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2021年10月12日

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(後編)

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(後編)  当初想定していた以上に長くなったことで急遽2回に分けた話、今回は後編となります。

前編ではカローラを取り上げましたが、後編ではカローラ以外の当時の取扱車種と付属品や諸費用等に関する話となります。

それでは、前回の続きから。


先ずはミニエース。
1967年(昭和42年)に先ずトラックが登場。翌年にバンとコーチが追加されてバリエーションが完成しています。1975年末で生産中止となっていますから、この時期だと終期間近となりますね。

前回参考としたこちらの話によると、オート店の専売とありますし、オート店で取り扱っていたことを裏付ける看板の写真も掲載されています。一方で、車種別の紹介では取扱店はパブリカ店とありますし、この時期のオート店では取り扱っていなかったことも確認できています。
考えられる可能性は、当初はパブリカ店とオート店の併売でライトエースの発売に伴いカローラ店の専売となった、あるいはライトエースの発売と同時にオート店からカローラ店へ移行のどちらかかと思います。後者ならライトエースをカローラ店に投入する方が自然ですから、恐らく前者が正しいのだろうと推測します。

1975年末の生産中止の理由は排ガス規制の適合困難とされることが多いようですが、乗用車登録のコーチは別としてトラックとバンは継続可能だったろうと思います。軽自動車枠の拡大が決まっている中にあっては、古参モデルのミニエースを継続しても競争力が乏しくなることは確実、という判断があったのだろうとは。

それにしても、今視点でミニエース、特にコーチのスペックを眺めると、結構驚きではあります。全長3,585mm × 全幅1,380mm ×全高1,630mmのサイズで7人乗りですからね。車幅は今の軽自動車より狭く、車高だってワゴンR同等なのに、セカンドシートは3人乗り。このミニエースとドミンゴの7人、もう少し範囲を広げると初代バネットロングの10人やハイエース標準コミューターの12人、この辺りが多人数乗車の究極パッケージングと思っています。

もちろんキャブオーバーのバンを失ったままというのは販売店にとってはあり得ず、ミニエースが廃止となった翌1976年10月には、ライトエースを拡大したタウンエースが新たに投入されることになります。同じく排ガス規制の関係で生産中止となったライトエースワゴンの替わりに、バンの1600とワゴンのみオート店にも併売。この辺り、強かな商売と見るか、苦しい中の商品展開と見るか、見解は分かれそうですね。






続いてはセリカ。
当時のモデルはこちら。


LBが追加後、クーペのノーズがLBと同じデザインに変更された後となります。
50年規制が導入される直前のこの時期が、初代セリカの一番良かった時期と個人的には思っています。初代セリカのマイベストは、この時のクーペ2000GTを挙げます。LBの方が人気かなとか、クーペならノーズが変わる前というご意見も多そうですけれどね。
50年規制適合と同時に、フロントセクションを一新して、ノーズとホイールベースを延長、フロントトレッドを拡大したのはカリーナと同様。スタイリングだけなら、50年規制以降のも良いのですが、性能面の低下は如何ともしがたく。

価格表に掲載されている内、1400だけは内装デラックスということで、価格重視の仕様となっていますが、その他は組合せが固定となるGT系を除いても、外装STで内装カスタムSWということで豪華仕様で掲載されています。
初代セリカは、GT系以外は内外装のチョイスが可能ということを売りにしていたのですが、意外と売れ筋は偏っていたと聞いています。この掲載は、その辺りの反映があるのかもしれません。全てMTというのも、スポーティ寄りのスペシャルティと認識されていたセリカらしいと言えそうで。

STも多くはラジアルタイヤで掲載されていますが、GT系以外は本来オプション設定。ラジアルタイヤがチューブ付という点が珍しく映るかもですが、当時はまだスチールラジアルではなくテキスタイルラジアルというやつで、チューブ付で設定されていました。スチールラジアルとなるのは、この後の3代目マークII辺りと認識しています。

