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parl-siroのブログ一覧

2020年12月30日 イイね!

2020年最後の投稿の話

ここ数年、年末には埋もれた画像で振り返りとしてきました。

今年もそれで…と言いたいところですが、秋にちょっとした不手際から画像データを消失してしまいまして。失くして解るバックアップの重要性。正しく後の祭りですね。

そもそもコロナ禍の影響から、今年は観光地には殆ど出かけてなくて、目ぼしい画像はあまりなかった気もする、というのは多少強がりも込めつつ。

COVID-19が巻き起こしたそのコロナ禍が、今年、いやここ数十年単位でも最大級の出来事であったことは間違いありません。

今回書くのにあたり、昨年末のブログを一度読み返したのですが、この一年で変わったと思えることがいくつもあることに想いを馳せました。もちろん、自分のお仕事も大なり小なり影響を受けています。

今の状況はまだしばらく続くことが確実で、未だ光明すらすら見えてこない状況ですが、それでも一刻も早い収束を願って止みません。

コロナ禍とクルマの関係で少し書くと、個人単位の移動手段であることの良さや安心を改めて感じる機会になったように思います。通勤や仕事で公共交通機関を選択せざるを得ない身としては、時に乗る自家用車というのはほっと息をつける場所でもありました。

そんなクルマを走らせる環境、少なくともハード面は自分が免許を取得したころに比べて、はるかに良くなったと感じます。あとは利用者のマナー、理想は法規や罰則抜きで改善が進むことだと思いますが、こればかりは個の主張のぶつかりあいでもあり、中々難しいものがありますね。


今年、その他にクルマ関連で個人的に気になったのは、「脱セダン」と「電動化」でしょうか。

前者に関しては、売れ筋に作り手の資源を集中させる選択は仕方ないと思いつつ、その背景にあるのは流行を作るや流行に乗る、その結果大量に売るというだけなのが極めて残念です。「愛車」、「文化」、「伝統」etcといった文言を発信する経営層はいても、実態は「商売第一」だなと。何より今やフルラインの様相となっている売れ筋のクルマ達も、先々は何台残れるのか、うすら寒いものを感じざるを得ません。

後者は、そもそも目的からして不明瞭で。最近の言葉だと「カーボンニュートラル」とかでしょうか。そもそも車が大きく重くなる一方、さらに今の売れ筋がそれを加速させている中で、動力源に的を絞って変革を求めるというのは本末転倒。裏側には、政治や投機が絡むからこそでしょうね。
賛否両論のあるディーゼル規制は、規制に理由がありましたが、今回はそこまでの切実感があるとも思えずで。だからこそ、新規・代替・既存利用の皆が不便・不利益を被らない誘導を望みたくあります。


年末ということもあり、少し真面目に書いてみました。

クルマが変革の時代を迎えていることは明らかなのですが、だからこそ作り手・売り手・買い手の皆がいたずらに流されることなく、情報の真贋の見極めと慎重な選択がより一層必要になっている、そんな風に思います。


ここは何とか変わらずで続けることができました。
訪問された方、読まれた方、コメントをくださった方、全ての方に御礼申し上げます。

今年も残すところ、あと一日半と少々となりました。
皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。
Posted at 2020/12/30 10:47:49 | コメント(6) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2020年12月24日 イイね!

日産ギャラリー ヘリテージの展示車(チェリー&パルサー)

自車が80,000kmに到達したのは、横浜へお買い物に出かけた時でありまして、買い物ついでに日産ギャラリーにも立ち寄ってみました。

館内は密とは程遠い状態でしたし、展示車も眺めるだけに留めることで、自分なりの自粛も込めつつ。

今の日産はセダンが減らされる一方ということもあって、新車よりはるかにヘリテージの展示の方が興味をそそられるというのが、私感です。そのヘリテージの展示には、ダットサン16型フェートンもあったのですが、さすがに自分の範疇を超えていまして、残り2台を取り上げることにします。

初代チェリーX-1 4ドアセダン(1970年)




1970年に小型車初の横置きFF車として誕生。
エンジン&ミッションの搭載方法は、その後の主流となるジアコーサ式ではなくミニ由来のイシゴニス式が採用されました。

日産初のFFであり、小型車のFFは他社に先例がありましたが、それでも初代シビックよりも1年強早くの登場は先進的かつ意欲的だったと言えます。当時のライバル車パブリカが、カローラの小型版になっていたことと比較するとより明確でもありますね。

