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2020年07月29日 イイね!

A250 4MATIC Sedanの試乗車をレンタル

A250 4MATIC Sedanの試乗車をレンタル車検期間中の代車として約230km使用。
2020年3月登録で約1,500kmの状態。

先ず最初に、この国ではセダンが売れないと判断され、廃止や統合が相次ぐ中、このサイズのセダンが導入されたことは、とても嬉しくかつありがたく思います。SSS-ATTESA LIMITED、VR-4、B4-GT etc、ターボ付の4WDセダンは、日本車のお家芸だと思っていたのですけれども。

W204に長く乗り、W205を借りる度に「いいクルマだけれど、やや大きいんだよな」と思っていた自身にとっては、このサイズは本当に使いやすいと改めて再認識しました。

成り立ちからしても機能からしても、久方ぶりに登場した小さな高級セダン。A200dでも充分かなと思いつつも、小さな高級車を満喫するなら、4MATICでリヤサスがマルチリンクになるA250が欲しくなります。同じ理由からAMGラインは個人的に不要。

どうやら販売は苦戦気味のようで、A250は大幅値引きの噂がチラホラ。本当に貴重な存在ですので、輸入元には細く長くの心意気で改良を図りつつの輸入継続をお願いしたいところ。売れ線を狙ってのAMGラインの標準化や輸入中止とならないことを祈るばかりです。

注文を付けたい点はあり、サイズを不問にした時の絶対的バリューはC180が勝るとも思えるため、セダン派に勧められる存在かで判断して☆4つ。

その上で個人的には今クルマを買おうとするなら(買うとは書きません)最有力の候補。また、応援もし続けたい存在と書き添えることにします。
Posted at 2020/07/29 19:22:05 | コメント(2) | クルマレビュー
2020年07月25日 イイね!

1984年のローレルのカタログ(後編)

1984年のローレルをお題にした雑談を続ける前に余談を少々。

前編を掲載後、ローレルがオリンピック繋がりであることに気づきました。
決して意図的ではなく、偶然の巡り合わせだけなのですが、上手く嵌ったものだなと自画自賛。

念のため、自動車ガイドブックに掲載されていた、ローレルの車名由来を掲載しておきます。

引用ここから*****
ローレルの車名の由来は、月桂樹、月桂冠、栄誉、勝利を意味する英語。月桂樹はギリシャ神話のアポロの神(太陽の神)の霊木といわれる樹木。月桂冠は最も名誉ある地位の象徴。オリンピアの優勝者の象徴とされてきた。
*****引用ここまで

思い返してみると、グレード名のメダリストも、ローレルの車名由来だった筈で。だとすると、ノートメダリストは・・・以下略(笑)


今回も文字数が多いので、余談はこのくらいで後編に入っていきます。



代表グレードの紹介の後は、豪華さを誇るクルマらしく、装備の紹介となります。

中間グレードとなるグランドエクストラでも、フル装備の内、A/Cを除く、C/S、P/S、P/Wは標準装備。メダリストではさらにオートエアコン、高機能のラジオ&カセットステレオが標準となります。

メダリストのオプションには、光通信ステアリング(先に設定されたF30用の流用ですね)、デジタルメーター(掲載のないグランドクルーズでは標準)等、当時の先進装備が選択可能。X703兄弟とは異なり、デジタルメーターの装着車は少なかったように記憶しています。

A.S.C.Dは、標準ステアリング用のライトスイッチ組込式と光通信ステアリング用の2種類を設定。A.S.C.Dは単品装着可能かつデジタルメーターとA.S.C.Dを同時装着すると光通信もセットだったためのようです。部品統合の観点からすれば、片方だけでいいじゃないかとなりそうで、きめ細かい設定ですね。

同じく掲載のない最上級メダリストエミネンスでは、その他に世界初となるオートリフレックスミラーと日本初となるヘッドランプレベライザーを選択可能。設定の関係で同時装着は不可能だったようですが、どちらも今では電動格納ミラー同様、装着率が飛躍的に増えた装備でありまして、改めて見るとその先進性に驚かされたりします。

バンパーの設定の関係で、バックスキャナーはグランドエクストラのみのオプション。前期Y30も同様の設定ながら、リヤバンパーに大きめのセンサーを4つ吊り下げるというのは何とも大袈裟ではありました。


ここで私感を少々。
ローレルの装備自体は、このクラスらしく豪華なのですが、最大のライバルだったX703兄弟と比較すると、デザイン面でもう一歩かなの所が散見できたりします。

オーディオ、エアコン、デジパネ、何れも同乗者に自慢する対象となる筈なのですけれどね。比較用にX70のものを掲載。



両車間で機能自体の差はそれほど無い筈なだけに、見た目の差は何とも勿体ない感が強く。ここまでの日産の特徴の一つではありましたし、Y31以降は改善される部分ですけれどね。





カタログの最後はメカニズムの紹介です。
この部分はC32の特徴がありますので、少し長めに。

有名な話ですのでご存じの方も多いかと思いますが、日産は1983年にモデルチェンジしたY30セドリック/グロリアで、”高級車はV”と華々しくV6をデビューさせた翌年、このローレルで新たな直6を発表させるに至りました。

誰もが、長年続けたL型6気筒の後継はV6と思っていた中での新型直6の登場は、それだけでも驚きだったのですが、さらに驚かされたのは、”ターボはV6・ノンターボは直6”という設定。当時の「間違いだらけ~」では、「メンツなき戦い」と評されています。

どうしてこんな設定を?という理由は、当時のインタビュー記事から引用してみます。

引用ここから*****

高原 エンジンは一時すべて、VG型になるかと思っていたら、L20型の後継となる直6のRB20ユニットが登場して、意外という感じがするんです。VGと直6の2本立てにする経緯と、各々の特質をうかがいたいんですが?

西岡 V型一本に絞るためにVを出した訳ではないんです。Vエンジンは、直に比べて構造が複雑でメリットとしては、全長が短くて、剛性はよくて、音振的に有利ということと、かつFF化の時代で横に積みやすいということもありまして、6気筒の中でも高級と考えてます。今回もVと直ではVの方が高級感があると思うんです。
 日産自動車は日本の二大メーカーで、エンジンの開発力からいけば、6気筒を1つのエンジンに割切らず、今までの直6のノウハウをVに入れながら、両方のメリットを追求していけばいいんじゃないかと思います。日産には2種類やる力があると思います。直6は実用的で作り易く、当社の車のラインアップでは、2Lの6気筒でVGは一応主流なんですが、1つのエンジンでは物足りないんですね。そこで高級志向と実用志向のエンジンの2本立てでいくつもりです。
 特にローレルの場合は”セドリック/グロリアに乗りたいんだけど、取引先との関係からローレルにする”という感覚のお客様とか”大衆車クラスのブルーバードでいいんだけど、ドンガラだけでもローレルに乗りたい”というお客様があってワイドバリエーションなんですね。そのお客様の要望に応えるために、高いものから安いものまで揃える必要があるんです。6気筒の2LをVだけに絞ってしまうわけにはいかないんですね。4気筒との間に差が開きすぎますので。
 我々開発者としては、Vのターボ、ノンターボを載せる方が楽なんです。あえて2つにしたのはローレルという車が日産にとってメインの車種ですので、そのお客様のワイドバリエーションに応えなければならないということで、2つのエンジンを載せさせてもらいました。日本人はすぐ「Vと直ではどちらがいいか」ということになるんですが、そう簡単に割り切れるものじゃないですね。設計的にはVの方が、載せ易く、クランクシャフトの剛性がよくて静かになるだろうということですね。


