今回のブログは、天皇陛下にとっての一番大切なお仕事、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)について、その内容と特別な意味、問題点について書かれた記事やブログを引用、転載させていただきます。
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宮中祭祀は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に、皇居・宮中三殿でおこなう祭祀です。
天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上する大祭と、掌典長(掌典職)らが祭典を行い、天皇が拝礼する小祭があります。
宮中祭祀- Wikipedia
歴史
◆近代以前
中世の順徳天皇は、『禁秘抄』で「禁中作法先神事」と述べたように、天皇は肇国以来「神事」を最優先としている。四方拝などは江戸時代以前から歴代の天皇に引き継がれた行事である。
江戸時代中・後期には水戸学に基づいた尊王論の高まりがあり、新嘗祭など祭祀の再興が盛んになった。
◆明治期から戦前まで
今日行われている祭祀の多くは、明治維新期に大宝令、貞観儀式、延喜式などを継承して再編された物である。
天皇の「現人神」としての神格化や神仏分離などに合わせて、途絶えていた祭祀の復興や新たな祭祀の創出が行われた。1871年(明治4年)には「神社は国家の宗祀」との太政官布告が出され、1908年には宮中祭祀について定めた皇室祭祀令が皇室令の一つとして制定された。
宮城内の水田では稲作が行われ、昭和天皇以降は自ら田植えをするようになった。収穫された米は供物として、祭祀の際に用いられている。
◆戦後
1945年(昭和20年)に日本が敗戦し、戦後の連合国軍司令部による統治の下で、宮内省は宮内府・宮内庁へと移行される。また、国政と切り離されていた旧皇室典範は日本国憲法施行に合わせて廃止され、全面的に改定された皇室典範は一般法の一つとなった。
これに合わせて、皇室祭祀令など戦前の皇室令も、一旦全て廃止されたものの、宮内庁は内部通牒を出し、「新たに明文の規定がなくなった事項については、旧皇室令に準じて実施すること」を確認している。
現代での位置づけ
日本国憲法やその下の法律に宮中祭祀についての明文の規定はなく、現在の宮中祭祀も皇室祭祀令に基づいて行われている。また、これに係る
予算も皇室の内廷費によって処理されている。
このため、多くの憲法学者が、戦後の
宮中祭祀を「天皇が私的に執り行う儀式」と解釈するようになった。
宮内庁の公式HPでは、宮中祭祀を「宮中のご公務など」の項で説明している。
また、内閣総理大臣はじめ三権の長が、大祭を中心に一部の祭祀に陪席していることが確認されている。佐藤栄作は首相在任期間中、春季皇霊祭・春季神殿祭、秋季皇霊祭・秋季神殿祭、新嘗祭にほとんど出席しており、NHKスペシャル『象徴天皇 素顔の記録』(2009年4月10日放送、天皇・皇后成婚50周年の記念番組)では、当時の麻生太郎首相ほか三権の長が、春季皇霊祭・春季神殿祭に出席している映像が放映された。
制度としての宮中祭祀が確立して以降の天皇では明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、侍従らが代拝するのが主であった。一方で、貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心であった。
在位後期に侍従長であった
入江相政は、昭和40年代から50年代に昭和天皇の高齢を理由とした祭祀の簡略化を推進したことがその日記から伺えるが、昭和天皇は1986年(昭和61年)まで新嘗祭の親祭を続けた。
今上天皇・皇后も祭祀にはきわめて熱心であり、諒闇(服喪中)や病気を除くとほとんどの宮中祭祀に代拝を立てず御自ら出席している。
※(ブログ主記)皇后陛下は平成26年、出席は春季皇霊祭、秋季皇霊祭の2回のみ。元始祭、昭和天皇、香淳皇后、明治天皇、大正天皇、神武天皇も、先祖の法事はもれなく欠席。その代わり、「遥拝・お慎み」はもれなく記載されるようになった。果たして、「きわめて熱心」という表現は正しいのか?