下級グレードだとカローラハードトップから少々の背伸びで買えて、最上級のLB2000GTとなると当時のスカイライン2000GTやフェアレディZと同等の価格設定でした。それでも、LB2000GTにエアコン付けて、今の価格で換算すると350万円相当ですからね。当時の若者には中々手の届かなかった存在と認識するのですが、今視点だと意外に安く映るのは、昨今の新車価格と絶版車の流通価格の両方の影響なのでしょうね。


当時のカローラ店の取扱車種は、これで全てとなります。80年代以降のカローラ店を知る方からすれば、何とも取扱車種が少なく感じられるでしょうね。
カローラでカーライフに入門し鍛えられたユーザーは、しばらくすると上級移行を望むようになります。そんなユーザーの指向に対して、カローラの高級化・上質化だけでは他系列流失を食い止められないと悟ったカローラ店の上層部は、やがてカローラよりも上級となる4ドアの追加投入を開発側に要望するようになります。カリーナEDの限定車の回で軽く触れたセリカ カムリに繋がる話ですね。





続いては、前編で既にコメントを頂戴したエアコンとクーラーの話です。
コメントの返信で既に書いてしまったのですが、ここで言うエアコンとクーラーの違いは、インダッシュか吊り下げの違いと同義です。
機能的には、どちらも冷房の単機能であり、暖房とのエアミックス機能は備えていませんでした。当然、除湿や頭寒足熱といったことは不得意で、夏の暑さから解放されるものの、雨の日の曇り取り等では難しい調整や寒さへの我慢を強いられました。同機能が登場して空調が一気に進化するのは、これまた3代目マークII辺りからとなります。

セリカのエアコンを今の価格に換算すると約40万円弱。最も安いカローラのクーラーでも約25万円強ですから、当時の車両価格と比較しても高額なオプションであったことは間違いありません。それだけに、見た目はエアコンの方が収まりがいいことを知りつつも、価格の点でクーラーを選択される方も結構いました。
機能観点で比較すると、どちらも単機能であり、エアコンも助手席足元には大きなエバポが鎮座、さらに吹き出し口はまだ高い位置に置かれる前となりますから、然程大きな違いはなかったりもしましたし。
クーラーは、さらにお安くで付けるなら、社外品という選択肢もあり、これだと当時10万円前後だったと記憶しています。

それでも新車時の装着率、セリカは若者が多数のスポーティカーということで少なく、カローラは1600でようやく検討されるぐらいで1200だと装着される方はかなり少ないだったのではないでしょうか。冷房を付けると動力性能が落ちて燃料も喰うという認識がされていました。当時のAT同様、大排気量の方が相性がいいとされていたのです。

冷房について、もう少し話を拡げてみます。
実は新車時だけの話では収まらず、この年代だと非冷房で購入したものの冷房が欲しくなる、あるいは中古車で商品価値を上げるのに冷房を装着するという事例も多くありました。中古車だとエアコン装着というのは、プライスボード脇の札で掲げるくらいのアピールポイントでしたし、頭に”純正”と付くのは尚更高評価となりました。後付だとお値段重視となり、社外品の出番も多かったですけれどね。

完全に余談ですけれど、父の初代マークIIのブレーキ換装をした友人、夏前には冷房取付請負人となり、同じく親戚・知人界隈では何人かお世話になっていました。「趣味半分でやっているから手間賃は気持ちだけで」とかでしたから。

そんな感じで本体は純正と社外が混在、ついでに取り付ける方の腕も職人と素人が並立といった具合で、折角付けた冷房の効きはある意味天任せなのかもというのも、時折聞いた話です。父の界隈、冷房の調達は純正から野良まで様々でしたけれど、寒くて助手席に乗っていられないくらい効くと全く効かない、両方あったことを懐かしく思い出すのです。

一時期のカーコンポやカーナビに近い印象を抱いた時期もありましたが、高額にも関わらずユーザーの多くが根狂した用品というのは、このエアコンがやはり空前絶後と言えるでしょう。カーエアコンでカー用品に商機を見出した家電業界は、純正化が進んだ80年代以降、新たな金脈をカーコンポに見出した、というのはあながち見当外れでもなかろうと思うところです。

