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2021年10月31日

1977年発行 トヨタオート店のパンフレット

1977年発行 トヨタオート店のパンフレット 少し前まで、あれほど騒がれたコロナ禍も最近はすっかり沈静化したようです。これまでの我慢もあって、世間的にはかなり開放感が溢れているような。

平日の通勤電車、休日の高速道路、共にその混雑ぶりは、大分戻っているようにも感じます。行楽地に向かう高速道路では、僅かながらも観光バスの姿も見受けられるようになりました。これまでのマイナス分もありますし、経済を動かす方向に振れるのは決して悪いこととは思えずです。

そんな動きに水を差しそうなのが、最近のガソリン高。ハイオクは150円をあっていう間に超えて、今では170円越えでも驚かなくなりました。まだまだ上がるという予想が主流で、さてどこまでいくのか心配ではあります。一時のように月末のスタンドに給油の車が殺到する姿はあまり想像したくないのですけれども。


前段話はこのくらいで、本題に入ります。
今回取り上げるのは、表題の通り、1977年に発行されたトヨタオート店の総合パンフレットとなります。これまでトヨペット店を主に取り上げてきて、時折カローラ店を挟むくらいでしたから、たまにはオート店もいいかなと思いまして。

今のネッツ店に至る系列となりますが、始まりは少し前に取り上げた通り、カローラ スプリンターの発売時。トヨタの販売系列の中では、4番目の系列となります。ネッツ店は5番目に発足したビスタ店と統合した関係で、他系列よりも販売拠点数が多いという特徴を持ちますが、オート店時代にはあまり販売力が強い印象は無かったりします。今回の取り上げで、40年以上前の空気感が少しでも伝われば幸いです。

それでは当時の取扱車種が網羅されたパンフレットの紹介に入っていきます。



最初の見開き、左頁に掲載されているのは、登場したばかりの初代チェイサー。
3代目マークIIのモデルチェンジから、半年遅れで追加された兄弟車という成り立ちでした。

発表前のスクープ記事には、新しい高級車あるいはマークIIベースのスポーティサルーン等、派手な推測が飛び交ったものの、発表された実態はマークIIのバッジエンジニアリングということで、拍子抜けという話もあったようです。
同時期には、日産もバイオレットのモデルチェンジを行い、同時に兄弟車オースターを追加していまして、この辺りが販売店違いの兄弟車が本格的に増え始めた時期と言えそうです。マークIIはトヨタ東京オートでの販売実績があり初代バイオレットはチェリー店でも扱っていたという経緯がある点、派生車種はスポーティな性格が売りという点も似通っていますね。

オート店は、スプリンターユーザーの上級移行を受け止められる新型車を望んでいました。加えて、カローラの姉妹車となるスプリンター以外に切札ともなる収益源を持ちたいというのは、念願でもあったのです。




3代目以降は独自のボディシェルを持つようになるチェイサーも、初代では前後のデザイン変更のみで基本となる部分はマークIIと共用していました。
ボディカラーは全8色中5色がマークIIと共用。イエローとグリーンはマークIIにはなく、ベージュはマークIIと別色とされていました。

内装は、外観以上にマークIIと共用。シート縫製と表皮、メーターの囲いが丸→角が主な変更点となります。

グレード体系は、SXL以下はスタンダードとコラムシフトの設定がチェイサーにないくらいでマークIIとほぼ同じ。上級となるSGSとSGツーリングはマークIIの同等グレードとは装備の設定を微妙に変えることで、独自性を主張していました。この構成は独自性が不足と判断されたようで、翌年のマイナーチェンジの際には、SGSの装備をSXL並に省略する代わりに独自のハーダーサスペンションを与えることで、新たなイメージ戦略が行われることになります。
結局SGSは初代のみに留まりますし、その後の売れ筋も考慮すると、むしろ4気筒系に6気筒並みの仕様を備えたXLエクストラ等を設定した方が、売り易かったのかもしれません。

発売当初は、最上級の6気筒2000EFIのみ53年規制に適合で、その他は51年規制に適合。続いて、最廉価の1800がMTのみ53年規制に適合となっています。この時期、MTのみ53年規制に先行して適合、ATは51年規制のまま併売し、少し遅れて53年規制に適合というのは、トヨタ車では比較的多く見られました。