ハッチバックでも成立しそうなボディ形状に感じますが、リヤゲート=バンと認識される時代においては、トランクとするのがむしろ自然だったのでしょう。
テールゲート付は同時に登場したバン、後日追加されたクーペで対応することになります。

サニーよりも下位を狙っていたこともあり、シリーズの主力は1000ccにありましたが、このX1は当時の俊足サニーGX譲りの1200ツインキャブを搭載。
レースにも出場し、活躍することになります。

このオレンジは、この初期型X1のイメージが重なります。(オレンジ色の車6選で選んでいたりもします)
GLやDX等では、ホワイトやシルバー、テールランプの大きくなった後期だとターコイズに近いブルー等でしょうか。

先進的かつ意欲的なシリーズでしたが、国内では充分な販売成績を残せたとは言えず、4年後に登場する次世代はサイズアップでより上級を求めたF-IIとなります。

F-IIは1200と1400の設定ということで、初代は1000の4ドアGL・DX、クーペDXのみ併売期間があったようです。(1974年発行の自動車ガイドブックにて確認)



初代パルサー1200TS(1978年)




上級移行したF-IIでしたが、やはり十分な販売成績は残せませんでした。
そこで心機一転。1978年5月にモデルチェンジではなく、パルサーという新たな名が与えられた後継車が誕生します。

販売系列の名称はチェリー店のままでしたし(CMではパルサー販売を名乗る矛盾も)、チェリーキャブ・チェリーバネットでその名も残りましたから、名称変更が必要だったのかは個人的に疑問を持っていたりします。

登場時点では4ドアのみ。同年9月に3ドアとクーペが追加。さらに11月にバン、翌年9月に5ドアが追加されて、シリーズが完成しています。

背景の画面には、偽装された先行開発車がテストコースを走る姿が映されていました。当時の比較車輛が、VWゴルフではなく、BMWの初代3シリーズだったのは意外でした。


成り立ちとしては、F-IIをベースに車幅を100mm広げた形。当時の日産は長さよりも幅を広げることに意義を見出していたようで、サニー・バイオレット兄弟でも同じような変更が行われています。これら車種を凌ぎ、さらに上級のブルーバードやスカイラインにも匹敵する車幅は、ワイドトレッドも効いて、当時、かなり幅広に映ったものです。デザインやアピールの仕方も相乗効果があったと言えましょう。

少し後に登場したトヨタのターセル/コルサは、車幅を同クラスの平均より狭めて逆に長さを強調しましたから、対照的でもありました。どちらが正しかったかは、一長一短があって判断が難しいところですね。

スタイリングは、従前以上に明確な2ボックス形状でしたが、4ドアでは再びハッチバックではなくトランクを採用しています。
一見いいとこどりのようで、実は理がないと言わざるを得ないこの選択は、結局長続きせず、上記のとおり5ドアハッチバックが追加された後、4ドアは廃止となっています。

スタイリングでもう一つ。
同時期のスカイラインジャパンのイメージと重なるというのは、水平ゼロ指針のメーター共々、登場時点で受けた印象でした。同じ荻窪系列の開発ですから、それも道理なのですけれど。
ここにスカイラインGTのマスクを嵌めて、プリンス店扱いの姉妹車ラングレーを登場させた展開には、さすがに驚かされました。

次世代は3ボックスタイプの4ドアセダンを追加していますので、この時点でやれていれば、ラングレー共々、歴史は少し違っていたかなと思ったりします。

シルバーのボディカラーは、当時も少なかったように記憶していて、ラングレー共々赤が多かったように思います。
F-IIから引き継がれた12インチのホイールは1200の特徴でした。1200も全くとまでは言えないものの、1400の方がよく見かけたと記憶します。


この2台、ご近所、父の友人関係、乗られている方はいたのですが、確実にサニーよりも少なかった印象があります。

一つにはチェリー店って、元がコニー店の転籍が多く、販売系列が強くなかったことが挙げられます。指名買い以外は競合で勝てることは少なかったはずで。
歴史のIFでいけば、荻窪系列でもありますし、プリンス店でも併売していれば、もっと台数は売れていたようにも思えます。

そんなことを空想させるのは、少なくとも、車自体の出来は悪くなかったと思えるからです。同時期のライバル車、初代シビックやFFファミリアがブームを形成したことからすると、この2台ももっと評価されて然るべきだった、と感じます。

勘ぐった書き方かもしれませんけれど、サニー、ブルーバードといった日産本流とは異なる存在であったことが、本腰が入らなかった(ように映ります)、結果として十分な販売成績を残せなかった理由に思えて仕方ありません。