高原 直6の場合はVにそういう面で劣るかわりに、シンプルにできるから価格的に安くできるということですね。

西岡 実用機能に優れるのは直6ですね。

*****引用ここまで

この時点のRBは、2Lのシングルカムのみということもあり、RBは実用志向という説明をされていますね。これまたご存じの通り、後にRBはエンジンバリエーションを拡げてVGとの並行設定的存在となっていきます。

同時に引用中の、「日産自動車は日本の二大メーカー」「日産には2種類やる力がある」、この辺りの自負に本音が表れているのかなとも。

ここは推測ですけれど、スカG=直6という認識が、L20を延命させ、RBの登場に至らせたと思っています。L20の延命が一足先に新世代の直6である1Gを掲げた3兄弟のシェア逆転を許し、6気筒の2本立てが日産の財務体質を苦しめた要因の一つだとしたら…。個人的名車認定のR32は、RBあってこそとは思うので、この時の選択を否定する一方ではないのですけれども。

今となっては、選択云々ではなく、二大メーカーの自負を遠くに感じてしまったりしますね。。。


新登場のRBの特徴についても引用で掲載してみます。

引用ここから*****

高原 RBで意外に思われたのは、最近のエンジンとしては大きいということなんです。V型から3Lまで排気量はカバーできるんだから、直6は2Lオンリーにして、もっとコンパクトになるんじゃないかと思っていたもんで。ある大きさとゆとりを持たせたのはどんなお考えからですか?

西岡 直というのは3Lまで考えてたんです。あえて直6をそんなに縮める必要があるだろうかと考えたんです。レイアウト的に考えてもエンジンの長さでエンジンルームの長さが決まるわけではありませんのでね。日本の法規制では、小型車は車幅が1700mmとなってますし、直を横にしないで縦に積むとすれば、エンジンルームのレイアウトは制限されるんです。補器類のレイアウトによってね。そういう意味で効率的に縦に積んで鼻の長さをエンジンで制限されない長さを割り出したんです。あれ以上短くしてもシュラウドが長くなるだけで、メリットはないですね。
 今回のRBエンジンで五感に訴えることを考えてるんですが、エンジンを短くしてやたら軽量化することは必ずしも車とのマッチングからすると音と振動的にはよくないんですね。例えばエンジンマウントを支える振動レベルを調べますと、振動レベルの少ないものは重量とか長さのバランスがうまく取れているんですね。ホントに車を考えたエンジンにしています。最終型のL20にしても、途中で大改良を加えていますので、初期型より19kgくらい軽くなってます。Vに比べれば若干重いんですが。前に述べた理由からです。


高原 長い間かかって改良を重ねてきて、これ以上良くするには新しくしなけりゃならないということで、RB型は今までのL20型の改良のノウハウの集大成なんじゃないかと思いますね。

西岡 ですから、新機構というのはないんですが、今まで積み重ねてきたノウハウの基本に忠実にやってきたら、あのようなレスポンスになったんです。

高原 クランクピン系を小さくしたり、カムカバーに樹脂を用いて新しいアプローチも見られますね。圧縮比をうかがいたいんですが?

西岡 9.5まで上げています。これも技術の蓄積の表れだと思ってます。

高原 ノッキングの方はいかがですか?

西岡 ノックセンサーをつけましてできるだけノッキングの限界まで使えるようにしてあります。

高原 ターボ以外にもE型エンジンでノックセンサーを付けたというようなアプローチのノウハウを使ってるんですね。今まで出してきた新世代エンジンのプラズマのよい所をつぎ込んで作った新しいエンジンですね。

西岡 Vを発表してから1年経ちますが、そのノウハウも使ってます。

高原 Vからフィードバックするのは具体的にどんなことですか?

西岡 燃焼室とかです。

高原 L20型では片持式のアームが、シーソー型アームに変わって一見大きくなってますので不利な気がしますが?

西岡 今回の方式のほうがよいんです、振動そのものがね。

*****引用ここまで

高原氏の念頭には、先行の1Gが確実にありますね。
1Gと比較した時のRB20は、明らかに大きく重い存在だったから、質問に至った。そんな構図です。

でも、この時の選択は日産が正解。
自動車税制の緩和により、2L以上の選択が容易になった時に、1Gには排気量アップの余地がなく、新たにJZ型を開発せざるを得なかったトヨタに対して、RBは排気量アップが可能でしたからね。

そのアドバンテージを生かせず商機を逃したというのは、これまで何回か書いていますので、ここでは割愛します。

RB20は後発のメリットもあり、当時の加速テスト等では、1G-Eを遥かに凌ぐタイムを残していたりします。ATの制御が電子と油圧の差もあり、速さでは確実にRB有利でした。


ハイパワーモデルは、3兄弟が1G-G(160ps)&M-T(145ps)、ローレルがVG20ET(170ps)の対決。もちろんスペック通り、ローレルが速かったわけです。
1G-GのATは、低中速のトロさが随分書かれましたし、M-Tは販売比率からして少数。このクラスではもはや主流となっていたATでは、その差も大きかったように思います。

CA18に関しては、走り云々という仕様ではありませんので割愛。
一つ取り上げるとするなら、オートマの比率が急上昇していた中にあって、この代から1800にも4速ATが採用されるようになったのは大きいかなとは。

LD28は掲載自体が略。
寒冷地では結構売れた筈なのですけれどね。登場時点でRD28は間に合わなかったという説明があったようで、事実、翌年夏に行われたY30のマイナーチェンジでお披露目されていますから、あえて表に出す必要を感じずだったのかなとは。


エンジンに続いてはサスペンション関係の話です。ここも引用から。

引用ここから*****

高原 サスペンション関係についてですが、従来も上級車は4輪独立系とリヤリジッドの2本立てなんですが、今回、その点について新しくつぎ込まれたものは?

西岡 今回、足回りでは、ステアリング系をラック&ピニオンにして、快適なドライブができるようにしました。それに伴ってフロントのサスペンション、ステアリング剛性が上がりますので、従来の後ろ足は鈍くしてありましたが、今回は前が速く反応しますので後もそれに合わせて早く反応するようにジオトメリーを変えてあります。簡単に言いますとアクスルステアがつくような格好にしてあります。

高原 全体的な傾向としては、ローアンダーステアが大きめの形になっているようなんですが、今までより速くなったとかステアリングの切れがシャープになったためですか?

