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parl-siroのブログ一覧

2023年05月13日 イイね!

オーナー表彰(10万キロ)

ここ数日は春というより初夏の陽気が近い気がします。時折雨が降り、梅雨の時期を思い起こさせたりもしますけれども。

自車は相変わらず快調なのですが、ちょっとした間違いからリヤのライセンスプレートフレームを壊してしまい、交換のため本日入庫。


その際、タイトルの物をいただいてきました。

10年とセットにするのと迷いつつ、機会を逸しないうちに申請してしまえを選択。前回の点検時に申請を出しておいたのです。

申請の都度ではなく、数が集まったらまとめて作成するそうで、申請から受領までの期間はそのタイミング次第で長短するというのは、裏事情的話です。実際申請から約3ヶ月かかっています。

逸る気持ちを抑えて、帰宅後に開封。






エンブレム、両ケース、共に想像していたよりもはるかに重厚な作り。
メーカーも他社ではあまりみられないこの制度を結構本気で支えていることを推測させられます。


いただいた方としても購入初期からの目標の一つだっただけに、感慨深いものがありまして。

ディーラー整備が申請の条件であることから、「ここに至るまでには相当な出費となる」と複数の方から予告されたことも、今では思い出の中の出来事です。実際は殆ど手がかからなかった、というのも”想像していたよりもはるかに”の類としてよいでしょうね。

定期的な入庫を欠かさず、気になる点は診てもらう(結果は異常なしというのも多かったですけれどね)を重ねて、ここに至ることができました。基本、壊れずと言えでも、適切なメンテナンスが支えてきたものも少なからずあると思っています。その辺りは自分一人の結果ではないという感謝もあるのです。

いざ、もらってみると、次は間もなくの10年。さらにその先へと夢は膨らみます。どこまでいけるか、ですね。


自車近影


GWのお出かけ先の一所にて。
期間中は関東近郊を走り回り800kmほど。トータルでは107,000kmを超えています。
Posted at 2023/05/13 20:54:57 | コメント(7) | トラックバック(0) | W204 | 日記
2023年04月03日 イイね!

移り行く桜の季節の中で

2月中頃くらいから年度末進行ということで多忙な日々を過ごしています。その影響でブログの更新は、手付かずの期間が長くなりまして。

このままズルズル未更新が続かないよう、時節ネタで更新することにします。
既に東京では葉桜となった所も多そうですが、まだ何とか許容範囲だろうということで。

〇3月21日 麻生川






開花予想に促されるように向かいました。
多少早めの感もありましたが、それでも見頃を迎えていた木もいくつかあり。
曇り空ということもあってか、人出も少なく、静かに散策することができました。


〇3月26日 尾根緑道






この日は生憎の雨模様。
家を出た時には小雨模様でしたが、現地に着く頃には本降りに。
この天気ではすれ違う人すら極少なくとなり。静かに桜を愛でるにはむしろいい案配とも言えるのですが。


それにしても、今年は桜の開花が早かったですね。
例年、両所への訪問が年度替わりと重なっていた筈なのですが、共に年度内数日前ですからね。
聞くところによると、入学式とセットだった桜が、最近だと卒業式とセットという言われ方をするようにもなっているようで。




こちらは昨日、埼玉県北西部某所にて撮影。
撮影に備えて前日洗車したのに、この後通り雨に遭遇してしまいました。

10度目の桜となりますが、あまり古さは感じさせず、絶好調も継続中。
桜の時期も過ぎ、季節は移れども、変わらずに傍に居てくれることを祈るばかりです。
Posted at 2023/04/03 22:08:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ
2023年02月07日 イイね!

神奈川トヨタビジネスモビリティセンター訪問記

今回の話の発端は、1年以上前に遡ります。
時は2021年9月。みんカラの投稿のお題として「私のドリームカーはコレだ!」というのが出されたことがありました。

その時の純粋な気持ち、まぁ今でも大して変わらないのですけれども、2代目マークIIセダン、48規制のLGに一度乗ってみたいを私からの答えとしました。その際、「今でも時折、当時ものが出てくることはあるようですが、ここに挙げたセダンLGは先ず出てきません。」「出てくるとしてもセダンよりHT。6気筒だとシングルキャブのLが殆どに感じます。」「希少車の範疇から絶滅種の領域に入っているような。」と繋ぎつつ、「欲しいというより、乗ってみたい車。存在は既にドリームの域。」を結びの言葉としています。(当時のブログはこちら

その時は単なる投稿に過ぎなかったのですが、そこから1年後、たまたまこんな記事を見つけてしまい。リンク先の4枚目の画像、一番手前のリヤビューに一瞬で目が釘付け。そこに映るは、絶対に見間違えない自信があるドリームカーそのものではありませんか。記事では全く触れられていないため、一旦は顧客からのレストア依頼で預かっている一台なのかもと推測したのです。

トヨタモビリティ神奈川の旧車だと、ひゃくばんが有名ですが、こちらは検索でも中々それらしきが見つからず。それでも何とかトヨタモビリティ神奈川で保管している一台であり、普段は第3京浜の港北IC近くに存在するビジネスモビリティセンターに展示されていることが判ったのです。

このセンター、フリートユースが主体であり、後記する事情もあって営業は平日のみ。週末を休日とする身には厳しいのですけれど、夢を実現するためなら、何とかやり繰りを駆使するのみなのです。(実は3回目の訪問でようやくご対面できたという裏話あり)

展示施設については、表立っての公表もされていないようで、直接の連絡先も不明のまま、いきなりの訪問。トヨタの特装車ばかりが並ぶ中を完全にアウェーな自車で入っていくのは結構な勇気ではありました(笑)