新型ノートの登場に際して、サニーではなくそんな2台を取り上げたのは、だからこそ興味深いところではあります。





新型ノートについても少し。
今回のモデルチェンジでは、車自体の商品力・競争力は認めるものの、e-POWERのみとした売り方に加えて、装備の設定等、どうしてこうなったという点が、個人的にという注釈を添えつつで少なからず持っています。

キックスは一応新規車種というエビデンスはあるものの、ノートはモデルチェンジですからね。替わりの受け皿となる車種も思いつきませんし。イメージ構築には仕様を絞った方が有利という判断のようですが、従来型のユーザーの一部を切り捨ててまで行うべきだったのかは疑問を持たざるを得ません。充実していた車種体系の統廃合を繰り返し、既存ユーザーを篩にかけ続けた結果が、今の状況に繋がっていると思うので、尚更です。

捉え方次第では、マツダ以上に、早急かつ大きなイメージ転換を図っている感もあります。この選択の是非は販売成績に反映となるのでしょうが、想定と異なる結果となった場合、それこそ深刻な事態とならないか危惧しています。

誤解を招かないように書きますが、ここ数年、トヨタ1強の弊害は各所に感じていまして、対峙する日産の復活をずっと待ち続けています。ノートがその歩みの一歩となるか、成り行きを見守ろうと思います。
Posted at 2020/12/24 21:50:26 | コメント(8) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ
2020年12月21日 イイね!

80,000kmに到達

80,000kmに到達時の経つのは早いもので、気が付くと今年も残すところ、10日を切っています。

自車は、今年1月に70,000kmを超えていて、年内に80,000kmに行くかなと気にしながらだったのですが、本日無事到達となりました。
キリ番の撮影ができずの時が多いのですが、今回は79,999kmを逃した代わりに、無事撮影することができて一安心(笑)

緊急事態宣言が発令された時には、一時的に距離は減ったものの、ここ最近は元の伸び方に戻っていまして。このご時世もあって、長距離の機会は減ったのですけれど、近場の回数はそれ以上に増えているのが、距離の理由。

この距離になると、消耗品を始めとして少しばかり気になる点は出てくるわけで、車検等で少し手を入れているのですけれど、段々出費が増えそうだなと覚悟しています。

まぁ、古くなると壊れるという噂とは裏腹に、私見では致命的なものは感じませんし、まだまだお気に入りの一台ですので、のんびりと手をかけていこうかと思っております。

今のままで乗っていければ、あと2年程で100,000kmの大台に達しますね。


無事是名馬といえばもう一台。
W204と入替でお譲りした前車GX81ですが、現オーナーからこの年末の車検も継続したという連絡を受けました。

数えてみると、こちらは四半世紀を超えて26年目に突入。
あれだけ売れ、丈夫さでも定評のあったX80三兄弟ですが、今も国内に残るのはほんの一握りに過ぎません。経過年数の割に中々旧車の扱いはされなかった感がありますが、最近の中古車相場からすると、完全に旧車の域に入ったとも思います。
この長寿、私自身も、色々気を使って乗っていたつもりですが、現オーナーはそれ以上に適切な乗り方・維持り方をしているのが大きいだろうなとは。

送ってもらった近況画像も、相変わらず手放した時と大きく変わることはなく。ここまで乗ってもらえたこと共々、感謝の念が尽きることはないのです。
Posted at 2020/12/21 20:46:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | W204 | クルマ
2020年12月10日 イイね!

1981年のハイラックス4WDのカタログ

1981年のハイラックス4WDのカタログ前回、パジェロの初期型を取り上げた際に、「ミリタリタイプの4駆の「乗用車化」はピックアップ系が最初」というコメントをいただきまして、それならそのピックアップ系の創成期を纏めつつで取り上げてみようと思い立ちました。


このピックアップ系、当時のムーヴメントの中心、そして近年再販されたということからしても、取り上げるべきはハイラックス4WDだろうということで。

もっとも、日本におけるピックアップ系の4WDの歴史を遡ると、始祖は意外やいすゞだったりします。

北米におけるライトトラック市場というのは、日本車の輸出初期から開拓されたものであり、1970年代半ばにおいては乗用車以上に台数が捌けるドル箱となっていました。当時、トヨタ・日産・マツダと共にいすゞもフローリアンと前半分を共用したファスターを送り込み、また兄弟車としてシボレーLUV名でも輸出していました。