祭祀に関しては、
事前の潔斎と
平安装束を着用する事に加え、
長時間の正座が必要であり、生前の昭和天皇は祭祀が近づくと、正座してテレビを視聴するなど、意識的に長時間正座することを心がけていたという。今上天皇も新嘗祭の時節が近づくと、昭和天皇と同様に正座の練習をするとのことである。
在位20年を経た2009年(平成21年)以降は、
高齢である今上天皇の健康への配慮、負担軽減のため、祭祀の簡略化や調整が計画、実施されている。
※(ブログ主記)2016年4月3日。皇居・宮中三殿での神武天皇祭へ、7年ぶりに皇太子妃が参加。
没後2600年の節目の特別な年にあたり、天皇皇后は奈良県の神武天皇陵でのご参拝に赴かれ、例年は両陛下が務められる拝礼を、皇太子ご夫妻が名代として行った。平安装束、いわゆる十二単(じゅうにひとえ)を着用するものと思われたが、雅子妃は開始わずか1時間前に洋装で皇居へ到着、終了1時間後に退出。
たった1時間で潔斎(裸になり水を浴びて身を清める)及び平安装束(あの、じゅうにひとえ、ですよ~‼)を着用して祭祀に臨むことは不可能で、しかも、写真も公開されなかったため、正式な祭祀がおこなわれたかどうか疑問視されている。
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「天皇陛下の祈り」の崇高な精神性こそ余人をもって代え難い
NEWSポストセブン
2012.02.11
天皇が執り行なう重要な儀式に宮中祭祀がある。神々に感謝の祈りを捧げ、国家国民の安寧と平和を祈るものだが、その詳細は秘儀中の秘儀とされ、広く国民の目に触れることはない。その内容について、ジャーナリストの山村明義氏が解説する。
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「天皇の祈り」の存続が危惧されている。
GHQの7年近い占領下を経た戦後、宮内庁によって宮中祭祀の「簡略化」が度重ねて実施されてきた。
事実、昭和天皇の時代から「ご高齢・ご健康への配慮」「政教分離違反の疑い」などという名目の下、徐々に宮中祭祀の回数が減らされてきた。
例えば、昭和43年の入江相政侍従長時代に、毎月1回は御親拝により行なわれていた「旬祭」が削減された。この旬祭は本来、毎月1日、11日、21日に行なわれるが、平成21年からは5月と10月の1日のみの御親拝に変更された。
回数だけではない。昭和50年には、浄衣をまとった侍従を宮中三殿に遣わし、天皇陛下に代わって行なっていた「毎朝御代拝」を、モーニング姿で賢所の階段下の前庭で一拝する拝礼に改変。また、近年では皇太子など皇族の代拝も、侍従から掌典次長に変えられたことがある。
これらの祭儀の「簡略化」が天皇陛下のご意志に沿って行なわれていたかといえば、かなり疑問である。元側近らの証言からすると、昭和天皇も今上天皇も、強いご決意をもって宮中祭祀にのぞまれていたことは、明らかだからだ。
何より、
「簡略化」の最大の問題は、「天皇陛下のまつり」の本来の意義を宮内庁の官僚たちが理解しないままに回数を減らしたり、祭祀の中身を変えているのではないかという懸念があることだ。
一方で、昨年までの
ご公務の日数は逆に増えている事実もある。「陛下のご負担軽減」を訴えながら、宮中祭祀の親祭だけを減らしたことは、
「天皇(日本)の精神性の軽視」と指摘されても仕方が無い。
それでも先の高谷元内掌典は、こう語っている。
「たとえ陛下が(賢所での)御拝を減らされあそばされても、お仕えさせて戴いた私共には、陛下が同じようにお祈りされているのがわかるのです。宮中祭祀は未来永劫、粛々と行なわれるものなのです」
事実、東日本大震災の被災地への御行幸や、宮中祭祀での数々の天皇陛下の祈りが、震災で大きな苦難に陥った日本国民に対し、強い勇気と鼓舞を与えた。いかに周囲が止めようと、日本と日本人を守ろうとする「天皇陛下の祈り」の崇高なる精神性こそ、余人をもって代え難い。