たまたま通りがかった方の第一声が「予約とかされています?」だったので最初こそ心配したのですが、来意を告げて以降は最初にご対応された方、後に引き継がれたご担当の方共々かなり親切にしていただけました。特にご担当の方とは、他に訪問者がいなかったをいいことに、閉店間際までの長時間に渡って話し込んでしまいました。


お聞きした話によると、レストア事業についてはひゃくばんを託されたことが一つの契機となったようです。ひゃくばんの存在が、まつわる逸話が有名になることで旧車が集まるようになり、その過程でレストアという言葉が社内的にも認知され、近年ではメーカーからのバックアップも得られるようになったと。

とは言っても、専門部署があるわけではなく(対外的には渉外広報部が窓口となっているとのこと)、社内の有志が半ば手弁当的に行動されてきたというのがここまでの実情となるようです。

如何にも商売っ気を感じず、個人の趣味にも通ずるものを感じた理由でもあるのでしょうね。これは後から気付いたのですが、お聞きできた多くの話の一部は、20年ぐらい前に深夜のファミレスで聞いた内容と重なるものがありますし(笑)

実は展示している施設も、このために開設したものではなく、元はタクシーに関する歴史的資料の保管場所を整理して転用したとお聞きしました。もちろんメーターや行燈等、貴重な部品を見ることも可能です。

認知が広がることでお仕事の一環として行動し易くなった反面、社内の枠組みにあるがために継承も含めて、今後どうするのか課題も抱えられてはいるようです。

その他、各車にまつわる話は公開には馴染まないと判断するため「歴史には逸話と感動の積み重ねがある」とだけ記すことに致します。


ここからは撮影してきた画像を中心に話を進めます。
話に夢中になっていたあまり、枚数が少ないじゃないかというのは帰宅後の気付きです(笑)

先ずは今回の訪問の目的だった2代目マークIILGから。
後期にも48規制と50規制の両方が存在していて、展示は48規制車でした。
オプションは純正A/Cのみで店頭付属品も付いていないのは、お任せで買われがちなこの種では珍しく感じます。ブローニュグリーンHM(689)でもあり、正しくドリームカーで挙げた画像そのものですね。

内外装は磨いたくらいであまり手がかからず、復元の一番のネックは、やはりと言うべきか初期モノのEFIだったとのこと。





前にも書いた通り、後期のフロントマスクが幼少時代の憧れでした。
リヤテールは中期で変更されていて、これもまた前期乗り視点では憧れの一つ。
その他にも、LG・EFIの各エンブレム、ワイドリムのスタイルドホイール、フェンダーアーチモールetc、その一つ一つに個人的琴線があるのです。




 

再塗装なしのまま、この状態で残る外装も驚きでしたが、何より驚いたのは内装の極上さ。紫外線で色褪せやひび割れの生じやすい各所のウッドパネルも、新車同様と言っても過言とは思えず。

受領時点ではドアトリムに新車時のビニールが残されていたそうです。ビニールが劣化していたため、恐れ多く感じつつもで外されたそうですが、そのおかげもあってか内張も極上でした。




ここまででも充分感動的でしたが、何と運転席にも座らせていただけました。もちろん感謝の極み。

今視点だとステアリング径の大きさとリムの細さが印象的。
キャストウッドの4本スポークステアリング、リモコンミラー、トランクオープナー、OKモニター、時間調整可能な間欠ワイパー、ここにも当時の憧れが散りばめられています。

ポジション調整は、シートスライドとリクライニングのみでステアリングコラムも固定となりますが、ベストポジションが得られないかもという予想に反して、ステアリング位置も含めて全く違和感がありませんでした。
これも後からの気付きなのですが、その理由は恐らく自身が長く馴染んだ81にシートやステアリング等の配置の多くが継承されているから。




当時の思い出話を披露したところ、それなら助手席もどうぞと。

私的には、運転席よりもこの位置からの眺めが思い出の宝庫。
安全性を意識したと推測する、手前側に大きく張り出したセーフティパッド、ドア側の空調吹き出し口の上にあるエンブレム、窓越しに見える特徴的な形状のタルボ型フェンダーミラー、今でも鮮明に甦る数々のアイテムが目の前にありました。

指定席だった当時とは目線の高さが違います。当時は大きな車という印象でしたが、今ではむしろコンパクトなくらいに感じます。自分の成長のせいか、はたまたクルマが大きくなったからか・・・

80コロナを起源とする(恐らく内部レイアウトは共通)、メーターの隣に縦型の空調レバーを並べて、その横にラジオ&ステレオを配置するインパネレイアウトを筆頭に、内装のデザインの文法等は現在と大きく異なりますが、作り込みの精緻さ等は今でも伝わってくるものがあります。当時から高く評価されていたのがトヨタの内装。その中でもマークIIは高く評価されていました。


隣に並んでいたのがひゃくばん




1955年(昭和30年)5月の登録だそうで、現存する中では最も初期ロットではないかとのこと。

その後1958年製造の初期型も寄贈されている(現在は愛知に長期出張中)そうで、2台を比べて見ると変更点が多く見つかるという話をお聞きすることができました。オーナーさんの改造履歴も関係あるかもですが、当時から地道に改良が進んでいた影響が大でしょうね。




こちらも運転席に加えて後席にも座らせていただくという貴重な体験ができました。
前席よりも後席の方がスペースに余裕があるのに加えて、座り心地も後席の方が良好でありまして、一等席は明らかにこちらかと。