最初の見開き、右頁にはオート店の看板車種だったスプリンター。掲載されているのは1974年4月に発売された3代目。この時期は1977年1月にマイナーチェンジされた中期型となります。中期型に変わった時の主要変更点である、”ハードトップが追加されたことに伴う4ボディ構成”、”衝撃吸収バンパーの追加”、”新たなエクストラインテリア”は、この部分だけで表されていますね。

元々、オート店はスプリンターの発売を機に立ち上げられた販売系列でした。
当初はクーペ系のみ持っていたスプリンターも、1971年8月の一部改良時にカローラとはデザインを変えた4ドアセダンを新たに追加。以降、やや若者寄りのカローラの姉妹車という位置が定番となります。




左頁にはセダン。
元々クーペのみでスタートしたスプリンターですが、セダンの追加以降、販売の主力はセダンに移っています。カローラとスプリンターの関係においては、少なくともセダンは別ボディを持つのが伝統であり、その関係は最後まで続くことになります。

当時のスプリンターセダンは、カローラセダンではなくハードトップとフロントガラス等を共用することで、やや車高の低い設定となっていました。カローラと異なり、2ドアを持たず4ドアのみの点、よりノッチバック風味が強くなる点もスプリンターの特色。屋根の低さと相まって、ミニコロナ的にも映るというのは私感。

右頁にはハードトップ。
3代目の当初はカローラのみに設定されていましたが、中期型以降トヨタオート店にも並ぶことになります。

フルオープンになることが売りでしたが、セダンと多くを共用するパッケージングは、少なくともスプリンターにおいてはやや中途半端な立ち位置だったように感じます。次世代のハードトップでは、さらに車高の低いクーペ系の骨格を共用することで、居住空間よりスタイリング重視の方向に振れることになります。

内装は、こちらもカローラとはシート表皮が異なり、セダンとハードトップのみシート縫製とメーターの囲いも変えられています。カローラの囲いは角で、スプリンターは丸。マークII・チェイサーとは逆の設定ですね。

グレード体系は、チェイサーと異なり、スタンダードがない以外、カローラと名称違いだけの同じ構成となっていました。




左頁にはリフトバック。
3代目の当初はセダンとクーペという、共にカローラとは異なるボディシェルで独自性を主張していましたが、1976年1月に追加されたリフトバックでは、フロントマスクやリヤテール等を変え、両者に設定されることになります。

リフトバックという名称、クーペベースでリヤハッチゲートを備える点は、先行したセリカと同じでしたが、こちらはもう少しユーティリティ寄りの設定。デザイン含めて、ボルボ1800ESからの影響が少なからずあると見受けますが、日本初のシューティングブレークに思える成り立ちは極めて先進的と今視点では感じます。商品企画や営業側が主導して企画が進んだクーペとハードトップと異なり、リフトバックは当時の主査だった佐々木紫郎氏の提案だったようです。先進的に繋がる理由でしょうね。

リフトバックの余談。
唯一リヤテールが変更されていないこともあり、前期と中期の判別は難易度高の一つ。ボディカラーを別とすれば、フロントのエアカットフラップ程度かなと。

右頁にはクーペ。
当初は、ハードトップよりもさらに低いパッケージングは独自の存在であり、特徴でもありました。カローラ店が扱うセリカにも対抗できるスポーティなボディ形状が望まれたという背景があるからですね。

同じ理由で当初は1200を持たず、1400と1600のみで構成されていました。省エネの風潮が強まり、少し遅れて1200が追加されています。

中期型では、50年規制の導入時にラインナップから落とされたトレノが、ソレックスキャブに替わりEFIを採用することで51年規制に適合した状態で復活したことが話題となりました。この時、同時にリフトバックにもGTが追加されています。

スプリンターにハードトップ、カローラにクーペが追加されて以降、スプリンターはカローラの姉妹車としての立ち位置が強くなっていきます。クーペ系は、フロントマスクとリヤテールを別形状とするは、最後まで続く伝統ともなります。

