
気が付けば、今年も残り1か月足らずとなりました。
今年も1年があっという間、さらに12月はその名の通り師走ということで、公私共に結構慌ただしかったりもします。
そんな時の更新には、比較的書きたいことが容易に浮かぶ書庫からの一冊ということで。今回の一冊は、カタログから当時のことを思い出した的な感じですね。
今回お題にするのは、2代目ハイエースのワゴンの中から最終モデルのカタログとなります。この時代だと、ワンボックスワゴンのブームがピークを過ぎて、やや下り坂に入った局面くらいでしょうか。一番の激戦区は、もう一クラス下にありましたが、ハイエースも今に続く最大のライバルであるキャラバンに加えて、当時は存在したキャラバンの姉妹車であるホーミー、このクラスに突如参入したファーゴと覇を競い合っていました。今回紹介するワゴンよりも、むしろバンの方が激戦だったかもしれませんね。
それでは、早速カタログの紹介に入っていきます。
最初の見開きに掲載されているのは、1980年(昭和55年)12月にマイナーチェンジの後、僅か3か月後となる1981年3月に追加された、スーパーカスタム サンルーフのディーゼル仕様となります。
サンルーフは当時のワンボックスで装着率の高かった装備の一つであり、流行の火付け役は同じトヨタのタウンエースとその兄弟車であるダイハツ デルタワイドと認識するところとなります。このクラスにおいては1980年8月に登場したキャラバン&ホーミー(E23)に先行され、ハイエースが後追いとなった形です。追加の時期からしても、マイナーチェンジには間に合わなかった節が感じられます。
角目、ウレタンバンパー、アルミホイールはマイナーチェンジで採用されたアイテムでした。サイドストライプと合わせて、バンとの差別化も担うアイテムでもあり。乗用車から少し遅れての採用でもあり、これらは70年代から80年代への時代の変革も表しているという見方もできるかもしれません。
ボディカラーはシルバーということで、白と黒が主流の現代からすると地味に映るかもしれませんが、屋根の洗車がしにくいワンボックスでは汚れが目立たないということで意外な(?)人気色でありました。
ガソリン仕様も多かったように記憶しますが、販売に力の入っていたのはディーゼル仕様の方でした。2.2Lのノンターボというのは、この巨体(と書きつつも、全長:4,440mm、全幅:1,690mmに過ぎなかったりしますが)には如何にも力不足の感が拭えませんが、キャラバン&ホーミーはSD22を搭載(後にLD20Tに変更)ということで、ディーゼルの方が商品力としては優位に立てるという目論見があったのでしょう。ディーゼルのみとは言えども、OD付4速オートマチックも選べる辺りも周到ではありました。
以前に書いたクラウンvsセドリック&グロリアのディーゼル戦争が重なったりもしますね。
ちなみに、ファーゴも初期は2.0Lのディーゼル&MTのみの組合せということで、エンジン&ミッションではモデルの古いハイエースが商品力で勝っていました。
室内の見開きでは、マイナーチェンジで採用されたスイングウェイ対面シートを主にした掲載となっています。
これも対面シートはキャラバン&ホーミーが先行で、ハイエースは後追いの形。セカンドシート自体を回転させたライバルに対して、こちらは当時「新幹線方式」とも呼ばれた背面のみの移動で実現させていました。この機構の採用により、一番の優等席であるセカンドシートは座面の傾斜角が限られ(それでも何とか座面の後傾角は取っていたようですが)、背面も平面形状に近くならざるを得なかったのですが、それでも当時は対面シートの商品力の方が勝っていたということなのです。過渡期の仕様の感はあり、次世代ではシート自体を回転させるに変更されています。
2列目を回転させることで3列目との一体感が得られる一方、疎外感が強くなるのが1列目。当時は1列目のリクライニング角も限られていたこともあり、この画では外から輪の中に入ろうとしている感が否めなくなっています(笑)
今では消えてしまった装備の一つということで、当時らしい光景とは言えるでしょうね。
次の左頁もスイングウェイ対面シートを主にしての掲載。
セカンドシートの1人掛けと2人掛けを進行方向と対向で使い分けられる利点が書かれていますが、実際の使用状況で使い分けることがあるかというと・・・
サードシートの乗降では便利かもしれませんけれど。
同様の回転対座機構を採用したタウンエース&デルタワイドでは、対面の際に座面も前移動させることが必要でしたが、ボディサイズに余裕のあるハイエースでは座面を動かさずでの対面が可能でした。
エンジンのサイズはR型のガソリンよりL型のディーゼルの方が小さかったようで、ガソリン車にはセカンドシートの足元を侵食する出っ張りが存在していました。この位置だと、足を下ろすよりこの上に足を上げる使い方が多かったと推測。
右頁には同じく新採用となったオーバーヘッドデュアルエアコンの紹介。