日本の歴史と伝統が綿々と続き、永遠に変わることはないはずの宮中祭祀の精神性を変えることだけは決して許されない。
※SAPIO2012年2月22日号
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陰陽師徒然
『陰陽師の舊事希軍(くじまれとき)』さま ブログより、転載させていただきます。
「「宮中祭祀」こそ国の基盤(1)」
2009/6/23
近年、天皇家を取り巻く環境は非常に厳しい状況下に置かれています。
ことにNHKまでもが天皇制度の廃止を示唆する内容で皇室・天皇制度の解体を狙っている現状です。
天皇皇后両陛下のご存在の意義を戦後、我々国民は、忘れてしまっているような気がします。
天皇皇后両陛下の本当のご公務は「宮中祭祀」です。
ですがこの宮中祭祀(主に新嘗祭)は国民の目でテレビ中継などで見ることは出来ない秘儀とされています。
ですから国民は、
両陛下のご公務はどこかの会場に御臨席されたり、災害時に被災地にお見舞いに行かれることがご公務であると勘違いしている方が多くいます。
両陛下は常に無私のお気持ちで「国安かれ、民安かれ」と天照大御神をはじめとする天神地祇の神々に祈りを捧げておられます。
しかし今、
反日左翼の侍従たちによってその祭祀を簡略化させられています。
「天皇の祈りはなぜ簡略化されたのか」の著者である斎藤吉久氏のメールマガジンを紹介させていただきます。
どうぞ宮中で今、何が起きているのか私達は何をなすべきなのかを考えていただきたければ幸いです。
藤吉久メールマガジンNo.412より
祭祀王の本質と関わる「新嘗祭」ご負担軽減
▽2時間のあいだ、ずっと正座
まず、いま進行中の祭祀簡略化がなぜ始まったのか、について考えてみます。雑誌「諸君!」の昨年7月号に載った渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長のインタビューから、その経緯が明確に浮かび上がってきます。
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/shokun0807.htm
前侍従長が説明するのは、祭祀とりわけ新嘗祭の肉体的、精神的なご負担です。
陛下のお祭りは秘儀ですから、詳細を述べることは差し控えなければなりませんが、アウトラインを申し上げると、夕刻、神嘉殿(しんかでん)にお出ましになった陛下は、数々の神饌(しんせん)を作法にしたがって、時間をかけてご自身でお供えになります。
拝礼のあと、神社の祝詞(のりと)に当たるお告文(おつげぶみ)を奏され、さらにご神前で米と粟(あわ)の新穀、白酒(しろき)・黒酒(くろき)の神酒を召し上がり、この直会(なおらい)がすむと、神饌を順次撤下(てっか)され、一通りの神事が終わります。
これが「夕(よい)の儀」で、3時間後、ふたたびお出ましになり、「夕の儀」と同様の神事が繰り返されます。これが「暁(あかつき)の儀」です(八束清貫[やつか・きよつら]『皇室祭祀百年史』)。
渡邉前侍従長がインタビューで語っているように、「侍従長と東宮侍従長は外廊下で2時間、正座して待っています」が、慣れていないからでしょう、立ち上がるときは必死の思いだと吐露しています。さらに「陛下もずっと正座なのです」と、そのことがさも簡略化の直接的な理由であるように前侍従長は説いています。
▽侍従長の負担がご負担にすり替えられた
しかし、このインタビューで言及されているように、神事をみずからなさる陛下が身動きもせずに、ただじっとしているわけではないのは、いわずもがなです。また、能楽師などのように、幼少のころから板の間に正座して稽古に励む人たちもいますから、畳の上での長時間の正座が難行苦行であるかのように断定的に解説するのは正しくありません。天皇と国家・国民の命のよみがえりを図る、という儀礼の本質を、忘れるべきでもありません。
そうはいっても、ご高齢で療養中の陛下にとって、長時間の祭祀が激務であることは間違いありません。
