
先に何シテルであげたとおり、
「KYOWA クラシックカー&ライフステーション」さんを訪ねてきました。
時を遡ること数ヶ月前、いつものようにツラツラと眺めていたwebニュース、とある記事に添付されていた画像の一つに目が釘付けとなりまして。そこに映るは、2代目と3代目のマークIIセダンが並んでいる図。即座に、これは絶対に見に行かなければならないと決心したのです。
忙しかった夏も過ぎ、コロナ禍も落ち着いた今、行ける機会は絶対逃すまいという事で、念願が叶うこととなりました。スタッドレスを備えない自車では、もうしばらくすると春まで無理となってしまうというのも急いだ理由です。
奥様はこの手の博物館に興味を持つことはなく、都内からでは泊りでなければ周遊は日程的に困難。離れて暮らす父を連れて行くも考えましたが、これまた日帰りでは難しく。それならばと単独日帰り弾丸ツアーを決行することを決断。頭に思い浮かぶは一番星ブルースなのです(笑)
WEBで確認したところ、当初は完全予約制とのこと。予約の架電をしたところ、第一声で会社名を語られまして、一瞬代表番号にかけてしまったかと大いに焦った次第。都内発ということで余裕をもった時間で予約を済ませます。どうやら飛び込みでも最大限融通は効かせてもらえそう、というのは現地に着いての印象から。
前日までにガソリン満タンとタイヤの空気圧調整(最近涼しくなったせいか、夏の車検で調整されている筈なのに意外と減っていました)も終えて、一路目指すは燕三条の地。
小雨時々本降りの中を、可能な範囲でクルコンを使いつつ目的地に向かいます。長距離で便利なのはやはりACCですが、速度維持機能だけでも無いよりははるかにありがたく。
予約時間少し前に無事到着。
ストリートビューでも確認可能ですが、旧社屋を転用されているとのことで、伊香保や小松の両博物館を連想すると佇まいの違いに驚かされることになります。プライベートではなく、仕事の出張で来た的な。扉の向こうも会社の受付だったことが容易に連想できますし。
予約の確認が取れて、工場に向かう通路の時点で気分は高揚。
割と散発的に集められたのかなと推測しますが、そのピンポイントが私的琴線なのです。その中でも目が釘付けは初見だったこちら。

紺はセダンのみの設定で途中色変更有。コンフォートエクストラは変更後の追加。この画像は専用カタログ・本カタログ共に未掲載だったはず。
ここからは展示室内。
殆どは
フォトアルバム送りにするとして、フォトアルバムのコメント欄では収まらない個人的琴線だけはこちらに。
初代バイオレット
ノッチバックに変わる前の前期or中期ですが、テールランプは確認できず。
SSSのATという希少仕様でした。
この車は思い出話を先に。
朧げな記憶では幼稚園に入る前後かな。その頃父が購入した自宅を販売した不動産会社ではトヨタと日産のこのクラスの営業車(後年に出てきた写真によると全てSTD)を使っていました。
併売期の510とこれは後席に乗せてもらったことは覚えています。この車、窓が高くて外が見え辛いで記憶に残っています。
あとは1978年の春休みかな? 父との帰省で飛行機初体験と共に現地の足がこのバイオレットだったことを思い出します。初期型の4ドアセダン1400GL。グリーンの外装色とクリーム&ブラウンの内装色は今思い返すとオシャレだったなと。確か叔父が勤めていた自動車工場が販売した車が出戻っての代車転用。既に市場からは不人気車認定されていましたから、再販は難しいと判断されたためでしょうね。
このバイオレット、510の後継としてコロナ&カリーナと対峙すべく開発した日産の意気込みは相当だったはずと思います。ブルーバードU共々、マーケティング色が濃く、結果的にトヨタに翻弄された感もある一台です。時代を隔てた今では、当時の空気感を伝える存在に思えて、嫌いにはなれなかったりします。
2代目ルーチェ
REのエンブレムがありますので、GRIIでしょうか。
ご近所に自身が知るだけでも、初代サバンナGSII → 2代目ルーチェGSII → ルーチェレガートリミテッド → 3代目コスモリミテッドと乗り継がれたマツダ党の方がいて、この型も車庫に収まっていたことを思い出します。
こちらもこの時期らしい彫りの深い濃い顔が特徴です。このクラスは大なり小なりアメリカ車からインスパイアされていた時代ですね。後期ではシンプル顔に大きく変わったのも特徴的。
オイルショックで運命を大きく変えられた一台でもあります。排ガス対策で先行して公用車の優先導入がされたくらいでしたが、一転してガスガズラー扱いされてしまい、短期で市場淘汰も進んでしまいました。
クラスを同じくする2代目マークIIとの近似を強く感じる一方、こちらはノッチバック風味が強い等、比べて判る差異も興味深く。ブルーでコーディネートされた内外装色もオシャレだなとは。
オイルショックに端を発したマツダの危機においては、ハイオーナーカーから一転して、廉価グレードが各種公用車・営業車・教習車等で積極的に導入され、マツダの財政を支えました。その他、このシャシーは、最近、2代目コスモの他、後に3代目カペラにも流用されていたことを知りまして。カペラは若干地味ながらも、自動車評論家筋でも特にシャシー性能が高く評価されていたのですから素性は良かったということですよね。
3代目ローレルの後期SGL
ご近所にも前期・後期共にありましたが、この色は当時でも見かける機会は少なかったような。
私はこの時期、3代目マークIIに夢中で、最大のライバルと目されたこちらには冷淡でしたが、後年になってプロポーションの良さ等、見直すようになりました。ハイソカーならぬハイオーナーカーの元祖はこちらとも思います。マークIIは後追いで近づいていった形ですよね。
