては近いのかもしれません。

価格表内の()は、MOP設定を店頭渡しの時点で装着していた装備となります。スタンダードのラジオはビジネスユースでも需要が高かったでしょうし、Hi-DXの熱線や時計は、このグレードを選択するなら含むべきという認識だったのでしょうね。



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続いてはカローラハードトップ。
当時のモデルはこちら
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先代まではスプリンターと前後のみ変えたクーペボディを共用していましたが、この代になって、スプリンターにはセンターピラーを残しつつも低全高対応でパッケージングを変えたクーペ、カローラにはセダンのパッケージングを踏襲しつつもセンターピラーレスとしたハードトップという形で仕分け整理が行われています。

ハードトップの車高は、カローラセダンとの対比では25mmのマイナスとなりますが、実はスプリンターセダンとは同数値。スプリンタークーペはそこからさらに40mmのマイナスでした。スプリンタークーペには、オート店版セリカの役割も担わせたかったのでしょう。この辺りは販売店主導の感もあります。

セダンに近いハードトップというのは、意外と巧みなコンセプトだったようで、2ドアセダンの一種として、ファミリーユースで使われる事例も当時は多く見たように記憶しています。セダン同様、ハードトップもSLやGSLよりDXやHi-DXの方が多かったように思いますし。セダンの価格表で判る通り、当時は2ドアと4ドアが並列で選択可能だったのですが、50年規制の導入後は2ドアセダンの設定が縮小されていきます。この点も2ドアセダンの需要がハードトップやクーペに移行したことを想像させます。

20のクーペは、セダン&バンと異なり先代の併売は行われませんでした。生産工場の都合があり、またこの種のボディはスタイリングが命でもありますから、必要性は少ないと判断されたのでしょう。クーペで先代を一番惜しんだのはモータースポーツ界隈であり、ボディの大型化に伴い先代比で55kg重くなったレビン&トレノは、同界隈では先代の活躍が続いたという点は書き添えておくことにします。

レビンの価格は、後編で掲載する予定のセリカGTVの価格に匹敵。37レビンの販売台数が少ないというのは比較的有名な話ですが、こうした当時の資料を調べてみるとなるほどと思わされるものがあったりします。もっとも、今の価格換算では250万円未満となるのですから、隔世の感は一際です。末裔にあたる86は、もっと上の価格帯となりますからね。





前編の最後はバンとなります。
当時のモデルはこちら


バンも廉価グレードのみに絞る形で先代モデルの併売が行われていました。まだ幼い時分に貰った1977年版のカローラ店の総合カタログでは20バンの掲載が当然あって、今回記したような事情を知らない子供心には「何で旧型が掲載されているのだろう?」と不思議に思ったということを思い出します。
一方の30バンは、従前からの1200の他、新たに1400を加えたことがトピックに。1400ではATも選択可能となりました。先代も後期モデルにおいて、Hi-DXを追加していましたので、バンであっても上級指向は存在していたのでしょうね。

今回の資料で最大の発見だったのは、5No.改造の文言。60年代等でバンを5No.登録できたというのは知識として持っていましたが、この年代でも可能だったというのは意外な驚きでした。

当時、クラウン、セドリック、マークII、スカイライン、ブルーバードU等にバンとボディを共用したワゴンがバリエーションにあるのに、もっと台数が見込める筈のカローラやサニーに設定がなかった点が長らくの謎だったのですが、これで納得も出来ました。

商用車の排ガス規制は、乗用車よりも先延ばしの形が取られていますので、この年代が最後に5No.登録が出来た時期と判断して間違いないでしょう。商用車はしばらく触媒レスが続いていますから、排ガス適合が可能だったとは思えませんし。

制度上で5No.登録が可能だったことは判ったものの、実際に5No.登録した例がどれぐらいあったのかは謎です。当時の記憶でも5No.で見かけた記憶はないのです。税金が上がる選択ですからね。長い年月が経過した後には、NOx規制の適用可否の分かれ目となるのですが、当時は想像もつかなかっただろうなとは。