西岡 そうです。ステアリングがトータルで弱アンダーなんで変えてないんですが、前の剛性が上がって切れがよくなったんで後もそれに合わせた感じです。切れ味が鋭くなりました。

*****引用ここまで

ローレルは元々、初代でラック&ピニオンを採用したものの、2代目以降リサーキュレーティングボールに変更されていました。
ラック&ピニオンが見直される契機となったのが、1979年登場の910ブルーバード。翌年に登場したレパードは、910のロング版と成り立ちからラック&ピニオンを採用したものの、その直後に登場したC31ではラック&ピニオンを採用せずとなりました。当時の専門誌には、その理由について書かれているものがあるものの、決定的なものではなかったように思います。

X603兄弟は、シャシーを先代からキャリーオーバーしていたため、こちらもリサーキュレーティングボールを踏襲。

ここでラック&ピニオンが出揃う形となります。
ローレルのステアリングに関しては、2670mmというホイールベースでありながら、最小回転半径4.9mという小ささも称賛したいところ。最小回転半径5.0mのX80ですら、相当小回りが利く印象でしたから、こちらは尚更でしょうね。


ここまでのローレルのサスペンション設定に関する、最大の疑問については、ズバリ聞かれていますので、そのまま引用。

引用ここから*****

高原 いつもローレルについて思うんですが、スカイラインでは全車に6気筒系は4輪独立懸架を採用してるんですが、ローレルはセダンのノンターボのは6気筒であってもリジッドアクスルになってしまうのはなぜですか?

西岡 Vのターボは全部IRS。6気筒のRBのノンターボのセダンの方は5リンク、ハードトップの方はIRSですが、その理由はローレルのコンセプトの中でハードトップのほうが走りの車で、かつVのほうがさらに走りの車ですからIRSなんです。ローレルの走りは”悪路走破性ではありません”ので、主に高速道路で車線変更するような欧州の高速道路の発達しているような走りをメインにしています。で、もう5リンクで十分だろうと考えてます。山坂の悪路をローレルのお客様は先ず走りませんのでね。日本的な走りの方向の車にはIRSということです。ローレルを欧州に持っていく2.4Lの車は全てリジッドです。

高原 今回はお客様から、4輪独立にしてほしいという要望はありませんか?

西岡 あんまりありません。走っていただくと、高速操安性はIRSと5リンクは差がないです。高速操安性は甲乙つけ難いですね。

高原 十分だからセダン系は全てリジッドということですね。

西岡 IRSのほうが原価は高いですから、5リンクのほうはその分、便利な自動装置をつけるほうがお客様にはよろしかろうと思います。

*****引用ここまで

ここも、元々初代は全車4輪独立懸架を採用していました。2代目で、セダンはリーフリジッド、ハードトップはIRSと分けられています。その後、リーフはコイルに変更され、セダンでも上級車はIRS、ハードトップでも4気筒系はリジッドという複雑な経緯を辿っています。

結果、この時点では4気筒系とディーゼルは全車リジッド。6気筒系は説明されている内容の設定とされています。

マークIIは、IRSの採用こそ3代目からと出遅れるものの、ボディ形状による分けはなく、上級車はIRS、中級以下はリジッドで統一。スカイラインもGTは、全車IRS。セダンメダリスト等で比較をしたときに、気になる点ではあったのです。

ここで取り上げた説明も、Y31登場時の対談やその後の経緯からすると、やや疑問に思うところはあるものの、この時点ではY30も全車リジッドですし、リジッドでも充分というのも、想いとしては確実に持たれていたのでしょうね。





最後に装備一覧表と主要諸元が掲載された裏表紙を掲載します。

グランドエクストラでも、ミドルクラスの上級グレードとほぼ同等の装備設定。メダリストだと、このクラスで求められる更なる上級装備が備わるといった違いですね。

ボディサイズは、ほぼ小型車枠の上限。ここに6気筒の2000を搭載するというのが、庶民の憧れであり贅沢でもありました。4気筒の1800はその一歩手前。


といったところで、いかがだったでしょうか。
ローレルが主役でありながら、何かと3兄弟を登場させてしまった感はありますが、当時の作り手・売り手・買い手、誰も意識しなかった人はいない筈なので、決して恣意的ではありませんと先ず言い訳を掲げつつ。

このC32ローレルですが、登場当初は結構売れていたように思います。ようやくの感すらあったRB20が好評だったことも大きいでしょう。何より当時は、ハイソカーブームの真っ只中で、このクラスが良く売れる環境が構築されてもいました。

しかしながら、ライバル車が強過ぎたのももう一つの事実。
3兄弟、メーカーの想定台数すら超えて、社会現象として分析されるくらいの存在となっているわけです。

実は3兄弟と比較をした時に、ローレルが決定的に劣る部分って、見当たらないんですね。性能面ではエンジン等、勝っていた部分だってあります。


で、販売台数で大きな差が付いた理由が何かと考えると。

思い当たるのは、装備の部分で一例として取り上げたデザイン等のきめ細かい仕上げの部分。今でもその風潮は残っていると認識するのですけれど、日本人の選定眼って、細かいんですね。スタイリングにしても、フォルム全体だけでなく、レンズ形状一つだけで好き嫌いが分かれたりします。内装のデザインだって同様。
この辺り3兄弟には、ローレル以上の細心さがあったのじゃないかなと。
もしかすると、個々は微妙な違いなのかもしれませんが、積み上げると大きな違いと判定され、販売台数に反映した。そんな風に思えるんですよね。

もう一つは、ハイソカー路線に振れたR31スカイラインの存在。
C32から約1年遅れて登場したR31スカイラインは、ご存じの通り、歴代で最もローレルに近寄っています。ツインカム・シングルカムの両方にターボ有無の4形式をRBでずらりと並べ、内装にはボタン引きルースクッションまで選択可能とされては、先発のローレルは霞んでしまいがちとなってしまいました。

C32以前も、登場順はローレル→スカイラインとなっていて、大なり小なりの影響はあった筈なのですが、コンセプトまでが粗方重なってしまうとなると。C32にとっては不運だったと思います。


その後は、フロントマスクを一新するという結構大きな規模のマイナーチェンジを実施。デザインとしては、前期に日産らしさがある一方、後期はこなれた感を受けます。一般的には好意的に受け入れられた変更かなと。RB20DETを新たな最上級として迎え、VG20ETの立場を微妙にしちゃった辺りは、見解が分かれるかもですけれど。

あとは末期に向けて魅力的な特別仕様車をいくつか出した後、C33の登場に至ります。
その間、何より日産という会社が大きく変わっていますね。

C32は、セダン・ハードトップ、直とV、IRSとリジッド、国内と輸出、ここにローレルとスカイラインを含めてもいいでしょう、色々要素が絡んでいました。これがC33(とR32)では、選択と集中が行われてスッキリと整理されています。