エアコンはこの後、量産効果も効いて、標準装備が多くなる90年代初頭までほぼ同じくらいの価格で推移していますね。





ここまで取り上げてきた新車価格(店頭渡し価格)は、実は付属品込みの価格でした。公正取引委員会が介入して「車両本体価格の表示義務付け」「付属品価格の明記」「希望しないユーザーへの付属品抱き合わせ禁止」といった今に至る販売ルールが定まったのは、この後80年代初頭だったと記憶しています。導入初期は、指導対象にも関わらず、特に地方で従来の風習を踏襲していたディーラーがいくつかあったことが、今も続く月刊自家用車誌の値引きレポート等で書かれていました。明確な違反は、編集部が別途取材していたりもして。

その付属品ですが、セリカ用が30,000円、カローラ用が25,000円と当時の標準的な内容。トヨタ新東京カローラは愛車セットとフロアマットを一体で記載していたようで、分けて記載していた東京トヨペットの価格表を見慣れている身には、新鮮に感じます。

洗車用具や緊急措置用の用品は、必要に応じてカー用品店で揃えるのが今の主流となりますが、当時は新車付属品に含めるのが常識であり、またそれがディーラーの収益の一つでもあったのです。こうした愛車セットが外されるようになるのは、90年代半ば以降かと思います。


諸費用については、検査登録費用の安さが明らかな一方、車庫証明費用と納車費用はあまり今と変わらない気がします。下取り車の査定料も書かれていませんね。
あと、何より気になるのが、ライトバン乗用改造費。金額的に主に申請書類の作成費用と推測しますが、詳細は謎ですね。





本体に係る税金や自賠責保険料の一覧表となります。
代表的なカローラ1600で抜き出すと
 ●自動車税:24,000円(補正後:55,200円)
 ●重量税:20,000円(補正後:46,000円)
 ●自賠責保険料:35,350円(補正後:81,305円)
となります。

「自動車関連の税金がとにかく高い。」というのは、昨今よく聞く話です。そもそも当時と比較するのが妥当かという論はあるかもですが、その論は脇に置いた上で比較すると、相対的には決して高くないという結論になります。
当時は、自動車は生活の一部というより贅沢品と見做される事の方が多かったというのが理由の一つかと思います。高い維持費を覚悟の上で、それでも購入したくなる魅力があったという見方もできますけれどね。

乗用より貨物の方が税負担が少ないというのは、当時から今に至るまで変わりません。この辺りを指摘される方はあまりいませんが、生活の一部と位置付けるなら議論の余地はあるように感じます。物流優先という言い分も一理ありますから、是正すべきという結論とはしませんけれども。





価格表には、こんなものも掲載されていましたので、最後におまけ的にご紹介。

GE(ゼネラル・エレクトリック)のエアコンと冷蔵庫の価格表となります。
当時は自動車と直接関係のないこんなものも取り扱っていたのですね。東京トヨペットの価格表では掲載のないもので、これもまた驚きの一つでした。

昨今の両製品の価格と比較すると、実は一番価格差が生じているのかもしれません。ルームエアコンの冷房能力は今とは格段の差ですし、冷蔵庫は当時としてはかなりの大容量。半世紀近い年月の経過は、こうした部分にも明確に現れますね。



といったところで後編はいかがだったでしょうか。
前半と異なり、内容雑多かと思いますので、様々な視点でお楽しみいただければ幸いです。個人的には初期の冷房思い出話が書けたのが、少々嬉しくもありまして。

ここで販売されたクルマ達は、70年代末までは未対策車として中古車市場で人気を集めた後、80年代前半くらいから多くが淘汰されていきます。10年後も残っていたというのはかなり少なかったであろうことも、当時の街中の風景から思い返したりします。「新車の進化が速い」「耐久性も今よりはるかに弱い」「10年以上経過すると1年車検」等の理由から、今よりもはるかに短期間で街中から消えていきました。量産車の宿命の感もありますが、やはり大量に売られ、思い出だけを残して大量に消費される運命にあったのです。

今も残る極一部というのは、そうした時期を経過しそれでも残り続けたからこそ価値が見出されたのだと言えます。


半世紀近く前の新車販売最前線、当時を懐かしむ、あるいは当時を想像する一端となれていれば、ありがたく存じます。


【画像の出展】
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Posted at 2021/10/12 18:22:26