この型のバン、当時も乗用車と同じくらいの頻度で見かけましたし、その多くは社用車や個人事業主でした。父の知人・友人界隈だと、セダンでは望めぬユーティリティが評価されて、乗用でバンを乗っているという人も散見されたりはしましたが。当時のカタログで比較しても、最上級となる1400Hi-DX等であれば、セダンとあまり変わらずの装備が揃っていて、ワゴンとしての使い方が可能だったように思います。

当時の価格、60万円~80万円は、今の価格で換算すると140万円~180万円相当となって意外と今のプロボックスの価格と重なったりします。


といったところで、前編はここまでとし、残りは後編として先送りすることにします。書き始めた段階では、一回で完結する想定だったのですが、あまり取り上げないカローラ店がお題ということもあるのか、思った以上に文量が膨らんでしまいまして。

数えてみると、もう数年で半世紀に達しようかという年。ここを見ている方でも当時を実体験されている方は少ないような気もします。そんな年に想いを馳せる端緒となり、また後編への備えとしていただければ幸いです。


【画像の出展】
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Posted at 2021/10/07 22:23:38

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この記事へのコメント

2021年10月8日 8:01
ほとんどのグレードのATがトヨグライド2ATと云うのが時代でしょうか。対する日産はBW35をベースにした日産マチックでサニーでも3ATでしたが、ATはある時期にトヨタに一瞬にして抜かれてますね。

話は変わって、商用の乗用登録ですがこれは、併用軌道への乗り入れ対策でもあったと聞いたことがあります。最近はわかりませんが、併用軌道乗り入れ可の標識に「乗用に限る」との補助標識を見かけた記憶があります。商用の乗用登録は、私の業界では結構行われていて、私自身がハイエースコミューターの3ナンバー登録を手掛けていたりして、今はハイエースディーゼルバンの3ナンバー化にチャレンジ中です。構造変更以外にも書類が結構あって一筋縄ではいきませんが。
コメントへの返答
2021年10月8日 18:54
当時のこのクラスだとATの比率は10%以下だったと記憶していて、安い2ATで充分という割切りがあったのでしょうね。サニーの3ATは、購買理由になり得る有利な点と映るだけに、商売下手の感は否めません。ATの普及は、トヨタやホンダが担っていますよね。

60年代の都内だと、渋滞に埋もれる都電の印象が強かったりします。法規制が存在していたとしても、軌道内はもちろん、安全地帯すらも自動車に囲まれる構図でした。
コミューターの3ナンバー化だと、私製グランドキャビンですね。現行のワゴンはガソリンのみですから、ディーゼルとなるとバンの構造変更となりますね。構変、年々厳しくなる印象があったりです。
2021年10月8日 9:47
こんにちは♪

我が家に有ったT80後期(通称:ブラボーコロナ)バンは5ナンバー登録でしたねぇ。

何故バン登録からワゴン登録にわざわざ変更したのか不思議でしたが併用軌道の絡みだったとは目からウロコでした。

でも併用軌道なんかとっくの昔に無くなってた我が地域で何故?って謎だけは残ってますがwww

まぁトヨタ自販直系のトヨタ中古から購入の筈だからオプションだったんでしょうけどねぇ。
コメントへの返答
2021年10月8日 19:01
こんばんは

マークIIはワゴンの設定がありましたが、コロナはバンのみでしたね。希少な変更という認識でしたので、乗られていた方がいたというのは、私的に結構な驚きでありまして。

バンを自家用にも用いた時代ですから、併用軌道の他にも4ナンバーを敬遠なんて理由もありそうで。

新車時からなのか、中古車の再登録時に変えたか、この辺りは探求のし甲斐がありそうですね。
2021年10月8日 10:03
70年代前半は、4年毎のFMCよりさらに短く、4年未満と言う例もチラホラ。
同時期の顕著な傾向に、排気量アップと言うのもありますが。
70年FMC組はセリカ、カリーナ、カペラ、フェローと4年どころか倍以上のモデルスパンであったモデルもある一方、80コロナ110サニー、フロンテなど、人気があっても3年のモデルチェンジでした。
翌年FMCのクジラクラウンなど不評で4年未満ならわかりますが、大きいこと新しいことはいいことだ、と言う時代のなせるわざでしょうかね。

