
忘れた頃に時折取り上げるものの一つが、当時ものの新車価格表を検証してみる話。今回はそんな回となります。
取り上げた理由としては、これまで取り上げた年の隙間ということもあるのですが、実は見れば見るほどに貴重な資料なのかも、と気が付きまして。カタログの付属物と見做して、あまり気にしていなかったのは不徳の至り。
参考までに、このシリーズで過去に取り上げた年のリンクを貼っておきます。
1992年、
1985年(前編)、
1985年(後編)、
1978年、
1972年、
1968年
続いては、これまで通り、
国家公務員の初任給から補正数値を算出してみます。
○平成31年 総合職(大卒):186,700円、昭和50年 上級(甲):80,500円(2.32倍)
○平成31年 一般職(大卒):182,200円、昭和50年 上級(乙):77,300円(2.36倍)
○平成31年 一般職(高卒):150,600円、昭和50年 初級:66,000円(2.28倍)
となります。2.3倍くらいを補正指数にして計算すると、現在の価値に換算できることになりますね。
1980年前後から、各販売系列はそれまでの半ば専売から、兄弟車を増やす形でフルラインナップ体制に移行していくことになるのですが、まだこの時期はその前夜でした。
今回取り上げるのは、これまでの東京トヨペットではなく、トヨタ新東京カローラの1975年(昭和50年)7月時点版。近年、トヨタの東京地区のディーラー網は、多くがトヨタモビリティ東京に統合となっていますが、それ以前にもあまり聞き馴染みのなかった社名です。
軽く調べてみたところ、カローラ店の前身となるパブリカ店は、設立の際にオープンテリトリー制を掲げたため、販売店が乱立。その後、東京地区はトヨタ東京カローラが今も残るトヨタ西東京カローラ以外のカローラ販売店を吸収合併し続けたという経緯のようです。今回のトヨタ新東京カローラは、吸収合併の最後となった社で1987年(昭和62年)まで存続していたようです。
当時の店舗所在地等は不明ですが、そんな歴史からすると、今のトヨタモビリティ東京には、トヨタ新東京カローラ由来の店舗があっても不思議ではないような。これまでの調べでも、系列が変わっても店舗の場所は同じという事例が多数確認できていますし。
調べたついでで判ったことも、備忘録的に記載してみます。
【パブリカ店からカローラ店への店名変更の経緯】
1.パブリカ発売に際して新系列となるパブリカ店を設置
2.パブリカ店に、新型車カローラを追加
3.カローラ販売開始後、パブリカ店の販売規模が急激に増大
4.カローラの増販計画は、パブリカ店の増強を超える恐れが出てきたため、新型車カローラスプリンターの発売に合わせて新系列オート店の設立を決定
5.オート店は当初、カローラセダンとパブリカセダンを併売
6.2代目パブリカはオート店の専売に移行。同時に既存のパブリカ店はカローラ店に店名を変更。
※この部分、参考とした資料はこちらとこちら
スプリンターは1971年(昭和46年)のマイナーチェンジまで2ドアクーペのみで販売されていましたし、4代目コロナのハードトップ(RT90)は当初従前からのトヨペット店に加えてオート店も取り扱っていたという経緯があったりします。取扱車種からすると、カローラ店とオート店で取り扱うクラスこそ重複するものの、前者はファミリーユースを重視、後者はヤングユーザーを重視という大まかな分けがあったことを想像させられます。間もなくモデルチェンジが行われる予定のノアとヴォクシーにはその片鱗が残っていたりしますね。
軽い前段のつもりが長くなってしまいました。
ここからは本題の価格表についての話に入っていきます。
先ずは当時の代表的取扱車種となるカローラセダン。
当時のモデルはこちら
(ただしカローラ20は輸出仕様)。
この時点では、現行モデルに加えて、廉価グレードのみ先代モデルが併売されていました。形式名から、前者が「カローラ30(さんまる)」、後者が「カローラ20(にーまる)」 という呼び名の分けが便宜的に行われてもいて。
併売の理由に価格上昇を挙げられることが多いのですが、当時の価格で2.5~3.0万円弱、今の価格に換算しても5~6万円ですから、これだけを理由とするのは苦しい感が否めず。