「大事な人を大事に運ぶ」クラウンの神髄はこの当時から始まっていたということでしょう。




画像はボケてしまいましたが、エンジンルームに鎮座する青い箱は実はラジオ用。当時ですから真空管となるのです。ここにも初代オーナーさんの逸話がありました。

今に続くクラウンの、いやトヨタの原点とも言えるクルマですが、新人研修の一環として見せても「これは何ですか?」という若手が増えているそう。彼らからすると、実体験は90年代車で懐かしいが80年代車。70年代車は何とか知識として持っているとなるようで。
アラフィフの身からはジェネレーションギャップを感じずにはいられないお話ではありました。


ひゃくばんと共に有名な初代スタウトは、この日は点検で愛知に出張中。隣に並んでいた27レビンは時間不足で撮影できず。気になる方は直接お確かめくださいませ。


上の話とも関連するのですが、最近では90世代が集まってきているそうです。
いくつかご紹介。





解説を聞くのに夢中で外観は撮影を失念。
インパネだけでも判るかなということで、こちらは初代のハイメディック。
ほぼ試作段階の初期ロットとのこと。

貴重な一台ながら、ここに至るまでの経緯が何とも興味深く。
テストも兼ねてとある病院に出したら、重宝されたらしく当初の予定を超えてもずっと戻らず。返却後、最近まで工場の片隅で埃にまみれていたと。発掘アルアル話っぽいですよね?




これらも曰く「集まってきた」そうです。
プリウスはバッテリー寿命が契機となったそうで、マークIIのEFIといい、電子部品が車の寿命に大きく影響するを改めて実感させられます。近年のクルマだと尚更でしょうね。

この他にもアルテッツァが入ってきている等、新たな動きもあるようです。

この年代辺りとなると、私の感覚は殆ど現代車となりますが、一般的には旧車認知もされ始めていて、これもまたジェネレーションギャップの一つと言えそうです。


といったところでいかがだったでしょうか。

博物館のように大量のコレクションとはなりませんが、個人のコレクターに近い活動を社として実践されているというのが、実に印象的でありました。
だからこそというべきか、旧車にまつわる話はとても楽しくお聞きすることができましたし、何よりも面白くありました。こんな感じは久方ぶりだなと。私的には、時間が過ぎるのがとても早く、帰宅の途につくのがかなり惜しくも感じたのです。


最後に、平日に行くのは難しいという方への朗報を。
今月18日・19日に開催されるノスタルジック2デイズに、昨年とは異なる車で参加されるとのことでした。

興味を持たれた方はこちらに行かれるのも一興かと思います。きっとここでは書けなかった面白い話もいろいろ聞けるはずと。

以上、夢の実現の感動が未だ冷めやらず、また深く感謝せずにもいられずで記した回となります。
Posted at 2023/02/08 22:06:29 | コメント(9) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ
2023年01月20日 イイね!

2003年に成人式を迎えたクルマ達

昨年、一昨年と20年前を振り返った次には、さらに20年を遡るを続けてきました。今年もやろうと決めてはいたのですが、企画はたってもブログに超す時間が中々確保できず、苦労させられることしきり。元は成人式ネタですから、あまり時間を開けたくもありませんし。

本業の多忙を縫って、何とか作ってみました。20年前より40年前の方が文章が簡単に浮かんだのに大いに助けられた、という話もあったりします。

〇トヨタ

5月19日 ターセル/コルサ(フルモデルチェンジ)/カローラII(新発表)

試作に近かった初代ターセル/コルサを、3兄弟に広げつつ、ファミリアに対抗できるだけの商品力を持たせたのは、かなり周到な商品企画あってこそかと。周到が過ぎて、特にスタイル面でファミリアの真似と酷評されたのも事実ですけれども。

画像の通り、ターセルは5ドア、コルサは4ドア、カローラIIは3ドアをイメージリーダにしてキャラクターを分けていました。この中では当初カローラIIのみに設定された3ドアが特に好評で、翌年にはターセル/コルサにも追加されることになります。並行してこの時期には割と3兄弟間で異なっていた仕様や設定の相違は徐々に共通化が進み、やがて販売店の違いによる正しくバッジエンジニアリングへと転じていきます。



8月30日 スプリンター・カリブ(新発表)

3兄弟に遅れる事、約3ヶ月。
前年のモーターショーに「RV-5」名で出品された4WDワゴンが、スプリンター・カリブ名で加わることになります。スクープ段階では、カローラIIに準じてスプリンターIIと噂されていました。

FF縦置きのメリットを生かして、70カローラのリヤアクスルを流用しつつで4WDを構成。その成り立ちには、4WDの先駆者レオーネとの比較で、安直なマネという批評がありましたが、特種なジャンルと認識されがちだった4WDを身近にした点は評価すべきと思います。

見所はむしろスタイリングかもしれません。低い車がカッコ良かった時代に、ミドルルーフのワゴンボディのみというのは、個性的なリヤスタイルと相まって意欲的に映ったりします。

※RV-5の画像もありましたので、参考掲載してみます。架装を外せば、かなり市販車に近い装いですから、一年前の時点で相当仕込みは進んでいたのでしょうね。



11月8日 タウンエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)/マスターエース・サーフ(新発表)

ワンボックスワゴンブームの一角を占めていたトヨタは、この年ライトエース以外のワンボックスを一新。タウンエースと新たに追加されたマスターエース・サーフは、従来型あるいはライバル車等のワンボックスから大きく進歩した、フラッシュサーフェス主体のモダンなフォルムに驚かされたものです。このスタイリングは、ライバル車の次世代にも影響を与えたと認識しています。

リヤアクスルが、リジッドながらもバンと共通の板バネからワゴン独自のリンクコイルへと変わったのも、新たな時代を感じさせたものです。バンとワゴンでサスを変えるというのは相当な決断だった筈と推測します。