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この記事へのコメント

2021年10月12日 22:11
後編も興味深く拝見しました。

我が家のクルマも、カーエアコンを後付けしていました。昭和期の父のクルマですと、昭和53年式の230ローレルはエアコンなしで、昭和57年式の60マークⅡは後付け、昭和62年式の次の70マークⅡは購入時に販売店装着でオートのエアコンをつけていました。
マークⅡは80系でもグランデ未満はエアコンがオプションでしたね。軽でも当たり前の今では考えられないことです。

母親のクルマは、昭和58年式の初代アルト(角目)に途中でエアコンをつけました。初代アルトでも「エアコン」でしたが、それが付いたら、助手席の足元にゴムホースの付いた薄オレンジ色の発泡スチロールの箱のようなものが張り出してきて、ゴムホースを引っこ抜いてみたら、ドレン水が助手席足元に散乱…と懐かしい思い出です。それでも、新たに風量スイッチに「エアコン」のランプが付き(別にエアコンボタンを設けるスペースがなかった)、それ押すと冷風が出てくるのに感動したものです。次の昭和62年式の30カローラⅡでは、購入時にスペシャルエアコンが付いていました。

キャブレター時代のカーエアコンは、エアコンの負荷に耐えられるようアイドルアップが盛大で、説明書にも「エアコン作動時はクリープが強くなるのでブレーキを強く踏んでください」などと書いてあるほどでした。加えて、書かれているようにパワーダウンも大きくて、山道に差し掛かると「エアコンを切れ」と運転席から指示が飛んできたのも懐かしい思い出です。

また、昔のエアコンはガス漏れ、故障も多くて、母のカローラⅡも6年でエアコンが故障、これがきっかけで代替となりました。
クルマの寿命が10年に満たない時代に、7年目のエアコンの大修理はもったいないわけで。ガス漏れでオイルも漏れてコンプレッサーが焼き付くと、冷媒関係のほぼ総とっかえが必要で10万円コース。
当時は環境に悪いながらも、フロンガスの追加でだましだまし乗っていたなんてこともあったようですが、大穴だとガスが数週間も持たなかったなんてことも聞きましたね。
コメントへの返答
2021年10月13日 18:39
後編を作ってみて、改めて2回に分けておいて正解だったと思いました。

後付けもさらに細分化すると、どのタイミングでという話はあったりします。車両本体に含めず、用品で買った形にすると取得税が非課税になる点を用いて、値引きの一種として扱うというのも当時よく聞いたものです。
80系は、後期でエアコンが標準化ですね。販売店装着から工場装着に変わった契機でもありました。

初代アルトの角目、軽く調べてみたところ、エアミックスタイプの「エアコン」が装着可能だったので少々驚きました。小型車でも、ビルトインながら単機能クーラーの車種も残っていた時代です。まだエバポの小型化が課題で、グローブボックス下の助手席足元スペースにどう収めるか苦心していた時代ですね。
スペシャルエアコンは、FF化の際に売りにしていた2モードを省略した廉価版で、価格重視の車種で多く展開されていたことを思い出します。

初期のエアコンは、特にキャブ車だとアイドルアップしないとエンストしかねないぐらいでしたからね。熱対策も課題で、A/Cとセットでファンの枚数を増やした車もあり、対策が不十分だと渋滞路や高速等で水温が危険域まで上がる車もありました。加速時のA/Cカットは、比較的最近まで見られた手法ですね。

