三笠宮崇仁親王殿下の薨去に際し、謹んでご冥福をお祈り致します
三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳
NHKニュース
10月27日 8時55分
昭和天皇の弟で天皇陛下の叔父の三笠宮さまが、入院先の東京都内の病院で心不全のため亡くなられました。100歳でした。
三笠宮さまは、ことし5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に入院されました。
治療によって肺炎の症状は改善しましたが、三笠宮さまは、心臓の働きの低下がみられ、胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして病室と集中治療室とを行き来される状況が続きました。
また、6月下旬には、心臓の拍動のリズムを整える「ペースメーカー」を埋め込む治療を受けられました。7月下旬以降は、集中治療室での治療が続き、8月には、一時、体調が悪化して、皇族方が相次いで見舞いに訪れました。
そして、27日脈が弱まり血圧も低下するなど容体が悪化して、午前8時34分に、心不全のため亡くなられたということです。
三笠宮さまは、4年前の平成24年、96歳で心臓の弁の機能を回復するための手術を受け、その後外出の機会は減ったものの、去年12月に明治以降の皇族で初めて100歳を迎えられました。ことし1月の新年の一般参賀では、妃の百合子さまとともに元気な姿を見せ、4月には、お住まいの宮邸でトルコに赴任する日本の大使と面会する公務にも臨まれていました。
聖路加国際病院には、三笠宮妃の百合子さまが26日からご自身の検査のため入院していて三笠宮さまを看取られたほか、高円宮妃の久子さまと長女の承子さま、三女の絢子さま、それに三笠宮さまの孫の瑤子さまも病院に駆けつけられました。
皇族が亡くなったのはおととし6月、三笠宮さまの次男の桂宮さまが亡くなられて以来です。三笠宮さまが亡くなられたことで、皇室は天皇陛下と皇族方の合わせて19人になりました。また、皇位継承順位が第5位の三笠宮さまが亡くなられ、皇位を継承できる男性皇族は4人になりました。
宮内庁が記者会見
三笠宮さまが、亡くなられたことを受けて、宮内庁は、午前10時半すぎから記者会見しました。
この中で、宮内庁の加地隆治宮務主管は、三笠宮さまが、27日午前8時34分に聖路加国際病院で亡くなられたと説明したうえで「謹んで哀悼の意を表する次第であります」と述べました。
続いて、名川弘一皇室医務主管はことし5月に急性肺炎で入院されて以降の経過を説明し「急性肺炎がひとつの契機となり年齢による心機能の低下が進行した状態になった。医師たちによる懸命の治療でここしばらくは安定された状態だったが、年齢からくる心機能の低下の進行に対してはいかんともしがたかった」と話しました。
宮内庁によりますと、三笠宮さまは、非常に安定した状況でしたが、27日午前7時40分ごろに体調が急変し、心臓の拍動が徐々に弱まるなどして、8時前後には心停止の状態になられたということです。検査のため同じ病院に入院していた妃の百合子さまが、三笠宮さまの病室に駆けつけ、最期を看取られたということです。
三笠宮さまは、最近でも声をかけるとうなずくこともあり、血圧も安定していたということで、26日も百合子さまとお話しをされていたようだということです。
・・・・・・・・・・以上、転載 了 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・96歳で心臓の弁の機能を回復するための手術
・5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に入院
・胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして病室と集中治療室とを行き来される状況が続いた
・6月下旬には、心臓の拍動のリズムを整える「ペースメーカー」を埋め込む治療
・7月下旬以降は、集中治療室での治療が続き、8月には、一時、体調が悪化して、皇族方が相次いで見舞いに訪れた
・検査のため同じ病院に入院していた妃の百合子さまが、病室に駆けつけ、最期を看取られた
ご高齢ながら、ずいぶん手厚い治療や手術を受けられてきたことに、正直、驚きを感じます。
宮内庁病院ではなく、聖路加国際病院…。
聖路加国際病院と云えば、…。
陛下とフィリピンのドゥテルテ大統領との面会は、中止
11月1日の秋の園遊会も中止(今回の女性のお召し物は着物の予定)
ベルギー国王陛下の来日、皇后陛下の誕生日のお祝いのあとの薨去
・・・・・・。
そして。
極左・リテラが絶賛する!「赤い宮様」
・・・ということは?