C33は、スッキリとしたことでコンセプトや商品像が明確になりました。とてもスタイリッシュで、少なくとも登場時点では3兄弟に劣らない商品性がありました。C33とR32、私は歴代で最も輝いていた世代だと思うのです。

もっとも、そう書いた上で、C33へ変わる際に切り捨てられた部分も惜しかったりはするんですけれどね。X80セダンを長く偏愛した身としては、ローレル最後のセダンとなるC32は、X80と重なるものが多過ぎて、見過ごすことはできません。

このセダン、営業車のみが10年近くのロングセラーとなった後、クルーがコンポーネンツを引き継ぎ、ローレルの車名が消された後も花を咲かせ続けることとなります。


C32は、日産の混迷期の登場と見做されることもあり、注目を集めることは少ない世代かと思います。でも、こうして調べてみると、色々興味深い部分も存在しています。拙ブログが再考される切っ掛けとなれれば、ありがたく存じます。

文中のX70の画像の引用:CARandDRIVER誌、1984年10-26号 DRIVING REPORTより 
Posted at 2020/07/25 21:46:09 | コメント(8) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2020年07月22日 イイね!

1984年のローレルのカタログ(前編)

1984年のローレルのカタログ(前編)当初の予定ではオリンピックの開催日だったということで、4連休を迎えています。昨今のコロナ禍の影響により、オリンピックは1年延期となり、東京都に至っては外出自粛要請が出されるまでに。

折角の連休なのに…と恨み言の一つも言いたくなるところですが、そこは口に出さず、自宅でやれそうなことを楽しむのが大人の作法なのです、きっと(笑)

そんなこんなでブログの更新ということで。

今回は、1984年にモデルチェンジをしたローレル、形式名:C32型について、前後編に分けつつで取り上げることにします。

掲載するカタログは、売れ筋に特化した登場当初の簡易版となります。



最初の見開きでは、この世代のキャッチコピーである「ビバリーヒルズの共感」が掲げられています。
先代のC31型では、「アウトバーンの旋風(かぜ)」をキャッチコピーにして、空力的なスタイリング(空気抵抗係数:CD値が注目を集めていますね)を筆頭に、走りの良さを謳っていましたが、この世代では一転して北米の西海岸にポイントを移しています。

恐らく背景には、80年代初頭にカルチャーブームとなったアメリカ西海岸のムーブメントからの影響があったはずです。西海岸の中でも全米有数の高級住宅街である当地にイメージを重ねることで、高級感を訴えるというのは、上手いアピールではありました。

ツッコミを入れると、そもそもC32は北米輸出はされていない、ましてやハードトップの輸出は中近東のみでしょ、となるのですが、そこはマニア視点の野暮な話ということで(笑)。当時のアメリカ車風味も感じられるデザインからすると、セダンにVG30Eを積んで北米に出しても一定数は売れた気もしますが、ブルーバードマキシマとの競合を避けたのでしょうね。

そんなビバリーヒルズですが、比較的短期間でキャッチコピーは変えられ、新たに「グレードの薫り」を謳うようになります。





イメージリーダーとなる、4ドアハードトップV20ターボメダリストが特別塗装色プレステージホワイトツートンで掲載されています。

グレード設定としては、この上の最上級としてメダリストエミネンスが存在していたのですが、こちらの想定は「セドリックだと対外的にまずいのでローレルの一番高いのが欲しい」だった筈で、あくまでもメダリストが販売の主力にありました。

このツートンは、後掲するホワイトと異なり、サイドモールがカラードとなることで見栄えが向上。実際ホワイト以上に見かけたように思います。ホワイトのツートンではもう一色、下半分をライトグリーンに塗ったものも設定されていたのですが、こちらは見かけることも少なく、カラー設定としても前期の途中で落とされているようです。

今視点で振り返ると、上半分にホワイト、下半分にベージュ/ライトグリーンの塗分けって、カラードモールも含めて、X80系マークII3兄弟のツートンの設定と同じなんですよね。後で掲載するブラックツートンといい、明らかに真似て影響されているよな、としみじみ。

明らかに派手、いや今風の言い方だと存在感のある、このフロントマスクについては、「当初中近東向けのみの想定で、社内で好評だったことから国内用にも共用した」という記述が1985年版間違いだらけのクルマ選びにあったりします。
GULFクレシーダにも通ずる装いであり、納得させられるものがありますね。

RB20の方でしたけれど、この色のハードトップは中学校の体育の先生が買われていて、当時学校の中では屈指のいいクルマだったんじゃないかな。校長先生がGX71のセダンLGだったことも記憶にあり。「最初はソアラを検討したけれど、派手かなと思ったからこっちにした。」とか話されていたのを聞いた記憶があります。





前ページで掲載したグレードの内装が、電動格納式ミラーと共に掲載されています。

マルーン色のインテリアカラーは、この時期らしいもの。
シートは、エグゼクティブ・ルースクッションを謳っていますが、デザイン自体は上級車となるセドリック/グロリアや、マークII3兄弟のボタン引きと比較すると比較的大人しいものに感じられます。その分、ドアトリムの造形は結構派手かな、ですけれど。

インパネは、先代でも内部構造を一新していますが、再びの一新。
先代では、横幅150mmのオーディオを横に並べると共に、空調スイッチも横に広げることで、インパネの高さを抑え、フロアコンソールと分離していました。このレイアウトは開放感のあるものでしたが、豪華さに欠けると評されたのでしょうね。
この代では一転して、オーディオは横幅180mmのオーディオを縦に2.5段配置、その他スイッチ類も高さ方向に展開して、重厚な高級感を感じさせるものとなりました。R31スカイライン・F31レパード前期にも内部構造は共用で展開されるレイアウトですね。絶壁インパネとも評される、このデザインは、X60系マークIIにスイッチや計器類の配置を含めて影響されたと思っています。

いくつかの特徴を持つC32ローレルですが、最大の功績は、ここに取り上げられている電動格納式ドアミラーの採用であることは揺らがないでしょう。その後の展開は言うまでもなく、自社のみに留まらず、瞬く間に他社も採用、国内だけでなく海外ブランドも取り入れる装備となりました。今では標準アイテムの一つと言っても過言ではないかと認識します。その全ての端緒がここに存在します。
当初は、「こんなもの不要」やら「なくても困らないが、あると便利」といった評価でありまして、ギミックの一つと思われたのでしょうね。





販売のメイングレードとなる、4ドアハードトップRB20メダリストがホワイトのボディカラーで掲載されています。

こちらのホワイトは、初期は後の主流となるクリスタルホワイトではないこと(前期の途中で色変更が入っています)、モールが黒となることから、上で書いた通り、ツートンよりも少なかったように思います。もっとも、当時はホワイトシンドロームの渦中ということで、初期の販売動向では、ツートン系を含むホワイトだけで、実に84%を占めていたようです。