カローラ店の入門車かつ屋台骨でもあったカローラですから、モデルチェンジに伴うサイズアップへの懸念も理由に添えてあげるのが妥当なように思います。この時のサイズアップは、全長こそ3,965mm → 3,995mmの30mmプラスに留まるものの、全幅は1,505mm → 1,570mmへと65mmという結構なプラス。ホイールベースとトレッドの拡大に伴い、最小回転半径も4.5m → 4.7mに増えたりもしていますし。
パブリカとスターレットを扱っていたオート店では、その辺りの懸念は無用と言え、事実スプリンターは併売という選択はされていません。
販売の最前線では、サイズアップに伴う重量増(1200デラックスで755kg →795kg)を逆手に取って「にーまるの方が走りも燃費もいい」というセールスも行われていたようです。オイルショックの影響から、ガソリン価格の急騰や休日の休業等が生じていましたから、意外と効果のあるアピールだったであろうと推測。
併売の理由をさらに書き添えると、モデルチェンジ直前に勃発したオイルショックに起因するモデルチェンジ不要論もその一つに入れたくなります。余談の感もありつつで記してしまうと、モデルチェンジは4年毎、マイナーチェンジは中間にあたる2年というのは、21世紀初頭まで長く続いた風習ですが、そのサイクルが決まったのは、この時が切っ掛けとなります。オイルショックの前までは、アメリカに倣ったモデルイヤー制が行われていて、ほぼ毎年のように変更が行われてもいました。
本題のカローラ30は、そんな世論に反してのモデルチェンジと受け取られたことから、駆け込みの認可申請&許可ではないのかと、国会で取り上げられた経緯もあったような。20の併売は、単なるモデルチェンジではないと位置付けるためという理由も含まれていたという話を読んだような、おぼろげながらの記憶があります。
世論に反しての強行にも映るこの時のモデルチェンジは、商売的には大正解で、オイルショック直後の販売不振からの立ち直りに新型車効果が相乗。排ガス規制前の駆け込みも加わって、カローラ30は絶好調の販売を続けることになります。カローラの販売台数の最高記録は1990年となりますが、この年もそれに匹敵する販売台数を計上していたり。(というか、1990年の販売においては、それまでの最高台数だった1975年を超えろというお達しがあったことを想像させられるような)
車幅の拡大は、厳しくなることが予想された排ガス規制への適合に際して、特にエンジンルームへの補機類の追加を見込んだというのが主な理由だったようです。実際、カローラ20は、生産が継続されたバンを除いて50年規制の導入時に生産中止となっています。もっとも20のコンポーネンツを流用したダイハツ シャルマンは、その後53年規制まで適合して長らく生産されてもいますから、先の見通しが立たない中で厳しめに見込んだのだろうという推測も立ちますけれど。販売面からは、特にセダンの方はほぼ30への移行が受容され、20は当初の役目を終えていたため、50年規制への対象から外されたが大きいように思います。
大型化を主とする上級移行は、それまでカリーナやコロナ等、上級車種を扱う他系列へ流出していた顧客層を一時的に繋ぎ止める効果がありました。ユーザーが日増しに豊かになる中では、それでも上級車種への要望を完全に抑止したとは言い難く、後年オート店にはチェイサーが、カローラ店にはセリカカムリが投入されることになります。
実質的なファミリーユースのエントリーグレードとなる30の4ドア1200DXが70万円、最上級の4ドア1600GSLが90万円ですから、今の価格だと160万円~210万円相当となります。価格からすると、現行カローラというよりはルーミーの方が売れ方も含めてポジションとしては近いのかもしれません。
価格表内の()は、MOP設定を店頭渡しの時点で装着していた装備となります。スタンダードのラジオはビジネスユースでも需要が高かったでしょうし、Hi-DXの熱線や時計は、このグレードを選択するなら含むべきという認識だったのでしょうね。
続いてはカローラハードトップ。
当時のモデルはこちら
先代まではスプリンターと前後のみ変えたクーペボディを共用していましたが、この代になって、スプリンターにはセンターピラーを残しつつも低全高対応でパッケージングを変えたクーペ、カローラにはセダンのパッケージングを踏襲しつつもセンターピラーレスとしたハードトップという形で仕分け整理が行われています。
ハードトップの車高は、カローラセダンとの対比では25mmのマイナスとなりますが、実はスプリンターセダンとは同数値。スプリンタークーペはそこからさらに40mmのマイナスでした。スプリンタークーペには、オート店版セリカの役割も担わせたかったのでしょう。この辺りは販売店主導の感もあります。