1977年8月に1600がシリーズ初の53年規制に適合、続いて1200が1300に拡大され53年規制に適合しています。先に書いた通り、共に適合はMT車のみであり、AT車は51年規制のまま発売を継続。翌78年4月の一部改良時に遅れての適合となっています。




続いてはスターレット。この時の正式名称はパブリカ スターレット。
スプリンター同様、1973年4月にクーペが先行して登場。同年10月に4ドアセダンが追加されてシリーズが完成となっています。翌年2月には2代目が登場していますので末期型での掲載となります。

当初はベーシックカーとしての位置づけだったパブリカも、2代目以降は若年層を主としたエントリーカーとしての要素が強くなり、市場のスポーティ化・個性化指向を背景に追加されたのがパブリカ スターレットでした。

ジウジアーロの関与が噂されるスタイリングは、同年代の他車よりも明確さが感じられ、モデル末期ながらもあまり古い印象は感じられません。モデルチェンジを強いられた理由は、デザインよりパッケージングの方で、この頃台頭し始めていた2BOXと比べると一世代前の感は否めません。約5年の間にこのクラスに求められる姿が大きく変わったという言い方もできそうです。
デザイン的にはセダン、クーペ共にハッチバックが成立しそうではあり、仮にそうした設定としていたならば、もう少し延命できたのかもしれませんけれど。

当初は、1000と1200の設定がありましたが、51年規制の適合の際に1200のみに。クーペのみ設定されていたフリーチョイスも同時に廃止されています。モデル末期という事で1300への変更は行われていません。





トヨタのボトムレンジを受け持っていたのがパブリカでした。
初代は1961年の登場ですから、トヨタの中でも古参車種であり、この時点で既に16年が経過していました。

1969年4月に登場した2代目は、1972年1月、フロントに加えてセダンのみリヤのボディパネルを大幅に一新。元々はノッチバックだったデザインはセミファストバックへと変更されています。

一時期はスポーティなグレードもあったパブリカも、スターレットの発売後はベーシックなグレードのみに回帰しています。排ガス規制の導入まで1000が主力で1200が上級という設定でしたが、この時期には1200のみとなっていて、スターレットやスプリンターとの分けが曖昧になった感は否めません。

もっとも、2代目のスターレットは初代との継続性よりパブリカ後継の感が強かったりしますから、その成り立ちは否定できるものではなく。翌年のスターレットのモデルチェンジにより、パブリカはトラックのみ継続生産とされています。





オート店の隠れたドル箱が、このライトエースだったように思います。
カローラ店のキャブ型は、ミニエース → タウンエースという経緯ですし、他系列にも同クラスの取り扱いはなく。実際、街中でもよく見かけたように記憶しています。

当時のキャブ型によく見られたとおり、トラックが1970年11月に先行して登場。翌71年2月にバンとワゴンが追加されています。排ガス規制の緩かったバンとトラックは継続されたものの、ワゴンは50年規制の導入時に廃止されています。当時の同クラス他車と横並びで比較した時、先進性を感じるのはハイルーフの設定で、ワゴンを含めて後年にはハイルーフが主流となっていきます。

一時的ながらも、タウンエースをオート店でも扱っていた時期がありました。
タウンエース登場時のプレスリリースでは、バン1600もオート店で扱うとあるのですが、既にワゴンのみに絞られています。

こうして並べて見ると、タウンエースはライトエースをベースとして誕生したことは明らかで、フロントドアとスライドドアは共通部品にも映ります。K型エンジンしか搭載できなかったライトエースをベースに、T型エンジンを搭載できるよう、フロントセクションを中心にワイド化したのがタウンエースという関係。K型とT型のエンジンの高さの違いだけは吸収できず、1600ではフロントセンターシートが省かれ、替わりにコンソールボックスが置かれていました。乗車定員が一人減るのは、この種では結構痛い点にも関わらず、セパレートシートによる乗用車感覚というアピールに置き換えたのは宣伝の上手さですね。