同時期にはスカイラインが絶大な人気で、ローレル自身も先代のSGXが中古車で希少性を高く評価され。そうした中でのこの世代は、新たに追加された4ドアハードトップが人気を集めていて。セダンはシリーズ中の販売台数こそ優勢でしたが、マークIIセダン以上に地味な存在でした。新たな販路を求めたのが、マイナーチェンジで追加された1800SGLというのは、
以前に書いていますね。
高価に見えて実はお買い得な4気筒というのは、ライバル他車への大いなる刺激ともなりましたが、それまでのローレルのキャラクターを不明確にしてしまった感も否めずでいます。
今回の目的かつ感無量で涙が出そうになった存在その1
エクストラカッパーのセダングランデというだけで私的特別席なのです。
当時もののゾナメッシュアルミ(これはこれで貴重と思いますが)を除けばフルノーマルというのも個人的琴線。この姿を見るだけで家にあった40年前に戻れますし、記憶や思い出があふれ出して止まらなくもなります。
久方ぶりのご対面は、個性的なスタイリングもさることながら、豪華な内装が改めて印象強くでした。手触りの良いフルモケットシート、毛足の長いカットパイルカーペット、ファブリックのルーフライニング、ウッドのステアリング&シフトノブ等は、この時代に確立された和風様式の高級と言えます。世の大人たちの多くはこの仕様に魅せられもして。この後90年代中頃まで続いたものの、今ではすっかり見られなくなった仕様でもありますね。
今回の目的かつ感無量で涙が出そうになった存在その2
後期の6気筒セダンであることだけはwebで判りましたが、実車とのご対面でLと知りました。
少し前にyoutubeの動画リンクを貼っていて、今度は実車ですから当然テンションも上がりまくり。3代目は人気もありますし、実車を見られる機会もありました。メーカー自らが大なり小なり取り上げる機会があるかなと期待も持てます。2代目、特にセダンだとこの辺りが全て期待薄だったのですから。実車を見たのは、何年ぶりだろうというくらい。
前期が家にあった視点からだと、後期のこの顔には強く憧れるものがあったのです。OKモニター、リモコンミラー、トランクオープナー等装備も豪華になっていましたし。
2代目と3代目、その激変ぶりも並んでいる状態で比べると、印象深いものがありました。内外装のデザインはもちろん、シャシーやインパネの内部構造等も一新されているのですから。引き継いだのはエンジンくらい?ともなれば、その力の入りようは半端なく。トヨタにそんな選択をさせるくらい、当時の日産のこのクラスは強かったということを表してもいます。
その変えたものの多くは80年代を通して使い続けられたことからすれば、判断は正しく大きな財産を残したとも感じます。やはりマークIIは初代・2代の暗中模索を経て3代目で方向性が定まったと思うのです。
旧車は懐メロというのは言い得て妙でありまして、さらに付け加えるならタイムマシンとも思います。
この並び、1970年代末期から80年初頭のごく限られた時期しか見られなかったと確実に言えます。ローレルと3代目マークII以外は潰しが本当に早かったですし。
40年以上も経過した令和の時代にまさか見られるなんて( ;∀;)
私は一日中でも飽きずに眺めていられる並びです。実際、滞在時間の大半をこの一角で過ごしました。館的には展示車の一部、かつその中でも目立たない存在かも、でして私は理解し難い存在だったかも(笑)
天気はあいにくの雨で試乗こそできませんでしたが、こんな貴重な体験もしてきました。
後期117クーペ、XCかな?
キー付いているんでエンジンかけてみてくださいと。ニュートラルとはいえクラッチを踏むため乗った運転席は、低くサイズも小さいなぁと。若い世代だと確実に今の車との違いに驚かれるでしょうね。
一捻りでエンジンは始動。70年代のトヨタのR型が近い印象かなというのが私的感想也。
画像は失念しましたが、この後ヨタハチでもエンジン始動をしてみまして。
当然キャブですからエンジンの始動だけでもコツを要します。中々始動しなくて、ようやくエンジンがかかってからもしばらくはアイドリングは安定せず。
耳に届くのは、空冷水平対向2気筒のサウンドでこれまた味わい深く。
今の車だとボタンの一押しで始動するのが当然なのでしょう。扱いが簡単になる一方、大変が故の味的な部分は失われてしまったと改めて。
117でも感じた低さ・小ささは、こちらでは尚更ですね。地面に手がつく感というのも大げさではなく。屋根が外されていたので何とか乗降できましたが、降りるのだけでも大変な低さでありました。
この館、自動車以外にもバイクの他、産業機械器具や家財道具等、当時ものが膨大な数で展示されていまして、歴史好きな方にも楽しめるところでした。真剣に全てを見ていたら一日では足りないくらいでは、とも。
私自身は貴重な体験に大いに感謝しつつ、滞在約2時間で雨脚の強くなった帰宅の途につきました。
往復の時間の方がはるかに長かったですが、行ってよかったと強く思います。
最後に自車についても少し。
往復600km弱。正しく弾丸ツアーでしたが、悪天候も何のその優秀な秘書であり続けてくれました。
時折ワイパーが高速作動する豪雨の中、不安感を抱かせなかったPRIMACY4を筆頭に走る・曲がる・止まるの性能の余裕やサイズのたっぷりした適切な形状のシートは疲労の軽減に大いに役立ちました。燃費だって17km/L弱ですからね。
悪条件で改めてその性能に舌を巻く的な。
強めの雨の降る帰りの谷川岳PAにて。
秋を一気に通り越して冬も遠からずを思わせる景色が広がっていました。