12月9日 ハイエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)

上に掲載したタウンエース系の翌月に登場。
どうしても比較してしまう訳で、こちらはルーチェレガートを連想させる縦目に驚かされたくらいで、デザインとしては保守的に映ったことを思い出します。
もっとも、特にバンの方はキャラバン/ホーミーと激戦状態でしたし、長らく搭載され続けてきたR型エンジンの世代交代対応等、近代化の視点でも必要なモデルチェンジではあったのでしょうね。

トヨタは、OHV1.8Lの13T、OHC2.0Lの21Rに替わる新世代エンジンとして、縦置きにも横置きにも使えるS型を乗用車に展開していましたが、ワンボックス&商用車系にはOHVのY型を新たに起こしています。敢えてのOHVだった筈で、座席の下にコンパクトに収めたいから、がその理由と読んだ記憶があります。



1月19日 コロナ FF5ドア(車種追加)

当時の扱いは車種追加ということで掲載を迷ったのですが、実質的にはモデルチェンジ同等ということで掲載することにしました。この時期のトヨタ特有の周到な戦略を象徴する一台とも思えますし。

カムリ/ビスタ、カリブと前年に姿を現していた車の市販化が続く中、予想外の姿に驚かされたのが、このFFコロナでした。130型で設定のあったリフトバックは140型になく、後からFFで追加されるという噂はありましたが、誰もがビスタの兄弟車という予想を立てていたのです。

それだけにスタイルはもちろん、シャシーも異なる形での登場にはかなり驚かされたものです。

もちろんこの5ドアだけに留まることはなく、4ドア・ツインカムと順次の移行を
果たして、実質的にはモデルチェンジという位置付けになっていきます。この移行、一見では慎重に映る一方、登場順等、よくよく考えると理路整然としているのが何とも恐ろしいところではあります。

もっとも、この5ドアだけは急遽投入された疑いはありまして、当初の1.8キャブ&3ATは、一年も経たない4ドアの追加時にセントラルインジェクション&4AT化され、1.8EFI・1.5等エンジンバリエーションも大幅に増やされています。
FRコロナは、登場当初こそ910の連勝記録を止めましたが、新たに追加された4ドアハードトップが追い風となった910にしばらくすると逆転され、次第に劣勢になるという状況でしたから、早期投入が求められたのかなとは。


トヨタは、この年の7月、自工と自販が合併していまして、この後の新型車攻勢に大なり小なり影響を与えたと見受けています。カローラ・クラウンといったメインの大物は翌年度に控えつつ、谷間の年を感じさせない展開ですし。

これら新型車以外にも、ツインカム24、ツインカムターボ、ディーゼルターボが投入されて、市場の大きな話題となっています。特にツインカム24は、トヨタの悲願でもあった2.0Lクラスで日産との逆転にも大きく寄与していくことになります。



〇日産


4月27日 パルサー(フルモデルチェンジ)
6月1日 ラングレー(フルモデルチェンジ)
6月15日 リベルタビラ(新発表)

ファミリアに影響されたのは、日産も同様だったと言えるでしょう。
3・4・5ドアを揃えて、3兄弟に配しつつ各車を別の販売系列で売るという戦略もトヨタと軌を一としていました。

今視点で眺めて驚かされるのは、先代の末期でパワートレーンを一新したとはいえ、先代からの踏襲が優先されていて、同クラスであるサニーとの共用が意外なほど少ない点が挙げられます。

日産直系の鶴見とプリンス由来の荻窪という開発拠点の違いがその理由と推測しますが、購買層も含めた外野的視点では何とも理解しにくいとしか。パルサーの発表時点では2ボックスのN12と3ボックスのB11で差異を表すのかなと予想していたら、間もなくこちらにも3ボックスが追加されたのはさらなる驚きでありました。

その3ボックスの兄弟車リベルタビラの登場を機に前年に登場したバイオレットリベルタはラインナップから落とされています。日産店としてはブルーバードに近すぎて売り分けに苦労させられたバイオレットリベルタよりも、当時の売れ筋の一つである1.5セダンに販路を広げられるこちらの方が歓迎されたようです。



8月24日 プレーリー(新発表)

先月取り上げたばかりですので、今回は略とします。



10月22日 マーチ(新発表)

シャレードの好評を受けてか、当初は穴場的存在だった1000cc市場が再び注目されるようになり、その二番手に名乗りを上げたのが日産でした。

発表当時から明らかにシャレードのフォロワーと映っていましたが、日産からしてみれば、サニー、チェリーと長く続けてきた市場でもあり、元祖はこちらと言いたかったのかもしれません。

NX018名でモーターショーに出品後、車名募集で注目を集めるという手法はサニー登場時の再現でもありました。

※NX018の画像もありましたので、張り付けてみます。スプリンター・カリブ以上に市販車に近い装い(というか、内外装色とシート生地等を除けば、ほぼ市販車のままですね)で出品されていました。

軽自動車からの拡大を意識したシャレードは3気筒でしたが、こちらは逆にダウンサイジング層を意識してか4気筒を選択。当初から3速ATが選べるという有利さもありました。

コストの制約が厳しいことが逆に幸いしたのか、てらいやあざとさを感じさせないキャラクター、プレーリーに続いて兄弟車を作ることをせずに日産店・サニー店・チェリー店へ同じモデルを投入する等、好感の持てるモデルでもありました。

さすがに、ここから10年作り続けるとは思いませんでしたけれど。先日ラインナップから落とされるまでの40年間で4代ですから、長寿を宿命づけられていたと言えるかもしれません。