もっとも、110サニーはトラックは94年まで、フロンテもセルボも仲間と考えると82年まで、20カローラもシャルマンを仲間と考えると81年まで(言われて気付きました笑)。

カローラ店のキャラクター、ジェリー藤尾氏もとうとう鬼籍に。
親父と同年代だっただけにうちもそろそろと考えたり。

ご存知でしょうがバンの乗用車登録は、貨物の毎年車検の関係などとも聞いています。
のちにトヨタはワンボックスなどでも「ビジネスワゴン」として毎年車検を嫌うフリートユース向けに、SWグレードを設置してきます。
当時は今より車検のハードルが高かったのでしょうか?

ところで20数年前、NOX逃れなどで昭和40年代貨物を乗用車登録化した事例が散見されました。
確か1973年に初めて貨物と乗用車の法的規格差(排ガスなど)が生まれたと思います。
変更の際の面積規定は周知でしょうが、荷物を積めない様に敢えて荷室中央に箱を設置したりとかの例も。
そんなこと言ったら荷物も積めるワゴン車は乗用車登録不可な訳で、これは陸事への過剰な忖度だったのでしょうかね。


コメントへの返答
2021年10月8日 19:26
アメリカ車のモデルイヤー制を倣っていますから、特に上物のボディは結構短期間で変える事例が見受けられた時代ですね。シャシーは、さすがにキャリーオーバーが多かったですけれど。
70年初頭のFMC組は、50年の排ガス規制が関所の感があります。ここで生産中止となるか、継続となるか。後者は長寿への道に繋がっているような。

排気量アップは、高速道路が続々開通したことが影響していると認識します。トラックやバスもパワーアップとなっていますし。オイルショックまでは、比較的燃料事情に恵まれていたこともあって、燃費よりパワーが求められてもいますね。

ジェリー藤尾氏、カローラの次にタウンエースのCMもですからね。Mr.カローラ店のお一人とも言えそうです。

ビジネスワゴンが出始めたのが、ちょうど乗用車の初回車検が3年に延ばされた時期と重なりますね。SWの他、70カローラのワゴンも含めていいと思います。
まだ45分車検はなかった時代で、即日の返却も少なかったと記憶します。この辺りはハードルと言えそうで。税法上の償却期間も延びるので、会社的には悩ましい選択だったのかなとは。

48年規制までは点火時期の調整等で対応できましたが、50年規制以降は貨物で後から対応させるのは事実上困難ですね。
恐らく、室内長>荷室長をパスさせるため、箱を置くことで荷室ではなくデッドスペースとしたのでしょう。陸事のパスも場所や係官次第で揺らぎがあったようですから、忖度が生じる余地はありますよね。
2021年10月8日 12:28
20はクーラーで、30はエアコンなんですね。
当時は全部ひっくるめてクーラーと呼んでたような気がします。
クーラー付き車に乗った記憶はほぼないですけどm(_ _)m
コメントへの返答
2021年10月8日 19:34
エアコンとクーラーは後編の話題の一つと考えておりました(笑)
当時は、インダッシュ式をエアコン、吊り下げ式をクーラーと分類することが多かったです。30のエアコンもエアミックスタイプではありませんから、機能観点ではクーラーに含めても間違いではないということで。当時の車両価格からするとかなり高額なオプションですね。
2021年10月8日 22:43
こんばんは。

小さい頃、20カローラの記憶がおぼろげですが残ってます。
父のペーパードライバー卒業と同時に購入したのが、ワイン色のカローラでした。
おそらく昭和52年に中古で購入。母曰く安かったと言っていたので、なんとかやりくりできたのかと思います。
30カローラもたくさん走ってました。
この当時の2速ATは、初代からの改良版のトヨグライドだった気がしますが、どうなんでしょう。
3速オートマがやや高級という位置づけが、時代を感じます。
この時代は、オイルショックでの社会不安がすごかったようですね。
今の世の中とは何か種類が違う感じです。