80系マークIIも、134換装された併売期以外は経年でA/C(大抵、エバポ、コンデンサの順)が壊れるのがお約束でしたので、界隈では色々な関連話を見聞きしました。
部分補修だと、モグラ叩きのように次の弱い所から漏れるだけなので、結局全交換しか抜本対策はなかったです。補修品も対策品ではないので、またしばらくするとエバポから順に漏れるの繰り返しとなるのですが。初期は未修理でのガス補充も対応してくれましたが、やがて環境問題の一つとされると未修理での補充は拒否されるようになりました。A/Cの問題さえなければ、80系はもっと多く残存していたと思うのですけれどね。
2021年10月14日 21:35
後編お疲れ様でした。
セリカはフルチョイスちゃうんかいな!と
ツッコミを入れたくなるくらい決め打ちの仕様ですね。
変な仕様になると金額を出すための見積もりも大変だったでしょう。
私のような変な趣味の奴が外装ETなのに内装カスタムSWとか変なオーダーの見積もりを書いて貰うとPCでサクサク作れる今と違って大仕事だったのではないかと想像します。(自分ならLBの2000GT/1600GTを選びそうですが・・・クーペは前期が良いです)
価格表の暖気クリーナーとは一体何なのでしょうか?クリーンエアフィオルターみたいなもの?或いはエアクリについている吸気の寒暖切り替えコックのことでしょうか?

初代セリカは私が小学校に上がるくらい(1989年)ごろまでは地元でも走っている車が居た記憶があります。さすがにボロボロでしたけど、きっとオーナーが気に入って一年車検を乗り越えていたんですね。

エアコン話は前編でフライングしてすいません(汗)
今トヨタでエアコンがMOPの車で思い出したのがGRヤリスのRC。カタログによると左右独立調整式オートエアコンが税抜き12万円とのこと。当時より機能面は充実しているのに量産効果なのか思ったより安いですよね。特殊な車なので利益分を乗せていないのか・・・・。

実家の車を思い起こすと妹の誕生で購入された1986年式のミニカエコノではクーラーなしを買われてしまい(笑)、夏場はゆでだこでした。よく死ななかったなと。よく鉄板むき出しの内装でやけどしてました。

年二回、埼玉へ帰省する際に父が同僚から借りてきたEP71スターレットのSEにはエアコンが着いていて本当に感激したものです。(後年、父は同僚の希望でスターレットとミニカを交換しました)

1991年には弟の誕生を機にバネットセレナFGに代替しましたが、今度はデュアルオートエアコンとなり快適さに拍車がかかりましたが、新車保証期間内にガス漏れを起こし、窓全開で走った事を思い出します。(親はそれ以後日産は買わなくなりました)

以後、2000年のライトエースノアはノントラブル、2007年のステップWGNではRrクーラーのみになっても不便は無く、今ではオートエアコンが普通の人生になりました。(カローラとRAV4はマニュアルエアコンですが)

高額オプション品はカーオーディオやナビゲーションシステムに移行したと思いますが、後付けのカーAVって無くなってきているのでいよいよ絶滅の危機かもしれません。ドラレコは久々のヒットだと思いますが、これも20万円以上はしないと思いますし。
コメントへの返答
2021年10月15日 14:14
あまり間隔を開けずで、後編をあげることができました。

セリカの掲載は、たまたま新東京カローラの選択が偏っていたのか、他ディーラも同様だったのか、気になるところです。商談の手間を考えると、大なり小なりのお勧め仕様があり、余程の特殊仕様は納期や値引きで避けさせていたなんて想像してしまいます。(人気が高いのは書かれている両仕様ですね。中期以降のクーペを挙げられる方は確かに少なく)
暖気クリーナー、私も謎です。一見ではシングルキャブ限定装備ながら、LB2000は対象外だったりしますし。

初代セリカは、2代目登場以降も人気が高かった車で、長く乗られている方も時折見かけました。トヨタ車の中では比較的パーツも確保し易かったように思います。

いえ、こちらもエアコン話は後編でと書いておくべきだったなと。
GRヤリスのエアコン、12万円ならかなり安く感じます。30年前でも15万円以上は必要だったような。標準装着が当たり前になったことで、相場観が失われている感はありますね。

70年代は鉄板むき出しにビニールレザーシートで夏を超えるも多かったですけれどね。コメントから思い出したのですが、彼女や家族を乗せるようになったから冷房を付けたいという話がいくつかありまして。やはりというべきか、一度体験してしまうと冷房なしには戻れないというのがお約束でもありました。

同じような話が、マニュアルエアコン→オートエアコンでも成立していた気がします。40マークIIグランデは当時珍しかったオートエアコン付。次車80カローラのエアコンはオート以外、考えられなかったです。当時の同クラスは、オートが選べる車が少なく、カローラに決まった理由の一つでもあります。