日産も、創業50周年、ブルーバードのFF化、長らく続いたL型6気筒に変わるV6の投入等、話題を匂わせつつで仕込みを進めていた谷間の年にあたるかと思います。

鶴見が仕込みに勤しんでいる間にプレーリー、マーチと荻窪からの新型車が相次いだという見方もできそうです。

国外では折角築いたダットサンブランドをニッサンブランドへ変更するという変革も進んでいました。
変えるを優先した影響からか、既存モデルへのカンフル剤投入等でタイミングを逸し、手隙が生じていた印象は拭えません。その隙を容赦なく突いていたのがトヨタらしいとも。70年代までは逆転があるかもと思わせたトヨタと日産の関係が、その後大きく差が開く元は、この時期が端緒と思えたりします。



〇三菱

5月14日 スタリオン(新発表)

メーカー作のデザインストーリーによると、セレステの後継から発展して三菱のフラグシップスポーツへと転じる経緯だったようです。その過程では当時提携していたクライスラーの関与もあったようで。

GTOの後継となったラムダが、年々スペシャルティ色を強めてラグジュアリーに舵を切っていましたから、GTOの再来となる久方ぶりのスポーツカーに期するものがあったであろうことは想像できます。

私的には、スタリオンは登場がもう一年早かったら、売れ方が違っただろうと思っています。1981年はターボ旋風が巻き起こって、三菱もその恩恵を受けた社の一つでした。その時期に登場していたら、大いに注目され更なる追い風となったであろうことは先ず間違いなく。

そこから僅か1年の間に、リトラクタブルはセリカXX、コスモが先行し、ハイパワーウォーズはツインカム6の170馬力、4バルブDOHCの150馬力とDOHCが巻き返す中では、遅れて登場したことで機を逸した感は否めませんでした。

登場後のスタリオンは、インタークーラーを付けて175馬力、シリウスDASHで200馬力と4G63ターボのパワーアップを順次行い、足回りも熟成を進めていきます。三菱の真面目さの表れと感じますし、北米では国内以上に好評で長く続いた点は付記すべきでしょうね。




2月23日 シャリオ(新発表)

プレーリーに続いたFFのスペースワゴンがシャリオでした。

先日コメントを頂戴した際に、1979年のモーターショー出品から3年間の時間差の謎を解くことができてもいます。(こちらのデザインストーリーへのリンク

ミラージュベースからトレディア/コルディアベースへの変更が生じていたようで。市販モデルの方がショー参考出品時より胴長の印象があったのですが、なるほどと。

ワンボックスとの近似を感じさせるプレーリーに対して、ステーションワゴンとの近似を感じさせるのが興味深かったりします。初代オデッセイに近いとも言えるのですが、こちらは10年以上前の登場ですからね。

スタリオン同様、ターボ、4WDと熟成しつつで商品展開を拡げていきますが、こと国内に限っては広く市場で受け入れられた言い難く。企画も製品も決して悪くなかったことからすると、ワンボックスブームとRVブームの谷間の時期に登場したのが不運だったとしか思えません。



2月25日 パジェロ・ワゴン(新発表)

スタリオン、シャリオは共に意欲作。でも何よりのエポックは、このパジェロワゴンであったと思います。

SUVという言葉が一般化するずっと前、このカテゴリから5ナンバーが登場したことが驚きなら、ディーゼルターボだけではなくガソリンターボも選べたのは何よりの驚きでもありました。

オンロードを意識したクロカンというコンセプトをさらに乗用車寄りに進めた形ですが、クロカンの歴史を変える、新たなそして偉大な一歩だったと言えます。

新しい息吹を感じ取られた方は、当初こそ少ないながらも確実に存在していました。父が長らくお世話になり、私もお世話になったことのある整備工場の社長さん、2代目の登場早々に購入した280Zから、やはり発売直後にこちらへ代替されていまして。方向性は異なりながらも、スポーツカー同様、一般的な乗用車に飽き足らない層に新鮮なモーターリングを提供したことは間違いなく。


車種追加のため掲載は見送りましたが、この時期にはデリカに4WDも追加されています。こちらは今も続くとなるわけで、大量販売とまではなりませんでしたが、偉大な財産を残したのかなとは。



〇マツダ

9月22日 カペラ(フルモデルチェンジ)

ファミリアが見せた逆境からの大逆転劇、夢を再びということで内外からの期待を集めたのがカペラでした。

このクラスとしては早めのFF化であり、製品の出来としても上々。間違いだらけ・・・を始め、専門家筋の評価も高く、カー・オブ・ザ・イヤーも獲得していますが、国内の販売は期待されたほどには伸びず。むしろ国外の方が好評だった感があります。

当初は4ドアセダンをイメージキャラクターにしますが、赤のボディカラーがファミリアXGを意識していたとしたら、その上級移行には5ドアを当初から据えるべきだったのかもしれません。5ドアは、マイナーチェンジで追加となりますが、他車のFF移行が一通り終わった時期にはインパクトが弱く。

あと、このカペラで何より一番強く印象として残るのは、アラン・ドロンを起用してのCMでしょうね。




10月4日 フォード・レーザー/テルスター(新発表)

マツダの歴史視点としては、オートラマも外すことはできません。
カープラザ店、ベルノ店、ビスタ店等、他社の先行導入事例を踏まえての新系列展開は、他事業からのディーラー加盟も多く、後の5チャンネルにも繋がることとなります。

投入された商品は、フォード名を掲げているものの実質的にはマツダのファミリアとカペラの兄弟車で構成。
もっとも、レーザーはファミリアに先行しての1.5インジェクション、テルスターはカペラに先行しての5ドアと実験要素も含まれていました。



〇ホンダ

11月25日 プレリュード(フルモデルチェンジ)