セダンに近いハードトップというのは、意外と巧みなコンセプトだったようで、2ドアセダンの一種として、ファミリーユースで使われる事例も当時は多く見たように記憶しています。セダン同様、ハードトップもSLやGSLよりDXやHi-DXの方が多かったように思いますし。セダンの価格表で判る通り、当時は2ドアと4ドアが並列で選択可能だったのですが、50年規制の導入後は2ドアセダンの設定が縮小されていきます。この点も2ドアセダンの需要がハードトップやクーペに移行したことを想像させます。
20のクーペは、セダン&バンと異なり先代の併売は行われませんでした。生産工場の都合があり、またこの種のボディはスタイリングが命でもありますから、必要性は少ないと判断されたのでしょう。クーペで先代を一番惜しんだのはモータースポーツ界隈であり、ボディの大型化に伴い先代比で55kg重くなったレビン&トレノは、同界隈では先代の活躍が続いたという点は書き添えておくことにします。
レビンの価格は、後編で掲載する予定のセリカGTVの価格に匹敵。37レビンの販売台数が少ないというのは比較的有名な話ですが、こうした当時の資料を調べてみるとなるほどと思わされるものがあったりします。もっとも、今の価格換算では250万円未満となるのですから、隔世の感は一際です。末裔にあたる86は、もっと上の価格帯となりますからね。
前編の最後はバンとなります。
当時のモデルはこちら
バンも廉価グレードのみに絞る形で先代モデルの併売が行われていました。まだ幼い時分に貰った1977年版のカローラ店の総合カタログでは20バンの掲載が当然あって、今回記したような事情を知らない子供心には「何で旧型が掲載されているのだろう?」と不思議に思ったということを思い出します。
一方の30バンは、従前からの1200の他、新たに1400を加えたことがトピックに。1400ではATも選択可能となりました。先代も後期モデルにおいて、Hi-DXを追加していましたので、バンであっても上級指向は存在していたのでしょうね。
今回の資料で最大の発見だったのは、5No.改造の文言。60年代等でバンを5No.登録できたというのは知識として持っていましたが、この年代でも可能だったというのは意外な驚きでした。
当時、クラウン、セドリック、マークII、スカイライン、ブルーバードU等にバンとボディを共用したワゴンがバリエーションにあるのに、もっと台数が見込める筈のカローラやサニーに設定がなかった点が長らくの謎だったのですが、これで納得も出来ました。
商用車の排ガス規制は、乗用車よりも先延ばしの形が取られていますので、この年代が最後に5No.登録が出来た時期と判断して間違いないでしょう。商用車はしばらく触媒レスが続いていますから、排ガス適合が可能だったとは思えませんし。
制度上で5No.登録が可能だったことは判ったものの、実際に5No.登録した例がどれぐらいあったのかは謎です。当時の記憶でも5No.で見かけた記憶はないのです。税金が上がる選択ですからね。長い年月が経過した後には、NOx規制の適用可否の分かれ目となるのですが、当時は想像もつかなかっただろうなとは。
この型のバン、当時も乗用車と同じくらいの頻度で見かけましたし、その多くは社用車や個人事業主でした。父の知人・友人界隈だと、セダンでは望めぬユーティリティが評価されて、乗用でバンを乗っているという人も散見されたりはしましたが。当時のカタログで比較しても、最上級となる1400Hi-DX等であれば、セダンとあまり変わらずの装備が揃っていて、ワゴンとしての使い方が可能だったように思います。
当時の価格、60万円~80万円は、今の価格で換算すると140万円~180万円相当となって意外と今のプロボックスの価格と重なったりします。
といったところで、前編はここまでとし、残りは後編として先送りすることにします。書き始めた段階では、一回で完結する想定だったのですが、あまり取り上げないカローラ店がお題ということもあるのか、思った以上に文量が膨らんでしまいまして。
数えてみると、もう数年で半世紀に達しようかという年。ここを見ている方でも当時を実体験されている方は少ないような気もします。そんな年に想いを馳せる端緒となり、また後編への備えとしていただければ幸いです。
【画像の出展】
・FavCars.com