
当初想定していた以上に長くなったことで急遽2回に分けた話、今回は後編となります。
前編ではカローラを取り上げましたが、後編ではカローラ以外の当時の取扱車種と付属品や諸費用等に関する話となります。
それでは、前回の続きから。
先ずはミニエース。
1967年(昭和42年)に先ずトラックが登場。翌年にバンとコーチが追加されてバリエーションが完成しています。1975年末で生産中止となっていますから、この時期だと終期間近となりますね。
前回参考とした
こちらの話によると、オート店の専売とありますし、オート店で取り扱っていたことを裏付ける看板の写真も掲載されています。一方で、車種別の紹介では取扱店はパブリカ店とありますし、この時期のオート店では取り扱っていなかったことも確認できています。
考えられる可能性は、当初はパブリカ店とオート店の併売でライトエースの発売に伴いカローラ店の専売となった、あるいはライトエースの発売と同時にオート店からカローラ店へ移行のどちらかかと思います。後者ならライトエースをカローラ店に投入する方が自然ですから、恐らく前者が正しいのだろうと推測します。
1975年末の生産中止の理由は排ガス規制の適合困難とされることが多いようですが、乗用車登録のコーチは別としてトラックとバンは継続可能だったろうと思います。軽自動車枠の拡大が決まっている中にあっては、古参モデルのミニエースを継続しても競争力が乏しくなることは確実、という判断があったのだろうとは。
それにしても、今視点でミニエース、特にコーチのスペックを眺めると、結構驚きではあります。全長3,585mm × 全幅1,380mm ×全高1,630mmのサイズで7人乗りですからね。車幅は今の軽自動車より狭く、車高だってワゴンR同等なのに、セカンドシートは3人乗り。このミニエースとドミンゴの7人、もう少し範囲を広げると初代バネットロングの10人やハイエース標準コミューターの12人、この辺りが多人数乗車の究極パッケージングと思っています。
もちろんキャブオーバーのバンを失ったままというのは販売店にとってはあり得ず、ミニエースが廃止となった翌1976年10月には、ライトエースを拡大したタウンエースが新たに投入されることになります。同じく排ガス規制の関係で生産中止となったライトエースワゴンの替わりに、バンの1600とワゴンのみオート店にも併売。この辺り、強かな商売と見るか、苦しい中の商品展開と見るか、見解は分かれそうですね。
続いてはセリカ。
当時のモデルはこちら。
LBが追加後、クーペのノーズがLBと同じデザインに変更された後となります。
50年規制が導入される直前のこの時期が、初代セリカの一番良かった時期と個人的には思っています。初代セリカのマイベストは、この時のクーペ2000GTを挙げます。LBの方が人気かなとか、クーペならノーズが変わる前というご意見も多そうですけれどね。
50年規制適合と同時に、フロントセクションを一新して、ノーズとホイールベースを延長、フロントトレッドを拡大したのはカリーナと同様。スタイリングだけなら、50年規制以降のも良いのですが、性能面の低下は如何ともしがたく。
価格表に掲載されている内、1400だけは内装デラックスということで、価格重視の仕様となっていますが、その他は組合せが固定となるGT系を除いても、外装STで内装カスタムSWということで豪華仕様で掲載されています。
初代セリカは、GT系以外は内外装のチョイスが可能ということを売りにしていたのですが、意外と売れ筋は偏っていたと聞いています。この掲載は、その辺りの反映があるのかもしれません。全てMTというのも、スポーティ寄りのスペシャルティと認識されていたセリカらしいと言えそうで。
STも多くはラジアルタイヤで掲載されていますが、GT系以外は本来オプション設定。ラジアルタイヤがチューブ付という点が珍しく映るかもですが、当時はまだスチールラジアルではなくテキスタイルラジアルというやつで、チューブ付で設定されていました。スチールラジアルとなるのは、この後の3代目マークII辺りと認識しています。