このLUVに4WDが設定されたのが1979年。輸出仕様と言えども、その売れ方共々、当時結構な話題だった筈で、日本の自動車雑誌にもこの4WDが誌面に登場していたりします。

輸出はガソリン仕様だったものの、ディーゼル仕様への変更もあり、国内仕様の登場には時間を要しています。加えてファスターはモデル末期だった(翌1980年に次世代モデルが登場)ということで、結局いすゞは先行者の利益を少なくとも国内では得られることはできませんでした。

もちろん、他社がその売れ行きを傍観するはずもなくて、直ぐに追随。
2番手はトヨタで前年に登場したハイラックスのショートボディに、2000ガソリン(18R-J)を搭載した4WDを1979年10月に追加しています。

3番手は日産でダットサンのロングボディ、こちらはシングルキャブとダブルキャブに1800ガソリン(L18)を搭載した4WDを1980年4月に追加。1980年10月には三菱がフォルテに2000ガソリン(4G52)を搭載した4WDを追加しています。このフォルテがパジェロ・デリカに発展したというのは、前回のコメントでいただいた内容ですね。

こうして俄かに活気づいた、ピックアップ4WD。もちろんその多くを売るのは海外、特に北米となりますが、国内でも作業用に留まらずレジャー用としても売れるようになります。ワンボックスワゴン・クロカン4駆と共に第一次のRVブームを形成するわけです。

国内にも商機があるとみたトヨタは、ハイラックス4WDを他車よりもいち早くマイナーチェンジしバリエーションを一気に拡大。以降、ピックアップ4WDの中心的存在となるのです。

ということで、今回はハイラックス4WDの最初のマイナーチェンジモデルを話の主役にしてみます。取り上げるカタログは、マイナーチェンジ当初となる1981年10月に発行されたものとなります。

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登場時点では、左側のガソリンのショートボディのみでしたが、このマイナーチェンジを機にディーゼルの3ボディ(ショート・ロング・ダブルキャブ)を追加しています。

同時に丸目2灯から角目2灯に変更。この種の変更は、角目になって精悍になったというのがアピールのお約束でもありました。もっとも私の今視点だと、丸目の方が似合っているように思います。

同時にイメージカラーもオレンジからイエローに変更。ブラックアウトされたディテール各所とのマッチングはこちらの方が良いかもしれませんね。



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日本車は、前年のターボブームやこの年の初めに登場したソアラを契機として、出力競争の道を再び走り始めます。そんな状況にも関わらず、スピードという魔力から離れ、クルマを使って遊ぶことを提唱している点は興味深いところです。絶対的な速さを追わない点では、むしろ現在的と言えるかもしれません。

レジャーユースが前面という点では、同時期のワンボックスワゴンにも通ずるものがありますね。もちろんレジャーだけではなくワーキングビークルとして使われることも多かった筈ですけれど。



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新たに追加となったダブルキャブです。
キャブ部分を共用していた一クラス上のスタウトには先に設定があって、ハイラックスに転用された形です。

追加されたリヤドアは、フロントドアのオープニングラインと合っていませんが、これは恐らく左右でパネルを共用したため。次世代以降は、改善される部分です。

スタウト関連でもう少し書くと、ハイラックスを名乗っていますが、シャシーはどうやらスタウトの系譜が近かったりします。ハイラックス4WDのみ、フロントリーフあるいは2WD比で横方向にも広がっている理由はその辺りかと。他車も2WDをベースに地上高を稼ぐため車高を上げる変更は行っていますが、横方向はほぼ変わらずだったりするのと対照的です。

ライバル車よりも、リフトアップ量が多く大径のタイヤを履いていたハイラックスですが、当時としてはかなりワイドな215サイズのタイヤを得たことで、下半身の安定感は随一となりました。このサイズが収められたのも、スタウト由来のワイドフェンダーが功を奏した形です。



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続いては当初からあるショートボディ。
もっとも排ガス規制の関係からか、形式名はRN36からRN39に変更されています。エンジンの形式名は、18R-Jで変わらず。
ガソリンの2000は、スタウトやダイナ等にはOHVの5R、乗用車系には21Rが搭載されていましたが、ハイエース共々18Rが選択されています。ハイラックスと18Rの組合せは、この前の代にも2WDのハイウェイシリーズがありました。

ショートボディは、ロングボディよりもホイールベースは215mm、リヤデッキは385mm短くなります。全長の-350mmと合わないため調べてみたところ、ショートボディの4WDのみ、フロントバンパーにフィラーを追加して前出ししていたようです。