バンとワゴンは、2代目・3代目とタウンエースとは独立した関係を続けた後、1992年に2代目タウンエースの兄弟車となります。トラックも別キャビンの時期を経て、やがて兄弟車の関係に。この2車、販売系列の撤廃により、昨年後発のタウンエースに統合となっていまして、両車の歴史からすると感慨深いものがあったりです。ワゴンの系譜、ノアとヴォクシーは統合の噂を経て、どうやら併存となるようですが。





裏表紙には各車の主要諸元表を掲載。
タウンエース ワゴンが外されている点に緩やかな主張を感じたりします。各車の掲載グレードは、最上級に限らず、売れ筋とも異なっていて、選抜が謎という話はあるのですけれども。

パンフレットに貼られていた販売店名は、トヨタ南東京オートということで初耳に近い存在。都区内の南部地域をエリアとしていたと推測しますが、軽くの検索では会社情報を得られずでした。港営業所として記載されている住所も、10年程前にタワーマンションの建築に伴う街区整理が行われているようで、当時の面影は皆無のようです。


以上が当時のトヨタオート店の総合パンフレットの全内容となります。

小型車上限の2000ccから200cc間隔で刻んでいき、ボトムの1200ccに達する所謂フルラインナップが構成されていたことが解ります。細かく見ると、ミドルクラスが不在となるのですが、チェイサーの廉価グレードで補うというのがお約束でもありました。

こうしたフルラインナップは、メインとなる車種を前面に出した販売系列が新時代に入った象徴であり、オート店は一早くその体制を整えたことになります。もちろん他系列がその動きを傍観で済ませる筈はなく、翌78年にはトヨペット店がコルサで大衆車クラスに参入、1980年にはカローラ店もセリカ カムリでミドルクラスに参入という形でフルラインナップに向けた動きが活発になっていきます。同年には、同じくフルラインナップを揃えたビスタ店の設立もあり。

もちろん、全て別車種では成立するはずもなく、その過程ではニューネームを掲げた兄弟車や姉妹車がどんどん増えていきます。それを受け止める販売側は顧客を系列内に留め置きやすくなる一方、他社以上に他系列との競合が激化していきます。新車の販売台数が右上がりの時期には、”戦いは数”が正義でもあったのですが、やがて台数が飽和し新車市場の縮小過程に入ると、こうした兄弟車は開発側のリソースを圧迫するようになります。

近年では、ビスタ店の統合程度で長らく販売系列を維持してきたトヨタすらも、他社に追随する形で系列を撤廃するに至ってしまいました。当時とは別の形で近隣の他社と競合を強いられてもいます。
今の市場環境からすると、系列があり兄弟車があるというのも、決して悪いことばかりではなく、特にバブル前後の時代には必要な存在だったとも認識するのですが、将来を含めて再現されることはないだろうとも思うところです。

当時の製品単体だけではなく、そんな時代背景も含めて懐かしんでいただけると、ありがたく思います。
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Posted at 2021/10/31 07:09:04

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この記事へのコメント

2021年10月31日 12:52
オート店を象徴するグレードと言えば「XL」かと思います。
確かスターレットの上位グレードとして登場するも、2代目からはスプリンター他社他店の「GL」の呼称替えとして普及しましたね。
チェイサーのSXLも「スーパーな」XLの意であり、ライトエースのGXLはこれもG-XLの意。
現代ランクル(海外)におけるGXの上位グレードGXLはGX-Lでありライトエースとは意味が違います。
GLとSGLの関係と言う訳ですね。
当時売れ筋だったスーパーDX、Hi-DX、GLと同位置と言う設定で最後は最終チェイサーあたりだったのではなかったでしょうか?
SEやDXはオート店でも普通に使っていたので、なぜXLのみが?とも思えますが、逆によほどGLやHi-DXを使いたくなかったのでしょうね。
販売店固有のグレードでは、ビスタ店のVを冠したVL、トヨペット店のGXなどもありましたがいずれも普及せず。
同じくXLを多用した三菱は、あくまでも下からTL/GLと来てその上としてのXLでした。
でもこちらは「その上」がG-XLではなく、GLXなんですよね(笑)