先代からの継承となる6ライトキャビンを採用したスタイリングは、直線基調で平面絞りも少なく、寸法以上の大きさを感じさせるものでした。先代は空気抵抗係数の小ささを謳う通り、どちらかというとシンプルかつスリークな印象を受けるものでしたが、ここも豪華さに欠けると評される要因とされたようで、マイナーチェンジで軌道修正を図りつつ、ここで濃厚長大路線に舵を切ることになります。
6ライトのピラーレスハードトップは、この時期の日産の特徴で、恐らくグラッシーなキャビンを狙ってのものと推測しますが、ここも大きく見せる要因かなと。
先代では、マイナーチェンジ時点でリヤのナンバープレートをテールランプの位置からバンパー下に移す変更をしていますが、再びナンバープレートの位置は戻されていたりします。

マークII3兄弟は、同じグレード名ながらも、ツインカム24のみ内装の仕立てが上級となっていましたが、ローレルは歴代エンジン間での仕立ての差は少なく、それはこの世代でも共通でした。
RB20が見劣りしない反面、V20ターボに注目が集まらなかった理由の一つでしょうね。日産としては、RB20に注目してほしかった節がありますので、この設定で正解だったのでしょう。初期受注こそ、RB20が42%、VG20が30%だったようですが、後にはVGが減り、その分RBが増えていたのは間違いなく。





もう一つのボディ形状となる、4ドアセダンRB20メダリストです。
マークIIと同様に、販売の主力はセダンからハードトップに移っていた時期で、同じく初期受注では、ハードトップが76%、セダンが24%という状況だったようです。これは営業車等も含めての数字でしょうから、次世代でハードトップに絞るという選択も仕方ないように思います。

ボディの形状としては、いつもの如くセンターピラーを有するセダンに一票を投じますが、純粋にスタイリングとしてはハードトップの方が良い出来に感じます。
このC32、意外とAピラーが寝かされていて、Cピラーを寝かせつつで下端を後ろ側に置いたハードトップの方が収まりが良いように映るのです。セダンは6ライトの部分もやや窮屈かな。セダンにはトランクの開口要件があったのかな、というのは推測。

掲載されているボディカラーは、これまた初期型のみの設定となるインペリアルブラックツートン。威風堂々を狙っての設定かと思いますが、ホワイト全盛期にあっては意図が受け入れられたとは言えず、後にディープシルバーツートンに差し替えられます。
このツートン、スポーティのアピールには効果的で、後にレパードやスカイラインで受け入れられていますね。

またまた私事で恐縮ですが、これと全く同じ仕様が通学途中の事務所に置いてあったことが記憶に残っています。当時としても珍しい仕様で、中々立派だなというのが印象として残り。前車は記憶失念ですが、次車はC33のダークグリーンをやはりモデルチェンジ直後に買われていて、ローレル党だったのでしょうね。





続いては、4ドアハードトップCA18グランドエクストラです。

歴史を遡ると、C231で1800にSGLを設定して、エンジンで贅沢をせず見た目や装備で贅沢をする、という市場を開拓したのがローレルでした。

先代末期では半ば特別仕様の扱いでしたが、この代で正式にSGLの後を継いでいます。
先代のグランドエクストラでは、ベースはSGLながらもメダリストに近づけた装いでしたが、再び外観での差別化が行われています。実は、個人的にはバンパーの形状、ホイールキャップのデザイン等、メダリストよりもシンプルなこちらが好み。これまた豪華さに欠けるという評価だったのか、途中でホイールキャップはメダリスト用が共用されるようになりますし、さらに1800版のメダリストとなる、グランドエクストラリミテッドが追加されることとなるのですけれど。

チェイサーやスカイラインほどではないにせよ、1800が販路の一つだったことは間違いないようで、上記の通り結構力の入った設定でありました。

ボディカラーのディープワインは、さすがに当時も見かけた記憶はあまりなく。





前編の最後に掲載するのは、4ドアセダンCA18グランドエクストラです。

前言を翻すかのようですが、リヤからの眺めだとセダンもいいかなと。起こされたCピラーの造形等、同時代のボルボ740/760に重なるものを感じたりします。
ボディカラーのシルバー、グレーの内装と相まって、地味ながらも上質という私の好みにはズバリ。

半ば余談となりますが、ヨーロッパへの輸出仕様は、こちらのバンパー等をベースにメッキの替わりにカラードのディテールを増やした仕様と記憶していて(残念ながら画像は発掘できず)、結構カッコよく映った記憶があります。欧州向けの搭載エンジンは、当初CA20S・L24E・LD28で、後にVG30Eの追加とLD28からRD28への変更が行われているようです。

話を元に戻して、この種の1800が売れ筋の一つだった理由については、価格設定が要因の一つにありました。
当時の東京地区の新車価格を確認してみたところ、1800の代表車種であるコロナ1800EXサルーンが154.6万円(AT車、以下同)、ブルーバードセダン1800SLX-Gが154.3万円のところ、このローレルは158.5万円だったようで、ちょっと背伸びという感覚は理解できるものがあります。

こうした価格設定は、FF化での多大な投資の反映が見られた一クラス下に対して、従前からのFRでの継続というのが可能にしていたのでしょう。事実、80年代初頭よりも価格差は縮まってもいます。
チェイサー、スカイライン、ローレルはいずれも販売系列にミドルクラスを持たないというハンデがありましたから、こうした1800というのはミドルクラスを希望するお客様へのアプローチ手段でもあったのです。1800で入門してもらって、次には2000に繋げるというのも当時の重要な戦略ではあり。


続いて、当時の月刊自家用車誌に掲載されていた車種別総合研究、C32ローレルの回における対談記事から、スタイリングに関する部分を抜粋してみます。

対談されているのは、当時、高原誠のペンネームを使われていたモータージャーナリストの川島茂夫氏と当時、商品開発室の主任担当役員をされていた西岡興洋氏のお二方となります。

抜粋ここから*****

高原 スタイリングは全体的にウエッジで、部分的には絞り込んだり曲面的な処理をしたりが主流だと思うんですが、その点、先代のローレルやレパードを見る限りでは、日産さんは積極的にアプローチなさってましたね。今回のローレルは直線的でボクシーなんで驚かされたんですが?