第2の理由として、前侍従長は、いかにも官僚らしく、昭和の先例を引き合いにします。
「昭和天皇の例では、いまの陛下のご年齢よりもだいぶ前から毎月の旬祭を年2回にされ、69歳になられたころからは、いくつかの祭祀を御代拝によって行われたりした。私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、ご負担の軽減を何度もお勧めしましたが、陛下は『いや、まだできるから』と、まともに取り合おうとはなさいませんでした」
しかし、この説明は間違いです。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』でも、このメルマガでも繰り返し申し上げてきたように、
昭和の祭祀簡素化は昭和天皇のご高齢が理由ではなく、入江相政(いりえ・すけまさ)元侍従長の祭祀嫌いに発しています。
入江の工作のもう1つの理由をあげるなら、昭和天皇ではなく、入江自身の加齢でしょう。
入江の負担が天皇のご負担にすり替えられたのです。渡邉前侍従長が「ご負担」を強調するのと構造的に似ています。
前回、申し上げたように、
ご負担軽減を理由に祭祀を「簡素化」しながら、昭和天皇・香淳皇后のアメリカ、ヨーロッパ公式訪問が行われたのは矛盾です。しかしその矛盾を、官僚的な先例主義で引きずっているのが、渡邉前侍従長であり、いまの宮内庁です。
「「宮中祭祀」こそ国の基盤(2)」
▽「退位」を口にされた昭和天皇
入江元侍従長は祭祀の本質をほとんど理解できずに、「お上(かみ)のお祭、来年は春秋の皇霊祭と新嘗祭。御式年祭もおやめに願い、再来年にはぜんぶお止め願うこと、植樹祭、国体はやっていただく」(入江日記、昭和56年11月7日)などと公言してはばからない俗物でした。
入江は祭祀の「簡素化」を皇太子(今上天皇)の発議、皇族の総意によって進めようという工作までしたようですが、祭祀の空洞化は、すでにご承知の通り、
「無神論者」富田長官が登場し、厳格な政教分離主義が台頭して本格化します。
これに対して、昭和天皇が同意されるはずはありません。それどころか、陛下は「退位」を口にされました。入江日記にはこう書かれています。
「11月3日の明治節祭を御代拝に、そして献穀は参集殿で、ということを申し上げたら、そんなことをすると結局、退位につながる、と仰せになるから……」(昭和48年10月30日。適宜編集しています)
この年の入江日記からは、
昭和天皇が幾度となく退位、譲位について語られたことが読み取れます。祭祀こそ天皇第一のお務めであるという大原則に立てば、入江らが工作する無原則の祭祀簡素化がどれほど受け入れがたいことだったでしょうか。
そしてその一部始終を皇太子のお立場でご覧になっていた今上陛下がいま、先帝と同様の状況におかれています。
側近たちが昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を迫るのを、陛下が「まともに取り合おうとはなされなかった」(渡邉インタビュー)のは当然でしょう。
▽新嘗祭だけは御代拝ができない
天皇の祭祀には御代拝の慣習があります。戦前の祭祀令には、大祭・小祭のうち、元始祭や紀元節祭など大祭の場合、天皇がみずから親祭になれないときは、皇族または掌典長に祭典を行わせる、と明記されていました。
祭祀は形式ですが、単なる形式ではありません。茶道などでもそうですが、
所作の形に意味があるのであって、形を破ることは神への冒涜につながります。それなのに入江が「簡素化」したのは、単なる形式だと考えるからでしょう。もしご健康に不安があれば、祭祀の簡略化などせずとも、御代拝で十分なのです。
けれども、新嘗祭だけは御代拝ができない、という考え方があります。明治になって成文化された祭祀令では、新嘗祭も大祭に分類されていますから、御代拝でもいいはずですが、そうではないというのです。
それは祭祀王たる天皇の本質そのものと関わっています。