コメントへの返答
2021年10月31日 18:34
「XL」は他系列で使われた事例はなく、ご指摘のオート店を象徴するグレードに同感です。
厳密には2代目パブリカのフェイスリフトモデルにHi-DXの上級として設定されたのが先で、スターレットセダンでも同じ使われ方がされていました。40スプリンター以降はGL級の呼称となり、SXL、GXLと更なる上級グレードが生まれることになります。FXVは一見関連がありそうで、実は全く無関係というのは後年知ったことになります。ライトエースでもう一つ書くと、ワゴンではXLを使ったものの、バンやトラックではDXの上級にXLを使わず初代由来のスーパーを使い続けていたりもしますね。
グレード名称は、商品企画や販売側の意向が反映され易かったようで、XLがオート店固有で長く続いたのも同じ理由だと推測しています。XLを再定義したスプリンターは、90に変わった際に一旦使用を止めるもののバンで復活。私もXLの最終はチェイサーかなと思ったのですが、調べてみるとスプリンターバンの方がもう少し長く続いていたようです。
三菱のXLはセレステが初と認識していまして、ランサー系列やミニカ等で多く使われたものの、ギャラン系列ではラムダエテルナ以外の使用例はなかったと記憶しています。GLXやGSLがその替わりだったように思えまして、こちらは初代シグマが初出ですよね。XLの上級にGLXが収まるまでの過程では、XLスーパーがあったことを思い出したりします。ランサーEXでは、XLの他にGT・SEとスプリンターを連想させる並びの時期もあったりしますね。
2021年10月31日 18:54
たまたま、自分が後代のスターレット、スプリンター、チェイサーのオーナーだったことがあるので、オート店の取扱車種の名前を聞くと懐かしさを感じます。

オート店の乗用車ラインナップは、スターレット以外何らかの兄弟車ですが、世代世代で作り分けの力の入れ具合が異なるのが興味深いですね。チェイサーは3代目となる70チェイサーが兄弟者間の作り分けのピークでしょうか。外寸まで異なる外装のほか、インパネの配置までマークⅡとは明確に作り分けられていましたので。

その後、バブル崩壊後のコストダウンに伴う部品共用化で、特に内装の作り分けは一気に薄められましたね。チェイサー最後の100系ではインパネはハンドルのホーンボタンカバーも含めほぼ同じ。灰皿上の小物入れに入っていた車名も、後期でシートベルトの警告灯に置き換わっていますし。

共用化で印象的だったのが、最終型のカリーナですね。これまで微妙にクラス分けされていたプレミオ(やマイチェン後の初代カルディナ)と同じインパネで、前期のエアコンスイッチは110カローラ系、91スターレットの上級グレードとも共用。当時、ここまでするのかとびっくりしたのを覚えています。
コロナプレミオと最終カリーナはドアまで共用で、逆に、それでちゃんと違うクルマに仕立て上げられることに驚いたほどですが…

それから20年経って、兄弟車と言えば複数メーカーで売られる車種を指すことになってしまいましたね。今や、商用車のみならず、乗用車も複数メーカーでの併売は珍しくないですし、車種によっては3社で売られるものもあったりと、もう何でもありの気がします。
コメントへの返答
2021年10月31日 20:00
その三車の並びに、当時の看板を思い出したりします。ネッツ店に変わって既に20年以上、全て絶版車種ですから、懐かしいの域ですよね。

兄弟車でもどこまで作り分けるのかは、開発環境や力の入れ方次第で変わってきます。70チェイサーは、マークIIセダンやクレスタとの共用もあったりで、上手く作り分けていたように思います。全長が短いのは販売の足枷となってしまったようですが。

外装の作り分けは90がピークで共用部品は歴代最小と記憶しています。内装もシート縫製や表皮は作り分けられていました。100では再び全長が短くなったものの、ご指摘の通り共用部品は増えていますね。

カリーナとコロナの共用は、190で主査が兼任するようになった影響もあるのでしょうね。190ではパッケージングも分かれていたのですが、210ではカリーナがコロナに合わせた形となっています。210が登場した前後が一番コストダウンの影響を受けていた時期とも思うところです。
実は初代カリーナのドアパネルはブラボー世代のコロナと共通でして、最終での共用は先祖返りと言えるかもしれません。リヤドアのサッシュの部分は作り分けられている辺りも同じですし。