西岡 C31の時と日本の市場が違ってまして、ローレルのお客様はオーソドックスな感じを好まれますので、斬新的なものより後からついてという感じがローレルなんですね。今までのスタイルに関しての行き過ぎた面を戻してみました。フラッシュサーフェス化をやりながら、近代化のあるようなダイナミックさを表現しました。

高原 細かい配慮があるようですが、あのスタイリングから空気抵抗係数がとても想像できない値なんで驚いてますが、やはりこれはフラッシュサーフェス化によるものですか。

西岡 ええ、もう一つはフロントフードの先端をめくってみますと0.01くらい変わるんですね。リヤのトランクとか、アンダーカバー等への配慮の積み重ねで値が変わります。

高原 平面上はあまり絞り込んでないようですが、見た目に大きく見えますね。

西岡 今回はローレルの外観を変えずに、大きく見せることに努力しました。

高原 旧型よりだいぶセドリック/グロリアに近づいた感じがしますが・・・。

西岡 豪華に大きく格調高い表現を目指しました。

*****抜粋ここまで

要約すると、先代で新たなアプローチをしたものの受け入れられなかったため、(C231以前の路線に)戻したとなるかと思います。今も風潮は残っているように思うのですが、当時のこのクラスにおいては小さく見えるというのは、販売上の結構なハンデだったのです。ミドルクラスの横幅が広がってきて、クラスの違いを表現する必要が増したというのも、もう一つの背景ですね。5枠の上限が窮屈になり始めた頃でもありました。

ちょうど画像がありましたので、ここで歴代の画像を、C231、C31前期、C31後期、C32の順で並べてみます。インタビュー記事との対比やモデル間の表現方法の違い等を感じ取ってもらえれば幸いです。

先ずはセダンです





続いてはハードトップ





この中ではC31前期のセダンが一番のグッドルッキンと高く評価する一方、C231セダンの重厚感やバランスの良さにも魅かれるものがあります。
スタイリングは好みもあるので、それ以下の順位付けは避けておくということで。

前編の割に、すっかり長くなってしまいました。
C32については、ご存じの通りメカニズムについても取り上げるべき内容があるのですが、その辺りは後編に送ることにいたします。

文中の引用
販売比率:CARandDRIVER誌、1985年2月10日号のロードテスト第19回より
新車価格:月刊自家用車誌、1985年7月号掲載の東京地区新車販売価格より
対談記事:月刊自家用車誌、1985年1月号掲載の車種別総合研究より
歴代の画像:FavCars.comより
Posted at 2020/07/22 22:51:45 | コメント(7) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2020年07月17日 イイね!

車検準備に着手

コロナ禍の影響により、整備部門が忙しいという話を聞き及んでいることもあり、3回目の車検の手配を始めております。今回は谷間の回ということで、そんな雑談となります。

巷で蔓延る、年数を経るとウナギ登りに整備費用が嵩む車という定評に加えて、自車は7年経過の走行7万キロoverということで、一体どれぐらいの車検費用が掛かるのか、興味津々かつ戦々恐々でありました。

車検に関する販売店のお勧めは、3ヶ月前からの事前立ち合い説明で見積もり、整備内容を確定、車検自体は1~2日で終わらせるというもの。これなら、車検整備で手を付け始めてからのトラブルは避けられますし、あわよくば代替に繋がる可能性も高いですからね。もちろん、きっちりと3ヶ月前には、ご案内が届いております(笑)

私自身は、今のところ代替する気持ちも、代替を可能にするだけの財源も持ち合わせてはいませんが、突然の高額請求に慌てないためにも、また覚悟を決めるためにも、事前の見積もりはありがたく。かくして、先週末の入庫予約を済ませたのです。


事前の点検に要した時間は、1時間強。

その間、通常の点検等ではあまり接する機会のない担当営業氏が来られたので、しばしの雑談。
新型車は、入庫の都度お借りしていることもあり、良さは充分理解しているつもりです。質素な自車と比べれば、豪華で見栄えもしますし、何より近年の安全装備の充実ぶりには感心もさせられます。
でも、その分、新車価格も確実に上昇。自分が購入した時には400万円を切る価格をアピールしていたC180が、今や普通に注文できるグレードは500万円越え。C200やC220dに至ってはさらに+100万円ですからね。一方ではリセールの崩壊もまざまざと。1年落ちのデモカー上りが大量に格安で出回っている状況では、少々の値引きくらいでは新車の割高感は拭えず。今やセグメント内ではコンパクトなボディサイズとはいえ、自車よりも大きいのは気になるところでもあり。
ボディサイズの点では、昨年登場したAクラスセダンがいい感じなのですが、登場したばかりなら、別に熟成を待ってからでも遅くはありません。このメーカーに関しては、モデルライフの中で、改良・装備の充実・信頼性の向上>バリューエンジニアリングと見受けているのです。

新車がそんな状況だけに、故障が頻発して信頼性に疑問が生じるであるとか、継続維持に疑義を生じる級の出費に遭遇でもしない限り、代替に気持ちが傾くとは中々ならないのです。


点検の結果、基本項目+αの車検整備に加えて交換が必要とされたのは、前回の半年点検でも指摘を受けていたサブバッテリーと初めての指摘となるフロントのスタビライザーリンケージ。後者は多走行に伴う交換事例も多いようですので、仕方のない範疇かと思います。予想していたよりも指摘事項自体は少ないかな、というのが正直なところです。

見積もり作成に際しては、参考でお値段を聞いたものもあったため、数日を経て自宅に届いた書面には、事情知らずの一見では確実に驚くであろう金額が記されていたのですが(笑)、内容精査の結果、整備費用が17万円強、諸費用込みだと25万円弱となりました。

ただし、継続で乗るなら手を加えたい項目がいくつか、交換までカウントダウンの予告もいくつかありまして、出費自体はこれで完結とはなりません。この年数になるとメンテナンスフリーでお安く乗れるとはいかないのは、揺らぎようのない事実と言えそうです。

先に書いた通り、車検自体は一泊二日で可能と聞いたのですが、車検以外でお願いする項目もあるため、今回も入庫は約一週間必要。先方の代車の確保優先で日程を探してもらったところ、幸いにも(?)今月末に空きがあるということで、善は急げとばかりに予約。先ほど車検でお願いする内容も本決まり、あとは本番を迎えるのみとなったのです。


ここからは諸考察。
私自身は、最初から乗り潰す予定で購入し、まだしばらくは乗り続ける予定でもいます。さらに、これまでの整備費用は最低額に近いと認識していますので、出費自体は結構痛いものの、許容もできます。

しかしながら、代替が頭の片隅にあると仮定するなら、この辺りで乗り換えが選択肢として浮上してくるのも、また理解できる気がするのです。他所での調達や交換の先送り等の選択肢が選べるなら、維持費用の抑制や均等化が可能となりますが、先方の言いなりなら「車検費用を頭金にして・・・」と思い浮かんでも不思議ではなく。元々リセールは決して良くはありませんが、これ以降は一気に下降しそうな気配も感じますし。

それと、延長保証等を活用すると5年間あまり整備費用かからずで乗れるだけに、ここでの結構な出費はインパクトとして大きいのだろうなとも。保証が切れた辺りからディーラー離れが顕著となるのも、きっと同じ理由。

知識や情報収集は大切だなと改めて。
もっとも、逆に余計な(?)知識があるからこそ、本来は不必要な(?)手を加えたくなるとも言えるのですけれど(笑)
Posted at 2020/07/17 17:41:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | W204 | クルマ
2020年07月14日 イイね!