この年一番のエポックがパジェロワゴンとすれば、商流での一番の成功はこのプレリュードではないでしょうか。

先代の不人気とは一転しての人気急上昇は、初期の販売台数の少なさも相まって、しばらくの間中古車価格が全く落ちないという現象へと繋がっていきました。

パーソナルカーとスポーツカーを混同してハイパワー戦争に明け暮れていた他社からは離れて、パーソナルカー、デートカーの要素を追求したのが成功の要因だったと思います。MTよりAT、フル装備でスマートに、というのは同じ頃巻き起こったハイソカーと重なる部分でもありました。

コスモ、ラムダ、シルビアとこの種で一定の成功を収めていたのに上手く繋げられなかった他社からすれば、かなり悔しくあったでしょうね。

2.0Siが追加されるまでは1.8一本のみだったのもむしろ成功したと認識します。買う際に迷わず、買ってからもプライドが持てるとなるわけで。
初代カリーナEDを作る際、グレード設定の参考となったことが語られていたりします。

92レビン/トレノ、S13シルビア共に2代目プレリュードがあってこその企画と映りますが、いかがでしょうか。


ホンダのこの年で思い出すのは、国内だとシティターボ、国外だとアコードの現地生産になります。前者はシティの人気に拍車をかけた存在、後者は北米でのホンダ人気を不動のものにすることに貢献しました。
共にホンダの80年代の躍進に一役担ったと言えそうです。



〇いすゞ

3月10日 フローリアン・アスカ(新発表)

ディーゼルというカンフル剤で何とか長寿に繋げられたフローリアンに変わっていすゞが投入したのがアスカでした。

当時一番のボリュームゾーンに投入する新型車ですから、相当期するものがあったのは間違いなく。

想定外は、ボリュームゾーンだからこそ他社も力作を連発していて、アスカの段ではインパクトに欠けたことでしょうか。ベースとなったJカーは、数年前から噂が立っていて、危機感を持った各メーカーは対抗馬の開発を急ぎました。その成果がFF化された各小型車達だったわけです。

市場投入がもう少し早ければ、歴史が変っていたかもと思わされるのが、このアスカであり、もう少し後で登場するサンタナですね。



〇ダイハツ

11月17日 デルタワイド・ワゴン(フルモデルチェンジ)

本家はこちらとも言えそうですが、タウンエースの項で取り上げているため、略とします。



1月20日 シャレード(フルモデルチェンジ)
画像は後に追加されたガソリンターボ

排ガス規制と上級移行が相まって空白となっていたのが、1000ccクラス。
そこに3気筒を積んで登場したシャレードは、第2次オイルショックで省エネが重要視された時代の流れにも乗って、先行者利益を充分享受することができました。トヨタの下請け的存在に成りかねなかったダイハツを救った救世主でもあったと思います。

一台当たりの利益は少ないながらも一定数の需要が見込める市場を他社が見過ごす筈はなく、受けて立つ立場となった2代目でもありました。

3ドアの4グレードのみに絞って登場したマーチに対して、こちらは3ドア・5ドア、ガソリンにディーゼル、少し間をおいての両ターボと、正しく全力投球の様相を感じさせもしました。デ・トマソ、926もこの2代目で登場していますし。

見どころは多々ありましたが、究極はやはり空前絶後のリッターディーゼルに尽きるでしょうね。経済車の究極という書き方でも間違いはないと思います。
上級移行へのアンチテーゼだったシャレードが自身もその誘惑に陥り、上手く残せなかったのが何とも惜しまれます。



〇スズキ

6月9日 セルボ(フルモデルチェンジ)

スズキはカルタスが登場するまでの前夜ということで、この時期は軽自動車の専業メーカーでした。

フロンテクーペはライバル他社がスポーツ&スペシャルティからの撤退が相次ぐ中、唯一新規格に適合させた上で初代セルボへと転じましたが、ベースとなるフロンテがRRからFFへ移行したことに伴い宙に浮いた形となっていました。

それなら、FFベースで新型クーペを作ろうとなったのだろうと推測しています。
スポーツカーへの社会的認知が低く、軽自動車への規制も今よりはるかに厳しかったという時代背景からすると、先代以上にスタイル優先のスペシャルティとなったことも仕方ないと思えます。

翌年にはターボが追加されてスポーティ色を強めますが、キャラクターとしては逆に不鮮明になった気もします。

このボディからマイティボーイが生まれた点は特筆すべきでしょう。クーペとトラック、全く異なるジャンルの垣根を超えたのはスズキならではのアイデアと思いますし。


ここからは全体俯瞰へと移ります。
この年を一言で纏めるなら、好調の波に乗るトヨタ、ホンダとその影響を受ける日産、三菱の構図でしょうか。

北米輸出の台数制限もあって、国内市場の確保に各社総力戦の様相となっていたのは間違いなく、出てくるモデルも新時代の到来を思わせるモデルが続いていました。その背景には、FRからFFへの移行という一大転機が絡んでもいて。

こうして並べて見ると、売れる or 売れないを分けたのは、紙一重の違いだったとも思います。企画から製品化に至るまで多くの分岐があり、一つの間違えが想定以上の差となって現れていたのではないかなとも。性能以外の各面からも評価が入るクルマという製品の怖さですね。

そして中には新たな一歩を刻んだもの、時代を創ったものがいたりもします。
40年前ともなると、当時を覚えている方も少なくなってくるのかなと思います。我流の解説付きとなりますが、当時を懐かしんでもらえるとありがたく存じます。



【画像の出展】
・ターセル/コルサ/カローラII、シャリオ、アスカ、シャレード、セルボ:自動車ガイドブック
・ハイエース:トヨタ75年史サイト
・その他:FavCars.com
Posted at 2023/01/20 18:37:07 | コメント(8) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2023年01月09日 イイね!