ボディを共用した兄弟車の始祖は、パブリカとコンソルテとなりそうで、実は複数メーカー扱いの先駆けだったりもします。1000ccのエンジンは両車で別というのが、今では考えられませんけれど。スープラの例もありますし、今後は海を越えた関係というのも出てきそうな予感がします。
2021年10月31日 19:37
こんばんは。初代チェイサーの黄色は初めて見ました。結構似合っていると思います。
コメントへの返答
2021年10月31日 20:08
こんばんは
初代チェイサーでは、赤の後期SGSが印象強く感じますが、前期のイメージリーダーは黄色のSGツーリングだったりします。あまり売れず、1年強で落とされてしまいましたが、似合っている色ですよね。
2021年10月31日 23:28
こんばんは。
チェイサーとマークⅡの違いの内、ヘッドライトとグリルの間のランプが目立ちます。これがあるとエレガント、ないと軽快に見えてきます。カローラクーペと共通するイメージでもあり、同時期のアメリカ車にも、こんなフロントマスクの車があったように思います。
コメントへの返答
2021年11月1日 20:19
こんばんは
チェイサーとマークII、共に75年前後のアメリカ車には近いデザインが見受けられるように思います。
ライトとグリルの間のランプ、向こうではクリアランスではなくターンシグナルとなりますが、エレガントの表現に使われる事例が多かったようです。
2021年11月1日 9:05
ほんと懐かしいですね。。
まさにうちのクルマが中期スプリンターセダンの画像にあります、こげ茶色のDX。うちのは1200なんで専用キャップ。ホイール以外はそのまんまでビックリです。当時でもこの低グレードはあまり見なかったような笑 やはりXLが多かったですね。たまにビッグバンパーのSTぐらいで。この時代の排気量の差異が細かく、購入する方もどれを選ぶか悩みそうです。税制的に不利な1600で低グレードを選択しないだろうと思うのですが各車必ずラインナップされてましたね。
当地域ではオート店が強くてパブリカやスターレット、チェイサーXLとかよく見ましたね。ダイハツも特約店が強くてデルタやコンソルテも良く走ってました。
あの特徴的なデザインのライトエースはまさに子供の頃の商用車の代表みたいに相当数いました。活躍後は畑の中の倉庫として余生を送っている個体もバブル期にはよく目にしました笑
私は当時トヨペットに就職しましたが、あの頃はオート店はどちらかというと規模的にも地味な印象でした。しかし就職して数年後にはネッツ店として大きく変革し初代ヴィッツやbBなどヒット車ばかり扱う人気店となってこちらはかなり苦しい思いをしました汗
オート店の象徴は私としてはチェイサー1800の充実。ラフィーネとかまさに販売店の要望に応えたグレードだなと思います。SX100ラフィーネはまさ集大成、個人的にです笑
コメントへの返答
2021年11月1日 21:06
懐かしんでいただければ幸いです。
1200DXだけ12インチのため専用キャップでしたね。オート店だとビジネス向けはスターレットやパブリカもありましたから、DXの比率はカローラより少なかっただろうと思います。末期の特別仕様もXLがベースでしたし。
1400は51年規制の対応が遅れたためか、前期では1600DXが設定されていました。初期は排ガス規制の影響で大排気量が必要とされたこともあるのかなと。

地方だと縁故や特約店が絡んでくるでしょうから、都市部とは異なる意外な系列が強いというのも理解できます。ワンボックスは正しく一つの箱ですからね。車として使い終えると鉄くずにせず倉庫に転用というのは多く見られました。乗用車より年代物が見つけやすかった理由でもありますね。

トヨタは若者に弱いという話があり、オート店をネッツ店に変えて強化したという経緯ですね。セダン離れはトヨペットが一番影響を受けた感もあります。アルファードとハリアーが新たな柱となるまで苦しかったような。