それでも車を売っていかないといけないので、本当に大変だと思います。

現行カローラやカローラクロスを見るたび、本当の大衆車は、世界中の人が満足できる値段と大きさなのかなと思いますが、どこかわからない部分があります。
いつのまにか、大衆車が死語になってました。
サイズやグレードアップに捕らわれず、自分に合った車を大切に乗る事が一番なのが、いつの時代でも変わらない事だと思います。

コメントへの返答
2021年10月9日 6:52
おはようございます

小さい頃に触れる機会のあったクルマの方が、後年よりむしろ記憶は鮮明かもしれませんね。
昭和52年だと、ディーラー系を中心に30系へ中古車流通の主流が移りつつあった時期で、20は格安車で扱われ易かった感はありますね。ワイン色というのは比較的少なかった印象で、シルバーやホワイトが多かったように記憶するところです。
特にこのクラスだとATというだけで珍しいと感じた時代ですし、あまり性能云々とは言われなかったのかもしれません。2速と3速で比較した結果は明確であって、1400は並行設定されているものの、50年規制以降3速のみに絞られていますね。

排ガスとオイルショックにより、それまでとは一転して自家用車は必要悪的に言われた時代でもあります。各社、クルマ単独の魅力だけではなく、社会との共調を謳うようになりました。

車を使う地域や買える人数が増えすぎて、大衆という言葉自体が定義できない感があります。国内に絞っても分断が進んでいる感は拭えなくて。大衆車が死語と化すのも当然かなとは。
新車を次々買う幸せを否定はしないのですが、長く乗る幸せも尊重したい。そんなことは思いますね。
2021年10月8日 23:11
同じ切り口の時代違いがリンクされていてすぐ比較できて有り難い企画です。そしてカローラ店のフィーチャー有り難うございます。

価格表は嵩張るのでいつも捨てちゃうんですけど、今はコレクションの中に挟まっていたら「よし」とガッツポーズしたくなるくらい重要な資料に変わっています。あのときたくさん捨ててしまった私はなんと愚かだったのか(笑)

価値換算で2.3倍ですと、カローラのエアコン
139,000円×2.3=319,700円と大変高価ですね。
それでも得られる快適性はあるのと無いのとでは大違いですし、奮発してしまう人も多かったのではないかと思います。

私が過去に運営していたサイトで取り上げた20カローラオーナー(20カローラDXで47万km走らせた人)はクーラー装着したカローラの助手席は取り合いだったと話していました。

それが1990年代末期の貨幣価値が近いときでも18万円くらいですから安くなったものです。装着率も上がって量産効果もあるのでしょうが、機能面も今は充実していますからメーカーも儲からなくなってきているのかも、と余計な邪推してしまいました。

30カローラはオイルショックと排ガス規制に翻弄された大混乱の中でカローラの足場を固める「上級移行しなくても満足できる商品性」「ワイドバリエーション」という特徴をしっかり与えられた力作でしたね。スタイルは初代から継続したセミファストバックですし、立派に見せようとベルトライン付近を一番張り出させているのも初代から継続していますが、カリーナに迫るほど車幅を拡幅して広さを確保するなど地道な改良が光るという感じでしたね。しかも、セダン・バン・HTに全高違いのスプリンターセダン・クーペ、さらにLBも後から追加されるわけですから、そりゃ現行でSUVが出てきても驚くべきではありませんね。(ミニバンまで出したわけですし)

現代の目から見ると丸目ヘッドライトやFR方式、Rrリーフリジッドサスなど技術的には旧い印象ではありますが、幸運にも試乗経験のある後期カローラセダン1600GSLやクーペレビン(55の方です)は以外と自然に乗れるというかまとまりの良さを感じたものです。特にレビンは改良後のTE71を保有していた私から見ても十分イケてる走りで、コーナリングも安定していましたよ。上まで回しましたが十分DOHCを感じられるフィーリングに感銘を受けました。その個体の状態も良かったと思うのですが「牙が抜かれた2T-G」っていうお決まりのフレーズはあくまでもTE27比なんだろうなぁと感じた次第です。