この世代のシングルキャブは、荷室長の確保を優先したショートキャビンとシート後方の空間を少し増やしたキャビンの両方があり、2WDではスーパーデラックスのみ後者が設定されていました。4WDはデッキ長に関係なく後者となっています。

キャビンと言えば、シングルとダブルの中間にあたるエクストラキャブは、当時ダットサンに設定があったものの、ハイラックスへの設定は90年代末まで見送られています。使い勝手の良さそうな仕様なのですが、現行もダブルキャブということで、あまり需要はなかったのでしょうね。

マイナーチェンジでは、サイドステップの標準化と共に、SRパッケージのみが選択可能な215Rタイヤ&ホワイトスポーツホイールとリヤステップバンパーのオプション設定が追加されています。
前者はランクルに続いての設定となりますが、これらを付けることで一気に働く車感が減りますね。

水辺に乗り入れた画像は、機動力の訴求も兼ねてのものと見受けますが、環境問題が厳しくなった現在では使われなくなりました。



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新たに搭載されたディーゼルエンジンは、少し前にクラウンで取り上げた2.2LのL型です。2WDには一足早く1979年12月に搭載車が追加されていました。ランクルが3.2Lの2B型を搭載していたことからすると、3LのB型を積む選択もアリだった気がするのですけれど、静粛性等を優先したのかなと推測。積載も含めるとパワー不足は否めなかったようで、次世代では2.4Lの2L型に、その次の世代では2.8Lの3L型へと拡大されていきます。

トランスファーは、前回のパジェロ同様、Nを挟んで、L4とH4・H2が振り分けられていました。ミッションは、ガソリンが4速で、ディーゼルは5速。

サスペンションは、先に書いた通りフロント・リヤ共にリーフリジッドを採用。独立式より乗り心地やハンドルの切れ角では不利になりますが、悪路の走破性や堅牢性では勝ります。ハイラックスの特徴として受け入れられた面はあったのでしょう。サーフは比較的早期にフロント独立式に転じますが、ピックアップはこのレイアウトが長く続いています。

まだこの時代には、パワーステアリングの設定はありませんでした。
特にノーマルの7インチ幅(≒175mm)より40mm幅が広がった215Rタイヤでは、据え切り等では相応の腕力を必要としたでしょうね。

当時の4WDのカタログではお約束だったアンダーボディの画像。前回のパジェロと比べてみると、配置の違いも含めて興味深い点がありそうです。



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マイナーチェンジ前のメーター配置は、インパネクラスター内にスピードと燃料&水温で、SRパッケージは時計をインパネに、シフトレバーの前には油圧計と電流計という配置でした。
タコメーターがSRパッケージに追加されたことに伴い、電流計が電圧計に替わり、油圧計に替わって時計がシフトレバーの前に配されることになりました。

ガソリンとディーゼルでクラスター内の配置が異なるのも興味深い所。輸出仕様の18Rにはハンドル位置に関係なく、ディーゼルの配置もあったようです。

ブラウンのインテリアカラーは、ベージュのボディカラーのみの組合せで、イエローとホワイトのボディカラーには、ブラックのインテリアカラーが設定されていました。

後年と比べるとはるかにシンプルなインパネ。エアコンは助手席足元の吊り下げではなく組込み式となるものの、温度調節は独立。オーディオもDINサイズ以前の規格ということで、この辺りは時代を感じさせる部分ですね。

フリーホイールハブの設定はあったものの、マニュアルのみでした。



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左頁はバリエーションの紹介です。
ダブルキャブとロングボディのインテリアがSRパッケージ付きで、ショートボディが標準仕様。レジャービークルとワーキングビークルの境目と見ていいと思います。ランクル40には、Lパッケージ以上に布張りシートが設定されるようになっていましたが、こちらはSRパッケージでもビニールレザーのままでした。この種だと使い方次第で、どちらがいいとは簡単に言えない部分ですが。


右頁にはオプション品の紹介、装備一覧表、主要諸元が並んでいます。

レタードテールゲートは、特に海外でTOYOTAの知名度を上げた装備になります。あまりに印象に残るそのデザインは、台数の多さと相まって海の向こうのトヨタがトラックメーカーと誤認されることにも繋がってしまいました。高級車を展開するにあたり、レクサスブランドを新たに立ち上げた要因の一つですね。