賢明なあなたなら、もうお分かりですね。
逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と
リテラ
2016.10.28
昭和天皇の末弟で、今上天皇の叔父にあたる三笠宮崇仁親王が、昨日27日、心不全により逝去した。享年100歳だった。一部メディアは、崇仁親王の先の戦争に対する反省の念や、戦争反対への思いなどを伝えているが、
その発言は、マスコミが報じている以上に踏み込んだものだった。崇仁親王は、いまこの時代を支配している右傾化に対して、早くから警鐘を鳴らしてきたとさえ言える。
それを象徴するのが、
右派の“南京大虐殺はなかった”という歴史修正主義に対する強い批判だろう。
(略)
1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。
〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。
罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉
〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉
昨年、ユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されたことに対して、ユネスコへの分担金を留保するという
“報復”に出た安倍首相にこそ聞かせたい言葉だ。だが、そうした誠実な態度を貫き通した崇仁親王に対し、これまで右派は「赤い宮様」などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、“これは日本軍を傷つけるものだ”という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。
(略)
しかし、2016年の日本はどうか。
安倍政権はメディアに圧力を加え、言論弾圧まがいの行為を繰り返し、さらに憲法を変えてこの国を戦争へと導こうとしている。そして、天皇の「生前退位」についても一代限りの特別法でお茶を濁し、抜本的な天皇や皇族の人権問題には決して触れようとしない。さらには、国民の多くはそんな安倍政権を支持し続け、歴史修正やその強権政治への国内外の批判に対しては、束になって「反日」だと襲いかかる。まるで、みずから民主主義を手放そうとしているかのようだ。
非民主的な存在である皇族のほうが国民や政治家よりよっぽど自由や人権、民主主義について考えを巡らし、また、負の歴史を正面から見据えていた。その歪な現実を、わたしたちはよく受け止めなくてはならない。
(宮島みつや)
・・・・・・・・・・以上、転載 了 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
くやしいのう、くやしいのうwww
自分たちの主張に国民が従わず、見向きもしないなんて、ねぇ。
・・・・・・・・・
昨日午前、100歳の三笠宮殿下が薨去されたことを、ニュースで知りました。
ご生前、日本や皇室にとって痛手となる残念な言動も多かった三笠宮殿下。
しかしながら、生まれながらの皇族である殿下の薨去に際しては、謹み、ご冥福をお祈りするのが日本国民としてのあるべき姿だと思い、昨日はもにょものょするものを胸の中にしまいました。
皇族方が三笠宮邸弔問に訪れる(過去の映像?)テレビのニュースを見ていたらしい豚児(次男)が、
「おかーさん。秋篠宮さまは、三笠宮さまのお家に入る時にちゃんと礼をしていたけど、お兄さん? の皇太子さんは、そのまま入っていったよ」
「秋篠宮さまのむすめさんのおねえさんたちも、ちゃんと礼をしてた。ぼくたちも、道場に入って出る時にはちゃんと礼をするって教わってるもんね」

写真: 赤坂御用地に弔問に訪れる秋篠宮ご一家
お手本になる人。
国民を代表する立場の方。
本物の「上流国民」「上級国民」の方の佇まいは、子供たちにとっても美しい所作や気遣いのよいお手本となる。
写真左下 常陸宮妃華子殿下 写真右下 三笠宮寛仁親王妃信子殿下
皇室、皇族、皇統、国体。
いま一度、国民一人ひとりが、その大切さ、ありがたさについて考え、本当に大切なことは何か考え、守っていかなくてはいけない岐路に差し掛かっているような気もしています。
ところで。
この「コピペ」、ご存知ですか?
…………………
969 おさかなくわえた名無しさん : 2009/05/27(水) 20:39:46 ID:d4jM7J6I
昔ポストに入ってた幸福の科学のアンケートハガキ
Q 大川隆法がブッダの生まれ変わりだということを知っていますか?
・知っていた ・今知った
なんだこの二択w
……………………
突然ですが。
今から、アンケートを行います。
「知っていた」は 1 を。
「今知った」には 2 をつけてください。
(1 or 2)
①三笠宮殿下は、今上陛下の叔父である。
(1 or 2)
②三笠宮殿下は、昭和天皇の弟君である。
(1 or 2)
③昭和天皇は4人兄弟のご長男である。
(1 or 2)
④昭和天皇の弟宮は、秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下である。
(1 or 2)
⑤秩父宮妃殿下は、旧会津藩主・松平容保公の孫、勢津子様である。
(1 or 2)
⑥高松宮妃殿下は、第15代将軍・徳川慶喜公の孫・喜久子様である。
(1 or 2)
⑦三笠宮家には三人の親王がいたが、三男・高円宮、長男・ 寛仁親王、次男・桂宮の順に薨去された。
(1 or 2)
⑧三笠宮殿下は、大東亜戦争中「若杉参謀大尉」として南京の支那派遣軍総司令部に勤務。クーデターを画策したり、戦後は戦争批判を行った。
(1 or 2)
⑨来日した中国の国家主席・江沢民に対し、晩餐館の席で「中国人民に謝罪したい」と語っていた。
(1 or 2)
⑩神武天皇を否定し、「赤の宮様」といわれながら、皇族としての特権は享受しつづけ、今上陛下の譲位(生前退位)の考えに賛成していた。
以上です。アンケートへのご協力、ありがとうございました。
集計の結果。
なんと、三笠宮殿下に関する質問のうち、
100%が
「今は」知っているとの回答をいただきましたww
みなさん、皇室について、よくご存知なのですね。 素晴らしいです!