ちょっとズレたコメント恐縮ですが後編も楽しみにしています!
コメントへの返答
2021年10月9日 8:23
結構独自の切り口かなと密かに自賛していたりします。反応が比較的少ない感はあって、お言葉が大変励みになります。

価格表は、販売店発行の物が嬉しいです。店頭付属品や標準在庫等、貴重な情報の宝庫ですよね。父の縁故関係から、どうしても東京トヨペットが多くなりまして、たまに見る他店は私的にも新鮮だったりします。

エアコン関連は、正しく書かれている視点で後編に取り上げようと思っていました(笑)
昭和50年代以降、一気に普及した装備であり、新車時に限らず後付も再販時含めて多かったです。

当時、父の仲間内でのドライブとなると、冷房有無両方となりまして、やはり皆冷房付に人気が集中したものです(笑)

一番翻弄されたのは、町の電装屋さんかもしれませんね。冷房は初期から大抵外注装着で修理含めて対応されていましたが、90年代以降工場装着に転じてしまいました。エアコンは、ATと共にトヨタが高く評価されるようになった理由とも思います。実質的にはデンソーの成果と言えるのかもですが。

3の倍数の世代は、ザ・カローラと評すべきか、歴代でも屈指の力作が揃っていると思っています。
30は、初期の集大成として変革と混迷の時代の中で地道に足場を固める一方、多品種という新たな展開も見せた意欲的な世代でした。一見では同じに映るセダンも実際は屋根の高さまで変えていますし、クーペとLBはパッケージングから分けているという具合で、知るほどに驚かされます。カローラ系だけで一つのクルマ会社ができると言われるようになったのは、この辺りからと思います。
310サニー、初代パルサーと車幅を拡げたモデルチェンジは、30カローラからの影響と認識しています。

技術的には初代からの熟成ですよね。次世代からはラック&ピニオンステアリング、リヤのコイルサス、角目等の技術が入ってきます。モデル終期はライバル車に対して旧世代の印象が強くなった理由でもあるのですが、こなれた技術はまとまっていましたし、信頼性も高いものでした。
2T-Gは、酸化触媒の51年規制では牙を抜かれたが大半だったものの、三元触媒の53年規制では蘇ったという評価もありました。牙に27の軽量とソレックスの音へのノスタルジーを重ねると、また評価も変わってきますよね。
2021年10月9日 11:58
30カローラはバンもセダンもよく見かけましたよね。前期、中期、後期とモデルサイクルも多少長かったのでしょうか、さらに排気量やグレードで複数のデザインが存在していてどれがどのフロントフェイスでテールデザインなのかとか調べた記憶があります笑
うちも父が初期のフェローMAXから40スプリンターの中期型に乗り換えてました。1200DXと廉価グレードでエアコンも無かったのですが車内が広くなり嬉しかったですね。TTC-Cのバッジが印象的でした。洪水で浸水したり貰い事故に遭ったりで早々に代替えしてました。次車がB310後期サニーSGX-Eでしたのでエアコンや計器類など内装の充実具合に同じ車格と思えない驚きでした。
おっしゃられるようにバンを自家用と兼ねている商売屋さんも多くコロナバンでもGLや隣のお宅はB310サニーバンでもスーパーDXとか上位グレードが多かった記憶があります。
うちの田舎では30カローラは本当にいましたね、ただセダンかバンしか見たことなくセダンは上級でも稀にSLまでぐらい。レビンやHTは見た記憶がないです。
コメントへの返答
2021年10月9日 20:33
この時代の日本の風景の一部だった感がありますね。
排ガス規制の影響で1年モデルチェンジが遅れています。前期が3年、中期と後期が各1年という変則も同じ理由ですね。ボディ間で変えていますし排気量別もありますので、実に覚え甲斐があるというか(笑)