4ナンバーの枠内ということで、ロングでも全長4,690mm、全幅1,690mmに収まっています。現行ハイラックスは、全長5,340mm、全幅1,855mmですから、そのサイズ差には隔世の感があります。
ところが、ダブルキャブ同士で荷台のサイズを比べると、現行の1,520mm×1,535mmに対して、当時は1,535mm×1,430mmと、あまり違いはなかったりします。最大積載量も500kgで変わりませんし。
純粋なスペース以外の部分で、ボディサイズが膨らんでいる。今に至る傾向は、ここにも表れているということでしょうね。

4WDのディーゼルということで重量級かなと思ったら、ダブルキャブでも1,450kgと意外とクラウン並みの軽量でした。装備もシンプルですからね。現行型は2,100kg前後ということで、1.5倍の重さに増えています。



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裏表紙には、第3回パリ=ダカールラリーの完走とアメリカでインポート・4WD・オブ・ザ・イヤーを受賞したことが書かれています。

前者は、バブル期辺りから知名度が上がり、メーカーが本腰を入れて参戦するようになりますが、当時はまだ初期で、ワークスではなくプライベーターじゃないのかなと推測。砂漠の10,000kmに及ぶラリーですから完走だけでも立派なものではあります。この次の回では、登場直後の3代目カリーナ1500が2WDながらも完走して同じくカタログを飾ることになります。

後者はランクル共々の受賞のようですね。


といったところでいかがだったでしょうか。
2WDの時には、どうしても働く車としてだけ認知されがちだったこの種のトラックも、4WDの機動力と組み合わされることで、注目を集めることとなりました。自家用としても認知されるようになっていくのです。

もっとも、雨大国の日本においてむき出しのリヤデッキというのは、利便性の反面、どうしても積載可能なものが限られる面があって、初期にはキャノピーの積載が見られ、やがてはバン形状に変更されたサーフが、販売の多数を占めるようになっていきます。

それでも、この種のボディを必要とされる方は少なからず存在するのでしょう。サーフと並行してピックアップは21世紀初頭まで展開されますし、一時期は国内での販売が途絶えるものの、2017年にタイからの輸入車として復活を果たしています。

当時の新車価格は、最安のショートボディで約110万円、ダブルキャブが約140万円でした。SRパッケージを加えても、パジェロよりはお安めの設定だったのです。商業車ということで税金も安く、人気を集めた理由の一つですね。

そこからすると、現行の350万円スタートというのは、先に書いたボディサイズ共々だいぶ手が届きにくくなった感は否めません。もちろん、当時よりはるかに豪華で安全、環境にも配慮となるのですが。お値段だけなら、1ナンバーですし、ガソリン2.7Lの2TR-FEを搭載すれば、もう少しお安くなる気もするのですが、今の台数だとそんな望みは酷なのでしょうね。

安全や環境等の法規制の影響もあって、登場後は濃厚長大の一辺倒で、いい意味でのお手軽さは段々失われていったと言えると思います。

それでもハイラックスというのは、時代を超えて若者にとって新鮮な存在に映るらしく、現行型も想定以上に若者が買っているようです。その点は当時と変わらないという見方もできるかと思います。

40年という決して短くはない時間を隔てた両者は、何が変わり、そして共通するものは何なのか、改めて見出す機会となれれば幸いです。
Posted at 2020/12/10 18:50:33 | コメント(4) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2020年12月04日 イイね!

1982年のパジェロのカタログ

1982年のパジェロのカタログSUVが今のブームだそうです。
SUVとは”Sport Utility Vehicle”の略称となりまして、定義は若干曖昧かなとも思うのですが、ブームに乗る形で軽自動車からフルサイズまでフルラインSUVの様相、しかもそれらが売れているのですから、ブームであることは間違いないでしょう。高級セダンの代名詞でもあるクラウンですら、無視できなかったくらいですし(笑)

アメリカ、ヨーロッパ、日本でSUVのルーツは異なってくるのですが、日本に限定して遡ると、1990年代のRVブームが連なるように思います。このRV、”Recreational Vehicle”というやつも、思い返せばクロカン4駆・ライトトラック・ワンボックスワゴン・ステーションワゴン等、セダン・ハードトップ・ハッチバック以外は全て網羅している様相ではありました。

この内、クロカン4駆が一般に普及した最大の功労車は、今回紹介するパジェロとなるように認識します。

自衛隊の前身となる警察予備隊への納入が発端となりそうなトヨタランドクルーザー、日産パトロール、三菱ジープといったクルマ達は、輸出に販路こそあったものの、こと国内においては特殊用途的な捉え方をされていて、それ故販売台数も少なく、近代化からは取り残される形となっていました。