チェイサー1800の回で書いていますが、ラフィーネは正しく販売店対策でした。マークII・クレスタより明確に1800の比率が高かったとか。100でも唯一1800が復活しましたし、ミドルセダンのニューネームを投入するより、むしろ売り易かったのでしょうね。
2021年11月10日 15:15
こんにちは。

1977年は、妹が生まれた年ですが、当然小さかったので、はっきり覚えてません。

チェイサーは、マークⅡと比べるとマイナーに感じますが、なんだかんだ見かけた車種でした。
間違いだらけの自動車選びで、中身は良いけど売り方が汚いと酷評してますね。
全く新しいセダンが登場という触れ込みで、あのスタイルだとずっこけます。
それを反省したのか、クレスタデビューの時は、マークⅡよりも何ヵ月か先に出してます。その代わりに、マークⅡが60系に変わると、クレスタと同じとかかれる始末で、それくらい競争の激しさがわかります。

スプリンターも懐かしいですね。
中学校社会の先生が乗ってました。
90スプリンターが登場していたので、いつ買い換えるのかと話題になってました。
後に妹の担任になって、車を買い換えたのを聞いてびっくりした位です。
妹の間でも話題になったかもしれません。

パプリカですが、マイナー後のフロントがB110サニーに似ているのは、気のせいですか?これを指摘する文章がないです。
スターレットと言えば、KP61が初代と勘違いした位、全く違うコンセプトですね。
調べると、クーペボディを無理やり4ドアに仕立てたのが、やはりまずかったかなと思います。

スターレット→スプリンター→チェイサーというセダンの階級を知れたのが。このブログを読んだ収穫です。

最後のライトエースとタウンエースですね。
排ガス規制がクリヤー出来なくて、コーチがカタログ落ちして、その代わりにタウンエース追加になったと書いてましたね。
ドアを共用しているのがわからなかったのは、サイドストライプが全体に貼られていたのを、今ごろ気が付きました。

先ほどの間違いだらけの話題に戻りますが、パプリカを軽自動車よりはましな性能と書いてました。
これって、今のパッソが引き継いでいて、評論家受けは悪くても、運転してみると扱い安く値段も手頃です。
ひょっとしたら、パプリカも同じだったのかなと想像してます。
パッソの製造はダイハツなので、シャレードの現代版が、正しいのかもしれません。
その初代シャレードを運転した経験はあっても、パプリカは運転してないので、下手なことは言えません。
コメントへの返答
2021年11月10日 19:39
こんばんは

私も、まだ小学生の時分で後年になって知ったことも多くです。

私のご近所界隈もチェイサーは結構多かったです。6気筒の方が多かったマークIIと比べるとこちらは4気筒が大半でした。
新規ユーザー視点で書くと、間違いだらけの酷評も理解するのです。一方で意外と販売店繫がりはありましたから、このクラスがオート店で買えるのを喜ぶ顧客も存在していたと思うのですけれどね。
クレスタはビスタの登場が遅れたこともあって、新規系列ビスタ店の目玉でもありましたから、あの登場のさせ方しかなかったのでしょう。他系列は、マークII・チェイサー以外にもカリーナ等、ビスタ店の皺寄せが行った感はあって、当時は相当自販内で揉めたようです。

カローラは今も名称が残りますが、スプリンターは同時期に絶版となったサニー共々既に懐かしいの域でしょうね。

パブリカは、76年のマイナーチェンジでこのグリルになっていることもあり、B110との近似は私はあまり聞いたことがなかったりです。丸目2灯とバンパー下のウインカーくらいなら他社にも事例はいくつかですし。
初代スターレットは、2代目パブリカで展開したスポーティラインとファミリーラインの延長の感はあって、73年時点では正解だったのだと思います。本文で触れたとおり、その後の時代の変化が大きかったということでしょうね。

オート店としては、タウンエースは過渡期の代役的存在。ワンボックスワゴンの本命は2代目ライトエースまで待ちだったかと思います。2代目ライトエースと初代タウンエースは、タウンエースが世代交代するまでしばらくの間、競合関係が生じてもいます