下級グレードだとカローラハードトップから少々の背伸びで買えて、最上級のLB2000GTとなると当時のスカイライン2000GTやフェアレディZと同等の価格設定でした。それでも、LB2000GTにエアコン付けて、今の価格で換算すると350万円相当ですからね。当時の若者には中々手の届かなかった存在と認識するのですが、今視点だと意外に安く映るのは、昨今の新車価格と絶版車の流通価格の両方の影響なのでしょうね。
当時のカローラ店の取扱車種は、これで全てとなります。80年代以降のカローラ店を知る方からすれば、何とも取扱車種が少なく感じられるでしょうね。
カローラでカーライフに入門し鍛えられたユーザーは、しばらくすると上級移行を望むようになります。そんなユーザーの指向に対して、カローラの高級化・上質化だけでは他系列流失を食い止められないと悟ったカローラ店の上層部は、やがてカローラよりも上級となる4ドアの追加投入を開発側に要望するようになります。カリーナEDの限定車の回で軽く触れたセリカ カムリに繋がる話ですね。
続いては、前編で既にコメントを頂戴したエアコンとクーラーの話です。
コメントの返信で既に書いてしまったのですが、ここで言うエアコンとクーラーの違いは、インダッシュか吊り下げの違いと同義です。
機能的には、どちらも冷房の単機能であり、暖房とのエアミックス機能は備えていませんでした。当然、除湿や頭寒足熱といったことは不得意で、夏の暑さから解放されるものの、雨の日の曇り取り等では難しい調整や寒さへの我慢を強いられました。同機能が登場して空調が一気に進化するのは、これまた3代目マークII辺りからとなります。
セリカのエアコンを今の価格に換算すると約40万円弱。最も安いカローラのクーラーでも約25万円強ですから、当時の車両価格と比較しても高額なオプションであったことは間違いありません。それだけに、見た目はエアコンの方が収まりがいいことを知りつつも、価格の点でクーラーを選択される方も結構いました。
機能観点で比較すると、どちらも単機能であり、エアコンも助手席足元には大きなエバポが鎮座、さらに吹き出し口はまだ高い位置に置かれる前となりますから、然程大きな違いはなかったりもしましたし。
クーラーは、さらにお安くで付けるなら、社外品という選択肢もあり、これだと当時10万円前後だったと記憶しています。
それでも新車時の装着率、セリカは若者が多数のスポーティカーということで少なく、カローラは1600でようやく検討されるぐらいで1200だと装着される方はかなり少ないだったのではないでしょうか。冷房を付けると動力性能が落ちて燃料も喰うという認識がされていました。当時のAT同様、大排気量の方が相性がいいとされていたのです。
冷房について、もう少し話を拡げてみます。
実は新車時だけの話では収まらず、この年代だと非冷房で購入したものの冷房が欲しくなる、あるいは中古車で商品価値を上げるのに冷房を装着するという事例も多くありました。中古車だとエアコン装着というのは、プライスボード脇の札で掲げるくらいのアピールポイントでしたし、頭に”純正”と付くのは尚更高評価となりました。後付だとお値段重視となり、社外品の出番も多かったですけれどね。
完全に余談ですけれど、父の初代マークIIのブレーキ換装をした友人、夏前には冷房取付請負人となり、同じく親戚・知人界隈では何人かお世話になっていました。「趣味半分でやっているから手間賃は気持ちだけで」とかでしたから。
そんな感じで本体は純正と社外が混在、ついでに取り付ける方の腕も職人と素人が並立といった具合で、折角付けた冷房の効きはある意味天任せなのかもというのも、時折聞いた話です。父の界隈、冷房の調達は純正から野良まで様々でしたけれど、寒くて助手席に乗っていられないくらい効くと全く効かない、両方あったことを懐かしく思い出すのです。
一時期のカーコンポやカーナビに近い印象を抱いた時期もありましたが、高額にも関わらずユーザーの多くが根狂した用品というのは、このエアコンがやはり空前絶後と言えるでしょう。カーエアコンでカー用品に商機を見出した家電業界は、純正化が進んだ80年代以降、新たな金脈をカーコンポに見出した、というのはあながち見当外れでもなかろうと思うところです。
エアコンはこの後、量産効果も効いて、標準装備が多くなる90年代初頭までほぼ同じくらいの価格で推移していますね。