ここから先は、
「知っていた」の回答が
8個以上の人だけ、お進みください。
「今知った」が10個の方は、決して、読み進まないでください。
なお、「知っていた」が8個より少ない方も、ご自分の責任においてお読みになられますことをご了承の上、お進みください。
リンクをクリックして、お読みください。
三笠宮殿下の薨去
井沢満ブログ
2016-10-28
天皇陛下の叔父上にあたられる三笠宮崇仁親王殿下の薨去に際し、殿下の正確な「前歴」を報道するところはないであろうと、思われます。
国民はこうして、きれいごとのうちにまた一つ、真相を知らぬままにされ
お花畑の住民として置かれるので、それはわたくしは、よろしくないことと
思います。
哀悼の意は無論、常識なのですが・・・・・しかし、歴史の一角を狙ったお方ですから、その「歴史」の部分は、つまびらかにせねばなりません。
(略)
赤い長老三笠宮さま@ご逝去
でれでれ草 DereDre Gusa
2016-10-27
大変もうしわけないのだけど、悼む気になれないのよね。
三笠宮さまのご尊顔を廃するたびに、その寿命を聡明な昭和天皇にわけてさしげろと、言いたかったわ。
もし、昭和帝の寿命が100年あって2001年に御隠れになったとして昭和が75年続いたとしたら、昭和天皇が反対していた雅子の入内はなかったのよね。順当に旧宮家の久邇晃子さまが徳仁親王妃になったはず。
旧宮家の令嬢が皇太子妃(もちろん正妃)になっていれば、明仁皇太子の夫人ではあるけど、妃として認められてない美智子が太刀打ちできるはずもなく、そうなったら、旧華族系の職員さんも盛り返して、正田美智子に化けた女どもと拮抗できたはず。
もちろん、秋篠宮家への産児制限が敷かれることもなく、秋篠宮家に親王か内親王がもっとたくさんお生まれになったはず。
災害と不況まみれの平成ももっと短かったし、明仁皇太子が摂政になる期間があったにせよ、祭祀も公務も本来の皇室の在り方の枠からずれることなく、政治経済社会が荒廃することもなかったと思うのよネ。
(略)
日本国に負の遺産を残し、三笠宮様ご逝去 《転載ご自由に》
BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
2016-10-27
天皇陛下の叔父にあたられる三笠宮崇仁親王が27日、入院先の都内の病院で亡くなられました。
100歳でした。
神武天皇の存在を否定、皇室の存在基盤を否定なさったに等しいのに、「赤い皇族」と言われながら、皇族としての特権は享受されたまま、
100年間、お生きになられました。
紀元節復活論者の愛国・皇室尊崇派である里見岸雄や野依秀市は、三笠宮を「無責任」「非常識」「左翼」と罵倒、皇族の身分を離れることを要求する著作を著しましたが、めげることなく皇室の存在を批判しつつ、自らは皇族の身分のまま国費で贅沢な暮らしをお続けになりました。
愛国団体の構成員が宮邸に押しかけて面会を強要した事件も起きています。
以上の愛国派の動きも、現在の思考停止保守は「不敬」として、切り捨てるのでしょうか?
不敬というのは神武天皇否定と言うかたちで皇祖神に対して不敬であった、三笠宮ではないのでしょうか。
そして、三笠宮親王の姿が今上陛下と皇后陛下のお姿に相似形にだぶって見えてしまうのです。
天皇陛下の慰霊に名を借りた、自虐史観に基づく反省謝罪旅行、皇后陛下の戦犯発言。
(略)
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まずは、知ること。
お花畑のままでいるわけでもなく、
「不敬」の一言で皇室に対しての疑問を持つことをやめ、思考停止するでもなく。
ただ、日本が好きだから。
国難に遭って、自分にできることをしたいから。