1975年のカローラのカタログから(後編)

1975年のカローラのカタログから(後編)1975年のカローラのカタログをお題にした雑談ですが、数えてみると、もう45年も前になることに気づきました。リアルタイムで体験されているのは、確実にアラフィフ以上の世代ですよね。その下の世代だと、年数を経てからの印象。
ここを見られている方は知識豊富な方が多いので、お若くても話についてゆけるとなるのでしょうけれど。

それにしても45年も前なのに、結構、私的には記憶鮮明だったりするのが不思議です。むしろ、21世紀以降の体験の方が年数等、曖昧だったり(笑)

それでは、急遽、前・後に分けることを決めた雑談の後編に入っていきます。



ここからはグレード別の紹介となります。
先ずはデラックスから。

登場当初は最上級だったデラックスも、このカタログでは1200が外されていることもあって、最もベーシックなグレードとなります。

1200だと12インチのタイヤとホイールが、1200でも13インチとなるハイデラックスとの外観上の何より判り易い識別点となるのですが、1400以上はデラックスも13インチとなるため、フェンダーのグレードエンブレムぐらいが識別点となります。

1600デラックスは、排ガス対策で低下した出力を補うためか、50年規制時に追加されたグレードとなります。同じデラックスでも1400はフロントドラムブレーキですが、1600だとフロントディスクブレーキに格上げ。1200はブースター無で1400はブースター付という違いもあって、動力性能&車重に応じた設定分けのようです。
ブレーキの違いは結構大きな差に思いますが、低級グレードにはフロントドラムが残るというのは、カローラに限らず同級他車にも見受けられる設定ではありました。

ファミリーカーなら既にハイデラックスが選ばれることが多かったですし、営業車なら1200という具合で、1400以上のデラックスって意外と少なかったように記憶しています。





続いてはSLです。

50年規制が始まるまでは、ツインキャブエンジンを搭載ということで、グレード名Sporty&Luxuryの内、前者の意味合いが強かったのですが、これ以降はシングルキャブで統一されるため、後者の意味合いが強くなります。

コロナでは、GLとSLはどちらかだけが標準の装備が多く、並行の設定を思わせるものでしたが、カローラは前回書いたとおり、通発レザーとなるシート地以外はSLの方がハイデラックスよりも上級の設定でした。

グレードエンブレムの他にタルボ型ミラー&キャップレスホイールが外観の特徴で、若いユーザーがまだまだ多かった時代、ハイデラックスよりは確実に少ないものの、意外と見かける仕様でもありました。





グレード別の最後は、GSL&SRとなります。

GSLは、この代に初めて追加されたラグジュアリー系の最上級グレードでした。カローラのユーザーが上級移行を望まれた時に他店への流失を防ぐ切り札的存在というのが主な役割。あるいは、カローラで一番高いのを持ってこいと言われた時用。

後で装備一覧をご確認いただけると解り易いかな、ですが、基本線はSLの延長ながら微妙に上級を意識した仕様となっています。後の中核となるグレード、SEの原点と言ってもいいでしょうね。

モデルチェンジ当初は2ドアセダンも選べたのですが、この時点では4ドアとハードトップのみに絞られています。

SLとはホイールリングが識別点。加えてハードトップではサイドストライプも、となります。この時代のホイールリングは、アルミホイールがまだまだ高かった時代にあって、その代用となるドレスアップアイテムでしたから、後付でつけられる方も多かったですけれどね。
父の友人の一人は、未対策のスプリンターセダン1200STを駆け込みで買われ、早々に社外品のホイールリングを装着していたことを記憶しています。


もう一つのSRは、当初からハードトップのみの設定。
GSLがスポーティでありながら豪華も役割とする一方で、豪華装備は省いて走りを重視したグレードとなります。もちろんSRもシングルキャブに変更されていますから、装い程は速くないとなるのですけれどね。コロナは50年規制でSRが落とされていますから、残っただけでも吉報ではあり。

細かい変更ですが、当初はレビンと共通の砲弾型ミラーがこの時点で、SL&GSLと共通のタルボ型ミラーに部品統合されていたりします。

1600は税金が高いこともあって、どちらもSLよりは少なかったように記憶するのです。GSLよりSRの方がむしろ多かったかもしれません。例外なく若い方だったなと。


有名な話だと思うのですが、念のため。
この時点でレビンは落とされています。中期以降は、SR共々、スプリンターとの共用となったクーペに移行。ハードトップのDOHCは、この代では前期のみでした。





左頁はセダンのグレード別一覧です。
内装でグレードが分けられていたのが一目瞭然かなと。

内装色の関係もありますが、デラックスはやはり簡素で、ハイデラックスに背伸びしたくなる、が当時の主な動向でした。
ここでマニア視点を一つ。シートパターンは、デラックス系が縦模様で、SL・GSLは横模様となっています。実はスプリンターでは、ST・GSを共通にする一方、DXとXLも横模様でシート地もカローラとは別とされています(スプリンターの画像は、下記リンク先のエクストラインテリアの回に掲載)。

セダンの外装色は、当初設定のあったフォーチュンターコイズMとフェイバリットブルーの2色が落とされ、その替わりにイエローブロッサムが追加されています。この変更は、新型車解説書では50年規制適合時とされているのですが、実は一足早い50年4月発行のカタログで入替がされていて、私的謎の一つとなっています。
クリスタルシルバーMもシルバーボーグMからの変更となりますが、これは125というカラーコードからすると、マークIIやコロナに設定されていたシルバーへの統合となるようです。さらに、コンパニオンブラウンとスプレンダーブラウンMは、名称は同じながらもカラーコードは変更有。何とも細かい変遷なのです。


右頁は装備類の紹介です。
ウォーニングランプには、新たな装備となる触媒の過熱を知らせる「排気温」が追加されています。ドアトリムも当初はSLとGSLのみ上部と下部で色を変えていましたが、ハイデラックス用の単色に仕様統合されたようです。

カーステレオは8トラックとカセットの両方が選択可能でした。既に主流はカセットに移行していた時期となります。
エアコンはインパネにビルトイン可能なタイプ。先代までの冷房はダッシュ下部にクーラー単体を吊り下げるタイプでしたから、見た目を筆頭に大きな進歩でした。子供心には豪華さの象徴の一つでもあり。この代だと、純正よりお安い社外品の吊り下げクーラーを装着する車も多く見かけましたけれどね。





左頁は主要装備一覧です。
おそらく表示価格の関係からか、グレード別だけでなく、排気量によっても差異が付けられていました。

右頁はハードトップのグレード別一覧となります。
シート地&ステアリングホイールのデザインで印象を変えることができる。そんな実例かと思います。今はエアバッグやステアリングスイッチという新たな要件が加わり、変更も難しくなっています。
ミッションは全てマニュアルで掲載。この時代、カローラだとATの比率は1割程度だった筈です。この代で初めて3速ATが1400以上に導入されていて、当初の1400は2速ATと3速ATが選択可能でした。仕様統合で1400以上は3速ATのみとされています。