採用前は助手席の後ろに弁当箱型を置いていたことからすると長足の進歩であることはもちろん、運転席側の壁にウォール型のクーラーユニットを置いた日産よりも確実に理想的な配置ではありました。今のミニバンも冷房の吹き出し口は天井にあったりしますし。
後付感の払拭までには至っていないものの、当初設計ではなくモデル途中での追加ですから、その辺りは仕方なく。フロントの冷房もエアミックスタイプでこそないものの、吊り下げクーラーからダッシュボードの埋め込みとなっていますし、空調に関してはここで大きな進歩をしたと言っていいでしょう。トヨタというよりデンソーの成果とするのがより正確な気はしますけれども。
ここでようやく1列目の紹介となります。
メーターパネルやセンターコンソールの形状をUPDATEしているものの、インパネの基本形状は1977年の登場時点のままということで、当時でも時流に乗り遅れつつある感はありました。3本スポークステアリングや画像にあるカーコンポ(松下製)が新しさを訴求している形ですね。両アイテムは40カリーナからの流用と推測します。
ライトエース&タウンエースは、同時期にはMT&ATにフロアシフトを採用、さらにATには足踏み式のサイドブレーキも採用されていました。一方のハイエースはコラムシフトとステッキ式のサイドブレーキを継続採用。このクラスだと多人数乗車が求められていた感があるのが理由でしょうね。フロアシフトは次世代での採用となります。
主な装備品の紹介頁です。
ウレタンバンパーの装備により、全長は100mmのプラス。右側のスチールバンパーと比較するとナンバー位置の違いが見た目に結構影響しているように感じます。
当初はバイアスタイヤが標準でしたが、ようやくラジアルタイヤの標準化が始まっています。195サイズが70扁平で、185サイズは82扁平。タイヤの直径としては195サイズの方が15mm程小さくなる筈ですが、当時は205/70サイズのラジアルは一般的ではなく、クラウンやセドリック等も同様の設定となっていました。次世代のハイエースでは205/70R14が設定に含まれることとなります。見た目的にも195サイズとアルミを選択してといきたいところですが、この世代のハイエースに関しては一長一短があったという話は後述。
パワーウィンドゥは助手席のみの設定。バンでも選択可能だった装備ですが、運転席が手動との組み合わせは珍しい感はあります。手の届かない助手席を電動化するというのは合理的ではあるのですが、両席パワーウィンドゥまでの過渡期的設定に留まっています。
スペアタイヤはガソリンとディーゼルで収納方法が異なっていました。セカンドシートに続くガソリン仕様のネガであり、明らかにディーゼルの方が理に適っています。理由を探ったところ、ワゴンのガソリンのみ燃料タンクの容量を増やしていた(ワゴンガソリン:65L、他:58L)ことに起因するようです。航続距離が厳しかったのかな?というのは推測。工具とジャッキの収納方法といい、スペースの割に使い方は鷹揚の感がありますね。
グレードの一覧です。
スーパーカスタムは後から追加されたグレードということで、ユーザーの上級&豪華志向に応える形でグレードを上に増やした形でした。スーパーカスタムをバンに近いデラックスと比較すると、バンベースで如何に高級に見せるか工夫の跡が見て取れるかと思います。後年のスーパーカスタム リミテッドからすれば、まだまだシンプルとも言えますけれど。
10人乗りは当初9人乗りと同じ標準ボディに設定されていましたが、この時点ではロングボディとなっています。4列を無理なく収めるには、このサイズの方が妥当と言えるでしょうね。
装備一覧表と主要諸元表です。
前頁のグレード一覧と付け合せると、違いがより解るかなと。
主要諸元表にはスタンダードの記載がありますが、装備一覧表には無。ガソリンの10人乗りのみですし、殆ど売れていなかったのでしょう。
主要諸元表で気付いた点をいくつか。
先ず、ホイールベースは短いのに最小回転半径は意外なほど大きかったりしますね。5.3mでもマークII系より大きく、クラウンより小さいぐらいの数値です。
逆に意外と軽く感じたのは車両重量。最も重いスーパーカスタム サンルーフのディーゼルでも1520kgですからね。装備がシンプルというのが大きいのでしょう。次世代では150kg近い増加となっていたりします。
次にディーゼルはやはりパワーレスだったようで、ギヤ比での工夫というべきか細工が散見。MTは全体的にワイドレシオですし、ATはギヤレシオこそ乗用車と共通ですが、最終減速比がかなりのローギヤード。4速は確かにオーバードライブですけれど、トータルレシオでは乗用車の3速並みとなります。
それでもディーゼルを設定した理由は燃費消費率にあり。この数値だとガソリンにATを設定したら10モードで7km/L前半となりそうで。
裏表紙には別カタログ扱いのバンとコミューターが掲載されていました。
この世代のハイエースだと、こうしたツートンカラーの印象が強かったりもします。ボディバリエーションとしては、この時点で確立していた感はあって、標準・ロング・スーパーロングという3構成は、この後も2世代、20年以上に渡って継続となっています。