ここまで取り上げてきた新車価格(店頭渡し価格)は、実は付属品込みの価格でした。公正取引委員会が介入して「車両本体価格の表示義務付け」「付属品価格の明記」「希望しないユーザーへの付属品抱き合わせ禁止」といった今に至る販売ルールが定まったのは、この後80年代初頭だったと記憶しています。導入初期は、指導対象にも関わらず、特に地方で従来の風習を踏襲していたディーラーがいくつかあったことが、今も続く月刊自家用車誌の値引きレポート等で書かれていました。明確な違反は、編集部が別途取材していたりもして。
その付属品ですが、セリカ用が30,000円、カローラ用が25,000円と当時の標準的な内容。トヨタ新東京カローラは愛車セットとフロアマットを一体で記載していたようで、分けて記載していた東京トヨペットの価格表を見慣れている身には、新鮮に感じます。
洗車用具や緊急措置用の用品は、必要に応じてカー用品店で揃えるのが今の主流となりますが、当時は新車付属品に含めるのが常識であり、またそれがディーラーの収益の一つでもあったのです。こうした愛車セットが外されるようになるのは、90年代半ば以降かと思います。
諸費用については、検査登録費用の安さが明らかな一方、車庫証明費用と納車費用はあまり今と変わらない気がします。下取り車の査定料も書かれていませんね。
あと、何より気になるのが、ライトバン乗用改造費。金額的に主に申請書類の作成費用と推測しますが、詳細は謎ですね。
本体に係る税金や自賠責保険料の一覧表となります。
代表的なカローラ1600で抜き出すと
●自動車税:24,000円(補正後:55,200円)
●重量税:20,000円(補正後:46,000円)
●自賠責保険料:35,350円(補正後:81,305円)
となります。
「自動車関連の税金がとにかく高い。」というのは、昨今よく聞く話です。そもそも当時と比較するのが妥当かという論はあるかもですが、その論は脇に置いた上で比較すると、相対的には決して高くないという結論になります。
当時は、自動車は生活の一部というより贅沢品と見做される事の方が多かったというのが理由の一つかと思います。高い維持費を覚悟の上で、それでも購入したくなる魅力があったという見方もできますけれどね。
乗用より貨物の方が税負担が少ないというのは、当時から今に至るまで変わりません。この辺りを指摘される方はあまりいませんが、生活の一部と位置付けるなら議論の余地はあるように感じます。物流優先という言い分も一理ありますから、是正すべきという結論とはしませんけれども。
価格表には、こんなものも掲載されていましたので、最後におまけ的にご紹介。
GE(ゼネラル・エレクトリック)のエアコンと冷蔵庫の価格表となります。
当時は自動車と直接関係のないこんなものも取り扱っていたのですね。東京トヨペットの価格表では掲載のないもので、これもまた驚きの一つでした。
昨今の両製品の価格と比較すると、実は一番価格差が生じているのかもしれません。ルームエアコンの冷房能力は今とは格段の差ですし、冷蔵庫は当時としてはかなりの大容量。半世紀近い年月の経過は、こうした部分にも明確に現れますね。
といったところで後編はいかがだったでしょうか。
前半と異なり、内容雑多かと思いますので、様々な視点でお楽しみいただければ幸いです。個人的には初期の冷房思い出話が書けたのが、少々嬉しくもありまして。
ここで販売されたクルマ達は、70年代末までは未対策車として中古車市場で人気を集めた後、80年代前半くらいから多くが淘汰されていきます。10年後も残っていたというのはかなり少なかったであろうことも、当時の街中の風景から思い返したりします。「新車の進化が速い」「耐久性も今よりはるかに弱い」「10年以上経過すると1年車検」等の理由から、今よりもはるかに短期間で街中から消えていきました。量産車の宿命の感もありますが、やはり大量に売られ、思い出だけを残して大量に消費される運命にあったのです。
今も残る極一部というのは、そうした時期を経過しそれでも残り続けたからこそ価値が見出されたのだと言えます。
半世紀近く前の新車販売最前線、当時を懐かしむ、あるいは当時を想像する一端となれていれば、ありがたく存じます。
【画像の出展】
・FavCars.com