天皇は私を去って、ひたすら国と民のために祈ることで、この国を治め、民をまとめ上げ、社会を安定させてきました。拙著に書いたように、
稲作民の米と畑作民の粟の新穀をともに捧げ、神人共食の直会をなさる新嘗祭は、天皇がなさるからこそ意味を持つ国民統合の儀礼です。皇族や掌典長による御代拝では意味をなしません。
したがって昭和天皇が、入江侍従長から新嘗祭の簡素化を進言されて、退位を口にされたのには、それだけの理由があります。
順徳天皇の『禁秘抄』(1221年)に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事をあとにす」とあるように、
歴代天皇は祭祀こそ最大のお務めと考えてきました。昭和天皇も今上陛下も同じお考えでしょう。その天皇から祭祀を奪うことがどんな意味を持つか、拝察するのもはばかれます。
▽天皇の祭祀は「私的な活動」?
しかし現実にいま、宮内官僚たちはご負担軽減と称し、昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を敢行しています。
それほど陛下のご健康問題が深刻であるなら、
法的根拠があるわけでもないご公務を削減すればいいものを、ご公務の件数はいっこうに減らないどころか、ますます増え、外国ご訪問まで計画されています。
逆に、
半月にもおよぶ海外旅行に耐えられるほどご健康であるならば、天皇第一のお務めであると歴代天皇が認めてきた祭祀をなぜ簡略化されなければならないのでしょうか。
これでは筋が通りません。
なぜ理不尽なことが起きるのか。それは天皇の本質をどう見るかにかかっています。
陛下は祭祀王の立場にあります。しかし官僚たちにとっての天皇は、政府すなわち官僚の意思のままに動く近代的な国家機関に過ぎません。
渡邉前侍従長は先のインタビューでこう語っています。「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」
「つねに国民の幸せを祈るというお気持ちをかたちにしたものとして祭祀がある」と語るほど、祭祀への理解が浅からぬ前侍従長ですが、それでも、天皇の祭祀は私的行為であり、ご公務が優先されるという憲法解釈から抜け出せないのでしょう。
官僚たちが考える天皇は、悠久なる歴史的上の存在としての天皇ではない、ということでしょうが、もしそうだとすると、公務員の立場で渡邉前侍従長が天皇の私的な宗教行為である祭祀に介入するのは、官僚たち自身の政教分離主義に反することになります。自己矛盾です。
▽天皇の祭祀を正常化させる方法
さて、渡邉前侍従長は指摘しています。「皇室に関わることで、国論が二分する事態だけは避けなければならないというのは、陛下の基本的なお考えだと思います」
なるほど、祭祀簡素化問題をめぐって国が二分するようなことは、陛下は望まれないでしょう。多様なる国民を多様なるままに統合することが天皇のお務めであれば、なおのことです。しかし、祭祀簡素化問題が国論を二分することがあるとすれば、その可能性の原因を作ったのは、渡邉前侍従長たち自身であることを忘れてはなりません。
前侍従長はインタビューの最後に、憲法論に言及し、「今上陛下はご即位のはじめから現憲法下の象徴天皇であられた。陛下は、そのような立場で何をなさるべきかを考え続け、実行し続けて今日までこられた」と述べています。
現行憲法には、天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴である、と規定され、陛下は会見などでしばしばこのことに触れられていますが、前侍従長とはニュアンスが異なるのではないか、と私は思います。
簡単にいえば、前侍従長はあくまで現行憲法を起点とする象徴天皇論ですが、陛下は歴史的な背景を十分に踏まえたうえでの議論だと思います。それは当然なことで、古来、祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこそ、象徴たる地位があるのです。