ディーラースタンプは、東京トヨペットの高島平営業所。新車販売店の方はトヨタモビリティ東京に引き継がれ、今でも現存のようです。併記の高島平中古車センターは80年代末期に閉店しています。
カタログの発行年月は昭和57年9月ということで、この世代としては最末期ですね(次世代は昭和57年12月に発表&発売)。この年月からすると、父が3代目マークIIの中古車を購入後、(この世代のお約束でもある)ダッシュボードのセンタースピーカー部が割れ、中古車保証の扱いで入庫した時に貰ったものと推測します。当時から、父はワンボックスワゴンを心の片隅に置いていたようで、ディーラーでカタログを貰う際には指名とすることが多かったことを思い出します。
この時代のハイエースは、重ねて書いてきた通り、キャラバン&ホーミーと割とガチのライバル関係にありました。モデルチェンジの時期がずれていたこともあって、シーソーゲームだったようにも記憶するところです。この2代目ハイエースにとっては、初代キャラバンは超えたものの、再び2代目キャラバンが強敵となって現れたという構図だったような。結局この世代のハイエースは6年弱のモデルライフとなっていますし、次世代も7年弱で4代目へと替わっています。4代目は約15年、現行は15年を過ぎて次世代がまだ見えないということで、どんどんロングライフとなっていたりもします。
ワゴンはこの後も豪華指向をどんどん強めるものの、90年代末期にグランヴィア辺りから、バンとは別モデルという形での後継の模索が始まり、紆余曲折を経た後、アルファードへバトンを継いだ形とみるのが正しいと感じます。現行モデルにもワゴンはあるのですが、どちらかというと今回のカタログの中では10人乗りに特化した系譜と判断しています。コミューターにかなり近かったりもしますし。
さて、ここからは思い出話です。
この世代のワゴン、当時親しかった父の友人の一人が乗っていました。末期の特別仕様車リビングサルーンだったことは覚えているものの、複数回出ていたリビングサルーンのどのモデルかまでは探求できず。リビングサルーンはカタログを不所持というのも理由の一つ。
このリビングサルーンの前車が、2代目マークIIのセダン後期型LG。
少し前に書いた通り、父としては一時期は一番欲しかった車そのものの仕様で、密かに放出を待っていたものの、中々代替とはならず、待ちきれずや目移りにより結局3代目のグランデを買ってしまったという経緯でもありました。冗談半分でご当人にもそんな話をしていたような。
当時から殆どお酒を飲まなかった父は運転手役となることが多く、自車を持ち出すことも度々ありました。この頃になると同乗の人数が増え、それならワンボックスをとなっていたようです。かなり親しかったこともあってか、リビングサルーンは比較的容易に借りることが出来たようで、父の仲間内の旅行では何回か出番となっていたことを思い出します。
乗せて貰う方からすれば、広大な空間と豪華内装に大満足となる訳で、かなり喜ばれていたようです。もっとも運転する方は「ディーゼルのATだから大勢乗せると明らかにパワーが足りない。何よりハンドルの重さが尋常じゃない。」という感想だったようで。
約1.5tの車重に大人6人の体重、特に前輪には重いディーゼルエンジンと大人2人の体重がまともに加わる形。その前輪は195サイズのラジアル。これを重ステで取り廻すのですから。この世代はパワステがオプションでも選べなかったのです。
「低速だと逆手ハンドルが必須。据え切りはもちろん、走行中の急ハンドルだって重過ぎて物理的に無理。」と話していたのを今でも覚えていたりします。それでも燃料の安いディーゼルということもあり、出番となることは多かったのです。
結局、持ち主もハンドルの重さか、度々の貸し出しが面倒になったのか、4年程で再び7代目クラウンのツインカム24へと戻られてしまうことになるのですけれど。この型のハイエースで真っ先に思い出す、私的思い出話となります。
当時のハイエースワゴンと現在のアルファードで通ずるものがあると感じるのは、友人等を後ろに乗せた時に喜ばれる、それがオーナーのプライドをも擽るという部分になります。その視点では、アルファードはハイエースワゴンの系譜あるいは末裔であることは揺るがないとも。それも車選びの価値観の一つなのかなと思ったりもしまして。
逆に大きく変わったのは、運転する方が我慢を強いられていた部分でしょうね。物理法則は動かしようがないので、セダンやワゴンと全く同じとは言えないのですが、日本国内で法令・法規を大きく逸脱しない範囲という前提に立てば、運転した経験からしても、まぁ不満を感じることはないと言えるわけで。
当時とは異なり、セダンやワゴンに回帰するユーザーが極めて少ないのもそんな理由かと思うところです。ミニバンやスーパーハイトの軽をそこまで成立させる過程では、技術の進歩だけではなく開発者の相当な尽力も積み重なっているのだなと。振り返ることで、そんなことを感じた回となります。