当時、軽自動車は360→550への規格変更があり、価格も上がっていました。長らくの生産が続いていたパブリカはその点有利で、末期は軽自動車に近い価格となっていました。今と違って当時の軽自動車は小型乗用車とは何かと異なる存在ではありまして。
初代シャレードは、駆動方式やエンジン等、MAXの存在が念頭にあっての開発のようですから、ここで初めて今の関係が生じると言えそうです。初代シャレードはパッソとは逆で、当時のカーオブザイヤーを受賞等、当初から評論家受けが良く、一般ユーザーの理解が後から追い付いた存在の感はありますけれどね。
2021年11月17日 22:47
親がオート店扱いの車(EP71とSR40G)に乗っていました。それはそうとしても、子供時代に何となくチェイサーやスプリンターは「~じゃない方」という感じがしてしまっていました。これは兄弟車に共通して感じていた感想ではあるのですが。年齢を重ねて色々分かってくると、その細部に込められた狙いが理解できることがあり、同じ素材からよくぞここまで!という意味で感動を覚えることもありました。スプリンターを単にカローラの顔違いでは無く、カローラハードトップとAピラーの設計を共通化して全高を下げている、ラゲージのセミファストバック(10年続いていたカローラの伝統)によってプロポーションが改善されている点、チェイサーとイメージが重なるフロントマスクとリアコンビランプ、なんと細かい作り込みなのかと勉強になります。我がAE92カローラがお世話になっている主治医が同じ前期スプリンターGTを所有されていて代車としてよく貸していただくのですが、兄弟車なのに並べると全く違う、ドア断面の違うしドアフレームも違うし確かにハードトップフィーリング・・・・。作り手の側からすると少ない変更箇所でここまで変えてやったぜ!的な拘りがあるのでしょうね。それが独りよがりになってはいけないのですがそういう細部に宿る意気込みが私たちを感動させる部分もあるんですよね。

パブリカスターレットも面白く、あるグレードはトレノに見えるし、あるグレードはカローラセダンにも見える、スターレットだけの個性を追求するのでは無くトヨタ全体の面でも見ている点がさすがですね。違いすぎるのも横並びを見過ぎるのも良くないわけですし。

パブリカも国民車構想から生まれた初代による真の大衆車としてのインパクト、デラックス追加によるカローラへの布石の後は、なんとなくヒエラルキーの中のパブリカという感じがあり、先日試乗したアクアの様な横並び感を感じてしまいます。パブリカスターレットはそこから若向きに飛び出した点が良かったのかなと思います。
コメントへの返答
2021年11月18日 20:38
チェイサーとスプリンターは、分家的な登場をしていますからね。「~じゃない方」という感想も仕方ないかなとは。#L30以降の3兄弟のようにバッチエンジニアリングによる兄弟車もありますが、この2車に関しては兄弟車と言えども、深く知るほどに驚かされる違いが存在していたりしますよね。ウエストラインから上を全部変えた世代もあれば、ボディの共通部品は全くない世代もありますし。共用化できそうなフュエルリッドからして別部品とか驚き以外の何物でもなく。コスト縮減期を除けば、独自のキャラクターは強まる一方であり、販売系列の主張が育てられた要因かなと思ったりもします。
時系列的には、スプリンターのイメージをマークIIベースで反映させたのがチェイサーとなるのでしょう。
本来は、意図も含めて変えた点をきちんとアピールすべきだったと思いますし、ジャーナリストも調べて伝えるべきだったとも思います。もっとも作る方が折角変えても、売る方の都合次第で、時には同じ車ですとやるのは狡猾な感が拭えませんけれどね。

パブリカスターレットは、このキャラクターよりもエントリーカーの要素が求められていたかもしれません。グレードアップ指向は今よりもはるかに強く、実際ユーザーも次車では上級移行したのではないかなと。かと言って我慢車的な印象も少なく、パブリカでの経験も生きているように感じます。

パブリカは2代目でミニカローラ的存在になってしまいましたからね。2代目も初期はヤングユーザーへのアプローチ等も見受けられたのですが、それもパブリカスターレットに持っていかれてしまい。KP61の成り立ちはパブリカの後継要素の方が強い気もするのですが、スターレット名を残すという判断となっていますね。

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何シテル?   07/31 22:03
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