国論を二分せずに天皇の祭祀を正常化させる確実な方法があります。それは
社会を動かすまでに世論が高まり、渡邉前侍従長のようなエリートたちが祭祀正常化の先頭に立つことです。そのためには、現状を憂える国民がまず声を上げなければなりません。
官僚たちが進めるまったく理屈の通らないご負担軽減で、これから何が起きるのか。間違いなくいえるのは、天皇がますます単なる「象徴」という存在になり下がるということでしょう。それは日本の文明に対する破壊行為です。
今年の新嘗祭まで、あと5か月です。皆さん、どうぞ声を上げてください。皆さんご自身の問題なのですから。
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皇太子さまへのご退位提言に「一刻も早い方が」と賛同する人も
NEWSポストセブン
2013.03.01
宗教学者の山折哲雄氏が『新潮45』3月号に寄稿した
『皇太子殿下、ご退位なさいませ』という論文が波紋を読んでいる。
山折氏は、小泉純一郎元首相(71才)時代に設けられた「皇室典範に関する有識者会議」のヒアリングで、実際に意見を述べたこともある人物。その山折氏が
皇太子さまにご退位をすすめ、さらに弟の秋篠宮さまに「譲位」してはどうかとも綴っているのだ。
山折氏と同じく「皇室典範に関する有識者会議」でヒアリングを受けた高崎経済大学・八木秀次教授は、この意見に賛同する。
「山折氏が言われている
“退位”とは皇族の身分を離れるというより、“秋篠宮さまに皇位継承権を譲られてはどうか”というものだと思います。これには私も賛成です。なぜなら
皇太子さまは、ご自分の家族に精神的な重きを置かれているようで、本来、皇太子として果たされるべき役割ができていないように感じるからです」
八木教授は、
雅子さまが宮中祭祀に対して消極的だといわれていることも、賛同の理由として挙げている。宮中祭祀とは両陛下が最も重要なお務めと位置づける“国家や国民の安寧”をお祈りする儀式のこと。キャリアウーマンで合理主義的な考えが強いとされる雅子さまは、宮中祭祀の意義深さが理解できず苦しまれているという報道がかつて出たこともあった。
「皇族は特別な身分が与えられているわけで、そこから宮中祭祀のような特別な職務が発生するわけです。それが
将来、皇后となられるかたが宮中祭祀に対して違和感を持たれているのでは、いかがなものかと思います。雅子さまが、個の部分を大切にされるのは構いませんが、
公的な存在として、そういった職務を果たされないのであれば、皇室を去るしかないわけです。これは決して無理な注文だとは思わないのですが」(八木教授)
そして皇位を譲るなら一刻も早いほうがよいと八木教授は続ける。
「両陛下はご高齢ですし、皇位継承こそが、おふたりを悩ませている問題でもあります。
少しでも早く秋篠宮さまに譲られれば、陛下を間近でご覧になり、将来の天皇としての自覚を養うことができます。秋篠宮さまならば、陛下の精神的・肉体的サポートが充分におできになるのではないでしょうか。そして次の天皇となられる悠仁さまにも幼いころから、帝王学を学ばせることができますから大きなメリットとなります」
では、その場合、皇太子さまはどうしたらいいのか。
「皇太子さまにも一宮家として皇室に留まっていただき、秋篠宮さまを支えていただくのが、いちばんいい形だと思います」(八木教授)
※女性セブン2013年3月14日号
紹介させていただいた記事はやブログは、宮中祭祀の大切さと深刻な問題点について、理解を深める援けとなりました。
天皇陛下には、「宮中祭祀」こそ大事。
その他の公務は縮小し、ご無理をなさらずお役目を全うしていただきたくお願い申し上げます。
そのためには、私たち国民が、宮中祭祀と天皇陛下のお役目について理解を深め、広げていくことが肝要かと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます (つ∀`).+°o*。.’