多機能化の裏に隠れがちですが、耐久性の向上も並行して進んでいたのだと思います。今はあまり壊れたという話を聞きませんし、あまり存在を意識していない気もします。

高額オプション品は、車両への影響範囲が広いと近い関係にあるため、近年はメーカー自身望ましく思っていないように感じます。オプションとして残るとすれば、将来的には事前にプログラムを組み込んでおき、支払を行うことで起動させる、そんな形に変わっていくのかもしれませんね。
2021年10月15日 1:40
当時はモデルチェンジごとに車へ求める要素が大きく変化していましたね。デザインもモデルチェンジで大きく変化するので気持ちが追い付いていかなかった記憶があります。
父が40スプリンターを購入したころはサブロクの軽から普通車に乗り換えて大きくなった家のクルマに嬉しいと思ったのも束の間、夏になると家族旅行の際に窓を閉め切っているエアコン付のクルマを兄と数えてうらやましく思ったものです笑 
デザインの変化も本当に著しく、父が310サニーに乗り換えてエアコン付で豪華になり嬉しかったのも束の間、3年も経つとドアミラー車が出始め異形ヘッドライトにカラードバンパーなど非常にスタイリッシュな趣のモデルに変化していき、フェンダーミラーやメッキバンパー、規格ものの角型ライトは古臭く感じたものです。ただその反面、DR30後期の鉄仮面が出た当初は気持ちが付いていけず受け入れられなかった記憶も。
父もサニーからCA型後期ビガーに乗り換えた時はいきなりリトラに低いインパネ、ATにクルコン、パワステ、パワーウインドウ、SR等さらにパワフルでスムーズに走行する車の変貌ぶりに戸惑っていました笑 
クルマの装備が豪華になっていくのをホント目の当たりにした時代だったなと思います。
コメントへの返答
2021年10月15日 14:26
当時のモデルチェンジ、一言で書くと”刺激的”だったのだと思います。次に何が来るのか、楽しみにしていましたし、刺激に慣れるまで時間を要するもあったような。
書かれている、40スプリンターの話、エアコン普及過渡期のあるあるですね。同乗者はエアコンが欲しい一方、エアコン付の運転者はエンストさせないよう気を配りつつ、水温計の上昇も気になって却って大変だったのかもしれません(笑)

70年代末から80年代中頃にかけて、書かれているような一目で判るデザイン要素の変化が続いています。今視点で振り返ると、ユーザーが次々車を代替する理由の一つだったように感じてなりません。
装備水準の向上は、デザインが変わった少し後からかもしれません。多少の背伸びでも上級グレードを買っておかないと直ぐに時代遅れになる、そんな印象もありました。
新型車は従来型より良くなっているのが当然でしたので、あまり迷わずで新車を楽しめたのだと思います。コスト削減という言葉が出始めた辺りから、この当然が当然でなくなってしまい、今に至るんですよね。
2021年10月15日 13:15
エアコン/クーラの件は同世代あるあるですね。
インダッシュでも旧規格軽は外気⇄内気⇄内気エアコンの3ポジションだった時代も。外気エアコンでは能力的に厳しかったでしょうね。
世のエアコン装着率が高くなった昭和末期でも、フルオートエアコン以外はオプションが常。物品税のほかエアコン装着はディーラーの取り分として残してあると言う話も。
でも装着には相当な手間で、腕の差による製品誤差も大きかったのでは?とも思います。
何故なら旧車のエアコン全取っ替えは相当に費用もかかるし、動作も新車並みとは行きません。

さてこちらの定義からは外れるかもしれませんが、敢えてクーラーとカタログ表示していたのは21世紀のメガクルーザー。フルエアミクスでないための呼称でしょうか。
20/30コースターもヒータとクーラーのスイッチからして別についており、オートクーラーと称していた気もします。
エアミクスでは無いのにスイッチが冷房暖房一体になった40/50コースターから「フルオートエアコン」の呼称になるも、微妙な温度ではクーラー回しながらヒータも回す。無論エアミックスは無しな訳でなんとも妙な感じでしたね。
ワンボックスなどでは、エアミックス機能なしの冷風のみでも「リヤクーラー」とは呼ばず「デュエルエアコン」の表記も。
エアコン/クーラーのメーカー基準も時期や車種によって異なると言うことでしょうね。