ハードトップの外装色もセダン同様、フォーチュンターコイズMが落ちて、イエローブロッサムが増えています。





裏表紙は、主要諸元表です。
全長3,995mmは、今のコンパクトカー並み。全幅1,570mmは、軽自動車とコンパクトカーの中間くらいとなりますね。このサイズで3ボックスが成立していたのですから、今とは隔世の感があります。今のカローラは、全長+500mm、全幅だって+200mm近く大きくなっています。
その事で得たものと失われたもの、答えは皆さんで判断されるべきものでしょうね。

今ではモビリティ東京に統合されてしまった、かつてのトヨタ東京カローラの営業所一覧も掲載されています。統合に伴い、移転や閉鎖も相次ぎましたから、今でも残る営業所を探してみるのも一興かもしれません。


といったところでいかがだったでしょうか。

この代の概要や背景については、6・7代目の開発責任者である斎藤明彦氏が2・3代目の開発責任者である佐々木紫郎氏にインタビューしている内容が、とても参考になりますので、リンクを張ることで私からは略といたします。

次に、今回取り上げたカタログには、当時の主力だった1200が掲載されていないことの理由を書いてしまいます。1200だけ別カタログではありませんよ。

実は50年規制への適合の際にシリーズから落ちたのは、レビンだけではなかったのです。1200も50年規制への適合が行われず、一時的に販売リストから落ちていました。1200は、少し遅れた1976年2月に51年規制に適合する形で復活していたりします。その直前には、1600に触媒を用いないTTC-Lを採用して51年規制に適合したシリーズが追加。新たにTTC-C名が付けられた触媒付1600は、1年足らずで51年規制に適合と、期限の限られた規制適合に向けて、目まぐるしい動きとなっていきます。
こうした排ガス適合以外にも、リフトバックやエクストラインテリア(関連話はこちら)の追加がこの時期に行われていて。もちろんカタログも変更の都度、改訂が入っています。

今回ご紹介したカタログは、そんな過渡期の少し珍しいものということで。
この時期だと、ビッグカリーナへの1800追加も急遽を確信させるに足るものですし、以前に取り上げたコロナやマークIIの1800もその内の一つとなるのですけれどね。


ご紹介はこのくらいにして、ここからは思い出話を書いていきます。

カローラはベストセラーを続けていた時期でしたから、この代もご近所・知り合い等、何かと見かける機会の多いクルマでありました。極普通に映りこむ当時の風景の一部ですよね。

そんな中でも思い出深いのは、2台の4ドア1200ハイデラックスなのです。

1台目は、お隣で買われた未対策のシルバー。
それまでは、初代の最初期型のデラックスに乗られていて。この初期型、赤いボディカラーはすっかり艶が失われた状態。錆びたところにはステッカーという具合で、所謂オンボロ。子供心には少々怖くすらありました。
逆算すると10年も経っていなかったはずですけれど、当時は塗装の耐久性が今とは段違いでしたからね。

30の4ドアは、父が2代目マークIIを買った伝手を使って、未対策車の新古車を探してきたと記憶しています。
草臥れ果てた状態の初代からすると、3代目って、これが同じカローラなの?って驚かされるクルマでした。先ず4ドアだし、スタイルも何となく寸詰まりだった感じはなくなって、クルマらしくなった。ラウンド形状のインパネ、フルになったドアトリム、シートだって立派に映り。それらは、向かいの家の20カローラ中期ハイデラックスと比べても明らかな違いだったのです。

ここは推測ですけれど、コロナとの車格差を感じるものはあっても、カリーナとなら然程見劣りはしなかった、そんな感じなのではないでしょうか。今視点からすると、些細な差であることも事実なんですけれどね。

「カローラがここまで立派になったのか」という印象は、歴代だとこの3代目、6代目、9代目に強く感じていて、私が高く評価する理由の一つでもあるのです。その裏には、高品質の追求とか多品種を細かく作り分ける采配が必ず存在していたりもしますし。
(誤解を招かないように補足すると、高品質の頂点は7代目であり恐らく空前絶後。ただ前代からの飛躍という点では、この3代を挙げるということなのです。)

お隣とは仲が良くて、この30カローラも何度か乗せて貰ったかな。お隣はその後、会社の車を持ち帰られることが多くなったため、カローラを手放され、父の友人の実家に移ることになります。

もう一台は、お隣が手放されたのと時期あまり変わらずで、関りをもつようになった51年対策のグリーン。
これも父の紹介が発端。マークIIグランデ(前期5速のカッパー)の中古車を買われた方の下取りでした。こちらは、父が乗り叔父が引き継いだ初代マークIIの後釜に収まりました。社外品のカセットが記憶に残るのですが、確か純正エアコンも付いていたような。

叔父は数年乗った後、大きな車に戻りたいということで、父の2代目マークIIを引き継ぐことになり。
当然、このカローラの買い手を探すことになるのですけれど、6年落ちの時点でトヨタの中古車店では下取りは厳しいとの宣告だったようです。実際、トヨタの看板を掲げた店頭に並ぶのは既に中期以降であり、前期は良くて業販、少しでも条件が悪いと容赦なく解体だったのでしょう。
結局、その頃、後期カローラの修理で年中お世話になっていた近所の中古車店(関連話はこちら)に引き取られるですけれど、ここでも「いつもお世話になっていますし、51年規制の1200ですから何とか」という状態。引取り価格も車検残のみ程度のほぼ底値。加修少々で展示早々に売れていましたけれどね。

ガソリンが高かった時期でもあり、燃費の期待できる1200以外は安いクルマを求める層にも難しいというのが、中古車業界の大方の判断でもありました。

その数年前の段階でも、50年規制適合車や一部の51年規制適合車は、未対策車よりも安くしないと売れないというのが、当時の定評でもありました。そもそも売る方からして、売った後のクレームが怖くて引き取りたがらない、それぐらいの代物であったわけです。業を煮やしたメーカーや販社は、対策金を投じて潰しを始めたという噂も、対象車を変えつつで少なからず存在してもいました。

今回、ご紹介したのは、評判の最悪だった50年規制の適合車ですから、潰しの対象車とされていたであろうことは想像に難しくありません。80年代初頭の時点で、解体屋さんで見かけることは容易でしたし、「この型は(後期で大型化された)バンパーの中古はまだ無理だけれど、(前期と共用の)Fフェンダー等なら中古パーツも容易に見つかる」というのは、同じ頃後期を何度目かの修理する際に、先の中古車屋さんで聞けた話でもありました。

6代目が登場した時点では、後期を含めて大半が街中から消えていたように記憶しています。そういう意味では大量に売れて大量に消費されたクルマとなるのでしょう。長い時間を経た今となっては、歴代の中でも発掘が難しい世代のようにも思います。


それでも、私の中では安全コロナと同じくらい、好きな一台であることは揺らぎません。物心ついた時の体験は何より強烈ということなのでしょう。

以前に書いた言葉を最後に繰り返してみます。
好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。
Posted at 2020/07/14 19:19:13 | コメント(7) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ

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「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
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