途中でAT以外は1300に切り替わっていますので、中期の1200というのは意外と希少だったりします。51年規制はTTC-Cのバッジですが、53年規制ではステッカーに変わってしまい、何となく簡素化を感じたものです。
1200DX→SGX-Eだと最廉価から最上級へですね。装備は勿論、走りもかなり良くなったのでは。このクラスのエアコンの普及が同時期だと思います。
社用車はDXが定番でしたが、自家用兼用だと上位グレードでしたね。乗用車から少し遅れてハイグレード化が進んだ感もあります。
販売店縛りでも無いと、GSLならカリーナやコロナの1600となったのだろうと推測しています。37レビンの希少性は比較的有名なところで当時もあまり記憶に残らずですが、首都近郊だと週末のファミリーカーにHTというのは意外と見かけました。販売店主導のモデルとのことですから、地域性はあったかもしれませんね。
2021年10月10日 10:25
こんにちは。
当時の価格との比較は大変興味深いですね。

ここ数年車両価格は上がる一方に感じますが、昭和50年当時と比べると、装備差を勘案すれば今のほうがまだ割安だったんですね。その後の90年代から2000年代初頭が、特別自動車を持ちやすい良い時代だった。と振り返るとなるんでしょうか。
幸い、自動車の耐用年数が伸び、1台を長く使えるようになったことが、車両価格の伸びを相殺してくれているように感じます。

歴代の累計販売台数で最大となった30カローラは、身近でも祖父(1300の4ドア)や父(1200の2ドア)が所有していたことがある、たくさん走っていたクルマなんでしょうが、80年生まれの自分の記憶が残っている80年代後半以降ですと、ほとんど覚えがありません。
90年のカローラの販売台数を更新した往時の30プリウスのようだったんでしょうか。30プリウスは自分も所有していたことがありますが、当時は高速道路のSAで自分のクルマが分からなくなるほど多かった記憶があります。

自分の記憶で古いカローラというと、小学2年の時(昭和62年)の担任の先生が、親からもらったという30の次の70カローラ前期に乗られていて、「8年乗ってボロボロだからクルマを替えた。君はクルマが好きだからカタログをあげるよ」と、何冊かいただいたのを覚えています。確かにそのカローラは錆も出ていて、エンジンを切ってもランオンをしているなど、子供の目にもくたびれたクルマに見えました。

今では、8年落ちでは軽自動車でもきれいに磨かれてディーラーの中古車店に並んでいますが、30カローラが街にあふれていた期間はさほど長くなく、気づけば見かけなくなっていたんでしょうね。
コメントへの返答
2021年10月11日 6:38
おはようございます
比較をすることで、様々なことが見えてくるように思います。

ここ数年の車両価格の上昇は揺るがない事実ですが、収入との相対比だと、書かれている年代(前後共にもう少し長い気もしますね)が持ちやすい時期だったとは言えそうで。また、背伸びをして高いクルマを買っていた年代と言える気もします。
半世紀近く前ですから、装備や性能は正直比較になりませんね。今回は言及していませんが、高速道路網等も大きな違いの一つです。

30カローラの年代だと、D系の中古車として普通に並ぶのは、大体2車検目(4年)が限度であり、その先3車検目(6年)ぐらいまでが、現状渡しのお買い得車か業販送りだったと記憶しています。再販で買われた方も1車検を通したとしても2車検目には代替されるので、6~8年くらいで大多数が廃車となっていました。当時の平均耐用年数も同じくらいの年数となっていますね。
30カローラの発売期間は、74年から79年ですから、80年早々には淘汰が始まって80年代半ばには多くが消えているとなり、実感と重なるのではないかと思うところです。E70系半ばからE80系の期間で代替が進み、E90系の時には既に珍しかったくらいかなとも。それ以前の最盛期には、それこそどこでも見かける車の一つという印象でした。

クルマ本体も同じくらいの想定で作られていましたから、塗装のやれや錆等、屋根下で保管し大切に乗る等でないと、10年とはなかなか。加えて車の進化も速かったですから、余程の愛着がないとですよね。

今は10年どころか20年でも乗れたりしますので。”2.3倍”は、流通期間や耐用年数にも当て嵌められるかもしれません。

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「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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2021/08/05 19:34:14

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