その昔、デュエルオートエアコンが上級グレードには標準だった頃でも、スタンダードはオプションで「セミエアコン」なる表記も。
これって吊り下げクーラーのことでしょうか?
コメントへの返答
2021年10月15日 15:15
当時のエアコン/クーラーは書き始めるとキリがない感もあるのですが、体験されている方には懐かしんでいただけるかなと自身も楽しみつつで作っていました。
外気エアコン、走行中なら何とかなっても停車中の能力が追い付かずと思います。

エアコンがオプションの時代には、本体とは別にエアコンからの値引きもありましたからね。何となくの想像ですけれど、配車センターに出張しての装着と電装屋さんに持ち込んでの装着、両方があったのだろうと推測しています。作業としては結構大掛かりであり、後年には「後付のし易い設計」という記載も見受けられるようになります。過渡期は、腕の差も天任せの一部だったのだろうと。

エアコンとクーラーの記載については、吹き出し口の組込みやファンスイッチの共用の時点でエアコンと名付けてしまったことによる影響と考えています。エアミックスは、エアコンとクーラーの分けが何となく定まった後に出てきた機能ですし。さすがに(再定義により)「エアコンをクーラーに戻しました」とは書けないかなと(笑)
エアミックス無で頭寒足熱をやるにはクーラーとヒーターの併用となりますね。

ワンボックスのデュアルエアコンは、フロント側が(エアミックス有無に関わらず)エアコンなら、リヤ側がクーラーでもデュアル表記となっていたように思います。余談の前提で。トヨタのワンボックスだと1980年の改良でオーバーヘッドデュアルを出した時にフロント側もエアミックスタイプに改良されていたりします。
今のミニバン等では、リヤヒーターの有無でリヤクーラーとリヤエアコンを使い分けていると認識しています。

「セミエアコン」、最初100かと思ったのですが、130ですね。120までは吊り下げの設定があったものの、130以降は組込みのみと記憶しています。エアミックス無という理由ではないでしょうか。
2021年10月17日 16:11
こんにちは。興味深く読ませていただきました。

昭和50年は、生まれてまもない頃なので、先輩方の話を聞くことしか出来ません。

ミニエースが、この時代に売っていた事が驚きです。
空冷なので、エンジン音が大きいのかなと思います。
当時の軽自動車は、2ストが走っていたので、軽自動車が嫌いだったのは、この音と煙が気になったのだと思います。
今は、全然気にならず、むしろ懐かしい気持ちになります。

ミニエースを廃止でタウンエースとなると、トータルバランスが高まった仕様を望んでいたのを想像します。
販売店の事情は複雑なのですが、初期のライトエースでも5年くらいだと、代替えを検討する時期ではないかと思います。
タウンエースの登場は、お客様や販売店にとても歓迎されたのかなと思います。

セリカは、フルチョイスシステムが有名ですが、選択肢がありすぎると、なかなか難しいと思います。
内装は、一番豪華なグレードを提示することで、値段の計算がしやすくなるのかもしれません。

今の値段で350万円と聞くと、若者が自分のご褒美としてハリヤーを買うようなものでしょう。

エアコンとクーラーの話題がありました。
70カローラの時はエアコンを付けてました。
20カローラは不明です。たぶんなかったと思います。

親戚から借りた初代後期アルトがエアコン付きで、スズキカーエアコンのステッカーが貼ってました。
この車で家族4人乗って坂道を登った時に、エンジンの回転が突然落ちた時は焦りました。
エアコン切ると、パワーが回復して坂道を登り切った思い出があります。
それからは、発進時にエアコンオフして、流れに乗れたらオンしました。

当時は付属品が当たり前で、70カローラのSEが本来なら鉄バンパーなのに、ウレタンバンパーしか見なかったのは、付属品として実質標準装備だったと思います。

余談ですが、千葉トヨペットのコロナは、なぜかほかのトヨペットよりも高いと思ったら、空気清浄機が付属品として組み込まれてました。
以前乗っていた90マークⅡは、空気清浄機がついていたのを思い出しました。
中古車なので、後から気がつきました。