2023年に二十歳の集いを迎えるクルマ達

年末年始の休みも終わり、出勤してみれば何かと忙しく。
割と手間のかかるお題ということで、少しずつ積み上げた回となります。
20年経って振り返ってみる、いい機会ではあるので何とか頑張ってみました。

軽く調べてみたところ、成人年齢の引き下げがあったものの、成人の日自体は「二十歳の集い」と名前を変えるのみで式典自体は従前のままという自治体も多いとのこと。それならばと、ここもタイトルを変えただけで2002年4月2日から2003年4月1日で進めることにします。

自動車の平均耐用年数や自動車税制の重課等からすると、18年というのも一理ある気はするのですが、20年で続けてきたものを変えるとなると、空白期間が出来てしまいますし、かといって「複数年分とかとても無理」なのです。

今回も自動車ガイドブックの掲載順に合わせて、メーカーのアルファベット順で、先ずは日本車から掲載していきます。

〇ダイハツ

6月9日 コペン(新発表)


10月15日 ムーヴ(フルモデルチェンジ)
12月20日 ミラ(フルモデルチェンジ)

コペン、もう20年なのだなぁと。
当時はABCトリオ同様、短期間で終わるのかなと思っていたのですが。
この種はどうしても最初に人気が集まり、あとは細くで続ける商いとなってしまいます。モデルの切り替えに伴う休止期間はあれども、20年続けたのは評価されていいと思います。

1998年に新規格への切替に伴い、全車ほぼ一斉の再スタートとなった軽自動車。ムーヴとミラはその中から先陣を切ってのモデルチェンジとなりました。トヨタの関与が強まった影響からか、質感の向上が著しかったことが記憶に残っています。MEGAWEBに展示されていた時期があったのですが、コンパクトカーの一群と比較しても、あまり差異は感じなかったような。



〇ホンダ

9月18日 モビリオ・スパイク(新発表)
10月10日 アコード(フルモデルチェンジ)


11月22日 FCX(新発表)
11月29日 フィット・アリア(新発表)


2月27日 MDX(新発表)

この中だと印象に残るはアコードです。
3枠に移行しながらも大き過ぎではないサイズ。輸出想定もあってか、作り手も手抜き無の感があり、3・4代目以来、久方ぶりに買ってもいいかなと思わされた一台でした。

登場に驚いたのは、フィットアリア。
フィットの面影をここまで残しつつでセダンを作るんだと思ったものです。プラッツでも軽く感じましたが、このクラスではセダンが作りにくいことを感じ始めたことを思い出します。



〇マツダ

5月20日 アテンザ(新発表)
8月7日 デミオ(フルモデルチェンジ)

比較的長く関係の続いたフォードが離れ、販売の最前線は大廉売を連発と先行きを心配させたのが当時のマツダ。アテンザは危惧を払拭させる会心の一撃だったと思います。

カペラから社名を変えての3枠への移行は、どうしてもクロノス姉妹を連想せずにはいられませんでしたが、こちらは幸いにも二の舞とはならず、イメージ一新も含めて成功したと言っていいでしょう。

苦しい台所事情を支えたデミオもこの年、2世代へ移行しています。
こちらは画像であえて選んだスーパーコージーが印象的でした。この仕様、昨年副社長を退任された藤原さんの提案だそうで(リンクはこちら)、今に至るマツダ快進撃の狼煙という見方もできそうな。



〇三菱

11月11日 コルト(新発表)

お家の一大事を経ての心機一転、陽の目を見た全くの新型車がコルトでした。
車名を聞いた時、どうしてもギャラン以前のモデル群の姿が脳裏に浮かんだものです。

コピーの通り、真面目で出来自体も決して悪くはなかったものの、当時のこのクラスは、先述のデミオの他、ヴィッツ、マーチ、フィットと群雄割拠の激戦区。後発で既納ユーザーも少なくとなると、不利は否めなかったかなと。



〇光岡

6月6日 レイ(フルモデルチェンジ)

記憶から完全に消されていた一台です。
キャロルベースは記憶にあるのですが、ミラジーノベースでも作っていたのですね。

ダイハツとの関係はこれだけなのかなと思いつつも、再度手を結べるとするなら。何となく埋没している感のあるミラトコットをベースにして、再現できないのかなとつい想像させられたりします。



〇日産

4月10日 モコ(新発表)
5月21日 エルグランド(フルモデルチェンジ)


7月30日 フェアレディZ(フルモデルチェンジ)
10月8日 キューブ(フルモデルチェンジ)


2月3日 ティアナ(新発表)

前年に続いて90年代からは離れた新世代群が登場しています。
コンパクト、ミニバン、クーペ、セダンと全方位に向かってもいて。後年とは異なり、まだまだ市場確保に積極的だったのだなと。

日産オリジナルの中ではティアナが記憶に残ります。前にも書いたかもですが、登場早々に試乗車を借り出していまして。運転席よりも助手席に座る人から喜ばれそうなお洒落さという評だったかと。

別枠で一番衝撃的だったのは、実はモコ。
トヨタと日産は軽自動車に参入しないと思っていただけに、OEMとはいえ、日産エンブレムを掲げての登場には驚かされたものです。その後の経緯や現況を鑑みると、歴史を作った第一歩とも思えます。



〇スズキ

1月22日 ツイン(新発表)

当時のスズキの軽自動車は、新規格以降一巡していた時期で、その谷間に出てきたビックリ箱というか。スマートの登場以降、マイクロサイズの2シーターが注目を集めていて、スズキが作るとこうなるんだ、というのが当時の感想でした。