そんな状況から最初に動いたのが日産で、サファリを発売。続いてトヨタは40を継続しつつも50を60にフルモデルチェンジします。同じ頃、ライトトラックの4輪駆動が輸出のドル箱となり、いすゞはライトトラック、ロデオのコンポーネンツを多用したビッグホーンで参入しています。
三菱は、ジープの近代化を模索し、パジェロ名でモーターショーの参考出品を繰り返していますが、クライスラーとの提携もあって、結局最後発となっていますね。

今回ご紹介するのは、そのパジェロの最初期型となります。

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他車はショートとロングの2種類以上をバリエーションとして持っていましたが、パジェロは当初ショートのみで登場しています。ショートでもキャンバストップとメタルトップの2形態というのは、他車でも見られた設定です。ライバル車には、中間にFRP製のトップを持つ車もありましたが、パジェロには設定はなく。

三角窓は残すものの、トーボードが廃止され、フェンダーが一体化されたスタイルは従前の4輪駆動車に比べ、明らかに新時代を感じさせるものでした。

4WD初のターボディーゼルということで、2台の”DIESEL TURBO”グレードが掲載されています。(余談ですがターボとディーゼル、順番が紛らわしいですね)
当時、サファリとランクルは、エンジンをトラックと共用。ビッグホーンは乗用車との共用でしたが、NAのみということで、このターボディーゼルはパジェロの大きなアドバンテージとなりました。

当時はまだRVという言葉が一般化していないように記憶していますが、既にカタログでは使われていますね。



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外観同様、インパネも近代を感じさせるものでした。
サファリ以前の4輪駆動車は、鉄板むき出しのインパネにプルスイッチを多用という具合でしたからね。

メタルトップディーゼルターボだけは、乗用を意識した設定だったようで、唯一パワーステアリングにカセットステレオが標準でした。
パワーステアリングは、ギヤ比が16.4とクイックになるのですが、オフロードだとマニュアルの20.5~24.5にも長所はあった筈です。

一方でアングル角等は相当な数値。一見では乗用車に近付いたように映るかもしれないが決して軟弱になったのではないというのは、強調しておきたかったのでしょうね。



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インパネは最終までほぼ変わらずでしたが、最初期型のインテリアはかなりシンプルになります。
フロアはビニールマットではなくカーペットとなりますが、トリム類は結構省かれていますね。

4ナンバーの制約もあり、リヤシートは狭く・小さくとなりますが、それまでの横向きシートからすれば、前向きになっただけでも、新時代を感じられたのです。

サスペンションシートは、飛んだり跳ねたりの用途を想定したはずで他車にも設定が広がったと記憶していますが、現在では見られなくなった装備かと思います。シートスライド量は80mmと少なめですが、サスペンション機構の皺寄せかもしれません。

近代化ではベンチレーションも大きな改善の一つ。エアミックスヒーターは乗用車が先に採用していましたが、4輪駆動車では中々望めなかった装備なのです。



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後年にはV6・3000まで積んでしまう初代パジェロですが、当初はガソリン2000とディーゼル2300、同ターボ付きの3種類でした。ガソリンは当時の最新シリウスシリーズですが、ディーゼルは一世代前となるアストロンシリーズというのは、少し前に話題になった点ですね。

4輪駆動は燃料消費がどうしても多く、できればディーゼルというのが当時の買われ方でしたから、そこにターボというのは先述の通り、セールスポイントとして大きなものがありました。トヨタはパジェロの登場後、間もなく2L-Tを登場させますが、4輪駆動への搭載はしばらく時間がかかっていますね。

後年の売れ方からか、メタルトップの印象が強いパジェロですが、ソフトトップの設定もありました。モーターショーへの参考出品はこちらでしたね。



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ガソリンとディーゼルターボは5速で、ディーゼルは4速を採用。ATはまだありません。ギヤ比を見ると、5速は乗用車に近く、4速は1速がかなりローギヤードの商用車の系譜を感じさせるものとなっています。
加えて、4駆のローレンジはギヤ比1.944ですから、4速はオフロードユース向きと言えるかもしれません。トランスファーの4L・N・4H・2Hという組み合わせは他車にも多かった作りですね。

はしご型フレームに組み込まれるサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンで、リヤはリーフリジッド。走破性だけならフロントも固定軸が勝りますが、操縦性と乗り心地も重視しての選択かと。