車の話になると、どんどん内容がずれてしまいます。
コメントへの返答
2021年10月17日 19:30
こんばんは
半世紀近く前となりますから、意外な発見の多い回なのかなと思うところです。

ミニエースは、パブリカが初代の末期の時に登場していますから、空冷は必然でもあったのでしょう。2代目パブリカは空冷との併売時期もあったものの、程なく水冷に一本化されていますから、ミニエースの水冷化が検討されてもよかった気はします。トヨタ的には、初代ライトエースがその答えだったのかもしれません。

初代タウンエースはバンも売れましたが、何よりワゴンブームの発火点となったのが特筆できます。ボンゴ、バネット、デリカ等ライバル車が追随する切っ掛けともなりました。オート店的には、本命は2代目ライトエースであり併売は過渡期対応だったのだろうなとは。

初代セリカはフルチェイスを謳っていたものの、実際は在庫からの販売も多かったと聞きます。仕様への拘りと納期を天秤にかけると、在庫から選ぶも自然ではありまして。今の輸入車の販売にも繋がる話ですね。
セリカでもLB2000GTはかなり特別で、売れ筋は1600ST辺りだったような。

30カローラの時期が、新車時と後から、純正品と社外品が混在していた時期で、70カローラになると新車時に純正品を、で収斂していた感があります。お買い得車の装備にエアコンを含めるようになるのは、80カローラの時代となるように記憶しますけれども。

初期の冷房はコンプレッサーも大きくて、パワーを相当喰うと認識されていました。雑誌のレポートでは、軽自動車の冷房は動力性能との引換と書かれた時期もあったぐらいですね。

衝撃吸収バンパーは、店頭付属品の一部として組み合わされることの多かった装備の一つかと思います。多少接触しても安心ということでユーザーも喜んだ装備ですね。マークIIやコロナ等はカタログ画像も装着車が多く、あまり気にならなかったのですが、カローラやスプリンターだとカタログでは非装着というのも多くて。カタログの方を装着した姿に合わせればいいのにと思ったものです。もっとも、3代目マークIIの後期は、ユーザーの装着希望が当初想定より多かったらしく、店頭付属品への追加、カタログ画像の差し替えが後追いで行われていたりしますけれど。

空気清浄機は、登場初期から価格表に掲載されることが多かったです。販売店装着の用品ですので、エアコン共々電装屋さんとの関係もあるかなと推測しています。分煙や嫌煙という言葉が登場した時期にはありがたかった装備ですね。
2021年10月17日 22:55
こんばんは。
ミニエースのライバルというと初代ボンゴやチェリーバネット辺りだと思いますが、特にボンゴが強力だったという記事をよく読みます。現在でも普通の人がクロスカントリー4WDを「ジープ」呼ぶのと同様、当時仕事で小型ワンボックスバンを使用していた人がそういう車を「ボンゴ」と呼んでいたとか?本当なのでしょうかね。ハイエースにしても今は一強の存在ですが、昭和40年代のドラマを見ると、日産キャブスターが走っている風景を見ます。ただし、ライトエースで大幅逆転、あの個性的なガーニッシュを伴ったフロントマスクが、街にあふれるようになりました。
コメントへの返答
2021年10月18日 18:54
こんばんは
ワンボックスバンの市場を形成したのは初代ボンゴが始祖であり、ミニエースは一クラス下で参入、デリカ、サニー/チェリーキャブ、ライトエースがボンゴの後を追ったが歴史の推移かと思います。
ワンボックスと同義で「ボンゴ型」という形容が存在していたのは把握しています。しかし、強力だったについては、数字の裏付けは得られず、私自身は「根拠不明」と認識しています。

首都圏では日産指定の法人も多く存在していたが故のキャブスター購入と推測します。しかしながらハイエースバンと最大積載量は同じながらも荷室容積は少なかったようで、初代キャラバンの開発に至ったとなるようです。

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何シテル?   03/16 21:58
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