日産で触れたモコはスズキがオリジナル。
この提供が契機となって、しばらく日産と近づくこととなります。この時期に限らず、提携先の渡り歩き方が何ともしたたかではありますね。


〇トヨタ

5月8日 イスト(新発表)
5月22日 アルファードG/アルファードV(新発表)
7月2日 プロボックス/サクシード(新発表)


8月20日 ヴォルツ(新発表)
9月13日 カルディナ(フルモデルチェンジ)


10月7日 ハイラックス・サーフ(フルモデルチェンジ)
10月7日 ランドクルーザー・プラド(フルモデルチェンジ)


10月21日 ウィル・サイファ(新発表)
11月18日 FCHV(新発表)


1月20日 ウィッシュ(新発表)
2月17日 ハリアー(フルモデルチェンジ)

日産がリバイバル期に突入したこともあり、独走の感が強くなったのがトヨタ。
改めて振り返っても、矢継ぎ早に新型を登場させている感がありますね。
国内を固めた次なる挑戦として販売台数世界一に向けての動きが始まったのが、この時期と言えそうな。厳しい書き方をすると、台数を求めるあまり手段を選ばなくなったというか。売れているライバル車に対して後追いでの正面対峙が何台か。この時期以前にも散見されてはいたのですが、ここまであからさまにやるんだ的な。この辺り、当時から評価が分断されていました。

車種数は多いのですが、セダンが一台もないのも印象的。で、登場しているのがアルファード、プラド、ハリアーと今に続く人気車達なのですから、現況を予見していたかのようでもあります。ポストセダンは模索の時期も過ぎ、移行の段に進んでいたのでしょうね。



ここからは輸入車編です。
当時の自動車ガイドブックに沿って、ブランド別ではなく当時の輸入元をアルファベット順で並べてみました。

〇アウディ

7月16日 A4カブリオレ(フルモデルチェンジ)
1月20日 RS6/RS6アバント(新発表)

〇BMW

1月10日 Z4(新発表)

〇シトロエン

9月20日 C3(新発表)

〇コーンズ・アンド・カンパニー

5月22日 マセラティ・クーペ(新発表)
5月29日 フェラーリ575Mマラネロ(新発表)


〇ダイムラー・クライスラー

4月25日 CLKクラス(フルモデルチェンジ)
6月13日 Eクラス(フルモデルチェンジ)


9月17日 マイバッハ(新発表)

〇フィアット

1月23日 ムルティプラ(新発表)

〇ゼネラルモーターズ

7月2日 オペル・ベクトラ(フルモデルチェンジ)
10月15日 オペル・スピードスター(新発表)


1月20日 サーブ9-3(フルモデルチェンジ)
2月24日 キャディラック・CTS(新発表)

〇ヒュンダイ

10月2日 TB(新発表)

〇ランドローバー

4月2日 レンジローバー(フルモデルチェンジ)

〇ポルシェ

9月26日 カイエン(新発表)

〇ルノー

11月22日 アヴァンタイム(新発表)
1月24日 ラグナ(新発表)

〇フォルクスワーゲン

5月28日 ポロ(フルモデルチェンジ)


この中で特に記憶に残るのをいくつか。

マイバッハとカイエンは、共にこのセグメントに参入するんだというのが驚きでした。当時、生き残るには台数が正義という考えが強くあって、従前とは異なる新たな展開があった中の象徴的な動きですね。

カイエンは社の発展に寄与した一方、マイバッハは期待ほどの成果には至らずとなりました。新たな商いは難しいを表していると思います。


スタイルの常識が覆されたというか、デザインに驚かされたのはムルティプラとアヴァンタイム。デザインやパッケージングはもちろん、市場に出るまでのプロセスも含めて、凄いなと思いました。

後者はまだ日産の本社が銀座にあった当時、地下駐車場に実車がとまっていて、関係者の車だろうと推測したことを覚えています。


毎年思うのですが、こんなのあったと頭の片隅から出てくる車がある一方、当たり前に見かける存在でもう20年経ったんだという車もあったりします。後者は、そういえば最近見かけなくなったと再認識することになったりしますね。

あと、毎年掲載は新発表とフルモデルチェンジに限っています。一方並行して一部改良や特別仕様車の投入も数多く行われてもいます。思惑や事情は多々あれど、今よりも国内市場が重視されていたことだけは間違いないと言えそうです。


私自身は、JZX81の修繕を図りつつ、GX81の上級仕様化に邁進していた頃となります。GX81はあまり手をかけずに乗ろうという当初の考えはどこへやら。古くて上級と新しくて中級を比較するのですから、どうしても両方に手を入れずにはいられなくなりまして。
内装以外の部品は、輸出仕様も含めて新品が問題なく出ましたし、製廃が始まっていた内装部品も廃車多数で調達に困った記憶はなく。その過程で自宅は付ける部品、予備で確保した部品、外した部品etcがどんどん増えてもいきました。当時は置き場に困らなかったのも歯止めがかからなかった理由です。

既に3世代前となっていた普通のセダンを2台並べた挙句、新車も買えていたであろう出費を投じています。その結果、一般的なカーライフでは先ず得られないであろう知識と経験が習得できました。今より遥かに趣味的でかつ没頭していたのは間違いなく。「20年前に戻れたと仮定して、もう一回同じ選択をするのか?」と問われたら、回答はしばらく考え込んでしまうのですけれどね。


【画像の出展】
・ミラ、ムーヴ、レイ:自動車ガイドブック
・他車:FavCars.com
Posted at 2023/01/09 06:29:35 | コメント(12) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ

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