パートタイム4駆では必須に近いフリーホイールハブは、マニュアルタイプとオートマチックタイプの両方が選択可能でした。イージーさではオートマチックですが、本格的なサバイバルモードではマニュアルの確実性が勝るが故の設定ですね。



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バリエーション一覧です。
後年の豪華さとは別の車に思えるくらいシンプル装備のグレードが並んでいます。パジェロがシンプルということではなく、当時の4駆では逆に装備が充実していたくらいですけれど。

まだ5ナンバーや3ナンバーの設定はなく、これら全てが4ナンバーとなります。



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装備の紹介頁です。
アクセサリーの類は少なくて、機能装備が大半です。ターボだけはやや上級の設定。

オプションも用途からして、オフロードでの使用を想定したものが多く用意されていました。



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裏表紙は主要諸元です。

全長3,870~3,930mm×全幅1,680mmというのは、今だとロッキー/ライズに近いサイズです。大径タイヤにフルフレームを備える全高だけは、1,845~1,875mmと250mmほど高くなります。

車両重量は、ボディサイズやシンプル装備の割に重量級ですが、構造からして仕方なし。ガソリンとキャンバストップの組合せが最軽量で、逆のメタルトップディーゼルターボとは150kg以上の差がありました。

当時のお値段は、最廉価がキャンバストップのガソリンで約135万円、最上級はメタルトップのターボディーゼルで200万円弱の設定がされていました。当時のギャランシグマと並べると、最廉価は1800の中間グレードと同等、最上級は2000ターボの最上級と同等となります。4輪駆動は、ワンボックス以上に意外とお高いクルマだったのです。



セダンと違って、どうにも解説し辛いと言い訳しつつ。
後年の豪華なパジェロだけを知る方なら、初期型というのは新鮮に映るかと思います。

最初期型はディーゼルターボ以外、あまり大きな特徴を持たないように映ったパジェロでしたが、ここからの進化には目を見張るものがありました。

他車では先ずやらないだろうという組み合わせは、当時の三菱ならではのものでしたが初代パジェロに関しては、これが上手く嵌った感が強いですね。

先ず翌年には、5ナンバーのワゴンが追加。これにはディーゼルターボに加えてガソリンターボの設定があり驚かされたものです。この手の4駆にハイパワーって、当時は水と油と思っていましたから。5ナンバー枠でハイパワーを求めた結果なのですけれど、パジェロの独自性となりました。

ここは余談ですが。
ショートのワゴンガソリンターボは、親子2代でお世話になった整備工場の社長さんが登場直後に購入されました。何台か車をお持ちの方でしたが、メインは初代セリカLB1600GT→280ZT2by2(これも登場直後の購入)を経ての購入。
スポーティカーからRVへの代替は、当時としてはまだ少なかった筈で、後年、流行の先駆けだったのだなと改めて。もっとも、ご当人は初代VR-4を次車に選ばれていたりするのですが。「最初は新鮮だったのですが、やはり速い乗用車が恋しくなりまして」というのは、当時語られていた話です。


その後も、ロング、AT、etcという進化が続き、RVが一般に浸透する牽引力ともなりました。最終のロングエクシードともなれば、最初期型とは名前以外別の車と言ってもいいくらいですよね。

乗用車が主流だった三菱にとって、パジェロが社の柱になるというのは、当初は想定になかったことかと思います。支柱がどんどん太くなって、やがては大黒柱となる。その過程でパジェロは、どんどん大きく・重く・高価になりました。

ユーザーの声に応えた結果とも言えますが、昨年国内の販売が終わった最終型というのは、色々な面で簡単には手が届かない車になっていたように思います。そこからすると、この初期型というのは改めて振り返る価値があるようにも思うのです。40年近い時代の差がありますから、再販というのはあり得ないのですけれど、コンセプト等には今でも参考になるものがあるように感じます。

そして最後にもう一つ。
社が苦しかったのは重々承知と前置きしたうえで。
社のアイデンティティともなったこの車は、車名なり何なり、何かしらの形で残すべきだったように思えてなりません。この車名は間違いなく、社の代名詞の一つでした。それが国内から消えたことで、社としての碇を失ってしまったように思うのです。そして替わりは簡単には見つかりそうもなくて。

今に続くSUVの歴史を振り返ると、三菱の貢献というのはパジェロに限らずで大きいと思っています。そんな名門の新たなる提案を心待ちにしています。
Posted at 2020/12/04 19:24:30 | コメント(5) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ

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